オセンタルカの太陽帝国

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未知なるササンにおささを求めて。

2012年12月21日 21時58分25秒 |   源三位頼政


また3日ほどお休みを貰ったので、憧れの伊豆に行ってきましたぞ!

今回はちゃんと宿の予約をとりました。
本来私は野宿や車中泊が大好きで、わざわざ高い金を払って宿泊施設に泊まることなぞ決して無い。
でも実は10月から11月にかけて3連休や4連休を何度かもらったのですが、休みの前は「今度こそいろんなところへ行ってやるぞ!」と意気込んでいるのにさて休みの当日になるとめんどくさくなって、「いいや家で酒飲んで本でも読んでれば」となってしまって、結局何もせず日が経ってしまったことが、、、   すごい出不精で、あとになって思い返し当たり前ながら非常にもったいなく身悶えすることが数回あって。
「事前に高くて大仰なところに予約しておけば、後でキャンセルする方が面倒くさくなるのが私の性格だろう」と考えての今回の作戦です。

さて、伊豆のどこにいくか!?
今回選んだ宿はココです!!

伊豆長岡温泉 井川館

また伊豆の国市かよ!
いいじゃん別に。
まえーに伊豆長岡町で働いていましたが、住んでるとこういう所には泊まれなかったからな。引っ越して5年ぐらい経った今が一番良い機会だ。伊豆に詳しい人ならご存じですよね。井川館は「源三位頼政とアヤメ御前ゆかりの宿」として名が通っているのです。なにがゆかりかっていう話なのですが、自動的に今回の旅は頼政公を探求しての旅になることが決定。

予約したのはこのプラン。

高っ。
悩んだ末おひとり様¥18900のプランにしました。いやぁ、私はセレブじゃなくくたびれたおっさんなのが宿に悪いのですが、だって伊豆長岡って意外にお一人様のプランって少ないんですもん(※ビジネスマン向けの素泊り・半泊りの宿はいっぱいあるが)。われらが舘山寺の方が選択肢が充実しているんじゃないでしょうか。伊豆の方が絶対にお一人様の需要が大きいでしょうに、中伊豆はまだそこまで時代がいってない。せっかくだから、ここに2泊することにしました。
旅館代って一体何に対してお金が掛かっているんでしょうね。(それはもちろん料理だ)。でもそこいらの料理屋でそこそこの美味しい物をたべてもこんなにお金は掛からない。わたくし「野宿が好き」と言いながら、ここ数年はずっとネットカフェ泊まりだったのです。それは旅を続けていると何かと調べたいことがたくさん出てくることもありますし、なにより継続中のゲーム(『戦國ixa』の戦争と資源溢れ)が気になりすぎるという事情があった。だがネットカフェは安いと言ったって、山の中で車で寝起きすればタダだからなあ… このたびはつい先日に新アイテム(GALAXYTab7.7Plus SC-01E)を買ったということもあって、初めてネットカフェの呪縛から放たれておりまして、晴れて自分にとっては謎だった旅館の利便について考えることができる、というわけであったのです。
…なおこの記事の中で、「高い」「高い」と繰り返し言ってますが、私がいま働いているお店はここより数段値が張ってたりして。…ごめんなさい


さて。
計画では朝10時ぐらいには伊豆に着いて、懐かしい伊豆長岡の各所を精力的に廻って、自分の頭の中の古い記憶を新たなものに置き換えているはずだったのですが、、、。朝起きたのは7時ぐらいだったんですけど、ぐだぐだしていたら14時に。やべえ。
慌てて家を出て、浜北インターから新東名に。天竜川から東方面に行くのは初めてです。気持ちいい! でも「新東名はオービスが無いかわりに覆面パトがうようよいる。クラウンを見つけたら気をつけろ」と聞いていたので若干びくびくしながら、それでも一時間ちょっとで沼津インターに着いちゃいましたよ。気持ちいい! 冒頭の写真は遠州粟ヶ嶽の形の良い山容です。奥山トンネルとか富幕トンネルとか三笠トンネルとか、新東名は由緒ある山をくり抜くことに決めてたのかね。楽しい。

