江戸時代の佐渡奉行所とは、行政、司法に関する諸仕事及び金・銀の精錬を行うのが主な任務であった。行政、司法、国会を三権と呼んでいるが、江戸時代ゆえ国会などと言う物はなく、行政・司法の二大国家権力が集中する役所が佐渡奉行所だった。この佐渡奉行所は金山発見の2年後の慶長8年(1603年)に建てられた。その後、焼失と再建を5回繰り返し、最後は相川中学校となった。そして平成6年に国の史跡に指定されたため保存整備事業が始まり、平成12年に奉行所の復元が完了し、役所部分だけではあるが、その全貌が明らかとなった。現在公開されている奉行所の内部には様々の用途に使用された部屋が整然と並んでいる。いずれも現在の官公庁と同じく無機質で、当たり障りのない部屋構成になっている。小学生が修学旅行にやってきて歴史のお勉強をするには大変貴重な教材だが、歴史にはさほど興味のない一般の旅行者には「なあ~んだ、ただだだっ広いだけじゃん」と思われるだけかもしれまい。受付のおねーさんは「内部は写真撮影が自由ですから、いっぱい写真を撮っていって下さいね」と言ったが、どの部屋も似たようなもので、歴史の古さや重味を感じさせるような雰囲気はない。昔の奉行所を復元した壮大な模型を見ているようで、感動を誘うような仕掛けなどはなかった。
それよりも筆者が面白いと思ったのは金・銀の精錬所である勝場(せりば)跡に建つガイダンス施設内の佐渡金山の歴史的な歩みを示したパネル展示であった。金山が発見された頃は、道遊の割戸の麓の濁り川の沢沿いに民家が建ち始め、やがて様々な職種の人が全国から相川の街へと流入し、最盛期には現在の佐渡の人口に匹敵するくらいの人々がこの街に住んだという。そして大火や災害などに見舞われ、更に鉱山の衰退と共に街は幾多の変貌をとげ、現在の相川の街並が形作られた。正に相川の栄枯盛衰を目の当たりにする思いで、非常に興味深い展示であった。