A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記99 「崩壊感覚」

2007-09-12 21:45:20 | 書物
タイトル:崩壊感覚 The Sense of Collapse
テキスト:鈴木勝雄(東京国立近代美術館)
デザイン:森大志郎
発行:東京国立近代美術館
発行日:2007年8月18日
内容:
2007年8月18日-10月21日に東京国立近代美術館ギャラリー4にて開催された<崩壊感覚>展のリーフレット。
「観る者の郷愁を誘う打ち棄てられた建物、戦争や災害による破局の光景、時間の経過とともに風化していく物質の姿、そして自己の境界が溶け出すような感覚におびえる人間の存在。これら「崩壊するもの」のイメージは、20世紀以降の美術の底に絶えず流れていたといえます。(中略)この展覧会は、21名の作家による45点の作品がとらえた様々な「崩壊感覚」を通して、その多様な意味の広がり、過去・現在・未来の時間の相と照らし合わせながら考察していくものです。」(本書テキストより)

入手日:2007年9月8日
入手場所:東京国立近代美術館 ギャラリー4
東京国立近代美術館の常設展スペースを使用し、コレクションを活用した企画展シリーズ。今回は<崩壊感覚>というタイトルで「崩壊するもの」のイメージを考察。美学的なテーマで、地味ながらも良質な展覧会で、美しい時間を過ごすことができた。絵画、写真、工芸など多様なメディアから選ばれているのも好感がもてる。今回の展示のハイライトは池田遙邨の「関東大震災スケッチ」と宮本隆司の「神戸1995」だろう。どちらも地震という災害後の廃墟の都市を記録したものだが、絵画と写真で表現が違うだけで、まったく印象が違うことにあらためて驚く。池田の廃墟は地震という説明がなくても、「廃墟」というイメージを出現させ、架空の都市として見るものはさ迷い歩く。だが、宮本の撮った「廃墟」には「廃墟」がもつロマンティシズム、郷愁のようなものはまったくない。もちろん1995年という「記憶」が遠い過去にさせないということはあるだろうが、そこには過ぎ去った過去ではない、生々しい「記憶」が生き続けている。このように同一のテーマを照応するような展示がすばらしい。
また最後に付け加えるならば、熱変形した大判ネガフィルムを減圧瓶の中に納めた中川政昭の「TYO」シリーズは崩壊の一形態として官能的である。崩壊を留める。記録する。その逆説的な行為のひとつのかたちとして中川の作品は多くの思考を含んでいる。