雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

履正社優勝! 大阪はなぜこうも強いのか?

2019-08-24 05:08:21 | 私の生き方、考え方&意見
★ 70%の人たちが星稜の優勝を予想したのだが、
  結果は『履正社の優勝』となったのである。


  


101回目となった令和最初の夏の甲子園は、履正社が星稜を5対3で下して初優勝を飾った。
昨年の大阪桐蔭に続いて2年連続制覇で、大阪として夏は通算14回目の優勝となり、春の11回の優勝と合わせると25回の全国制覇を果たしたのでる。

大阪勢は、戦前から1950年代頃までの浪華商時代から始まって、
70年代から80年代にはPL学園時代などを経て、
2000年代からは春夏合わせて8度の勝利している大阪桐蔭、
そして、履正社は春2度の準優勝を経験して、3度目の決勝進出で、ついに全国制覇を果たしたのである。

 。



 ★ なぜ大阪はこんなにも強いのだろうか?

 昨今の野球の強豪校は、まさに『野球学校』のような実態になっていて、
本来地域代表の大会であるはずの甲子園が、
プロを目指す野球学校の大会になってしまっているのは、問題だと思っている。


元々甲子園の全国大会は、『地域代表』であったはずだが、確かに学校自体はその地域を代表してはいるのだが、肝心の選手は他県からの優秀選手を集めている学校が、甲子園の常連になってしまっているのは問題だなと思っている。

 野球が教育の一環だと言っている高野連は、明石商業の監督のガッツポーズに文句をつけるよりも、越境入学を許さない『野球選手の学区制』でも敷けばいいのにと思うのである。 
 
高野連がやろうと思えばすぐに出来るし、日本の優秀な野球選手を育てるシステムは、それに見合った『新しいシステム』を創ればいいと思っている。

 
★今回優勝した履正社の選手の出身地は、ベンチに入った選手の中で『大阪出身の選手は8人』だけで、兵庫県出身の選手が大阪より多い10人もいるのである。


 


 さらに強豪と言われている大阪桐蔭に至っては、大阪出身の選手は7名だけで、兵庫県の4名を中心に、まさに全国区の野球学校だと言っていい。




ネットの中にこんなサイトがあって『高校名』インプットすると、そのチームの出身校の名前が現われるので、全国の野球学校をいろいろ検索してみたのである。
 意外に思ったのは、強豪作新学院が全て県内の選手たちばかりなのである。




★私が『明石だということで』 応援していた明石商業もその殆どが、兵庫県出身選手なのである。


 




 ホントに、高校野球の甲子園は『地域代表』で、地域の人たちが応援をするという「本来の形」に戻さない限り、幾ら口先で綺麗なことを言ってみても、商業主義に裏打ちされた、『プロ選手の養成手段』になってしまっている。

野球の優秀選手』を育てるのが目的なら、そのような新しい仕組みの上に、別に学校の野球ではなくて、小学生などが所属しているような『優秀な選手が集まるクラブ組織』のほうが納得できるのである。
 現に中学時代にこれらの選手が所属していたのは、中学校の野球部ではなくて、優秀な選手だけが集まる『クラブチーム』なのである。

 今の甲子園は、かっての高校野球の崇高な精神は『口ばかり』で、
 現実は『野球学校の大会』になってしまっている。
 それを『口先では』いいことばかりを言う朝日新聞や毎日新聞が主催しているのでは、『商業主義の金もうけの大会』に高校球児が利用されてしまっていると言っていい。

 地方大会に参加する90%の地域の野球部の選手たちは、昔の純粋な球児たちと一緒だと思っているのだが・・・・・

 かって70年も前に、純心な高校球児であった『私の意見と想い』なのである。



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『地頭がいい人』   雑感

2019-08-18 07:19:10 | 私の生き方、考え方&意見
★ネットの中の『Googleニュース』の中に「おすすめ」という欄があるのだが、
 昨日は『地頭がいい人・・・・』というこんな記事があった。


 


 『地頭のいい人』などという言葉には初めて出会う気がするが、オモシロそうなので、ちょっと読んでみて、さらにネットで検索すると、こんなページが現われたので、それらを読んでみた感想なのである。


                 
            
         


★こんな画面もあって、
 「出身大学の偏差値は自分のほうが高いのに、仕事では敵わない」
 あなたの周りに、そんな人いませんか?
 
 とあったりして、これは『私のこと??』と正直そう思ったりしたのである。


 



学生時代は野球ばかりに没頭して大学の成績など可ばかりで、入社試験の面接は『君は成績悪いね』から始まったのである。
でも、中学時代は秀才が集まっているという評判高い神戸一中で、250人のうち何回かは『10番以内』にいたこともあって、そんなにアタマは悪くないという『私の生涯の自信』に繋がっているのである。


★そんなことで、いろいろ読み進めていくと、自分に合ってる項目がいっぱいなので、その一部をご紹介してみたい。
      
そんな中でこんなより詳しい記事もあった。


ここでは、地頭が良い人に共通する10個の特徴』について、
●特徴1.  新しい情報に対しても、理解力が高い                 
●特徴2.  論理的に話を組み立てることができる                 
●特徴3.  物事の本質を見抜くことが早い                 
●特徴4.  臨機応変に柔軟な対応ができる 
●特徴5.  教養があり、話の引き出しが多い                 
●特徴6.  一度聞いたことはスムーズにアウトプットできる                 
●特徴7.  人に合わせて話し方を変えることができる                 
● 特徴8.  子供の頃から勉強をする習慣がある                 
●特徴9.  仮説検証を自然と行っている                 
● 特徴10. 日常的に本を読む習慣がある                 

 
 さらに、『訓練で地頭は良くなる!地頭が良い人になるための方法7つ 』  というのがあって 、7つの方法が解説されていた。

●方法1.  将来の目標や目的を明確に設定する                 
●方法2.  毎日ブログを書くなど、文章を書く事を習慣にする                 
● 方法3.  毎月2冊は本を読む                 
●方法4.  当たり前だと思っている事にも「なぜ?」と疑問を持つ                 
●方法5.  意見を言う時は、根拠や理由を必ず述べる                 
●方法6.  物事をシンプルに考える癖をつける                 
●方法7.  たくさんの人とコミュニケーションを取り、新しい価値観を取り入れる                 
 全部が当たっている訳ではないが、『赤くした項目』などは、自信がある項目なのである。
 こんな図解も載っていたが、納得なのである。


 




★『地頭の良さ』などは、先天的なもので、努力してもなかなか身についたりはしないのだろう。そういう意味では、両親や祖先に感謝しなければいけないのだと思う。

地頭の優れた芸能人』とか『東大生が選ぶ地頭の優れた芸能人10選』とかもあって、名前が挙げられてたが、私が知らない人も沢山いた。
 そんな中で、明石家さんま・島田紳助・松本人志などの名前もあった。
 『島田紳助』はレースの関係でわざわざ明石まで訪ねてきて、会って話をしたことがあるのだが、『アタマがいいな』と思って、こんなブログにアップしている。

   
 


『知識を身につけようと思ったら、それを他人に話すことである。話すことによってそれは自然に身につく。』 
これは あの島田紳助が、レースのことで明石まで話に来て、その時に彼が言った言葉である。これは島田紳助から、学習したことである。
その通りだと思うので、ブログに書いてみて、確りと自分の知識にしよう と思っているのである。

 
何事にも『好奇心』は旺盛で、『地頭』という言葉に出くわしてから、2時間以上いろいろと、ネット探索などして、さらにブログにアップなどしている86歳なのである。
 ちょっと『変わっている』のだと思う。

 


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遺産相続  雑感

2019-08-12 04:54:06 | 私の生き方、考え方&意見

★ 突然『遺産相続』の話だが、

 先日ダイワハウスからこんなパンフレットが届いたのである。


 

 
曰く『遺産相続トラブルの回避策』とある。

 こんな堅苦しい話は、私が最も苦手とするところだが、
   中身を読んでみると、想定通りなかなかムツカシイ話である。


  
 
 遺産相続でもめたりするのは、金持ちの世帯のことかと思ったら、そうではなくて
その7割以上が『遺産価格5000万円以下の普通の家庭』で起こっているというのである。



 その対策がいろいろ書かれているが、書いてあることは解るが、
  その通りにやるのはなかなか面倒で、私は多分やらないとは思うが、・・・

  

