雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

庭仕事   

2024-10-24 06:05:11 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 夏の間は庭にも降りなかったが、
 涼しくなったので「庭仕事」が始まった。

 先ずは、先日買ったセンサーの位置に植木が掛かっていたので、
 その枝をカットした。
 こんな感じでセンサーの位置が見えるようになったので、
 明かりが付くはずである。



 



そのあと草抜きをした。
 大したことにはなっていないのだが、
 ごみが落ちてるし、小さな草が生えてたので、それを抜いた。


 


 すっかりと言えるようには成っていないが、
 大きなごみだけは拾ったらこんな程度にはなった。
 





 こちらはこんな小さな草が生えてるので、
 それを抜いた。


  


  抜いた後である。




 一応はこの区画の草は抜いた。





  そして、この区画、






 この程度にはなった。




★ この作業で約1時間である。
  順番に庭のごみ拾いや草抜きをスタートしたのだが、
  一巡するころにはまた小さな草が生えているだろう。

  そんなことで、年中「庭仕事」をやっていることになる。


  
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藤川球児、阪神の監督に

2024-10-23 05:47:15 | スポーツ

★ 藤川球児阪神の新しい監督になった。

 



 1998年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから1位で指名で入団したので、そのスタートは1999年なのである。
 
 私自身は1999年まで現役だったから、
 私の定年後の生活のスタートと同じ年に、藤川球児のプロ野球生活が始まっている。

 そんなことで2000年初期からの藤川球児の活躍は印象に残っているし、
 何となく好きな選手の一人だった。


 ピッチャーのことを特に解っている訳ではないのだが、
 藤川のこの手首の使い方が好きだったし、
 兎に角、「真っすぐ」が打たれないのがよかった。



  



★ 別に阪神タイガースのファンでもないのだが、
 「藤川球児」はファンだと言えるので、
 来シーズンは「阪神タイガース」を応援しようかなと思っている。

 どんな監督になるのだろう?
 一筋に真っすぐ正面から戦ってほしいと思っている。


  
 
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ばね指

2024-10-22 06:08:58 | 発想$感想

★ そんなにひどくはないのだが、
 いま、右手の親指が「ばね指」になっている。

 ばね指・原因と検索すると、

「ばね指の原因は、手の使い過ぎです。 腱、腱鞘に負荷がかかり続けることで炎症をきたします。 具体例としては、キーボード・マウスの操作、ゴルフ・テニスなどの手を使うスポーツ、ピアノなどの楽器演奏、洗い物などの家事などが挙げられます。」

 と出てくる。
 もし使いすぎだとすると「パソコンのキーボード」の打ち過ぎだが、
 私の場合は完全な「自前流」だからそんなに「親指」などは使はないのだが、何故だろう?


 
 


 いまこんな状態に、親指に包帯を巻いて親指が曲がらないようにしている。

 そんなことで、毎日クリニックに行き、


  


 10分間の電気治療をしているのだが、治るのだろうか?


  
  


★ 別に、そんなに痛くはないのだが、
  親指を曲げると「かくかく」する。

  こんなことになってもう2か月近くになるのだが、
  毎日「クリニック」に通うのが日課になっている。
  別に、痛いわけではないのだが、「治る」のだろうか?
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センサーライトを買ってきた

2024-10-21 06:50:46 | 発想$感想

★ ふと思いたって「センサーライト」を買ってきた。
  こんなライトで人が通ると感知して電気が付くという。
  それも三方を感知するというのである。

  業者の方に付けて貰ったがこんな感じである。
  
  


  暗くなるとどんな感じにつくのか?
 




