ガンからの再生で学んだのは、絶望の叫びが終わり、自暴自棄と危機が去り、病気の事実を受け入れ、健康が戻ってきたことを祝った後には、以前と変わらぬ日常と習慣があるがあるということだ。
朝、目的を持って髭を剃り、仕事に行き、妻を愛し、子供を育てる。
こうしたことは日々をつなく糸であり、「生活」と言う語に相応しい。
人生は長いー
願わくはそうあってほしい。
しかし、「長い」というのは相対的な概念だ。
上り坂を一足一足、ペダルを漕いで上っている時には、1分が1ヶ月にも思える。
だからツールドフランスほど、長いものはないように思える。
どれくらい長いかって?
はるか彼方まで続く道路のガードレールは、かすかに揺らめく、陽炎とも見紛い、乾き切った夏の牧草地は柵もなく見渡す限り続き、ピレネー山脈の氷で覆われた鋸の歯のような頂からは、三つの国が眼下に望める。
ツールドフランスの道はそれほど長く、遠い。
僕は表彰台に導かれた。
トロフィーが渡された後、僕はそれを高く上げた。
それ以上は自分を抑えていられず、台から飛び降りてスダンなどに駆け寄り、キークを抱きしめた。
カメラマンが僕を取り囲んだ。
「母さんはどこ?」
群衆が分かれ、母が見えた。
僕は母を強く抱いた。
記者が母の周りに群れ集まり、誰かが、息子さんに勝ち目があると思っていましたか、と訊いた。
「ランスの人生はいつも、勝ち目のない戦いを戦うことでした」。
母は答えた。
最後にフィニッシュラインの所に戻り、僕は涙を懸命に堪えながら、記者たちに話した。
「信じられない。
本当に。
すごいショックです。
僕が言いたいことはただ一つ。
もし人生で二度目のチャンスを与えられたら、徹底的にやり抜くことです。」
僕たちはメッス以来初めて、シャンパンのグラスを手に持ち、僕はチームメイトのために乾杯の音頭をとった。
「僕はマイヨ・ジョーヌを着ました。
でもあのジャージの中で僕のものはファスナーだけだと思います。
ジャージの中の本の小さな部分です。
残りはチームメイトのものです。
袖も前見頃も後ろ見頃も」
本当の話、ツールドフランスでの優勝とガンのどちらを選ぶか、と訊かれたら、僕はガンを選ぶ。
奇妙に聞こえるかもしれないが、僕はツールドフランス優勝者と言われるよりは、ガン生還者の肩書きの方を選ぶ。
それは、ガンが、人間として、男として、夫として、息子として、父親としての僕に、かけがえのないものを与えてくれたからだ。
小さな酸素マスクが息子の顔に当てられ、酸素吸入が行われていた。
泣いてくれ。
お願いだ。
お願いだ。
泣いてくれ。
僕は全身が硬くなった。
あの瞬間、僕は赤ん坊の鳴き声を聞くためなら、なんでもしただろう。
どんなことでも。
それまで僕の知っていた恐怖など、あの分娩室での恐怖に比べれば何でもなかった。
ガンの診断を受けた時、僕は恐怖を感じた。
そして、治療の最中も怖かった。
でも赤ん坊が連れ去られたあの時とでは、比較にならなかった。
自分が本当に無力だと感じた。
なぜなら今病気なのは、僕以外の人間ー僕の息子なのだ。
もし子供達が、治癒率といった数字にとらわれない能力を持っているなら、きっと僕たちはみんな、子供から学ぶことができるだろう。
そう考えれば、勇気を持ち、希望を持って闘う以外に道はない。
僕たちは医学的にも精神的にも、二つの選択肢がある。
諦めるか、死にもの狂いで闘うか。
もしも負けたら?
もし再発し、ガンが戻ってきたらどうなのか?
