飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

君子の交わりは淡きこと水のごとし

2024年09月21日 05時13分05秒 | 人生論
「君子の交わりは淡き水のごとし」莊子
これには次のような言葉が続く。
「小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」

年ともに人との付き合い方も変化する。
若い頃は多くの人と付き合う必要があった。
それは仕事上であったり、人間的な付き合いの関係であったり、それは必要であると感じていた。
仕事柄、多くの子供達を担任し、その数は減ることはなく、増える一方だった。
もちろんそれは嬉しいことでもあるし、今でも連絡をくれる子どもたちもいる。

多くの人と付き合うことは、それは多くのストレスや悩みを抱えることでもあった。
どうも性格的にあわなったり、いわれのないことで言いがかりをつけてくる人もいる。
そんな人とも立場上、付き合う必要があったし、それも喧嘩することなく、上手に対応することも求められた。
そこでは自分を殺し、相手のあわせ、したくもないこともたくさんしてきた。
しかし、仕事上の一線を退き、比較的時間も人間関係も自分の自由に使える年代になった。
だからといって、悠々自適に好きなことだけをして生きていこうとも思わない。
人間多少の忙しさや社会とのつながりをもって生きていくほうが健康的だと考えているからだ。
まったく隠居生活みたいのことも生き方としてはつまらない。

人間関係はあまり深煎りせず、水のようにあっさりと付き合うことがお互いのためにはよいと最近はしみじみ思う。
この箴言にある「醴」とは、甘酒のように甘くてべたべたしていることを言う。
つまらない人間関係はべたべたしていて一時的に深い交流のように見えても、長続きしない。
発展性や創造性がないからだ。
長く続く交わりにはある種の余韻がある。
なんとも微妙な言い回しだが、心地よい軽快さがある。

淡い交わりのことを淡交というらしい。
淡交とは、何事にも執着せず、感情に流されず、平常心の交わりを意味する。
こんな生き方が理想だ。

幕末の偉人に山岡鉄舟という人物がいる。
西郷隆盛や勝海舟ほど有名ではないが、素晴らしい人物である。
江戸城の無血開城も、西郷とこの山岡の事前調整があったから成立したことはあまり知られていないが。
この山岡鉄舟は多くの弟子を育てが、つねに淡交を保ったという。
人との付き合いは六割主義でいい。
裏切られたとか失望は相手に期待したり、見返りをもとめると湧いてくる感情だ。
だから、六割主義なら裏切っただの裏切られたという感情はわいてこない。

自分は、淡交を心がけたい。

saitani



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