雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

台風10号  無事通過か?

2024-08-31 13:27:59 | 発想$感想

★ 日本各地に大きな被害を与えた台風10号だが、
 私の住んでいる三木では全く何事もなかった。
 風も吹かなかったし、雨も昨夜に一寸降っただけである。

 
 朝6時25分の天気図だが台風は南の方で、三木には全くと言っていいほど
 関係なかった。



  

 三木の今日の天気である。
 風も雨も全く大丈夫だった。

 


 ニュースではこんなことも言ってるが、全く関係がない。
 今回も全く無事だった。
 三木は本当に自然災害とは無縁で過ごせている。
 阪神大震災の時も、神戸の隣町なのに何もなかった。

 




  今回は「ひどいかな」と思って、
  植木の鉢を倒し倒しておいたが大丈夫だった。





  無事通過でよかった。
  と思ったら今朝のニュースではまたこんなルートだという。
  大丈夫だと思うが、この方向ではまた三木のほうに向かっている。

  


  この台風10号の進路は、今までにない不思議な進路だった。
  もう風のほうはそんなのでもないようなので、大丈夫だと思っているが・・・


   
  

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日記とブログ    雑感

2024-08-31 06:24:41 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 日記とは原則毎日書くものだろう。
 私の場合も20歳の頃から書き出した日記だが、
 70年間書かなかった日は「1日もない
 間違いなく毎日続いているのである。


  



 ただ、最近のように殆ど毎日同じことの繰り返しになってくると
 日記に書いている文章も殆ど同じようなことの羅列になるのだが、
 それは日記だから、殆ど同じでも問題はないのだろう。

 
★ 一方で、2006年9月からはネットで「雑感日記」なるものを書きだした。
 こちらの方も18年もアップすることが続いていて、
 それをツイッターFacebookにも転記しているので、
 毎日アップされ続けているのである。


  


 よく書くことがあるものだと自分でも思うのだが、
 ツイッターやFacebookは別に毎日アップしなくてもいい筈なのである。
 Instagram もやってるのだが、こちらの方は毎日ではなく気の向いた日にアップしているのである。


★ ちょうど8月末で区切りがいいので、
 「雑感日記」もInstagram並みに気の向いた日にだけアップするようにしようかなと思っている。
 なぜ、そんな風に思うようになったのかと言うと、
 昨今の同じことの繰り返しの毎日では、そのうちに「毎日アップする」ことが負担になるかも知れないからである。

 若し、スタンスを変えるのなら8月末がちょうどいいのかなと思っている。
 「そう思ったら」 多分そうすることになるのだろうと思う。
 そんなことでこんなことを書いている。

 最近はホントにすることもないので、
 この「雑感日記」を書くこと自体も楽しみの一つなのだが、
 「毎日アップする」ことが負担になる前にコンセプトをを換えた方がいいと思ったのである。

★ 従って、この「雑感日記」のほうは9月からは毎日ではなく、
 気の向いた日にアップする Instagram 並みに自由にすることにしたい
 黙ってそのように変更してもいいのだが、
 このように「意志表示」するのが、私の性格なのである。
 そんなことで、9月からはアップしない日が出るかも解らない。
 こんな風に、アップしてちょっと気が楽になった感じである。

 
 
  
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私の生き方、考え方意見

2024-08-30 05:36:42 | 私の生き方、考え方&意見

★ よく人は「何になりたい」などと人生の目標を持つのだが、私自身は子どもの頃から「何になりたい」と思ったことは一度もない。
 これは考えてみると不思議だが、そうなのである。

 ご縁があって何となくサラリーマンになったのだが、
 それが希望だったわけでもなくて、何となくそうなるものだと、
 当時は思っていたように思う。

 そう言う意味では、私の進路は周囲の人が決めてくれようなところがある。
 たまたまカワサキの二輪の世界にスタートの時期から関わったのだが、
 「新しく出来た部門」を別に希望したわけでもなく、
 バイクが好きだったわけでもない。

 ただ、与えられた仕事は、どんな仕事でも結構面白かった。
 特に新しい経験者や先輩がいない環境で、
 広告宣伝レースと言う全く新しい分野を担当したのは、
 それを「やってくれ」と頼まれたからである。
 その後の、営業第1線の分野代理店営業東南アジアのCKDなど、
 それに関わった先輩たちが居ない分野を何となく頼まれてやったようなところがある。

