雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新型コロナウイルス問題いろいろ    雑感

2020-01-31 06:58:16 | 発想$感想

★連日『新型コロナウイルス』のニュースでがいっぱいである。

いろいろ言われているが、私自身は基本的なことが解っていないので、いろいろ検索などして勉強してみたリしていた。

● なぜ『手を洗わねばならないのか?』

実は、風邪やインフルエンザなど、病気を引き起こす感染症の多くは、“手”を介して体内に侵入することが多いと言われています。
例えば、風邪やインフルエンザの流行期には、ドアノブや電車のつり革など、様々な場所にウイルスが付着しています。そういった場所を触った手で、自分の眼や鼻、口を触ったり、食事をしたりすることで、ウイルスが体内に侵入してくるのです。このような状況では、手にウイルスが付着することを未然に防ぐことは困難です。だから、様々な感染症から身を守るためには、手からの侵入を遮断する「手洗い」がとても大切になるのです。
手洗いは、帰宅時や食事前だけでなく、電車のつり革や共有のパソコン、トイレのドアや会社の入り口など、不特定多数の人が触るようなものに触れた後にも可能な限り行うことが大切です。
少し神経質に思われるかもしれませんが、風邪やインフルエンザなどの感染予防のためには、頻繁に手洗いを行うことが何より大切なのです。

●『コロナウイルス』とは

コロナウイルスは、50種類以上報告されています。主に哺乳類や鳥に感染するウイルスが様々に見つかっています。
ヒトに感染するコロナウイルスは6種類です。
▽このうち4種類は、感染しても普段は「かぜ」と診断されています。
▽残る2種類は、重症の肺炎を引き起こすとして、過去に問題になったものです。
ひとつは「SARS」、もうひとつが「MERS」です。

● 今回のウイルスは新型である。

今回のウイルスは、SARS、MERSに続く、新型のコロナウイルスとなります。
今回の感染者は、武漢の市場の利用者や従業員などいった関係者が多いということです。市場は、1月初めに閉鎖されましたが、ここでは野生の動物が売られていたということです。このため、その動物の中に感染源がいる可能性がありますが、まだわかっていません。


   


★そんなことを調べている途中で、テレビでの国会中継を見ていたら、

武漢市からチャーター機の第1便で帰国した邦人のうち、2人がウイルス検査を拒否したことについて「大変残念だ」と述べられていて、
そんなことをする人がいるのかとびっくりしたのだが、

国内に帰った後も相当長時間にわたって説得をさせて『ご本人のためですよ』と説得をさせていただいたんですが、法的な拘束力はないということで、残念ながらこういう結果になりましたが、第2便以降については、もっと明確にお一人お一人確認を取っている」 と安倍総理は答弁されていたのである。


与党議員からチャーター機で帰国する人々への検査の徹底を求められた安倍総理は「人権の問題がある」としながらも、帰国者一人一人に丁寧に説明し、合意を得る考えを示していたし、
ある政府関係者は、「検査に同意してもらうことを搭乗の条件にすることを検討している」と明らかにしたので、2便以降からはこんなことにはならないのだろう。


★当然のことながら、すぐマスコミでも大きく取り上げられていて、
ネット上の意見は『名前と顔の公表を』などと手厳しい。





なぜ、このお二人はそんな判断をするのか?
ちょっと考えられないのだが、拒否して自宅に戻ってしまったのである。

これは誰が考えても、おかしな行動で、ネット上では厳しい意見がいっぱいで、
ツイターで  #検査拒否  で検索したらこんな状況なのである。



  
ネット上の意見は、圧倒的に『あり得ない』なのだが、 『なぜ国が拒否を受け入れたのか?』と思うのも自然な考えだとは思うのだが、今の日本は妙に『基本的人権』が認められ過ぎていて、国が弱腰になってしまうのかも知れない。





流石に第2便からは搭乗までに同意を得ているので、拒否する人などは居なかったようである。
果たして、このお二人の今後どうなるのだろう?
と思ってたら、検査を受けることになったらしい。

この『新型コロナウイルス問題』自体もいつまで続き、どんなことになっていくのだろうか?
ワクチンを創るにも相当な時間が掛かるらしいし、
東京オリンピックに影響が出たりしなければいいと思うのだが・・・・



 


 







 
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2020年は カワサキ単車事業60周年   4

2020-01-30 06:34:28 | カワサキワールド

★今年はカワサキ単車事業60周年なのである。

ご縁があって、単車事業のスタートから約40年事業の推移を見ることが出来たし、企画などの中枢にもいた時もあって、その事業そのものの展開に色濃く携わることが出来たのも幸いだった。



カワサキ自体が全くの新事業で社内の先輩たちは、
重工業の開発・生産・受注などのノウハウはお持ちなのだが、
民需産業、それも末端の不特定多数のユーザーを相手の『マーケッテング・ノウハウ』など、極端に言うと『何のノウハウ』もお持ちでなかったし、

私自身がそれを学んだのは、その殆ど全てが社外の方たちからだった
特に、二輪事業そのものが新しい産業であったし、そのトップを走っていたホンダさん,本田宗一郎さんに学ぶところが多かったように思っている。


★昨年、カワサキがその歴史を纏めるべくOBたちのインタビューを実施されて、
 私も約1時間お話をしたのだが、その時の資料を纏めて頂いているので、
 非常に重宝しているのである。


これは入社以来の私の経歴なのである。

   
     

● 1957年に入社して財産課に配属されたが、ここではIBMでの償却計算のシステムを全社で初めて創り上げたのだが、これはいま思ってもなかなかの大仕事で、これがその後の自信に繋がったし、システムというか仕組みの効果を身に染みて解ったのである。 
この時代IBMなどは日本には存在していなかったのだが、当時の川崎航空機にはジェットエンジンのオーバーホール工場があり、米空軍が駐在していて、IBM室があったのでそれを利用したのである。 
会社としても一般事務に使用するのは初めてのことでそれも本社も岐阜工場も巻き込んでの大掛かりなシステムを創り上げたのである。

● IBMの償却システムが完成したら、償却計算に掛かっていた何人もの人たちが不要になってしまって、私自身も新しく出来た『単車営業課』に異動することになったのである。
ここでも、完成車の販売などは全く新しいことだったし、それに関わる事務一切、今の企画室の仕事の分野を、ホントに数人でこなしていたのである。
めちゃくちゃ忙しくて、上司から『ボーナスの点は100点を付けてやる』と公然と言われたりしていたのである。

●その後、新しく出来た広告宣伝課を任されて、本社から開発費として年間1億2000万円の膨大な予算を3年間任されることになるのだが、こんな予算を狙って各広告代理店は本社企画の優秀なメンバーがやってきて、この人たちから『マーケッテングの本質』を勉強できたのは、人生である意味一番大きかったかも知れない。
この広告宣伝課時代には、レースなどにも関与して、ライダーたちや他メーカーのレース関係者など、社外のいろんな人たちに出会えて、それが今でも役に立っているのも貴重な財産なのである。

●そのあと、突然『仙台事務所を創れ』と、ホントに明石からは独りで放り出されたりするのである。 
仙台には当時ホントに全く何もなくて、当時の代理店宮城カワサキに文字通り机を一つ置かして頂いてのスタートだったのである。
元メイハツやメグロの人たち数人で、事務所の土地を探し倉庫を建てたりしたのも全く初めての経験で、今思えばよくやったなと思うのである。
今は『仙台プラザ』になっている。

未だ30歳になったばかりの若さではあったが『仙台事務所』の肩書を頂いて、主として資金繰り対策などを、銀行支店長や年上の社長さんとの対応などが主だったのだが、『経営の本質は資金繰り』だということが身に染みて解ったのである。

