雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

真夏がやってきた

2019-07-30 15:56:38 | 発想$感想

★ 7月31日である。 
 素人の勝手な判断だが、7月末からの1週間が1年で一番暑いと思っている。

 札幌に2年程いたが、会社の事務所でエアコンを入れたのがこの時期だけだったから、勝手にそう思い込んでいるのである。

 日本の夏は間違いなく、どんどん暑くなっているのは間違いない。

 昔は『熱中症』などという言葉はなかったし、『暑さで倒れて死んだ』というようなニュースは聞いたことはなかった。

 炎天下で水も飲まずに毎日野球の練習してたが、その時期は7月初旬までで、その後は試合が続いたから大丈夫だったのかも知れない。



★『熱中症』という言葉は、

医学用語としては既に1940年に登場してますが、日本では生活環境や住宅環境の変化と高齢化社会への推移にともない、1995年頃から一般的に使われ始めたようで、歴史的にはまだ新しいといえます。』 とあったし、

『「熱中症」の原因のひとつは、体温調節に関係する汗腺の数があげられます。
現代の若者が熱中症になりやすのは、生まれた直後からエアコンの効いた部屋で育てられるので汗腺が発達せず、昔の人と比べるとかなり汗腺の数が少ないそうです。
2世帯に1世帯がエアコンを持つようになった、いわゆる過半数に達したのは1985だそうですから、それから10年後に「熱中症」が一般的に使われ広まったのは年代的にも一致してますね。』

 などと書かれていて『なるほど』と思った。



東京の過去142年間の『日別平均気温』だが、こんな記録が残っている。
やはり昔から、時期は7月末が中心だし、圧倒的に暑くなってるのは、2000年以降なのである。

 



 今後1週間の気温予報である。
 やはり7月末からの1週間は高いが、

 


 大阪に比べると、2度ほど低い。

 

 
 『熱中症』 などにはならぬと思っているのだが、これから1週間は幾らかは注意が必要かも知れない。


 
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鈴鹿8時間耐久レース  26年振りの 『Kawasaki優勝』

2019-07-30 06:40:09 | M/Cレース

★  『鈴鹿8耐』が20万人の大観衆で溢れた1990年代の7月末の8耐ウイークは、私は毎年1週間鈴鹿で過ごしていた。

当時のKawasakiは、

国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。

などと論評されて、ルマン・24時間の常勝チーム Kawasaki Franceが参戦しても『高速耐久』の鈴鹿8耐には優勝のご縁がなかったのである。


それが1993年にS.ラッセル/A.スライト組での初優勝があったのだが、それ以来は健闘はするものの優勝には出会えなかった。

   



★今年は体制を強化し、#10「カワサキ・レーシングチーム鈴鹿8時間」ファクトリーチームとして28日の決勝に臨み、1993年以来、2度目の優勝を狙ったのである。

ライダーも、スーパーバイク世界選手権4度の王者、ジョナサン・レイなどトップクラスのライダーを揃えての挑戦だった。

FIM世界耐久選手権の最終戦でもあり、そのリーダーの#11カワサキ・フランスも参戦となった力の入れようだった。

   

 
レースの現場から長く離れてしまうと、『鈴鹿8耐』にもそんなに熱ぽい関心はなかったのだが、朝からテレビの実況放送だけはちょこちょこ観ていたのである。

 1周目からトップを走ったし、今年は間違いなく強力であることは解ったのだが、2時間を残した5時過ぎの時点でもトップを走っていて、『これはひょっとするとひょっとするな』とテレビはつけっ放しで観ざるを得ない状態になった。
 
   


 残り30分の時点でもトップを走っていたのだが、運悪く雨が降り出して、予断を許さない状況になったが、残り10分になっても2位ヤマハに差をつけていて、『これは勝った』と思っていてあと1周走れば優勝というまさに最終回に『まさかの転倒』なのである。

 Facebook に貼り付けた最終段階の動画と、それに付した説明文である。

昨日の8耐 最後の最後の場面である。最終回にKwasaki 10 が転倒、赤旗が振られ、どうなったのかよく解らなかった時点である。
一時Kawasakiの優勝が伝えられ喜ぶ様子が・・その後ヤマハの優勝が伝えられたりして、混乱していた時間帯である。
Kawasakiの優勝とはなったが、何となくすっきりしない優勝である。
ただ今年のKawasakiは、実力的にもホンダ・ヤマハにちょっと差をつけていたなと、正直そう思ったのだが・・・
 ホントにこのままで、優勝が確定するのだろうか?



今朝のニュースには、このような写真も


 
 

 こんな報道もあるのだが、 赤旗が振られたことは確かだが、チェッカーフラッグを受けないレースの優勝など、ホントにあるのかな?

