その殆どの期間が二輪車に関係したのだが、カワサキの単車事業スタート直後からの担当であり、上司や先輩に経験者がいなかったこともあって、仕事を教えて貰った記憶は殆どない。
自分で試行錯誤しながら、何とかこなしていった。
IBM機械化(昭和33年)、広告宣伝、レース関係、仙台事務所設立、特約店制度、CKD市場開発、販社再建、KAZE、ソフト会社、国内ジェットスキー販売、JJSBA、サーキット開発、二輪専門自動車学校設立などカワサキにとってははじめての仕事ばかりが多かった。
若い頃から、旗振りの役が多かったのだが、これらの仕事を一緒に造り上げていってくれた人たち、そんな仲間がいなければ実現しなかった。
私にとってこれらの人たちは、会社の同僚、後輩というよりは、一緒の仕事をやり遂げた仲間という意識が強い。
これは、何も私だけの特別なことではなく、カワサキの同じ時代を生きた人たちは、同じようにはじめての経験を沢山持っていると思う。
単車事業がカワサキにとってはじめての事業であったこともあるのだが、ホンダ、スズキ、ヤマハの競合他社、特にホンダさんがどんどん走ったので、それらを追っかけるだけでも大変だったのである。
遅れないように必死に走った、走り続けたように思う。
二輪業界は、世界の市場を対象に単なる輸出ではなく、現地に事業を展開する方向であったので、それをはじめて自分で体験する仕事が普通であった。
自分の判断で「何をやるべきかを決定し」それに向かって邁進するスタイルが多かった。
決して成功ばかりではなく、その逆も多かったのだが、その経験やノウハウは蓄積され後々の力になっていったと思う。
同時に、少々のことには物怖じしない、厚かましい「奇人、変人」を沢山造っていった。
単車事業部は、「奇人変人の故郷」と言ってもいい、そんな「何か」があった。
勿論、数の上では「一般、普通人」が圧倒的ではあるが、「奇人、変人」が潜在化せずにすむ、自由な雰囲気があったと思う。
それが楽しかった。
少なくとも、川崎重工業の中では異色の存在であった。
先日、樋渡啓祐さん(現、武雄市長)の「奇人、変人」のほうが仕事ができる。
「求む。奇人、変人」とのコメントを見て、「我が意を得た」のである。
人生いろいろな生き方がある。
「何になりたいか」 「何をやりたいか」
目標の立て方としては、後者のほうが断然面白い人生が歩めると思う。
常に、「何をやりたいか」を模索し挑戦出来た、「そんなサラリーマン生活」に感謝したい。
今年も残り少ない。やりたいことの幾つかは出来たと思う。
今後も、「やりたいことに向かって進む」、そんな人生を歩みたいと思う。