そこで前回記事では、栃木県宇都宮にある幸福の科学の総本山、正心館(しょうしんかん)の四禅定(しぜんじょう)でわかった、私の過去世との対話をご紹介しました。
「ど田舎のブログ編集長の個人的な霊体験など、誰も興味ないじゃろう。」と思うちょったのですが、思いがけずご好評のようで、今回も前作の続編です。
なお、この一連の記事には、創作は一切ありませんので、あしからず。
創作ならば、もっと偉い過去世とか、「お前には、大きな使命があるのじゃ!」とか、そのようなワードがあろうかと思いますが、私の過去世はいたって普通の人でした。
さて、そろそろ本題に。
その時、変わって現れた前々世霊は、『武士』でした。
この人は、前世の女性のように多弁でもなく、人当たりの良さは、全く!感じませんでした。(笑)
そして、武士と言っても、戦人(いくさびと)ではありません。
時期は江戸時代。
『土木担当者』、彼からはそういう思いが伝わってきました。
私は昔から、本来ならばもっと興味を持たなければならないはずの宗教や医療よりも、地理・地質・歴史・気象・化学・産業、そして乗り物などの機械全般が好きでしたが、私がそういった、社会科や都市作りに関する知識、そして、工学方面に強く興味を持つのは、この土木担当者系の武士霊が、私の魂の兄弟にいることが強く影響しているのだと、この時知りました。
日照りの日に、田畑を見回る。
堰(せき)や港を造る。
工事の計画を、文字のわからない当時の作業人の方たちに、絵や身振り手振りで伝える。
作業に必要な知識を、作業する人たちに、随時教えて確認する。
そういったイメージだけが、次々と送られてくる感じですね。
そしてどうやらこの兄弟、ワーカーホリック(仕事中毒)の気があるようでした。
彼は、全く家に帰っていないような感じです。
彼は人生を通じて、ほとんど、家庭を顧みなかったのではないかと推測しました。
何でも自分でやってしまわないと気が済まない。
人に調べさせたことを、もう一度、自分で確認する。
そういった、完全主義的な一面があり、かなりオーバーワーク気味です。
恐らく家庭を顧みなかった人生を反省し、その次の転生で、田舎の女性として、「家に縛られて生きる人生を選択したのではないか?」と想像した次第です。
今もこの魂の兄弟が、私の守護霊役をやって下さっているように思います。
特にブログで、政治系の記事を書く際には、強い影響を与えているのは、ほぼ間違いないと思います。
何せ、土木担当者ですから。(笑)
ただ、この魂の兄弟。
土木系の魂だからか、大きな判断しかできないようなのですね。
そして、どうも家にいることがとても嫌なようで、ブログで政治系記事を書いていたら、おうちに帰りたくなくなるのですよ~。(爆笑!!)
「時間があったら、何かをしていたい。」
これは恐らく、この魂の兄弟の影響だと思うのですが、ただ、彼(武士の魂)の影響が強く出ると、現実の仕事や家庭に差し支えると思われるキャラクター(笑)ですので、「できる限り、今地上にいる自分自身の努力で、物事を処理していきたいものだ。」と、この魂の兄弟を見ていると、そう強く思ってしまいます。(爆笑)
彼(前々世霊=現在の守護霊?)は、時折夢に出てきます。
私も気持ちは同じです。
魂の兄弟、力を合わせて《主の理想を我が理想》として、頑張って行きたいものだと思います。
さて、ご紹介した私の前世、そして前々世は、客観的に見ても、とても真面目な性分ですよね。
それだけだと、私の、そう、限りなく、お笑いを愛するキャラクターが説明できません。(爆笑)
実はもう一人、リサーチできているのです。
また機会があれば、私の前々々世の、笑いと涙の物語をお届けできればと思います。
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地上にいるときには、赤ん坊として生まれ、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、勉強しながら大人になり、やがて歳をとっていくという人生経験を誇っているわけです。しかし、あの世に還ってみると、ほんとうの人生経験というものは、それほど短いものではないことが分かります。
しかも、それは数千年、数万年といった程度ではなく、百万年でもありません。もっともっと古いものです。数千方年、数億年の歴史を、みなさんの魂は刻んでいます。あの世に還ると、こうした過去世の記憶が戻ってきます。そして、「はるか昔から自分は人間として生きてきたのだ」ということを知るのです。
ただ、地獄にいる人たちには、過去世の記憶がなかなかよみがえってきません。地獄は非常に苦しく厳しい世界であり、現在ただいまにおいて苦しみが多いと、過去を振り返ることがなかなかできないからです。
たとえば、歯痛のために七転八倒の苦しみをしている人に、「自分の過去を思い出してみなさい。過去を反省してみなさい」と言っても、そう簡単にはできないでしょう。それと同じく、苦しみのなかでのたうちまわっている地獄霊にとっては、ほんとうは過去世の記憶をひもとくことが可能であっても、事実上、できないのと同じなのです。
一方、天国に還った人たちには、過去世の記憶がよみがえってきます。
といっても、過去世を思い出す能力には人によって差があります。平凡な人間として生き、あの世に還った人の場合は、せいぜい一代か二代ぐらい前のことが、かすかに思い浮かぶにすぎません。それは、「はるか昔に、そうしたことがあったな」という程度の記憶です。
しかし、さらに上段階の霊に進化していくと、過去世のことをもっと明確に思い出すことができます。菩薩は数万年ぐらい前のことまで思い出すことができます。如来になると、もっと昔のことまで思い出していくことができます。如来は数十万年、あるいは百万年ぐらい前のことまで、思い出そうとすれば思い出すことができるのです。
そして、九次元の大如来になると、天地創造のころからの話を思い出すことができます。「はるかなる数億年の昔に、どのようにして自分たちが生まれ、どのようにして地球が生まれ、どのようにして人類が進化してきたか」ということを、一つひとつ思い出すことができるのです。
このように、過去世の記憶を思い出すといっても、その霊の置かれた立場によって、思い出す領域が違ってきます。
これは展望台に登るのと似ています。高い展望台に登れば登るほど、遠くまで見渡すことができますが、展望台が低ければ近いところしか見えず、地下室に降りてしまえば何も見えません。これと同じです。
地下室、すなわち地獄にいたのでは何も見えませんが、高く登れば登るほど、遠くまで見ることができます。つまり、大昔まで思い出すことができるということです。
『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P53~57
千眼美子(清水富美加)の凛々しきエクソシスト姿/映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密−The Real Exorcist−』予告編
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