 と思ったりもした。

 Facebook の私の記事のコメントに 兵頭さんがこんなコメントを寄せて下さった。
 
 兵頭真哉   賛否両論ありますよね。
薄暗くなった雨降る中のスズキのオイル撒き散らし、しかし引退する監督の為に完走したいライダーの気持ちもわかってあげたい。
残り数分、最高のレースでチェッカーフラッグを振りたい運営の気持ち。
ホンダの続投ライダーの意地。
ヤマハの5連覇をかけた最後の追い上げ。
しかし、不運な転倒はしましたがカワサキの速さは皆さん納得でしょう‼️
昨夜はモヤモヤしましたが冷静に振り返り、レイの喜ぶ姿を見て僕は素直によろこんでます😁
カワサキに感謝ッ🎵🎵

  
 その時間帯のテレビからの動画の画面です。
 8時間の残り2分が大変なことになりました。

 

 

 

 

 
 暫定優勝だったがその後ルールに基づて、26年ぶりのカワサキの優勝が確定との発表があった。

     


 やきもきしてた、カワサキファンたちも、やっと胸を張って『優勝おめでとう』が言える正式結果が出てよかった。

 それにしても、7時間58分まで『優勝間違いなし』の走行だったのだが、最終回がホントに大変だったのである。

 改めて『カワサキ優勝おめでとう!!』

 
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Shinya Kadono

2019-07-29 06:08:54 | 発想$感想

★ 孫・Shinya Kadono(門野真也)は、今春夢だったプロ入りを果たしたのだが、すぐにトップチームで通用するほどプロの世界は甘くない。


どうするのかな?と思っていたら、
ジョージア州のTormenta FCというチームから3ヶ月のローンオファーがあって、そのチームでやってみることにしたらしい。

 自分のFacebook にこんな決意を語っていた。
 Facebook に自ら書き込むことは珍しいことなのである。
それは英文で書かれていて、アメリカの友達たちから沢山の『いいね』を貰っていた。 (下の日本文は自動翻訳である。)






★新しい旅は始まったばかりだが、Torment FCのホームページでは、こんなに大きく扱ってもらっている。



  


 このチームは一つ下のリーグだが、今2位を走っているらしい。
その優勝を目指しての補強なのである。
 早速、移籍直後の試合に後半の最後のほうから登場して、こんなムツカシイ状況から、同点シュートを決めることが出来たようで、1-1の引き分けに終わったようである。

 



 そのシュートの場面の動画を娘が送ってくれたのを観たのだが、なかなかのナイスゴールだった。



 Shinya のいいところは、小さいけど体は強く競り負けない、ゴール前でも決して慌てたり焦ったりはしない冷静なところがいい。

 このシュートも左のウイングから来たパスを二人に囲まれながら、そのまま左足でゴールの右隅に流し込んだもので、蹴る前か、蹴った直後の映像だろう。
 動画で見ると見事である。

 さて、3ヶ月のレンタル期間でどんな活躍をするのだろう?
 そのあと、またどんなことになるのだろう?

 いずれにしても、プロの世界なのだから、学生時代とは全く違う『実力の世界』なのである。
 期待して招いてくれたチームの期待に応えて、負け試合を引き分けに持ち込めたのは、『ある意味真也の持っている運』なのだろう。
 
なぜかアメリカのテレビ放送では、真也のことを
Shinya Kadoーno』とどのアナウンサーもフルネームで叫んでくれるのである。

 今後も沢山の『Shinya Kado-no』を聞きたいものである。

 
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メダカ  雑感

2019-07-28 06:43:37 | 発想$感想

★ 私はなぜかこどもの頃から魚が好きである。
  『好き嫌い』は理屈ではないので、なぜなのかはよく解らない。

ホントに子どもの頃から、終戦後の何年間かを除いて、ずっと魚がいた生活が続いている。
戦前は、家にも伯父宅にも池があったし、母方の岡山の西田町の家は西川の横で池と川とが繋がっていて、めちゃ大きなナマズなどが勝手に入ってきていて、そんなことで興味を持ったのかも知れない。

 戦後は家に池などはなくなってしまったが、ずっと『熱帯魚』を飼っていたし、三木に家を作った時には、何よりも先にガレージの下をT字型の池にしたのである。
 その後は、小さな庭に本格的な池を造ったりして、錦鯉を飼ったりして、結構金も掛ったのだが、いまはその池も潰して、ガレージの下の池だけが残っている。
 多分日本でもただ一つのガレージの下の池である。車を止めるには何の問題もないし、車がいないときはなかなかの眺めになる。


    

 
その池には金魚がこの数年間毎年こどもを産んだり、海老や貝はいっぱいいるのだが、メダカは入れてもすぐいなくなってしまうのである。



★そんなことで、魚を飼うのも『いい加減』にただ『飼っている』だけだったのだが、昨年の7月に『よかたん』でメダカを鉢毎売っていたのを買ってきてから、『メダカ』と出会ったのである。

 昨年のブログにこんなこと書いている。


   