ここまでの10年間が私の勉強期間で、今の時代にはなかなか経験できない貴重な体験だったと思う。

 特筆できるのは、新人時代であったにも拘わらず、
引き継ぎ』がなかったし、業務に対する『上からの指示』も全くなかったのである。





★ 第1回目のカワサキオートバイ販売への出向期間は10年間で、
前半の5年間は、広告宣伝と仙台事務所だったのだが、
1970年からの5年間は大阪を皮切りに、当時としては業界初の二輪専門販売店の仕組み『カワサキ特約店制度』を展開したのだが、当時は二輪販売店の殆どは『転車屋』さんで、二輪専門店など珍しい時代だったのである。
これはカワサキが3社合併を機に、50ccの小型車の生産を打ち切って『中・大型スポーツ』へとその基本方針を変えたためのカワサキ独自の対応策だったのである。
大阪―名古屋―東京から展開し、さらにはその全国展開をカワサキオートバイ販売の本社に戻って担当し、それの完成を見て、1975年に事業本部の企画室に戻ることになるのである。

このスタートの10年は国内市場は経営的には苦しい時期が続いたのだが、全体の事業として支えたのは、アメリカ市場のKMCで、特に1978年に上市されたZ1/Z2がその後のカワサキの事業を継続する力になったのである。



★事業本部の企画室に戻った時期は、非常に好調であったアメリカ市場に陰りが見えて、カワサキも『小型車の分野を如何にすべきか』と『CMCプロジェクト』なるものがスタートしていた時期なのである。
当時検討されていた『CMCプロジェクト』は非常に生産指向的な色合いが強くて、これはなかなかムツカシイなと思って、

まずは東南アジアを中心とするカワサキとしては初めての本格的CKD事業展開を起案し、その市場調査などをやったのだが、その結果『市場開発プロジェクト室』なる職制が出来てそれを担当することになり企画は1年で異動することになるのである。

更に同じ時期に『ハーレーダンピング訴訟問題』が起こって、これは田崎雅元さんが担当したのだが、その具体的対応の国内販社対を私が立案し、その結果、直接その旗を振ることになったのである。
1975、76、77年の3年間で3回異動したし、事業本部としても激動の時期だったと言っていい。

この時はまだ課長だったのだが、カワサキオートバイ販売常務として、国内市場の旗を振ることになるのだが、たまたまFX400が売れに売れて、10億もあった累損が2年で消去できるという『運の良さ』で、当時は世界各国の販売会社が軒並み赤字の時代に、国内とオーストラリアの2社だけが健全経営が出来ていたのである。


★このダンピング問題が解決した直後、国内で起こったホンダとヤマハの『HY戦』は、国内市場にとどまらずアメリカ市場に飛び火して、そのとばっちりでカワサキの現地販売会社KMCが大変なことになっていたのである。

その赤字の規模が大きすぎて、川崎重工本社も無配に陥るようなことになって、KMCはじめ世界の『海外販社の経営立て直しが焦眉の急』となるのだが、『販社の経営』など当時は経験した人は殆どいなくて、この具体的な対応のために、私自身は再び事業本部企画室に戻り、その対応を図ることになるのである。

これが『1982年10月 単車事業本部企画室に異動』という時期で、この時期の単車再建の旗を振られたのは、川重本社の山田熙明専で、その対策として大庭浩本部長(後川重社長)が再建屋として送り込まれたりしたのである。


★このように、カワサキの二輪事業は1960年の事業スタート以来25年間、
あのZ1の時代(1978~)に一時期『いい時代』もあったのだが、経営的には山谷の多い激動の時代が続いたのである。

やっと事業が安定したのは、大庭浩本部長から髙橋鐵郎本部長にバトンタッチされて、発動機事業部との合体が実現した1986年度からだと言っていい。

 


 この時期私は企画室長として、大庭さん・高橋さんの番頭役で支えていて、経営的には大変であったが、いろんな想い出多い懐かしい時代であった。
 
   

★確かにカワサキの二輪事業は、機種開発の分野では
250A1に始まって、マッハⅢーZ1/Z2ーGTOーZX400ーNinja900
素晴らしい車が並んではいるのだが、スタートからの25年間は山谷の連続で、
一言で言えば『大変な時代・激動の時期』だったと言わざるを得ないのである。

     



そんな苦しい時代を乗り越えて、
カワサキの二輪事業の経営も安定期に入った』と言えるのは、
1986年の髙橋鐵郎本部長以降の時代からなのである。

私自身も1988年からは、3度目の国内市場出向となり、
この最後の時代は約10年間じっくりと旗を振ることが出来たし、
カワサキの二輪事業の核として国内市場が最も輝いた時代であったと言っていい。


1957~1999年まで、42年間の現役生活は、なかなかオモシロかったし、
今も尚、二輪関連ではいろんな方たちとお付き合いが出来ているのは、
私の一番の喜びなのである。

カワサキにお世話になった最後の10年間のことは、次回に纏めて
今年60周年を迎る『カワサキ単車事業60周年』を締めくくることにしたい。

 






 
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高齢者の身体的な変化 と 私

2020-01-29 07:35:36 | 私の生き方、考え方&意見

★『高齢者の身体的な変化』と検索したら、こんな表が現われた。

 私はあと1ヶ月、3月になると87歳になるのでまさしく『高齢者』なのだが、
 すべての項目で不思議なほど『当てはまらない』のである。

 
 まず具体的に、どんな状況かということを説明してみる。


  


● 身体低下
 私は若い頃から身長は168cmだが、今でも同じように168cmなのである。

● 体重減少 
何を基準にするのか? 70歳の頃は確か78キロぐらいだったのだが、今は82キロである。少々肥えすぎなので、70キロ台を目指しているのだが、いろんなトレーニングをやっても、筋肉が増えるからか82キロからなかなか減らないのが現実である。

● 頭髪の抜け毛・白髪
 頭髪は60代ぐらいから白髪になってしまったが、抜け毛は全くないと言っていい。
 頭髪量はこの20年変わっていない。

 歯が抜ける
 これは上下とも70代の頃に何本か抜けたのだが、80代になってからの変化は見 
 られない。

● 皮膚のしわ、乾燥、弾力の低下、白斑など
 多少はその傾向はあるが、70代の頃からは変化がないと言っていい。

● 筋力の低下
 これはない。 むしろ向上している。

● 筋肉量の減少
これは逆で,この2年間に筋肉量は筋トレの結果増加したし、太ももは太く、肩回りは大きくなった。

● 栄養障害
 よく解らないが、それはないと思う。

● 主観的疲労感
 これも全くない

● 日常生活活動量の減少
むしろ増えている。
一日のアクテイブ・タイムは40分以上、
歩数は8000歩、消費カロリー2000カロリー

● 身体能力の減弱
身体能力は70歳代からはあまり変化はない。
柔軟性などは20歳台を維持できているので、
体力年齢は50歳台が器械の測定値である。


★ざっと、こんな具合で、
人間は何歳になっても筋力は付くし、身体能力も維持できると思っている。
私自身、一番体力的に落ちたのは70歳の頃だった。

足腰が弱って、整形外科に通っていた。
先生に電気治療などで治りますか?と聞いたら
『治らない。時間が出来たのだから、ストレッチなどするほうがいい。筋力は何歳になっても付く』
と言われて、ストレッチを始めたのが70歳の頃である。

毎日、40分ぐらいのストレッチをやっているので、段々柔らかくなって柔軟性は20歳のレベルにある。
体力測定で、もう少し『筋力をつけたら』と出たので、
50メートルダッシュを始めたのが75歳ぐらいからで、年々早く走れるようになり
今は、小学2年生の男の子と同じくらいには走れる。

