佐渡の翼

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水替え無宿人の小屋       投稿者:佐渡の翼

2012年06月03日 04時30分59秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

無宿人とは、親から勘当されたりして戸籍を持てない人々の総称である。彼らは犯罪人ではないものの、根無し草ゆえ、犯罪予備軍と見られていたため、江戸幕府は江戸の治安維持のために、大量の無宿人達を捕らえ、佐渡金山へと送り込んだ。無宿人の仕事は24時間かけての坑道からの水の汲み出し作業である。一日おきに徹夜を繰り返すわけだから、いかに若いと言っても、すぐに体を壊してしまう。それにこんな単調な仕事は刑務所の労役よりも遥かに過酷であり、彼らは実に非人道的な扱いを受けていた。よく暴動が起きなかったものだが、もはや暴動を起こす体力や気力すらも無かったのだろう。ほとんどが若いみそらでこの世を去った。「佐渡の金山この世の地獄」とはよく言ったもので、彼らの犠牲の上に徳川300年の繁栄が築かれたのである。

この無宿人達の住んだ小屋跡が、佐渡金山へと到る道路の左手にある。この地に立つと、無宿人達の無数の魂の叫びが聞こえてくるようで、万感胸に迫る思いがする。遊びたい盛りの20代30代の若者が江戸から佐渡へと唐丸籠で運ばれてきた。その寂しさに加えて懲役のような過酷な労働を強いられた彼らの胸の内を思うと思わず涙せずにはいられない。片道燃料だけを積み込んで、ゼロ戦に乗り込み、敵艦に突撃して華々しく散り果てた予科練の特攻隊員の別れの水杯と重なって見えてくる。運良く、所定期間を勤め上げ、江戸に戻ったり、佐渡の地で暮らした無宿人達もいたようだが、その大半は金山の坑道での労働に耐え切れずに死に絶えたのだ。佐渡金山の繁栄と盛衰は無宿人達の魂の移ろいと共に展開されていったのである。佐渡で桜が満開に近づく4月の第三日曜日に、毎年無宿人の供養祭が営まれる。



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