オセンタルカの太陽帝国

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赤い手は滅びのしるし。

2015年09月18日 16時44分08秒 |   北浜名湖暮らし


再来年の柴崎コウのNHK大河ドラマ『女城主直虎』を記念して、「遠江武将名鑑」を作ろうとしています。
『信長の野望』にも遠江の武将はほとんど登場しないし、私以上に「遠江武将」を熟知している人はそんなにいないと思われるから。
わたくし、熱心に働いている間はこのブログをほとんど書こうとできないのですが、また再び何度目かの無職になろうと思い始めてきましたので、今度こそしっかりできるはず!

でも、「絵もちゃんと描こう」と思い悩むと何も進まなくなる自分の性格もよく分かってますので、上の絵はたぶんこのままで良しとしようかと思います。



◎井伊谷三人衆の筆頭・近藤石見守康用(こんどう・いわみのかみ・やすもち)。



…ごめんなさい、「信長の野望に出てこない遠州の名将たち」をテーマにしようと思ったのですけど、最新作『信長の野望~創造~』のpk版を見てみたら、登場していましたね近藤康用。
なんで今まで出ていなかったのかが不思議なほどの人でしたから、順当な流れにホロリとしてしまうのですが(※しかしマイナー武将だから能力値がとことん低いのが泣ける)
井伊谷三人衆の残りの2人、菅沼忠久と鈴木重時、および康用以上の豪傑だった息子の近藤秀用(ひでもち)の信長の野望への登場はまだみたいです。
『戦国ixa』『戦国大戦』にまだ登場していない武将たちをテーマにするのがいいかもしれませんね。

「井伊谷三人衆」というのは変な名称なんです。
北浜名湖地域の井伊谷(いいのや)にいた「井伊氏」は平安時代後期の「武家八介」(三浦介や上総介や秋田介や大内介や狩野介とか)に数えられる名族で、それどころか古墳時代の北浜名湖の古墳群や弥生時代の三遠式の銅鐸の作り主も井伊氏だった可能性が高いと思うのですけど、当然その本拠地だった井伊谷周辺には重累の家臣も多いし一族の層も厚くて団結力も高かったはずなのです。
(南北朝時代にはどんなに劣勢になろうが粉々に打ち砕かれようが宗良親王を熱烈に支持し続ける頑固な人たちだったのが井伊氏でした)

ですが、「井伊谷三人衆」の3人は井伊谷には住んではおりませんでした。
近藤康用は三ヶ日から宇利峠か瓶割峠を隔てた参州・宇利城の城主。鈴木重時は井伊谷から炭焼田トンネルを超えた参州・山吉田城の城主。(ここを超える峠道は昔はあったのかな?) 菅沼忠久だけが北遠州の都田に領地を有していたのですが、彼もまた参州の山奥に強大な勢力を誇っていた菅沼家の分家で、参州の威衰を大きく受けていました。

永禄11年に徳川家康が遠州侵攻を始めたとき、その先導を果たしたこの三人のことを「井伊谷三人衆」といいますが、どうして井伊谷に住んでもいなかったこの三人が「井伊谷三人衆」と呼ばれるのかと言いますと、この3人は井伊谷の外に住んでいながら井伊谷の井伊氏に対してそれなりの忠誠を表明していた、忠実なる与力だったからでした。
大河ドラマで克明に描かれると思いますが(…といいな)、遠州井伊氏はとことん悲運で不幸な一族なのです。井伊氏は桶狭間直後のいわゆる「遠州忩劇」においてほとんど根絶やしに近い状態になってしまいまして(だからこそ女城主直虎が出てくる)。絶望の極みのとき井伊谷には直虎が一人しかいなかった。そのとき突如出てくるのが井伊谷三人衆で、この3人はあくまで主家の井伊家を大事に思っていて、それがゆえに、頑固であるがゆえに、外から異訪神としての徳川家康を招く。
康用は権謀術策に長けた脇役っぽい頑ななじいさんだったに違いないです。



ここからは愚痴になるのですけど。



9月の26日と27日に私が心から愛する歌枕直美氏が和歌劇『直虎』を上演してくださるのです。
わたくしは5月にはそれを知っていたのですけど、休日出勤続きのわたくしはその日にピンポイントに休みなんか取れるかどうか分からなかったから、でも万事調整を尽くして「その日は絶対に休む」と宣言したのです。なのにその両日は満席になってしまったんですって。
それはNHKが余分なことをしたから。
だって前回まで当日いきなり行っても入れたんですよ。
後悔して初めて万事を知る自分の性格が恨めしい。
歌枕直美氏で気賀で直虎なんて、まるでわたくしだけのためにある作品なんですよ。
なのにこのわたくしがそれをのがすなんて。
中日新聞で9月8日に「歌枕氏がまさにどんぴしゃな直虎を」という記事が載って、それで翌日に殺到して即日だったそうな。
歌枕氏も「タイムリーなことになったことにびっくりしている」とおっしゃってるそうです。
おまえら浜松人、そんなに歴史と和歌に興味なんてないだろうがーッ


でも嬉しいのは、こんなに盛況だったので歌枕氏は11月に気賀で追加公演を決めてくださったそうなのです。それを知った今日、慌てて予約しましたよ。昨日までの疲れ切っていた私は10日後に歌枕氏の美麗を浴びて堪能して気力を補完するつもりだったので、それが11月まで延びてしまい慚愧の強怖しい鬼に胆囊を細々に切り刻まれておるのですけど、でも勢いに任せて11月の私(たぶん無職)は歌枕氏との15名限定の食事会(5000円)も申し込んでしまったのです。わたくし新参のファンなのですけどよいのかしらん。でもいろいろと質問したいナ。怖いけどな。
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