羽茂の小泊集落には椿尾同様、石仏、石臼などを作る石工職人が多数暮らしていたという。国道を真野から小木に向かうと左手に白山神社の看板が見えてくる。この神社の境内に、全国的にも珍しい石臼を積み上げた塚があった。塚という言葉は土を小高く盛り上げた構造物を意味するが、土を小高く盛り上げた墓の意味で使用することもある。石臼塚とは、時代の流れと共に各家庭で使われなくなった石臼を集めて積み上げ、石臼を供養する目的で作った墓のような意味合いなのだろうか?
小泊の石工職人の腕は確かで、彼らが作成した石製品は全国に流通したという。江戸時代末期には、それらは日本海沿岸に広く出荷され、明治から大正にかけては、北海道にも出荷されていたそうだ。なお、佐渡観光協会のホームページによれば、「白山神社の創建は不詳だが、屋島で敗れた平宗清が尾張の岡崎に住んだ後、佐渡に渡り祠を建てて鎮守としたのがこの神社の起源といわれている」そうだ。白山神社とは平家ゆかりの神社だったのか。
石臼塚
説明看板
白山神社の能舞台
http://www.digibook.net/d/f594853bb09d2878e508bf8670203748/?viewerMode=fullWindow