ホラー小説です。
でも、読んでいる印象は絵本のようで、微笑ましい感じしか受けませんでした。素敵な掌編でした。私の頭の中では、勝手に諸星大二郎の絵による絵本として、勝手に物語が展開されていってしまうほどです。小林泰三の第一単行本であるこの本には2つの作品が収められているのですが、もう一編の『酔歩する男』が170ページなのに、表題作であるこっちの方は40ページ弱。読みやすいし、文の仕掛けもないし、あっという間に読み終わります。
物語は、おもちゃなら何でも直してしまう修理屋さんの物語。その正体は結局最後までナゾですが、やさしいし、お金は取らないし、失敗はしないし、(大事なおもちゃを壊してしまって両親に怒られそうだと)困った子供たちが真剣に頼めば、どんなおもちゃでも直してくれる、とても陽気ないい人です。何を言っているのか分からないのだけど。
「クトゥルー神話」の短編として取られることが多いそうで、解説でもバリバリその位置づけで語られています。その根拠は、おもちゃやさんがときおり叫ぶ変なセリフなのですが、以下がそのセリフの一覧。
「ようぐそうとほうとふ」
「くとひゅーるひゅー」
「ぬわいえいるれいとほうてぃーぷ」
「りーたいとびー、ぎーとべいくく、……」
「すひーろうびーようゆーいぃーえいえいぃーえいえいぃーえいふ、あいめいがいにーどりーみーる、……」
…これだけだと日本語が話せない人のようですが、ちゃんとこの間に「まだなのか?」「もうなのか?」とかいうセリフも言ってますので安心して下さい。(それでセリフが全部なのですが)
で、彼のセリフのしまいの2つは別にして、彼の名前(所属する団体名)は「ようぐそうとほうとふ(ヨグ=ソトホート)」なのか「くとひゅーるひゅー(クトゥルフ)」なのか「ぬわいえいるれいとほうてぃーぷ(ナイアルラトホテップ)」なのか、ファンとしては気になる所ですよね? ヒントは、おもちゃ修理屋さんが住んでいるお宅の形にありそうです。「玩具修理者は、二軒の空き家の塀の間の小さな小屋に住んでいた。その小屋はいろいろな大きさ、様々な色形の無数の石が寄せ集まってできているようだった。小さいものは、米粒ぐらい、大きなものなら大人の頭ぐらいあった。そんな石が、まるで、よせ木細工のようにきれいにぴったりと組み合わされていた。遠くから見ると、じゃりの小山のように見えたけど、近づくと、どうやら家の形らしきものであるということがわかった……」 これは、一般に言うようぐそうとほうとふの容姿の描写そのものですよね。
でももっと良く考えてみると、このおっさんは他の人には「ようぐそうとほうとふ」とか「くとひゅーるひゅー」とか名乗ってて、どうやら一番一般的な通称は「ようぐそうとほうとふ」らしいのに、主人公にだけは「ぬわいえいるれいとほうてぃーぷ」と名乗って(?)いるのです。こういうイタズラって、ぬわいえいるれいとほうてぃーぷのやりたがりそうなことかも知れない。
結局、おもちゃ修理屋さんは、絶望的な状態に壊れた主人公の大事なおもちゃを無事修理してあげて、めでたしめでたしで終わります。
で、主人公はそのそばで修理の様子をずーーっと眺めているのですが、一番凄いことは、そのおもちゃ屋さんの修理のやり方です。それは、子供たちが持ち寄ったおもちゃの数がある程度たまった時点で彼は修理に取りかかるのですが、その際に、目の前のすべてのおもちゃを一度にすべてバラバラにしてしまうのです。なんせ壊れたおもちゃを修理するのですから、部品が破損してどうしようもなくなってしまった部分も当然あるはずです。そうした場合、おもちゃ屋さんは、別の子のおもちゃの余った部品を流用して、おもちゃを修理します。そして全部作業を終了した時に、「修理が失敗したおもちゃはない」のです。「完璧に元通りになったのに、部品がいくつか余っている」とも書かれています。これって、元の状態より少ない部品数で、問題なく動く元通りの見た目(?)の新たなおもちゃを作り直してるってことですよね? すごいやっ。
もうちょっと夢想を膨らませると、彼ほどの腕のおもちゃ修理屋さんが子供たちから全くの無報酬でそんな作業をしているはずもなく、その余った部品を何か別の用途に横流ししてしまっているのだろう、と思うのですが、その先にさらにホラーな想像を広げていく余地があるところが、この小品の読後感の一番すばらしいところだと思います。楽しかったです。
☆玩具修理者☆
作者;小林泰三、1995年
角川ホラー文庫(同時収録;「酔歩する男」)