この2年程、ジムに通いだしたので、筋力はさらに強化された。
朝8時半にジムで筋トレ、9時20分から40分、スロージョギングとダッシュ、
10時からプールで30分ほど泳いで11時ごろ家に戻る。
ジムには週4日、残りの3日は公園に走りに行く。
約1時間動き回ると8000歩~1万歩になる。


    


孫に勧められて、
昨年の12月からFitbit を買って、こんな記録が自然に取れる。
睡眠時間も、睡眠の質なども解るのがいい。






★ 兎に角、高齢者は時間があるのだから、『動き回るとどんどん若くなる』というのが、70歳から始めた私の運動の成果である。

第一のお勧めは、『散歩』などではなくて『スロー・ジョッギング』である。

全然、息は切れないし、同じ時間で、運動量は散歩の2倍以上になる。
スピードは歩く速さよりも遅くても大丈夫なのである。
上の表の『アクテイブ・タイム』は散歩などのレベルでは幾らやっても『0分』なのである。

昨日の『アクテイブ・タイム 61分』は
40分のスロージョギングと水泳の合計で1時間なのである。




★こんな日常生活は、仕事をお持ちの方に言っても、なかなかムツカシイかも知れぬが、フリーな時間が山ほどある『高齢者』は、『やる気さえあれば』大丈夫である。

最近は、若し生きていたら、90歳代になっても『今のレベル』が維持できるのでは? と思ったりしている。
高齢者の方、特に70歳ぐらいの方に是非お勧めである。



この新年、アメリカから遊びに来てた孫と一緒に、公園を走った時の写真だが、
結構、ちゃんと動けている。
 
    

  
 アメリカに戻った孫が、上の写真の横に、2年前の写真を貼り付けて
 『2年前よりはすっきりした』と、たまたま昨日送ってくれたのである。

 確かにすっきりしているのだが、
 筋肉が増えたからか、体重は一向に減らないのである。

    






 
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片山義美を偲ぶ会   雑感

2020-01-28 05:59:10 | 発想$感想
★『昭和に輝いたモータースポーツ関係者とファンによる片山義美を偲ぶ会
が2月1日、神戸で開催されることになっている。

まだまだ先のことだと思っていたが、今週の土曜日に迫ってきた。


1960年代にカワサキの二輪事業はスタートするのだが、
あの鈴鹿サーキットがオープンしたのが1962年で、
その年の11月に開催された日本で初めての本格的なロードレースで
250ccクラス優勝が三橋実350ccクラスに優勝したのが片山義美で、
当時はお二人ともヤマハとの契約だった。

全く不思議なご縁なのだが、カワサキは翌年の1963年に、
関東には三橋実が主宰するカワサキコンバットを立ち上げ、
関西では片山義美の『神戸木の実クラブ』から傘下の歳森康師・山本隆と契約し、
コンバットの三橋・安良岡・梅津・岡部と共に
6人の体制でのモトクロスからのスタートとなるのである。

1965年の5月に開催された『鈴鹿ジュニアロードレース』に
山本隆がどうしても出場したいと言い出して、
会社には内緒でこっそりと出場するのだが、
初出場で思いもかけぬホンダに次いでの『3位入賞』という結果になるのである。

その時現場の川合さんから私宅に届いた電文が
ヤマ3、シオ8、セイコウ、カワ』なのである。


忠孝松本さんが『片山義美を偲ぶ会』で、
こんなフォトカードを創って、出席者の皆さんにお配りするそうである。


  


松本さんからは、写真と共に、こんなご連絡を頂いたのである。
  
 『片山義美さんを偲ぶ会ですが、 私にとっては金谷さんを偲ぶ会でもあります。 
そこで、皆さんにお持ち帰り頂くお土産の中に、 1枚のフォトカードを入れる事にしました。 例の電報の電文の入った鈴鹿の写真です。 
皆さんに金谷さんの事も偲んで頂ければと思い、 全員分を用意しました。 』

なぜ山本隆の3位入賞と金谷秀夫が繋がっているのかというと、
この5月のジュニア・ロードレースは非公式なレース出場だったのだが、
思わぬ『3位入賞』で、
本格的に『ロードレースの分野に進出』しようということになるのである。

翌月6月に開催された『鈴鹿6時間アマチュア耐久レース』に、
テストライダーチーム・カワサキコンバット・神戸木の実クラブで、
3台のマシンを出場させることになるのだが、
山本隆がジュニアの資格を取ってしまったので出場資格がなく、
歳森康師が相棒として連れてきたのが『金谷秀夫』なのである。

そんなことで、山本隆のロードレース3位入賞は、
『世界の金谷秀夫のデビュー』のきっかけとなったのである。


片山義美さんとは直接カワサキとの契約はなかったのだが、
特にロード関係の金谷秀夫はその秘蔵っ子弟子で、
彼のことなどでもいろんな関係があったので、
私は特に親しくさせて頂いたのである。

金谷が司会をした『片山義美の引退パーテイー』では、
スズキ・マツダさんを差し置いてカワサキの私が皮切りのご挨拶をさせて頂いたし、
神戸木の実の解散パーテイーには、メンバーでもないのに、
特別にお招き頂いたりしたのである。

神戸木の実で、カワサキに関係のあったメンバーたちである。


 



★『片山義美を偲ぶ会』には、かっての日本のレース界を背負った方たちがお集りのようで久しぶりに『いろんな方たち』とお会いできるのが楽しみである。

発起人に名を連ねておられる
小嶋松久・吉村太一・星野一義・村上力さんとは久しぶりだし、山本隆・清原明彦さんとはしょっちゅうお会いする機会もある。
カワサキ関係では大槻幸雄さんも、吉田純一さんも、ご出席のようである。

そんな期待いっぱいの会合も、すぐそこなのである。

私は カワサキのロードレース・スタートの契機となった
こんな『山本隆の3位入賞』トロフィーと一緒に参加することになっている。



 ところで、片山義美さんは『三木のご出身』で、
晩年は三木にお店を構えてお過ごしだったのである。
これは三木で開催された4輪・2輪の展示会の時だが、
三木の有名人と一緒の片山義美さんである。


  


私がシャッターを押したのだが、この時が片山義さんとの最後になってしまった。
いろいろと関係のあった片山さんだが 逝くのが早すぎたな と思っている。


 

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娘婿・門野匡秀くん  「かどちん」 と一緒に

2020-01-27 06:57:31 | 発想$感想

★昨日は、娘婿門野匡秀くんが三木にやってきた。

この数年、アメリカではずっと会っているのだが、
三木にやって来るのは何年ぶりだろう?

娘に頼まれたちょっとした用事があってやってきたのである。

世の中一般に
『世の中に嫁姑問題は数々あっても、婿舅問題というのはあまり聞いたことがありません。不思議です。どうしてでしょうか?』
などと言われているが、

私自身は心底『門野匡秀くん』を気に入っていて、
彼の学生時代からのあだ名の『かどちん』と親しく呼んでいるのである。

なぜ? と言われても困るが、一言で言って『いい奴』なのである。
普通は『いい奴』でも、どこかケチをつけたくなるところがあるのが普通だが、
彼の場合は『ケチをつける』ところを見つけにくいし、
多分誰もが『門野はいい奴だ』と思うに違いないのである。

今回もアメリカから日本へは久しぶりだと思うが、
どんなメンバーかは知らぬが、こんなに沢山集まって、
連日歓迎して貰っているようなのである。

 Facebook からの写真からだが、
おもろい仲間との飲み会。 3年ぶりの何のしがらみもないメンバーから声をかけてもらえるのはうれしいです。』 とコメントしている。

みんな、なかなかウソのない いい笑顔である。

 



