★朝一番にメールを見たら『遠ちゃん』から、こんなメールが
『各位 私事に亘りますが、少々、宣伝します。
関西版 BS TV 「TBS」局 {グローバル・ナビ} という番組で、
「和久傳」特集が、放映されます。お閑なら、観て下さい。
1月30日(土)/ 8h30-9h30 a.m.(初回)
1月31日(日)/ 8h00-9h00 a.m.(再放送)』
★多分、Z1会のメンバー宛に打ったのだろう。
遠藤治一さん。元伊藤忠だが半分以上カワサキみたいなもんで、カワサキフランスの社長を長年勤め、世界一に育て上げた耐久レース世界チャンピオン『カワサキフランス』のオーナーでもある。
カワサキでは副社長の山田さんが一番遠ちゃんを可愛がっていたし、私がパリで始めて遠ちゃんとおあいした時も山田さんがご一緒だった。
★そんなご縁で当時、営業内はずっと黒字なのに伊藤忠本社からの金利負担などで毎年赤字になってしまう管理構造を伊藤忠本社と掛け合って修正してもらったりした。
途端に黒字に転換してカワサキフランスは御殿のような本社を作ったりした。
鈴鹿にカワサキフランスが8耐に来たときは、そのスポンサードを引き受けたりした。
元川重社長の田崎さんとも親しいし、大物をびくともせぬ不思議な奇人ではある。
昨年辺りから、『京都に来るようになったので』Z1会にも入り何度も会えるようになった。
それが『私事に亘りますがーーー』の書き出しのメールである。
★早速、グローバルナビなる 1時間のテレビ番組を見た。
京都の高級料亭『高台寺和久伝』をはじめあちこちに『和久伝』を展開する丹後半島から京都に進出し大成功を収め、叉丹波に恩返しをするという成功物語だが、
そのコンセプトは『不易流行』である。
その物語を桑村綾さんという女将の社長さんが語るのだが、二代目女将桑村裕子さんも登場した。
★中身は結構面白いのだが、遠ちゃんと『どんな私事に亘るのか?』が関心事である。
パリでお会いした遠ちゃんの奥様はその後お亡くなりになっていてーーーー
思い切って、遠ちゃんに差し支えなければ教えて下さいとメールしたら返事が戻ってきた。
カワサキの私も良く知っている人が、
大女将と幼馴染で、その方から和久傳を紹介して貰いました。1989年と記憶しています。以来、着かず離れずの関係が続いていましたが、一昨年、家内が大女将から、仕事を手伝って欲しいと言われて、昨年初めから、そんなことで今の奥様が和久伝にお勤めとか。
なるほどである。
たいざがに(間人蟹)の囲炉裏で焼いた焼き蟹、1人前38000円だそうである。
まさに高級料亭である。
★テレビは面白いので、今日は9時から再放送である。
是非、間に合う方は、ご覧下さい。
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これは書き出すときりがないのですが、想いはいっぱいありますので、
昨日、1月29日のツイッターではいろいろつぶやきました。
結構ホンネでつぶやいていますので、是非ご一読下さい。
要は二輪事業は戦後100社を超えるメーカーが乱立した中で淘汰され
三菱、富士重、トーハツ、BS などと現在の4社を含む数社になったのですが、
これら大企業も本田宗一郎など浜松の企業との熾烈な競争の結果業界から撤退し、
現在のH,Y,S,Kの4社に絞られたものです。
大企業の体質では競争にならなかったと言えるでしょう。
当時の川崎航空機は戦後の中断があって、大企業の系列ではあったものの一種独特の気風があったこと、中大型スポーツの分野に差別化したこと、販売分野を国内はメイハツ、メグロ、海外は現地の人たちが直接担当し、所謂メーカの人達がやらなかったことが独り生き残ることが出来た理由だと私自身は思っています。
その頃から50年も経って、各社が大企業の体質になりつつあること、『自由奔放さの欠如』が今の問題だと思います。
現状を根本的に特にマーケットの分野から見直し、構造的な対応をやらない限り単なるコストや経費の削減ではなかなか難しいのではと思ったりします。
新しい発想こそが今求められていると思います。
政治の世界も、地方行政もみんな同じです。
大阪の橋下さん的な発想が要るのだと思います。
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その原因が品質を武器に世界一になったトヨタが部品の品質不良リコールであると言うことはいかにも皮肉なことだと思われる。
昨日
『紙の新聞はもういらない。日経の電子新聞は期待できる?』
と言う大西宏さんのブログにFACTAがリンクされていて、
その中に、
『ヤマハ異常な社長交代の真相』などと言う記事もあった。
世の中ちょっと悪くなるとマスコミは面白おかしく書き立てるので、どこまでがホントかよく解らぬが、車やバイクと言う量産事業は、量の拡大により利益は莫大な額になるのだが、
見込み生産だけに一端その予測を間違うと、利益に倍する金利や値引きなどの負担が事業そのものの維持が出来ないような状況に追い込んでしまうのである。
カワサキもそんな時期を長く経験してやっと、上手く回転していた矢先に、世界不況の波の中に巻き込まれて、やはり大変なようである。
★資料の中に、ヤマハ発動機の経営対策も公式発表資料なるものがあって、読んでみたが、
これは従来型の対策方針で、世界の構造が変わってしまっている現状では、根本的な対策にはならないなと直ぐ思った。
然し、日本の会社と言うのは、経営者がオーナーではないために、
どうしても対策が目先の短期的なことばかりに目が行ってしまうので、こんなことになってしまうのだと思う。
★今は昔と違って、所謂量産メーカーのおかれた環境事態が変わってしまっているのだから、
それに対応する構造対策でないと根本的な問題解決にはならないのである。
どんな風に昔と違うのか?