 


子どもが生まれて、秋口までのどんどん増えて、その数100匹ぐらいになったのである。

 そこまではよかったのだが、冬をどうしようかと思って、ちょっと面倒なのでその殆どをガレージの下の池に放して、この鉢には20匹ほどを残して放っておいたのだが、冬を越して数匹が生きていたのは解っていたのだが、6月になってちょっと鉢を覗いたら、2匹ほどメダカの仔どもが泳いでいるのである。

 それから私とメダカの生活が始まったのである。



★ 私はやりかけると『凝る』性分で、それ以来ネットで『メダカの飼い方』など調べたら、メダカは上手く飼うと、『毎日卵を産んで』上手に育てたら年に1000匹も産むというのである。
 『毎日卵を産む』など俄かには信じられなかったのだが、餌を毎日ちゃんと与えておくと、ホントに毎日のように新しい卵を産むのである。

 そんな観察を毎日何時間もやっているものだから、家内には『メダカじいちゃん』と言われてしまっている。




  

今の鉢の状態で写っているのは、新しく来たメダカである。
メスが二匹雄が3匹ほどいて毎日のように卵を産むので、その藻をバケツに移していまこんなことになっている。
ホントに毎日新しい卵を腹に付けるのである。午後になるとそれを藻に産みつけてなくなるのだが、翌朝はまた新しい卵を腹に抱いている。
 

 バケツには卵のついた藻と、生まれたばかりのメダカが泳いでいる。

  
 
 

卵から孵ったメダカだけで50匹はいるし、 卵のついた藻からは10日ほどでメダカの仔が生まれるので、それを毎日見つけるのが、めちゃ楽しいのである。



★ 実は昨日アマゾンからいろんな種類のメダカを20匹ほど買ったのだが、それはこんな状態で送られてくる。

本屋のアマゾンは今や『メダカ』も売っていて注文すると二日後には届くのである。


   


 今いるのは、『黒メダカ』だが、今回はいろんな種類のメダカが混じったものを買ったので、ひょっとすると新種が生まれたりするかも知れないと思ったりしている。


 



 今この中に今回買ったいろんなメダカが10匹ほど入っている。

 残りは、今までの鉢に入れている。

 今までのメダカは9月頃までは、子どもを産み続けるだろうし、今回買ったメダカも産み始めることを期待している。
 新しいメダカは体長は大きいのもいるのだが腹に卵を持っているのは1匹もいない。多分栄養不足か今まで飼っていた環境が悪いのだろう。

 毎日ちゃんと餌を多い目に与えて『栄養をつける』とメダカは毎日卵を産むようになると『メダカの育て方』に書いてある。
 今朝見たら、今年生まれた小さなメダカの腹に卵があるのを初めてみた。

 
メダカはよく生きて2年で、池などで放っておくとメダカの卵は親に食われてしまうというのである。 金魚もいっぱいいるから池に入れておくといつの間にかいなくなってしまうのだと思う。
 どんなことになるのか、自分でもよく解ってはいないのだが、時間も情報もいっぱいあるので、勉強しながら頑張ってみたい。

 さて、今からの『メダカとの生活』どのように進展するのだろうか?

 上手くいけば、またご報告することにしたい。


 

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私の仲間たち  雑感 

2019-07-27 06:55:44 | 私の生き方、考え方&意見

★ 人生長く生きてきて、いろんな方と出会ったのだが
 『仲間』と呼べる人たちは意外に少ないのに、むしろ驚くのである。

 私自身は勝手に『仲間の定義』を『共通の想い出を持つ人たち』としているのだが、
 『共通の想い出』というのは『一緒に何かをやったことがある』ということなので、   確かに知人は多いのだが『仲間』は少なくなっていってしまうのである。

 
 人生86年も生きてきているのに、いま振り返って仲間の名前を私なりに纏めているのだが、その数は家族親戚を除くと100人ちょっとで、150人にはなかなか届かないのが不思議なのである。
 
ただ、逆に言うと多いのかも知れない。
 一般に『仲間』と呼べる人たちは、どれくらいいるのだろう ??



★実はその仲間と思う人たちの名前を先日来、年代別に書き出してみたのだが、
こんな表になったのである。

          仲間と言える人  内既に死亡 内Facebook のトモダチ

 家族&親戚       33人     8      10
 昭和20年代(~1954)  15      8       0
 昭和30年代(1955~)  10      7       1
 昭和40年代(1965~)  32      16      6
 昭和50年代(1975~)  24      6       3
 昭和60年代(1985~)   6     0        2
 定年後  (2000~)  22      0       21

        計   142人     48人     42人

 思い出さなかった方たちもいるとは思うが、会社などでも知人は沢山いても『』はホントに少ないのである。
 
 142人のうち48人が既に亡くなっていて、この世に仲間と呼べる方は、100人に達しないので、
そんな仲間たちとのお付き合いは大事にしないといけないなと思っている。