酒はそんなには飲まないが、食うのは早いし、人の何倍も食うので、
多分『食い放題』での歓迎会だと思う。
その食い方は、半端ではない。

私が彼に初めて会ったのは、
娘と結婚すると言って我が家に初めて来たときなのだが、
お座敷天婦羅をしたのだが、
幾ら一生懸命天婦羅を揚げても『旨い、旨い』とどんどんくって、
私は殆ど食う間もなく『揚げ役』に徹していたのである。
兎に角、よく食うし、それも早い。

遠慮など、これっぽちもしないところが気に入ったし、ビックリもしたのである。
男の子ばかり4人兄弟で育った長男だが、
ゆっくり食うとなくなってしまうのかも、知れない。

孫たちもよく食うし、娘も細いくせによく食うので、
アメリカの門野家の食卓の量はすさまじいものである。
食費の安いアメリカの生活でよかったなと思っている。


★久しぶりに三木に来たので、何年ぶりかで『焼き肉・こさる』に行ってきた。



 


今日は家内と3人だったので、ゆっくり食えたのだが、
アメリカなら肉など幾らでも食えるのに、
日本の肉は旨い旨い』と好きなように注文していた。
いま彼は減量中で、アメリカではコメなどなかなか食わせて貰えないのだが、
日本のコメは旨いと、大盛り3杯も食っていた。
いつもの通りの、食いっぷりである。


ちょっと二人で写真を写したが、
日本に来て『肥えた』などと言っていたが、
トレーニングが効いているのか、結構すっきりしているのである。
   


お世辞なのか、どうか。
最近は私も、結構トレーニングをしているので、『すっきりした』と言ってくれた。


これは、アメリカでの次男のサッカーの試合を見に行った時の写真で、
今は日本にいる長男を除いた、門野一家と私たち夫婦である。

門野家はいつも、娘中心で回っていて、
かどちん』は、いつも後ろで控えめだが、
結構、ぱりぱりの息子たち現役サッカー選手も、腕相撲をすると、ひとたまりもなくやられてしまうほど、『なぜかお父さんは強い』のである。





昨日は、三木で焼き肉を食った後、
関西空港からの便でアメリカに帰るというので、三宮のバス停まで送ってきた。

日本でよく食ったので『機内食は控える』などとしおらしいことを言っていたが、
そんなことになったのだろうか?
もうすぐロスに到着する時間である。

 『日本でのひととき』短い時間だったが、一緒に過ごせてよかったなと思っている。

 



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三木の甘栗

2020-01-26 06:37:51 | 発想$感想

★ 三木のまちに、あまぐりの万寿庵はある。
よく通る道筋にあるので、三木にずっとあるのかと思っていたが、
ホームページを見ると、1986年開業とあるので、三木のまちに移り住んで以降の出店なのである。

 


 昨日は、その万寿庵にわざわざ『あまぐり』を買いに行った。
今は、アメリカにいる娘が、『あまぐり』が好きで、たまたま今日娘婿が三木に来るものだから、託して欲しいという依頼のようである。

そんなことで栗だけ買う目的で、三木の街まで行ってきた。
娘が三木に来た時にはいつも買いに行くので何度か来たことはあるのだが、いつもは車の中で待っているので、店に入ってみたのは、初めてなのである。


結構、高いものだと思った。
甘栗』など嫌いな人は少ないと思うが、皮をむくのが結構面倒である。
ただ、食いだすとなかなかやめられないところもある。

娘には、大きな袋を買って、私にと1000円の袋を買ってくれた。

 
  

 ちょうど、焼きあがったところで、まだ暖かかったのだが、
こんな小さな石の中で、ぐるぐる回しながら、焼きあがるのには1時間もかかるそうである。

   


★これを明日娘婿に託すのだが、アメリカに持ち帰ったらどのようにするのかな? 
と思ったりした。

娘婿もいるし、孫もいる。 
果たして、その口には入るのだろうか?
娘もわざわざ頼んでくるぐらいだから、『独り占め』にしたい気もあるかも知れない。

家に戻って、私の分を持ってきてくれたが、
10粒ほど食って、残りは娘婿と孫の分として、プレゼントすることにした。

それにしても『あまぐり』などなぜアメリカにないのだろう。


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座右の銘 雑感

2020-01-25 07:21:22 | 私の生き方、考え方&意見

★ 『座右の銘』など今まで、あまり聞かれたこともなかったのだが、
 
 昨年、カワサキのアーカイブスのインタビューの最後に、
 『後輩に伝えたい言葉』と共に
 『座右の銘は?』と聞かれたのである。

 後輩に伝えたい言葉は、
 Kawasaki Let the Good Times roll! と答えたのだが、
 座右の銘は、一瞬、考えて、

 『人の不幸を喜ぶ者は自らの無力を恥じよ』 と答えたのである。


 


 こんな感じで『アーカイブス』の中に表示されている。



★ はじめてお聞きになる方が多いと思うが、
 これは吉田茂内閣の副総理を務めた『緒方竹虎の言葉』なのである。

    

   1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)


1956年(昭和31年)、私が大学を卒業する前に亡くなっているのだが、
大学2回生の頃、朝日新聞の記事の中で、
この言葉』と出会って、
非常に強く印象に残ったのを覚えている。

緒方竹虎はなかなかの有名人なのだが、
その時一度出会っただけで、
このこと以外は何も存じ上げている訳ではない。

当時は、野球部にいて、野球に熱中していた時期で、
人生で生かす』というよりも、
競争相手や相手チームの不幸』を喜んだりすることが現実に多かったので、
相手のミスなどには関係なく『本来の実力向上』を目指すべきだなと思ったのである。


最初は、そんなことから私の中に入ってきた言葉なのだが、
社会人になってからいろんな機会に、『この言葉を思い出す』ことが結構多くて、
この言葉を思いだしながら、自らの『実力向上』に務めたのである。

二輪業界の厳しい競争の中でも、レースでも、
他人の不幸を喜ぶ』ような状況に置かれることが現実に多かったのだが、
そのたびに『この言葉』を想いだしたし、
自らを叱咤するようなことが続いたのである。

そういう意味では、結構ちゃんと身について
『他人の不幸を喜ぶ』ようなことはなく、
人生を過ごすことが出来たなと思っている。



★ ところで『座右の銘』を調べてみると、このように書かれている。

座右の銘」とは、自分の心を律するための「格言」のことです。
座右の銘」に決まりはなくて、どんな言葉でも「座右の銘」にすることができます
また、座右の銘は1つと決まっているわけではなく、1人で2つ、3つと複数持っている人も多くいます。

昔の皇帝など位の高い人は、「」に自分が尊敬する過去の人の言葉を記し、自分の右側に置いていたと言われています。皇帝にとっての「右側」というのは、自分がもっとも信頼する補佐役などを座らせる場所です。
このことから「自分にとって重要な右側に置くほど、大切な言葉」という意味で
座右の銘」と言われるようになったとされています。


ここに書かれているように、『座右の銘』は複数持ってもいいということだが、
そういう意味では、最も具体的にずっと心がけてきたことは、
川崎航空機工業の社是と執務態度で、
こちらの方が実際には私の『座右の銘』であったかも知れない。

 社是    『正直・誠実・勤勉』
 執務態度  『信頼・互譲・協力』

 



   
これは極く最近、ずっとお世話になっている村島邦彦さんが、
焼酎を贈るけど、何か6文字ぐらいの言葉を』と仰るので
信頼・互譲・協力』と申し上げたら、このように書いて贈って頂いたのである。


