【政界地獄耳】多様性の否定を声高に主張…「連合」崩壊加速か
★「ジェンダー平等」「多様性推進」が最近の連合の売りなはずなのに、連合新会長に就任した芳野友子は7日、初の会見に臨み、立憲民主、共産両党が政権交代時に共産による「限定的な閣外からの協力」で合意したことに対し、「連合はこれまでも共産の閣外協力はあり得ないと主張している」と支援母体の立場を逸脱。「現場では選対にも共産党(関係者)が入り込んで、立憲、共産両党の合意をたてに、さらなる共産党政策をねじ込もうとする動きがある。立憲には混乱がないよう選対をしっかりコントロールしてほしい」と政党が決めた方針を無視して多様性の否定を声高に主張した。
★連合は20年9月、次期衆院選について「共産党を含む野党共闘にはくみしない」との内容を含む基本方針を確認していることを念頭に、同席した会長代行・松浦昭彦は「推薦取り消しになるケースもあり得るが、そうならないようにするのが基本スタンスだ」と同調。「物差しで1メートル超えたらアウトか、50センチでアウトか。個々の候補者の動きを見て対応したい」とあたかも政党を指導するかのような上から目線の態度に終始した。連合とはそう言った高圧的な態度をとる会社に対して戦ってきた組織だと思っていたが、政党に介入して最近は恫喝(どうかつ)もするようだ。
★連合の前身、総評と同盟は当時の社会党や民社党への介入が著しく、人事にも口を出した。その教訓から連合は政党への政治介入をせずとしてきたはず。政党の路線決定が気に入らなければ支援しなければいい。国民も既に連合が労働者の代表などとは思っていないし、総選挙目前に就任会見で恫喝する会長に多様性の推進などできるとは思わない。立憲民主と国民民主に分裂した2党のおかげで連合自体が混乱していることはわかるが、既に民間労組系の一部は連合から分離し、第2経団連化を進めているようだ。この2党と組むより「自民党」や「上田新党」「小池新党」と組みたがっている勢力もあるようで、今回の総選挙は連合崩壊が加速する可能性を指摘する声も政界にはある。(K)※敬称略
◆共産党との連携を邪魔するなら立憲民主から去れ。
◆国民と組め!!!!!
労働貴族(読み)ろうどうきぞく(英語表記)labour aristocrat 英語
一般の労働者よりも特別に高い賃金と安定した社会的地位を得て、生活意識面でも小ブルジョア化した労働者層。労働者階級中のこのような特権層を基盤として労働官僚が形成される。労働官僚とは、労働組合、政党その他の労働者関係の諸機関の内部で指導的地位にありながら、労働者大衆から分離し、官僚化し、日和見(ひよりみ)主義的路線をとる幹部をさす。
帝国主義段階の労働運動の特徴を説明しうるものとして労働貴族論を展開したレーニンによれば、帝国主義の諸矛盾が激化するのに伴い、支配階級は、抑圧機構を強化する一方、他方では労働者階級内に特権層を育成することによって労働者階級の分裂工作を行うようになる。歴史的にみると、19世紀後半以降、イギリスをはじめとする発達した資本主義諸国の独占資本は、内外にわたる経済的・政治的特権を通じて膨大な特別超過利潤を獲得し、それを経済的基盤として機械工などの熟練労働者を中心とする上層労働者の経済的・社会的地位を向上させることができた。このようにして形成された労働貴族を基盤として労働官僚が、「労働運動の内部におけるブルジョアジーの真の手先、資本家階級の労働副官、改良主義と排外主義の真の伝達者」として機能することによって「ブルジョアジーの主要な社会的支柱」(レーニン)が確立されるに至った。
しかし、帝国主義諸国間の闘争の激化、国内矛盾の激化、社会主義的潮流の強大化などの結果、今日では、19世紀後半のイギリスでみられたような広範な労働貴族層を基盤とする安定した日和見主義的潮流の存在は不可能となった。とりわけ技術革新、生産過程の機械化・自動化の結果、特殊な熟練に基づく19世紀的労働貴族層の地位は決定的に低下した。しかし他面では、労働者諸組織の量的成長、国家の経済的活動分野の拡大などが、多くの労働官僚を生み出す基盤をつくりだしている。[富沢賢治]
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『チャンネル桜』に出演した際のすぎやま氏
作曲家のすぎやまこういち氏が9月30日に敗血症性ショックのため亡くなっていたことが昨日7日、わかった。人気ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽をはじめ、「学生街の喫茶店」や「亜麻色の髪の乙女」「恋のフーガ」「花の首飾り」などのヒット曲も手掛け、ゲーム音楽や歌謡史に大きな功績を残した。
だが、すぎやま氏といえば、そうした輝かしい功績の一方で、歴史修正主義などの極右思想の持ち主としても活発に発言をおこなってきた人物でもある。すぎやま氏はのちに「LGBT に生産性がない」という差別論文で大きな批判を浴びる自民党の杉田水脈・衆院議員の同趣旨の性差別発言に「ありがたい」「正論ですよ」などと同調したり、「慰安婦は強制ではない」「南京虐殺はなかった」といった主張をおこなってきた(詳しくは過去記事参照→https://lite-ra.com/2021/07/post-5961.html)。
本サイトでは、「ドラゴンクエスト」の代表曲「序曲:ロトのテーマ」が東京五輪大会の開会式で採用された際、すぎやま氏の性的マイノリティに対する差別を是認する態度はオリンピック憲章に掲げられたあらゆる差別の禁止に反するものであり、さらに先の戦争における加害責任を否認し人的損害を矮小化しようとする歴史修正主義は国際的にも許されるものではなく、開会式での楽曲使用を厳しく批判した。
そして、今回の訃報を受けて、ネット上でもこのようなすぎやま氏の言動について、あらためて批判をおこなう投稿も見受けられたが、案の定、それらに対して「死者への冒涜だ!」という非難や怒りの声があがっている。
亡くなったこと自体を喜ぶような言葉を投げる行為は下品、下劣極まりないが、それと生前の発言について批判をおこなうことは意味がまったく違う。政治家や学者、芸術家らが鬼籍に入っても、過去の言動や表現、作品をきちんと検証・批判するのはむしろ当然の行為だ。
しかし、このような筋違いの非難が起こるのも当然なのかもしれない。というのも、肝心の国内の大手メディアが出したすぎやま氏の訃報記事は、その功績を取り上げるだけで、負の側面についてまったく触れていないからだ。
たとえば、「ネトウヨ新聞」である産経新聞は「言論活動でも存在感、私財投入も」と題して、すぎやま氏が極右思想の持ち主としておこなってきた活動を大きな功績として紹介し、櫻井よしこ氏の「歴史問題をめぐり、日本が国際社会でおとしめられているのに唯々諾々として反論しない状況に、すぎやまさんは『僕は悔しくてたまらないんだよ』とおっしゃっていた」という談話を掲載。この櫻井氏のコメント自体がすぎやま氏の歴史修正主義者としての有り様をよく示しているとも言えるが、一方、毎日新聞の訃報記事は、功績を大きく紹介したあとで短く〈改憲推進団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人を務めるなど、晩年は保守系文化人としても知られた〉と言及しただけ。朝日新聞も〈右派の論客としても知られ、意見広告やコラムなどで積極的に発信を続けた〉、読売新聞も〈社会的な問題への関心も強く、「一票の格差を考える会」などの活動を行った〉とし、差別発言の是認や歴史修正主義については触れようともしなかったのだ。