 まだ係長にもなっていない時期に子会社に出向して
 広告宣伝課を担当したので「課長」という職位についたし、
 その後、与えられた職位は所長・母店長・統轄部長・常務などを早い時期に与えられ、一時は系列子会社の社長を7つも兼務した。
 川崎重工業の職位で言えば「部長」の頃の話である。
 川重の職位には全く拘らずに、むしろ事業本部長になることをずっと避けていた。
 その理由は事業本部長は技術系の事柄が多くて、
 どうも「技術関連」はややこしくて嫌いだったからである。
 そんなことで「取締役」などになることも何となく避けていたら、
 「技監」なる職位が与えられて私の最後の職位は「技監」なのである。

 
  


 これは技術関係の博士や、官公庁から天下りしてきた技術屋さんに与えられる、取締役待遇の職位なのだが、
 当時の大庭社長が「お前はマーケッテングの分野が得意だか」と
 川崎重工業始まって以来初めての事務屋の技監になって自分でも大いに満足していた。
 当時はカワサキの国内市場担当だった頃である。

★ 生き方としては、人を疑わずに徹底的に人を信じて、部下を信じて、殆どすべてを任していた。
 部下にあまりと言うか、殆ど指示をしたことがない。
 好きなようにやらせたら結構上手く行くものである。
 「信じる者は儲かる」と思っていた。


  



★世の中には、性善説と性悪説があるが、
 私は「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする馬鹿みたいな「性善説」なのである。
 部下でも、取引先でもみんな信じてしまうのだが、
 幸いにして「騙された」ことがない。


     


  性善説型に「新しいことを始める」とあるが
  「新しいこと」はいっぱいやって生きてきた。

  定年後もネットの世界を楽しんで、
  ブログやツイッターFacebook にハマっている。
  世の中に91歳の人ネットの世界にいる人は珍しいのかも知れぬが、
  Facebook などいっぱいトモダチがいる。
  そんなに知っている訳ではないのだが、どなたも「信じている」のである。
  疑ったりするよりは、信じて騙される方がいい
  でも、ホントに騙されたりしないのである。


  
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台風10号の進路と日時

2024-08-29 05:07:26 | 発想$感想

★ 一番新しい台風10号の進路予想である。
  まさかと思った九州に行って、四国のほうに曲がってそのままかと思ったら、
  紀伊半島の南の海上から一転北上するという予想になっている。
 この地域に近づくのは明後日9月1日だが、
  こんなに予報進路が変わる台風も珍しい。






 最初の進路はこんな感じで27日には関西を直撃するということだった。


  


  それが何故か台風の進路が突然変わった感じで、
  当初は関係のなかった九州の方へ曲がっていった。
  そしてスピードが何故か無茶苦茶遅くなってしまった。
  最初の予報では、三木の辺りは27日だったのに、
  現在の予報では9月1日なのである。

  こんな予報の時もあって、
 その時には三木辺りは関係ないのかと思っていた。
  
   


  
  それにしても、進路も日時も何故こんなに変わったのであろう。
  当初なら全く関係のなかった鹿児島や宮崎の方は運が悪かったと言わざるを得ない。


  
  

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1ヶ月ぶりに外で走ってきた

2024-08-28 06:28:38 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 先月7月末から、外の猛暑を避けて屋内のジム通いをしてたのだが、
 1ヶ月ぶりに外の三木総合防災公園を走ってきた。

 

  先ずは林間広場に車を止めて、

 

 

  いろんな器具を使ってのストレッチなどを30分、




 そのあと広場を1周して





 そののち東側に場所を移して
 こんなコースをスロー・ジョッギングしてきた。
 
  
  


 
  広大な公園だから、一部を周るだけで結構な距離になる。




 日影の周辺道路を

 


  通って




 散歩道に入り

  


 そこを半周して





  サッカー場の横を通り、





 なだらかな坂道を登ったら、




  車を置いてた駐車広場の処に戻ってきた。





★ 朝7時半から9時までの1時間半、
  かんかん照りではなかったので、何とかなった。

  
 7000歩・5km・1000cal消費と言う目標をことごとくクリアして、
 久しぶりのいい汗をかいた「いい1時間半」だった。


  
  
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メダカを池に放した

2024-08-27 06:29:56 | 発想$感想

★ メダカは今も毎日産まれ続けている。
 水槽にもメダカがいっぱいいたのだが、少し大きくなったので池に放した。
 何百匹の単位である。

 小さいがこれくらいになると食われる心配はない。

  


  先に放したメダカは少し大きくなっている。
  




  来年は池でもメダカが増えるだろうか?