  
 こんな方向を感知する筈なのだが、
 若し方向がずれるようなら、動かすことが出来るようになっている。

  


  これが真ん中、




  そして、これが右方向である。
 



  暗くなるとどんな感じになるのか、夜になるのが楽しみである。


★ 夕方になった。
  陽が落ちてすぐ、これくらいの暗さでも反応する。


  



  門を入ろうとすると、こんなに明るくなる。



  

  これは門を入って、玄関まで歩いている時の光である。

 




  これはなかなか「いい買物」だったと思っている。


  
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昼からは久しぶりに雨になった

2024-10-20 07:09:34 | 発想$感想

★ 10月も半ばを過ぎた週末、
 久しぶりに昼からは雨になった。


  



 朝のうちは協同学苑を歩いてきた。
 まだ雨は降りそうにもなく、天気予報当たるのかなと思ったりした。
 
 
  


  まだ薄日が差したりしてた。



 いつもの通り、林の中の坂道を下って、




  池まで言って戻ってきた。




  高齢者の散歩には坂道がいいとか言ってたが、
  この坂の勾配は結構なものである。

  いつも途中で休憩して登って来る。


 


  登ってくるとこんな綺麗な環境だが、
  約7000歩、2時間に近い散歩だった。

  結構きつくて延べ1000calにもなるが、いつまで続けられるだろう。

  
  

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雑感日記   雑感

2024-10-19 06:16:36 | 発想$感想

★ 2006年9月からふと思いたって、毎日アップし続けている「雑感日記」だが、
 毎日アップ出来てはいるが、昨今のような単純で同じことの繰り返しの毎日では、その話題探しがなかなかムツカシイ。

 今日もそのテーマが見つからなくて、
 仕方なく「雑感日記」をそのテーマにした。
 毎日発信しているので「雑感日記」と検索するといろいろ出てくる。

 先ずはこんなページが出てくるのである。
 ネットは非常に公平で「雑感日記」など私の特許でもないのだが、
 「私の雑感日記」がトップページに現れる。


 


  
  こんな感じなのである。





 gooのブログだけではなくて、
 Facebook などいろんなところにアップしてるので、
 こんなところにも現れる。


 
  


  ツイッター、今のXフォロワー50万人近くいるのだが、
  その全国のフォロワー分布なども出ていて、
  何故か京都府が1位だそうである。
  


  



  そんなことなので、今後も毎日頑張って書き続けたいのだが、
  果たしていつまで続くことだろう?


★ ネット上では結構有名人になっていて、
 「古谷錬太郎」と検索すると、こんな画面が現れるのも、
 「雑感日記」のお陰なのである。

  

 
  
 
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体重減るかな?

2024-10-18 05:30:14 | 発想$感想

★ あまり体重のことなど気にせずに食っていたら、先日76kgになった。
 これは生涯の記録である。
 これでは如何にも多すぎるので、体重を減らすことにした。
 先ず、家内に食事の量を少し減らして貰うことにした。
 効果はてきめんで、昨日は74,8kgになった。
 何とか74kgまで落としたいが、出来るだろうか?

 毎朝の運動も少しだが量を増やした。
 今朝の散歩は約2時間、7364歩、5.12km、1091cal を記録した。
 協同学苑をいつものように歩いたのだが、兎に角、7000歩になるまで歩いた。

★ 歩きながらいろんな写真を撮ってきた。
 協同学苑はco-opの学習施設だが、

  
  

  こんな施設の中にホテルもあるし



 

 綺麗な庭園もある。



  
 周回路があって北の端の池のところまで、いつも歩く。なかなか綺麗な池である。

 


★ 朝の運動は毎朝続けているのだが、体重減にどれくらい効果があるのかはよく解らない。
  やはり食を減らすのが効くような気がするが果たして続くだろうか?


 
  

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2008年当時の薔薇

2024-10-17 07:16:46 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ ネットはいろんなものを纏めて整理してくれるので重宝である。
 閑に任せていろいろやってるといろいろなものが出てくる。

 これは2008年5月29日の雑感日記だが、当時はバラについて
 結構熱心だったようである。
 その時の文章と写真が出てきた。

 先ずは文章、こんな風に書いている。


「バラは育ててみると結構面白い。
 これは男に合う園芸だと思っている。
『花を育てる』よりは『枝を育てる』感覚が大事である。
育てる』と言うことはどれを育てるか決める必要がある。
 育てないものは『切り捨てる』これが剪定である。
 どれもこれも育てようと思うと、どれもこれも育たない。
 つるバラは、『絵を描く』心境である。どんな絵にするか、それに従って枝を誘引するとほぼ思い描くとおりにバラは咲く。
 計画性、持続性、創造性、思い切り、などが必要である。
 年々立派になるのもいい。女性が喜んでくれるのもいい。
 今から、6月は最高である。そして11月までずっとやることがある。」