○日本の生産管理は世界一である。生産管理がもたらすコスト低減、トヨタ方式に代表される日本製の品質が、ずっとメーカーの経営の大きな柱として支えてきた。
○世界に工場が分散し、日本の生産(日本製)はどんどん減少している現状である。
将来は日本から工場がなくなる、メイドインジャパンがなくなる方向である。
○開発ー生産ー販売(輸出)-現地直販会社ー販売店ー末端ユーザーという流れの上にメーカーがあったが、この流れが完全に変わろうとしているのである。
○今後はマーケットの情報から、末端市場から経営を見ることが必須の条件で、日本での生産=日本のメーカーの役割機能は減少の一途を辿るはずである。
○このようなかっての『量産事業』から『量販事業』が中心のマーケッテング中心の事業態への構造的な脱皮がMUST条件なのに、生産偏重の発想が転換されていないのである。
○更に言えば、新車を売って事業を支えることも大事だが、今後はメーカーではなくマーケッテング事業なのだから、中古車、部品、まで範囲を広げ、商品を使っての遊びなど、『トータルの二輪事業』としての事業運営なしに、いつまでも『メーカー』に拘ることは滅亡を意味するものと思われる。
○日本でこの量産事業に必要な機能は開発、品質保証などと世界に事業展開するための本社、企画戦略機能であろう。生産と言う機能は世界に分散していくのだろう。
○ネット社会がこの傾向を更にあおるであろうし、今必要なのは世界一であった生産管理に変わる『世界一のマーケッテング機能』=『ソフト』なのである。
○単純に計算してみたらいい。日本のメーカーの売上高と末端販売会社の合計売上高がどちらが大きいか?
販売と言うのは、世界中どんな規模でも経営は直ぐ成り立つのである。
身軽でどんな変身も簡単に可能なのである。
『量販事業、さらにその背後にある商品に関わる事業』まで入れると事業経営は至極簡単であり、夢いっぱいである。
○開発し、新車を作ることだけが大事なのか、その商品を愛するファンとともにより大きな事業に構造的に転換するのか? 今が正念場である。
構造改革は規模の小さい方がやりやすい。カワサキが一番有利な環境にある。
○私自身は20年前に、ほぼ同じことを考えていた。
販売会社は川崎重工の子会社ではあるが、明石工場の子会社ではない。
『販社を明石工場の子会社だと錯覚していないか?』
二輪事業を展開する、そんな仕組みの骨格は、20年前にほぼ出来上がっていたのに、いつの間にか『工場で作る新車を売る体制』に逆戻りしてしまった。
○日本の工場がどんどん小さくなるいま、いつまでもメーカーの夢を追っかけるのか?