 水槽には新しく小さなメダカを入れた。
 まだまだ暑さも続きそうだから。
 メダカも生まれ続けることだろう。
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大學、4・5回生の2年間  自分史

2024-08-26 06:04:09 | 自分史

★昭和30年(1955)年は4回生で
 成績は兎も角単位は取れていたので、卒論さえ出せば卒業は出来たのだが、卒業を1年延ばすことにしたのである。
この2年間の日記を改めて読み返してみたが、いろんなことがあった2年間なのである。


 



★ 4回生の昭和30年5月に何かと世話になっていた伯父が亡くなった。
 その葬儀に来られた川崎航空機の社長の砂野仁さんが、就職難の時代だったのだが「よかったらうちにいらっしゃい」とは言って頂いていた。
 春先は肺浸潤の経過もよく、野球部のキャプテンもやってたので、
 プレーもやっていたのだが、それがちょっと無理だったのか、
 9月には空洞が出来てると宣告されたりしたのである。

 秋には就職試験も始まったのだが、
 いろいろ考えた末に1年卒業を延ばすことにしたのである。
 この1年延ばしたことがその後の私の人生を決めたと言っていいのかも知れない。

 10月4日に砂野仁さんを訪ねて卒業を1年延ばすことを伝えている。
 砂野仁さんは、かって戦時中に伯父が片手間にやっていた明石の錦江ホテルが軍の指示で川崎航空機に接収された当時の総務部長で、
 伯父のほうが年上なのだが、その後至って親交があったのである。
  
 


 「片手間で」と書いたが、伯父の本職は、当時の日本は一番大きかった
 「南鮮合同電気」のオーナ副社長だったのである。

  
  

 私が神戸一中に入学したのも、実は砂野仁さんの薦めだったので、
 そんな子供のころから、伯父宅によく来られてた砂野さんを「おっちゃん・おっちゃん」と呼ばせて頂いたりしたのである

★ そんなことで大学は1年卒業を延ばしたのだが、
 翌年4月には野球部長から正式に野球部の監督を依頼されて、引き受けている。
 単位は取れていたので、5回生当時は野球部の監督をして過ごしたという大学生活だったのである。
 この年の4月に野球部に小山修身君と言う優秀なピッチャーが入って、6月には明石高の先輩だったプロの井筒さんに小山のコーチをお願いし、手首の使い方の指導を受けたりしたのである。

 その結果がよかったのか、秋のリーグ戦には、
 小山修身投手は、対市大2-0、対工大1-0,対工大0-0、対経大4-0、対経大4-0と1点も許さず53イニング連続無失点と言う、当時の学生野球記録を成し遂げたのでらる。
 監督をしていた私は30イニングを過ぎるころからそれを意識していて、本人も野球部の人達も気が付いていなかったのだと思うが、
私はそれを意識しての采配をしていたのである。
それが学生野球記録であることは私も実は知らなかったのだが、
ホントに大記録でその結果、秋のリーグは近大に次いでの2位に終わったのである。

そんなことで私自身は中学2年生から野球を始めたのだが、それ以降は、学生生活=野球部生活のような学生時代を過ごしたのである。
前述したように中学校は旧制神戸一中に入学したのだが、ここは秀才ぞろいであったが、2年生まではホントによく勉強をして、学年で「10番以内」にいたことがその後の私の自信に繋がっている。
 たまたまだが、3年生のときには男女共学となり、高校入学時は学区制で明石高に転入したこともあって、英語、数学などは勉強をする必要が無かったのである。
神戸一中の2年生の授業のレベルは、それくらい高かったと言えるのである。
そなこともあったし、何事もやりだすと熱中する性格で、その後の学生生活は野球にハマっていたと言ってもいい。

★ 最後は野球部監督と言う1年を過ごすのだが、入社試験を受ける昭和31年は不景気の就職難から一転して、
1956年(昭和31年)は神武天皇が即位して以来、例を見ない好景気という意味で「神武景気」と名付けられのである。
そんなこともあって川崎航空機も大量の採用人員となり、学校の成績は悪かったが、問題なく私も入社できたのである。
因みに、会社の同期会の名称は「神武会」なのである。

