![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0a/4d6834149b14187b86b00723001838bd.jpg)
筆者は低い姿勢でこの舞踏会の模様をロビーの各所から連写した。お蔭で掲載画像のようなグラビアにしてもいいくらいのプロ級の写真が撮れた。すると、ホテルスタッフらしき女性が近づいて来て「Are you going to use photography only for yourself?」と問うて来た。どうやらフラッシュ未使用で連写を繰り返す筆者をプロカメラマンと誤解したようであった。英語の問の意味は「撮影した写真の商用利用は禁ずるが、個人で楽しむ分にはOK」と言う事である、筆者は「Absolutely yes! Taking a picture is my hobby and I am a guest of your hotel.」と答えたら誤解は解けたようで、このスタッフは「OK perfect」と満面の笑みで答えた。ロビーラウンジを舞踏会会場に提供できるのはアドロンケンピンスキーがベルリンに於ける超一流ホテルだからであり、こうした場面に遭遇出来るのは誠にヨーロッパならではである。
中央部に三脚を構えて写真を撮る女性がいる
カメラから目を離した
再びカメラに戻った。楽団名は「カサノバ」と言うのか?
とってもハイソ!
カメラ目線の女性
その女性の目を上手く捕えたEOS-1DX
宿泊する部屋へと向かうエレベーター
普段はロビーラウンジとして使用される場所だ
こんな感じでプロが写真を撮っていた
午後3時17分頃にホテルに戻った。フロント担当の女の子にConfirmation slipを見せて「My room is ready?」と問うと。又してもコンピューターのキーを何度も叩きながら彼女は無言を貫いた。そして午前中と同様「パスポートを見せろ」と言った、筆者は「Again trouble!?Oh my god!」と言いながらパスポートを見せた。そしてようやく「We have confirmed your reservation」と言いながらカード式のルームキーを渡してくれた。部屋番号は573号室。筆者は「一体何回パスポートを見せたら気が済むのだ、もううんざり」と英語でつぶやきながらエレベータの方へ向かおうとした。
するとロビーラウンジへ、正装した男性氏を含む地元ベルリンの社交界の人々が続々と集まり始めた。ホテルのロビーでその種の集団を見かけるのは日本では結婚式の時だけだが、ベルリンでは違った。ほどなくして彼らに寄る舞踏会が始まった。舞踏会と言っても踊り手は30代のカップルが一組いるだけで、他は中高年のおじさんおばさん集団である。だが、そこはヨーロッパだ、中高年の舞踏会と言えども華麗にしてハイソな雰囲気がロビー全体に漂っていた。バイオリン、トランペット、サキソフォン、チェロなどを演奏する管弦楽団はプロであり、舞踏会の模様を撮影するカメラマンもプロであった。
安宿に宿泊させられるツアー旅行ではこんな場面には滅多に遭遇しまい。たとえ運よく遭遇出来たにせよ、コンデジやスマホではピントの合った写真などは撮れないし、本体価格30万の高機能デジイチを持っていたとしてもそれは不可能である。何故なら、ホテル内の照度は屋外とは比較にならないほど低く、ISOは一気に6400にまで跳ね上がる。しかも激しく動く被写体である、AFの食い付きの悪いミラーレスカメラでは到底撮影できないし、ソニーα7Sでも無理!低照度環境下での手持ち高速連写撮影はEOS-1DXの独壇場であり、ベルリンのプロカメラマンでも三脚使用で舞踏会の模様を撮影していたくらいだからだ。
年齢層はちょい高目だが
右端のカップルは若そう
ピントが合った後方の人物二人(いずれもホテル従業員)にご注目。左端の男性スタッフは、アドロンホテルで経験したエレべーター監禁事件の際にお世話になった人物で、右端は明日の記事に登場する女性スタッフ
女性の背部にピントを合わせている
いかにも上流階級と言った風情
後方のホテルスタッフにピントを合わせるEOS-1DX
この目付きの鋭い左端の人物が今月下旬に掲載予定のエレベーター事件記事の影の主役
この女性が明日の記事の主役
こちらは30~40代のカップルと思われる
それなりに絵に成る
楽団の方にピントを合わせてみた
なかなか面白い構図だ
動きの俊敏な若いカップルの方にピントを合わせるEOS-1DX
舞踏会の第一部終了
次は楽団の演奏場面に移る。明日をお楽しみに
お父さん、今度は奥さんと兵士とのツーショットを撮影している
地図を片手の観光客や
首からスマホをぶら下げた観光客が
大勢いる
チェックポイントチャーリー付近で
EOS-1DXの大銃口に思わずカメラ目線になった観光客達
兵士を見つめる
観光客
チェックポイントチャーリーブラックボックス
その前の交差点を渡るベルリンの人
アパート通り前を撮影する観光客
ソフトクリーム屋か?
