オセンタルカの太陽帝国

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風の穴。

2008年06月26日 00時27分31秒 | 遠州の歴史

一週間前に新人さん(美人)が来てくださいまして、話を聞いているとこの方、様々な事に果敢に挑戦する、一言で言えば“冒険家”の如きなのでございます。中でも「洞窟探検」が大好きだそうで、変わった人が大好きな私には一気にツボ。とは言っても彼女が愛しているのはとりわけ神秘的な“竜ヶ岩洞”なんだそうですが(2年間で10回は行ったという)、国土の大部分が石灰岩でできているといっていい遠江国の北部は、そんなに有名でもないけど鍾乳洞だらけなのでございます。俄然興味が湧いてきたので、わたしも洞窟巡りを趣味にしようと思い立ちました。子供の頃はそういうの大好きでしたよ!
ネットで見ると洞窟愛好家のサイトは数が充実しているので、新参の私が何か新しい面白いことを発見できるとも思えないんですけどね。まあいいです。

  (※参考;北遠東参州の洞窟のリスト

では手近で有名所から。
その1。
◎岩水寺の鍾乳洞

旧浜北市で一番有名なお寺である岩水寺は、境内も広いのですが、名前からも分かるとおりゴツゴツした岩だらけの中にある景観です。引佐町にある奥山方広寺ととても良く似ているんですよね。とくに岩水寺の場合、境内に無数にある洞窟の中から浜北人の骨が発見されたことでも有名です。(根堅遺跡)。やっぱり洞窟と言えば古代人。でも三ヶ日人や牛川人、明石原人などは否定的な意見が主流なのですが、浜北人と湊川人だけはガチですってよ。ただ「浜北人」と呼ばれることが多いですけど、ウィキによれば本当は「新人さん」なのだそうです。

で、有名な岩水寺の鍾乳洞。
本堂の裏にある「赤池」の前に、上のような看板があります。
ここにある田村俊光というのは、平安時代初期の半伝説的な英雄・坂上田村麻呂の息子でして、その母は岩田の海(遠州灘のことです)の大蛇だったといわれています。(ここでは御比丘尼さま=玉袖と記されている人のことです)。「天龍川」という名前のも彼女のことですし、この近辺の龍神伝説のいくつかの(例えば奥山方向寺や竜ヶ岩山の)竜と同一人物ですし、この一帯の古名「麁玉」とは、彼女が坂上田村麻呂に与えた玉(麻呂はそれを使って浜北~中田島までの海を平地化した)のことです。その龍神が、夜な夜な諏訪湖に通うために利用していたとされる洞窟。

赤池の付近を丹念に眺めてみますと、あります! 奥の観音様の影にぽっかりと口を開けている小さな穴が。

しかし穴が小さすぎる。比較の為にタバコかなんか並べておけばよかったですね。小さいです。小柄な私ですら首以外は入りそうにありません。これはよっぽど細くて長くて身体の柔らかいにゅるにゅるした女性ぐらいにしか、、、、 ハッ。

かろうじて首を突っ込んで、内部を撮影してみました。

おお、確かに内部のひだひだは鍾乳窟らしい名残を示している。
しかし内部には土砂が流れ込んでおり、水も溜まっていて、果たして本当に諏訪湖にまで続いているのか(笑)、確かめる方法は無いのでした。

この日はここで諦めましたが、家に帰って詳しく調べてみると、岩水寺の鍾乳洞というのは実際はここでは無かったようです(爆)。なあんだ。確かに、こんな穴じゃ探検できないもん~。また行きましょう。

http://www.sukima.com/02_nittaiji99/04okunoin.htm

http://blog.livedoor.jp/submachine/archives/50043969.html

実際の洞窟は「奥の院」と呼ばれるところにあるとのこと。実はそんなこともあろうかと私は付近を歩き回っていたんですけどね。ちっとも気付きませんでした。

この付近にいかにも廃ホテル然とした建築物があり、とても目を引かれるのですが、実際は人がきちんと暮らしている気配があり、慌てて目をそらしてしまいました。(尺八教室という看板もあるし)。こういう建物に暮らせるのも、一種の理想なのかもしれませんね。この付近にはもう一件の理想的な(どんなだ)廃旅館があります。

ともあれ田村麻呂の息子とされる“第二代将軍”田村俊光。実はこの人物は遠州の伝説にしか登場しない人物で、彼の正体が何だったのかもきっちり調べてみたいです。
また来るぞー。