 ★この『正直・誠実・勤勉』、『信頼・互譲・協力』は、実際の仕事の上で大いに役立ったこともあって、1976年、東南アジアにCKD事業を本格的に進出しようとしているとき、最も重要な市場のタイでの交渉は、相手は華僑でなかなかムツカシかったのである。
個別の交渉条件を慣れぬ英語で交渉することなどなかなか大変で、出張最終日まで纏まらなかったのだが、
最後に私が黒板に『正直・誠実・勤勉、信頼・互譲・協力』と書いたのである。
華僑の息子たちは解らなかったのかも知れぬが、オーナーの親父さんはこの言葉を見て、『解った』と言ってくれて、タイでのCKD事業がスタートすることになったのである。


★私の人生はこのように生きてきたつもりですし、
今後も、常に私の右に置いて、生きていきたいと思っています。

 Furuya . Let the Good Times roll !    
 私に出会う人がハッピーになるように、行動します。

 『人の不幸を喜ぶものは自らの無力を恥じよ』 これからも頑張ります。

 『正直・誠実・勤勉』 『信頼・互譲・協力』 
 これは既に身に付いていると思っています。
 



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橋下徹さんの 『ゴーンさん事件』への 意見

2020-01-24 05:16:34 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★ 私は『橋下徹ファン』である。
 大阪府知事・市長の時から、記者の質問には絶対に逃げないし、
   その独特の説得力は『解り易くて常に明確』である。

ごく最近夜のBS放送の番組に出演して
ゴーンさん問題』や『IR問題』など独特の理論を展開していてオモシロかった。

その中で、特に『ゴーンさん事件に対する論評』は、
一般に言われているものとは『差別化』されていて、
ゴーンさんがいい』とは言っていないが、
ゴーンさんの主張』の一部は納得できるもので、
法務大臣や、法務省の見解の方に無理があるように言っていた。

特に、ゴーンさんが主張している
弁護士もつけずに8時間も尋問する日本のやり』については、
このようなやり方は、『欧米ではやられていなくて』 
日本独特のもので、
世界の方向から言うと『日本は遅れている』ような見解だった。


★この辺りの論点はもっといろいろあるのだが、
私のレベル』では上手く表現できないので、
昨日、ネットにこんな橋下徹さんの記事がが載っていたので、

 

 

ちょっと長いが、是非目を通してみて欲しい。


 その記事の中から抜粋してみる。


●近代国家が絶対に守るべき原則、推定無罪と黙秘権
森雅子法務大臣が、「ゴーン氏は日本の法廷で無罪を証明すべきだ」と語った。
さすがに推定無罪の原則に反すると思ったのか、
その後「『無罪を主張すべきだ』に訂正する」とした。

●日本の中でも、ゴーン氏の会見について
「何の説明もしていない」「無罪の主張として裏付けが何もない、具体性がない」
などという批判が沸き起こった。
しかしこれらの批判は、推定無罪の原則や黙秘権という近代国家が絶対に守らなければならない原理原則を無視した批判だ。


無罪だった小沢さんの事件について、
なぜあの時 「小沢は真っ黒」情報 がメディアに溢れたのか。
あの時と同じ状況である。
報道ではゴーン氏の容疑について、物凄い情報が氾濫している。
捜査機関しか把握していないような情報がどんどん出ている。

●どう考えても捜査機関しか知り得ない情報で、
検察によるリークとしか考えられない。
メディアが捜査機関側を取材し、色々な情報を流すことは認められるだろう。
しかし、そうであれば、フェアの思考からすると、
容疑者・被告人の言い分もしっかりメディアは報じるべきだ

●ゴーン氏が国外逃亡をしたというのは、
主権国家日本(日本政府)にとっては恥ずかしいことであるし、
それにゴーン氏が海外から日本の刑事司法制度をガンガン批判していることについても、
検察としては許し難いことである。
もちろん僕も、ゴーン氏には日本の裁判を受けさせるべきだと考える。

●検察は、異例の情報発信を行っている。
そして、どんどん発信すべきだと煽る国会議員もたくさんいる。
しかし、そもそも容疑者・被告人について捜査機関が、容疑(起訴)事実を主張し、
それを立証することができるのは「法廷の場」においてだけだ。

●国家機関は強大な力を持っている。
情報収集能力も凄まじいものを持っている。
そのような国家機関が、国民(外国人を含む)の容疑事実を、
ルールも何もない中でどんどん発信することは危険極まりない。

●だから近代国家は、
刑事訴訟法という法律によって捜査機関ができることを厳格に定めた。
容疑者・被告人には弁護人を置いてきっちりと反論できる機会を与えた。
このようなルールがあるのにそれを無視して、
国家権力側が、容疑者・被告人の容疑事実を
裁判外においてどんどん情報発信することはアンフェアだ。

日本の刑事司法制度についてゴーン氏から指摘されたことについて、
反論があればきっちり反論しなければならない。
ただし、それは「日本の刑事司法制度に何ら問題はない」という今、日本政府がやっているような形式的な反論ではなく、
本来目指すべき水準に照らして、その水準を満たしているのか、
満たしていないならなぜ満たしていないのかについて、
実質的に反論すべきである。


★ざっとこんな意見だが、
私も知らなかったが、近代国家(欧米)と日本では、『刑事司法制度』に差があって、日本はゴーンさんの言うように、
近代国家(欧米)とは違っているというのである。

日本の刑事司法制度は問題ない』という日本政府の態度はおかしい。

橋下さんが思っている『あるべき司法制度』は、
先日のテレビの中では、日本も近代国家(欧米)と同じように、
裁判の尋問では弁護士をつけるべきだと言っていたが、
それがなかなかできないのは、
欧米と同じような捜査方法(おとり捜査など
日本独特の『人権問題』でその実現がムツカシクなっているからだ、
とか言われていた。

確かに日本の『人権意識』は、
世界水準からみたらちょっと異常なのかも知れない。
最後をこのように結んでいる。


大手新聞社が、推定無罪の大原則を無視した国家権力による情報発信を奨励することが一番恐ろしい。
法廷で有罪判決が確定した時だけが有罪だ
被告人が逃げようがどうしようが、
有罪判決が出なければ、ゴーン氏は有罪ではない。
小難しいことを論じるよりも、
この近代国家の大原則を一から勉強し直してください。


 



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アクセルとブレーキの踏み間違え 対策  雑感

2020-01-23 06:55:48 | 発想$感想

★最近アクセルとブレーキの踏み間違えによる事故が多発しているのは事実で、
その対策なのだろう、兵庫県の交通安全室から『75歳のドライバーの方へ』とこんなチラシが配布された。

踏み間違えた』際にも、対応できる装置が既にあるようで、それを設置した場合は、
22,000円の補助をするという内容なのである。

   

私自身も間違いなく、75歳以上の運転者だし、毎日車は運転しているので、
その対象者であることは間違いないのだが、
この『ブレーキとアクセルの踏み間違え』というのが、どうすればそんなことになるのか、よく解らないのである。

 正直、不思議に思っているのだが、現実に『踏み間違え事故』は起こっているので、この際県の担当の方に、具体的に聞いてみようと電話をしてみたのである。

 まずお聞きしたのは、一体どんな装置が世の中にあるのか? 
 その名前などを教えて頂いた。

  確かに、事故は発生しているので、それに対応するいろいろな装置があって、安いものは、4万円ぐらいから8万円ぐらいまでいろいろと揃っているようである。


   


     



 係の方に、いろいろと私なりに思うことを、質問してみたが、
 私のように『そんなこと、ブレーキとアクセルを踏み間違える』ことは『あり得ない』と思うのは間違いなのか? と質問したのだが、上手にお応えになったが、『そんな風に思われ方もいるだろう』ということだったので、幾らか安心したのだが・・・

高齢者に限らず、一般のドライバーの方は、どのように思っておられるのだろうか?
現在の車は、殆どが『ノークラッチ』だから、確かにブレーキとアクセルしかないので、運転は至って簡単で単純なのである。
普通の精神状態なら、『踏み間違える』ことなど皆無だと思うのだが・・・・
運転の仕方にもよるのだろう。