 
考えて見ると、我が家も近いうちに『直面する』ことは間違いない。
夫婦二人暮らしで、一応は家を持っている。
 
金は兎も角、固定資産の相続がややこしいようである。


★ 私自身も今まで何度かはこんな遺産相続の場面に出くわしているのだが、
  別にそこで『もめたり』はしなかった。
 
 確か、『昔は長男が相続する』ということになっていて、祖父の遺産は全て当然のように伯父が相続していたが、
ちょっと調べてみたら、昔はそれでよかったようである。

 こんな記述に出くわした。

明治政府が始まった頃華族や士族には長男相続制が規定され、その地位も長男によって世襲された。さらに、平民にも長男の家督相続制が規定された。明治31年の民法制定により家制度が確立すると、家督に当たる戸主権の制度が成立した・・・

 なるほど、そうだったのである。

 
その後もいろんなことがあったが、私の周りでは何となく、明治のこの制度の通りのことが続いている。
 母が亡くなったのは最近のことだが、大した遺産ではなかったが、私が全て相続というか頂いて、4人の妹たちは何にも云わなかったし、私自身相談する気もなかったのである。
家内の母が亡くなった時は、家も預金などもあったと思うが、
家内は一切何も要求せずに、弟にすべてを任していた。

これは、今の法律で言うと、分割などが当然で『オカシイ』のだとは思うが、それで通ってしまっているのである。


★ 我が家は家内と二人で、息子と娘がいるのだが、私と家内とどちらが先に逝くのかは分からないが、関係者は今のところこの4人のはずである。

 昔流にいえば、息子が相続するのが当然だが、
そう決めてしまう気にはなれないが、じゃどうするのか? 
と言われると、『まさに、困ってしまうのである。』

 頂いた文章を読んでると、『自筆の遺書を正規に書いておけばいい
 などとあるが、それも叉面倒なことである。

 息子と娘は、何故か不思議なほど仲がいいし、妹は兄貴に何でも率直に言える関係だから、『まさか揉め事』になったりすることは、間違ってもないとは思うが、

私は何もせずに、『勝手にやれ』でいいのだろうか?

億の財産』がある訳ではないが、揉めているその殆どが『5000万円以下の普通の家庭』というから、ちょっとだけだが気になるのである。
息子とも、娘ともこんな話はしたこともないのだが、現金というか預金はそれこそ分割したらいいと思うのだが、問題は固定資産である

 『三木のこの家』は私自身は愛着もあるのだが、
 私たち夫婦の他には、『ここに住む』という人は今のところいない。
 いま、アメリカにいる娘一家も、将来日本に戻ってくる気があるのだろうか?

 もし、その気が少しでもあるなら、『この家は娘夫婦に上げたい』と思ったりしているのだが、そんなことも話したことがない。
 
 一般のご家庭で、私のような環境の方は沢山おられるのではと思ったりする。
 突然来た『ダイワハウスのダイレクトメール』で、思ったことを突然書いているのである。

 多分、息子も娘も、娘婿も、孫たちも このブログを読むとは思うが、
 今後何か話をする『きっかけ』にでもなればいいなと思っているのである。

 
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私の仲間たち  雑感 

2019-07-27 06:55:44 | 私の生き方、考え方&意見

★ 人生長く生きてきて、いろんな方と出会ったのだが
 『仲間』と呼べる人たちは意外に少ないのに、むしろ驚くのである。

 私自身は勝手に『仲間の定義』を『共通の想い出を持つ人たち』としているのだが、
 『共通の想い出』というのは『一緒に何かをやったことがある』ということなので、   確かに知人は多いのだが『仲間』は少なくなっていってしまうのである。

 
 人生86年も生きてきているのに、いま振り返って仲間の名前を私なりに纏めているのだが、その数は家族親戚を除くと100人ちょっとで、150人にはなかなか届かないのが不思議なのである。
 
ただ、逆に言うと多いのかも知れない。
 一般に『仲間』と呼べる人たちは、どれくらいいるのだろう ??



★実はその仲間と思う人たちの名前を先日来、年代別に書き出してみたのだが、
こんな表になったのである。

          仲間と言える人  内既に死亡 内Facebook のトモダチ

 家族&親戚       33人     8      10
 昭和20年代(~1954)  15      8       0
 昭和30年代(1955~)  10      7       1
 昭和40年代(1965~)  32      16      6
 昭和50年代(1975~)  24      6       3
 昭和60年代(1985~)   6     0        2
 定年後  (2000~)  22      0       21

        計   142人     48人     42人

 思い出さなかった方たちもいるとは思うが、会社などでも知人は沢山いても『』はホントに少ないのである。
 
 142人のうち48人が既に亡くなっていて、この世に仲間と呼べる方は、100人に達しないので、
そんな仲間たちとのお付き合いは大事にしないといけないなと思っている。

 


 
★Facebook で繋がっているトモダチは800人ほどおられるのだが、そのうち仲間と呼べる方たちは、42人ほどなのである。
そしてそのうちの半数が定年後に出会った方たちなのである。
 逆に言うと、定年後に結構いろいろと動いているということになるのだろう。
 
● 川崎航空機に入社してすぐ出会った方が田崎雅元さんだし、既に亡くなってしまったが、ホントにいろいろな思い出があるのが、岩崎茂樹さんである。
 このお二人といろいろとやった仕事は、みんな『私の貴重な想い出』となっているのである。
 これは田崎さんがごく最近送ってくれた写真だが、上の表の昭和30年代の仲間で且つ今もFacebook で繋がってる 第1号が田崎さん なのである。
       
 

●昭和40年代(1960年代)に出会って、未だにFacebook でも、いろんな意味でも繋がってる 『仲間の最右翼は山本隆さん』 だろう。

   

  
 
● レース関係で言うと、そのほかにも銘柄を越えて、こんなレース仲間はイイ。

  

 
●これはたまたま私の80歳の誕生日だったのだが、日本のレース界の錚々たるメンバーである。
残念ながら安良岡健さんとはこの日が最後になってしまった。
この4人の方は勿論私の142人の仲間に入っているのである。

● Facebook の表紙にもこんなレース関連の方たちの写真を使っているのも、みんな『仲間』だと思っているからなのである。

 
 


●そして最後に現役引退後に繋がった仲間は沢山おられるのだが、代表して登山道夫さんを上げておこう。
  
これはごく最近の写真だが、田崎雅元さんとのスリーショットである。

     

 
 この登山道夫さん、定年後にふとしたきっかえで繋がったのだが、
 そのきっかけになったのが、故岩崎茂樹 さんなのである。

 登山さん三木にお住まいだし、
カワサキZでも、NPO The Good Times でも、Facebook でも勿論繋がってるし、
私の定年後の人脈のキーパーソンなのである。

 
★いっぱいの仲間たちだが、やはり最高の仲間は、60年間一緒にいる家内や家族かな、と思ったりする。
 

  
  
  

 これはアメリカでの写真だが、こんな我が家でのまさに家族の写真もあった。
 2015年7月16日の雑感日記からである。
  
  
   
 

 ネットのお蔭でこんなブログが纏められる。
 素晴らしい仲間に囲まれて生きている、素晴らしい世の中なのである。
  
 これから先、どんな人生が待っているのか?
 これからも、『新しい仲間』が出来るかも知れぬが、『私の仲間たち』とさらに共有できる想い出が積み上げられたらいいなと思っている昨今なのである。
       

 
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好奇心

2019-07-23 05:55:01 | 私の生き方、考え方&意見

★何でもないことでも、何故か気になって『見極めよう』と思ってしまう。

それが『好奇心』なのだろうが、現役時代、周囲から『好奇心の塊』と言われたりした。
 つい先日のブログで体育館の『シートの話』をアップした。
 何の競技のためのシート張りか?と思ったのだが、それは競技のためのものではなくて『参議院選挙の開票会場』のためのものだったのである。

 


 その選挙の開票は昨夜2時半まで掛ったそうである。
 今朝は、その体育館の2階でランニングをしたのだが、ちょうど『後片付け』が始まったのである。

 前回、このシート張りの手際よさは『プロの仕事は流石』と思ったのだが、その後片付けはどのようにやるのか、興味があったのである。

★筋トレをした後、体育館の2階に上がったのがちょど9時15分で、後片付けが始まったばかりだったのである。

 前回に比べて人数が多いなと思ったら、投票箱関係の三木市役所関連の荷物は『日通』さんが、シートなど会場の設備関連は、前回の業者の方で増えてはいなかったのである。

  

 机だけは既に片づいていてこんな状況だった。
 両隅に纏められた荷物は結構な量だったが、これが日通さん担当の選挙関連の道具なのである。

  

 
大きく写すと、これだけでも結構な量である。

 
  

 これはシートの業者の方ではなくて、三木市役所が投票箱など日通さんに頼んだようである。

 