 


 
★Facebook で繋がっているトモダチは800人ほどおられるのだが、そのうち仲間と呼べる方たちは、42人ほどなのである。
そしてそのうちの半数が定年後に出会った方たちなのである。
 逆に言うと、定年後に結構いろいろと動いているということになるのだろう。
 
● 川崎航空機に入社してすぐ出会った方が田崎雅元さんだし、既に亡くなってしまったが、ホントにいろいろな思い出があるのが、岩崎茂樹さんである。
 このお二人といろいろとやった仕事は、みんな『私の貴重な想い出』となっているのである。
 これは田崎さんがごく最近送ってくれた写真だが、上の表の昭和30年代の仲間で且つ今もFacebook で繋がってる 第1号が田崎さん なのである。
       
 

●昭和40年代(1960年代)に出会って、未だにFacebook でも、いろんな意味でも繋がってる 『仲間の最右翼は山本隆さん』 だろう。

   

  
 
● レース関係で言うと、そのほかにも銘柄を越えて、こんなレース仲間はイイ。

  

 
●これはたまたま私の80歳の誕生日だったのだが、日本のレース界の錚々たるメンバーである。
残念ながら安良岡健さんとはこの日が最後になってしまった。
この4人の方は勿論私の142人の仲間に入っているのである。

● Facebook の表紙にもこんなレース関連の方たちの写真を使っているのも、みんな『仲間』だと思っているからなのである。

 
 


●そして最後に現役引退後に繋がった仲間は沢山おられるのだが、代表して登山道夫さんを上げておこう。
  
これはごく最近の写真だが、田崎雅元さんとのスリーショットである。

     

 
 この登山道夫さん、定年後にふとしたきっかえで繋がったのだが、
 そのきっかけになったのが、故岩崎茂樹 さんなのである。

 登山さん三木にお住まいだし、
カワサキZでも、NPO The Good Times でも、Facebook でも勿論繋がってるし、
私の定年後の人脈のキーパーソンなのである。

 
★いっぱいの仲間たちだが、やはり最高の仲間は、60年間一緒にいる家内や家族かな、と思ったりする。
 

  
  
  

 これはアメリカでの写真だが、こんな我が家でのまさに家族の写真もあった。
 2015年7月16日の雑感日記からである。
  
  
   
 

 ネットのお蔭でこんなブログが纏められる。
 素晴らしい仲間に囲まれて生きている、素晴らしい世の中なのである。
  
 これから先、どんな人生が待っているのか?
 これからも、『新しい仲間』が出来るかも知れぬが、『私の仲間たち』とさらに共有できる想い出が積み上げられたらいいなと思っている昨今なのである。
       

 
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夏の高校野球  雑感

2019-07-26 06:19:49 | 発想$感想

★ 夏の甲子園を目指して各地区最後の熱戦を展開中である。

 全国でも一番注目を浴びている岩手県の大会だが決勝戦は花巻東と大船渡との対戦となった。
 
全国が注目する一戦なのだが,
佐々木投手はベンチスタートという、昔なら考えられない投手起用である。

 
 

 
 
これはどう考えても、納得できなかったのだが、いままだ試合中だが、
その速報を見る限り、もう花巻東の優勝は決まったようなものである。
佐々木投手は登板もしていない。

 
これは、高校野球の投手起用ではないと思う。
ここまで頑張ってきて、最後の一戦なのである。
佐々木投手も 当然投げる気でいたのだと思うのだが、これでは今まで一所懸命やってきた選手たちが可哀想だと思う。

 果たして、世間一般の評価は、どのようなことになるのだろうか?




★ 地元兵庫県は準々決勝だが、こんな組み合わせは、ちょっとビックリである。

 私は約70年前の兵庫県球児だが、当時の明石高校野球部だった。

   
 
 
 
 準々決勝に残った8チームのうち、
 明石商業・姫路南・小野・加古川西・高砂・社の6チーム東播地区の高校であることは、正直ビックリだった。

 私たちの現役時代は東播大会などもあったのだが、当時は東播地区では、全く寄せ付けないほど明石は強かったのである。
 その当時は明石高校の中に明石商業の前身である『商業科』があって、商業科に属した野球部員も多数いたので、明石商業には何となく『特別なモノ』を感じるのである。

 高砂高校には1年下の年次に阪神に行って大成した小山正明投手がいて、対戦したこともあるが、勝敗は問題なかったのである。

 小山正明さんのWikipedia にはこのような記述があり、阪神のテスト生時代の小山のことをよく覚えているのである。
 なぜか小山の妹さんは、明石高校だったのである。

高砂高校3年秋の1952年に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受け、契約金なしの月給5,000円で打撃投手も兼ねたテスト生として入団。 

