オセンタルカの太陽帝国

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信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

守山の北条屋敷。

2006年05月28日 16時04分46秒 |   源頼朝

 

韮山の地図を眺めていていつも思うことは、「北条屋敷のあった守山は、武家の屋敷を建てる場所として絶妙の場所にあるなぁ」ということです。韮山の平地はそれほど広くはない平地ですが、周辺の修善寺・伊豆長岡等に比べれば、抜群の立地です。以前に「三島と韮山は遠いと思う」と書きましたが、武家の府としては韮山は国衙からは程よい距離で、一方で伊東、熱海、狩野、三津、土肥に行く道の分岐点に位置していて、各地の有力者と連絡が取りやすい。それなりの穀倉地でもある。さらに、守山か韮山に見張りを建てれば、遠くまで見晴らかせる。
室町時代に足利義政の弟の政知が鎌倉公方として派遣されてきたとき、最初は三嶋大社の付近に陣を置いたが三島という地が余りにも無防備なために、一旦奈古屋の国清寺に退き、さらに「一番守りやすい」ということで北条屋敷の故地に「堀越御所」を造営した。その土地自体が堅固なため御所は防護をそれほど堅牢にする必要が無く、広大な敷地に寝殿造りの巨大な建物を建造したといいます。そのことからしても、この土地が戦略上絶妙な地形をしていると言ってもよいと思います。

本を読むと、最近の研究では「北条一族は、少なくとも頼朝の蜂起まではとるにたらない小さな勢力で、しかも時政は北条家の庶流であったと思われる。鎌倉時代に北条家の執権政治が始まってから、時政の前の時代にさかのぼって伝説の粉飾が為された」とする見方が強くなっているそうなのですが、少なくとも北条屋敷の遺構を見る限り、私にはとうていそうは思えません。力を持っていない人物が計画的にこの場所にこれほどまでの縄張りが張れるはずもなく(現在の史跡のほとんどが後代の造営であったとしても)、「本家」とされている時政のおじの「北条時兼--時定」の屋敷の場所が発見されていない以上、時政の威勢の方が上と考える方がいいと思います。北条家累代が名乗る由緒正しい「四郎」という名乗りは時政が名乗っていますし。

さて、現在「北条屋敷跡」とされる史跡は、地図の上では、国道からかなり引っ込んだ川沿いの奥まった位置とされているようで、その場所は今は樹々に取り囲まれ、たいへんよい感じの静かな住宅地になっています。(荒れ果てていると言っても良い) そして、町なかに立っている史跡板でも、堀越御所と北条屋敷は別の場所にあるようになっているのですが、実際「堀越御所は北条屋敷の跡に建てられた」との記述の通り、元来の北条屋敷の敷地は、とても広大だったそうです。「願成就院」ももともとの建物は現在の場所よりも南側にあったのですが、それも屋敷の敷地に隣接する場所に建てられたそうですし、ちょっと北側にある「成福寺」にある看板にも、「寺伝によるとここまでが北条屋敷の敷地で、結婚した頼朝と政子の住居が建てられたのはここだと言われている。堀越御所もここまで広がっていた」というのです。いろいろなことを考えると、当時の狩野川の本流は守山の東側の国道136号線のあたりを流れていたと思うのですが、(私の勝手な想像だと)現在の狩野川の流れのある流域にも小さな流れがあったのに違いなく、また、裏手の南側のドブ川(真珠ヶ淵)も「八重姫が身投げをした」ほどの強烈な流れだったそうなので、挙兵時代の北条屋敷の敷地は、成福寺の場所を頂点とした広大な三角形で、狩野川の二つの流れに挟まれた自然の要害の様子であったと思うのです。

守山という山自体が普通の山ではありません。山の裏手の真珠院のあたりから山を見上げれば分かるのですが、完全に堅そうな岩肌になっています。土の山ではなくて岩の山なのです。たぶん、山全体が巨大なひとつの石塊になっているんじゃないか? 大仁町にでーんとそびえる金山みたいな感じですね。そして、『日本城郭体系』によると、その山の一方が鋭く切り取られ、切り立った城壁のようになっているのだそうです。

コメント (4)
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『ジュラシックパークIII』。

2006年05月28日 00時15分34秒 | 映画

  

とても大好きな作品です。『1』のティラノサウルスは動きがとっても素晴らしかったし、『2』ではサンディエゴの町を襲う巨大獣の姿に狂喜した。でも、今になって一番良く観直すのはこの3作目です。