インデイアンっぽい
やっぱりインド料理屋があった
ここにもベロタクシーが
ベルリン市内観光バス
コイン式駐車場ですね
フランチェーズイッシェ通り24番地
これは何かと思ったら
ベルリンの壁博物館辺り
フリードリッヒ通りはベルリンの目抜き通り、謂わばベルリン銀座だが、このように工事中の建物がけっこう多かった
目抜き通りのリストランテ
右手にホテルが見える
チェックポイントミニベルリンとは
カーショップのようだった
再び熊ちゃんを発見
ベルリンの都市名がbearに由来するとの説もあるくらい、ベルリンには熊の人形がたくさんある
ドイツ銀行である
この高級そうな建物は
1階にテナトショップが入っている
H&Mなどのレデイースショップがある
2階から上はギャラリーラファイエットと言う高級百貨店
ここが玄関部分だが、日曜のため閉店
アンペルマングッヅを扱うお店
土産物屋のベルリンストア
その前で記念撮影に興じる中国人観光客
チェックポイント・チャーリーとは、ベルリン市内に14か所存在した検問所の中でも西側同盟諸国の外国人や関係者のために使われた最も有名な検問所の事である。現在の検問所はレプリカで、国境警備兵に扮した人が観光客との記念撮影に応じている。
おばさんも記念撮影
検問所はマクドナルドのすぐ傍にある
皆さん記念撮影に興じていらっしゃる
黒人米兵
「あ~、そこのあなた!割り込まないで、並んで並んで」
「私も撮ってもらっていいかしら?」「ああ、いいですよ」
やあ~ご機嫌はいかがかな?
出入国審査官に扮したおじさん
いい男に写してくれよ
「おじょうちゃん、ボ、ボクに何か用事かい」
「ああ~、記念撮影だね」
「お安い御用だいいとも」
「さあ、いらっしゃい、足元気を付けてね」
OK!Perfectだ
「真ん中に行っていい?」「勿論だよ、おじょうちゃん」
「エミリー写真を撮るよ、ああ右手も組んだ方がいいねえ~」
「ええパパ、これでどう?」「ああ、いいねエミリー、両手に花ならぬ、両手に兵士だ、もう最高だねえ~」でもこのおじょうさん、少し緊張したような表情ですね。
「おにいさん有難う」「いや、なあ~に、どうってことはないさ」と言うような会話が交わされていたものと思われる。それにしても可愛い!
これだからヨーロッパは面白いんだな!
ここは何かと言うと
ベルリン・ハイ・フライヤー。それは気球展示場の事さ
けっこう観光客がいたんだよ
ここが切符売り場
Zimmerとはroomの事だから、アパート通りと言う意味だな
Creative departmentでは何を売っているのか?
ま、土産物屋だな
と、思ったらおじさんが「やあ、よく来たねえ~、まあ、入って見ていきなよ」と言った
隣は博物館だった
いきなりアメリカンで、いらっしゃいませだ
その真向いにトップ画像のおじさん人形があった
ここがベルリンの壁博物館ね
ATMの隣に桜?
その真向いはカフェ
これぞヨーロッパ!
ポップアート?
