雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

綾部プロジェクト スタート

2019-12-04 07:45:18 | カワサキワールド

★カワサキバイクマガジンの今月号に『Z1 開発者大槻幸雄さんの「殿堂入り」』
   というニュースが流れた。

カワサキの二輪事業に同じ時期一緒に関わったものとして,
ホントにご同慶の至りなのである。

 
    


 大槻幸雄さんとは、カワサキの創生期レース仲間として、ご一緒させて頂いたこともあって、今でもゴルフコンペZ1会でもご一緒させて頂いているし、Facebook でもトモダチで繋がっていて、コメントなども頂いている。
 
その大槻幸雄さんも会員の一人になっておられるKAWASAKI Z1 FAN CLUB の来年度のイベントが4月18日に京都・綾部市で開催することになっていたのだが、実は綾部市は大槻さんのご出身地なのでもある。

 そんなことで未だ半年も先の話なのだが、
是非大槻幸雄さんをお招きして、Z1のファンたちでお祝いをしたいということで、大槻さんにご出席を依頼したら『快諾』を頂いたので、
急遽『綾部プロジェクト』が動き始めたのである。

 いつもは40人前後のこじんまりとした会合なのだが、
大槻幸雄さんがご出席』ということになると、人数も増えるかもと、異例のことなのだが半年前にその予約を開始したら、申し込みが殺到して即満杯になってしまったので、当初予約しようとしたところの他に、隣の宿泊施設の温泉ホテルも全館予約し、対応しようとしているのである。

このZのユーザーたちの一泊『ツーリング・プロジェクト』は
今回は登山道夫さんのご担当なのだが、
大槻さんがご出席となると、一緒にお祝いをというカワサキの関係者も増えそうなので、私もお手伝いをすることにしたのである。


★そんなこともあって、昨日は登山さんと二人で、現地の当初の宿舎とすぐ隣の温泉ホテルの概要を視察に行ってきた。

綾部市は、初めてだったが福知山の隣のこんな静かな環境で山々に囲まれ紅葉が見事だった。
三木から綾部まで往路は高速に乗らずに立杭などを通って、地道を走ったのだが、二輪のツーリングには最高の山道・田舎道の連続だった。三木を8時に出発して、10時20分に現地に到着したから2時間20分の行程だった。

  
   
 
 人口3万5000人という綾部市は、福知山のすぐ隣で、こんな山々の自然に囲まれたいい環境で、今回の場所は綾部市の北東部あたりの静かな環境なのである。
  





こんな環境の中に当初からの予定の施設があり、
どうも人数が増えそうなので、そのすぐ隣のホテルを全館を借り切ったのだが、
そのホテルは温泉付きで、両施設は同じ経営者だから、当日は温泉も借り切りみたいなことになるのだろう。
 

 
どんな内容にするのかはまだ決まっていないのだが、
昨日見てきた限りでは、100名ぐらいまでは大丈夫なようだし、
施設も想像以上に立派なのである。


  





その具体的な内容については、登山さんから更にいろいろと会員方々に連絡されるのだと思うが、
その状況によって具体的な対応内容が決まっていくものと思われる。

1泊どまりのイベントなので、時間も充分あるし、
大槻さんをはじめNPO The Good  Times 関係のカワサキの人たちも、
山本隆さんなど有名人が、既に何人も決まっているし、
大槻さんのお話をはじめ、結構オモシロいイベントになる可能性を秘めている。

私自身も現役時代から、数多くのイベントを手掛けてきたので、頑張りたいし、
大槻幸雄さんの殿堂入り』の祝賀イベントだから、それに見合うものにしたいと思っている。
 
その舞台になる施設は『大丈夫なのか?』を観てきたのだが、
これは間違いなく大丈夫なので、
このプロジェクトは、今後ますますオモシロく楽しく、
 
 Kawasaki. Let the Good Times roll !! 
  というカワサキの基本コンセプト通りに、
  Kawasaki  に出会う人たちがグッドタイムになるような展開を、
 当日、大槻さんに出会う方たちがハッピーになるような展開を
 心がけて、今から立案しようと思っている。
 
時期的にはまだまだ余裕があるのだが、
年が明ける頃から登山さんが具体的に動き始められることになりそうなのである。




コメント

関初太郎 さんのこと

2019-12-03 05:37:00 | カワサキワールド

★ Facebook にこんな『私との2ショット』の写真を使っている関初太郎さん、
  もう60年近いお付き合いである。




 
三木のKAWASAKI Z1 FAN CLUB での写真だから、もう5年ぐらい前のことだと思うが、確か豊岡への一泊ツーリングの時ではなかったか?
 昔のことはよく覚えているのだが、最近のことはすぐ忘れてしまうのである。



  


 
ご自身のFacebook にも書かれているように、
昭和42年(1964)カワサキオートバイ定期採用第2期生での入社だが、
私が初めて関君に会ったのは、昭和45年の12月に私が大阪母店長に異動して、彼は京都営業所にいたころで、それ以来60年に近いお付き合いなのである。

 
★ 関初太郎さんについて『関初太郎 雑感日記』とチェックしてみたら、
このブログを始めて5ヶ月目の2007年2月に、こんなブログをアップしている。


その頃はまだブログに写真のアップも出来なかった頃だと思うが、こんなことが書かれている。
 
『以前、苧野豊秋さんのことを書いたとき、「Hさんに聞きました」というKshopさんのコメントを頂いたが、どなたのことか解らなかったのだが、昨日の私のブログ「反町ジャパンの反町くん」に高1、中1の息子さんたちがサッカーに熱中しているとのコメントを頂いた。
今回はKshopをクリックすると、モトボックスセキのホームページが現れた。
関君だったのか。読んでいてくれてたのだ。』

などと書いている。
彼がまだ独身時代の若い頃、京都の営業所が新幹線の高架下で狭くてみすぼらしい頃だが、藤田孝明君率いるこの営業所は、久後淳一郎、関初太郎、柏原久、吉川健一など、ユニークなのが揃っていた。総資本率10%の実績をずっと続けていた私の知る限り、カワサキの歴史の中でも最も充実した内容の営業所だった。

彼はその後、東京営業所時代に急逝された城北カワサキさんのお店の後を継いで販売店に転身するのだが、その時の東京所長も藤田孝明君で、彼の『ユニークな対応』が彼の販売店への転身のきっかけになったのである。

その後、新宿のショールームで新しい形の5時以降はショップに転換する『After 5』という新しい形の展開でも同じカワサキOBの五島さんなどと一緒に仕事もした仲間でもある。
販売店というよりは、ずっと仲間という意識のほうが強かった。

私の最後の勤めの札幌にいたころも、『南,五島,関、佐々木』というカワサキの懐かしいメンバーでわざわざ札幌まで遊びに来てくれたりしたのだが、これはまさしく『新宿のAfter5』の担当メンバーなのである。


★彼は信州・長野の出身で、『信州そば』などもよく送って頂いたりしたのだが、
 『蕎麦湯』は湯をかき混ぜずに静かに『うわずみ』を注ぐために、こんな容器になっていると教えてくれたのは、関初太郎さんであったことは間違いない。

 

