今日もいろいろ調査活動。
今回は、いかに災害の備えとしての共助を広げる仕組みを作るか、そのきっかけとなる福祉避難所について調べています。
阪神大震災から、防災や発災時の対策は大きく進んできたと思います。
ですが、そのたびに十分でないことがわかったこともまた一つ。
福祉避難所は今回の熊本地震で広く知られることとなりました。
それまで存在自体を知らない人も多く、それは一つの進歩かもしれません。
しかし、福祉避難所自体がどのようなものか、どんな役割を果たすのか、その備えはとなると課題も多くあります。
熊本でも、その一端が見えました。
そもそもは2月に福祉避難所の相談を受けていたのですが、代表質問など3月議会に囚われているうちに熊本地震が起きました。
ただ、そこで話を受けていたことはもとより、関係者の方々からお話も聞け、それの根底にある課題が見えてきました。
そのためにも形にしたい。
そうした避難所は当然いるわけですが、発災時は避難所に行くまでも含めて、公助はなかなか期待できないのも事実。
阪神のときは、東灘区とはいえ被害が少なかった地域であったため、基本は自助・共助でした。
ただ、自衛隊の方が給水車で来てくれたときは本当に嬉しかったですね。
同級生ともそこで会えましたし。
基本は自助・共助でありますが、基本的なレベルは行政が備えるのは前提ですし、また共助の仕組みを広げる支援においても
行政に役割はあると思います。
構想は出来てきたのですが、その下地作りは不足感が否めないところですが、追い込みをかけたいと思います。
今回は、いかに災害の備えとしての共助を広げる仕組みを作るか、そのきっかけとなる福祉避難所について調べています。
阪神大震災から、防災や発災時の対策は大きく進んできたと思います。
ですが、そのたびに十分でないことがわかったこともまた一つ。
福祉避難所は今回の熊本地震で広く知られることとなりました。
それまで存在自体を知らない人も多く、それは一つの進歩かもしれません。
しかし、福祉避難所自体がどのようなものか、どんな役割を果たすのか、その備えはとなると課題も多くあります。
熊本でも、その一端が見えました。
そもそもは2月に福祉避難所の相談を受けていたのですが、代表質問など3月議会に囚われているうちに熊本地震が起きました。
ただ、そこで話を受けていたことはもとより、関係者の方々からお話も聞け、それの根底にある課題が見えてきました。
そのためにも形にしたい。
そうした避難所は当然いるわけですが、発災時は避難所に行くまでも含めて、公助はなかなか期待できないのも事実。
阪神のときは、東灘区とはいえ被害が少なかった地域であったため、基本は自助・共助でした。
ただ、自衛隊の方が給水車で来てくれたときは本当に嬉しかったですね。
同級生ともそこで会えましたし。
基本は自助・共助でありますが、基本的なレベルは行政が備えるのは前提ですし、また共助の仕組みを広げる支援においても
行政に役割はあると思います。
構想は出来てきたのですが、その下地作りは不足感が否めないところですが、追い込みをかけたいと思います。