西龍寺を出た後、県道を更に北上し、丸山集落の中ほどに到ると、道幅の広い県道に面する形で、このお寺があった。紅葉山公園や男神山、女神山まではもう目と鼻の先の距離である。670年頃に、土佐から三助が、能登からお菊が佐渡へ流され、多田の地で出会った二人がここで稲作を始めた伝説があり、それが佐渡米の発祥とされているが、その事が書かれた掛け軸がこのお寺に残っているそうだ。生憎ご住職はお留守らしく、雪かきをする人がいないため、弱弱しい名残雪が降り積もるに任せていた。本堂の隣には毘沙門堂があり、そこへと到る道の脇に「いぼ取り池」なるものがあるそうだが、雪のため、その池へは行けずじまいだった。
毎年7月24日の男神山祭りでは、山頂で住職による大般若経の奉読が行われると言う。このお寺は、西龍寺同様真言宗豊山派のお寺である。http://www.digibook.net/d/0685c7f7b0588e01b2e028e7e2296f20/?viewerMode=fullWindow