 
 冒頭に書いた『豊岡へのツーリング』の時、蕎麦で有名な出石のこんな蕎麦屋の2階で昼飯を食ったのだが、その時関初太郎さんが教えてくれたことなのである。

  
  

 

人間の記憶はなかなかオモシロいもので、こんなことだけは確り、覚えているのである。

そんな関君やカワサキの同期入社の吉田純一さんや柏原久さんなどとは、
今もFacebook で繋がっていて、ネット上では毎日お会いしているのだが、
関さんのFacebook ページに、『私とのツーショット』の写真をお使いになったのはいつ頃からなのか?
これは実は、初めて気が付いたので、こんなブログを改めてアップしたのである。

 『昔の仲間たち』は、『私の人生の宝物』なのである。
 


 

コメント

年賀状  雑感

2019-12-02 06:34:14 | 私の生き方、考え方&意見

★ 12月になった。
5年前までは11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
 毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。

年賀状はその枚数を100枚と決めて、すべて毛筆で書いていたのだが、
2014年に母を亡くして、『印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それが途切れて、いろいろ考えた結果、
2015年からは年賀状の発送を止めてしまったのである。


★ 年賀状に関して5年前の2014年11月のブログにこんなことを書いている。

毎年100枚と数を限って、自分の手で毛筆で年賀状を書いてきました。
私なりにその時代時代に、100人を選んでいたと思います。・・・・・・
親戚や子どもたちにも、出していましたが、娘家族がアメリカに行って10年、年賀状などの仕来たりのない国ですから、出すにも出せなくなりました。・・・・・
ネット社会で、パソコンを使えば簡単に年賀状も創れる世の中になりましたが、年賀状は日本の文化ですから、昔のママがいいとずっと毛筆で書いていたのですが・・・
 
昨年母が亡くなりました。 『初めて喪中はがきの印刷されたもの』を発送しました。


★  個人的に『印刷した葉書』を発送したのは 、この時が初めてのことだった。
それまでは、転勤時の連絡や、お礼状もすべて自筆で、お一人、お一人に書いていたのである。 
葉書を出す相手の方に対して、『私なりの想い』を『私なりに』書くべきだと思ったし、すべて一律というのもどうかな?と思っていたりしたのだが、
喪中はがき』を発送してしまって、
そんな『私なりのやり方が途絶えてしまった』のが、一度考えてみようと思ったきっかけなのである。

毎年出していた上司の方なども、年々数は少なくなるし、100人の相手の方の半数近くがFacebook などで繋がっているなど、周りの環境の変化もあったのだが、
私なりのやり方が途絶えてしまった』ことが最大の理由だったと思うし、『やる気』を失ってしまったのだろう。



   

 これは年賀状そのものではなくて、ネットに出した年賀のご挨拶なのだが、
こんな感じで1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度であったのは間違いなくて、それなりの覚悟みたいなものが要ったのである。

 今思うと、ちょうど『やめる時期』だったのかなとも思ったりする。


★ それにしても、日本の年賀状はまだ健在で、今でも約70%の人たちが、年賀状を出しているらしい。

 当方から、年賀状を出さなくなって、もう5年にもなるのだが、毎年我が家には何枚かの年賀状が届くのである。
気を遣って頂いて、誠に恐縮なのだが、敢えてご返事など出さないことにしている。

一方で、Facebookでは、 歳が変わると直ぐ、『謹賀新年』のご挨拶を出させて頂いたりしている。

 これが今年の新春にFacebook にアップした新年のご挨拶である。


   
 
 
 こんなことを思ってスタートした2019年もあと1ヶ月である。

 『今年何か新しいこと』見つけられたかな? と今思っている。
 何か、あったような気もする。
 この1ヶ月、じっくり考えてみようかなと思っている。
 
     
 
 
 
    
コメント

祖父と孫の関係など、普通はどうなんだろう?

2019-12-01 06:02:57 | 発想$感想

★ 私には男の子ばかりだが4人の孫がいる。
 その『祖父と孫』の関係は、結構仲良くてトモダチみたいなところもある。
 Facebook などではまさしくみんな『トモダチ』で繋がっている。

私自身は、父方の祖父も母方の祖母も、私が生まれた時には既に亡くなっていたので、私は知らないし、少なくともおじいちゃんやおばあちゃんから『遊んでもらった』経験など全くないのである。

父方の祖母』は102歳まで長生きしたのだが、
昔の祖母らしい毅然としたところがあって、話などはしたが甘えたことは一度もない。

『母方の祖父』は私が朝鮮にいた小学生の頃は、年に何度か京城(今のソウル)の我が家に来ていたが、父と碁を打っているのをヨコから観ていたようなことが多くて、直接話をしたことなどは覚えていない。

昔の孫と「祖父や祖母」との関係はこんなのが普通だったのだろうか?
私の母と息子や娘の関係』も、どちらかというとそれに近く『一定の距離感』があったような気がする。

それに比べると、『私と家内の孫との関係』は、全然違ってホントにトモダチみたいなところがあるのだが、
そんなことになる原因は、孫側にあるのではなくて『おじいちゃんとおばあちゃん側』にあるような気がする。
私と家内』は、孫に対して毅然としたところなど全くないのである。



★ そんな『孫たちとのお付き合い』だが、
今週の木曜日、12月5日には娘のほうの孫の次男・門野真也が1ヶ月ほど三木に遊びにやってくる。
大体『祖父母のところ』に単身でそれも1ヶ月も遊びに来ようと思うのは、何故かな?
と思ったりする。


門野真也、今はアメリカのサッカーのプロ選手だが、こどもの頃は私が一番連れ歩いた孫である。
誰に似たのか、『変わったところ』が沢山あって、
家内のところには、しょっちゅう電話を掛けてきて、いろんなことを喋っている。

『日本が好きなのか?
アメリカの大学で初めての日本人のキャプテンであったからか、
真也の周りにはいつも『日の丸』があって、

  

  
 下宿の部屋にも、自分の部屋にも日の丸が飾ってあった。

  



サッカーも子どもの頃は、下手くそでリフテイングも碌に出来なかったのに、
アメリカに行って努力して、まさかと思ったが、ホントにプロのサッカー選手になってしまった。

何をやっても熱中し努力する。 
子どもの頃は『カブトムシ』を獲るのに熱中して、
 

こんなに沢山獲っていた。





絵もなかなか上手くて、こんな鉛筆画をネットで送ってくれたりする。

       

  
 
 
 不思議なことに料理も得意なのである。
 これはごく最近ネットに出ていた写真からだが、

 こんな牛タンを買ってきて

 



 ちゃんと自分で料理して
 


 こんな『タン料理』に仕上げている。

 



 サッカーより料理のほうが上手いのではと思ったりするが、
サッカーでも先日は、名門Strikers FC Academy のOB戦で2得点して、そのホームぺージにこのように載せて貰っている。

  
 
  


★ 私自身も何事にも、結構熱心に努力はするのだが、
プロや専門家』を目指すほどの熱心さはない。 
そんな分野は、努力のレベルが高すぎて『しんどいだけだ』と思ってしまうのである。

それが、孫の真也を見ていると『努力の真面目さ』が全く違うレベルで、
料理にしても、トレーニングにしても、そのやり方を見ていると、
熱心さが中途半端ではないところがある。

前回来た時は、まだ大学生だったので、日本の焼肉や、回転ずしはびっくりするほど食ったのだが、今回は果たしてどんな体調管理の生活をするのだろう。

 年末から新春にかけて、結構賑やかになりそうである。
 多分、年末からは孫の長男の力也もやってくるのだろう。
 なかなかイイ『祖父・祖母と孫との関係』だとは思うが、
 
 今は、世間一般に昔と違って、こんな感じになってるのだろうか?