 それがいいのか、どうかは別にして、私の場合は、車庫から出す時も入れる時も、足はブレーキの上にあって、ブレーキを離すことによって『クルマは前後に動く』から、『踏めば止まる』状態だし、店の前の駐車場に入る際は、常にブレーキの上に足があるという同じ状態だから、そこから改めてアクセルを踏むなどは考えられないのだが、現実に事故は起こっているので、『絶対にない』とも言えないのだと思うのだが・・・皆さんはどう思われているのだろう。

★そんなことで、新しく『装置をつける』ことはする積りはないのだが、若し付けると兵庫県の場合は22000円の補助を頂けるというのである。

アクセルとブレーキの踏み間違いのWikipedia もあって、

それによると、アメリカでも発生しているが、ヨーロッパはマニュアル車が多いのでその発生率は少ないとか。

日本では、警察庁の統計によると、2015年(平成27年)の日本国内でのブレーキとアクセルの踏み間違いによる死亡事故は58件、うち65歳以上の高齢ドライバーが50件で、高齢ドライバーによる事故割合が比較的高くなっている。 
慌てたりパニックを起こしたりすることによって起こるともいわれるが、具体的な原因は解明されていない
と書かれていた。

最後の方にその対策方法として、「左足ブレーキ」と「クリーブ現象」の二つが書かれていたが、後者の「クリーブ現象」は私がやっている方法の名称のようである。
そんなムツカシイ名前は初めて聞いたので、別に知っていたわけではない。

「左足ブレーキ」
踏み間違え事故を防ぐ方法の一つとして左足ブレーキがある。アメリカなどで左足ブレーキが一般的である。

クリープ現象
駐車時にはアクセルペダルを踏まず、ブレーキペダルに足をかけ、クリープ現を利用して駐車することが事故を防ぐ対策の一つである。 

 
 
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炎鵬 と 大相撲   雑感

2020-01-22 07:14:17 | 発想$感想

★最近になって大相撲を観るようになった。

 今場所も『炎鵬』が人気である。 
 
 小柄なのに連日大健闘である。

 まずは 遠藤に勝って『まさかの勝利』と言われたのに、

  


 大関・豪栄道を破って連勝


   

 
 大関・貴敬勝 にはどうかな? と思ったが負けてしまった。

   

 貴敬勝が勝つのは、 これは順当な勝利だろう。

 それにしても、この体で大健闘だから、人気が出るのも解る。



★ 然し、格闘技の世界で『体重別階級』のないのは相撲だけかも知れない。

柔よく剛を制す」を旨とする柔道などの伝統武道においては,
当初この近代スポーツの制度導入に反発があったと言われるが、
今は階級別になってしまった。

それはなぜかな? と思ったら、
スポーツは、スポーツマンシップにのっとり、
ハンデがなく、かつ平等に戦えることがベースにあるからだと言われているが、
相撲だけが『体重別階級』がないのは、純粋にスポーツではないのだろうか?

伝統の大相撲は兎も角、
学生相撲などは『純粋なスポーツ』だとは思うが、
敢えて階級があるとすれば、中学・高校・大学などの年齢別があると言えるのかも知れない。


★ なぜかな? といろいろ私なりに考えてみたら、

相撲そのものの競技のルールが、
体重差のハンデー』を少なくしているからかも知れない。

●まず、土俵があって、ちょっとでも足がそれを出ると負け
●土俵上でも、手をついたら負け
●ほかの格闘技に比べて、スタートの仕切りの重要性

など小兵でもそれなりに戦えるルールだからかも知れない。

それは兎も角、小さな人が大きな人を倒すのは、観ていて『痛快』である。
炎鵬は今5勝5敗の5分だが、果たして勝ち越すことが出来るだろうか?

残り5日間になったが、是非頑張って欲しいと思っている。
 


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55年前の旧い話の全貌が 今頃解る不思議

2020-01-21 07:37:45 | 発想$感想

★ 私は毎日8時間もパソコンの前にいることが多いのだが、
昨今のネットの中の記事をちゃんと読むと、いろんな情報がそこには入っていて、いろんなことが解るものである。

ごく最近、『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』というカワサキのロードレースのスタートとなったレースのことを以下のブログにアップした。


その仕掛け人の一人が私であったことは間違いないのだが、まだ会社からはロードレースの出場などの許可は貰っていない『会社には内緒のレース』だったこともあって、いろんな人が関わったのは事実だが、それが誰だったのかはよく解ってはいなかったのである。
鈴鹿のモトクロス』に行くことにして、同じ係の川合寿一さんにその現場を任せたし、入賞するなど期待もしていなかったのである。

5月の連休で家にいたら、突然川合寿一さんから電報が入ったのである。
それが『ヤマ3、シオ8、セイコウ、カワ』の電報で、当時は電話など未だ家にはない、そんな時代だったから、それがこの電文で、この電報のことを知っているのは、川合さんと私だけなのである。

そんな先日のブログの話をFacebookの友達の忠幸松本さんが、こんな写真にしてFacebook にアップされたのである。

 


それに対して、山本隆さんが右にあるような写真を添えて、コメントされたのである。

私は現場には行ってなくて、川合さんの他に誰が行ってたのかも知らなかったのだが、この写真で初めて知ったのである。
水町泰造さん、顔半分しか映っていないが、当時の技術部のレース担当者でスタート時には技術部はずっと水町さんがレース担当で、正規に監督が出来たのはこのレースの1か月後からである。
メカニックが藤原良さんと吉田忠さんが行ってたのだ。 

 


会社が認めるレースには、ライダーも多いし、メカも御大松尾勇さん以下もっと大掛かりになるのだが、この時は山本隆さん一人だったのでこんなこじんまりしたことだったのである。

山本さんがこんな写真をコメントで送ったので、
忠孝松本さんのFacebook の最新版は、写真入りでこんな風に変わったのである。

 


 さらにびっくりしたのは、忠幸松本さんがこのレース結果をこのように正確にFacebook のコメントに表示されたのである。
 
1,2位はホンダで優勝は神谷忠さん、この二人はダントツで速かったようで、
3,4,5の接戦の3台が上の写真の3台だが当時の鈴鹿の最終カーブをスリップストリームから、BSの滋野をかわしてホントの微差で入賞を果たした山本隆のテクニックの勝利かなと思うのである。
スリップストリームという言葉、この時初めて聞いて覚えた。

大久保力さん、このころはモーターサイクリストのロードインプレッション担当もされていてカワサキの明石工場にもしょっちゅう来られていたのである。
大久保力さんも出られてたのは知らなかった。




 
いつもながら忠幸松本さんの旧い写真や記録にはビックリさせられるのである。



★このレースで山本隆は上記のような結果を残し、カワサキにとって初めてのロードレースの入賞トロフィーを獲得し、カワサキが正規にロードレース参入のきっかけを掴むことになるのだが、
 このレースを現場で観ていた技術部の方がおられるのである。





 その後の山本隆さんとの雑談の中で、このレースの話は何度も出るのだが、
大槻幸雄さんにGPマシンに乗らないか?』と言われたというのだが、なぜ大槻さんがそんなことを言われたのか?
ひょっとしたら、大槻さん、『鈴鹿の現場におられたのでは?』と何となく私はそんなことを思っていたのだが、それも昨日ネットの中から確認できたのである。

Facebookの中に山本隆さんがこんなインタビュー動画をアップしているのだが、
その動画の話の中に、この鈴鹿ジュニアロードレースの話も出てきて、
GPマシンに乗らないか?』という話も出てくるのである。
そして、鈴鹿に来ていた『技術部の方に・・・』と大槻幸雄さんのお名前は出さなかったがこの話が出てきたのである。