 机は椅子・シートなどは業者の方が用意されたようで、二つのグループの協同作業だったが、どちらもプロだから、その手際はイイ。


★ 床に張ったシートをどのように巻き取るのか?
これが問題だなと思っていたのだが、ここからの手際よさがまさに『プロの業』だなとびっくりしたのである。

 まずは二人がシートの表面をモップで清掃し、その後二人がシートを抑えているテープをはがしていくのである。
  


 そのあとのシートの巻取りには専用の道具があったのである。



 こんな道具に巻取りハンドルがついていて、綺麗に清掃されたシートを手回しハンドルで巻き取るので、結構簡単にシートは巻き取られていくのである。


 私は 現役時代、ある意味イベント屋でもあったので、イベントの準備や後片付けには結構興味があって、昨日はランニングの後プールに行く予定を変更して、ランニングをやりながら、この後片づけをほぼ最後まで見ていたのである。


 ほぼ完了したのがこの写真だが、この作業を見だしてからちょうど1時間半の10時45分には、ほぼ完成したのである。



 その頃には、選挙道具の三木市役所関連の日通さんの作業も終わって、多分昼前にはすべての作業は終了したのだろう。

  


★ それにしても『私はもの好きだな』と自分でもそう思うのである。

 こんなことに興味を持つ人は、多分少ないだろう。

 ただ、こんなことにも興味をもつので、その後、何かで『役にたってる』と信じたいのである。

 効率的に作業を進めるには、やはりベースに『仕組み・システム』がいると思うし、
 そんなシステムは、人が考えて『創り出す』のだが、現場を知らなければ、それは簡単には『創りだせない』ようにも思うのである。

 いずれにしても『ちょっと変わってるな』と自分でもそう思っている。


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孫・古谷仁 と 私の『3冊のファイル』

2019-07-11 06:01:33 | 私の生き方、考え方&意見

★鎌倉の孫・古谷仁がやってきた。

 アメリカから来てる孫の188cmもあるという末弟・門野哲也と比べたら、背の大きさでは全く敵わない。

 

 
 一段違う段差で写しても、未だ哲也の方が大きい。
 アメリカ育ちの環境か? よく伸びたものである。

 
古谷仁、もう26歳になったとか、私とは60歳も違うのだが、ちょっと変わっていてオモシロいと私は思っている。
 
慶応の湘南キャンパスを卒業はしたのだが、いまは学生時代に熱中したストリート・ダンスのことを本に纏めたり、自分のやりたいことをやっている。

いつまで、そんなことをと思っていたら、来年あたりからはまた別の道を歩くのだとか。
今年は何を思ったのか、『ブランデイングの研究と実践』をするとか、こんなことをツイッターで言って頑張っている。

    


★何となく『と気が合う』というのもおかしいが、私の良き『理解者』なのである。

 他人(ひと)は、なかなか『ちゃんとは私の良さ』を認めてくれないものなのだが、
この世の中で『素直に私のいいところ』を認めてくれてるなという数少ない一人が古谷仁なのである。 

そんなことで、三木にも私と話をするために、やって来たりするのである。
因みに、もう一人の理解者を敢えて言えば、娘婿の門野匡秀で、身内にちゃんと『を評価してくれる人』がいることは有難いことだと思っている。



★ そんな古谷仁がやってきたので、私の現役時代の生きざまを纏めた『関連データー』を見せたら、何が気に入ったのか、熱心に見て、是非欲しいというのである。
 
 実は、こんなファイルが20冊近くあって、
私が川崎航空機に入社した昭和32年4月1日から、退職をした平成9年3月31日までのちょうど40年間が、年毎、月毎、さらにはその日毎に記録されているという、まさに私の『現役時代の生きざま』が残っていたのだが、

 
ごく最近、こんなデイスクに纏めて頂いたので、

  

 
 その殆どを破棄してこんな3冊に集約したのである。

 



 それはこのように日毎に纏められていて、

  

 
 私は今読み返しても、当時のことをはっきりと思いだすこともできるし、
  
 

 こんな自筆の企画書なども、見ることができるのである。
  


そんな3冊のファイルを『是非欲しい』というのである。


一番左のDiary には、その殆どが会社の出来事なのだが、私の個人的な出来事、例えば家内と付き合っていた時の出来事や、息子の結婚のことや古谷仁が生まれた日のことなども書かれていて、そのあたりも非常に興味関心があるようなのである。


 
★私自身は、書類の整理などは得意分野だし、性格的に日記も65年続いているし、会社のことのも入社時から退職までの40年間を日ごとに整理して残しているのである。
それに興味を持って、ちゃんと『読んでみよう』という、孫・古谷仁にはある意味感謝だし、『ぜひ欲しい』と言ってくれて、私自身、『纏めていてよかったな』と思っているのである。

 これは退職前の約半年、時間に余裕が出来た期間があったので、その期間中に持っていた資料と、私の日記から纏めたものなのである。

 昨年あたりから、会社の方で『カワサキの二輪事業のアーカイブス』を創ろうという企画がスタートして、この資料をお見せしたら4ヶ月も掛かってすべてのファイルの資料をデイスクに纏めて頂いたのである。

 カワサキの長い二輪事業の歴史の中で、
 ● 二輪事業スタート時のこと
 ● 創成期のカワサキレースチーム
 ● 国内特約店制度
 ● 開発途上国のCKD事業プロジェクト
 ● ハーレーダンピング対策としての新カワ販対策
 ● 二輪事業再建対策
 ● 大庭本部長時代
 ● 髙橋鐵郎本部長時代
 ● 国内市場7万台対策の達成

 などが纏められている。
 私自身も人生の半分の40年を過ごした『カワサキの2輪事業』だが、ご縁があって未だに二輪のカワサキファンの方たちとは深く繋がっているのである。

 自分のやりたいことが『出来た人生』だったと言っていい。
 孫たちにも、是非『自分のやりたいこと』に熱中して生きていける人生であって欲しいと思っているので、
こんな『私の資料』に、孫が興味・関心を持ってくれて、ホントによかったなと思っているのである。

 
 
 
 
 
 

  
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自民と維新  安倍さんと橋下さん  雑感

2019-04-24 06:10:12 | 私の生き方、考え方&意見

★今回の選挙で、沖縄と大阪で自民党が敗北したことで、こんな報道である。

 

    

 

 然し、この二地区は特別な地域で、この選挙で自民党が負けたからと言って、全国的に自民党が『おかしくなった』というのはちょっと違うのではないかと思う。

 特に、大阪で自民が維新に負けたというのだが、確かに大阪府連の自民は負けたが、自民党本部というか官邸にとっては、大阪知事・市長のダブル選も併せて『思い通りの望んだ結果』だったのではなかろうかと思っていたのだが、

 『ひるおび』で、安倍さんや官邸と『維新との関係』をやっていた。

 

★私自身は政治に関しては『無党派層』で敢えて言うなら『維新』かも知れぬが、それは『維新』には引退したとはいえ『橋下徹』さんが未だ絡んでいるからなのである。

 ごく最近のブログにもこんな私のホンネの私見を述べているのだが、

 この際日本の政治のことについて、素人の私見を言わして貰うなら、所謂野党が一番保守的というか従来の政治パターンに拘っている。 安倍自民党のほうがむしろ革新的だから、若い人たちの支持も多いのだろう。一番革新的なのが『維新』ではないかと思っている。 議員報酬の削減を一番言ってるのが『維新』だし、こんな小さな日本で従来の都道府県単位の行政を行っているから、政治に金も要るのだろう。

 できたら『橋下徹さんや安倍さんなどが組んで、ホントに革新的な新党を創り』日本の政治を根底から時代にあったものに変革するようなことができないのかな? と思ったりする。

 

 昨日の『ひるおび』によると、ずっと以前、安倍さんが第一次安倍内閣を降りてた頃、現実に橋下徹さんは安倍晋三を『維新の党首』に迎えようとしたというのである。

何よりも『橋下徹さんの意見』と考えが同じだったことに大満足である。

 

   

    

 

 その時のことを田崎史郎氏は、『安倍さん、内心嬉しかったのでは・・』と言ったりしているが、第2次安倍内閣が出来る安倍さん浪人時代のことなのである。

 こんな3人での会合があったらしいが、『総理・総裁経験者として離党することはむつかしい』と断られているのである。

  

     

 

 然し、維新についての質問にはこのように答えているし、『憲法改正問題』については維新は大きな力だから、大阪にとって維新が強くなることは、官邸としては『ウエルカム』なのではなかろうか?