コメント

中曽根康弘元首相 の Wikipedia から

2019-11-30 05:48:42 | 政治

★ 中曽根康弘元首相が亡くなったというニュースが流れた。

 勿論、その総理時代も知ってはいるが、
 改めて『中曽根康弘Wikipedia』 を読んでみた。


流石にその量は半端ではない。 読むだけでも大変だったし、以下に纏めるのに2時間ぐらい掛かった。
2019年11月29日(101歳没)』とあって、その記述のの速さには驚いた。

そんな中から、あまり知られていない初めてのことも含めて、纏めてみたので興味・関心のある方はお読みになって下さい。






●群馬県高崎市に材木商・中曽根松五郎の二男として生まれた。生家は関東有数の材木問屋「古久松」である。敷地は3ヘクタールもあって、そこに住居と工場があり、働いている職人が中曽根の学生時代には150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたという。


●首相就任後、戦争に関しては、皇国史観には賛成しない、東京裁判史観は正当ではない、対米英と対中対アジアで認識が異なる、国民の大多数は祖国防衛のために戦い、一部は反植民地主義、アジア解放のために戦ったと4点を挙げた。さらに中国、アジアに対しては侵略戦争だったが、アメリカ、イギリスとは普通の戦争だった、中国、アジアには侵略、韓国には併合という帝国主義的行為を行ったので反省し詫びるべきと答えた。 

●政治家への転身
戦後、内務省に復帰しその後退官し、1947年衆議院議員選挙に当選。以後1955年の保守合同までの所属政党は、民主党、国民民主党、改進党、日本民主党。この間、反吉田茂勢力として、自主憲法制定や再軍備を標榜し、長く野党議員として過ごしている。 

●1956年には「憲法改正の歌」を発表するなど、改憲派として活発に行動し、マスコミからは「青年将校」と呼ばれた。
同年11月27日の日ソ共同宣言を批准した衆議院本会議において、自由民主党を代表して同宣言賛成討論を行ったが、内容はソ連に対する厳しい批判だったり「涙を呑んで渋々賛成。」等と述べたため、社会党や共産党が抗議、その結果、約50分間の演説全文が衆議院議事録から削除される異例の出来事もあった。 

●初当選した選挙で白塗りの自転車に日の丸を立てて運動をしたことはよく知られているが、若い頃から総理大臣を目指すことを公言し、憲法改正や首相公選論の主張など大胆な発言やパフォーマンスを好んだことや、同世代の日本人としては大柄な体躯や端正な風貌もあって、早くから存在感を示していた。

●運輸大臣時代は成田空港問題にかかわり、1968年4月6日に友納武人千葉県知事とともに新東京国際空港公団と条件賛成派の「用地売り渡しに関する覚書」取り交わしに立ち会っている。「札束を積めば農家なんてすぐ土地を売る」と反対派の訴えに耳を貸さない政治家が多い中、同年8月9日には自宅にアポなしで訪れた戸村一作ら反対同盟と面会している。また、これに先立って空港公団幹部によるアポなし訪問を受け、中曽根は買い取り単価を引き上げて畑1反あたり一律110万円にすることにその場で同意しており、そのことが上述の覚書締結に貢献したとされる。 

●三島事件を批判する声明を防衛庁長官として出したが、三島に近い一部保守系団体や民族派勢力右翼団体などから強く批判された。

●要職を経験する中で、いわゆる「三角大福中」(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫、そして中曽根)の一角として、ポスト佐藤の一人とみなされるようになっていった。

●1976年、ロッキード事件への関与を疑われ、側近の佐藤孝行が逮捕されたが、自らの身には司直の手は及ばなかった。ここでも悪運の強さが幸いしたとされる。後に“刑務所の塀の上を歩いて内側に落ちたのが田中角栄、外側に落ち勲章までもらったのが中曽根”と揶揄された。

●総理大臣就任
「日本一の中曽根嫌い」を公言していた金丸信との和解もあり田中派の支持を得た中曽根は、党員による総裁予備選挙において圧倒的な得票を得て総裁の地位を獲得、1982年11月に鈴木善幸の後を受けて第71代内閣総理大臣に就任する。

●従来の官僚頼みの調整型政治を打破し私的諮問機関を多数設け、首相というより大統領型のトップダウンを標榜した政治姿勢は注目され、「大統領型首相」とも呼ばれた。 

●中曽根は自民党単独政権の回復に執念を見せ、「死んだふり解散」とも呼ばれながら衆参同日選挙を強行した1986年7月の衆院選と参院選で自民党を圧勝させた。

●1986年に発生した伊豆大島の三原山噴火では、首相権限で海上保安庁所属の巡視船や南極観測船を出動させ、滞在者も含めた島民全員の救出に成功した。頭越しに決定を下された国土庁の官僚や野党などからは独断専行を非難されたものの、当時の内閣安全保障室長であった佐々淳行らは、後年の阪神・淡路大震災発生時における村山内閣の初動対応の遅れと比較して、その決断力と実行力を高く評価している。

●性風俗店の摘発やお色気番組の規制にも力を入れ、風俗営業法を大幅に改正し風俗店の出店区域を大幅に制限し、日またぎ営業を禁止し、テレビコマーシャルを禁止するなどしたため、同時期に起こったエイズ騒動とともに、「日本における性風俗産業は壊滅した。」という風説が流れるほどになった。

●首相在任中2度あった総選挙(1983年と1986年)では、現職首相でありながらトップ当選できなかった。これは戦後の首相では中曽根だけである。トップ当選したのはいずれも福田赳夫元首相で、首相経験者同士が同じ選挙区(旧群馬3区)で対決したことになる。

●1982年11月当時、日米関係は最悪と呼べる状態だった。
1983年訪米中に中曽根が語ったとされる「日米は運命共同体」発言、「日本列島不沈空母化」および「三海峡(千島・津軽・対馬)封鎖発言」により、アメリカとの信頼関係を取り戻し、ロナルド・レーガン大統領との間に“個人的に親密な”「ロン・ヤス」関係を築くことにも成功して日米安全保障体制を強化した。

●日中関係
以前より総理大臣の靖国神社参拝は恒例であったが、中曽根内閣の際に靖国神社参拝問題が持ち上がり、また日米同盟と防衛力の強化に努めた。この問題が対中関係として際立った印象を与えているのは、中曽根が首相として初めて8月15日に公式参拝をしたのは中曽根だけである。

●民営化推進
中曽根内閣は戦後の自民党で最も新保守主義・新自由主義色が濃い内閣であった。日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社を民営化させた。これによって総評および総評を支持母体とする社会党を切り崩す意図があった。また、長年半官半民であったフラッグキャリアの日本航空の完全民営化を推進させた。 