 こんな当時の薔薇の写真が出てきた。
 全部、そのまま並べてみる。

 当時はバラだけである。
 一番手前の薔薇が最初に植えた1本、パパメイアン だが、 
 今は枯れてしまってない。

  



 パパメイアン、こんな深紅の薔薇である。

 
  

 それがこんなに育っている。



  前庭は薔薇で埋まっている。




  いろいろと植えていた。




  ホントに薔薇いっぱいである。



  もう一度やってみようかとは、思わぬではないが、
  多分、無理だろう。





  薔薇もちゃんと遣ろうとすると、結構忙しいのである。
  こんな昔の記事がネットに残してくれてるのは重宝なことである。


 
  

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チュウリップを植えた

2024-10-16 06:33:41 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 家内のスーパーでの買い物に付き合った。
 こんなチューリップの球根を売ってたので、買ってきて庭に植えた。
 8つ植えたので春には花が咲くだろう。

    
       
    

 一昨年だったが、鉢植えにしたのだが、放っておいたら翌年の花咲きがもう一つだったので、
 今年は直接庭に植えたのである。
 
 放っておいても毎年花が咲くことが願いである。
 こんな植え方の注意などが載ってるが
 兎に角、確り咲いて毎年咲くようにしたいのである。



       



    半日蔭でも大丈夫とあったから
   今年は前庭に植えたのだが、春が楽しみである。


   


  ここなら部屋の中からでも眺められる。
  何年かして株が増えたらいいなと思っているのだが、
  果たして、どんなことになるのだろう。

  兎に角、今日は水だけはたっぷりやった。

★ こんなチューリップの育て方がネットに載っていた。

  10月中旬~11月上旬になったら、いよいよ植えつけを行います。
  球根1つ分くらいの間隔をあけて、植えていきましょう。
  地植えの場合、球根2つ分程度の深さへ植えつけます。
  植えつけた後はしっかりと水を与え、土が乾燥しないようこまめに水やりをしましょう。

  このほかにもいろいろとあったが、
  私の場浴は植え付けてたっぷり水を遣っただけである。
  多分それで大丈夫だと思っている。




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三木金物の芽切狭

2024-10-15 05:21:56 | 発想$感想

★ 三木は金物の町とも言われている。
  道の駅みきにはそんな三木金物ばかりを売っている専門店がある。

 
 



  そんなお店で「芽切鋏」を買ってきた。
  もう延べ何本買ったのだろう?

  



  我が家の庭木の剪定は殆どこの芽切狭でやることにしている。


  


  切れ味もいいし、私のお気に入りである。
  その名の通り伸びた芽を丁寧に1本ずつ切っている。

  こんな一般の剪定鋏もあるが、殆ど使うことはなくて
  専ら「芽切狭」のお世話になっている。



 
  
  いずれにしても、三木金物はなかなかいい。
  私の庭仕事のお友達である。
  今回、新しいのを買ったのでまた4,5年はお世話になることだろう。


  
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100歳まで生きるかな

2024-10-14 05:34:07 | 発想$感想

★ 100歳まで生きる確率は20%とされており、5人に1人が100歳まで生きると言われている昨今だが、
祖母は102歳、母は103歳まで生きたから、そんな遺伝子を引き継いでいて、多分間違いなく100歳まで元気に生きるだろうと思っている。
100歳まで生きるために、次のようなことが挙げられるとかあったが、
  • 豆類をたくさん食べる
  • 野菜をたっぷり多種類食べる
  • 坂道を歩く
  • 死ぬまで働く
  • 生きがいを持つ
  • 徹底的な健康チェック
  • 食べ過ぎない
こんなことはあまり気にせずに自分なりに自然に生きていくだろうと思っている。

  