VISAを始めクレジットカードでも現金が引き出せるATM
スカートで道路を清掃する女
やっぱし桜が気になる
その隣では軍服や毒ガスマスクを売っていた
一階がカフェで二階が薬屋
これがベルリンさ
高知城から歩いて20分ほどのところによさこい踊りで有名な「はりまや橋」がある。だが、そこには交通量の多い大きな道路と化した橋があるだけで、橋の長さよりも幅の方が遥かに長い構造である。橋下には水は流れていないので車で行くとうっかり通過してしまうかもしれない。はりまや橋とは単なる交差点の名前か?そう思う人も多いであろう。はりまや橋は橋らしくない橋だが、その周囲は商店街になっており、撮影用にと道路脇に赤い太鼓橋があった。ただそれだけである。はりまや橋界隈は高知大丸などの商業施設がひしめく繁華街だが、東京に比べれば田舎のそれで見物する気も起らなかった。大丸の近くに公園のような所があり、そこでハロウインにちなんだコンサートやイベントが開催されていた。それらを写し終えると午後3時頃になったので、筆者はタクシーを拾い高知空港へと向かった。
有名観光スポットと言われているが行ってみたらがっかりした、いわゆる日本三大がっかり名所とは、札幌の時計台と高知のはりまや橋は大抵の人がそう思うが、三番目に沖縄の守礼門や長崎のオランダ坂などを挙げる人もいて諸説がある。がっかり名所と言われていても人により感じ方は違うので、近くに行った時には見学しておいた方がいい。現に筆者はオランダ坂は面白いと感じたからだ。ただしそれを見るためだけに遠征しても意味はなかろう。
はりやま橋周辺の商店街
帯屋町アーケードと言うらしい
赤い太鼓橋
の上を
歩く観光客
こんな物を撮影して
楽しいのかどうか分からぬが
おじさんがたくさんいた
よさこいアンパンマン
観光客用のはりまや橋だ
土佐土産「はりま家」
高知大丸内の喫茶店にて
喫茶「マルシェ」
高知城は高知市の中心にある典型的な平山城。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備した。三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっている。
高知城は、日本国内に残る木造の12古天守の一つであり,火災や震災,明治維新による全国的な廃城,太平洋戦争など幾度となく襲ってきた危機を乗り越え,現在でもその姿を残している。公園内には,内助の功で有名な一豊の妻,千代の像や板垣退助像などもある。また,天守閣と追手門が1枚の写真に無理なく収まる数少ないお城の一つでもあり,追手門前は絶好の撮影スポットである。
以上は高知市のHPの紹介文を引用改変したものだが、これ以上の説明は不要であろう。城は確かに被写体として絶好の建物だが、それだけである。ヨーローッパの古城を見慣れた目には凡庸な景色にしか写らなかった。猶一言断っておきたいが、高知城は昭和9年の国宝保存法により国宝に指定されたが昭和25年に文化財保護法が制定された事により、現在では国の重要文化財に指定されている。つまり、国宝ではないんだな。だが城の門の前には「国宝の碑」なるものがあった。今だに国宝に未練があるのだ。
内助の功で有名な一豊の妻,千代の像
筆者は、昨年の10月26日に全日空機で高知市を訪ねた。日帰り旅行であったが、空港でタクシーを掴まえ運転手さんに「桂浜の竜馬像のある所に寄った後、高知城まで運んで欲しい」と依頼した。そしておじさんに対し「高知って、観光名所はこの二つとはりまや橋だけだよねえ~」と同意を求めたら、おじさんは「え、まあ~そうですね。あと、はりまや橋の近くによさこい交流会館と言うのがあり、ここで時間を決めてよさこい踊りが見られますよ」と続けた。今やよさこい踊りはすっかり全国区になり、日本全国各地で「よさこい祭り」なるものが開催されている。「どうせおばちゃんのよさこい踊りが出て来るんだろう、そんなもの見てもしょうがないや」そう思いつつ季節外れの暑さとなった高知の郊外風景を、エアコンの効いた車内から気だるそうに眺めてみた。空港からは30分ほどで桂浜に着いた。坂本竜馬像のある周辺は土産物屋、食堂、闘犬場などが並ぶ観光スポットになっており、有料駐車場に車を停めてから浜の方へ向かう仕組みになっていた。