沼津・長泉インターを降りたのは15時半過ぎで、この付近で行きたいところが何ヶ所かあったのですが(※阿野庄とか三嶋国府とか)、新東名はあんなにスイスイだったのに沼津の町中はとても混み合っていて危険な気がしたので、直接伊豆長岡に向かうことに。宿に着いたのは16:45頃、(17:00到着予定って言ってあったから)すばらしくナイスなお時間です。でも今日は結局何もしないまま一日が過ぎてしまったな。


翌朝明るいときに撮った写真。

井川館は伊豆長岡町のもっとも古い温泉街・古奈温泉にあります。この一帯は「あやめ小路」と呼ばれてまして、菖蒲御前の墓石のある弥勒山西琳寺、共同浴場あやめの湯、あやめ寿司などがあります。5年前にこのあたりを紹介したこともありましたよね。
さて、“あやめ御前ゆかりの宿”“平安セレブの”井川館です。
「どれほどあやめ御前をアピールしてるんだろう」とワクワクしながら中に入ります。
なかなか落ち着いた感じのロビー。
奥に、あやめ御前と頼政公の掛け軸を飾っているスペースが見えます。
あやめ御前よりも源三位の方が絵が大きい(笑)。でもこれ頼政卿? 義経卿じゃなくて?



しかし他には特に目立ったあやめ御前の説明はロビーには見えぬ。
チェックインの説明はとても簡潔だがフロントの人は懇切丁寧。夕食時間は18:00、18:30、19:00の三段階で聞かれました。ついでに貸切風呂の希望時間も。貸切風呂ったって男ひとりでそんなものに入っても仕方がないが、せっかくなので夕食後の20:50から。貸切風呂は3つあって、1つを選べるそうです。さらに朝食時間もここで訊ねられた。

そしてお部屋へ。お部屋の説明もとても手短かだった。そんなものだよね。
でも、あやめ御前とのゆかりはどこで聞いてみればいいんだろう?



さすがにお部屋のつくりは年季が入っているように見受けられるのだけれど、一人には充分すぎるほど広い。窓が大きく取ってあって、懐かしい伊豆長岡の古奈側の景色がよく見える。さすがに伊豆長岡は眺めてて楽しいような町では無いけど、部屋が明るいのはいいですね。
食事の前にひとっ風呂。
大浴場は最上階(7階)にあって展望風呂となっている。
展望ったって何のおもしろみも無い伊豆の国市の町並みなんですけど。ま、でも私はこの景色が大好きだったんですよね。

面白かったのが大浴場前の休憩スペースでして、
この宿、2012年始めに(大浴場周辺を)改装したと言ってるんですが、その雰囲気がかなりシック。暗い。こういうのが最近の流潮なんですかね。わざと暗くされていて、くつろげることはくつろげる。こういうのが専門のデザイナーさんがいるんでしょうか。だが、これは要所となる数ポイントのみに施されていて、肝心な部屋にまでは徹底されてなくて良かった。部屋まで暗かったら困るもん。その明暗の対比がこの宿の面白いところだったと、あとになって思いました。



それから夕食です。夕食会場は1階と2階に分かれていて、この日は1階。
夕食会場も改装が及んでいて、半分透ける黒い簾によって仕切られているのですが、わたしの席は窓際にしてくださっておった。
いい意味で暗い雰囲気の、椅子テーブル席。



予約をするときに、「夕食は海鮮しゃぶしゃぶか? 肉しゃぶしゃぶか? それとも会席か?」って聞かれて「海鮮」って答えたんです。
魚のしゃぶしゃぶなんて初めてだ。



これが特注のしゃぶしゃぶ鍋ですって。なるほど、2人の客が肉と魚を別々に選んだときに、一つの鍋で混じり合わぬよう一緒に出来るようになってるんですね。でも残念ながら私は一人なのでこの仕切りは意味なし。源泉を鍋汁として使っているそうで、独特の香りがある。

そしてこれがシャブの具材です。キレイだなー。



そして意外と見た目よりも盛りだくさんです。



鱧と鮹と烏賊ですって。伊豆にハモっているんでしたっけ? そりゃ、遠州灘でもたくさん獲れるくらいだから、駿河湾も相模湾も鱧だらけなんでしょうな。
ハモをこういう風にスライスするのは難しいんじゃなかったでしたっけ。