★ 昨今の毎日は朝の散歩、昼寝、囲碁、テレビ、パソコンでのネット、庭仕事、ブログ、日記ぐらいの繰り返しで、家内以外と喋る機会も少ないがあまり気にすることもない。
今年は9月までは外部の会合などはなかったのだが、
年末までには今のところ4つほどの会合に出席する予定になっている。
 そんな一般社会とのお付き合いに出席できる程度の「健康体」でありたいと思っている。
こんな会合への往復も自分で車を運転して出かけているのだが、
車の運転が出来てるうちは健康体と言えるかな。

★そんな4つの会合は具体的にこんな会合なのである。

● 10月26日  鄭剣剛さんに誘われての「投資・M$Aフォーラム」
初めての出席で、どんな内容かはよく解らないが、鄭剣剛さんからFaceboのメッセージで「お誘い」があったので出席をしたいと思っている。
 


● 11月9日  蕪会(かぶら会)
  これは旧川崎航空機明石工場の課長と部長の集まりで、
  西明石ホテルキャッスルで開催されるOB会である。
  今回はひょっとすると一番年長者かも知れない。
  前回までは私より先輩がおられたのだが。

● 11月16日  淡水野球クラブ会合
  これは旧神戸商大、今の兵庫県立大学の野球部のOB会で、
  昼の部は野球やソフトボール、夕方から総会があるのだが、昼の部から出席する。
  昨年はソフトボールも出場したが、多分今年もやることになるだろう。

● 12月4日  ゴルフコンペZ1会の総会

 カワサキZ1の開発総責任者であった大槻幸雄さんが創られたゴルフコンペで、年4回行なわれ、もう40年以上続いている。
 ゴルフはかってはハンデー10で、70台で廻ることもあったのだが、昨今は練習もしなくなったし、90台で廻るのもムツカシクなったので止めようと思っていて、今年は1回も参加しなかったが、
 年末の総会だけは出席しようかなと思っている。
 

  
 

★ こんな私の生活なのだが、
 平均寿命健康寿命(日常生活に制限のない期間)の差は、男性 9.13年、女性12.68年となっているというのだが、
 今のところは間違いなく「健康寿命」だと言える91歳なので、
 何とかこんな状態で100歳近くまで生きれたらいいなと思っている。
 いまの毎日の生活は
 ● 朝の散歩
 ● 庭仕事
 ● パソコン・ブログ・Facebookなどのネット関係
 ● 日記
 だが、ネット関係など果たして何歳まで続くだろうか?
 いまのところネット関係が一般社会とのお付き合いと言えるのである。

 
  
 
 
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MCFAJの想い出、いろいろ

2024-10-13 05:20:08 | カワサキ単車の昔話

★先日Facebookにアップした「カワサキの昔話」のブログに、
今はめちゃ有名人のToshi Nishiyama さんから
58年前に丸野山高原で開催されたMCFAJ全日本モトクロスでの、 
ノービス125優勝のこんな写真が送られてきた。

「第19回全日本モトクロス(MCFAJ)丸野山ノービス125ccクラス優勝の写真が出てきました。18歳の時で58年くらい前です。」
とご本人のコメント付きである。





西山 俊樹さんがまだ18歳の頃なのだが、
当時は日本のモトクロス界ではMCFAJ全盛期で、その初代事務局長をされてたのが西山秀一さんで、俊樹さんのお父さんである。
当時私は西山秀一さんはよく存じ上げていて、その息子さんがモトクロスをされるということは知っていた。

この写真は、西山俊樹さんなのだと思うが、
お父さんの西山秀一さんにそっくりである。

 


旧い旧い話である。
当時は二輪関係の雑誌もオートバイ誌モーターサイクリスト誌の二誌しかない時代で、MCFAJモーターサイクリスト誌と密接な関係があったそんな時代だった。


★ 昭和39年(1964)春に富士の裾野の朝霧高原で行われたMCFAJの全日本でカワサキの山本隆が初めて優勝をしたのだが、
その年の秋のMCFAJ全日本が伊豆半島の丸野山高原で行われ、カワサキはその時も山本隆が全日本2度目の優勝をしているのである。
 これは60年も前の話だから、前述の西山俊樹さんの優勝はそれから2年後のことなのだろう。