 若し、4回生で卒業していたら、川崎航空機に入社できたかどうかは解らない。この年までは非常に厳しい就職難の時代だったのである。
 何となく1年卒業を延ばしたことが、私の人生で多分よかったのだと思っている。
 人の人生は実力もあるが、運もある。
 そう言う意味では私はその後も「運のいい人生」を送ることが出来たと思っている。


  

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三木の夏祭り

2024-08-25 06:11:39 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 三木に住んで50年にもなるのだが、
 「三木の夏祭り」なるものに行ったことがない。
 
 昨今は三木総合防災公園にその舞台が移っているので、
 今年はぜひ行ってみようと思っていた。

   


 車では乗り入れ禁止なので、
 歩いて会場まで行くことにした。

 こんな連絡通路を通って、

 


 更にこんな道を通って、





  会場までは約6000歩もあった。
 かき氷屋さんがあったので
  




  ホントに何十年ぶりに「かき氷」を頂いた。





 だんだんと陽が暮れて




  こんなに沢山の人出だった。




 だんだんと日が暮れて




  三木市長も舞台に現れて、
  愈々、花火が打ち上げられたのが8時ちょうど。





  夜空に綺麗な花火が上がった。











  写真よりはやはり実物がよかった。

  91歳にして、生まれて初めて花火の下で花火を見た
      
  三木総合防災公園での大勢のお客さんで賑わった
  「みっきい夏まつり」だったが、
   ひょっとしたら、会場に来られてた方の中で一番年長者だったかも知れない。
  会場までの往復歩数は「11,411歩」となっていた。


  

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自然の力はスゴイな

2024-08-24 05:53:50 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 これは我が家の庭に咲いた百合だが、
  今年小さな芽を出して、「何の植物かな?」と思っていたら
  百合の花だった。
  植えたり、種をまいたりはしていないので、自然に芽吹いたものである。

  


  小さな庭だが、いろいろといっぱいあって、
  植えた樹などが中心だが、自生したものも結構多いのである。

  このもみじもかってに生えてきて今3年目だがこれくらいにはなった。
 
   


 このもみじも同じ年に芽生えたが、種類がちょっと違いうようである。



 

  どのような樹形にしようかと、いま検討中なのである。

 この万両も落ちた種から勝手に育ったもので、

  


  万両は種が落ちてかってにどんどん増える。
  いまも庭のあちこちに小さな芽吹き賀いっぱい見られるのである。

  いまでも50本以上の万両があるが、
  この調子では5年後には万両だらけになるのではないかと思っている。

  



  冬に赤い実をつけるが、
  千両・万両はどちらも冬の庭の主役なのである。

★ 樹も生き物だから枯れたりはするのだが、
  それ以上に新しく芽吹くのが本数的には圧倒的に多い。
  自然界で森が出来るのがよく解る。

  そんな庭の動きを楽しんでいる。

 
  
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台風10号     雑感

2024-08-23 07:24:21 | 発想$感想

★もう何十年も台風とは無縁だったのだが、
 「台風10号」は間違いなく関西にもやって来る。 

 「台風10号は、このあと進路を北よりに変え、日本列島に向かって北上する予想です。徐々に発達して暴風域を伴うようになり、現時点の予想では27日(火)未明には本州のすぐ南の海上を中心とする予報円に強い勢力で達する見込みです。5日間の予報期間の中では5日先の勢力が最も強くなっています。」

 とこんな進路予想だったが、
    


 最新の予想では進路はちょっと東に振れている。

  


  大型の台風のようだが、ここは進路の左側に当たるので、
  何とかなるのではと思っている。
  台風の強さについてはこんな記述がある。

  「右側は、台風を動かす風の向きと中心に向かって吹き込む風の向きが一緒になり、風の勢力が増してしまいます。 一方、左側は台風を動かす風の向きと、中心に向かって吹き込む風の向きが異なるため、互いに打ち消し合い、勢力は右側ほど強くはありません。2020/09/

★ 多分、「何もしない」と思う。
  雨戸を閉めるぐらいで、それ以上備えようがない。
  三木に移り住んで50年になるが、
  台風が来たという記憶がない。

  昭和30年代は明石に住んでいたのだが、
  当時は毎年のように台風が関西を通っていた。
  その頃以来のことである。

  我が家の立地はなだらかな坂道なので、水は大丈夫である。
  廣野の平野よりは低いので、風も上を取り越していくだろうと思っている。
  よく防風林などと言うが、そんな役割を廣野平野がやってくれている。

