佐渡の翼

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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその8

2015年03月05日 02時45分41秒 | 佐渡相川祭り

翁面を付けた人の事を豆と言い、その舞を「豆撒き」と称している。豆撒き神事の由来に関してはケンパ様のブログをお読み頂くとして、筆者は太鼓、豆撒き、そして獅子舞は相川の町人文化の名残ではないかと思っている。そして下り羽は公家文化で、注連縄切り侍は武家文化の名残だと思っている。「金山で栄えた相川には、全国から参集した町人、侍、御公家集の三者の文化が融合して祭りが発展して来た」と筆者は考察している。

1601年、一寒村だった相川に金鉱脈が発見されると佐渡島は丸ごと天領となり、政治の中枢としての佐渡奉行所が置かれた。そしてそれこそ一攫千金を夢見て江戸や京都を初め全国から多くの技術者、労働者、商人などが相川に移り住んだ。隆盛期の相川の人口は約4万人に達したとされ、当時九州一の大都市だった長崎の人口が5万人であったから、いかに相川が大都市だったかが分かろう。そして相川はあらゆる地域のモノ、人、情報、文化風習の坩堝と化し、自由な気風で新陳代謝の激しい謂わばニューヨークのような街へと変貌した。その街で生まれ育まれた伝統ある祭りそれが相川祭りであり、佐渡の他の集落のそれとは一線を画した壮麗なる祭りである。あと一ヶ月の冬を我慢すれば、佐渡は祭り一色の季節を迎えるが、それらは程度や様式の差こそあれ、鬼太鼓と獅子舞と神輿の組み合わせがほとんどである。だからどの集落の祭りを訪ねてもどれも似たり寄ったりの印象だが、佐渡の祭りのフイナーレを飾る謂わば祭りの「おおとり」とも言える相川祭りは、迫力、規模、被写体の美しさ珍しさに於いては群を抜いている。それは、筆者が供覧して来たこれまでの画像の数々をご覧になれば自ずとご理解頂けるであろう。猶、下がり羽、獅子舞、豆撒きなどは、相川大浦集落の祭りでも披露されるとの事なので、こちらのお祭りも見物して頂ければと思う。

本日は、善知鳥神社前での豆撒き(三度撒き)の連写写真のハイライト部分だけを抜粋して供覧する。お楽しみ頂ければ幸いである。猶、画面の右端にボカシが入っているが、これは拝殿前の木の葉が邪魔したためである。最後の方にボカシが入らない翁の正面写真を加えておいた。























柿smash、この技はテニスか野球で鍛えないと出来ない技なので、conventionalな踊りの型を守るけんぱさんはやらないようである。









武者とけんぱさん

けんぱさんの前で豆を撒く翁

同じく、少し横を向いた豆













最後の二枚は豆とけんぱさんの両者にピントを合わせてくれたEOS-1DX



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