鱧、しゃぶ前としゃぶ後。



くそー、やっぱり暗いところだと写真がぼやける。本当に美しかったのに。このカメラ、買ってから半年経ちますがまだ全然使い方のコツがわかりません。前機種はとっても手に馴染んでくれてたのに。近接モードでも綺麗にくっきり撮れない。



何かの鯛と金目鯛。金目鯛は嬉しいですよね大好き。真ん中に挟まれている白身はなんでしたっけ? タラかな(わかんない)。



そして桜エビ! やっぱりこれが一番楽しかった。「篭のまま湯に沈めてください」と言われた。いえーーい。美しい。





私は生海老アレルギーを持ってまして、でもそれは甘エビや伊勢エビで起こることが多く「桜エビではどうなのか」って前から興味を持ってるんですが、この日も勇気が無くて、全部一気に茹でてしまいました。桜エビはすごくウマいな。
このシャブシャブ、つけだれとしてポン酢とごまだれの他に粉チーズ、ハーブ(だっけ?)の入ったお塩、パセリを細かく刻んだもの等が用意されていて、非常に楽しんだ気になった。特にチーズを付けたお魚がなかなか。



これがお品書きに「小さな一皿」と書かれている先付けかな。全然小さくない。
何かの魚のカルパッチョ。すみません、私、魚の勉強を一生懸命してるんですけど、切り身の写真を見てもさっぱりわからん。食べたときは分かってたはずだけど、もう忘れてる(笑)



とするとこれが「季節の彩り盛り合わせ」な前菜ですよね。ひとつひとつ美味しかった思い出はあるのですが、今となってはどれが何だっけ。もっと接写写真をたくさん撮ってこなかったことが悔やまれます。



温かい蒸物。百合根と海老を使ったしんじょうでしょうか。



そしてお造り。私は軽い生魚アレルギーも持ってますからおそるおそる食べたんですが、まぁ美味しい❤ ホタテ、マグロ、イカ、カンパチ、甘エビですかね。伊豆では一般的な見た目。なんか金目の刺身を食べた記憶もあるんですけど記憶違いかしら。なんと恐ろしいことに、これだけ食べても私の顔にはアレルギー反応が全く起こりませんでした! なんだろね魚アレルギー。治ってしまったのかしら。
甘エビだけはちょっと怖くて躊躇していたのですが、そういえば私の目の前にはグラグラ煮立っている鍋がある。甘エビもしゃぶしゃぶしてみました。



うをー、見た目はすごくいいんですが、ぷりぷり感の全く無いモソモソした海老になった。すごいな甘エビ。生食だけに特化されたエビなのか。

そして最後のシメは焼きおにぎり茶漬けでした。
しゃぶしゃぶしたあとの源泉をダシ汁として使うんですが、とっても淡い味だった。



こうしたわけで、総じて大満足だったわけですが、そんなことよりわたしはおささ中毒者。こういうところでどういうおささが用意されているのかが関心の的だったのでした。
最初に注文したのが



地ビール“waroma”。
わろまってなんじゃらほいと思ったのですが「和」+「アロマ」なんでしょうね。



おお、うまいっ。最近の私はすっかり地ビールづいています。で、この“waroma”、味の太さと匂いの指向性が愛好するよなよなにとても近いっ。
裏返して見ると、製造元は「藏屋鳴沢」。やっぱり! 江川太郎左衛門の「反射炉ビア」の地ビール屋さんです。
私が伊豆に住んでいた頃は地ビールなんて全然関心を持っていなかったが、「黒ポーター頼朝」とか「大吟醸政子」とか、すごくわたくし好みのお店だと思ってたんだ。この“waroma”も、とても気に入りました。



続いて飲んだのが「千寿」の梅酒(180ml)。
千寿ってのは磐田の蔵元で、実は私のお店でもこの梅酒を出してる。私は普段梅酒なぞ飲まないのですが、でもこれを飲んだことが無かったので「飲んでみなければ」と思ったのでした。
で、「なんで伊豆でわざわざ磐田のお酒を出してるのか」ってことです。
実はこの千寿は平家物語・源平盛衰記と関わりがあるのですね。
『源平盛衰記』巻39(遊巻)に「重衡酒宴 付千寿伊王事」という章があって、千寿の前というのはここにでてくるたおやかな女性の名前です。磐田の千寿酒造はこのエピソードに深い関わりがあると言っている。また平家物語には巻10に「千手の前の事」という章がありまして、この千寿千手は同一人物です。さらに吾妻鏡でも文治4年の4月25日に「平重衡に恋焦がれた千手の前が死んだ」という記事がありますので、(アヤメ御前とは違い)「せんじゅは実在の人間であった可能性が高い」とされています。