●同日選大勝後、中曽根にとって最悪の状態となった。藤尾正行文部大臣が中曽根の自虐史観転換を批判する発言を雑誌に行い罷免され、中曽根自身も「黒人は知的水準が低い」「日本は単一民族」「女の子が書いた文章だから」などの失言が問題化し、さらに選挙中に「大型間接税は導入致しません」「この顔が嘘をつく顔に見えますか」と宣言していた売上税を導入しようとしたことから「公約違反」と追及され、支持率が一時的に急落する。 


●総理大臣引退後
●1989年、自身が関与していた戦後最大の汚職事件といわれるリクルート事件が直撃した。野党は予算審議と引き換えに中曽根の証人喚問を要求したが、中曽根はこれを拒否し、竹下政権は竹下自身の不始末も手伝って瓦解した。

●1991年の湾岸戦争では中東特使に任じられ、当時のイラク大統領サッダーム・フセインと会談して日本人の人質全員解放を成功させた。

●1996年には小選挙区比例代表並立制導入の際、小選挙区での出馬を他の候補に譲る代わりに、比例北関東ブロックでの終身1位の保証を受ける。

●1997年2月に憲政史上4人目の議員在職50周年を迎え、同年4月に大勲位菊花大綬章を生前受章する。

●1996年12月30日号の「AERA」誌上で、「国鉄分割民営化の真の目的は国労を潰すことだった」と暴露した。

政界引退後
●2003年の自民党の比例区における73歳定年制導入により、2003年の総選挙では自民党の比例北関東ブロックからの立候補ができず、立候補を断念し衆議院議員から引退した。 

●2005年10月28日、党新憲法起草委員会が新憲法草案を発表した。中曽根が前文小委員長として前文をまとめたが、発表された草案では内容が変更されていて、中曽根原文より大幅に簡略化された内容となる。 

●2007年3月23日 日本外国特派員協会での記者会見で、慰安婦問題について質問され、「日本軍による慰安婦の強制動員事件について、個人的に知っていることは何もない。新聞で読んだことがすべてだ」と語った。

●2008年9月3日付の『読売新聞』朝刊に、9月1日に首相辞任の会見を行った福田康夫に関する文章を寄稿して、「我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている感じがする」と述べている。 

●2013年12月4日夜、国会近くにある東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、5月に95歳を迎えた中曽根の祝賀会が行われたが、企画者とされる山口敏夫元労相以外にも、山崎拓、伊吹文明、石破茂、石原伸晃、古屋圭司、島村宣伸元、二階俊博、亀井静香元、渡辺喜美らが出席した。旧中曽根派の同窓会のようだったと報道された。 

●2015年5月には97歳の誕生日を迎えたが、同年8月7日の読売新聞に戦後七十年にあたっての長文の寄稿を行うなど健在ぶりを示している。 

●2018年5月、日本の総理大臣経験者では史上2人目の100歳の誕生日を迎えた。関係者の話によれば、近年足腰が衰えたものの、都内の事務所を週2回程度訪れ、書類整理や来客との面会をこなしているという。 

●2019年11月29日、101歳で死去。 

●1983年1月16日、ブッシュ副大統領の晩餐会に招待された席上で、中曽根はこう述べた。 「今回の渡米に同行している次女の美恵子は、小学生だった11歳の時、インディアナ州ミシガンシティのモルト・ウィンスキー氏のお宅にホームスティしたのです。高校時代には互いに1年間、交換留学させました。ウィンスキー家とは20年近い交流が続いてます。今回の渡米に際しても、一家をあげてわざわざワシントンまで駆けつけてくれて、一同抱き合って再会を喜び合ったばかりです。かつて11歳の娘の美恵子をアメリカに送り出すとき、家内と『いつか総理大臣なって渡米する時が来たら、その時は美恵子が通訳をやってくれるといいなあ』と夢見たものですが、その後二十数年、政治家として家族とともに幾山河を越え風雪に耐えて、ここワシントンを訪れ、それが今、現実になって感無量です。国と国との関係も、ウィンスキー家と私の家とのように友情と信頼で築き上げたい」この話の途中で中曽根は感情がこみあげ、言葉を詰まらせてしまう。これを聞いていたブッシュ副大統領、並んでいた閣僚がハンカチを取り出して目頭を押さえる一幕があった。
翌朝シュルツから前夜の話を聞いたレーガン夫妻も目に涙を浮かべたという。

渾名
  • 「政界の風見鶏」
  • 「薮枯らし」
  • 「緋縅の鎧を着けた若武者」
  • 「青年将校」
  • 「中曽根大勲位」
  • 「大勲位閣下」
  • 「ヤス」(ロン・ヤスとして、ロナルド・レーガンと並べて呼称される)
  • 「ヤストラダムス」
  • 「簾満月。」
  • 「バーコード。」




コメント

病院 と 日常生活

2019-11-29 06:27:54 | 日常生活、園芸、バラ

★86歳と82歳の文字通り後期高齢者夫婦の生活だから、
 今後は病院のお世話になることも多いだろう。

 『お産以外は病院のお世話になったことなどない』と威張っていた家内も、
3年程前に布団の上でひっくり返って足の骨を折って2ヶ月ほど入院したりしたし、
今年の夏以来はずっと、病院の検査などでお世話になっている。

 私自身は、今は至って健康なのだが、20代の頃に肺結核で1年程療養所に入院したし、68歳の頃、札幌で警察に行って怒っていたら、突如『アタマに血が上って、「くも膜下出血」で倒れて』 1ヶ月」ほど入院したりはしているのだが、
いずれも運が良くて、手術などは一切せずに、元の健康体に戻っているのである。


★ よく考えてみると『人間運だ』と思う。
私の場合は、ホントにいい病院に入れて、(脳外科専門病院で脳外科の先生が30人近くおられる)普通なら間違いなく手術をするところを、『何もせずに』安静だけで、元に戻ったのである。
ムツカシイところが切れたので、手術をせずに』と会議で決めたと仰るのである。

いま住んでいる三木は、
近くに『いい病院』がいっぱいあって、後期高齢者にとってはホントに安心なのである。

 一昨日は家内の検査に『北播磨総合医療センター』に行ってきた。
 一番近い道を走ると、家から車で20分ぐらいで着く。

 

 

 
 こんなに立派な病院なのである。

 今回は血液検査やCTを撮ってきたので、12月10日にその結果が解るという。

    



★ 私自身のことだが、昨日の昼までは『何の問題もなかった』のだが、
 夕方あたりから、小便をする時痛くて、夜中には1時間ごとに目が覚めたのが、トイレに行っても『殆んど小便は出ずに』 痛みだけがひどいものだから、
 近くの三木山陽病院に行ってきた。

 ここは家から約6分ほどだから便利がいい。

  

 
北播磨ほどではないが、立派な病院で、最初には母が102歳の頃に1ヶ月ほどお世話になったのが最初で、私は白内障の手術もしたし、家内は足の骨折の時、2ヶ月ほど入院した。