とあって、間違いなく大成したのは阪神に入団してからのことなのである。
 
加古川西には、私の大学時代の2年先輩の太田さんもいたし、最近では進学校で通っている『小野高』がこんなところまで勝ち上がってくるとはホントにびっくりなのである。

 育英は、当時から強くて、私が3年生の時には準決勝で育英に敗れたのだが、その年は芦屋高が甲子園に出て、植村投手を擁して全国優勝を果たしているのである。

そんな懐かしい想い出がいっぱいなのだが、兵庫県では是非『明石商業』に頑張って欲しいと思っている。

 さて、今年の夏の大会は、どんな顔ぶれになるのだろう。

 

  

 
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吉本興行  雑感

2019-07-25 06:13:02 | 発想$感想

★ 『謝罪会見』というブログをアップしたが、この二人が語った言葉自体に感動を覚えたからである。



 

 

最近は『お笑い界』には全く興味・関心もないし、この二人の名前も全く知らなかったのである。
 ただ、この『謝罪会見』は、思わぬ展開を見せて、今『吉本興行』とGoogleで、検索するとこんな写真が並ぶのである。



 

 


 吉本興業の岡本社長の会見が話題で、いろんなところで取り上げられていて、思わぬ騒動になりかかっているのである。

 私自身も1980年当時の『漫才ブーム時代』には、お笑い界にも関心があったし、当時のお笑いタレントは、みんなよく知っている。

 こんな人たちだったのである。





  

 

★ 当時から『吉本興行』という言葉は、お笑いの中でも取り上げられて、何となく『吉本ファミリー』的な印象を持っていたのだが、確かに最近はそんな印象を持てるようなことにはなっていないのだろう。

今の社長さんは、年代的にこんな人たちよりはずっとお若い世代のようである。
 

今回の騒動で、『吉本興行』が気になって改めてWikipediaなどを見てみたら、明治時代に創業された旧い旧い会社なのである。

 ちょっと一部を抜粋すると、


明治末期の創業以来100年以上にわたり、古くは初代桂春団治、横山エンタツ・花菱アチャコ、柳家金語楼から、現在の明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号らに至るまで、東西の多くの人気芸人を輩出してきたお笑い界・演芸界の名門。

 この辺りのことは知っていたが、スポーツにも関連があったことなどは知らなかった。

また戦前は、巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え、戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにし、近年はスポーツ選手のマネジメントを数多く手がけるなど、スポーツ界とのつながりも深い。
「お笑いの総合商社」「日本最大の芸能プロ」と言われ、芸能界における絶対的な権威から今や「吉本なしでは、番組が作れない」とまで言われる。 

 などと書かれてあって、大きくなり過ぎて『吉本ファミリー』などの枠の中には入り切れなくなっていたのだろう。

 

★岡本社長の会見報道も観たが、一言で言って『弁解会見』で、あの宮迫・田村の『謝罪会見』の迫力は微塵も感じられなかったのである。

 今のお笑い界自体が、かっての『漫才ブーム』のようにご当人の『本職』で登場しているのではなくて、その殆どが『司会業』だから『芸能人』とホントに言えるのかどうか? 
 そこに『』などは一切感じられないことが、私など最近の番組を観る気になれない原因だと思っている。


 吉本興業に限らず、今の企業は、『売上高や利益などの追求』がベースで、企業だからそれもいいのだろうが、企業設立・企業運営の『基本コンセプト』が綺麗な言葉で語られてはいるのだが、『心がこもっていない』のが問題なのだろう。

 岡本社長の記者会見も、そんな世間一般の『謝罪会見』のレベルに落ちてしまっていて、観る人の心を打つことがなかったのである。

   

  

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巨峰を育てる

2019-07-24 07:28:22 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★庭に葡萄の苗を植えて3年目である。
  
 確かなことは忘れてしまったが、種類は確か『巨峰』である。
 その後、いろいろ葡萄の育て方など読んでみたら『巨峰は素人には無理』とも言われている。

  だからかも知れない。 我が家の葡萄は今年は枝は伸びたが、葉ばかりで花も咲かなかったし、勿論実など見ることは出来なかった。

 いまこんな状態なのである。

 葉と枝だけは何とか伸びている状態で、枯れている訳ではない。
 実が付いていないだけである。




 これは近くのお宅の葡萄だが、毎年いっぱい実をつけていて、
 

 
今はこんな状態。 いっぱい袋が下がっている。




 何とか来年は、こういうう風にならぬものかと、今更ながら勉強を開始した。
 『巨峰を育てる』と検索するといっぱい出てくるのである。


  

  


