飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

考え、議論する道徳

2022年09月07日 14時43分15秒 | 道徳科
「考え、議論する道徳」とは何か。

次のように定義される。

多様な他者と考え、議論する中で、多面的・多角的な見方へと発展し、道徳的諸価値の理解を自分自身との関わりで深めること。

短く言うと①多面的・多角的な見方②リアリティである。

これはこれまのどんな反省のもとに作られてきたのか。
それは次のような課題が現場にあるからだ。

1 道徳の時間が、各教科に比べて軽視されがち
2 読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導
3 発達の段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われるわかりきったことを言わせたり書かせたりする授業

要するに、登場人物の心情理解のみの指導や主題やねらいの設定が不十分な単なる生活経験の話しあいではダメだということ。

saitani
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