坂本竜馬像は太平洋を見下ろす高台に「いかんぜよ~」と叫ぶかのように建っていた。青銅製のstatueだからニューヨークの自由の女神像と同じである。そして高知では何でもかんでも竜馬の名を付けたがる。空港名が「高知りょーま空港」だし、ローマの休日にひっかけて「りょーまの休日」だったりする。とにかく「りょーま」尽くしなのだ。この桂浜には佐渡の外海府海岸のような荒々しさはなく、穏やかな白砂青松が続くのどかな海岸線である。そして浜辺へと至る階段の降り際にアイスクリーム屋があり、そこに無言で座り続ける老婆売り子がいた。筆者にはわざわざ駐車代を払ってまで見学するほどの浜辺とは思えなかったが、日曜日とあってか大勢の観光客がいた。
タクシーで桂浜公園に到着した
ここを入る
闘犬場もある
この階段を上がる
坂本竜馬像の背後
像の周囲はちょっとした公園になっている
アイス屋もある
「心はいつも太平洋ぜ」
桂浜
なるほど龍王岩に似てるな
白浜
これが龍王岬
人工的に造ったような浜辺だ
こちらはちょっと荒い海岸
記念撮影をする観光客
ここにもアイス売り場があった
一人ポツネンと
座っていた老婆売り子
観光客で一杯
斜めから見た竜馬像
帰りの階段、「りょーまの休日」
はりまや橋周辺で見かけたコンサート
田舎街のコンサートですからこんなもんですよ
ニコンD810は静物しか撮らないと決めている日だけが出番となる。景色撮影でも雨風が強い日には不適である。防錆加工などはしていないようなので、潮風には弱そうだ。だから凄く上品なカメラである。このニコンD810、本体はほんと大した事はないがレンズが凄い!主張するレンズがカメラそのものである。だが携帯するには1.7kgは重過ぎる。いわんやたかだかお料理撮影にだけ持ち歩くなどは贅沢の極みであろう。撮影した写真は、ノートパソコンやタブレット端末で見る分には今時のスマホで撮影した安直写真とさほど変らないからだ。だが、清音モードにした時のシャッター音は、「グワシャ」と言う擬音が適切だが、ソニーα99やキャノン製デジイチに比べれば遥かに静かである。レンズを持った時のホールド感もいいし、撮影直後に液晶で確認した画像の解像度はすこぶる高い。プロには見向きもされない高画素カメラだが、不景気でも素人写真愛好家の間で良く売れている理由が実感出来るカメラである。お金に余裕のある人には是非手にして頂きたい不思議なカメラでもある。
さて、昨秋の11月16日、街にはジングルベルが響き渡っているがまだ暑いと言う奇妙な天候の中筆者は帝国ホテルのパークサイドダイナーを訪ねてみた。人込みと喧騒を離れてゆっくりと一人で食事をしたい時は大抵ここへ来る。だから年末や年始などには良く利用した。このレストランを頻繁に利用する訳は美味しさだけではなく、そのサービスの質の高さにある。テンポ良くお料理が運ばれて来るし、客が少しでも不満そうな顔を見せればすぐにスタッフが駆け寄って来る。それが帝国ホテル伝統のサービスなのだ。筆者は、前菜、メイン、デザートからなるオードブルランチ(4620円)を注文した。前菜は、白身魚のエスカベッシュと帆立と海老のコンソメジュレ。メインは真鯛のポアレ・白ワインソース、そしてデザートには苺のタルトを所望した。白いパンはいつものふわふわの帝国ホテル特製のやつだ。全てを綺麗に平らげた後、筆者は早くも歳末商戦に突入した銀座の街へと消えて行った。
店内の様子だが、やはり動く被写体の突然の撮影の際には無力をさらけ出す!