その2。
◎鷲沢風穴

竜ヶ岩洞に次ぐ知名度を誇るのが、都田町にある鷲沢風穴です。入場400円。
とにかくすごいらしい。…が、行ったら「定休日」でした。
なんで洞窟に定休日があるねん(※水曜日と金曜日が定休日です。注意)
ま、、、、 また来るぞー

その3。
◎滝沢鍾乳洞

滝沢の山の風景。実はここはミカン畑なのですが、石灰石がぎっしり。

細江町から北へ向かうと鷲沢町で、そこからさらに北が滝沢町です。完全に山の中の斜面にへばりついた小村。ここにある小学校の裏に、また素晴らしい鍾乳洞があるといいます。

小学校は幼稚園が併設されていますがこじんまり。ただ、さすがに平日の午前中、道すがら「不審者注意!」という看板がやたらと立っていたのを見て、私はびびっていました。不穏な昨今、あからさまに怪しい風体のこのおっさんが無断で小学校に立ち入ってもいいものか。が、幸い、生徒の姿は校庭には見られず、思いの外静かだったので、「ここは思い切って行くしか無い」と思って、胸を張って校庭への侵入を敢行しました。洞窟の入り口は校庭の奥にあります。

洞口は意外に狭く、急勾配です。石を組んで階段状になっていますがそれがあまりにも無造作かつ堅牢で、看板の「明治から大正にかけて地元の人に利用されていた」というのも納得できる次第です。頑丈な手すりはありますが、しかしなかなか難儀な入り口。このご時世は普通の学校なら、こんなアドベンチャラチックな洞窟は「危険!」とみなされて立ち入り禁止・閉鎖にされてしまうでしょうな。この学校の生徒たちはこんな立派な遊び場を持っていて、羨ましいものです。

このような感じで、いきなり10mぐらい下がります。この洞口部分が一番大変なところでしたね。ここに暮らしていたという古代人もよっぽど凄いものです。
が、その階段を下りきると、内部は意外に広い大広間になっています。
が、くら~~い! たった10m下がっただけなのに、真の暗闇。
実はここに来る前に、ホームセンターで懐中電灯を買ってきていたのですが、懐中電灯ってあれですね、普通サイズじゃ全然ダメですね。照らすところしか見えない。よっぽど大きいのを買ってこないと暗闇の中じゃ辺りを照らし出さないんだと、勉強になりました。やっぱりT&T風に松明かランタンを買ってくるんでした。

結局、あたりを見渡す為に一番役に立ったのはカメラのフラッシュ。一瞬だけですけどね。懐中電灯で前方の障害物に当たりをつけ、カメラのフラッシュを焚く。その度に周囲に浮かび出る光景の驚異に、神秘なものを感じ
ました。洞窟っていいわ~。

この洞窟の一番の特長は、巨大な柱が何本も天井からぶら下がっていて、その形が極めて奇怪かつ頑丈だということです。これは探検していて楽しいですわ。しかし、内部は随所から水がしたたり落ちていて(鍾乳洞ですから当たり前ですけど)、この中で住むのは不可能なんじゃないかと思いました。真っ暗闇ですが、自分の周囲に冷たい霧が渦巻いているのが分かります。
コウモリだけが何羽もぶんぶん飛び回っていて、雰囲気満点。


キクガシラコウモリさん。

事前にしていた予測より遥かに大きな洞窟でしたが、内部は入り組んでいるわけでなく、でも奇観には富んでいて、とても初心者向けの良い洞窟だと感じました。壁には子供達の落書きがたくさん。子供には楽しいだろうなあ。ここには幽霊話は伝わってないようですし。

一箇所、さらに下の階層へ通じているんじゃないかと思う小さな入り口がありました。写真だと分からないと思いますけど、どこまでも通じていそうな奥深さが感じたんですよ。看板にある「犬を入れた入り口」というのはここなのでしょう。土嚢で囲まれていますが、子供がこの付近で遊んじゃ危険じゃないですか?