このレースを大槻さんが鈴鹿まで観に行かれていたということは、この時点で既にカワサキのGPレーサー開発の構想みたいなものが芽生えていたということだったのだろうか?
この点は是非大槻さんに聞いてみたいなと思っている。

 


 
この動画も結構長いので、全部聞かないとその話も聞けないのだが、
私は全部聞いたのでその話も、やっと確認できた次第なのである。

(因みに、山本隆は『GPライダー話』を断っているのだが、その理由が山本らしくてオモシロい。曰く『GPはモトクロスやトライアルと違って、死に直面している。自分は長男だから、家を継がねばならぬし・・・』などと言っているのである。)
と書いてたら山本さんからFacebooknokomenntoコメントで、訂正があったので、もう一度上記の動画を聞き直したのだが、長男・次男の話はやはり出ていて、最後の方の言葉がもう一つはっきりしないのだが、『既に世帯を持っていて子供のいるし・・』などとの発言があって動画は終わっている。
是非、大槻さんと山本さんお二人に直接聞いてみたい話である。

それは兎も角、今まで私も『解らなかった』ことがいろいろ解った。
ネットの世界は、なかなかオモシロくていろんな話が眠っているのだが、みんな『逃してしまう』のである。
カワサキにとってロードレーススタートの契機となった話だから、ここに残しておきたい。
川崎重工業の現役諸君も間違いなく初耳の話だと思うのである。


 

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ネットの世界と私   雑感

2020-01-20 07:28:09 | 私の生き方、考え方&意見

★ 昨今の『ネットの世』はどんどん進化しているのだが、
  一般の方はどれくらいの興味をお持ちなのだろう?

私自身は『新しいこと』はめっぽう好きで、
定年後に出会った『パソコン』そして『ネットの世界』は、
私にとっては間違いなく『新世界』だったのである。

現役時代はパソコンは一切使わなかったし、資料など最後まで『手書き』で通したのである。

それが70歳ぐらいの頃に、ふとしたことからパソコンが我が家にやってきて、
以来独学でのブログも、Facebook も、私独特の風変わりな使い方だと思うが、
特にTwitterは、フォロワーが50万人もいて、
有名人ではない一般人の中では全国で20位以内にいるようなことになっている。

今のTwitterのルールでは何故か方針が変わって、
フォローを沢山する』ことは出来なくなってしまったが、
ずっと以前は『1日に1000人』ぐらいはフォローできて、
そうすると半分の『500人ぐらいはフォロー返しでフォロワーが増えた』から、
1ヶ月で1万人、1年で10万人ぐらいにはなったので、
5年も続けたら一時はそのフォロワーは60万人にもなったりしたのである。



★これがいまの 私のTwitter である。


  


フォロワーが50万人もいると、
いろんな分析データーがあって、それが毎日解るようになっている。

 以下をクリックされると



こんな画面が現れて、これを詳しく見ているだけでも結構オモシロい。
1日に1万人以上の人が訪れて、
もし商売などやっていたら、『下手な広告』よりはよほど役に立つデーターだと思う。
 



それは『インプレッション』であったり『エンゲージメント』などと呼ばれていて、
通常のマーケッテング上は、結構重要な数値のようなのである。

   


★ 今は単なる『個人』としてこのようなデーターを眺めているのだが、
もし今現役なら、間違いなくこの『ネットの世』を利用して、
新しい仕組みを例えば『二輪の販売』などにも利用して、
新しいシステム』を創り上げるだろうなと思ったりする。

マーケッテングの基本は『差別化』だし、私の生き方の基本も、ちょっと『みんなとは違ったこと』をしようと思っているので、
ネットの使い方』も、間違いなく『差別化』されているのである。


★それは兎も角、昨今の私の1日の生活パターンは、
8時間ぐらいはパソコンに向かってるのかな? と思っている。
ブログをアップするのにも結構ちゃんと調べたりするので,
2時間ぐらい掛かることはざらだし、Facebook やTwitter、その他囲碁を打ってる時間も長いし、ニュースもネットで見る時間の方が長い。

そして残りの時間の内、結構長い時間を『運動=動き回っている』のだが、そのための情報などもネットの中から頂いている。

3月になれば87歳になるのだが、果たしてこれからどんな人生になるのだろう?
ネットをやりかけて約15年、それまでの人生と『全く変わってしまった』し、現役時代以上にオモシロかった。
人生100年』などという時代だから、これからも『全く新しいオモシロい人生があるかも知れないな』などと思ったりする。

その一つが、肝心の健康に直接関係する『Fitbit との出会い』かなと思っている。

 


その使い方も、その情報入手も、みんなネットからである。 
定年後ネットの世界がなかったら、『私の人生は今とは全く変わっていた』なと思っているし、『ネット』と出会えているうちは、『新しい情報』もどんどん入るし、元気に生きれると思うので、これからも頑張りたい。
 


 
 
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『島田紳助さんから 私が学んだこと』   雑感

2020-01-19 07:44:24 | スポーツ
知識は覚えただけではダメ、
それを誰かに発信することによって、はじめて身に付くものである。

これは私があの島田紳助さんから教わったことである。

90年代の半ばごろだったと思うが、島田紳助が会社にやってきた。
鈴鹿の最後のレースを『カワサキに乗りたい』という希望で来られたのだが、
何故か実現はしなかった。
 
その時の雑談で、当時の政治討論番組サンデープロジェクト』の話になり、
あの番組だけは緊張して、前の晩から入り勉強するのだが、一つも身に付かない
というので
なぜ?』と聞いたら、

知識というのは人に喋って初めて身に付くのだが、私の仲間はバカばかりで、それを喋るような相手がいない』と仰るのである。

まさに『紳助流のジョーク』なのだが、
知識は喋ることによって身に付く』というのは、ホントにそうだと思って、
私は確りと覚えているし、実践もしているのである。

一番いい例が『学校の先生』だと思った。


   

サンデープロジェクト』は、テレビ朝日系列で1989年4月2日から2010年3月28日まで毎週日曜 10:00 - 11:45に生放送された報道・政治討論番組である。

  
★最近は『外で喋る機会』も少なくなったので、
その代わりにこんなブログを毎日発信しているのである。

昨今は、Google検索などすれば、幾らでもいろんなことが解るのだが、
ただ読んだだけでは『なかなか覚えられない』ので、
自分のためにブログにアップすることはしばしばある。


今というか、昨年12月から、こんな fitbit を四六時中腕に付けて、いろんな体調管理をやっている。
ちょっと『ハマってしまっている』きらいもあるのだが、

  


いろんなデーターの中に 『アクテイブ・タイム』というのがあって、
一言で言うと 『運動した時間』なのだが、
それを毎日『30分以上』にすることを一応目標にしているのである。

その基礎になっているのが 『MET』という単位なのだが、
読めばわかるがなかなかちゃんとは覚えられないのである。

    
 

散歩は安静時の2.5倍などとあるが、
私がやってる『スロー・ジョッギング』は、
散歩の2倍以上、 4.5~5METs ぐらいになるのである。


     


★このように解説されている。

早足から有酸素運動またはジョギングまで、
実行しているアクティビティが 通常の歩行よりも努力を要するもの のときには
Fitbitデバイスはアクティブな時間(分)を認識し賞を与えます。

Fitbit デバイスは、代謝当量(MET)を使用して、アクティブな時間(分)を計算します。 MET は、様々なアクティビティのエネルギー消費を計測するのに役立ちます。 

たとえば、MET 1 は、身体が休息状態にあることを示します。 
約3MET以上のアクティビティに対するアクティブな時間(分)を獲得します。 
 
アクティブな時間(分)は中程度~激しい運動が 10 分間継続された場合にのみ認められます。 


★ こんな風に、大量の情報を自分なりに整理して、このようにブログにアップしておくと、それなりに『覚える』というか知識が身に付くのである。
 それを何度も繰り返して、機会のあるごとに『情報発信』しておくと、身に付きやすくなることは間違いない。