とてもいびつな作品であると思う。
恐竜とは恐ろしい動物です。人間をはるかに上回る力を持ち、すばしこく、「頭が良いみたい」とも思えるほどに何を考えているのかわからない。『クトゥルー神話』を持ち出すまでもなく、真の恐怖とは「相手が何を考えているか分からないこと」「人間とは違う考え方をする物体」だと思いますし、その一方の極みは「動物が見せる本能」だと思います。恐竜に対して、人間の力と文明を持って対しても無駄ということを描いたのが、これまでの2作だと思います。

それに対し、「家族愛」という変な物を持ち込んだせいで物語に妙な変調が生まれたのが、前作と今作であると思う。おかげで、映画の部分部分が、とてもおかしいことになってしまっています。恐竜が本当に群れで行動していたのか、巣を作って子育てしていたかはまだまだ議論が続いている難しい点なのだそうですが、あのヴェロキラプトルですらがたった2つの卵を執拗に取り戻そうとする姿に、「え?」と思ったし、それが逆に恐竜の何を考えてるのか分かんない恐ろしさをますます強くしている。それが私がいびつに見えた作品だという点です。一方で、いままで通りひとりひとり無造作に食べられて命が奪われていくのは一緒なんだけど、(ヴェロキラプトルなんか、採餌につながらない狩りをします。そんなことが!)、一番「食べられなければならない」人だけは物語をまっとうし、ハッピーエンド。危機的状況も、恐竜たちのきまぐれによって回避される。なんなんだ。わけがわかるんだかわかんないんだか。おそろしいおそろしい。

まだまだ恐竜という不思議な動物について語られるべき事は、いっぱいあるようです。今作では、「恐竜でも、人間らしい考えをする心があるのかも」「家族・仲間を思いやる心があるのかも」「優しい心もあるかもしれないいい奴かも」「だが!!」という感じですが、もし今後、このシリーズが作り続けられるとしたら、今回のこのヘンテコで面白い恐竜たちの性格設定をベースに、今度こそ、意外で「恐竜らしい」さまざまな怪物が登場できる素地であったと思うのです... 短かったけど。今回はそんな感じで恐怖色が強かった作品だったと思うし、真の恐怖はもっともっと深められると思う。

で。
この映画で私が一番面白いと思ったのは、劇場で買ったパンフレットでした。恐竜についての解説を金子隆一氏が書いているのですが、物語中の恐竜の設定を、ほとんど否定するような内容のことを書いているのです。これはこれでホラーだった。(とは言っても、氏からすればそれほど過激な事は書いていないんですけど)。いわく、「スピノサウルスはがたいは大きいが、魚を食べるイイやつです。魚が好きな人に悪い人はいない」、「ラプトルは会話はできなかったと思う。群れの連繋プレーでの狩りというのも無かったと思う」、「プテラノドンはあんな風には飛べない」、、、 などなど。私なんかはそれを先に読んでしまったので、映画の展開はとても戯画的に映り、それがとてもホラーでした。もちろん、「自然は人間の都合の良いようには進化しない」というこのシリーズのテーマを踏まえた上でですけどね。多分恐竜は、私たちが思っている以上にずるがしこかったろう。でも、この映画で描かれている動物は、もう私たちの知っている恐竜では無いのかもしれない。(それは劇中でも示唆されている事です) そんれは、最近の恐竜ニュースで毛の痕跡や羽毛の存在のある化石が次々と発見され、カラフルな色彩で復元図を描くのが主流となっているのに反して、あくまでも地味で凶悪な怪物の姿で描くことをやめようとしない、そんな映画の作り方からも、そう思いました。「ヴェロキラプトルの新化石が発見されて復元図も変わったので、映画にもそのイメージの変化を取り入れた」と語られている新ヴェロキラプトルの姿は、ただ頭の上にピンピンッととげが生えただけですしね。

でも、最初のシーンでティラノサウルスがスピノサウルスにグキッと首を折られてしまった時は、がっかりしたなぁ。あれから、死んだティラノサウルスの遺児か亡霊が、きちんとかたきを取るという展開だったら良かったのにと、何回も思ったことか。

DVDジュラシック・パークIII(コレクターズ・エディション) 
 
(2001年、米国・ハリウッド映画、ユニバーサル社)(93分) ¥3,990
製作総指揮;スティーブン・スピルバーグ
監督;ジョー・ジョンストン
  出演;サム・ニール(グラント博士)
ウィリアム・H・メイシー(カービー工務店社長=お父さん)
ティア・レオーニ(お母さん)
トレヴァー・モーガン(男の子)

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