おしぼり
前菜の帆立と海老のコンソメジュレ
エスカベッシュ
パン
ちなみにソニーα99だとこうなる。ニコンよりも被写界深度が深いためパンフォーカスな感じに写る。ま、素人には両者の画質の違いは分かるまい
紅茶
デザート
翁面を付けた人の事を豆と言い、その舞を「豆撒き」と称している。豆撒き神事の由来に関してはケンパ様のブログをお読み頂くとして、筆者は太鼓、豆撒き、そして獅子舞は相川の町人文化の名残ではないかと思っている。そして下り羽は公家文化で、注連縄切り侍は武家文化の名残だと思っている。「金山で栄えた相川には、全国から参集した町人、侍、御公家集の三者の文化が融合して祭りが発展して来た」と筆者は考察している。
1601年、一寒村だった相川に金鉱脈が発見されると佐渡島は丸ごと天領となり、政治の中枢としての佐渡奉行所が置かれた。そしてそれこそ一攫千金を夢見て江戸や京都を初め全国から多くの技術者、労働者、商人などが相川に移り住んだ。隆盛期の相川の人口は約4万人に達したとされ、当時九州一の大都市だった長崎の人口が5万人であったから、いかに相川が大都市だったかが分かろう。そして相川はあらゆる地域のモノ、人、情報、文化風習の坩堝と化し、自由な気風で新陳代謝の激しい謂わばニューヨークのような街へと変貌した。その街で生まれ育まれた伝統ある祭りそれが相川祭りであり、佐渡の他の集落のそれとは一線を画した壮麗なる祭りである。あと一ヶ月の冬を我慢すれば、佐渡は祭り一色の季節を迎えるが、それらは程度や様式の差こそあれ、鬼太鼓と獅子舞と神輿の組み合わせがほとんどである。だからどの集落の祭りを訪ねてもどれも似たり寄ったりの印象だが、佐渡の祭りのフイナーレを飾る謂わば祭りの「おおとり」とも言える相川祭りは、迫力、規模、被写体の美しさ珍しさに於いては群を抜いている。それは、筆者が供覧して来たこれまでの画像の数々をご覧になれば自ずとご理解頂けるであろう。猶、下がり羽、獅子舞、豆撒きなどは、相川大浦集落の祭りでも披露されるとの事なので、こちらのお祭りも見物して頂ければと思う。
本日は、善知鳥神社前での豆撒き(三度撒き)の連写写真のハイライト部分だけを抜粋して供覧する。お楽しみ頂ければ幸いである。猶、画面の右端にボカシが入っているが、これは拝殿前の木の葉が邪魔したためである。最後の方にボカシが入らない翁の正面写真を加えておいた。
柿smash、この技はテニスか野球で鍛えないと出来ない技なので、conventionalな踊りの型を守るけんぱさんはやらないようである。
武者とけんぱさん
けんぱさんの前で豆を撒く翁
同じく、少し横を向いた豆
最後の二枚は豆とけんぱさんの両者にピントを合わせてくれたEOS-1DX
ポツダム広場の交差点を左折するとライプツイッヒ通りである。この通り沿いにはカナダ大使館、ブンデスラット(立法院中連邦を代表する者)などの建物がある。この通りを東に向かって進むとウイルヘルム通りと交差する場所に出る。ここを右折して南下すると、右手に財務省の建物を見ながら、トポグラフイー・オブ・テラーに辿り着く。トポグラフイー・オブ・テラーとは、かつてナチスの親衛隊と国家秘密警察(ゲシュタポ)があった場所に設置されたギャラリーで恐怖政治の怖さを今に伝えている。
ライプツイッヒ通りに出ると
左手に
こんな建物が見えた。何という建物なのかと思い
しばらく進んでから振り返ったら答えが出た。それはカナダ大使館だった
更に進むと右手に
こんな建物があったが、これがブンデスラットだ
真っ直ぐ進むと、アレキサンダー広場を経て間もなく開港予定のブランデンブルク空港に至る
こんな目を引くアートがベルリンのそこかしこにある
この交差点を右折すると、トポグラフイー・オブ・テラーに至る
ここもブンデスラットだ
これはfinancialだから財務だな
ドイツ政府の財務省だ
ここが入口
Berlin love you!実は、気球展示場である。
トポグラフイーの看板
観光客がいなければ殺風景な場所だ
写真撮影をするプロまでいる
壁に「きちがい」の意味の落書きがある
ユダヤ人が拷問を受けた場所だろうか?
