怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

トルコ人家庭のイフタールに招かれる

2018年06月14日 | 交友関係
ラマダン終盤に近いその日、ちょいと親しくなったトルコ人難民C子さん宅のイフタール、日没後の食事に招かれた。

食事の開始は日没にあわせ、9時半近かった。7歳と5歳の子供たちも一緒に食事をした。
親は寝かせたかったのだけれど、来客があると知って起きていたかった様子だ。
始まりはトマトのスープ。スープの向こうには、これまで私がここで食べてきたトルコ料理が並んでいた。
トルコ料理はあまり種類がないのかな、と思ってしまった。

手前の黒っぽいのはナスにひき肉を辛く味付けしたものを載せて焼いたもの。
右は鶏肉のドネル(こちらではデューナー、と発音されるようだ)。
上には小さいパスタを混ぜた米飯。向こう左側にはパン、右にはナツメヤシの実が見える。
断食後の食事の前には、まずナツメヤシの実を食べる、と聞いているので、このときもそうした。
C子さんも旦那さんも子供たちも食べていなかった・・・・

「もっといかがですか」と尋ねられたので、持ち帰ることを希望した。
彼女のタッパー(本当にタッパーウェアの製品だった)に入れてくれた。へへ、明日の外出時の弁当にしよう、と嬉しく思った。

食事が終わったのは10時過ぎで、それからトルコ風紅茶で旦那さん、C子さんと語り合った。
彼らは政治難民(政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるため、居住する国から逃れた人)だ。言論の自由がないトルコを嘆いていた。知人友人の多くが投獄されたり処刑されたりしている。
これから長くトルコに帰省することはできないらしい。
足元のじゅうたんはトルコから持って来たものだそう。詳細を聞いていないが、じゅうたんを持ち運ぶ準備ができるほど逃げる時間的余裕があったのだろうな。いや、丸めて担げばOK?
夫婦で公務員をしていたのに、その安定した身分を捨てて外国に逃げなければ命にかかわった。
世の中にはまだまだそういう国があるのだろう。
彼らは熱心なイスラム教徒だが、イスラム教徒の退廃を嘆いていた。
首都イスタンブールは歴史的な建築物が取り壊され、どこの大都市でも見られる高層ビルばかりになった。
大気汚染は凄まじいらしい。
二人とも地方出身で、イスタンブールで大学を卒業してそのまま就職し、知り合ったそうな。
二人とも早くここで就業しなくてはならない。
いつぞや街中でデモをしていたアフリカ人難民たちとはまったくちがうこの夫婦。
自分たちを難民として受け入れてくれたことに感謝しているんだ。
そうさ、感謝はあらゆる難関を打破するするぞ。
二人と彼らの子供たちに明るい将来を願っている。