それでも闘う中で、きっと得るものはあると思う。
なぜなら残された時間の中で、僕はより完全で思いやりがあり、知的な人間を目指して努力することで、もっと生き生きと生きられるだろうからだ。
病気が僕に教えてくれたことの中で、確信を持って言えることがある。
それは、僕たちは自分が思っているより、ずっと素晴らしい人間だと言うことだ。
危機に陥らなければ現れないような、自分でも意識していないような能力があるのだ。
それは僕の運動選手としての経験でも得られなかったものだ。
だから、もし、ガンのような苦痛に満ちた体験に目的があるとしたら、こういうことだと思う。
それは僕たちを向上させるtがめのものなのだ。
僕はガンは死の一つの形ではないと確信を持って言える。
それは生きることの一部なのだ。
寛解の時期にあったある午後、ガンは戻ってくるだろうか、とぼんやり考えていた時、僕はがん(cancer)の頭文字で標語を作ってみた。
勇気 courage
心構え attitude
諦めない never give up
治癒は可能 durability
知識を深める enlightenment
仲間の患者を忘れない remembrance of my fellow patients
あるときニコルズ医師に、なぜがん科医の道を選んだのか、と聞いたことがある。
困難でひどく辛いことが多い仕事だろうに。
「多分君と同じ理由からだよ」
彼はある意味ではガンは病気のツールドフランスなのだと言った。
「ガンの重荷はあまりに大きい。
けれど他にこれほど挑戦のしがいのあるものがあるだろうか。
ガンが希望を失わせるものであり、悲しむべきものであることは確かだ。
それでも、力及ば治すことができなくても、助けて上げることはできる。
最終的に回復には至らなくても、少なくても病気をコントロールするのを助けることはできる。
人と繋がっていられるんだ。
どんな仕事よりも、ガン科医には人間らしい瞬間がある。
慣れることは決してないだろうけど、でも、病気と闘う人たちを心から受け入れ、人の強さを心から素晴らしいと思えるようになるんだ。」
「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ。」
ガン患者が前に僕に書いてきた言葉だ。
未来に希望が見出せず、憂鬱な気分に沈む時、人間の本質が浅ましく思える時、僕は運転免許証を取り出し、その写真を見る。
そして、ラトリーヌ・ヘイリー、スコット・シャピロ、クレイグ・ニコルズ、ローレンス・アインホーン、シリアルの形に興味があったあの小さい男の子のことを思う。
そして、僕の息子、僕の第二の人生の目に見える姿、僕に自己以外の目的を与えてくれた息子のことを思う。
今年のツールでの総合優勝をほぼ手中に収めた時、一人の記者が訊いた。
「もうガンについては話し飽きたんじゃないですか?」
これに対し、アームストロングはこう答えている。
「全然。
僕の人生にとって、ガンは家族と同じくらい意味のあるものなんだ。
自転車はその次さ。」
彼は、これからも走り続けるだろう。
苦しみと闘い、困難な上り坂を
上っていくことが自分の人生なのだ、と思い定めて。
そして、「ガンこそ自分の人生に与えられた最良のものだ」と言うメッセージを伝えるために。
Saitani
朝、目的を持って髭を剃り、仕事に行き、妻を愛し、子供を育てる。
こうしたことは日々をつなく糸であり、「生活」と言う語に相応しい。
人生は長いー
願わくはそうあってほしい。
しかし、「長い」というのは相対的な概念だ。
上り坂を一足一足、ペダルを漕いで上っている時には、1分が1ヶ月にも思える。
だからツールドフランスほど、長いものはないように思える。
どれくらい長いかって?
はるか彼方まで続く道路のガードレールは、かすかに揺らめく、陽炎とも見紛い、乾き切った夏の牧草地は柵もなく見渡す限り続き、ピレネー山脈の氷で覆われた鋸の歯のような頂からは、三つの国が眼下に望める。
ツールドフランスの道はそれほど長く、遠い。
僕は表彰台に導かれた。
トロフィーが渡された後、僕はそれを高く上げた。
それ以上は自分を抑えていられず、台から飛び降りてスダンなどに駆け寄り、キークを抱きしめた。
カメラマンが僕を取り囲んだ。
「母さんはどこ?」
群衆が分かれ、母が見えた。
僕は母を強く抱いた。
記者が母の周りに群れ集まり、誰かが、息子さんに勝ち目があると思っていましたか、と訊いた。
「ランスの人生はいつも、勝ち目のない戦いを戦うことでした」。
母は答えた。
最後にフィニッシュラインの所に戻り、僕は涙を懸命に堪えながら、記者たちに話した。
「信じられない。
本当に。
すごいショックです。
僕が言いたいことはただ一つ。
もし人生で二度目のチャンスを与えられたら、徹底的にやり抜くことです。」
僕たちはメッス以来初めて、シャンパンのグラスを手に持ち、僕はチームメイトのために乾杯の音頭をとった。
「僕はマイヨ・ジョーヌを着ました。
でもあのジャージの中で僕のものはファスナーだけだと思います。
ジャージの中の本の小さな部分です。
残りはチームメイトのものです。
袖も前見頃も後ろ見頃も」
本当の話、ツールドフランスでの優勝とガンのどちらを選ぶか、と訊かれたら、僕はガンを選ぶ。
奇妙に聞こえるかもしれないが、僕はツールドフランス優勝者と言われるよりは、ガン生還者の肩書きの方を選ぶ。
それは、ガンが、人間として、男として、夫として、息子として、父親としての僕に、かけがえのないものを与えてくれたからだ。
小さな酸素マスクが息子の顔に当てられ、酸素吸入が行われていた。
泣いてくれ。
お願いだ。
お願いだ。
泣いてくれ。
僕は全身が硬くなった。
あの瞬間、僕は赤ん坊の鳴き声を聞くためなら、なんでもしただろう。
どんなことでも。
それまで僕の知っていた恐怖など、あの分娩室での恐怖に比べれば何でもなかった。
ガンの診断を受けた時、僕は恐怖を感じた。
そして、治療の最中も怖かった。
でも赤ん坊が連れ去られたあの時とでは、比較にならなかった。
自分が本当に無力だと感じた。
なぜなら今病気なのは、僕以外の人間ー僕の息子なのだ。
もし子供達が、治癒率といった数字にとらわれない能力を持っているなら、きっと僕たちはみんな、子供から学ぶことができるだろう。
そう考えれば、勇気を持ち、希望を持って闘う以外に道はない。
僕たちは医学的にも精神的にも、二つの選択肢がある。
諦めるか、死にもの狂いで闘うか。
もしも負けたら?