今もっている、或いは今から開発する商品を中心に新車もそのONE OF THEMだと早く気付いたらら、危機など直ぐ解決すると思う。
○先日もちょっと書いたが、
日本市場の保有台数は過去最大の350万台、カワサキの新車の人気よりも圧倒的にカワサキに旧車は人気で、旧型部品などちょっと復活すれば需要は幾らでもあるのである。
ただ、これは新車ではないから『メーカー』はやりませんと言っていたら、いつの日にか、日本からメーカーは亡くなったしまうだろう。
日本で生産などしなくていいのである。
○生産工場はリンカーンやタイのように明石も全て子会社にすればいい。
汎用機事業部は、それを開発、生産もするが、それに伴う全ての事業を本業として扱う事業体に転進すべきだと思っている。
今日は、トヨタ、ヤマハから、ちょっとだけホンネでカワサキにも触れた。
今は、絶好のチャンスである。
『発想を変えて構造的な対策をすれば』至極簡単に物事は解決する。
過去カワサキが生き残ってこれたのは、その時代時代に、他社とは違った『差別化』があったからだと言うことを思い出して欲しい。
それは量はともかく質では、常に業界の先頭を走ってきた。
普通の発想であった
三菱も富士重もトーハツもブりジストンも、大企業はみんなこの業界から撤退していったのである。
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まだ、本当によく解っているわけではない。
然し、これはブログにもSNSにもない面白さがある。
情報発信も情報収集も、今のニュースだからテレビよりも早いし新聞などとは比べようもないほど早い。
日経ビジネスが
ハイチから宇宙から、かときちからと前編で、
後編では、『肥大化するつぶやきメディア ツイッターの正体』と取上げている。
★このブログをお読みの方のうちどのくらいの方が、ツイッターをおやりなのだろうか?
自民党の誰かのようにやりもしないで批判だけするようなことではなしに、是非一度チャレンジされることをお奨めする。
今後いろんな形でツイッターはより世の中に浸透していくに違いない。
その批判の先にいた鳩山さんのツイッターは、その後も順調でもう26万人がフォローしているのである。鳩山さんがフォローしている人も3万人近くになり、わたしもその中の一人に入っている。
まあ言えば、総理大臣とダイレクトに繋がっていることは確かである。
★使い方にはいろいろあって、どんなのがいいのかまだ模索の段階だが、
ふしぎなのは、今までネットの世界にそんなに積極的でもなかった人が結構頑張っているのである。
名前を出して恐縮だが、
カワサキの方ならよくご存知のタッチャンは、今までブログもやらなかったし、SNSのひょこむでも参加はしたが眠っていたのだが、ツイッターではめちゃ積極的なのである。
鳩山さんにダイレクトで何度も意見具申などもしているのである。
140字で気軽に思うことをつぶやけるのがいい。
ただのつぶやきだが、自分の想いがない人のツイッターは面白くない。
基本は自分の考えがあることがMUST条件だろう。
それと簡単だが意外に使い方はいろいろあって難しいように思う。
ブログのようにはいかないのである。
★これは伸びると思っている証拠だろう。
このgooなども前日のツイッターを自動的に集約して勝手にブログで発信する機能もつけたりしている。
昨日からそれはスタートした。
こんな他愛もないことだが、1日どうだったかは分かるのである。
★ただ、使い方はいろいろあって、鳩山さんや国会議員など自分からの情報発信が主たる目的ならフォローする人は少なく専らフォローされる人を集めるべきであろう。企業が仕事で使う場合もこのタイプだろう。
情報収集が目的なら、自分のほしい情報を発信するような人をフォローすればいい。
わたしは今190人の人にフォローされており、130人あまりをフィローしているのだが、ちょっと中途半端で今後の対応をどうすべきか考慮中である。
出来たら、自分の輪の中にいる人たちの情報を取りたいのだが、具体的にどう動かすのか。なかなか難しいのである。
みんな、どんな風にお考えなのだろうか?そのうちに解るのかも知れない。
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大企業の管理経営と違って、小なれども独立法人では資金繰りこそ命と言うことが身に沁みてよく解った。
世界各国、とりわけ発展途上国での経営は、時代がどのように動くのか,そこの経営者は時代の流れを敏感かつ綿密に読んでことに当ってくる。
そのあたりのカンや対応力は、華僑など飛び抜けて優れていたと思う。
それに比べて、日本の経営は官主導の護送船団方式で、自分で時代の流れを読むと言うよりは、官の動きにどのように適合するか、お上の顔色を伺いながら動いてきたように思う。
今、世の中はネットの時代に完全に突入している。
これは世界同一基準である。
このシステムをどう使うか?どう対応するかは、全て使う側の裁量なのである。
今朝の大西さんのブログでは、
『新聞社は予想通りに消滅するか』という強烈なテーマである。
今まで新聞業界を支えてきた広告料は、ついにネットに抜かれて
テレビ 19000億円 →16000億円(17%ダウン)
新聞 8200億円 →6500億円(30%ダウン)
ネット 7000億円 →7000億円(現状維持)
雑誌 4000億円 →3000億円(25%ダウン)
テレビ、新聞、ラジオの主要三媒体は軒並みダウン
伸び続けたNET広告も2009年には現状維持して、メディアの中での相対的ねプレゼンスはさらに高まった。
テレビを見れば「パチンコ」のCM ばかり、
新聞を見れば、通販の広告ばかり
そんな中、売上を伸ばしたメディアは
「通信販売」22650億円 → 25000億円(なんと10%の伸び)
と書かれている。
いかに従来の広告からの遊離と言うか、世の中の業態が様変わりしているのである。
今はネットの力を無視しては、経営は難しくなるのではなかろうか?
