佐渡の翼

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光輪寺(佐渡市三瀬川)   投稿者:佐渡の翼

2013年07月25日 03時20分28秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

国道を金井から両津方面に向かい、内田家具店の真向かいの道を北上する。やがて左手に光輪寺の標柱が見えた。山門は立派な二層門で、両脇に仁王像があった。両方ともいかつい顔だが、躍動的である。山門の裏側に回ってみたら、水子地蔵が祀ってあった。境内の右手には清水があり、その上には三角型の木製の覆いがあった。蓋を開け、中にあった柄杓で清水を掬い、一口飲んでみたら、確かに清水である。光輪寺境内に清水が湧き出ているとは、「佐渡へんろ」には記載されていなかったが、思わぬ発見だった。本堂内に入ると、欄間部分に金色の龍の見事な彫刻があった。天蓋の飾りも黄金色でまばゆいばかりだ。寺名の「光輪」はこの黄金色が由来かもしれない。開基は文永6年(1269年)で、加茂郡の地頭の息子が草創したそうである。本尊は薬師如来だが、スクリーンで覆われ拝謁はかなわなかった。

7月25日の日記:かつて、両津の住吉神社の近くに佐渡シーサイドホテルと言うのがあった。だが、2011年の10月頃に閉館し、今では某有限会社の社屋に変貌している。そこの支配人氏だった人が、同じ両津のホテル「天の川荘」に移籍し、そこの社員として働いている。この方はウエブ上で氏名年齢を明らかにしており、それによるとまだ57歳の若さであり、定年までのあと3年、家族のために石にかじりついてでも頑張らねばならぬ年代だ。観光不況下の佐渡にあって、定年前の退職後に次の就職先を確保できたのは幸運としか言いようがないが、問題は、既に閉館してから1年10カ月以上も経過したと言うのに、いつまでも「佐渡シーサイドホテル」のHPを閉鎖せずに野ざらしにしている点だ(この事は7月20日の日記でも述べた)。佐渡シーサイドホテルのHP内にある「支配人の日記」から、「ホテル天の川荘~彦星の佐渡散歩」と言うタイトルのブログへリンクが張られているが、リンクよりも、HP閉鎖処理の方が先だと思うが、HPが閉鎖されない理由は筆者には知るよしもない。だが、野ざらし状態なのはHPだけではなく、佐渡シーサイドホテル名で開設したツイッターのアカウントも削除されずに垂れ流されている(筆者は、最近この事実に気付いた)。佐渡への観光旅行を計画した人が、ウエブ検索で佐渡シーサイドホテルのHPに到達し、宿泊予約を試みようとする人がいまだにいるかもしれない。彼らは、メールや電話を通じて、結果的に閉館した事を知らされるだろうが、中には「余計な事をさせた」と憤慨する人だっているだろう。常連宿泊客だった釣り人などへは、閉館お知らせの手紙を郵送すればそれで済む話で、それが、いつまでもHPを存続させる理由にはならないと思う。この支配人氏は、ウエブ検索で佐渡シーサイドホテルのHPに到達した人を、ホテル天の川荘の宿泊へと誘導したいのかもしれないが、それは姑息な手段で、もし、それを意図するならば、ホテル天の川荘自身がHPを立ち上げるべきであろう。それに、既に閉館したホテルがHPを野ざらし状態にして、いつまでも営業しているように装うのは、一種の詐欺行為ではないかと言われても反論できまい。「立つ鳥跡を濁さず」と言う諺がある、閉館したならしたで、きちんとけじめを付けてから去る、それが常識ある支配人氏のとるべき行動ではなかっただろうか?結果として、こういう後始末のまずさが佐渡観光のイメージアップに良からぬ影響を与え、ひいては、佐渡観光を計画している人々に余計な手間を強いると言う迷惑をおかけしている事に、この方を含めた佐渡の人々は気付いているだろうか?この支配人氏はさる大学の観光関係の学科を卒業したそうだが、大学で何を学んだのだろう?

佐渡情報検索サイトの「そいのん」も、最新情報の更新メンテナンスに手抜きが見られ、他人事とは言えない状況である。既に5月頃に閉店した金井のスナック「花音」のお店情報をいまだに削除せずに垂れ流しているからだ。「そいのん」の発足当初は、真野のIT輩を始め、佐渡の観光関係者は相当に鼻息が荒かったが、数年経過すればこのざまである。佐渡観光PRは何をやっても中途半端!そういうイメージが定着しつつある、そう思うのは筆者だけだろうか?

筆者の大好きな、三之助豆腐の「玉葱がんも」です

http://www.digibook.net/d/1b14ab5790190c78686c37a4382bb658/?viewerMode=fullWindow



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