怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

サッカーテレビ画面に現れる中国語広告に日本の凋落を感じる。

2018年06月19日 | 日本
サッカーワールドカップをテレビで観ていて、試合内容より気になるのはピッチを囲む広告だ。
中国語の広告ばかり目立っていた。彼らの広告は変にアルファベットにせず、漢字をそのまま使っていることだ。
日本の多くの企業が「Honda」「Yamaha」などのようにしていることと比較すると、自らの文化にゆるぎない自信を持っているのか、と恐怖さえ感じた。単に、中国語母語の人々を対象にした広告にしては、中国がワールドカップに出場していないことを考えると非常に奇妙にも思える。

その数日前に古本屋で見つけた古い一冊。

このタイトルに、赤面するほどの衝撃を受けてしまった私。
「アメリカへの教訓」って・・・。今ではそんな考えを思い至らないだろう。

発行年は1980年。ああ、昔々の栄光だなあ・・・

マレーシアの友人から送られてきた画像。紙幣で作った粽型の飾りだ。え?今頃、粽?

はっと、気付いて検索すると、やはりその日は旧暦の5月5日だった。
友人が手にしているのは、頂き物の巨大粽。ああ、おいしそうだなぁ。

中国大陸だけでなく、中国人移民が根付いた多くの国や地域で、中国発祥の古い習慣が守られていることを感じる。

百数十年前に近隣諸国と同じ暦を捨て、欧米に追いつけ、追い越せと努力してきた日本。古来からの伝統行事(その多くは近隣諸国からの輸入物であるが)も欧米カレンダーに合わせて祝う奇妙さ。
最近では夫婦別姓をなかなか法律的に認めないのは、周辺諸国と同じ習慣にするのを深層意識の部分で拒んでいるのかと私は予想する。
そんな努力をしてきても、時代の流れには逆らえないのだろう。
この現実の世界のあらゆる事物は,さまざまな直接的・間接的原因や条件によってつくりだされたもので,絶えず変化し続け,決して永遠のものではない、と言われるところのものだ。
数週間前に、数人いる近隣台湾人知人のひとりとこんな風に語り合ったものだ。
「私たちが子供の頃、中国が金持ちになるなんて想像できなかったねぇ」

中国の発展をワールドカップと6月18日の粽に見てしまったのは、世の中広くても私だけかもしれない。(特に、粽ってところが。へへ)