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国道350号線の羽茂村山と小泊の間付近に「紅葉別れの松」という句碑が立っている。明治の文豪にして「金色夜叉」というベストセラーを世に送り出した尾崎紅葉が、小木の文芸芸者「お糸」さんとごんざや旅館の2階で恋に落ち睦みあったラブロマンスは今でも語り草となっている。昔の人気作家ってほんといいよなあ~。妻子ある身でも東京に住む有名な文豪というだけで島の芸妓と恋仲になり不倫行為をしてもそれが文化だとして、後世の人々の話しの種になるのだから。
さて、明治32年7月29日、紅葉はいよいよお糸と別れる時が来た。お糸さんは小木町の有志達と小木から6キロ離れた羽茂村山近くの三階屋という茶屋まで紅葉を見送りに来た。茶屋を出た後、見送りに同道した小木小学校の校長が扇子を取り出し、「ここに一句したためて欲しい」と紅葉に依頼した。紅葉はスラスラと「汗なんど 拭いてもろうて 別れけり」と扇子に俳句を書いた。お糸はこの扇子を校長からもらい受け大切に保存していたが、明治37年の小木の大火の際に焼失してしまったという。
紅葉とお糸さんの間に子供でも生まれていたら、又歴史は別の展開になっていただろうが、お糸は妊娠することなく紅葉と別れた。茶店を出てしばらく行くと下り坂になっており、そこから振り返ると茶店付近に一本の松が見える。お糸はこの松の麓から、去っていく紅葉の見え隠れする後姿を必死で追いながら両手を大きく振って見送った。紅葉は、松の所でお糸と別れる際、「いと一語を発せず」と日記に書いた。
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さて、明治32年7月29日、紅葉はいよいよお糸と別れる時が来た。お糸さんは小木町の有志達と小木から6キロ離れた羽茂村山近くの三階屋という茶屋まで紅葉を見送りに来た。茶屋を出た後、見送りに同道した小木小学校の校長が扇子を取り出し、「ここに一句したためて欲しい」と紅葉に依頼した。紅葉はスラスラと「汗なんど 拭いてもろうて 別れけり」と扇子に俳句を書いた。お糸はこの扇子を校長からもらい受け大切に保存していたが、明治37年の小木の大火の際に焼失してしまったという。
紅葉とお糸さんの間に子供でも生まれていたら、又歴史は別の展開になっていただろうが、お糸は妊娠することなく紅葉と別れた。茶店を出てしばらく行くと下り坂になっており、そこから振り返ると茶店付近に一本の松が見える。お糸はこの松の麓から、去っていく紅葉の見え隠れする後姿を必死で追いながら両手を大きく振って見送った。紅葉は、松の所でお糸と別れる際、「いと一語を発せず」と日記に書いた。
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句碑は色褪せており、その文字は判読不能!