★これが丸野山高原で行われたMCFAJの初めての全日本で、
その時のことを亡くなってしまったが、
山本隆クンがご自身のブログでこんな風に書いている。

・・・その翌年昭和39年(1964)の春は、晴れてカワサキワークスの一員としてMCFAJ第10回全日本MX選手権朝霧高原に颯爽とカムバックしました。カワサキワークスは125cc一機種しかなくそれを使ってオープンクラスの2レース参加である。
そのオープンクラスで、全日本参加二度目にして奇跡的と言おうか荒井市次さんを抜いて優勝を成し遂げたのです。
その後のレース活動への影響が計り知れないほど私にとってもカワサキにとっても記念すべき優勝であったと思います。

その年の秋の全日本MX丸野山高原(伊豆)では125メーカー選手権で久保、荒井、三吉のMX御三家を抜いて優勝しました、マシンは125ツインエンジンでした!
そこで私の秘蔵の写真を公開致します。
その大会にカワサキのヘリコプターKH-4ミス修善寺が飛来大会会長の新井広武氏に花束贈呈のスナップです。

  


★これがその時の写真だが、当時広告宣伝課は航空機事業部が下取りをしたヘリコプターを持っていて、
あちこちのレース場にヘリコプターを持って行ってたのある。
そんなことで各社のライダーたちに「ヘリに乗せて」と頼まれたりしたので、私は他社のライダーたちとも懇意になったりしたのである。

これは、当時の久保(スズキ)荒井(ヤマハ)の両雄を抑えて
カワサキの山本隆、堂々の優勝の写真である。
右はカワサキの梅津次郎なのだが、左は誰なのか解らない
 



★この丸野山のMCFAJ全日本モトクロスは、
私にとって、いろんなことのあった想い出深い会場なのである。
この年の5月に4輪の免許を取ったばかりで、行くときは明石から延々車で現場に行ったのだが、その時初めて車の長距離運転を経験したのである。
そして帰りは東京に出て、1964年10月1日に開業した新幹線に初めて乗って戻ってきた。
この年が東京オリンピックのあった年で同じ時期に開催されていた。

「戦後の復興から高度経済成長に移行していた日本にとって、先進国への仲間入りを世界に告げる好機となった」と言われた、
「日本の発展の始まりの時期」だったのである。


  
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10月11日の薔薇

2024-10-12 09:19:35 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 秋薔薇の季節も近い。
 ちょうど1か月前に夏剪定をしてこんなに切ってしまった薔薇だが、




 いまはこんな状態である。
 新しく出た新葉が紅い。

 


  順調に育っている。




 まだ蕾はついていないが、
 もうすぐ蕾が付き花が咲く。

 暑い夏も過ぎて「庭仕事」が楽しみな季節になった。
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単車事業との出会い  その3

2024-10-11 05:32:09 | カワサキ単車の昔話

★ 前回までカワサキが単車事業をスタートしての単車営業課時代の話を書いたが、
 最初に発売した125B7が散々な出来であったこともあって単車事業は赤字だったのである
 川崎航空機の本社は「この事業を続けるべきか否か」を日本能率協会に調査を依頼していたのである。
 その時期に「青野ヶ原のモトクロスの圧勝」があって事業部内の意気は上がっていて、それを観た能率協会は「この事業を続けるべし」という結論を出すのだが、
 その条件の中に「広告宣伝課を創るべし」と言うのがあって、当時の本社は3年間1億2000万円の広告宣伝費を準備し「広告宣伝課」を創ることを決めたのである。

それは昭和39年(1961)1月のことだが、この「広告宣伝課」を担当するように指示があったのである。
入社以来ずっと新しいことばかりをやって来た実績から「古谷なら出来るだろ」と思われたに違いないのである。
まだ係長にもなっていない時期だったのだが、
私はそんな1億2000万円と言う予算の付いた広告宣伝課とを担当することになったのである。

