飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ただマイヨジョーヌのためでなく 3

2024年02月23日 09時38分32秒 | 自転車
がんだというのに、どうして自転車に乗ったのだろう。
自転車に乗ることはとてもハードでその苦しさたるや言葉では言えない。
しかしだからこそ、全てを洗い清めてくれるのだ。
出発する時には両肩にずっしり重荷を負っていても、5時間も苦痛の限界まで走り続ければ気持ちが安らかになる。
苦痛があまりに深く強いため、遮断幕が脳に降りてくるのだ。
そして少なくともしばらくの間は、自分の問題をクヨクヨ考える必要がなくなる。
肉体的苦闘とその後の疲労が極限に達すると、他の一方は締め出されてしまう。



過酷であればあるほど、考える余裕はなくなる。
考えないことの単純さがある。
だから「世界的運動選手は皆何かから逃げている」というい説には幾分の真理があるのだろう。
ある時、「自転車にそれほど長く乗ることに、どんな楽しみがあるのですか」と聞かれたことがある。
僕は答えた。
「楽しみ?質問の意味がわからないよ」。
僕は楽しみのために自転車に乗っているのではない。
苦しむために乗っているのだ。

脳手術の晩、僕は死について考えた。
僕は自分のいちばん重要な価値観とは何かを探り、自分に問うてみた。
もし死ぬのであれば、徹底抗戦してして死ぬのか、それとも静かに降伏するのか。
自分のどんな面を人に見せて死にたいのか。
自分に満足しているのか。
これまで人生で何をしてきたのか。
僕は本質的には良い人間だと思う。
もちろんもっと良くもなれたが。
でもそれと同時に、がんはどそんなことをまったく気にしないこともわかっていた。


僕は信念と科学の間の、どこに線を引けばいいのかわからない。
でもこれくらいはわかっている。
僕は信じることを信じる。
そのすばらしさゆえに。
どこを見渡しても希望のかけらも見えないときに、あらゆる証拠が自分に不利なときに、信じること、明らかな悲劇的終末を無すること
それ以外にどんな選択があるというのか。
僕たちは毎日信じることで生きている。
僕たちは自分で考えているよりずっと強いのだ。
そして信じることこそ、もっとも雄雄しい、人類が太古からもっていた、人としての特質なのでだ。
人間は、この人生の短さを救う良薬にはないし、死ぬべき運命に対する根本的な治療法もないのを知っている。
そんなとき、信じることは勇気一つの形だ。


自分自身を信じ続けること、医師を信じること、治療を信じること、自分が信じると決めたことを信じること、これが一番大切なことなのだ。
そうなのだ。
信じることがなければ、僕たちは毎日、圧倒されるような運命の中に、素手で置き去りにされているようなものだ。
そうなれば運命を僕たちは打ち砕くだろう。
世にはびこる負の力に対し、僕たちはどうやって闘うのか、じわじわと忍び寄る、冷笑的態度シニシズムに、毎日どうやって立ち向かうのか。

saitani




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