もし再発し、ガンが戻ってきたらどうなのか?
それでも闘う中で、きっと得るものはあると思う。
なぜなら残された時間の中で、僕はより完全で思いやりがあり、知的な人間を目指して努力することで、もっと生き生きと生きられるだろうからだ。
病気が僕に教えてくれたことの中で、確信を持って言えることがある。
それは、僕たちは自分が思っているより、ずっと素晴らしい人間だと言うことだ。
危機に陥らなければ現れないような、自分でも意識していないような能力があるのだ。
それは僕の運動選手としての経験でも得られなかったものだ。
だから、もし、ガンのような苦痛に満ちた体験に目的があるとしたら、こういうことだと思う。
それは僕たちを向上させるtがめのものなのだ。
僕はガンは死の一つの形ではないと確信を持って言える。
それは生きることの一部なのだ。
寛解の時期にあったある午後、ガンは戻ってくるだろうか、とぼんやり考えていた時、僕はがん(cancer)の頭文字で標語を作ってみた。
勇気 courage
心構え attitude
諦めない never give up
治癒は可能 durability
知識を深める enlightenment
仲間の患者を忘れない remembrance of my fellow patients
あるときニコルズ医師に、なぜがん科医の道を選んだのか、と聞いたことがある。
困難でひどく辛いことが多い仕事だろうに。
「多分君と同じ理由からだよ」
彼はある意味ではガンは病気のツールドフランスなのだと言った。
「ガンの重荷はあまりに大きい。
けれど他にこれほど挑戦のしがいのあるものがあるだろうか。
ガンが希望を失わせるものであり、悲しむべきものであることは確かだ。
それでも、力及ば治すことができなくても、助けて上げることはできる。
最終的に回復には至らなくても、少なくても病気をコントロールするのを助けることはできる。
人と繋がっていられるんだ。
どんな仕事よりも、ガン科医には人間らしい瞬間がある。
慣れることは決してないだろうけど、でも、病気と闘う人たちを心から受け入れ、人の強さを心から素晴らしいと思えるようになるんだ。」
「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ。」
ガン患者が前に僕に書いてきた言葉だ。
未来に希望が見出せず、憂鬱な気分に沈む時、人間の本質が浅ましく思える時、僕は運転免許証を取り出し、その写真を見る。
そして、ラトリーヌ・ヘイリー、スコット・シャピロ、クレイグ・ニコルズ、ローレンス・アインホーン、シリアルの形に興味があったあの小さい男の子のことを思う。
そして、僕の息子、僕の第二の人生の目に見える姿、僕に自己以外の目的を与えてくれた息子のことを思う。
今年のツールでの総合優勝をほぼ手中に収めた時、一人の記者が訊いた。
「もうガンについては話し飽きたんじゃないですか?」
これに対し、アームストロングはこう答えている。
「全然。
僕の人生にとって、ガンは家族と同じくらい意味のあるものなんだ。
自転車はその次さ。」
彼は、これからも走り続けるだろう。
苦しみと闘い、困難な上り坂を
上っていくことが自分の人生なのだ、と思い定めて。
そして、「ガンこそ自分の人生に与えられた最良のものだ」と言うメッセージを伝えるために。
Saitani