活字媒体とか、店舗とか事務所などなくても経営は可能な不思議な時代になった。
自分のことで恐縮だが、NPO と言えども法人であるそこには事業もあり経営もある。結構事業が成り立たなくて倒産するところも多いようである。
今やっている私どもの法人は全面的にネット利用だがら月々の経費がほとんど発生しないのである。
NPO独特の人件費も発生しないので経費がゼロに近いから、倒産などのリスクは皆無である。収入としての会員の入会金は貯まる一方だから、その使い道として、どこかに援助先を探さねばならぬことになる。
その辺りをもっと面白く展開してお互い『いい時を過ごそう』というコンセプトである。
こんなネット時代だから、生まれたコンセプトである。
従来のNPOはどこもみんな行政の補助金頼りのところが多い。
補助金は一度だけ『どこ竹の竹とんぼ』で三木市に5万円いただいたが、書類と報告が大変である。その上にお金がもらえるのは1年後のことである。この大変さは身に沁みて、
『補助金を貰わなくても生きていけるNPO』が最初からの基本コンセプトであった。
ツイッターも出来たし、ブログにSNS、それにツイッターこんな新しい情報発信機能をもっと上手に行政や企業で使ったら、事業形態は一変すると思う。
もうそれに進んでいる行政もあるし企業体もいっぱいのようである。
ブログの世界もこのgooなど、ツイッター対応の機能を既に持っているようである。
世の中、どんどん進化している。
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『忙しい』と言うことはいいものである。
生活のリズムがいつもと違って、精神的にも肉体的にも緊張感があったのがよかったのか、
結構、ご馳走を食わして貰ったのに、この1週間で体重が2キロほど減って久しぶりに70キロ台を記録したのである。
★NPOの新年会も、カワサキファクトリーのOB会も、平井、山本、渡部と私の4人は一緒に出席で、考えてみると今のいろんな生活がレースを原点に展開しているのかもしれない。
月に1回の昼の飲み会には高橋、田崎さんが一緒だし。
大槻さん主宰のゴルフZ1会には
歳森、金谷、清原、飯原、塚本、梁、藤原、渡部、君もおり今回から平井、杉尾君も加わることになったのである。
久しぶりに会ったレース仲間は本当に良かった。
和田君からもブログにわざわざコメントを頂いたし、いろんな方からコメントを頂いた。
この機会についでに記録に残しておこうと書いたレーススタート時のブログは、
『ダートヌポーツ』が、
その「ピックアップサイト」に『『カワサキモトクロスの歴史』と題して紹介して頂いた。
お陰さまでここ1両日、アクセスは大幅にアップしている。
多分、多くのバイクファンにもカワサキファクトリーのOB会の情報は伝わったはずである。
業界紙誌の取材もあったので、多分そちらでも紹介されるだろう。
★レース関係のイベントが無事終了して、叉もとの生活に戻った。
こちらは、どちらかというと、
NPO The NPO The Good Tkmesが中心である。23日には東京で関東の新年会があったのだが、流石に出席はできなかった。12名のバイク中心の仲間が集まって賑やかだったようである。
こちらは、『潮流発電』中心である。
昨日はこの関係で鉄人28号との話もあったし、読売の夕刊には大きな記事が出たとか。
この週末には、ある社との会合もある。政府筋への申請手続きなど、なんとなく忙しくなってきた。
みんな夢のある話なのだが、今後どんな風に動くだろうか?