講談社学術文庫の『平家物語・無常を聴く』に「平家物語の諸本はいずれも、千手が登場すると語り口もつやをおび、一方ならず念を入れてその容姿、立ち居振る舞い、諸芸のたしなみをたたえる」と書いてあります。諸本を読み比べたことがありませんが、描写に差異があるのでしょうか。
大塚ひかりの『女嫌いの平家物語』という本に、平家物語と源平盛衰記での描写の違いが解説してあります。おそらく源平盛衰記の重衡と千手前の交流の記録が実際に近く、重衡の高貴な受け答えに感心を受けた頼朝は千寿・伊王という自分の愛妾を2人も与えて1年半近くも傍に仕えさせ、ふたりともがハンサムな重衡と愛(?)をはぐくんでいく。
これが『平家物語』だと、千手と重衡が会ったのはたった一日きりで、この一晩の間に身体の関係とか全く無かったのですが重衡に千手は強烈な印象を与える。で、大事なのは構成的なことで、平家では「東大寺・興福寺を戦乱で焼く」という世界一酷い罪を犯し地獄行きが決定された平重盛が、「戒文」で法然上人と深い対話をし、西方浄土とは逆の東国下りで「千手観音の申し子」と出会い、「極楽願わん人はみな、弥陀の名号唱ふべし」と諭される。宗盛や維盛に較べて頼朝の重衡に対する厚遇は異例で、さらに物語が進んでも重衡だけがいい目を見続ける。「千寿」というもう一つの名前はその象徴でもあったのです。
「平家物語はなぜこんな都合のいい女を重衡にあてがうのか。彼にはすでにいくつもの救いが用意されていた。最初に出てきたのは内裏女房で、彼女は重衡の愛執を晴らし、彼の死後は菩提を弔った。物語的にはこれだけで充分なはずなのに、平家物語は重衡のためにさらに法然、千手前、首を斬られたあとには正妻の大納言佐殿による供養が用意される。重衡だけがなぜ、かくも優遇されるのか。そう考えたとき、彼が、仏教伽藍を焼き討ちにした罪のために、平家の公達の中で唯一、僧徒の手によって殺されたことに気づくのだ」

『平家』では千手と重衡はこの一晩のみの描写でその後の交流の記述はなく、重衡の死後に千手は出家して善光寺に向かってしまうのですが、『源平盛衰記』では重衡は伊豆に送られ(おそらく狩野介宗茂の領地に)、1年半後に奈良に輸送される(つまり1年半は伊豆で幽閉され蛭ヶ小島生活を送った)。その死後、千手と伊王が一緒に頼朝の前に出て「故三位中将殿に去年から馴れ親しんで、その面影が忘れられず、また生前彼は「自分には子がなく後世を弔う者が何もいない」と言っているのを聞いたので、自分たちが尼となって供養したい」と申し出てるので(当然頼朝は許しませんが)、千寿も伊王も伊豆までついていっていたのかもしれない。
不可解なのは頼朝と千手の関係で、本には「見目が麗しく芸妓に巧みだったから頼朝の館に使われていた」と書かれているので、女の尻が三度の飯より大好物だった頼朝の「十七人の愛人の一人」に私などは数えているわけですが(源平盛衰記でもそういう記述だし)、でも鎌倉では頼朝は当然政子妃と一緒に暮らしていたわけで、恐妻家の彼が自分の愛人を屋敷で使えるわけなんかない。吾妻鏡では「千手は政子の侍女」と明記されているし。つまり、千手は頼朝の愛妾でもなんでもなかったと。しかしながら物語中の千手は頼朝ととても親しげに口をきいていて、頼朝も彼女との対話を楽しんでいるよう。なんなんですか、この女性。
一方で、頼朝の命を受けて千手は鎌倉の宗茂邸に遣わされる。ついで伊豆の狩野庄へ。頼朝と狩野介宗茂の関係ってどうだったんでしょうね。物語では宗茂は木訥とした伊豆っぽい武人なのですが、この人と千手の前との組み合わせは不思議にしっくりくる。