★1億2000万円と言う予算は、当時のサラリーマンの年収が50万円という時代だから、今のカネに直すと「10億円」に相当する膨大な額だったのである。
 当時のカワサキは「実用車のカワサキ」の時代で大都会では全く売れておらず主力市場は東北・九州などの田舎だったから、所謂「マスコミ」を使う必要はなくて1億もの広告宣伝費をなかなか使い切れないのである。
 そんなことで、結構な金が要る「レース」をスタートさせたのである。
 先ずはモトクロスから初めて関東にはカワサキコンバット、関西では神戸木の実クラブと契約して、こんなメンバーでのスタートだった。
 左から岡部能夫、歳森康師、山本隆、三橋実、梅津次郎の五人だが、
 この中で三橋実は鈴鹿サーキットで日本で初めて行われた日本ロードレース選手権の250ccクラスの優勝者で彼はカワサキコンバットを関東厚木に立ち上げたのである。
 関西では350cc優勝者の片山義美の神戸木の実クラブから歳森康師・山本隆のライダーと契約することになったのである。
 

 

  
 こんな状況だったから、
 若し、本田宗一郎さんが鈴鹿サーキットを造っていなかったら、
 カワサキの二輪事業は全然違った道を歩いたであろうし、
 ひょっとしたら存続できなかったかも知れないと思ったりする。
 
  


★その後、鈴鹿サーキットのロードレースにも1965年にはモトクロスライダーの山本隆が出場して当日雨になったものだから、
全体のタイムが落ちて運よく3位入賞を果たすのである。

  


  「ヤマ3、シオ8、セイコウ、カワ
  とは当日現場にいた川合寿一さんが我が家に送ってくれた電報で
  山本3位、塩本8位と言う、カワサキの初めてのロードレースは大成功だったのである。


 そう言う意味では青野ヶ原モトクロスも当日雨になって勝てたので
 いずれもカワサキにとっては恵みの雨だったのである。

 この鈴鹿のロードレースの「3位入賞」でカワサキも本格的にロードレースの世界に進出することになり、神戸木の実クラブの金谷秀夫と契約することになったのである。
 
★ この時代カワサキは販売の分野では全然ダメな最下位の時代が続くのだが、レースの世界ではモトクロスの日本選手権を制したり、
 結構派手な活動だったのだが、それらはすべて「広告宣伝課の活動」だったのである。

 そんな時代が約10年続いたのだが、
 私はその間広告宣伝と言うか「レース担当」だったのである。
 昭和41年にようやくレースは技術部の担当になるのだが、
 私の広告宣伝課担当もその時期までで、それ以降は販売の分野に転向することになるのである。


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柿の苗木を植えた

2024-10-10 06:02:29 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日は柿の木を買ってきて植えた。
  「かき 次郎」とある。

 


 樹高は1mにもならないくらいだが10個ほどの実を付けている。





 狭いところに植えたのだが、上のほうは空間があるので大きくなっても大丈夫である。
 どんどん大きくなればいい。






★「柿・次郎」と検索したらいろいろ書かれていた。
曰く、四角い形が特徴の完全甘柿の一種で「富有はあごで食べ、次郎は歯で食べる」といわれるほど歯応えのある果実を着けるという。
 収穫期は富有(富有柿)に比べて早く10月中旬から11月中旬だそうである。
愛知県で明治40年頃から桑畑で植栽されるようになったとか。
1844年(弘化元年)、静岡県周智郡森町の松本治郎吉が太田川で見つけた幼木を自宅に持ち帰り植えたのがはじまりといわれている。
原木は1869年(明治2年)に火災に遭ったが、翌年再び芽を出し現存するという。
 いろいろ調べてたらこんな原木の写真が現われた。


  


明治天皇の静岡行幸時に次郎柿が献上され、森町の次郎柿は以降ほぼ毎年秋に皇室に献上されているという。

 5500円だったが柿の実をすでにツイてるので、
 それを入れるとそんなに高くはないような気がする。
 食ったことはないが結構有名な柿のようなので楽しみである。


  
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