 

    

 

 それにしても、今回の『大阪維新』は強かった。

 

 肝心の『大阪都構想』が今後どのような推移を辿るのかも見過ごせないし、『橋下徹』さんの政界復帰なども、今度は安倍さんや菅さんが上手に『誘わないかな』と思ったりするのだが、これは本来の衆議院議員などではなくて、いきなり『大臣登用』などの手が打てないのかな?と思ったりするのである。

 

安倍さんの4選』もささやかれたりしているが、私は『4選賛成』である。その時点で『橋下徹』さんを大臣に登用して、一気に『憲法改正』の手を打てばいいと思う。 

憲法改正』は国民投票だから、『維新の力』も要るが、それを推す一般国民向けの『人気スター』も要るのではないかと思っている。

憲法改正にあなたの力が要る』と言って口説けば、私は今は下野している『橋下徹』さんも断らないと思う。

こんな筋書きは、別に私が言わずとも安倍さんはちゃんと考えていると思うのだが・・これから先1・2年の動きに目が離せないのである。

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

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雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

    

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86歳の誕生日を迎えて

2019-03-02 06:14:23 | 私の生き方、考え方&意見

★86歳の誕生日を迎えた。

 ホントによく生きたなというのが実感である。

 祖父も伯父も父も早くこの世を去ってしまったので我が家系は「男は早く死ぬ」と信じて疑わなかったのである。

 逆に祖母は確か102歳、母は103歳まで長生きした。そんなDNAを貰っているのかも知れない。

 おもしろい人生だったと思う。

 自分の人生も変化に富んでオモシロかったが、時代というか世の中そのものがオモシロかったし、普通は変化に乏しい大企業でのサラリーマン生活もまさに変化に富んでいたのは、『二輪事業という新事業』であったからだと思う。

いずれにしても、生きてきた時代も、環境も、背景も面白かったと言っていい。

一言で言うと『運がよかった』のだと思う。

 

          

 

★若い頃に、『本格的な広告宣伝』という業務に携わって、マーケッテングの基本が『差別化』であることを学ぶことが出来たのが、その後の人生に幸いしたと言っていい。

 私の生き方を一言で言うと『差別化』ちょっと他人とは違った生き方を目指した。

 発想も、具体的な目標も、動き方も、すべてが『差別化』だったと思う。

特に現役時代、周囲の方たちとは『違った生き方』が出来たのはなぜかなと思う。

こどもの頃から『何になりたい』と思ったことは一切なくて、『流れの中』に身を任せていただけで、中学も大学も、会社も職場も職位もみんな他人が決めてくれたことを、自然に受け入れただけで、自分で選んで決めたわけではない。

ただ、そんな任された環境の中でやった仕事の内容は、私なりの感覚で『自分で決めたこと』ばかりだが、結果的には『新しい世の中で初めてのこと』が殆どだったのである。

 だから、引き継ぎなど一切したことがない。

 

       

 

 

★ホントに自分で全て『やることを決めて』動き出したのは、現役を引退してからなのである。

そういう意味で、引退後のほうが現役時代よりは『むしろ充実している』ようにも思ったりするのかも知れない。

最近は、朝8時半からジムに行って、7000歩から1万歩近くをサイクリングとスロージョッギングでこなしている。 

その中で50メートルダッシュを6本ほど、80歳ごろから始めたダッシュだが、年々早くスムースに走れるから不思議である。

パソコンを始めたのも70歳を過ぎてからだが、毎日欠かさずブログをアップしている86歳も珍しいだろう。

 間違いなく、世の中の『お年寄り』とは『差別化』出来たオモシロい人生を走っているのである。

後期高齢者であることは間違いないのだが『老人』ではないと思っているし、今年も『体力年齢は50代』の記録が出るだろう。

昨年より筋力は付いているし、柔軟性はさらにアップしていると思っているのである。

 

    

 

★こんな呑気なことを言ってるが、昨年7月5日には、風呂の中でいつの間にか「意識を失っていた」のである。

 人間、突然何があるか解らない。

 あの時もたまたまアメリカから娘と孫が日本に来ていたので、風呂から引き揚げてくれたのである。

 そういう意味では『運がいい』のだろう。

かって現役の頃、『性格テスト』をやったことがあるのだが、結構「いい項目」が高得点で並んだのだが、『反省が足りない』という項目も、これは最高レベルの点数だったのである。

 確かに、『反省など』したことがない。

 そんな『いい加減』な『ネアカな』『ちょっと変わった人生』は自分でも気に入っている。

 でも、最近は風呂の中では、何となく『気をつけている』から少しは反省しているということか。

 そんな86歳の人生が、今年もスタートしようとしている。

 

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2月も残りわずか、86歳がもうすぐスタートする

2019-02-20 06:28:36 | 私の生き方、考え方&意見

★2月ももう20日になった。

 残り10日もない。 毎年のことだが、この時期何となく特別の10日間のような気がする。

 3月に入ると、すぐ誕生日がやってきて『年を一つ取る』ことになる。

 85歳も残り10日ほどなのである。

 自分でも、不思議に思うほど『よく生きてきた』と思っている。

 一応は元気にしていて、来るべき86歳はどんな1年になるのだろう?

 

★ 86歳からはまさに『人生の最終段階』だと思うのだが、年齢の割には、不思議なほど『予定が入る』ので、それに対応していると、また次の予定に繋がったりするのである。 

あまり忙しいのも困るが、適当にすることがあるのはイイ。

3月には、昨年旭日小綬章二輪業界で初めて受賞された『吉田純一』さんの記念祝賀会が大阪であって、この記念式典にもカワサキの仲間たちは多数出席するのだと思うが、

 

  

 

4月には『吉田純ちゃん』のかっての上司平井稔男さんが、それこそカワサキのメンバーを集めての独特の祝賀会をやろうとしているのである。

二輪業界で初めてという素晴らしい綬章を受けられるような業界の重鎮である『吉田純一』さんなのだが、一方では50年前の若い頃そのままに仲間とのお付き合いができる処が『純ちゃんの一番の良さ』だと思っている。

 

★5月には、これも結構大きなイベントだが、群馬県の安中市である『自動2輪交友会』のイベントに、NPO The Good Times も色濃く関わるように主催者の金井紫朗さんから頼まれているのだが、

 

        

 

   このイベント検討に集まったメンバーだが、カワサキのメンバー5人の中では、純ちゃんと柏原久くんが、一番の若手なのである。

このイベントにも吉田純一さんが主宰されている日本二輪文化協会が、色濃く関わってくれることになるのだろう。

 

         

 

  吉田純一さんが主宰されている『一般社団法人・日本二輪文化協会』 http://www.amac.or.jp/ はこんな団体で、

 

     

 

その目標に掲げておられる『オートバイ文化の推進と確立』にも、こんなイベントが 少しでもお役に立てればと思っているのである。

 

★86歳の出足の3ヶ月は、こんな具体的な予定もあるのだが、

 個人的には、今まで経験したことのない業界団体への『随想執筆』というのが、突如飛び込んできているのである。

 『公益財団法人高速道路調査会』という昭和32年(1957)設立というから私が川崎航空機に入社した年にスタートした長い歴史のある団体が『高速道路と自動車』という昭和33年に創刊され、今年2月号で730号になるという冊子への投稿依頼なのである。

 

          

 

この会のメンバーも、毎月の冊子への投稿者を見ても、大学教授や道路行政の専門家など錚々たる方々ばかりなのである。

高速道路』がメインテーマだから高速道路建設関係や自動車業界なども関係はあるようだが、『二輪業界の名前』は出ていないし、ひょっとしたら二輪業界としては初めての接触になるのかも知れない。

 依頼を受けたのは、『二輪文化を伝える会』の松島裕さんを通じてのものだが、松島さんがご存じなのかと思ったが、そうでもないので、直接『高速道路調査会』に『なぜ私に』と聞いてみたら、

今回執筆をお願いしたのは、『二輪文化を伝える会 https://2rin-tsutaeru.net/ の日本のモーターサイクルの歴史を創ってきた「人」を主役に世代や地域など様々な枠を超えた活動や、NPO The Good Times  http://www.thegoodtimes.jp/ のウエブサイトで、『私の経歴を見て』随筆をということになったと仰るのである。

 松島さんなどと共にNPO The Good Times の活動として、主としてネットを中心に10年間地道に活動してきたが、何とか他業界というか『一般社会』の中で『二輪』が認められたような気がして嬉しいのである。

 高速道路と言えば『二輪車での二人乗り』などはメーカーの努力というよりは『吉田純一さんの努力』で実現したのである。

世界での日本の二輪車の地位は結構高いのだが、肝心の日本では、どうも片隅に追いやられてしまっているのだが、何とか世の中に『まともな二輪文化』を認めて貰える活動をと思っているのである。

 

 この原稿は、3月中に仕上げねばならぬのだが、『どのようなテーマで、何を訴えるべきなのか?』発行部数は2000部、一般販売もなさってはいるが、主として関係筋や学校で、『二輪車』とは遠い世界なのである。

 そんな方たちの何人がお読み頂けるのかはよく解らぬが、何とか『二輪車の世界』がアタマの片隅にでも残るようなものになればいいなと思っているのである。

 

★そんなことで2月も残り少ないし、私の85歳も残り少ないのだが、新しくスタートする『私の86歳』は、なかなか高次元な活動で、『その幕』を開けようとしているのである。

 果たして、いいスタートダッシュが切れるだろうか?