 この二つは、プロの方の栽培方法だが、こちらは素人の方が、庭で育てている『巨峰』なのである。

 5年程掛かっておられるので、やはり3年では無理なのかも知れない。
  


 最後にこちら1年の『葡萄の栽培カレンダー』 今年は実は諦めて枝と葉を立派に育てて、 秋からの肥料やりあたりから、スタートしてみようと思っている。
  


 一番の問題は、『1,2月の冬の剪定』と 『春の芽欠き』のようだから、 ちょうどいま育てている『バラのスタート』と同じ時期なのである。

 植物は 『いい花や実を望むなら立派な枝を育てたらいい』というのが私の勝手な理論なので、剪定が一番大事なのだと思う。

 葡萄もすべてを育てようとしたら、すべてがダメになるはずで、『育てる枝』を定め、実もすべてを育てるのではなくて、育てる対象を明確にすべきだと思っている。
 そんな理屈だけは解っているのだが、果たして実行できるだろうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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北播磨総合医療センター

2019-07-23 16:30:05 | 発想$感想


★ 今日は家内の北播磨総合医療センターでの検査がいろいろあって、その運転手で病院まで行ってきた。

 いろんな検査をして8時半から11時まで掛ったのだが、私はその間病院の周辺をスロージョッギングしたりして、約6000歩ほどウロウロしていたのである。

 そして最後にエレベーターで7階まで上がって周辺の写真を撮ってきた。

 スマホの写真の中に、『パノラマ』というのがあるのだが、いままで一度も撮ったことはなかったのだが、あまりにも眺めが広大なので『パノラマ』で撮ってきた。

 果たしてその撮り方がコレでよかったのかどうかは定かではないのだが、こんな写真が撮れたのである。


 こちらは南の方を向いている。ちょっと解り難いのだが右上は加古川である。
駐車場は広いが、殆ど満車の状況。
 


 こちらは西北の方向、右上は社、今の加東市である。
 駐車場はこちらにもある。一体何台止められるのだろうか?
  


 こちらは普通の写し方で、いずれも7階からの眺めである。

 こちらの方がはっきりとは写っている。
 右の山は三木、その右が加古川である。

  


 ちょっと右に振って、加古川の方向。
 


 こちらはずっと右、撮った場所が建物の西側、 高速道路のように見えるの175号線その向かう先は社である。



  駐車場を撮ってきた。見事に満車である。

 ところが、満車で新しい車が止まれないということはない。
 私が入った8時半ごろは3分の一ぐらいが埋まっていたが、10時過ぎからは帰る車も結構多いのである。
 回転がスムースで、入る車と出る車が拮抗している感じなのである。
 


 病院には行ったが2時間半、結構いろいろと忙しく過ごして、戻ってきた。

 肝心の家内は未だ、いろんな検査が続いていて、明後日も眼科に行くことになっている。
 その症状から言って、大したことはないと思っているのだが、病院側は丁寧に検査してくれるのである。
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好奇心

2019-07-23 05:55:01 | 私の生き方、考え方&意見

★何でもないことでも、何故か気になって『見極めよう』と思ってしまう。

それが『好奇心』なのだろうが、現役時代、周囲から『好奇心の塊』と言われたりした。
 つい先日のブログで体育館の『シートの話』をアップした。
 何の競技のためのシート張りか?と思ったのだが、それは競技のためのものではなくて『参議院選挙の開票会場』のためのものだったのである。

 


 その選挙の開票は昨夜2時半まで掛ったそうである。
 今朝は、その体育館の2階でランニングをしたのだが、ちょうど『後片付け』が始まったのである。

 前回、このシート張りの手際よさは『プロの仕事は流石』と思ったのだが、その後片付けはどのようにやるのか、興味があったのである。

★筋トレをした後、体育館の2階に上がったのがちょど9時15分で、後片付けが始まったばかりだったのである。

 前回に比べて人数が多いなと思ったら、投票箱関係の三木市役所関連の荷物は『日通』さんが、シートなど会場の設備関連は、前回の業者の方で増えてはいなかったのである。

  

 机だけは既に片づいていてこんな状況だった。
 両隅に纏められた荷物は結構な量だったが、これが日通さん担当の選挙関連の道具なのである。

  

 
大きく写すと、これだけでも結構な量である。

 
  

 これはシートの業者の方ではなくて、三木市役所が投票箱など日通さんに頼んだようである。

 


 机は椅子・シートなどは業者の方が用意されたようで、二つのグループの協同作業だったが、どちらもプロだから、その手際はイイ。


★ 床に張ったシートをどのように巻き取るのか?
これが問題だなと思っていたのだが、ここからの手際よさがまさに『プロの業』だなとびっくりしたのである。

 まずは二人がシートの表面をモップで清掃し、その後二人がシートを抑えているテープをはがしていくのである。
  


 そのあとのシートの巻取りには専用の道具があったのである。



 こんな道具に巻取りハンドルがついていて、綺麗に清掃されたシートを手回しハンドルで巻き取るので、結構簡単にシートは巻き取られていくのである。


 私は 現役時代、ある意味イベント屋でもあったので、イベントの準備や後片付けには結構興味があって、昨日はランニングの後プールに行く予定を変更して、ランニングをやりながら、この後片づけをほぼ最後まで見ていたのである。