 どうしようもないので「大したことにならない」ことを祈るのみである。

  


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岸田総理は結構な実績を上げたのに

2024-08-22 06:04:09 | 政治

★ 岸田総理が退陣を表明して自民党総裁選挙のニュースが賑やかである。
 政治の世界のことはよく解らないが、岸田内閣の支持率はなぜこんなに低かったのだろう?
 これは国民の評価なのだが、何に問題があったのかよく解らない。

 
 


 
地味ではあったが、外交面を中心になかなかの実績を積んできたと思うし、


  


  私の故郷と言ってもいい日韓関係がよくなったのは、
  私は特に評価したい。


  


 最後には物価の上昇率を上回る「賃上げ」も実行した。





 そんな岸田さんを今頃になって
 麻生さんは「支えた甲斐があった」と評価しているが、
 ちょっと遅かった気がする。






  実績は兎も角、一般国民の評価を得ようとすると
  どんなことが必要なのだろう?
  派手さが要るのかも知れないが、

  でも今回の総裁候補の一人、石破さんの人気が高いのはなぜなのだろう?
  兎に角、政治の世界のことはよく解らないが、
  果たして、誰が次期総裁になるのだろう?
  この総裁レースにも目が離せない。
  

  
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久し振りによく降った

2024-08-21 05:21:59 | 発想$感想

★ 先日来北の方では大雨だったが、
 この播磨地区はなぜか雨が少なくて、
 この時期毎日夕方には打ち水をしているので、
 「たまには雨が降ればいいのに」と思うこともある。

 昨夜はそんな雨が結構降ったようで、
 朝新聞を取りに行ったときはこんなに通路が濡れていた。

 
   


  こんな感じになることは滅多にない。

  
  


  メダカの鉢の水がいっぱいになっていて、
  もうすこしで水が溢れるところだった。


 



  ただ、朝には上がってしまったが、
  お陰様でホントに久しぶりに夕方、打ち水をしなくて済んだ。


  
  

  それにしても、なぜ播磨地方は雨が少ないのだろう?


  
  
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昭和29年(1954)大学3回生の年   自分史

2024-08-20 06:28:43 | 自分史

★ 前年度の昭和28年の秋、10月20日から突然日記を書きだしたことは
 前回の自分史で書いた通りである。
 前年度は大学ノートに書いているのだが、この年には日記帳に記している。

 前年度の秋に突然「肺浸潤」の宣告を受けたのが日記を書きだした一つの理由であったのだが、
 「絶対安静」などと医者には言われたのだが、寝てたのは前年秋の10日間だけで、
 その後は寝たりはしていないが、何となく気を付けた生活になっている。

 この年の1月には兵庫県の高校のOB戦があって、明石高校のメンバー表の中には私の名前も載っていて、優勝候補の筆頭と書かれているのだが、
 その通り1月13日にめでたく優勝を飾っている。


 
 

 当時の社会人野球の花形スターが名を連ねていて、
 朝日スポーツ賞に輝いた山本治さんや当時の社会人野球の日本代表の4番を打っていた大津淳さんや同期の完全試合投手溝端圭一郎ほかホントにそのまま社会人野球に出ても大丈夫だというようなメンバーだったのである。
流石にこの時期は私も野球を止めてたので名前は出ているがプレーはしていない。

 こんな野球で始まった1年で、前半期は学校には行っているが
 野球の練習などもやめていた。
 日記にも結構病気を気にした記述も多いのだが、
 8月に名古屋の中日球場で第1回の全国商大大会が開催されて、
 この試合には是非参加をとマネージャーに頼まれて、ベンチワークなどをやっている。
 残念ながら優勝戦で敗れたのだが、こんなことから野球を再開して
 翌月の9月の合宿には参加し、来年度のチームのキャプテンに選ばれたりしている。
 当時のチームは4回生は1人しかいなくて3回生の私が実質のキャプテンを務めたりしたのである。

 そんなこともあって、秋のリーグの予想記事には
 遊撃・古谷のカムバックで内野陣も締まりとあったりして、
 近大に次いで「2位を狙う神商大」などと書かれたりしているのである。
 


 


★ そんなこともあって「肺浸潤」は完治したわけではなかったのだが、
 この年の秋からはまた「野球部の生活」が復帰したのである。

 私の大学での生活はこの年の前半だけが、野球からちょっと離れていたのだが、
 その期間を除けば「野球漬け」の大学生活だったと言えるのかも知れない。
 授業にも出てはいるが「勉強をした」と言ういう記憶はないが、
 日記には授業のことも書いてはいるが、全く覚えていないのである。

 そんな大学生活は、翌年の4回生、更には卒業を1年延ばした5回生と続くのである。
  
 
  


  

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今年のメダカは何匹になるのだろう?

