昨日は、記事更新ができませんでした。私は看護師ですが、昨日は夜勤明けで、爆睡しちょりました。(爆笑)
齢50を超えると、なかなか無理はできなくなりますね。(笑)
さて大川隆法幸福の科学グループ総裁は、昭和31年生まれですから、もうすぐ還暦です。
昨今の大川隆法総裁のお元気さといったら、常人とは思えません。(笑)
しかし大川隆法総裁がお元気になったのは、50歳を超えてからなんですね。
そこには幸福の科学の、ヒストリア(歴史秘話)がございます。
つまり大川隆法総裁という方の、人柄そのものが作った歴史が幸福の科学の歴史です。
幸福の科学の歴史から抽出される大川総裁のお人柄は、全く私心がないということです。
それだけは間違いのないことです。
私心にまみれた私ならば、判断に迷う岐路において、大川総裁のような決断はできないです。(笑)
しかし大川隆法総裁は、ご自身が住まう教祖殿建立を頑なに拒み、まず信者職員の研修施設を建てて、それを総本山化しました。
それが栃木県宇都宮の総本山正心館で、その他を含めて、栃木県に総本山研修施設が4館あります。栃木県は東京の東北にあり、東京の結界だと思います。
総本山が結界だと思うのは、大川隆法総裁と栃木県に、地縁がないからです。
幸福の科学正心館第1作 総本山宇都宮正心館 http://happy-science.jp/activity/shoja/
その他、聖地四国正心館を含め、前世紀に建てられた幸福の科学の正心館は、すべて地方の東北部に位置し、これらはやはり、光の結界の要素が強いと思うのです。
現実に大川隆法総裁一家は、ギリギリまで宇都宮に賃貸マンション住まいでした。信者では、大邸宅に住んでいる人もいるというのに。(爆笑)
大教団の教祖一家は賃貸マンション住まいというのは、宗教では異常な歴史です。これはご自身を、結界の一部にしていたとしか考えられないです。
1999年に念願の教祖殿、大悟館入りした大川隆法総裁ご一家。
「これで教祖様ご自身に、よい環境が与えられたのですから、もっとお働きになっていただける」と、私は簡単に考えておりました。
しかし世紀が明けてからの大川隆法総裁は、今から思えば、何かお元気なかったように見えました。
ご講演も、大会場を使ってのものは激減し、正心館や総合本部ビルを使っての、ビデオ公演のような形での開催が増えました。
総本山未来館 栃木県宇都宮市 http://happy-science.jp/activity/shoja/
そして総裁のお声も、今から思えば、絞り出すような感じで、前世紀のような、はつらつとした若々しさが薄らいだのです。
当時の大川総裁の年齢は、まだ40代半ばだったと思いますが、私はそう感じておりました。
今から思えば前世紀末に、大川隆法総裁は、相当のエネルギーを消耗なさったのだと思います。
「大川隆法総裁は、1999年ノストラダムスの予言回避に命を削っていた」と思います。
そして2004年、大川隆法総裁は、心臓麻痺で倒れました。それまでの激務が祟ったのです。
総裁の心臓は、医学的には心房細動とか心室細動と呼ばれる状態で、完全には動いておらず痙攣のように動いてはいるけれども、血液を全身に送るポンプ機能がないので、現実的には心停止状態だったのです。
しかし大川隆法総裁は、医学的には完全に亡くなっている状況にもかかわらず、生きていらっしゃるのです。現に今でも総裁の心臓は、ちゃんは動いていないかもしれません。(笑)これは、医学界の奇跡でした。この、「心臓が止まっているにもかかわらず、元気に生きている人。」という演目で、大川隆法総裁は、世界に医学論文で発表されているのですね。(笑)
後日その件について、総裁、至極あっさりと曰く。
「医者が何と言おうと、使命のある者は、死なないんですよ。」「あーはははははははは。」
と一笑でした。(笑)
大川隆法総裁が、心臓麻痺で集中治療室での治療を受けていた時の、エピソードが伝わっております。
倒れた次の日総裁は、すでに食事が取れるほどに回復なさっていました。(心臓が止まっているにもかかわらず食事!)
「ああ、美味しかった。」と合唱し、食事を終えた総裁は、おもむろに筆記用具を取り出し、次々と執筆活動を始めたのです。
それが、今幸福の科学の月刊誌の冒頭に載っている、オープニングメッセージなのですね。
http://info.happy-science.jp/magazine-class/happy-science/
そして総裁は、以前のご著書「太陽の法」で書いてある、ご自身が亡くなると予言された期日までの月刊誌オープニングメッセージを、すべてこの、危篤状態のときに書き上げたのです。
そのお心は、もう推測する以外にないのですが、総裁はこのときに、ご自分の死を覚悟なさったのではないでしょうか?
「万一今、自分が亡くなっても、人類が路頭に迷わないように、せめてオープニングメッセージだけは残しておきたい。」
そういったお心で、危篤状態でオープニングメッセージを、書き残されたのではないでしょうか?