ところで、12月29日以降の『私のアクテイブ・タイム』はこのようになっている。
少なくとも散歩以上の『スロー・ジョッギング』から上の3MET以上の運動をやった時間の合計なのである。

 1日だけ『0の日』があるが、寝ていたわけではなくて『運動をした時間=0』だったということで、意識的に運動しない限り、集計されないのである。





 

★そういう意味では、86歳の高齢者にしては、相当な運動時間になっていると思って、我ながら満足しているのである。

このブログを発信することで
アクテイブ・タイム』 や 『MET』のことが、何となく身に付いたと思っているのである。

 最近は、テレビには出てこなくなったが、
 島田紳助さん、ありがとう。
 
あなたのお蔭で、結構沢山のことが『身に付いた』私なのです。


 復習の意味で、
 安静を『』とした場合の日常生活は殆どが『』で、
 運動と言えるのは、『3以上』の速歩以上でないと、
 アクテイブ・タイム にはカウントされないのである。


     


私が日々やっているストレッチも、ジムの筋トレなども『アクテイブタイム』には入らないのである。
 スロー・ジョッギング、水泳、50メートルダッシュや防災公園の150段の階段上りなどの時間がカウントされているのだと思う。


 



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阪神大震災25周年 に思う

2020-01-18 06:18:57 | 発想$感想

★昨日は阪神大震災25周年だった。

朝まだ暗い時、どこかで爆発でもあったのかと思った。
普通の地震の揺れとは全く異なる体験だった。
ビックリはしたがすぐ納まって停電になってしまったので、どんなことになっているのかは、全くわからなかった。

情報がないということは、人間何も想像などしないものである

隣の神戸が大惨事になっていることなど、全くわからずにいつもの通り犬の散歩もして、明石の会社に出勤したのである。

信号機が点灯しなかったぐらいで、いつもと同じように出勤をした。
何人かの従業員も出勤していて、被害状況など確認したが、倉庫のバイクが何台か倒れていたぐらいで特に大きな被害はなかったのである。

電話は通じたので、社長の髙橋鐵郎さんのお宅に電話をしたら『お前、今どこにいるのだ』と言われるので『会社です』と答えたら、『大変なことになっているぞ』と仰るのである。
髙橋さんのお宅は芦屋の高台だから、阪神間の被害の状況が一望できるのである。
それでも、どんな状況なのかはよく解らなかったのだが、
10時ごろに電気が通じて、テレビを見て、ビックリ仰天してしまったのである。


★あれから、もう20年も経ったのである。

事故対策のお役に立てばと『バイクを30台』ほど兵庫県警に寄贈などした。
工場は数日で元通り生産開始になったのだが、テレビに流れる情報がひどいので、全国の販売店は、『生産が出来なくなる』と思ったのか、どんどんオーダーが入ってそのバックオーダーを解消するのに、4月まで掛っている。

一番大変だったのは、県の主幹道路が交通規制になって車が通れなかったのだが、県警にバイク寄贈したからか『特別通行証』を頂いていたのは、非常に役に立ったのである。

JRが復旧するのには数か月掛ったが、飛行機は飛んだのだが、伊丹空港に行くのが大変で、道路からは無理で、三田まで車で行ってそこから伊丹まで電車での移動か、逆に岡山まで行って、岡山から飛行機で上京するようなことが続いたのである。


★自然災害の恐ろしさは地震でも台風でも大変だが、

 特に神戸の三宮あたりが一番ひどかったようで、こんなビルが傾いたり、
 

   

 
完全に倒れてしまったり、

 


 高速道路がこんなことになるなど、全く想定外である。




★ 地震国の日本は、将来も東京での大地震などが言われているが、備えをすると言っても、具体的にはムツカシイのではと思う。

 関西大震災も起こった時間が5時40分ごろで、みんな寝床にいた時間だったのが、『不幸中の幸い』だっただろう。
あれがもし日中にでも起こっていたら、あんなことでは済まなかったのだと思う。

あれから25年かと思うが、その間に『東日本大震災』というさらに大きな災害に見舞われている。

地震も怖いが、水害も大変である。

昨夜はBSで『水害』の特別番組をやっていたが、
地球温暖化の影響で、その対策も大変なようである。
台風の規模も段々と大きくなり回数も増えるという。

こんな自然災害に備えるには、具体的にどうすればいいのだろう?
地震にも、水害に対しても、私がいま住んでいる三木などは比較的強いと思うのだが、そんな立地を探して住むというのも、現実にはムツカシイだろう。

自然災害の多い国、日本のこれからも大変だと思う。




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睡眠時間  雑感

2020-01-17 07:17:30 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★最近は時間もあるし、ネットで調べたらいろんな情報が発信されているので、
それを眺めているだけでも『時間潰し』にはなる。

睡眠時間』など今までは気にしたことはなかったのだが、
昨年12月から fitbit を腕に巻いてたら、寝ている間のことも解って、
毎日の『睡眠時間』だけでなく、その深さなどいろんなことが解るものだから、
調べてみようか』と言うことになったりするのである。

これは「木曜日の睡眠時間」だが、
サッカーを観ていて、いつもよりは寝るのはちょっと遅かったのだが、
朝は7時半まで寝ていたから、8時間半も寝ていたというのである。



     


 途中、夜中にトイレに立ったりして2度目覚めた状況になっているが、
 この状態は、いつもよいは『いい睡眠が取れている』と自分でも解るようになった。



 


 
 この1週間、どんな睡眠時間だったのかというのが記録されていて、
 別に意識している訳ではないが、8時間以上が4日もあって、
 結構な睡眠時間がとれている。

 1日平均、この週は『7時間54分』と出た。






★こんなことが解って、幾らかでも関心を持ちだしたのは、
 今年になってからである。

 そんなところに、つい先日新聞にこんな記事が出た。
 睡眠不足の割合が全体の20%以上になって、問題だというのである。


  

 


更にいろいろ調べてみたら、
8時間近くも寝ているのは、10~15歳の若年層だけで、
年を取るに従って少なくなり、 高齢者は睡眠時間が短い というのである。
 
  




★不眠のタイプもいろいろあって、
 こんなことのようである。





★私の場合でも、『水曜日』は3回も目覚めているし、
落ち着きのない眠りの状態』の回数も多いのだが、
それでも『7時間以上』眠っているから、 
睡眠不足』にはなっていないのだろう。





★かって現役時代に、眠り難いと『睡眠薬』など飲んだりしたこともあるのだが、
 考えてみると、当時は間違いなく『運動不足』なのである。

その時代から25年経っているのだが、
最近は『アクテイブ・タイ』も1日30分以上は取れていて、
意識的に動いているので自然に眠れるのだと思う。


★これは今年になってからの『アクテイブな時間』なのだが、
1月11日が0になっているが、運動をしなかったということで、
1歩も歩かなかったというわけではない。

散歩など幾らしても、『アクテイブ・タイム』には入らなくて、
ここに計上されている時間は、
少なくとも『スロー・ジョッギング』や『水泳』など、
運動をしている時間の加算』なのである。


    


自分で言うのもおかしいが、86歳にしては結構『ハードな毎』で、
少なくともスポーツを止めてしまった30歳から70歳ぐらいまでは、
ずっと『0時間』のような生活だったから、
今は『健康的な生活が出来ている』と言えるのだろう。

その結果が『いい睡眠』がとれていることに繋がっっているのだと思う。
寝る子は育つ』などとも言うので、
今年も『いい睡眠』がとれるように頑張りたい。


コメント
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