飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

生涯で子供と過ごせる時間

2024年09月29日 05時00分00秒 | 教育論
我が子が独り立ちをして家庭をもつようになる。
それは、親にとってもとても嬉しいことであり、ここまで、よく頑張って成長してくれたと感慨もひとしおだ。
この子育てを振り返ってみると、後悔はないが、反省することは多くある。
それは、一日の時間のほとんどを仕事に費やし、深夜まで教材研究や授業の準備、休日もほとんど実践記録の執筆にあけくれていた。
家庭を顧みる余裕はまったくなかった。

自分は子育て時代の忙しい中、ほとんど育児に貢献していなかった。
もちろん自分ではできるだけ子供との時間を大切にして、ともに過ごしてきたつもりだ。
実態はほんとうに「つもり」だけの時間だった。
しかし、それは子育てのほんの一部分であり、子供との生活の本質とは程遠いものだと今実感する。
唯一幸いだったのは、二人の子どもたちも学生時代に私と同じようにバスケットボールに打ち込んでいたので、ミニバスから社会人になるまでずっとバスケットボールを通じて、コミュニケーションをとることができた。
これがなかったら、まったく子どもたちとの思い出は限定的なものになっていただろう。

このblogを訪れてくれている先生方の中にも子育て真っ最中も方もいらっしゃることと思う。
だからこそ、このblogを見にきてくれているのかもしれない。
今は子育てで、自分の時間なんてまったくとれない。
トイレにさえいけないくらい子育ては忙しい。
30秒目を話せば、死んでしまうかもしれないような生き物が赤ちゃんだ。
その赤ちゃんの世話をするのだから、両親の生活が激変して、考え方や生活様式が変わるのは当然のことだ。

毎日一緒にいると永遠のように感じる「子どもと過ごす時間」。
しかし実際には、長い人生のなかで子どもと一緒に過ごせる時間はとても短い。
今自分も考える、子どもが小さいうちにもっといっぱい遊んであげればよかった、もっといろいろな場所に連れて行ってあげればよかった」と。

子育てをしていると、たまには自分一人の時間がほしいと思う。
当然のことだ。
子供はいくつになってもかわいい。
子供がまだ小さかった頃、先輩の先生に尋ねたことがある。
その先輩のお子さんはすでに成人して社会人となっていた。
「我が子というものは大人になってもかわいいものですか?」
するとその先輩先生は、
「それはあたりまえだよ。
 子供は大人になろうと家庭をもとうと年をとったってかわいいものだよ。」
「そうなんですね。」
と実感が伴わない返事をした記憶がある。
今、その先輩と同じ年代を迎えて子どもたちも30歳を過ぎた。
その言葉を事実として受け止めることができるようになった。

では、永遠にも思える子供と過ごす時間はどれくらいあるのだろうか。
生まれたばかりの赤ちゃんが大学進学のタイミングで実家を出て行くと仮定すると、約18年間、親子は一緒に過ごすことになる。
しかし実際には、小学校、中学校、高校と成長するほどに家にいる時間は減る。
休日には、家族で過ごしていたが、友人と過ごすことも多くなる。
部活も毎週ある。

こんな衝撃的な数字がある。
わが子と生涯で一緒に過ごす時間はこれだけである。

母親:約7年6ヶ月
父親:約3年4ヶ月

しかも、この時間の半分は小学校卒業時点で終わっているという。
さらに詳しく数字をみていく。
我が子と一緒に過ごせる時間の全体を100%とする。
子どもの成長に沿って見ていくと、幼稚園入園時には18%が過ぎ、幼稚園卒園時には32%、小学校卒業時は55%……と経過する。
高校卒業で親元を離れるころには、なんと73%も過ぎ去ってしまう。

こうやって数字で時間を見ていくと一緒にいるわが子との時間は、決して永遠ではないことがわかる。
子供と過ごす時間をもつポイントは1日3時間であるという。
子どもとしっかり接する時間を1日に3時間も持てれば、母親が専業主婦だという家庭と比較してもなんら変わらず子どもはしっかり育っていくという。

特に子育ては3歳までが大変なことが多い。
しかし、この3歳までの子供は特別なのだと思い知る。
あるエピソードを思い出す。

非行少年のお話である。
その少年は母子家庭であった。
小さい頃から非行にはしり、触法行為を頻繁に繰り返す。
そのたびに母親は警察に引き取りにいったり、迷惑をかけた人たちに頭を下げていた。
それでも心満たされないその少年はやがて少年院に入ることになった。
そして、その少年が少年院に入っている時に、母親は過労から亡くなる。
そのことを聞いた少年は号泣して、自分のしてきたことを後悔し、母親に本当にもう分けないと心から反省する。
そして、保護司に次のように言う。
「自分は小さい時から母親に迷惑や心配ばかりかけてきた。
 そして、母は死んだ。
 俺は母親に何一つ、恩返しも親孝行もできないまま、もう二度と母親にあうことはできなくなった。
 自分は後悔してもしきれない。
 これからどうしたらいいんだ。」
その言葉を聞いて保護司は少年に語りかける。
「そんなに自分を責める必要なないよ。
 君は十分に親孝行をしたよ。
 子供は生まれて3歳までに親孝行のすべてを終えているんだ。
 君は覚えていないけど、小さかった頃の君の笑顔を見て、お母さんも幸せな気持ちにたくさんなったはず。
 親はそれで十分なんだよ。」

saitani

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