佐渡の翼

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キリシタン塚(佐渡相川)   投稿者:とある旅人

2009年08月24日 06時16分23秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット
中山トンネルを抜け、佐渡金山へと到る道の手前の右側にやや登り坂になった道がある。ここに「キリシタン塚」と書かれた案内看板を見つけた。この道を登ると、右手に更に細い道があった。軽自動車が一台やっと通れるほどの道幅だ。よほど車で行こうかとも思ったが、対向車が来たらやばいと思い、徒歩で行くことにした。夏のとある日に、この、所々草薮が覆いかぶさり行く手を遮るかのような小道を汗をかきかき、ひたすら歩き続けた。一キロほど歩いたであろうか、途端に視界がぱっと広がり、広場のような所に出た。ここがキリシタン塚であった。

江戸時代の寛永4年に、島原でキリスト教徒たちが反乱を起した。これをきっかけに、幕府転覆につながりかねないと案じた、時の為政者達がキリスト教徒の弾圧に乗り出した。キリストの絵を踏ませ、信徒かどうかを見分けるための所謂「踏絵」が行われたのもこの頃であろう。世に言う島原の乱である。佐渡にも信徒は120人ほどいたようで、ここで処刑されたのだという。その処刑跡(塚)がこの広場にたくさん並んでいたとのことだが、わずかな盛り土を残した以外、現在では跡形も無くなっているように思えた。沢根からこの塚に到る小道は「中山街道」と呼ばれ、その昔、金山に通じていたため、佐渡奉行所の役人、金山で過酷な労働を強いられる無宿人、商売人など多くの人がこの街道を行き来し、彼らは茶屋のある頂上で一休みし、汚れた着衣を着替えたのだという。甘酒を飲み束の間の休息を喜んでいた無宿人達は、「ここを下れば地獄の金山が待っている」と聞かされた途端、その喜びが吹っ飛び、甘酒をお代わりするものは誰もいなくなったと言う。


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