 なかなか親身な病院でいつも『気分がいい

9時からだが、飛び込みで予約がなくても、8時過ぎから受けてけてくれて、8時半には、手続きなどは始まり、診察が始まるのは9時だが、昨日は10時には診察が終わった。

 よく解らぬが、雑菌がいろいろ入っていて、薬を2種類ほど貰ってきた。
 12月12日にもう一度行くのだが、多分これで『大丈夫』だと思う。

 私はどなたともすぐ『仲良く』なるのは特技だが、ここの先生ともすぐ仲良くなって、いつも和やかなオモシロい会話が続くのである。
86歳にしては若いな』と言って頂いて、
若い先生だったが、『ダッシュしたら私のほうが早いかも?』などと診察室では考えられないような会話になったりするのである。

ここのかっての看護婦長さんは、私の家のすぐ近くで、昨日もお会いしたのだが、
いつも読ましていただいています』と仰るのである。
ご自身も、ブログをやっておられて、そんなことでも繋がっているので、


このブログでも『山陽病院はいい病院ですよ』と、
広報してあげたい気持ちになるのである。

 ホントにこんな立派な病院が近くにあることは、『年寄り』にとってはホントに、
心強い』ことなのである。
できれば病院など『無縁』でありたいが、この年ではそうばかりも言っておれないので、せめて『気楽に行ける病院』であって欲しいと思っている。

 
 
 
 

コメント (2)

白鵬の 『かちあげ』 どう思う?

2019-11-28 05:38:11 | 発想$感想

★ 九州場所は 『横綱・白鵬の優勝』に終わった。

 私自身は、相撲は素人みたいなものだから、よく解らないのだが、

 白鵬ー遠藤戦で、解説の舞の海さんが、白鵬の取り口について『横綱らしくない』と文句をつけていたのは知っていたのだが、具体的には何のことかさっぱり解らなかったのである。
  その白鵬―遠藤戦はテレビで観ていて白鵬が勝ったことも知ってはいたのだが、
かちあげ』があったのは解らなかったのである。

 Yahoo の意識調査でこんなのが出ている。
 『白鵬のかちあげ』をどう思うかと聞いている。

  

 
 その結果は、83%が『問題がある』と言っているのだから、
 『問題があるに違いない』と思って、どんなことなのか調べてみた。


動画の中から撮った写真だが、この右ひじで相手の顔を『かちあげて』いるので、こんな立ち合いを言うらしい。

 


 動画をご覧になれば、よく解る。


 
★ネットで『白鵬・かちあげ』で検索すると、

 こんな『白鵬のかちあげ集』が出てきた。
 この動画を見る限り、白鵬は立ち合いに、ずっと使っていて、
 『かちあげ』一発で勝っている相撲も多いから、これはひどいなと思った。
 
一度、この動画をご覧になればいい。
 誰彼なしに『かちあげ』しまくっているのである。

 右腕につけている『サポーター』はそのための道具のようにも思える。
  



相撲48手に 『かちあげはあるのか』と調べたら、それは『ある』というのだから、『ルール違反ではない』 ということなのだろう。

横綱審議会も、『横綱に注意』するだけではなくて、『なぜルール改正』を行わないのかな、と思ったりもする。

 相撲は純粋なスポーツとは言えない面もあるので、『他のスポーツ』のように簡単に『ルール改正』などやりにくいのかも知れない。

 

★ただ、今のままでは、いつまでも『同じことが』が繰り返されるのかも知れない。

横綱審議会からも、『注意・勧告』が出ているらしいが、『かちあげ』が反則でないところに問題があって、多分白鵬は自分の相撲を改めたりはしないのだろう。

なかなか、ムツカシイ問題だが、
あなたはどうすればいいと思いますか?
私は『ルール改正』でもしない限り、解決しないのではと思っている。


 

コメント

香港は今後どうなるのだろう?

2019-11-27 06:06:45 | 発想$感想

★激しいデモが続いていた『香港の選挙』は、民主派の圧倒的な勝利に終わったようである。

今後の香港は、どんな道を進むことになるのだろう?

それにしても今回の選挙の結果は『民意強烈』と朝日はトップで報じている。
まさにその通りで、こんなに極端な民意が実際の数値に現れた選挙を見たことがない。

選挙前の議席は、親中派がおよそ7割に対し、民主派がおよそ3割を占めていたが、今回の選挙で、勢力が完全に逆転することになり、政府に批判的な立場の民主派が、すべての議席の80%以上に達し、圧勝、親中派は、全議席の10%余りにあたるおよそ60議席にとどまり惨敗した。

  
   
 この結果を『真剣に反省したい』と香港政府トップが述べたなどという報道もあるが、『ホントに中國政府は反省』などするのだろうか?

たまたま日本に来ている中国の王毅外相は、『香港が中国の一部であるという事実は変わることはない』と語ったし、
中国外務省報道官は「現時点では香港の暴力を止め秩序を回復させることが最優先課題だ」と主張し、「香港は中国の香港だ。純粋に中国の内政問題」だと述べたりしている。

すぐには中国の態度が変わったりはしないと思うが、
中國の一般の人たちは、今の中国政府のやり方をどう思っているのだろうか?


★ちょっと違った側面から中国を見ると14億人もいる中国はこのグラフにあるような多くの問題を抱えている。
 少子高齢化は今後どんどん進みそうだし、共産主義だとは言うが『格差は広がるだろう』し、よく解らぬが都会と地方の格差も広がりそうである。
 

 



こんな「世界幸福度ランキング 2019」があったので、
それを見ると中国は世界ランキング93位で下の方に位置している。

 経済発展ではすさまじい勢いだが、幸福度はこんなところなのだろうか?
  


 日本は?と思って見てみると、
 58位で、日本もそんなに高くはないが、韓国が日本より上位の54位にいるので、ホントかなと思ってしまうのである。

 

 
問題の香港は76位にいて、中國本土よりは上位にいる。




国の体制というものは、個々の幸福度にも大いに関係するのだろう。
本来、みんな平等にという社会主義国家の基本理念なのだろうが、
今の中国の『共産主義国家』は権力ばかりが中央に集中して、極端に走り過ぎているのだろう。

今回の香港の民衆の反乱は、それを身に染みて感じての反対運動になっていると思うし、今後このままではなかなか、『反対運動』も収まらないのでは、と思ったりする。

今回の選挙で、『香港の民意』は明確に示されたのだが、
香港は中国の香港だ。純粋に中国の内政問題』だとする中国は具体的にどんな対応をするのだろうか?
そのやり方次第では、『香港の反対運動』はさらに加速されるかもしれない。

 なかなかムツカシそうなので、『香港から目が離せない』状況が続きそうである。

 

コメント

『11月は秋か冬か?』 と検索したら

2019-11-26 07:00:09 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram


★ 2014年にアップしている
11月半ばは、秋か 晩秋か 初冬か? 2014-11-15 05:26:27 

というブログにごく最近沢山の訪問者があるので、
何故かな?と思って、チェックしてみた.


11月は秋か冬か?と検索』したら
1ページの7番目ぐらいに、私のブログが現われるのである。
 

 


★ どうやら、この検索から私のブログに辿り着いているようで、
 世の中の検索ブームは半端ではないのかなと思う。
 『11月は秋か?冬か?』と思う人は結構いるのだなと思ったりした。

 改めて、ブログを読み直してみると、このブログに載ってる我が家のバラや植木はなかなか綺麗で、4年前は、ちゃんと手入れをしていたのかも?

