川端清隆 福岡女学院大学教授 「国連と日本人」(14) 2016.11.18
2016/11/21 に公開
Kiyotaka Kawabata, professor, Fukuoka jo gakuin university
国連職員として25年間、安保理運営や地域紛争調停に関わった。「P5は政治的背景があり組み換え困難」「日本政府は国連日本人職員の戦略的意味を理解していない」「国連PKOにとって高練度の自衛隊はぜひ必要。日本ではPKOと自衛権が混同されている」
司会 土生修一 日本記者クラブ専務理事
http://www.jnpc.or.jp/activities/news...
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記者による会見リポート
国連好きで、国連を知らない日本人?
「日本人ほど国連が好きで、日本人ほど国連を知らない国民はいない」
「国連中心主義はお飾りで、本音は対米協調一辺倒ではないか」
冒頭、刺激的な問題提起を行った。
川端清隆さんは、日本での記者経験を経て、1988年に国連本部政治局政務官に。以来、2013年までの25年にわたって国連職員として勤務。その間、国連本部の安全保障理事会や、PKO、安保理改組(川端さんは「安保理改革」や「日本の安保理常任理事国入り」といった言葉をあまり使わない)、ルワンダPKO、アフガニスタン和平交渉、イラク問題など、一貫して、世界の平和と安全保障の問題に心血を注いだという貴重な経験の持ち主だ。
国連事務総長と日本の外務大臣との会談の場に同席し、日本が国連に何のメッセージも発しないことに驚き、国連を世界政府や準世界連邦のような存在だと勘違いしているのではないかと疑問を抱いたという。
徐々に変わってきたが、国益のために国連を使うという発想が乏しい。二国間主義外交が主流。同じ「平和」という言葉を使っていても、日本と国連本部では意思疎通が難しい。多国間主義の発展、進展のために日本は何ができるのかを考え続けていたからこそ、日本の国連認識が「いつまでたっても、深まらない」ことにいらだちを抱え、その原因を探り続けていたことがうかがえた。
日本と国連の関係にとどまらず、この日の記者会見の主題は多岐にわたった。
2017年1月に発足する米国の次期トランプ政権の対国連外交、国連政策はどうなるのかを問われれば、国防長官としての入閣が取りざたされているジョン・ボルトン氏が米国の国連大使だった頃の言動を振り返った。
同じく2017年1月に就任する次期国連事務総長のアントニオ・グテレス氏については、国連難民高等弁務官だった彼がどう選ばれたのか、さらに、10年前に潘基文(パン・ギムン)氏が、どのような国際政治の力学で事務総長に選ばれたのか。その結果がどうだったのかに言及。ここでも日本の役割に苦言を呈した。
国連平和維持活動(PKO)に関しては、駆けつけ警護の任務が初めて日本の部隊に与えられたことに関連し、自ら国連大使らとともに南スーダンの首都ジュバに各国の国連大使と2度訪問した経験にも触れながら、「どうしようもない状況」を「これとこれをやれば何とかなるという目算があるPKOではないだろう」と分析。また、国連憲章にも定められていない国連PKOという存在がどう変化し、発展してきたかを説明した。
アフガニスタンに関しては「掘れば掘るほど、根っこが」と、問題の深さ、根本的な解決の難しさを訴えた。
いずれも、自らの体験、国連内部での見聞をもとに語ったが、日本と並んで多く言及されたのが米国だった。
「米国人ほど国連が好きで、米国人ほど国連が嫌いな国民はいない」として、米国が国際連盟や国連の生みの親であることは間違いないが、自国の利害と対立しかねない世界政府的な存在には強い抵抗感を示し、国連とも対決することがあると分析。
自らも、アフガニスタン和平では米国の全面的な支持を受けて仕事ができたが、イラク戦争をめぐっては米国と国連が激しく対立したことを体験させられたと紹介した。
国連勤務時代の川端さんは、日本をはじめ、世界各国からの記者とのつきあいも幅広かった。筆者も、ニューヨーク特派員として国連取材を担当していた当時、ひとかたらならぬお世話になった。この日の記者会見でも、かつて川端さんを現場で取材した経験者が目立った。
朝日新聞社オピニオン編集部(元ニューヨーク特派員)
池田 伸壹
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