忙しくても張りがあることはいいことである。
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人間、ある生活のリズムに乗って毎日を暮らしているのだと思います。
そんな生活のリズムが崩れるとなんとなく落ち着かないような感じになってしまうものです。
1月24日、日曜日、今ちょうどそんな感じです。
★自分の生活のリズムを崩したのは、先週2回もあった外泊です。
最近は、昔のように出張もありませんし、犬が年を取って放って置けなくなったので、旅行にも行けなくなっています。
そんなことで外泊する機会など滅多にないのですが、
先週は17日がNPOの新年会で、
そして21日がカワサキファクトリーのOB会で2度も外泊になりました。
★最近は、家にいてパソコンの前にいる時間も長く、暇があったら1日に5,6局も碁を打ったりして過ごしたりするのですが、
この1週間は完全にそのペースが崩れてしまいました。
二つの会合ともに大成功でよかったのですが、準備や後始末もありましたし、
生活のリズムとしては全く普段と別物になってしまいました。
★昨日は、やっと大仕事らしきものも済んで、元の生活に戻れるチャンスだったのですが、
ひょんなことで、パソコン用のデスクを買おうと思い立ち、突如近くのナフコに見に行きました。
大体、自分自身の性格から見に行って買わないというようなことにはなりません。
見て何種類かあれば、最低のものを仮に買おうと思って出かけても、モノを見れば少しはいいものを選んでしまいます。常にそんなパターンです。
昨日までは、座布団に座って、パソコンをやっていたのですが、こんな風に様変わりしました。今イスに座ってキーを叩いています。
★最近の家具は本当に良くできています。
椅子も机もみんな組み立てねばならぬのですが、組み立て依頼をすると水曜日になるというので思い切って自分で持って帰って組み立てることにしました。
3時に家に戻って6時半まで、たっぷり3時間半はかかったのですが、なんとか様になりました。
設計図どおりにネジで止めていくだけで、ほんとにきっちりと仕上がります。
今、初めてブログも椅子に座って書いています。
ちょっと座布団に座っているよりは楽な気もします。
今から、碁でも打ってみようかと思っています。
新しい生活のリズムの始まりかも知れません。
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当時のレース関係、時系列に纏めてみる。
1963年
63年はレースの近くにはいたが、直接担当はしていなかった。
ヨコからライダーたちを眺めていて、正直エライ人種だなと思っていた。
事務所の中では目立っていた。一言で言えば、やんちゃな集団のようであった。
★カワサキがモトクロスで初めて工場チームとして兵庫県青野ヶ原のレースに参戦したのが、公式にはそのスタートとされている。
それに直接関係されたのが高橋鉄郎さんであり、ライダーとして走ったのが飯原武志君である。私は営業にいて部長の小野助治さんの指示で、ちょっとだけ金銭面でお手伝いしただけである。そんなに実力はなかったのに雨で強豪のマシンがみんな止まって1位から6位までを独占したのである。1963年5月19日のことであった。
★私が50年も前、レースに関係することになったきっかけは、山本隆君と歳森康師君がBSと仮契約をしたという事件があって、その調整を頼まれたのがきっかけである。
『神戸木の実の主宰者の片山義美さん』と話してくれということで、私がレース界の方と最初に話をしたのは、当時もう世界的なライダーであった片山義美さんである。
いろんな文句もきつく言われたが、尤もだと思うことも多かった。
『じゃ、そのようにしましょう』と約束して、私はレースの世界に足を踏み入れることにのである。1963年末か64年の当初の頃のことだった。
1964年
この年から、レースに本格的に取り組んだ。当時の金で1億2千万円もの広告宣伝費を持っていて、とにかく裕福にレース活動が出来た時代であった。1964年からの3年間、この間レース担当であった。
★当時はカワサキコンバットと神戸木の実クラブの二つのチームがカワサキを支えていて、
今回出席のライダーの人たち関東は三橋、安良岡、岡部、金子、星野、加藤、神戸木の実は、山本、歳森、金谷に会社のテストライダーで飯原、清原などがいた時代である。
★64年、相馬が原の第1回MFJ全日本モトクロスでは惨敗したが、秋MCFAJの丸の山では4種目中3種目に優勝したりした。東京オリンピック開会式当日10月10日のことである。
そしてその年の11月8日、和歌山紀ノ川のレースで、ヤマハの荒井市次と接触して、指を骨折した岡部の代わりに星野が岡部の名前で初めてレース場を走ったのである。
1965年
レース担当2年目、厚木のカワサキコンバットには全国からライダーの卵たちが集まっていて賑やかであった。その中から頭角を現したのが星野である。今星野インパルの経営に当っている金子豊君などもこの中にいた。