観光客で溢れていた
三脚使用の本格派だが、カメラ機材はキャノン製
日本人は筆者以外一人もいなかった
豆は本殿の前で三度撒きを行う。次いで、お神輿の前で五度撒きを行い最後に参道において七度撒きを行う。この一連の動きを「七五三の舞」と言う。一番時間がかかるのが七度撒きであり、撒き終えて注連縄切の武者がスタートを切るまで11分ほど参道の階段下の部分で待たされた。七度撒きが終わり薙刀武者が注連縄を切り終えたら、獅子が勢いよく階段を駆け下りる。こうして善知鳥神社での神事は終わり、各行事組は門付けに戻る。武者の注連縄切の瞬間を捕えた静止画像をウエブ上に掲載した人間は佐渡関連では筆者だけである。その場面を動画撮影したものなら掃いて捨てるほどあるが、これだけ高画質のstart→take off→jump→cut→landingの一連の動作を完璧に撮影出来た人は皆無だった。勿論撮影を試みた人は多くいたであろうが、撮影機材の性能がpoorなために成功しなかっただけである。筆者が撮影したような好位置をキープし、EOS-1DXを用いれば誰にでもこんな画像は切り撮れる。もっとも何度でも言うが、誰でもEOS-1DXを手に入れられる訳ではないが。
豆が神輿の前で五度撒きをしている
出発準備完了!
注連縄を見つめる太鼓組のおじさん
「ここを切るんだぜ」と指示するおじさん
「ちょっと高さを確認して来るよ」「ああ、その方がいいな、失敗したら神輿が出られなくなっちまうからな」
参道前での七度撒きが始まった
参道下で待ち構える太鼓組の皆さん
武者のジャンプの瞬間を撮影しようと今や遅しと待ち構える観衆達
武者は、向かって左から右の方へと飛んでいく
豆が後ろを向いて豆を撒き始めたのでそろそろ豆撒きが終了する
push backを完了し、いよいよ武者は滑走路へ
それを見つめるけんぱさんの表情にご注目
充分にエネルギーを貯めておいて、
滑走開始!
右足がtake off
エンジン全開で上昇中
間もなくcut
cutの瞬間
注連縄の切れ端が写っている。
間もなくlanding
無事に着地
けんぱさんがポカーンと口を開けながら「やったあ~」と言う表情を見せている
今度は「うわあ~成功!」と言った表情
今年も注連縄は無事に切れた!!猶蛇足だが、このEOS-1DXは秒間9-13コマの連写性能で上掲の画像群を切り撮り、AFの食い付きは他のカメラの追随を一切許さない凄さだった。
相川祭りから再びベルリンへ戻る。筆者はホロコーストの慰霊碑を出た後、エバート通りに出た。この通りを南下するとポツダム広場に出る。この広場はポツダム宣言が採択されたベルリン郊外のポツダムと言う街にちなんで名づけられた。ベルリン中央駅からポツダム中央駅まではS-Bahnと言う郊外型の電車で39分ほどかかる。この広場には東西ドイツが統一されるまで東西のベルリンを分断する壁が設置されていた。今もその壁の一部がこの広場には残されている。この地区は、ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日以後、急速に再開発が進みベルリンで最も新しい近未来的なランドスケープになっている。
エバート通りから北側を見ると左手にドイツ連邦議会議事堂のドーム型の屋根が見える
ドイツの車は右側通行
中華料理屋への案内看板
間もなく右手にポツダム広場が見えて来る
マリオットホテル
スタバもあり、東京とほとんど変わらない
トラムバスが走っている
SとはS-bahnの意味で郊外型電車の駅だ
アジアからの観光客の
ようだ
ポツダム広場前の交差点
おっと、イスラミックっぽい
ポツダム広場駅
左折するとライプツイッヒ通りに至る
案内看板
DBとはドイツ鉄道の意味
こういう高層ビルが多い
レンガ色の建物はコルホフタワーと言い、最上階に展望台「パノラマプンクト」がある
こちらはソニービル
路上のカフェ
前方に見えるのが、レンゾ・ピアノ率いる建築家集団が手掛けたオフイスビル群「ダイムラーシテイ」だ
バピアーノと言うイタリアンレストランのようだ
人影が途絶えると東京のような感じになる
これが有名なベルリンの壁の一部
そこに集まる人々
真っ直ぐ行くとクロイツベルク地区に至り、右折するとシェーンブルク地区に至る