2024-08-19 06:00:41 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 今年「メダカ」のことを最初にブログにアップしたのは
 4月25日のことである。
 「今朝初めて腹にいっぱいの卵をを付けた」と書いている。

  



 そして5月6日に今年のメダカの第1号が孵った。
 とブログにアップしている。

  


★ 今日は8月18日だが、まだ毎日メダカは卵を産み続けていて、
 一体、何匹生まれたのか?
 いま池には今年うまれたメダカがこれくらいになて元気に泳いでいる。


 


 1cmちょっとぐらいの大きさだが、
 何百匹単位の数にはなった。





  ホントに毎日産み続けるので、
 家の水槽にも入れているが、こんな状態で、
 間違いなく何百匹の単位である。

  


  こんな状態で池に入れると、メダカに食べられてしまうので
 5ミリぐらいになるまでは、こんな器で育てている。

 
 



 いまも親のメダカは元気で6匹ほどが毎日卵を産み続けているから、
 1日に孵るメダカの数は100匹以上になる。
 9月の半ばまでは産み続けるから今からでも1000匹以上生まれるだろう。

 


 果たして何匹になるのか?
 ひょっとしたら「1万匹」にもなるかも知れない。
 少々数が増えても池があるからその処理には困らない。

 メダカの生涯は2年ほどだというが、
 親たちは来年も卵を産み続けるのだろうか?

 こんなに増やすことが出来たのは、今年が初めてである。
 先日、小さなメダカを池に放したら、みんな食われてしまって可哀そうなことをした。
 自然界でもメダカだらけにはならないのは、食われてしまうものが多いのだろう。

 そんなことで、今年のように人が世話をすれば幾らでも増えるのだが、
 その手間はなかなか大変なのである。
 時間がいっぱいあるから出来ることだが、
 9月の何日ぐらいまで続くのだろう?
 今年はその最後まで観察して、世話を続けたいと思っている。

 
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門野真也くん 有難う

2024-08-18 05:40:09 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ スマホの写真がパソコンに現れなくて困ってしまっていたのだが、
 昨日、アメリカにいる孫の門野真也が電話をかけてきてくれて、
 彼の言う通りにいろいろやったら「治った」のである。
 
 スマホで今日撮った写真が現われなくなってしまっていたのだが、
 パソコンの画面にそれが現れるようになった。
 こんな感じで「今日撮った写真」が並ぶのである。

 


 これでブログに「新しい写真を使うことが出来る」ようになった。
 大したことではないと思われるかも知れぬが、
 ブログをアップしたり、Facebookにそれを使たりしている私にとっては、
 新しく撮った写真が現われぬことは「一大事」だったのだが、
 それが出来るようになってホッとしている。


 門野真也は今はアメリカのプロのサッカー選手で、
 チームのキャプテンをやってる中心選手だが、
 4人の孫の中で一番、私に近くて私のネット関係のお師匠さんなのである。
 バークレー大学出身だから、秀才と言えるのかも知れない。

 
 

 なぜ、ネット関係に詳しいのかはよく解らぬが、
 おかしくなったら「真也に聞く」ことにしている。
 非常に親切に嫌がらずに「きちっと教えてくれる」のである。

 それにしても便利な世の中になったものである。
 家内のアイパッドの画面を通して、こちらのスマホやパソコンを写して、
 真也の言う通りに触っていたら治ったのである。

 アタマもよく、運動も出来るのだが、
 一番いいのは人柄で、こんな面倒なことでも嫌がらずに親切に最後まで
 「教えてくれる」人柄が一番いい。

 
 「スマホとWiFiが繋がっていなかっただけや」と簡単に言ってたが、治ってホッとしている。

 「真也、有難う

 
  
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