 そんなことなので、薔薇などの写真の部分をご紹介してみる。



★晩秋か 初冬か?    我が家の庭は、いまこんな感じです。
 
  
 
  
 
   

ザクロの実は未だ割れていない、そんな感じからすると、未だ秋なのかな。
みかん は今年初めて実をつけたので、よく解らないが、もう取ってもよさそうです。
 
  バラの花を見る限りでは、未だ間違いなく秋なのですが・・・
 
 
  
  
 
  


千両の実は、すでに赤や、黄色が鮮やかで、すでに初冬を感じさせます。

 
 




    
万両は、奥の方は未だ 赤くなってはいません。


 
 
   
まだ、一般的には 晩秋 と言う方が当たっているとは思うのですが、
昨今の異常気象は、 全般には『地球の温暖化』が言われているのに、いまはそれに逆らうようなことが続いているように思います。


★4年前の庭、ホントに綺麗で、今年は特に『ダメだな』と思うのは、ザクロも、みかんも、千両も、万両も 実の成るものが全滅で、特にこんな『実のない千両・万両』を観るのは初めてのことなのである。

 




 『なぜ実が付かなかったのか?』

 それがよく解っていないのである。


 
   
コメント

人間の資質  雑感

2019-11-25 06:10:49 | 私の生き方、考え方&意見


★ 『ベルギーの9歳の少年が来月大学を卒業する』という、
  ビックリするニュースが流れていた。





 記事を読んでみても、そんなに努力をした形跡はない。
  9歳と言えば、普通では『小学生』だから、そんな年代で大学を卒業できると言うことは、努力などしなくても『生まれたまま、持ち合わせた能力』だけで『大学卒業』出来たのだろう。


★ 私自身は、人間は若い頃から『出来る』人は出来る『資質』を持っていて、経験を積んだからと言って特別に進歩などしないのでは、と思っていて、
世の中の『年功序列』のシステムなど『経験を積まないと』1人前と認めないようなシステムは間違っていると思っている。
 
政治の世界などでも、ある程度の年数が経たないとそれなりの職位には付けないようになっているが、出来る人は経験などなくても大丈夫だということは『大阪の橋下徹』さんの実績を見ればよく解る。
その橋下徹さんが国会議員を目指さないのは、総理大臣になるには『時間が掛かり過ぎる』と思っているに違いない。
橋下さんのような資質なら、国の政治の経験などなくても十分に務まると思うのである。


★自分自身の人生を振り返ってみても、
一生懸命努力し、勉強などしたのは『中学時代の2年間』だけで、
それ以外はずっと『自分の好きなように』生きてきた。
時代も、環境もよかったからだとは思うが、
会社の仕事で『上司から具体的な指示』など貰ったことは一度もなくて、『自分の思う通りのことが出来た』のは幸せだたった。
ただ『若い頃にやった仕事』 と『50代にやった仕事』を単純に比べてみても、
そんなに進歩の跡など見られなくて、単に『会社での職位』がちょっとだけ高かったというだけなのである。

現役時代に学卒ではない『高校卒の実力者』を何となく重用したのは、自分自身は『中学卒』の学歴しかないと思っていたし、若い人にも責任ある立場の仕事を任したりしたのも、『若くても出来る』と思ったからである。

社会での仕事に『学歴』など何の関係もないのは、田中角栄さんの例を見るまでもなくて、世の中には、学歴のない成功者はいっぱいいるのだろう。

学校での勉強』が不要だとか『努力が不要』だと思っている訳ではない。
私自身も、周囲の環境が変わっていなければ、学校でもう少しちゃんと勉強したかも知れない。
ただ、仮に勉強していても、現実にやってきた『仕事の質』が上がったりはしなかったのは、間違いないと思っている。
 

★ 昨日は 『人間の体力の不思議?』 というテーマで
体力維持のために一生懸命努力している』ようなことを書いたのだが、
簡単なことを継続してやれる』のは、私自身の『持って生まれた資質』なのだと思っているのである。

こんなブログをアップしようと思ったのも、昨日のブログをFacebook に転写したら
今回、日本自動車工業会の殿堂入りを果たされた『大槻幸雄』さんから、
こんなコメントを頂いたからである。

  


ご返事しているように『自分の好きなこと』だから、継続できているだけなので、
すごい意志の強さ』などではないと思っている。



★それにしても、ベルギーではなぜ9歳で大学卒業が出来るのか?
 
不思議に思って、調べてみたがよく解らない。
ベルギーの教育についてはこんな記述があるのだが・・・

ベルギーの義務教育は,初等教育6年間(6~11歳),中等教育6年間(12~18歳)の12年間です。その後,進学希望者は,3~5年の大学などの高等教育に進みます。』  とあるが、
ベルギーでは小学校から落第があります。毎年,学年末試験で成績がよくないと留年してしまいます。逆に成績が良い場合には飛び級もあります。』

無茶苦茶成績がいいので『特別の飛び級』が適用されたのかも知れない。
 
 
 



コメント (2)

人間の体力の不思議?

2019-11-24 06:45:12 | 私の生き方、考え方&意見


★ 昨日は雨が上がって『雲一つない秋晴れ』だった。

  


 三木総合防災公園で1時間ほど汗を流してきた。

 このところ、週末やジムのない木曜日にはよく走りにやってくる。


 


 昨日は、こんなサッカー場の周りを約2キロスロージョッギングして、
 その後芝生で 50メートルダッシュを6本ほどして、もう半周したらシャツ1枚なのに汗びっしょりになった。

  


 
 そのあと154段の階段を上ったら、
 スマホの記録は『約4キロ、5500歩、上った階段7階』と記録された。
  
 



★ 『人間の体力は不思議だな』 と思っている。

 私の場合は、年を取るごとに動きがハードになってるのだが、
 体力はそれに十分対応してくれているのである。

 現役の最後のほうは運動と言えば『ゴルフ』ぐらいだったのだが、
70歳ごろ、膝や腰が痛くて整形外科に通っていたのだが、そこの先生が『時間が出来たのだから、ストレッチでもして、筋力をつけたら』と言われて、
70歳から始めたストレッチなのである。

75歳の頃、市の体力測定に行ったら『柔軟性』が20歳と出て『体力年齢=45歳』と認定されたのに気を良くして、瞬発力をつけようと『ダッシュ』を始めたのがその頃だった。
最初は近くの公園で40メートルぐらいを走っていたのだが、不思議なことに、段々と走れるようになって、
防災公園などで『50メートルダッシュ』を始めたのは80歳の頃なのだが、
それ以降も、年齢とは全く関係なく、年々早くスムースに走れるようになって、
今が一番早く上手く走れていると思っている。

元々長距離は苦手だったのだが、体重を落とすにはジョッギングがいいとか言うので、防災公園でスロージョッギングを始めたのは3年前の84歳の頃である。
同じ年の10月27日に三木総合体育館の『ジム』に出会って、それ以降『ジム通い』が始まって、結構本格的な『体力づくり』が続いている。