…などということを考えながら「千寿の梅酒」を飲む。
うむ、この宿で千寿を使っているのは深い意図があるのかもしれない。なかなかコクのある梅酒で、とても気に入りました。
なので食後、売店でもう一本千寿を買って、お部屋へ戻りました。
面白かったのは、食事処で飲んだとき、千寿(180ml)は840円だったのに、その隣の売店で買うと同じ物が500円だったこと。当たり前と思うかも知れませんが、私のお店では席で飲んでもお土産に買っても同じ値段になるようにしてあるからな。

さて、お夕食も終わってせっかくなので、貸切露天風呂へ。



3つあるという貸切風呂のうち、「GEN」を選択させていただきました。
ぬおをををを、サイトにあるのと全く同じ雰囲気だ。
でもこんなのに男ひとりではいっ(以下略)
同じ事を何度も言うな。
嬉しかったのは、さっき美味しかった地ビール「waroma」がサービスで置いてあったこと。やったね。
意外とのんびりしましたが、30分も経たないうちに退散。だってすることがない(笑)

隣接して、足湯のある休憩所がありました。



これはすばらしい。ここでも無料でコーヒーやジュースが飲めて、雑誌等が置いてあります。くつろげる。さっきの風呂よりも長い時間をここで過ごしてしまいました。

さて、お部屋に戻り、今度は外出だ!
伊豆に住んでいたのになかなか行けなかった焼き鳥屋さんに行くのです。(私はヤキトリ好き)。



伊豆長岡古奈温泉、ラーメンで有名な「鳥栄」。
なんせ昨晩来々軒でラーメン2杯喰っちまって、それがいまだにお腹に残っちゃってて、さっきの夕食だって食べられるかどうか心配だったのですが、思った通り上品なお夕食だったので、これだったらいけるかも、と思ったのです。
井川館から鳥栄まで徒歩5分。こんなに近いなら菖蒲御前だって食べに来たに違いない。近くていいなあ。
入ってみますと、平日のこんな時間なのに、ほぼ満員。すげえ。片隅に相席で座らせてもらいました。

とにかくこのお店について「ラーメンがおいしい」ということで私は承知していたわけです。
が、さっき夕食を食べたばかりなので「ラーメンを今食べたいか?」と問われたら「そうでもない」。むしろ、伊豆で美味しいと言われる焼き鳥ってどんなのなのか興味があったのです。だって焼き鳥好き焼き鳥好きと言いながら、私がいつも行ってる店って備長扇屋だもん。が、ここに来てラーメンを食べないのもなあ。そもそも焼き鳥とラーメンを同時に食べたことが無いや。と、メニューを眺めましたら「半ラーメン」(500円 ←通常サイズは650円)があるじゃないですか。さすがや。
さらにこんなお品書きがあります。



いいなあいいなあ、わたし、鶏の部位に詳しくなりたいんだ。
これを順番に味わいに来たいなあ。
とりあえず、半ラーメン(塩)、ねぎま×2、そで肉、そり肉、かも、を注文してみました。



出た! 鳥栄のラーメン!
…が、感想を全く覚えていません(これを書いているのは1/9)。強烈だった覚えは無いので、優しい味だったんだろうなあ。





そして、ねぎま×2、そで肉、そり肉。
これは、めちゃくちゃ美味しかったことを覚えている。そで肉とそり肉はなんの肉なのかさっぱり分からないものの、ちゃんと違う噛み応えがしました。いいなあ、毎日こういうのを少しずつ囓ってちびちびしたいなあ。1本300円は高いけど。



かも。
串で出てくると思いきや、こんなのでした。
伊豆ではね、むかしカモ族とアタ族がね(省略)

もっともっと食べるつもりだったんだけど、やっぱりここでお腹将軍が白旗を掲げる用意をしていて、忸怩としながら「明日は醤油ラーメンと鶏刺しを食べに来るぞー」と誓って宿に戻ったのでした。
一日目はこんな感じでおしまい。
とっぺんぱらりのぷう。
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