 今のところ、体力年齢だけは50代が保てているので、大丈夫なのである。

 

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西神医療センターに行ってきた 雑感

2019-01-30 06:22:37 | 私の生き方、考え方&意見

★昨日は西神医療センターに行ってきた。

 特にどうということはないのだが、首の後ろにあざというか、皮膚がカサカサした丸いものが出来ていて、首の後ろなので自分では見ることが困難なのである。痛くもかゆくもないのだが、昨秋皮膚科に水虫の治療に行った時に、最初の病院では、それを観るなり「これは治りませんね」と言われたのである。 

それで別に気にはしていなかったのだが、昨年の9月のことだが、ほかの病院に行く機会があって、そこの先生に観て貰ったときに『これは治りませんね』と言われたと言ったら、治るかも知れないと『ぬり薬と飲み薬』を出して頂いて飲んでみたのだが、やはり治らないのである。

水虫の薬も切れたので、先週その皮膚科に行ったら先生が『ちょっと大きい病院で診て貰ったら』と紹介状を書いて頂いたので、西神の医療センターに行ってきたのである。

 時間はいっぱいあるので、どんな用件でも『予定』が入るほうがいいような気がする、そんな生活なのである。

 

★西神に行くのも久しぶりだし、西神医療センターにはずっと昔行ったことはあるのだが、新しく初診窓口からスタートしたのである。

西神医療センターは、西神の中心街にあるこんな病院である。

 

  

 

 久しぶりだったし、診療カードも見つからなかったので、『初診です』と受付で言ったら、ちょっと調べて『以前に来られてますね』と仰るのである。

最近のネットはなんでも記録が残っている。

 

 

 

改めて『新しい診療カードを再発行しましょう』と言われて、保険証をお渡ししたのだが、『錬太郎の錬の字がムツカシイくて』その漢字がないので『レン』とカタカナでいいですか?と仰るのである。

 いろんな病院の診察券を持っているが、こんなことを言われたのは初めてなのである。

 改めて保険証の名前をよく見ると『錬の字』が戸籍通りの旧い字になっているのである。

 私の『錬太郎』は自分でも面倒なので金へんに東と書くのだが、戸籍の『錬』は東が『てんてん』なのである。

 

   

 

診察券の名前の『レン』がカタカナでもそんなに問題ないので、『いいですよ』と言ったのだが、こんなこと言われたのは初めてで、以前持ってた西神医療センターの診察券も多分、金へんに東の『』だったはずである。

 こんな細かいことに『なぜ、拘るのかな?』と不思議に思ったのである。

 たかが診察券だが、保険証の字と違っていてはダメで、『正確を期す』のだろうか?

 

 ★大きな病院は、混むかなと思って9時からなのだが10分前には病院に着いたのだが、既に『受付』はやっていた。

 そのあと『皮膚科』に行ったら、9時15分には呼ばれたのである。そして丁寧な先生の診察を受けて、2月4日に予約を取って「皮膚をとって」それを「検査する」と仰るのである。

ただそれだけのことなのに、同意書などの仰々しい書類にサインして、それを2月4日に持ってもう一度と仰るのである。

 最近は、何か細かいことに拘り過ぎると思うが、大きな病院でもいろんなことが起こって裁判などになったりするので『慎重すぎる』対応になってしまうのだろう。患者の側もすぐ文句を言ったり裁判にしたりするので、対応がどんどん細かくなってしまうのである。

診察が終わって、そのあと別の場所で『血液採取』をしてお帰り下さいというのである。

 

 

 

血液採取が、9時40分だったから、大病院でも結構早かったのである。

機能別に流れ作業になっていて、工場のような感じである。

最後の支払いも、すべてこんな器械で自動なのである。

 

  

 

 完全自働かと思ったら、そこには案内係の女性が二人もいて、いろんなお世話をしているのだが、こんなのはやり過ぎだなと思った。

 そういえば、皮膚科の窓口だけで8人もの女性がいたのである。

 これは、『みんな医療費にはね返っている』のである。 今回の支払いは1800円だった。1割負担だから18000円なのである。

 

★日本の社会も、ホントに『自己責任』という感覚がなくて、『もし何かあったら』と自分を守ってしまうので、どんどん『無駄なお金』が掛かってしまうような気がする。

 出かける前に『そんなの大丈夫よ』と家内に言われたが、それが正解かも知れないのである。

そういう意味では、一番最初に診て頂いた先生が、ちょっと見ただけで『これは治りませんね』と仰ったのが正解なのだろう。ホントにぶっきらぼうに言われたのだが、『放っておいても大丈夫』ということなのだろう。

 『痛くもかゆくもない』のだから、医者に紹介状など書かれても、自分の判断で西神医療センターなどには行かなかったらよかったのかも知れないのである。

 政治の世界など見ていても、マスコミなども、みんな大したことがないことを『大変だ、大変だ』とあおって『他人に責任を押し付ける』態度は、ホントにいい加減にしなければと思うのである。

 いま、読んでいる「ファクトフルネス」はそんな真実を見る目がなくて、世の中のトップレベルの人たちの知識や、判断が間違っていると言っているのである。そいう言う意味では「世界的な傾向」かも知れない。

 いろんなことを考えたのである。

 

 

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年齢や経験など関係ない できる奴は若くても出来る

2019-01-25 06:35:17 | 私の生き方、考え方&意見

 ★ 最近は、朝のうちはジムなどに行って結構忙しいのだが、午後からは時間がいっぱいあって、いろんなことを考えたり、ネットを観たりしているのだが、時間が余れば『パンダ碁』を打てば幾らでも『時間は消費』できるので、退屈したり、持て余したりすることは全くないのである。

ファクトフルネス』などという孫が勧めてくれた本なども読んでみて、これはコレで結構、オモシロかったのでいつかまた感想を纏めてみたいのだが、ごく最近の感想としては、『日本国紀』にも『ファクトフルネス』にも人の平均寿命のことがいろいろと書かれていて、日本は世界でまさにトップクラスの平均寿命を誇っていて、私など今年は86歳になるのだが、昔の人たちの寿命は短かくて、30歳で亡くなってしまった人たちも多いのである。

そんななかで、『人間は年と共に進歩するのだろうか?』というのが、今思っている感想なのである。

結論から言うと、『若くても、偉い奴は偉いし、年と共にそれが進歩するようなことはない』のではないかな? と思っているのである。

私自身を振り返ってみても、学生時代や30代に取り組んだことでも『大きな立派なこと』も沢山あったし、年齢を重ねて進歩したとも思えないのである。

 日本の社会のシステムが、まさに『年功序列』で、年を取らなければ『偉くさせないシステム』になっていて、若い人たちに『大きな仕事をさせない』ような仕組みにしてしまっているように思えてならないのである。

 

★スポーツの世界がそうであるように、ビジネスや政治の世界でも、『ホントは若い奴のほう』が『年寄りよりも鋭い』し、『発想もいい』し『いい仕事ができるのでは』と思ったりしているのである。

 なぜ、突然そんなことを、というのは、ごく最近孫・古谷仁がこんな『ツイート』を発信したのだが、はっきり言ってすぐには理解できなかったので、ネットでチェックしまくったのである。

 

   

 

 この『ツイッター』をご覧になって、すんなり理解できる年配者がどのくらいおられるのか?