が、私の身体ではここに潜り込むのは大変そうだったので、今日は諦めました。
ひととおり観光を終えて外に出ると、むわっとした空気が身体を包みます。いかに洞窟の中が涼しかったのかを実感する瞬間です。
改めて学校の方も観察してみますと、昇降口の前に「滝沢鍾乳洞遺跡展 ~職員室に声を掛けてください~」と書いてあります。こりゃ見なくちゃならんだろう、と思って学校の中に入ってみます。するとそこには「この学校はしばらく休校しています」との案内文が。ありゃ、そうなのか。だからこんな静かだったのか~。こんなにビクビクする必要はなかった。
職員室は管理人室になっていて、そこに声をかけて校内をいろいろ見せてもらいます。洞窟展の他に「ダルマ展」、「民俗史料展」もやっていました。が、この管理人のおっちゃんの仕事もヒマなんだろうなあ~(暇潰しが得意な私だったらこんな仕事が天職なんだけど)。時折私の所に様子を見にやってきて、さまざまな解説をしてくださって、とても有り難かったです。

まず、こんな所にほんとに人が住めるのかということ。上のモデルにあるように、洞口付近でほとんどの生活活動を行い、洞窟の内部は避難場所のような感じだったのでしょうね。しかし洞窟の内部からは多数の土器や石器が発掘されているようで、それも展示されていました。
私が一番目が釘付けになったのは洞窟内部の見取り図で、明らかに私が歩き回った範囲よりも広く長い。おっちゃんに、「この奥へ通じる通路はどこにあるんですか?」と聞いたら、おっちゃんが示してくれたのが、地図上の「2」の地点。ここって私が諦めたあの小さな土嚢の入り口ですよ。しまった、あそこはやっぱり先に進めたのか。私が歩き回ったのは「1」の部分だけだったんですね。「今すぐ行って挑戦してきます」と言うと、おっちゃんに笑って「あそこはちゃんとした装備が無いと絶対に無理だよ。帰ってこられないよ」と言われました。やっぱりそうか。
しかし、展示してある土器や石器が発見されたのは実はその「2」の部分だそうです。展示室にはその時の調査の写真が展示されていたのですが、この学校の小学生たちもそれにたくさん参加していたのだそうです。あんな狭く暗い入り口を通って探検だなんて、頭が下がります。しかも縦断面図を見ると、さらに激しい勾配みたいですよ。その奥部は誰がどうやって調べたんでしょう? 私では絶対入り込めないような感じだったので、そこで出た土器や石器は雨に流されて入り込んだだけとも思えますね。うーーん。それとも縄文人達の洞窟適合能力は想像を超える程凄かったのか。
オオカミも、古代人に食べられちゃったのでしょうか。普通にペットかも。

おっちゃんとの話で一番印象深かったのは、ちかぢか滝沢山の山頂に10機程の風力発電システムが設置されることになっていて、「ここもその資料館になる予定ですよ」と嬉しそうに言っておられたことでした。伊豆なんかでは風力発電は景観問題として反対運動まで起きているほどなのに、ここではそれは歓迎されているのか。「風力発電ができたらまた来ますね」とおっちゃんに言って、今日見た素晴らしい洞窟に感慨を廻らしながら私は小学校を辞しました。

その4。
◎嵩山(すせ)の蛇穴

次に向かいましたのが、遠参国境にある本坂峠の嵩山の蛇穴。本坂トンネルはこの地方随一の心霊スポットですし、この洞窟には落ち武者・埋蔵金伝説もあるし、家康の遠江侵入の時にも重要な役割を果たした地点なので、詳しく探索したい所ですが、今日はもう字数がギリギリなので簡潔に紹介。

滝沢鍾乳洞が「初心者に最適」だとしたら、こっちの方は「上級者でも満足」といったところでしょう。とても広く、入り組んでいて、驚異に満ちているのです。幽霊も出るそうですし。まず、入り口の景観からして最高!

私が先へ進むのを断念したのは、多分見取り図上の「?」のところだと思うのですが、4mぐらい上方の穴からロープがたれていました。ってことは穴はこの先も続いているってことでしょうが、とにかく足場がツルツルで服は霧でじっとり、泥でぐじゃぐじゃになってしまっていて。

実はここから入り口まで引き返すのが大変でした。辺りは真っ暗闇で分岐がいくつもあるので、私は途中で方角を見失ってしまい、彷徨うこと彷徨うこと。「やべえ、出られねー」と本気で冷や汗をかきましたよ。足下は滑るし、落とし穴みたいなところはあるし、何にも見えないし、コウモリさんがキイキイ言いながら何羽もバサバサ飛んでるし、暗闇なのに自分の回りに濃くてひんやりとした霧がたちこめているのが分かるし、なんか犬みたいな動物が奥の方にいる気配が感じられるし。(気のせい)。ようやく「プール」の場所にたどり着いたとき、心底ほっとしたのでした。

素晴らしい洞窟です。天井が白い岩で覆われている部分が一番神秘的でステキでした。70mってとても長いと知った。

コメント (2)
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