間違いなく体は確りしたし、3キロのスロージョッギングも大丈夫になったし、筋力も付いたと思うのだが、
体重』だけは81キロ前後で安定してしまって、落ちないので、これは半ばあきらめ気味である。
確かに『体脂肪』は減ったのだが、筋肉のほうが脂肪より重いので『体重が落ちない』とジムの人が慰めに言ってくれるので、『筋力がついた』ことにしている。


★ 3年前の84歳の頃よりは、間違いなく確りしているし『早くスムース』に走れるし、この調子でいけば、
若し生きてたら『90歳』の3年後のほうが、『もっとよくなっているのでは?』と思ったりしているのである。

 人間、あまりくよくよせずに『楽観的』に生きるほうがいい。
 昨日は 『新庄剛志のプロ野球挑戦』のことを書いたが、彼は私と違って、まだ47歳なのだから、十分可能性はあると、私は思っている。

 人間の体力は、何もしないと年齢なりに落ちるのだろうが、
 『鍛えたら、たとえ80歳になっても進歩する』ことは間違いないと思う。

 歳をとると体が小さくなるのが普通だが、ジムに行きだしてから体は大きくなったような気がする。
 若い頃から、どうしてもスムースに泳げなかった『バタフライ』が、
 最近突然『スムースに上手く泳げるようになって』 
 気分を良くしている私なのである。




コメント (2)

新庄剛志  来年のトライアウトに挑戦!

2019-11-23 06:06:01 | スポーツ


★ ごく最近、あの新庄剛志がプロ野球への『現役復帰宣言』をしたというニュースが流れた。

 『本気かな?』と思ったが、どうやら『本気』のようである。
 

 
 
当然のことながら、賛否両論があって阪神の梅野選手などは『是非もう一度』と賛成だが、
野村さんなどは『年には勝てない』と否定的な意見で、既に新庄も47歳というから、これは一般的な意見なのだろう。


   




新庄剛志は現役時代、自分の好きなように野球の道を歩いた人で、大リーガーにもなったし、日ハムから引退した時も『ちょっと早いかな』と思ったのだが、さっさとプロ野球界からその姿を消してしまった。

 でも、これはオモシロそうである
 是非、新庄剛志のこんな夢を実現する球団が出てきて欲しいと思っている。

 ホントに『本気かな?』と思って、私なりにチェックしてみた。
 このツイイターをスタートしたのが、
 今年の8月で、その内容は殆どが野球のことばかりである。







 
47歳というが、こんな体をしてるから、『そこらの47歳』とは訳が違うと思うし、

 
 



既に今年のNPBトライアウトは11月10日に終わってるし、
話題になってる清原監督のトライアウトは11月30日なのだが、
新庄が言ってるのは今年ではなくて『1年先の来年のトライアウト』だから、
1年間、みっちりと鍛え直そうと言ってるのである。



 



 
来年のトライアウト』と言ってるところに新庄剛志の本気度を見たような気がする。

元プロ野球選手で、スポーツ評論家の高木豊氏が「興行的に言えば新庄が復帰した、打席に立ったといえば、お客は入る」と指摘した上で、
挑戦するというのは素敵だと思う
勇気もらう人ってたくさんいるんじゃないか」と話したら、

新庄は「僕の事に対して何言っても構わないが、
「球団が金儲けのために客寄せパンダとして僕をとるなら、客寄せパンダとして合格したんだなくらい自分の動きを見れば馬鹿じゃないからわかる、
その時は合格を拒否する」と真剣な思いを強調しているのである。
そして「12年間のブランクがあり目の衰えがあり筋肉が腐りかけてるのもわかったうえでの無謀な挑戦くらい自分が1番分かってます」と言っている。

来年のトライアウトを受験する予定だが、独立リーグではなく、あくまでもプロ野球12球団でのプレーを目指しているようだ。


★実現するかどうかは『1年先の話』なのだが、『これは応援したい』と思っている。

ひょっとしたら、新庄が真剣に1年掛けて体をつくったら、『大丈夫かも知れない』
その時は既に『48歳』なのだが、
従来の『歴代最年長プロ野球選手は中日・山本昌で、50歳で引退』だから、
新庄剛志ならイケるかも知れないと思うし、何よりも『真剣度』がいい。

どうなるか、楽しだが、
私はこれから1年間『新庄剛志のツイッター』を追っかけてみたいと思っている。






 今日、23日テレビで報道されるので、観て欲しいとツイッターで言っている。



 

コメント

三木山森林公園を歩いてきた

2019-11-22 06:57:58 | 日常生活、園芸、バラ


★ 木曜日はジムが休みなので三木山森林公園を歩いてきた。

12月初めにはアメリカから『日本の紅葉を観たい』という孫がやってくるので、
もみじ谷の紅葉が『どんな程度か』を観に行ったのだが、
ついつい歩き回って、
スマホの距離は約5キロ、7500歩ほどだが、
上り下りの山の中を歩いたので、
上った階数は21階』を記録して、結構いい運動になった。


  



 三木山森林公園は広い芝生もある普通の公園だが、一歩山道のほうに入ると、なかなか険しい道が続く、オモシロい公園なのである。

 歩いた道の通りに写真を並べてみる。


 晩秋の1日、好天、朝9時半、こんな芝生からスターとした。

 

 
  芝生を500メートルほど下るとこんなもみじ谷の入口になる。

 未だ葉は青く、紅葉にはもう少しかかりそうだ。

 



 周囲の樹は結構大きい。
 
 



少し、紅くなりかけているが、例年のように11月末ごろが『見ごろ』なのだろう。




 周囲の樹が大きくて、光が十分に届かないので、紅葉も遅いのだと思う。





 


 
山の中にいろんな小径があるのだが、
今日はもみじ谷から茶室のほうに抜ける山道を歩いてみた。


 こんな細い道だが、一応は整備されている。

 



斜面のきついところは、こんな階段になっている。
流石にこの辺りになると、『誰にも出会わない
 


 こんなところで『動けなくなったらどうするのか?』
 86歳は流石に心配もするのだが、

 通り道に 『こんな標識』 があって、事務所の電話番号が書いてある。

 通し番号の『259番』と言えば、どこなのかが解るようになっている。
 

 


 
こんな細い山道を結構歩いたら、こんな道に出る。

散歩に来られる方は、同じ山道でもこれくらいの巾の山道を歩かれるのである。
 



 
久しぶりだったので、昔よく行った『どんぐり谷』のほうに歩いてみた。

 


 この辺りの谷も深く、大きな木がいっぱいである。




 しばらく歩くと、昔は樹にひっかけて作ったブランコがあったどんぐり広場に出る。
 ここは、孫たちがまだ小さくて日本にいた頃、よく遊びに来た場所である。

 




★この近くで、熱心に周囲の写真を撮っている方を見かけたので、声を掛けてみたら、公園の関係者でかってはこの公園を担当しておられた県の方だとか。
今は週に2回、お手伝いをされているというのである。

 いろんな話になって、『川重のオートバイで県にもお世話になりました』と言ったらら、『川重のオートバイなら、インドネシアなどに行ってたという斉木さんが近所なので知ってます』と仰るので『背の高い斉木君ですか?』と聞いたら『そうです』と言われるのである。
 