この年からひょんなことで、ロードレースの分野にも、出場しだした。
★65年はMFJは名古屋東山で星野がトップで走りながらパンクでリタイヤ。125は歳森がぶっちぎっていたがプラグミス、1位から5位くらいまでカワサキのライダーが走りながら荒井市次に1週ごとに抜かれて結局2位。
4月13日朝霧のMCFAJのレースで星野初優勝。まだノービスの時代である。
★会社の中にレース委員会なる組織があって、技術は山田さん営業は苧野さんが長だった。そのメンバーのなかに今回出席の高橋、大槻、田崎さんたちもいて私が事務局を勤めていた。
まだモトクロスだけでロードレースはダメと言う時代に、山本隆君がどうしても出たいと言うので、モトクロスに出るとごまかしてマシンを2台創り上げ、モトクロスライダーの山本隆君が初めて鈴鹿を走ったのである。
このマシンを都合してくれたのが、当時生産部門にいた田崎さんである。
★これが予期せぬ3位入賞(65年5月3日)で翌月6月13日、鈴鹿の6時間耐久に、3台のマシンを揃えてこれは堂々とカワサキのロードレース正規エントリーであった。大槻監督、田崎副監督の布陣で、金谷が歳森と組んでカワサキでのレース初陣となったレースである。
★この年の7月田崎さんはアメリカへ、大槻さんはドイツ留学が決まって、
レースチームで送別会をしている。
レース監督は大槻さんから安藤吉朗さんに代わった。
★8月30日全日本125セニア 岡部優勝、
日本GP 安良岡の個人参加でなど、そんな時代であった。
1966年
レースも3年目で、いろいろと充実した期間でもあったのだが、ライダー契約を担当している身には春先の三橋実の転倒入院に始まって、気の休まることのない1年であった。
中でもマン島で藤井敏雄を亡くしたし、デグナーの転倒事故入院も大変な出来事であった。いいことと言えば、F21Mのデビュー、金谷の日本GPでの健闘はあったが、総じて辛い1年であった。
★1月藤井敏夫とマシン貸与契約、ヨーロッパを廻って帰国してから契約して欲しいとの本人の申し出でそんな契約だったのだが、8月27日マン島の予選で転倒、帰らぬ人となった。
★7月250ccMXマシン F21M 、松尾勇さんが手作りのパイプフレームで創り上げる。
フレームの設計図などなかった。パイプに砂を詰めてみんな手作りだった。
7月末青森岩木山全日本でデビュー、その後連戦連勝。
★9月26日、デグナーと契約
9月29日、デグナーFISCOで転倒
★10月16日、FISCOで日本GP GP7位
250ccジュニア 金谷(2位、Gニクソン共に同タイムのコースレコード。
このレースが私のレース担当最後のレースになった。
レーススタート3年目にして、モトクロスでは確固たる地位を築き、山本隆、星野一義も日本を代表する選手に成長した。清原、従野などのほか岡山の西、大阪の木村など新人ライダーも多数カワサキに所属した。ロードレースはまだスタートしたばかり、清原まだモトクロスのライダー時代である。
ロードのマシンも赤タンクの時代である。
翌年からは、東北仙台への転勤が決まり、3年ちょっとのレース担当を終えたのである。
後を引き継いでくれたのが故岩崎茂樹君である。
この年で本社からの開発費も終わり、ロードの契約などは技術部門という現在のような形になっていったのである。
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この2日間、昔の仲間たちとの楽しい2日間でした。
世の中にはいろんなOB会があるのですが、何故かこれは特別のような気がします。
学校の単なる同窓会も、運動部のOB会も確かに楽しいものなのですが、
なぜカワサキのレースのOB会は何か特別のような気がします。
レースの世界はある意味特殊な世界です。
そこはタイムと言う厳然といた客観的なデーターでチャンピオンを決めると言う厳しくはっきりとした世界です。
それは一人のチャンピオンに与えられる名声ですが、マシンの開発者、レースの運営者、メカニックなどチームとしての成果であることはチャンピオンとなったライダーが一番よく解っているのですが、チャンピオンを支えたそういう連中は、ライダーが世界一、日本一になったことを自分たちの誇りにしているのだと思います。
そんなライダーたちがそんな名誉を得たのはもう何十年も前の話なのですが、
それからそんな年月を経て、そんなレースに携わった人達が長い人生の中で、一般社会の中でもそれなりの成功評価を得ていることが、更に大きな一体感を持っているのではないかと思います。
集まった全てのメンバーが、全て大成功とは言えないのですが、例えば星野一義は日本一早い男と言われ、義弟の金子豊と組んでのホシノインパルの事業も大成功です。
そんな星野がこのOB会では昔のままの星野で先輩たちを立て、部屋の布団のあげおろしなど率先して普通でやる姿は非常に好感を持たれるのは当然です。