 『若者フレーバー』も『ポストカマコンバレーコミユニテイー』も『PoliPoli』もよく解らなかったし、ネットで探しまくって何となく解ったのだが、Polipoliなど、無茶苦茶若いのに、博報堂や神奈川県庁などが放っておけないほどの存在感なのである。

ポストカマコンバレーコミユニテイー』とは、どうやら 古谷仁そのもののことを言っているようだし、

 

Polipoli』 は、こんなことらしい。

 

  

 

 代表者はこんなに若いし、役員も学生さんなのである。

 

   

 
 
    
 
 
 
 こんな polipoli を放っておけないのか
 
 『博報堂、ブロックチェーンスタートアップ企業のPoliPoliとトークンコミュニティ企画・インセンティブ設計領域で業務提携
 
 と業務提携したようだし、神奈川県とも連携しているようである。
 
 
    
 
  
 
知事さんと会うのに、こんな服装だが、服装には似合わず、そのMisson は『テクノロジーで国家システムを再構築する』と壮大なのである。
 
 
     
 
 
 
★果たして、成功するのかどうかは今からだが、日本の社会もやっと、自由に競争できる時代になったのかな? と思っている。
 
 能力があっても、大企業や官庁の旧い仕組みの中で、能力が発揮できない時代が、ずっと続いてたのだが、やっと何とかなる時代の幕開けかも知れない。
 
 ただ、私たちが生きてきた『カワサキの二輪事業』はかっては若い人たちが思う存分力を発揮できたのだが、それは会社にとって全く新しい事業であったからで、今は普通の大企業に戻ってしまった感がある。
 
 
こんな若者たち、孫も含めて、鎌倉で頑張って欲しいと思っている。
 
カマコンバレー』 は、勿論『シリコンバレー』をモジッテいるのである。
 
 
 年齢や経験など、大したことではない、『できる奴は若くても十分通用するのだ』と思っている。
 
 
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読書 「ファクトフルネス」  雑感

2019-01-18 06:50:36 | 私の生き方、考え方&意見

★最近の若い人たちは『本を読まない』そうである。

 『若い人が本を読まない』と検索すると、こんなページが現われた。

 

     

 

   こんなグラフも出てきた。

 

     

 

 実は、私もあまり『本は読まない』ほうだと言った方がいい。

 なぜ? と言われても困るが、本を読んでみても殆どの本で『がっかりする』ことの方が多いからである。

 なかなか『いい本』に巡り合えることの方が少ないので、そうなってしまうのである。

 本は読まないのだが、1日の中で活字を読む時間は結構あるほうだと言っていい。

 ニュースも殆どネットで読むし、『検索』する機会は『結構多い』と思うし、興味のあるモノについては「ちゃんと読む」習慣は付いていて、本を読むよりはそのほうが『効率がいい』し、『自分で納得できるまで検索を続ける』ほうがいろんな意見が解ってオモシロいと思ってしまうのである。

 

★ただ、若い頃から、文章というか自分の意見は殆ど『活字にして残している』 現役時代の『方針』というか『基本的な考え方』は全部と言っていいほど『活字にしている』のである。 

そういう意味では、文章を書いた量は、ひょっとしたら『小説家よりは多い』かも知れない。一体、小説家というのは一生で、どのくらいの文章を書くのだろう?私は20歳から日記も書いているし、現役時代の文章も多いし、引退してからも毎日結構長いブログを書いているので、最近でも1日に、5000字以上は書いているというか、発信しているのである。

なぜ、突然こんな話題か? というと私には4人の孫がいるのだが、そのうち3人はアメリカ育ちで、下の二人は、特に一番下の末弟などは『日本語を読むのが苦痛』なようで、英語が日常語だから、日本語で本を読む機会など少ないと思うのである。

 私は本は『読まない』のだが、家内も息子も娘も『本が好き』で、そのDNAは間違いなく孫にも伝わっているのだと思う。本の話題になった時は、とても私などは「ついて行けない」レベルなのである。

そんななかで、孫の長男二人は、私と違って『多分、本はいっぱい読む』のではないかと思っている。

 二人とも『ちょっと変わっている』と言った方がいい。

 

         

 

★特に息子の方の『古谷仁』は、『小説家になりたい』などともいうし、昨年の今頃は本の出版などに取り組んでいたのである。

 最近はツイッターなどでの発信も多いのだが、彼の書く文章は独特で、ヨコ文字も多いので『ついて行くのが大変』なのだが、ごく最近こんなツイッターをアップしていた。

ピーター・テイールのいう「曖昧な悲観主義」からの脱却の鍵「ファクトフルネス」かな

と「ファクトフルネス」という本のことをツイッターにアップしていて、孫の古谷仁推薦なので『読んでみるか』と思ったのである。

 

  

 

日本人がまず真っ先に読むべきだ』とあったので、発売前から申し込んで、今最初の数ページを読みだしたところなのである。

世の政治家や学者などの知識人など、貧困・教育・環境・エネルギー・人口問題などについて『賢い人ほど世界の真実を知らない』と本の帯に書かれていて、13の質問の正解率が33%を下回っていて『チンパンジー以下』だと言われてしまっているのである。

本の冒頭にある13問の質問はこんな質問なのである。 皆さんはお解りになりますか?

 

 ● 現在低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を修了するでしょう?  A 20%  B 40% C60%

 ● 世界で最も多くの人が住んでいるのはどこ? A 低所得国  B 中所得国 C 高所得国

 ● 世界の平均寿命は  A 50歳  B 60歳  C 70歳 

 ● 世界中の1歳児で予防注射を受けてる人は   A 20%  B 50%  C 80%

 ● 幾らかでも電気が使える人たちは   A 20%  B 50%  C 80%

 ● 1996年にトラとジャイアントパンダとクロサイは絶滅危惧種に指定されたが、当時よりも絶滅の危機に瀕している動物は幾つか

    A  2つ   B 1つ  C ゼロ

 

最初に作者が言っているのは、世界のトップレベルにいる人たちが『みんな間違った常識しか持っていない』テストの結果になっていると言うのである。

これは要するに、世の中の進歩は非常に速くて、『昔の本』などで身についた旧い知識が邪魔をしていて、『新しい知識』を導入しないと間違ってしまうようである。その結果が『賢い人ほど世界の真実を知らない』ことになってしまっているというのである。

 本の冒頭に、世界の状況を表すこんなグラフが載っていた。

 

       

 

 この『健康・金持ち・貧乏・不健康』『寿命・所得』のグラフを一番最初のページだったので、ちょっと見ただけだが、私自身はこの13問中11問に正解出来たので、正解率85%と『めちゃ優秀』だったのである。

 別に威張る訳ではないが、そういう意味では『カン』だけはイイと思っている。

 兎に角、読み始めたところだが、なかなかオモシロそうなのである。

 この本を紹介してくれた古谷 仁は果たして読んでいるのだろうか?  

 ツイッターに出た時点では発売前だったのだが、我が家には発売と同時に本が来たので、結構早く読みだしているのである。

 

★ 孫がツイッターで言っている『ピーター・テイールのいう「曖昧な悲観主義」からの脱却の鍵「ファクトフルネス」かな』がどうしても気になって調べてみたら、こんな説明文があった。

 2年前に全世界でベストセラーになった『ZERO to ONE』あのペイパルを創業した著者のピーター・ティールはその中で、人間には4つのタイプがいると言っていて、それは『明確な楽観主義、・曖昧な楽観主義・明確な悲観主義曖昧な悲観主義』だというのだが、その曖昧な悲観主義』という人間のタイプからの脱却の鍵が『ファクトフルネス』だと言っているようだが、どんどん解らなくなってしまうので、まずこの本を読んでみようと思っている。

 本はちょっと読んだだけだが、なかなか解り易くて、『めちゃオモシロそう』なのである。

 読んでしまったら、また読後の感想でもアップしてみようかと思っている。



 

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百田尚樹の日本国紀 を読んで

2019-01-17 06:16:56 | 私の生き方、考え方&意見

 ★百田尚樹について、よく知っている訳ではない。

 テレビで話を聞いたことはあるとは思うが、確りとは覚えていない。

 今回、『百田尚樹の日本国紀』を読もうと思ったのは、この本を読む前に書いたブログに、このように書いている。

百田尚樹の日本国紀』が話題で、その評価が分かれているようだが、私自身は日本の歴史を通期で読んだことは一度もないので、この機会に読んでみたいと思っただけなのである。いろんな書評があるようだが、書かれていることが全部違っているというようなことはまずないので、日本の約3000年がどんな感じかということが解ればいいのである。それが合っているのか、違っているのかなどの細部は『歴史研究家』に任せばいいと思っている。

 

     

 

 

★昨日、一応読み終わったので、素直な読後の感想を纏めてみたい。

 ●『一言で言うと面白かった』もう一度じっくりと読み直してみたいと思っている。読んでよかったと思っている。

 ● 500ページに及ぶ長編だが、江戸時代から明治・大正・昭和・平成の約400年で半分が占められているのが、よかった。

 ● 旧い時代よりは、江戸以降の資料の多い時代を詳しく知りたかったし、私にとっては『新しく知ること』が多かったのである。

 ● 昭和の支那事変以降は、私自身が生きてきたし、特に戦前・戦後の記述は共感するところが多かった。

 ● マッカーサーのGHQが、日本を変えてしまったのは事実だが、『私自身は殆ど変わらずに生きれたな』と改めて思った。

 ● それは私自身、中学3年以降、学校の勉強を殆どしなかったので、結果的に『新教育』に全く影響されなかったのである。

 ● 百田尚樹さんは、戦後の生まれなのに、なぜこのような『愛国の志士』のように育ったのか?

