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内海府道路を北上し、椿集落に入り、川を渡ってすぐの道へと左折し、上り坂を登り切った所に、この草庵がある。途中に日露戦争に出征し、椿集落初の戦死者となった兵士の墓があった。3月のお彼岸の中日にこのお寺を訪ねたが、境内には、1月2月に降り積もった雪が除雪されずに残っており、かろうじて本堂へと到る道だけが除雪され、その両側は雪の壁と化していた。山門脇には立派な鐘楼があった。山門の両脇には一対の地蔵像が鎮座しており、山門の扉には五輪で構成された紋章が刻まれていた。何故か、右側の山門扉の五輪は、一つが欠けていた。山門を入ってすぐの所に当山開基の碑があり、開基の主は、本間山城入道の妻である。妻は遺言状の如く、宮田と塩釜の土地を譲り受け、その後仏門に入り、「妙義」と改名し、この地で草庵を結んだのがこのお寺の開基である。
その後、利済庵は新田開発などで村人と深く関わりあいながら、近郷きっての曹洞宗の名刹となったそうだ。http://www.digibook.net/d/d3c5ab1ba05d8408a2e5a0f78a296e70/?viewerMode=fullWindow