世界でトップを争ったのは何人もいて、集まったライダーたちはその時代のチャンピオンと自他共に許す連中なのですが、不思議なほど昔のままの序列です。
ライダーを支えた運営側も田崎さんなど川重のトップまで上り詰めてはいるのですが、ここでは厳然として高橋鉄郎さんがトップでみんなそれなりの礼は尽くすのですが、話の内容にもその態度にも昔のままの仲間の姿がそこにあってそれが気持ちのよさに繋がっています。
そういう意味ではライダーのトップは片山義美君で彼にはみんな大先輩に対するものを持っています。
特に集まったライダーは金谷秀夫や加藤文博などのように世界に名を成したのはカワサキ時代ではないのですが、カワサキとの契約は一度もなかった片山義美がこの会合に率先して出席しカワサキへの賛辞を言ってくれるのも不思議です。
そんな片山義美君の引退パーテイーでは、契約のあったスズキ、マツダより先にカワサキが主賓の挨拶をしたりしているのですが、カワサキと言うよりは『レース界の発展』と言う次元でのカワサキと片山との付き合いがあったからだと思っています。
今回は20年ぶりの会合だったのですが、出席者からもっとメンバーを広げて2年ごとにやろうと言う提案などもありました。業界雑誌からの取材もあり、それなりの価値のあるミーテイングなのですが、
先ほども高橋鉄郎さんから『良かったな』とわざわざ電話を頂いたりしました。
今回のOB界の一番しんどいところを担当してくれたのは『やんちゃで豪快で』通っているあのキヨさんで、ほんとに一生懸命でした。
出席者全員が100%喜んでくれる会合など世の中にあまりありません。
『中締めを何度もやらぬと終わらない会合』そんなカワサキファクトリーのOB会でした。
昨年秋からの懸案行事大成功でほっとしました。
当日の写真など、こちらの方に詳しくまとめてあります。
60おじさん、山本隆君のブログ写真いっぱいで最高です。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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私はずっと以前から小沢さんは好きである。
好き嫌いというのはそんなに理由があるものではなくて、なんとなく好きなのだから仕方がない。
あえて理由みたいなものを並べるなら、
何になりたいが目的の人が多い中で、『何をやりたい』ほうに明らかに比重がかかっている。
岩手県の出身であること。あまり理屈をこねたりせずに、黙々とやることはやる南部の人には、私は少なからぬ影響も受けたし、好きなのである。
『田舎なれども南部の国はよ。西も東の金のやま』と歌われる南部牛追い唄も好きな民謡である。
小沢さんには、この南部の人のいいところがあるように思っている。
ただ、風貌で損をしている。何か怖いようなところがあるが、そんなことはないのでは。
理屈にならぬようなことだが、実力者であることは間違いない。
何でも壊してしまうなどとよく言われるが、現存するものには壊した方がいいものはいっぱいある。
そんなものを後生大事に守っているよりは。壊して新しいものを創ったほうがいい。
★ツイッターで私のトモダチが
『最近よく聞く<説明責任>について広辞苑で調べている。accountabilityと同意語とのこと。企業、行政などが自らの諸活動について利害関係者に説明する責務。使い方間違っていませんか。』 とつぶやいていた。
小沢さんも、この説明責任を求められているが、Wikipediaで見てみたら、
『説明責任(アカウンタビリティー(Accountability) とは、政府・企業・団体などの社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。
その 由来
元来はアメリカにおいて1960年代-1970年代に政府のような公共機関が税金の出資者でかつ主権者である国民などに会計上の公金の使用説明について生まれた考え方である。後に公共機関のみならず株式会社が出資者で株式所有者である株主に対し資産の使途について説明するように拡大された。
さらに、
(1) 説明が求められる主体が、広く社会に影響を持ちうる活動を行う団体に拡大し、
(2) 内容が、金銭の使途に限られず、活動の予定、権限行使の合理的理由などに拡大し、
(3) 説明が求められる対象も広く利害関係者(ステークホルダー)まで拡大されている。
その結果、現在の日本では定義のように理解されている。』
どんどんと変わってゆくものである。
★小沢さん問題は、こんな説明問題よりも、検察という権力との闘争である。
どうもマスコミが検察側の思惑通りに踊らされて世論を創り上げているように思えてならない。
これは、ムネオ日記が連日、持論を展開しているが、
『一方的で、あたかも怪文書と言って良い様なリークをもって、いちいち答えろ、説明しろと言う方が無理な話ではないか。
