私のかわいくて良くできた妹が、新しいデジカメを買ったそうです。
せっかくなので、私がそれをしばらくの間借り受ける事にしました。(なんて兄だ)
やっぱり、カメラはいいなぁ~~。
カメラが無かったら外に出たくも無かったのに、あるとなるとさっそく出掛けたくなる。
行ってみたのは当然、石橋山で死んだ佐奈田与一が祀られている「佐奈田霊社」。
彼は喘息を治してくれる霊力を持っているそうなのです。
わたくし、いま、凄い喘息に悩まされているのです。ようやく沈静化してきてはいるのですが、一時期は死ぬかと思うぐらいでしたのよ。
うをーー、高性能なんだろうけど手慣れてないせいで、使い勝手が全然分かりません。暗い部分の小さな看板の文字が(拡大すれば)読み取れる程なのに、光の当たっている屋根の部分は全部色が飛んでしまっています。惜しい感じ。
思っていたより大きな神社で立派だったのでびっくりしました。
宗時神社の小ささに較べて、、、、 うっうっうっ。
与一に思うところがあるわけじゃありませんが、源平盛衰記での彼の活躍ぶりには正直嫉妬するところがあります。どうして宗時の奮戦ぶりも同じように描いてくれなかったんでしょう。同じように歴史に何もせずただ死んでいっただけのくせにっ。…などと私などが悔しく思っているのは、宗時が伊豆の人間で与一はそうじゃないからですね。死人に貴賤なし。相模の方々、すみません。与一にはあとで「喘息に霊能あり」という逸話が生まれましたが、宗時にはそれがありませんでした。
死んだ与一が埋められた与一塚。これも中央の石版が同様です。全体的に白っぽくなってしまっているのは、「霊でもいないかな」と思って色合いを薄くしたのを、うっかり調整し忘れたからです。雰囲気あるいい大木ですよね。
これも、真ん中の対象じゃなくて後ろの台にピントが合ってしまっている。知らないうちに私が機械に何かそう誤解させるような動きをしたんだな。難しい。
ものの本には「喘息を治してくれる神様は、全国でもここだけ!」などと書かれていますが、今適当に検索してみますと、似たようなのが結構ありますよ。
でもいいんです、与一さんのが一番私の喘息には効きそうです。(根拠無し)
佐奈田与一といっても源平ファンしか知らない名前だと思われるので、簡単な解説です。彼は剛猛な武人ですが、佐那田、真田、與一、余一、岡崎義忠、等の様々な別名があってとてもわかりづらい人です。
◎岡崎義忠(佐奈田与一) 1155(久寿2年)~1180(治承4年)
相模の武将。父は三浦氏の傍系で三浦の悪四郎と呼ばれた岡崎四郎義実。父は岡崎郷(現在の伊勢原市)を領し、息子である彼はそこに隣接する真田郷を分けられた。与一は義実の長男。※余一ってのは11人目の息子って学校の古典の授業で習ったんですけど、どうなんですかね。すごいハンサムで勇気にも恵まれ、筋骨隆々の大男だったとされる。残念ながら妻子あり。
頼朝に同情的な三浦氏の方針により、伊豆の勢力とはかなり早くに通じていたと思われる。山木攻めの時は吾妻鏡には名前が現れないが、通説では与一も加わっていたとされる。
石橋山の戦いの時には本家の三浦家は地理的な事情により参戦できなかったが、与一は父と共に早めに参陣し、頼朝が大庭勢の急接近に際して「誰か先陣に出るものはいないか?」と言ったときに、父義実は息子を推挙した。
源平盛衰記には、この戦いでの彼の奮迅と死の模様を詳細にかっこよく描いている。