オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

『豊臣秀長』。

2008年06月01日 03時53分05秒 | 小説・漫画

なんで誰も暴動を起こそうとしないのでしょうか。
「今日はガソリンを満タンにして帰ろう」と思って、帰宅途中にスタンドに寄ろうとしたら、道路まで車が溢れかえっている。田舎の道で夜の10時半ですよ。泣く泣く諦めて素通りしてきてしまいました。借金を返済しつつの私の生活費は月4万円ですが、そのうちの半分はガソリン代に消えるのです。うをおーーーーっ、明日からさらに厳しくなるっ。(遠い職場を選んでしまった自分が悪い。会社の規定で交通費の支給は片道分です)。誰かが暴動を起こしてくれたらボクも喜んで参加するよッ。
しかし、「だったらお前が最初に口火を切れよ」と言われたら口をつぐんでしまうところが、私の弱さなのでした。いやんなっちゃう。フランスやロスやブエノスアイレスで暴動が起こるとき、一体何がどんな契機でそんなことになってしまうのでしょうか。そのプロセスを詳しく知りたいです。ともかく、今の日本は凄くおかしいですよね。日本の現状を直視せずに韓国や中国の悪口ばかりをいう人間を私は一番軽蔑します。日本は北朝鮮に劣らずバカだ。そうそう、明日から「うなぎパイ」も値上げするそうです。浜松の誇る貴重な文化遺産なのに…。うちのお店の一番の売れ筋なのに。…もうやめてくだちい。

------飢え死により、討ち死にがなんぼかマシだが。

志木沢氏の新刊『豊臣秀長』、読みました。
面白かったー。…が、この方の作品は二度三度読んだ時が一番面白いのです。文体が凝縮されまくっているから。今回の新刊は意外に薄い分、再読が今から楽しみです。
事前にしていた予測は、すべて覆されました。数年前の大河ドラマ『秀吉』で高嶋政伸が演じていた秀長の、温和で地味な縁の下の力持ち的な印象が強いのですが、この小説では著者が言うに、秀長は「結構な武闘派だったらしい」。冒頭から中半までは、がむしゃらに戦っている姿ばかりが描かれます。ええね。私が前日に例に挙げた阿野全成や足利直義、はたまた北条義時やましてや保科正之などという、いわゆるほかの“ナンバー2”などとは全然違います。
石田三成もやはり、私たちの思っていたのとは正反対の姿で描かれました。私は志木沢氏の描く爽やかで乾いた石田三成が大好きなのですが、豊臣秀長の視点から見たらどの様な登場の仕方の三成であっても大嫌いだったはずなのです。ここの三成は最高にイヤなやつ。でも作中ではすべての人に嫌われまくりですが、読む私にはどうしても嫌いにはなれない描かれ方をしている。…いろんな視点から見ると、石田三成って変な存在ですよね。志木沢作品で言えば、豊臣家臣団を内部から描いた『豊臣秀長』に出てくる三成が最悪で、家康家臣団の視点から描いた『結城秀康』に出てくる三成が好人物なのに笑った。こんな変な人間は日本史上類例が無いのではないか。(いやいや、梶原景時、大江広元とか南光坊天海とか大久保利通とかがいたかな。土方歳三も類例かも)。残念ながら大谷刑部と細川幽斎の登場は一瞬だけでした。

これまでの志木沢作品では、主人公は当初に巨大な何かにコンプレックスを抱き、それを元にあがいて生涯をかけて独自の解決路を見出していくのが常でした。『結城秀康』では自分を決して認めぬ父・徳川家康、『上杉謙信』では理解しがたい戦略で自分を愚弄する武田信玄、『可児才蔵』ではそれは「理想の君主に士官できぬ悩み」でした。ところが今巻ではそれはありません。物語の4/5の時点で兄である秀吉との対立が浮き彫りにされますが、聡い秀長はその要因を全て理解しきっており、これはコンプレックスとは違うのかな。
しいて言うと、秀長の生涯は登場したときから兄である秀吉の意向に完全に依存してしまっており、「このブラコンめっ」と言いたくなるくらい兄には絶対なのですが、やはり相手があの秀吉ですから、兄弟間の距離感に悩む場面が何回か出てくる。それがコンプレックスと言えなくもないのでしょう。ただし、「兄と弟」、それがこの物語のテーマなのかと思いきや、それもちょっと違うような気もします。豊臣秀吉という人物は、歴史の中においてあまりにも奇妙な人間なのですよね。段々秀吉も気になる人物になり始めてしました。志木沢様の描く秀吉像の特長につきましては、後述します。
ともかく、この物語に関しては秀吉と秀長の仲は主に理想的に廻っているので(…と思う?)、さらに別にコンプレックスとなりそうなものを捜してみると、“天才的な”竹中半兵衛重治の描かれ方だと思います。数多くの登場人物の中で、最初の方に死んでしまう半兵衛の描かれ方だけ浮き出て見えます。が、嫌味なほどかっこよくて頭の回る竹中半兵衛の描写にも、巧みな作者様の腕が光っていて、物語のあとあとになって「そういえば半兵衛がそんな事言ってたっけ」と不意打ちされるのです。あああああ、私にもひとり、半兵衛様が欲しいです~。と思いつつも「良く考えたら私の周囲にもこんな人いるね。ありがたやありがたや」と思わされる描き方。この描き方は「コンプレックス」とは違いますが、これまでの手法の裏返しですよね。これが嬉しい。

------自分は遠眼鏡。それは小物の特権でござるよ。

また、志木沢氏の登場人物といったら名古屋弁。
別に、いろんな登場人物が出てくるのでそのそれぞれが独自のご当地言葉を喋っているのですが、必然的に愛知出身者の比重が高いので、やたらと名古屋弁ばかりが印象に付くことになります。名古屋弁って、いい語感の言葉だなあ。(と当日名古屋に行っていたばかりの私は思った)。浜松出身の『結城秀康』ではそれほど遠州弁は印象に残らなかったのですが、『豊臣秀長』での名古屋弁率は小気味良いくらいです。でも、秀吉って大阪に行ってもずっと名古屋弁を話し続けていたんですね。「そりゃそうだ」と(『立花宗茂』を読んだ時に)目からウロコ。なんとなく大阪弁でしゃべってそうな気でいました。
ところで、遠州弁と三河弁は良く似ており、その原因は「徳川家康が遠江を制圧した時にたくさんの家臣を三河から連れてきたから、その時を境に言葉が三河化した」とよく言われます。…秀吉の大坂居城化のときはそんなことはなかったのでしょうか。秀吉ほどの強烈な個性なら、周辺の人間みなに多大なインパクトを与えたはずなのに。大阪弁に名古屋弁の名残は無いものであろうか。はたまた今の大阪の人にとって名古屋弁というのはどう位置づけなのか。お詳しいj.kさんにお話を伺ってみたいです。……うーーーん、身の回りをすべて律儀な三河者で固めた浜松時代の徳川家康と、天下人となって全国からさまざまな頑固者たちが周囲に集ってきた秀吉とは、事情が違うかな。

コメント (4)
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