佐渡の人形芝居は「説教人形(金平人形)」「文弥人形」「のろま人形」に分けられる。この内、説教人形は最も古いもので、台本は説教系統の三庄太夫、信田妻、小栗判官などを語った。更に熊野合戦、浜松合戦、大田合戦などの合戦ものも語ったと言う。説教人形はさげ幕1枚で舞台と客席を区切って演じられた。これらの演目がどういう内容なのかは実際に説教人形の上演場面を見ないと分からないだろう。私はまだ説教人形を見た事がないのでそれらについて詳しく語る資格はない。この説教人形を改良して明治初期、文弥人形を創始したのが大崎屋松之助だ。松之助は羽茂大崎で生まれ、同じ大崎の平内牧へ婿養子に行き、男子をもうけた。これが、長塚節の「佐渡が島」に出てくる平内歌治である。松之助の没後、大正7年に、追善碑が生家近くの大崎集落の路傍に建てられた。大崎蕎麦が通年で食べられる「ちょぼくり」さんの脇を真野方向に向けて走ると道が二手に分かれている所に出る。右側の道を進むとすぐ左手にこの碑がある。