つまり、毎月私たちが触れることができる、月刊誌のオープニングメッセージは、大川隆法総裁の人類への遺言なのです。
毎月この月刊誌の到着を、心から楽しみにしていらっしゃる80代のご婦人が、僕が担当している地区にいらっしゃいます。
その方はこう言って、入会してしてくださいました。
「この月刊誌の、最初のお言葉(オープニングメッセージ)が大好きなのよ。大川先生はお若いのに、先生のお言葉は、死んで行くだけの私たちより深いものがある。私はこの最初のお言葉を読むと、何も怖くなくなるの。私は、大川隆法総裁の大ファンよ。」
命を削り、財産を投入し、自らを光の結界にしてまで、1999年の破滅回避を試み、そして死の間際においても、「せめて人類に遺言を」と思われるこの御仁が、大川隆法幸福の科学総裁です。
そして2004年に心臓麻痺で倒れた大川総裁は、死というものを強く意識なさったと思います。
実はそれが、その後に始まる、全国支部巡錫(じゅんしゃく)のきっかけだったと、その後のご講演で大川総裁は仰っています。
大川隆法総裁曰く。
「どうせ死ぬのなら、せめて全国の信者さんの、お顔を見ておきたいと思った。」
という動機から、総裁の全国の支部巡りが始まったんですね。
ご自身の死を意識した、大川隆法総裁のお心残りは、「自分を信じて、盛り立ててくれた信者さんと、これまで身近で語らったことがなかった」 ということだったのです。
ですから、誰に何と言われようと、総裁は巡錫をお止めになりませんでした。それはそれは、強い強い決意で、総裁は全国中を回ったのです。
総裁の、お体を気遣う人もいたはずです。
また総裁のお仕事の質からすれば、せいぜい数百人程度しか入場できない支部単位での御説法など、費用対効果だと必ず赤字になるはずです。そういった運営面で反対意見は絶対にあったはずです。なぜならば、総裁は一日で本一冊分の霊言を降ろしたり、一日に何冊分の書籍の監修をしたりなさる方だからです。
万の単位での大講演会ならばいざ知らず、到着するのに半日以上かかったり、前泊しなければならない遠方地などの支部巡錫など、経営面だけで見れば、絶対に割りが合うはずがありません。しかし、当時の教団幹部の眼を盗んででも、ご家族に内緒でも、総裁は支部巡錫を続けました。
ですから総裁の支部巡錫は、いつもある日突然に、電撃的に行われていたはずです。休日とか平日とか、お構いなしでしたよね。
平日の朝、「今日そちらに、大川隆法総裁が伺います。」と言われ、急遽支部信者さんに連絡を取られた支部長さんも多かったとお聞きしています。
「前もって、総裁が来ることがわかっていれば、もっとお誘いできたのに。」そうお思いになった方も多かったと思いますが、計画的に行えば絶対に反対されるので、全国200箇所と言われる、総裁の巡錫のほとんどすべてが、宗務の側近中の側近を連れ添ってのみの、お忍びで敢行されていたのです。
これは総裁が、「信者さんに合わなければ、死んでも死に切れない。」と、切にお思いになったからなんです。
どうですか、皆さん。
皆さんなら、「どうせ死ぬ。」という場面に直面したときに、一体何が心残りで、何を成したいと思いますか?
たった一つ、死ぬ前のわがままが叶うならば、一体なにをなさりたいですか?
その答えこそが、その人のすべてを現すのではありませんか?「あれを食べたい」とか、「しこたま酒を飲みたい」とか、「きれいなおねーちゃんと、あんなことやこんなことがしたい」とか。(笑)
ねー、いろいろあるかと思います。
「お前(ばく)は何がしたいか」って?そんなことは、恥ずかしくって言えませんよ。(爆笑)
ともあれ、心臓麻痺で現実に倒れ、激しくご自身の死を意識した大川隆法総裁は、
「誰に何と言われようと、信者さんに直接合う」「信者さんに直接合って、直接話をしたい」「これだけは、絶対にさせてもらう」「でなければ、死んでも死に切れない」 と決意なさったのです。
そう、幸福の科学の歴史に実在する、総裁の全国支部巡錫の歴史は、大川隆法総裁の人生で、最初で最後のわがままだったのです。
もちろん高知支部にも、大川隆法総裁は来ました。http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/4e88878195cd0b0197263c099edfc9eb
幸福実現党の突然の立党など、あっと驚くようなことも、幸福の科学にはありますが(笑)、それは仏陀救世主としての、仕事レベルでのご判断ご決断であって、総裁のワガママではないのです。
病み上がりの体でしんどくても、行けば大赤字だとわかっていても、ご家族や幹部職員が大反対でも、それでも総裁は、最後まで支部巡錫を敢行なさいました。
結果的に、病み上がりの体を押しての全国行脚で、総裁は体調を回復なさったのかも知れません。
「もうどうせ、僕は死ぬのだから、最後のワガママは貫かせてもらう。」という思いは、誰にでもあると思います。
大川隆法総裁の場合、その最後の願いとは、「信者さんに直接合って、直接話がしたい。」 だったのです。
私は思うのです。我々信者はもう、十分に神仏に愛されたと。
「人生の最後に、信者さんと直接合って話がしたい。」と願う御仁の信者になれて、私は本当に幸せ者です。
12月15日に迫った、本年のエル・カンターレ聖夜祭で、お会いすることが楽しみです。
(ばく)
幸福実現党、福岡2区 大川隆法総裁の天神での街頭応援演説
2015年エル・カンターレ祭
御法話演題 大川隆法総裁「信じられる世界へ」
本会場 幕張メッセ
衛星中継会場 高知県立美術館ホール
開催日 12月15日(火)19時~
当日同会場にて、13時~と15時40分~の2回、映画「UFO学園の秘密英語版)」上映
問い合わせ 088-882-7775(幸福の科学高知支部精舎)
桜さんところが低アクセスなんて・・・、だとすればここはどうなるのでしょう?(爆笑)
お返事が遅くなって申し訳ありません。
PCの関係で、ここまでなかなかたどり着けなかったのです。
信仰者には、生老病死に打ち勝つという、新たな修行課題ができたかも知れませんね。
60過ぎてもパワフルな時代ですから・・
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/70cf7d2dbf29c60d546214041ddfc91a
協力者も現れて。。だからマイペースで頑張ってね。