中村亮太の活動日記

加古川市のために走り回る中村亮太のブログです

格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下

2017-01-28 22:11:40 | 活動
ご案内を頂きまして、論語に学ぶ人間学講座の第二期へ。
今回はオープンセミナーで、第二期の正式スタートは3月からです。

今回は学而第一を流しつつ、曽子や子思から孝経・大学へと話を広げる形。
第二期は論語だけでなく、そこから流れをくむ書も触れるとのことです。

今回、心に残ったのは「大学」からの八項目
「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下」

古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。
その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、まずその心を正す。
その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。
知を致すは物に格るにあり。

という順で考えるとわかりやすいですが、天下を修めるにはまず国、その前に家、その前に自分自身。
自分自身を修めるには、心を正す、そのために誠意を尽くし、知識を蓄え、道理を極める。


その昔、修身という科目がありましたが、ここから来ています。
幕末・明治から戦前に至るところで、日本人的な素養が創られたのは、この点ではないでしょうか。

そこが「和」という日本人の精神性にも繋がっていくのだと思います。
ここが日本の強さでもあります。

そして戦後教育の中で失われた部分でもあるのでしょう。
戦後教育は全て否定されるものではありませんし、自由ということは人の基本です。
ただ、自由という中で、孝や忠恕というところが薄まってしまったこともまた一面かもしれません。

講師の三木先生も同様のことを仰られていました。

なおfreeを自由と訳したのは福沢諭吉氏ですが、「自由在不自由中」とも言われています。
その前文も含めると、「自由は我がままのように聞こえるがそうではない。他人の権利を害さない(迷惑をかけない)
上で、好きなことをできるということだ」ということですね。ざっとした訳ですけど。

この辺は今一度考えるべきかもしれません。

まあ、福沢諭吉氏は儒教批判をしていますが。。
その辺は私も詳しくないのでご勘弁を。

とはいえ、日本人の倫理観においては、儒教は大いに影響のあるものですし、古くても良いものは取り入れていきたい
ものです。

こうした講義をきくと、自身の勉強不足をヒシヒシと感じますねぇ。。

しっかりと通えればと思います!





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