 ほぼ完了したのがこの写真だが、この作業を見だしてからちょうど1時間半の10時45分には、ほぼ完成したのである。



 その頃には、選挙道具の三木市役所関連の日通さんの作業も終わって、多分昼前にはすべての作業は終了したのだろう。

  


★ それにしても『私はもの好きだな』と自分でもそう思うのである。

 こんなことに興味を持つ人は、多分少ないだろう。

 ただ、こんなことにも興味をもつので、その後、何かで『役にたってる』と信じたいのである。

 効率的に作業を進めるには、やはりベースに『仕組み・システム』がいると思うし、
 そんなシステムは、人が考えて『創り出す』のだが、現場を知らなければ、それは簡単には『創りだせない』ようにも思うのである。

 いずれにしても『ちょっと変わってるな』と自分でもそう思っている。


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参議院選挙  雑感

2019-07-22 06:12:26 | 発想$感想

★参議院選挙の投票日だった。
 朝、投票所に行ってきた。

 『1票が政治を変える』などというが、『投票しても政治など変わらない』という人もいる。
 確かに、そんな気もしないでもない。
 投票する候補者を見て、その人が日本の政治を変えるだけの力があるかどうかは正直よく解らないのである。

 アメリカの大統領選挙のように、『トランプさん』みたいな人が候補なら、その方向の良し悪しは別にしても『政治は変わる』と思えるのだが・・・・

 社会保障とか、消費税問題なら、一人の候補者の数などあまり関係ないかと思うが、『憲法問題』なら、一人の当選が、意味を持つかも知れない。

 
★兵庫県はこんなメンバーで争われた。
 
 


 朝7時から投票可能ということなので、こんな時間に行ってみたが、既に沢山の方が投票に来られていた。


  



★いよいよ開票速報が始まった。
まずは 『与党 改選過半数は確実』 と選挙中から言われていた通りの結果である。
 改憲勢力85議席には届かなかったとか。

  


 選挙期間中はこの辺りは静かだったが、報道によると兵庫は激戦区だったようである。
 その結果は維新・公明・自民で、立憲は及ばなかった。
 大阪の隣だが、維新の勢いの強さを感じた。




★ところでこの選挙勝ったのはどこかな?
 と思ったら、こんなニュースが流れていた。  

今回の参院選挙、一言で総括するなら、勝利したのは『吉本興業VS宮迫さん』です。・・・・参院選が吉本興業のニュースに完全に食われたことを皮肉った。

昨日、このブログでもこの話題取り上げたが、確かに世の中の話題をさらった感がある。

 改憲勢力が85議席に届かずに、私としては残念な選挙結果だった。

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謝罪会見  雑感

2019-07-21 11:35:01 | 発想$感想

★ 昨日の宮迫・田村の謝罪会見も観たし、

 



 この件での 『松本人志と東野幸治の生放送』 も今観たところである。


 


  
  



この事件そのものに対する意見もあるが、それは兎も角として、
人の言葉』には、ホントに自分の気持ちを伝える『重たさ』みたいなものを感じた。
 
そんな『言葉の良さ』みたいなものを忘れかけていたが、それを思い出させてくれた『記者会見』であったし『生放送』でもあった。


 しょっちゅう見かける、『社会的地位の高い方たちのこんな謝罪会見』と比べて、
 観る人たちに『伝えたい気持ち』を表現する『言葉』がそこにあったことに感動を覚えた。



   
 


 今後、どのような進展になるのだろうか?
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蝉の初鳴き

2019-07-21 04:58:00 | 発想$感想

★昨日パソコンの前に座っていたら、庭で蝉が鳴いた。

 少なくとも、今年初めて聞いた蝉の声である。
 蝉の声を、『いつ初めて聞いたのか』 そんな鳴き始めの時期など今まで、気にしたこともない。

 ちょっと気になったので、Googleで『蝉の初鳴き』と検索すると、いろいろと並ぶので、そんな中からの表と解説文をご紹介してみたい。

 それは『ミンミン蝉』と『クマ蝉』に分類されていて、ちょっとだけ違うようである。
 桜の開花とは逆で北海道が一番早いとはビックリだった。







 その解説文からの抜粋である。


四季の変化のある日本には、私たちに季節の到来を感じさせてくれる多くの生きものがいます。それは、早春に顔を出すフキノトウや、晩夏に鳴き出すマツムシのように、身近にあって季節の変わり目をいち早く伝えてくれるものです。
セミもまた、その鳴き声によって私たちに季節を告げるなじみ深い生きものの一つです。
 その年、初めてのセミの声である「初鳴き」の記録を全国から集めて地図に書きこんでゆくと、サクラ類の開花前線のようなセミの初鳴き前線図ができあがります。
 ・・・・今回の調査では、鳴き声による区別のしやすい9種類のセミについて報告していただき、それを地図にまとめることを計画しました。その結果、「初鳴き」に関して13,415件の報告が寄せられました。
 
