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今生きている私自身は、どちらかというと霊的なものを嫌うというか、自力(自我力?)傾向が強く、霊的なものにすがりたいとは思わない人間です。
ですから、守護霊がいるということは信じていましたが、どちらかというと、出合いたいとは思っていませんでした。
でもまぁ、二人の魂の兄弟の性格も正反対で、「バランスを取っているのかな?」という学びにはなりました。
今回はその続きです。
そのときの体調は最悪でした。
この日も腰痛がひどく、私は講師の方に許しを得て、横たわって四禅定を受けていました。
腰痛のため、禅定ポーズが取れず、瞑想は絶不調でした。
そして件の、第四則『守護霊との対話』になりました。
今まで感じたことのない感覚がいたしました。
「前世・前々世がきてくださるのかな?」「何か違うな?」と思いつつ、「とにかくリラックスしなくっちゃ。」と、心を静めようと勤めましたが、どうしてもできません。
「絶不調だから仕方ないか。」と諦めかけたその時、突然彼が来たのです。
それは
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前々々世
前々々世
感じからして、明らかに少年です。
文章で説明すると、そう・・・、『トイレに付けた100ワットの電球』みたいな感じでしょうか。(爆笑)
陽気すぎて、うっとおしいのです。(大笑)
「ここは神聖な場所である。」
と、思わず私は、心の中で言ってしまいました。(笑)
腰痛がひどいので、悪霊が来ていると思ったのです。
前々々世
「君は、支部活動では、お笑い担当なんだろー。」
「僕が大阪から帰って来た時、地元支部はとても暗かった。」
「だから、仕方なく始めたんだ。」
前々々世
「お前(ばく)が、お笑い担当をするのじゃ!ってネ。アハハハハハハ。」
「といことは、僕は、お前のようなキャラでの、人生経験がある訳?」
前々々世
「だって、そうじゃなかったら、普通はそんな風には、ぜ~~ったいに、考えないだろうー?」
ばく
「そう言えば、そんな人、一度も見たことない・・・。」
前々々世
「ハハハハ。じゃあ、よろしくね!!v(^v^)」
しばらく、琵琶湖正心館礼拝室で、私はパニック状態でした。(笑)
自分がド偉い過去世でないことは、承知はしてはいたけれど・・・。
宗教では大切な心の静寂とは、全く無縁の「ミオーレ・アモーレ・・・」な、イタリア人がいるなんて・・・。(苦笑)
直前過去世で女性が出てきた時は、まぁ何とか受け入れましたし、守護霊対面と同時に、ダメだしチェンジしたときも、なんとか現実を直視しました。
しかしこの、超~ハイテンションな、そしてこの妙に馴れ馴れしい、「イタリアの少年」の存在を受け入れるのには、相当時間がかったように思えました。
(この世の時間的には、一瞬だったと思います。)
自分が現れたことで困惑している私の姿に、このイタリアの少年霊は、とても悲しい雰囲気になりました。
そして彼は、困惑している私に対して、あるビジョンを見せてきたのです。
それは、この陽気なイタリアの少年の、とても辛く、悲しい人生の映像でした。
映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』イメージソング「秘密の変身」【映画本編映像入り】
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霊界に関して、私がみなさんに述べておきたい点は、「この世も霊界の一部である」ということです。
一般には、「あの世が霊界で、この世は現実世界、物質世界、三次元世界である」と言われます。また、便宜上、私もそのような言い方をすることがあります。しかし、この世は霊界とまったく区別された世界ではなく、実は霊界の一部なのです。
みなさんの肉体のなかには等身大の霊体が入っています。また、この世においても、霊的な法則がかなり働いています。
たとえば、みなさんは他の人の心をある程度は読むことができるでしょう。親しい友人同士や夫婦のあいだでは、表情のちょっとした変化や身振り、言葉の端などから、相手の考えていることがパッと分かるでしょう。これは霊界の姿と同じなのです。
霊界では、相手の考えていることが、四コマ漫画の台詞でも読むように、自分の心のなかにポンと入ってくるので、実際に言葉をかわす必要はありません。
同様に、この世においても、ある程度は以心伝心で相手の考えが分かります。合理的な根拠は何もないのに、他の人の考えがなんとなく分かることがあるのです。しかも、相手がそのとき考えていることだけでなく、「この人は以前、こういうことをしたに違いない」と、その人の過去まで分かることもあります。
これは地上の人間が持っている霊的な側面なのです。
このような例はまだあります。たとえば、離れた場所にいる人のことが非常に気になる場合、ちょうどそのころ、その人が病気だったり亡くなったりしていることがあります。また、「あの人にどうしても会いたい」と思っていると、どこかでその人と出会うことがあります。
あるいは、自己実現の法則のようなものがあって、何かを強く念じつづけていると、そのとおりの人生が開けてくることがあります。
このように、お互いの心がテレパシーのごとく通じ合ったり、思いが実現したりすることを見れば、この世にも霊界的側面のあることが分かるでしょう。
霊界の法則は、この世においてもきちんと働いています。この世では、あの世に比べて妨害が入りやすいため、その働きがやや緩やかなものになっているにすぎないのです。
『繁栄の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P95~97
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亡くなる人は、実際には、お年寄りが圧倒的に多いわけです。そうすると、「死んだ当時のままの意識でいる」ということならば、あの世の世界は“老人天国”になってしまいます。
これは、あちこちに養老院(老人ホーム)が立っている姿そのものであり、私たちが考えている天国の風景とは違います。決して、それが悪いとは言いません。ただ、一般に言われる天国の姿と違うのは事実です。
実際は、どうなるかというと、地上を去ってしばらくの間、地上的属性を拭い去るための期間があります。
これは人によって違い、ごく短期間で終わる人、三日ぐらいで終わる人もいれば、もといた世界に一直線に還る人もいますが、平均的には、だいたい三年ぐらいです。三年ぐらいは、どこかで、地上の垢を落とすための修行をします。
そのときに、自分の魂の本質というものを知るようになってきます。
そのあと、「霊的存在であるとは、どういうことか」ということを、守護霊や指導霊から教え込まれます。
そして、「霊界においては自分の姿形を思いのとおりに変えられる」ということを教えられ、実体験をして、それを学びます。
例えば、洋服も、「こういうものを着よう」と思えば、その思いのとおりのものを出せるようになるわけです。そういうことを実体験で教えられます。
これを学ぶのに、平均的には、地上時間で三年ぐらいかかるのです。
それからあとは、姿としては、各人が望む状態になれます。年齢のいっている姿が好きな人は、そういう姿でいますし、若い姿が好みの人は若い姿でいるのです。
『霊的世界の本当の話』(大川隆法著 幸福の科学出版)P36~38
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