カワサキが東南アジア地域を開拓した当時、私が担当で斉木君などが手伝ってくれたのである。
 『先週も会ったとか、元気ですよ』と言われてたので、『よろしくお伝えください』と言ってお別れしたが、ひょんなことで『ひょんなこと』に出会うものである。
斉木さんと『同じ年ごろ』だとおしゃるので、私とは10歳ほど違う75歳前後の方だった。


 そこからはちょっと整備された道になって、
   



 三木のまちの道にも出るのだが、

 


 またこんな山道をひと山越えると、





 最初にもみじ谷に入った入口あたりに出てくるのである。





 そこから芝生をだらだらと登ると



クラブハウスあたりに出て、今朝の散歩は終わりである。




この『三木山森林公園』は、まだまだ自然がいっぱいで、大きな道小さな道が縦横に走っている。

 ちょっと、日本でも類のないいい公園だと思っている。
 12月上旬に孫がアメリカから来たころは、もみじ谷の紅葉も『見ごろ』だと思うので、もう一度来てみたいと思っている。



コメント

相撲 いろいろ

2019-11-21 06:17:38 | 発想$感想

★ 相撲のテレビを観るようになったのは極く最近のことで、やっと何人かの力士の名前と顔が一致するようになったぐらいのレベルである。
 
 我が家では母が生前、BSの初めの取り組みから熱心に見ていて、何がそんなに面白いのだろう? と思っていたのだが、最近では家内が、いつの頃からか熱心にテレビを観るようになった。
少なくとも、私よりは通である。

 私は、現場で大相撲を観たのは2回だけ、
一度は大阪場所の桟敷席の券を頂いて見たことがあるのだが、これは覚えている。
 もう一度は、確か東京国技館で会社の連中と観に行ったのだが、なぜ行ったのか? 入場券はどうしたのか? などは全く覚えていない。
現場から『お土産』みたいなものを家に送って貰ったという『つまらぬこと』だけ覚えていて、2回とも相撲の内容だとか、『どんな力士の時代』だったのかなど相撲のことは、全く記憶にないのである。


★そんな大相撲とのお付き合いだが、この1、2年、テレビで相撲を観るようになった。 
横綱が辞めたあの暴力事件の頃からだと思う。
貴景勝のお父さんがカワサキのバイクファンで,こんなバイクに乗ってる、などと聞いて、貴景勝を意識しだしたりしたのである。

   


 
最近は家にいると4時過ぎ頃から、相撲を見ていることが多い。
 テレビで観ていると、ずっと映し出されるのが最前列の『砂かぶり』というこんな席である。


  





一般の方もいるのだが、相撲関係者や着物姿の女性が目だったりするので、この席の入場券は一般人でも買えるのかなど、ちょっと調べてみた。

 
 この席のことを『溜席』というらしい。
審判員のすぐ後ろなどで観戦する『座布団席』のことで、
料金は一人あたり14,800円で、東西南北で約500人分程度が用意されている。
このうち、土俵に近い300席は「維持員席」と言い、後援団体や130万円以上の寄付をした個人や法人である維持員の席として、割り当てられているが、維持会員以外でも溜席のチケットは購入可能だと表示はある。

溜席では、飲食物・危険物の持込やカメラ・携帯電話の使用は禁止で、土俵から力士が転落して怪我などをした際も、当日の応急処置対応はしてくれるが、その後の保証などは行われないという。

 などと記述されているが、

正真正銘の砂かぶりとも呼べる緑の座布団が敷かれている席は、通常では入手することはできません。入手には、「維持員」になる必要があります。一般の方が個人で維持員になるのはまず不可能といえるでしょう。』
 
などという記述もあるから、なかなか入手がムツカシイのだと思う。


★ 力士はみんな太っているけど、体脂肪率はどれくらいかな?

 と思ったら、そんなデーターも既にあって、こんな記述があった。
 
力士の体をよく調べてみると、じつはただ脂肪がついているだけではないようで、
幕内力士の平均体脂肪率は32.5%だったそうで、体脂肪率20%台の力士も決して少なくない。
力士の体は脂肪だけではなく、筋肉もたくさんついています。日ごろから稽古に加えてウエイトトレーニングもしており、計画的に筋肉量を増やそうとしている力士も多いようです。トップクラスの力士のなかには、筋肉だけで100kgを超えている人もいるといわれるほどです。』

 などとあって、無茶苦茶脂肪がついている訳でもないようだ。





★ところで、日本のスポーツの中での人気度には、相撲は男性が5位女性も9位に入っていて、結構な人気なのである。
 


 これはやはりNHKが6場所すべてを放映するからだろう。
 少なくとも、こんなスポーツは他にはない。

 『相撲がスポーツ』であるとは、純粋には言えないのかも知れない。
 相撲界独特の伝統的なルールが今でも守られている。

 そんな大相撲の九州場所中だが、今場所は横砂・大関や私が名前を覚えた関取が多数休場で、興味半減なのである。
今のところ、白鵬が独走するのでは? と思われる状況なのだが、あと3日間だがどんなことになるのだろう。

 

 
コメント

上級国民 雑感

2019-11-20 08:24:35 | 発想$感想

★ もうすぐ師走である。
 恒例の『今年の流行語大賞』はどんな予想なのか?
 Yahooの意識調査に出ていた。

  


 いま予想されているのはこの二つ
れいわ新選組』 と 『上級国民』 がダントツである。

  


 『れいわ新選組』は、山本太郎のコレかとすぐ解ったのだが、

  



上級国民』 というのは、あの事故を起こしたこの人から連想されているらしい。




 
 

  
初めて聞いたが、以前かあったようで、2015年のこんなことがそのスタートだという。 こんな解説文があった。
何となくそんなこともあったのかなと思うぐらいは覚えている。


この言葉は2015年9月1日以後にネット上で急速に広まった言葉で、その背景としては2020年東京オリンピックエンブレム無断流用騒動の説明の中で、「般の国民の方々」「一般国民」という言葉が多用されたのだが、ネット上などで、この「一般国民」と言う表現を「上から目線」であるといった論調で批判的に要約して伝えたものが多数あり、本来は『デザイナーなどの専門家』に対応しての『一般国民』だったのだが、「上級国民」という言葉がネット上で急速に広まったのがその起源であるらしい。

この言葉が広まるにつれて、「上級国民」という言葉は「デザイナー」「専門家」ではなく、「特権階級」「上流階級」を指して使われることも多くなったようである。


  


 それが2019年にまた突然に広まったのは、今年の4月に、東京池袋にて87歳の高齢ドライバーが運転する乗用車が暴走し、10人が怪我、2人の母子が死亡する惨事があり事故を起こした運転手が元高級官僚であったことが判明し、凄惨な事故のわりに逮捕されなかったこと、事故に対するマスコミの報道のありかたなどが問題になり、この事件を機にネット上では「上級国民」の言葉が再び広まることになったのだという。


★なるほどとは思ったが、昨今の流行語大賞は、どうも私には関係のない言葉が多い。

 かって1990年代の現役の頃はこんな言葉が流行っていて、何となく解っていたのだが。

 
 

 
上級国民』とは、税金を払っている『一般国民』に対して、『税金から収入』を得ている『政治家や高級官僚』のことを言ってるようで、そういう意味では『れいわ新選組』も『上級国民』 と言えるのかも知れない。


コメント