「初鳴き」について、ミンミンゼミとクマゼミについてまとめたものが上の図です。
ミンミンゼミを見ると、
北海道地方がもっとも早く、6月下旬には鳴き声が聞こえます。
北関東、北陸地方などでは7月中旬
九州地方などでは7月上旬となっています。
サクラ前線と違って、北にいくにつれて、鳴き始める時期が遅れるといった単純な図式でないことがわかります。
 
 
この辺りは全国で一番遅く、『7月中旬』となっている。
もう少し、早く鳴いていたのかも知れぬが、私は昨日初めて聞いたような気がする。


 そんなデータの中にはいろんな表などもあるのだが、神戸新聞のこんな記事もあった。
 温暖化でだんだんと早くなっている傾向だという。


    

 
ホントに何でも調べている方もいるし、そんなことがネットの検索ですぐ解るのがいい。
 時間いっぱいの私には『いい暇つぶし』にもなるし、毎日書いてる『ブログのネタ』にもなって、重宝しているのである。

 蝉の声、もう聞かれましたか?


 
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どこの世界にもプロはいる

2019-07-20 05:59:07 | 発想$感想

★ 昨日三木市の体育館でランニングしてた時の写真である。

 体育館の床にシートを張っていることは解るのだが、『どんな大会があるのだろう?』と思った。
 
 この体育館ではフットサルも卓球もバスケットなどもよくやられてはいるが、いずれの競技もシートなどを貼ったりはしないのである。

  

 
 女性二人を含めて12名で黙々と作業していたが、めちゃ手際がいい。

 20分ほどランニングしている間に、こんなになった。

 


 そしてテーブルが置かれだしたが、これは競技ではなさそうである。
 
 
  


 何かな? と思っていたら、
 日曜日にある参議院選挙の投票会場ではなくて、
 三木市全体の『開票会場』になるらしい。

 中央に木貼りの通路が一筋中央まで伸びているが、これは置いてある台車で投票箱を乗せて運ぶのだろう。
なぜ一筋だけ木貼りなのかな?と思っていたのである。
 

 ここを開票会場に使うのは今回が初めてで、ここはクーラー完備だし、今後の選挙開票は全てここになるようだ。

 別に土足で入る訳ではないようだが、
 体育館を借りるので床を傷つけないように『気を遣っている』ようなのである。

 ところで、シートを張ってる人は『市役所の方ですか?』と聞いたら、
 『業者の方です』という答え、
 『流石プロ』と言える手際の良さだったが、なんでも『プロがいる』ものである。

 プールで30分ほど泳いで上がってきたら、入口からの廊下にもシートが張られていて、コレで完成である。


   

  
  スタートが何時だったのか? 
  たとえ9時からだったとしても、2時間は掛かっていない。

  これを素人がやると終日掛かるのではなかろうか?

  『どこの世界にもプロはいる』というのが、感想だが、
  この方たち普段はどんな仕事をされているのだろうか?


  
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天気予報  雑感

2019-07-19 06:07:33 | 発想$感想

★この頃は、世の中進歩して、なんでもよく解るようになった。

 天気予報もその一つである。
 テレビなどでも詳しく報道されるし、ネットでいろいろと見ることもできる。
 ただ、雨の降り方は地域によって一様ではない。

 7月19日朝6時、昨夜は結構降ったような気配はあるが今は殆ど降っていない。
 昨夜のニュースではこんな風に言われていて、明日は確りと降るのだろうと思っていて、朝のゴミ出しが大変だなと思っていたのだが、傘も差さずにいつものようにごみを出してきたのである。

  


 

今の天気図はこんな状況だから、今は近畿はどこも大したことはないのだと思う。

  
 

 これは昨日の夜の状況なのだが、あちこちに『大雨の赤い雲』が見られるのに三木の地域だけが雲はかかっていないのである。

     

 

★ こんなことばかりが続くので、ちょっと不謹慎な言い方をすると『拍子抜け』の感じなのである。

 大雨に降られた地域の方は大変だとは思うが、これはどうやらその地域の地形が原因しているようだから、いつも同じような地域に大雨が降るのだろう。

 大雨が降るのはこのようなことのようである。

記録的な大雨には地形も関係することが多い。暖かくて湿った風が山の斜面(しゃめん)にぶつかると、強い上昇気流ができる。風がどんどん流れ込んでくると、積乱雲が次々と発生しやすい。
 

三木の近くには大きな山がないからか、ホントに不思議なほど大雨が降らないのである。三木に45年も住んでいるが、雨のことをこんなに気にしたりしたのは『今年が初めて』なのである。
 それは昨年・今年と2年続けて7月の大雨だし、もう一つは『天気予報』がよく解るようになったからだと思っている。

 
 
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