サッカーとは全く関係のないネタです。
よくYoutubeにアップされている日本の映画やアニメを見る。外国人がアップして英語、ドイツ語などの字幕をついた作品のほうがフルバージョンでアップされているので重宝する。しかし古い作品、外国人受けする作品(北野、大島など)が多い。
その中でドイツ人がアップしたらしいドイツ語字幕付きの「カラフル」を見た。けっこう面白い作品だが、この中で中学三年の主人公が友達と東急砧線の跡地を歩いてめぐる場面がある。この砧線について講釈してみた。
この路線は二子玉川から砧本村まで走っていた玉電の支線で、まだ走っている世田谷線も支線のひとつである。筆者は小学校六年から中学三年までこの砧本村に住んでいた。砧本村という地名はないし、実際に砧公園がある砧まではかなり遠いので、どうして砧本村なのか知らない。筆者が住んでいたころはすでに砧線はなく、バスターミナルであった。
今はどうか知らないが、世田谷区の中でもこの砧本村周辺は多摩川の土手っぷちにあり、まだ田畑が点在してかなり田舎だった。大きなスーパーも二子玉川か成城学園駅周辺まで行かなければなかったので、地元の商店街で食料品、日用品を買っていた。
学校の同級生にも寿司屋の息子、牛乳屋の息子などがいて、まあかなり田舎だった。しかしそれでも世田谷区内だったのである。
中学校は自宅からバスで通学していた砧中学。この当時は一学年に11-12クラスもあり、全体で1000生徒を超えるマンモス中学で、世田谷区の中学生の3分の1くらいをこの中学で占めていた。その後に分校や少子化の影響でかなり少なくなったことでしょう。
この中学が高級住宅地の成城のはずれにあった。普通の公立中学だったので生徒は全く高級ではなかった。学校の周辺に東宝などの撮影所、円谷プロなどがあり、筆者の住んでいた周辺でもテレビ、CMなどの撮影がよくあった。
世田谷区の田舎であるのに、普通に歩いているとロケ最中の芸能人を見かけるような不思議な地域だった。どうなってるかなあ、砧本村。しかしこのネーミングは本当にダサい。
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