 ● 同志社を中退したのは、当時の学生運動には合わなかったのかな? 百田尚樹は本名だと聞いてびっくりした。

 

★ざっと『こんな感想』だが、この本ほどいろいろな人が論評しているのも珍しい。

当然のことだが、『賛否両論』があるが、百田尚樹さんは小説家ではあるが、歴史家ではないので、歴史家の観点でこの本を論評するのは間違っているように思う。

田原総一朗さんがこんな風に評している。

彼は、史料もかなりよく読み込み、非常によく勉強している。そして何よりも、彼は「左」でも「右」でもない。ただただ、日本を愛し、日本の未来を真剣に考えている。その1点で、僕は深く共感することができたのだ。自分の考えを率直にいうと、左からも右からも批判を受ける。百田さんも僕も「考え方が違う」という印象から対談に入った。だが、意外にも共通する考え方、同じくする思いが実に多かった。』

 私も『よく勉強している』とは思った。何も調べないとここまでは書けないのである。『Wikipedia の丸写し』などという意見もあるが、例えそうだとしても、歴史を新しく創ることはできないので、このネットの時代にはそれもあってもいいと思う。ネットの時代だから私でも上記の田原総一朗さんの意見も紹介できるのだが、少なくとも『それを見つける努力』は必要なのである。

こんな意見もあった。

 ●『古代から平成までの日本史について記され、幕末以降に半分以上を割くなど近現代史を手厚く紹介している。あまり知られていない歴史上の人物などを紹介するコラムもある。百田氏は冒頭の「序にかえて」で「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません」と書き、「世界的に見て画期的」などと日本の先進性をたたえる記述が随所にある。』

 ●『日本国紀』を要約し、筆者の主張をまとめると、「日本は、すばらしい国で、素晴らしい人たちが活躍してきた歴史がある。しかし、GHQの占領政策、戦後の教育によってその歴史がゆがめられた」ということになりそうです。歴史の出来事をアナロジーとして日本の素晴らしさ、日本人の素晴らしさを説明していく、という筆者の思いが込められていて、この点は「叙事詩」的な部分なのでしょう。

 

★ 私は素直に『いい本』だと思ったし、間違いなくもう一度読み直すと思う。

 改めて「日本人の優秀さ」を見直したし、『日本はいい国』だと思った。

 そんな長い歴史を持つ日本だが、昔はいろいろと争いもあったので、こんな平和な時代が70年も続く現代は素晴らしいと思う。もう一つ、現代の日本の素晴らしさは、平均寿命が世界一だということである。そんな日本も昔はこんなに早死にの方が多かったとは、はじめて知ったわけでもないが、改めてそれを認識した。祖父も伯父も父も50代で亡くなったのに、86歳になろうとしているのが不思議である。

 

この平和な時代を創っているのは、GHQの創った憲法なのか? 戦後のあの素晴らしい復旧は新しい教育があったからなのか?

それとも、戦後の復旧を支えたのは、戦前の『旧い教育』を受けた素晴らしい人たちだったのか?

そのあたりのことを、この本を読んで、1人1人が考えてみて欲しいと思うのである。

 

 

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昭和・平成を85年間生きて の感想

2019-01-02 08:43:43 | 私の生き方、考え方&意見

★今年で平成の30年が終わる。

 昭和8年(1933)3月に生をうけて、平成30年(2018)年までの85年間、昭和と平成の時代を生きてきた。

 そんな私の85年間の人生に於いて、平成の30年間は私の人生の集大成として『光輝く30年間』であったと思う。そのうちの1999年までの11年間は、現役最後の期間で、それなりの成果もあげたのだが、それ以降の平成の19年間がひょっとしたら『最高の人生』が送れたのではないかと、勝手にそう思っているのである。

 その輝かしい平成の時代も今年で幕を閉じて『新しい時代が始まる』のだが、今年から始まる『新しい年代』はどのようなことになるのだろうか?

 この85年間を、粗っぽく振り返ってみたいと思う。一言で言って『変化に富んだオモシロい人生』であった。若し、もう一度生まれ変わったとしても、全く『同じ人生でいい』と、思ったりしているのである。

 そういう意味では「夢がなくて」「現実的なのかも知れない」 然し思ったことは『実現しない』と気に食わないので、殆どの自分の夢が実現したから、満足しているのかも知れない。

 

★ こどもの頃 昭和8年~昭和20年 (1歳~13歳)   1933~1945

兵庫県明石で生まれて、すぐ朝鮮・太田と京城(今のソウル)で終戦の年まで育っている。昭和20年8月15日は中学1年生であった。

昭和8年から日本は戦争を始めている。

支那事変から大東亜戦争という戦争の時代だったのに、不思議なほど平穏無事に暮らせたのである。小学校の3年生ぐらいまでは、夏・冬休みに明石に帰省していたので、当時は内地と言っていたが、戦前の日本も解っているのである。

当時のソウル・京城は、そんな内地に比べても、街も立派だったし、生活水準も一般に高かったのでは思っている。

       

戦時中ではあったが、空襲も疎開もなかったし、小学校(国民学校)の教育水準は非常に高くて、私自身も勉学も運動にも励んだので、卒業時には京城府伊賞(知事賞)などを頂いたりしたのである。

 

★ 中学校から大学卒業まで 昭和20年~昭和32年(14歳~26歳)  1945~1957

 終戦の年の12月8日に、日本にそれこそ身一つ、1人1000円だけを持って、生まれ故郷の明石に引き揚げてきたのだが、まさに生活が一変するとはこんなことを言うのだろう。引き揚げ先は明石の上ノ丸は爆撃で焼失してしまっていたので、疎開先だった伊川谷の借り家だったのだが、翌年もう一度神戸一中の1年に再入学して、伊川谷から明石駅まで歩き、灘から地獄坂を登っての中学校生活だった。今思うとよく通えたものだと思うのである。

 『戦後』というのは今の方に言っても、なかなかご理解願えないと思う。食糧難もさることながら、中学2年の時天皇陛下の関西行幸があったのだが、お泊りになるホテルが神戸になくて、神戸一中の教室を急遽改造してそこにお泊りになったのである。そんなこともあって私のクラスは『天覧授業』を受けたりしたのである。

 旧制中学の最終学年の3年の時には県一女との男女共学となり、高校は学区制で明石高校に転校するのだが、中学3年生から大学までは、勉強など一切せずに野球に没頭していて、大学4回生では卒業せずに1年延ばして、野球部監督などをしていたのである。

当時の兵庫県の公立校は野球も強くて、神戸一中も明石高校も、甲子園出場を果たしているので、トップレベルの野球部生活を経験したことは、その後の人生にも大いに役立ったかなと思っている。

 経済的には、まさに大変な時期を過ごしたのだが、いろんな意味で『世の中のトップレベル』というものはどんなものかということが体験できたのがよかったと思っている。別に一番である必要もないとは思うが『トップグループ』に位置していることは『どんなことか』。

Topグループの中にいないと、『世の中何も実現しない』と身に染みてそう思っている。

 好運も手伝って、本来の卒業年次の昭和31年は不景気で就職も大変だったのだが、1年経って昭和32年は『神武景気』に様変わりして各企業は大量採用でお蔭様で川崎航空機に入社することになるのである。

 

川崎航空機・川崎重工業・単車事業本部  昭和32年~昭和63年(26歳~57歳)   1957~1988 

川崎航空機の入社試験の面接で、最初に言われた質問が『君は成績が悪いねえ』だったのである。大学でも全く勉強せずに野球ばっかりだったので、優などは殆どなくて可ばかりだったのである。第1問が大変な質問だったのだが、あまり慌てもせずに『野球ばかりしていましたからでも会社の仕事ぐらいなら絶対に他人に負けないようにやれると思います』と言い切ったのである。

 私は当時の砂野仁さんのコネでの受験だったのだが、この一言はその後の会社での仕事をやるときに忘れたことはないのである。自分の力で入社したとは思っていなくて『入れて頂いた』ことは間違いないので、砂野さんの面子が建つように頑張ったし、文句など一度も言ったことはない。

 たまたま会社としても初経験の二輪事業に携わることになったことは、上司も同僚も部下も、みんな同じスタートラインからの競争だったので、他人に遅れることなく、トップグループの中で走り切れたのだと思っている。

 昭和の終わり昭和63年までには、マーケッテングの分野では間違いなく、トップレベルの経験をして『他の追随を許さないレベル』には成っていたのも、単車という新しい分野を担当する好運がプラスしたと思っている。

 この時期の最後の数年間が、いまアップしている『カワサキジェットスキー物語』のスタート時期で、それこそ世界で初めての製品の初めての世界展開を担当することが出来たのである。

 その『ソウル・オリンピック』のデモン・ストレーションが1988年で、この年で昭和の時代の終わりでもあったのである

 

 

       

 

 

★ 国内販売担当・『新しいカワサキのイメージ創造』 平成元年~平成11年 (57歳~67歳) 1989~1999

  平成元年から始まるこの11年間が私の現役最後の11年間である。

 川重副社長の髙橋鐵郎さんが社長を兼務されていたKMJの専務として、国内マーケットを総括し、上図の6社の会社の社長を兼務して、二輪とジェットスキーの国内マーケットを統括した『私の現役生活の総仕上げ』だったのである。

 この中心となったのが『遊びの専門会社=ケイ・スポーツ・システム』というソフト会社であり、JJSBAのレース活動などを統括したKJSや、日本の最先端を走った物流政策などのトータル・システムの確立を図って、遊んでいても自然に売れる『仕組みの構築』を目指したのである。ユーザークラブKAZEを作ったのもこの時だし、ホンダさんのHARTを圧倒する55000人の会員数を誇ったのである。

 その結果は、与えられた大きな目標『7万台の販売達成』が実現して、当時の事業本部の中で、国内市場が『最大の利益貢献度』も併せて実現した最高の時代だったのである。

 この時代に20年の歳月を経て、復活した基本コンセプトが、Kawasaki .Let the good times roll ! で

 単車出身の田崎雅元さんが川重社長の頃には、川崎重工業の基本コンセプトになったのである。

 

 

★ 退職後の約18年  平成12年~平成30年   (68歳~85歳)  2000~2018

   退職後はどんな人生が待ち受けているのかな? 

 と思っていたのだが、振り返ってみてもこの19年がひょっとしたら私の人生で一番輝いている期間かも知れないのである。  

 この平成の19年間、私が集中したのは、

  1つは、 体力の増進 ストレッチと筋力強化

  2つは、 ネットというシステムの『私なりの仕組みの創造

  3つ目の その基本となるコンセプトは、 Let the Good Times roll  !

 

            

 

 基本的には総合的な『仕組みの創造』なのである。

 カワサキでは一言で言えば『カワサキのブランドイメージの創造』のために『大きな仕組みの創造』に取り組んでいて、それが『生活を創る』上の表のような形になったのだが、

 10年前に創った NPO法人 The Good Times は、ここに出会う人たちが自然にハッピーになるような活動を目指している。

 昭和と平成の時代を生きて、今年はまた『新しい時代』がスタートする。

 今まで生きた85年間をこのように語れることができる幸せを嬉しく思っているのである。

 残り少ない人生かも知れぬが、1年は短いようで結構長い。

 ちゃんと生きたら、ちゃんと応えてくれるのである。

 

 

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日本という国  雑感

2018-12-29 06:59:56 | 私の生き方、考え方&意見

 

★ネットを観ていたら、こんな広告に出会った。

 

    

 

 『今すぐ書籍をもらう』と書かれている。送料だけを負担すればいいということで申し込んだら、すぐ送られてきた。

 『半日メデイアの正体』と物々しいので朝日新聞などのメデイアを痛烈に書いているのかと思ったがそうでもなく、戦後のGHQというかアメリカの日本という国に対しての方針やその対応、日本国民の考え方がどのように変遷していったのか?

 などが客観的に書かれていて、戦前の社会も知り、生々しかった昭和20年の8月15日も、その翌年以降のGHQによる日本の教育制度が変遷していったことも、自ら体験して生きてきた私としては、非常に冷静にこの本を読むことができたのである。

産経新聞関係の編集長など歴任されたという著者上島嘉郎さんも昭和33年(1958)のお生まれだから、所謂55年体制も実際にはご存じない世代なのである。

因みに私は昭和32年に大学を卒業して川崎航空機に入社しているし、終戦の年昭和20年(1945)は中学1年生で、当時の朝鮮京城(今のソウル)で玉音放送を聞いた、戦前も戦後の昭和の時代も、平成も経験している85歳なのである。

 戦前の日本はホントにダメだったのか? 

 戦前の日本人はダメだったのか? 

 むしろ父や祖父の時代の日本人は今以上に立派だったのでは、とホントにそう思って生きてきているし、今でもそれを疑ったりはしないのである。

 右翼か? と言われたら「右翼ではない」と思うが、「インテリ左翼」などでないことは間違いない。

 今でも、取っている新聞は朝日で、産経新聞ではない。 小学校時代からずっと朝日新聞を読んでいるのでそのまま続いているだけの話である。

今の朝日新聞の傾向が、反日というか『反安倍』であることは間違いないのだが、反対意見を知っておくこともそんなに悪くはないことだと思っているので、朝日をやめようなどとは思っていないのである。因みに、安倍さんは立派だと思っている。

 

★世の中には『反対意見』というのはあって当然で、反対意見そのものには何の問題もないのだが、この本の中に何度も指摘されていた『日本・日本という国』『日本の伝統・文化』などへの愛情のない国民に戦後変わってしまって、今も尚それが続いていることが問題だという指摘には納得である。

 朝日新聞はじめ、多くのメデイアが『反日』であるというよりも、『無日』になってしまっているのが問題で、『愛する日本』という国の存在すらないような世の中はやはり寂しいというか、間違っていると思うのである。

 戦後、アメリカのGHQ が日本の教育も、教科書も、教育制度も、新聞社に対する検閲なども、アメリカにとって都合のいいように変えてしまったのだが、その渦中の真ん中に私はいたので、ホントにそのあたりのことはよく解っているのである。

 私自身は旧制中学に入学し、終戦の翌年から戦前と同じ教育を受けたと思っている。歴史の教科書がなかっただけである。昭和22年からは新制中学が出来て、下級生は入学してこなかったし、中学3年生の時に男女共学になり、高校に入学する時には学区制が敷かれて、神戸一中から明石高校に転校したのである。

 私自身のことを言うと、中学3年生から大学卒業までは野球に熱中していて、勉強など一切しなかったので、学歴は中学2年卒だとは思っているのだが、戦前の教育レベルでも、そこそこの文章も書けるし、物事の理解力も、そんなに悪くないと思っているので、戦前の教育がダメだったなどとはけっして思っていないのである。

 何か新しい教育は、ありもしないウソを教えているのではないか? 例えば「太平洋戦争」などというが『大東亜戦争」はあったが戦後勝手に『太平洋戦争』に置き換えてしまったのは、アメリカはじめ当時の欧米の白人たちの思想に都合が悪かったのではなかろうか?

朝鮮は日本の植民地だったというが、当時は日本そのもので、ソウルには市電も走っていたし京城大学も三越もその他いろいろ当時の内地よりも立派な街になっていたし、当時の東南アジア諸国は全てと言ってもいい欧米列強の植民地であったものが、あの戦争を契機に独立国になっていくのである。

小学校で習ったのがそんな『大東亜共栄圏』を作ろうという思想だったし、その精神が『八紘一宇』だったのである。

八紘一宇』という言葉はずっと古くから日本にある言葉で、最近三原じゅん子が国会で言って話題になったりしたのだが、この言葉も、『大東亜戦争』も当時のGHQが使用禁止にした言葉なのである。

 

★戦後の日本とアメリカの関係は、友好国として非常に密接で、日米安保条約などで守られてはいるのだが、基本的には『愛する自分の国』は自分で守り育てるという国に対する気持ちが、戦後の教育で個人の人権などばかりが強調されて、忘れてしまっている国は、ひょっとしたら世界で日本だけかも知れないのである。

自分が日本人だ、日本という国の国民なのだ』ということは異国アメリカで育ったから、余計にそう思うのかも知れない。

 今年アメリカの大学を卒業する孫のBerkeley にある下宿の部屋にも、Irvine の自分の部屋にも何故か日の丸が飾られているのである。

      

 

      

 

 孫に『なぜ?』と聞いてみたが、『貰ったから・・』とさらっと答えて、それ以上は言わなかったが、私自身は『アメリカで育ってよかったな』と思ったのである。

 もし日本で育っていたら、『部屋に日の丸など』考えられないのである。

日本という国は間違いなく『歴史のあるいい国』だから、たまには皆さんも『日本という国』のことも考えてみて欲しいなと思っている。

仕事納めの日に読んだ本と『日本という国 雑感』である。

 

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