最近、足利事件、布川事件と、相次いで冤罪事件が明らかになった。
これらの事件で起訴した検察は、どんな責任を取っただろうか。こんなことは異常ではないか。
私の場合も、検察は最初から「鈴木ありき」で、「ムネオハウス」、「北方領土での三井物産ディーゼル発電供与」、「アフリカODA」で捕まるとリークし、鈴木は悪い奴だと世論誘導した。
8年前のやり方と今回の石川代議士、小沢幹事長の件も同じではないか。裏付けのとれない一方的リークを載せること自体、公平でない。
原口総務大臣が、「陸山会」に関する政治資金問題のマスコミ報道について、閣議後の記者会見で次の様に述べている。
(一般論として)「関係者」という報道は、検察、被疑者のどちらの関係者か分からない。少なくともそこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるには不適だ。(事実かどうか)争いのあるところでは、その発信源について、被疑者が逮捕されて検察側と弁護側の二つしか有り得ない場合は、どちらかを明らかにする姿勢は大事だ。
私は原口大臣の見解を支持する。
官邸も閣僚も、特に千葉法務大臣はしっかり信念を持って、検察によるリーク、情報漏洩を防止し、都合の悪いことを書いたマスコミの取材を拒否し、出入り禁止にするなど検察のやり方を改めさせるべく、行動して戴きたい』
と言っている。
政治と金の問題も、より本質的な問題として自民党の人たちも全部包括して取上げるのならともかく、どうも一番悪いのはぬくぬくと何の影響も受けずにいるような気がしてならない。
どうも検察のやり方は、
権力を持った人達がよく陥るわなの中にはまってしまっているような気がするのである。
これが今日本で一番に取上げねばならぬ問題だとは思えないのである。
末端は検察の仕掛けにはまりかけている。
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今日もアクセスのことについて触れます。
ブログというのは、その仕組みから言って大小に関わらず世界へ向けて発信されているのですから、誰がお読みになっても不思議ではありません。
私自身も毎日いろんなブログを読んでいますが、
そのほとんどは私の『お気に入り』に入っているブログです。
この際数えてみることにします。お気に入りも沢山ありますので、カテゴリーごとに次のように分類しています。
○ブログー1(20)
このブログやexcite 村ぶろ、ひょこむ、mixiなど自分自身のブログのほか。娘のブログや緑が丘西2丁目のブログなど、身内のブログと思っているものが入っています。
今日取上げている、NPO のホームページもこの分類の中に入っています。
○ブログー2 (36)
樋渡、国定、倉田さんや、マーケッテングの大西さん、NPOのぼっけもんの修さんや60おじさん小林ゆきさん、武雄の方のブログなどなど。
○三木おもろいわー1 (20)
JJさん、さるとるさん、ローバーさん、kwakkyさん、やまかずさん、R175さんや
市会議員の方たちなど三木の方たちのブログ、
勿論三木おもろいわ はここに入っています。
○中央政界 (13)
ムネオ日記、世耕日記、山本一太、高橋昭一、片山さつきなどなど
ざっと90ほどですがここまでは毎日目を通します。
私自身、分類整理には結構自分にうるさくて、
このほか
ブログー3(10)三木おもろいわー2(15) MCブログ(28)などと仕分けていて、時々入れ替えたりしています。
★このように『お気に入り』に入れて読んで頂けるとアクセスも安定するのだと思いますが検索ワードなどから来られる方も多いのだと思います。
それはともかく、
昨年6月に立ち上げたNPO The Good Times のホームページですが、
自信はなかったのですが、最初からカウンターを取り付けました。
こんなホームページを訪れる方がどんな方なのか?皆目見当もつきませんし、あまり数字が上がらぬでは格好悪いなと正直思っていました。
それが類型ですが1000の台に乗り、5000の台に乗って
今日多分『10,000』の大台に乗ることが出来ると思います。
自分のブログなどとは比べようもなく嬉しくてこのブログを書いています。
一度でも、訪れて頂いた方に感謝です。
最近では、リンクを貼る数が増えてその評価が入っているからでしょうが、
Google Page Ranking では『評価2』のクラスに入るようになりました。
★実はこのNPOのブログと同じように、この元旦から立ち上がったブログがあります。
多分、日本で初めての、まちの自治会が立ち上げたブログです。
『三木市緑が丘町西2丁目自治会』 私が住んでいる町です。
このブログを立ち上げられたのは、このまちの自治会の副会長のKwakkyさんたちです。
kwakkyさんは、私のブログにもたびたび登場しますが、NPOの理事さんでもあります。
どうなるかは、スタートしたばかりで解りませんが、
同じくNPOの理事さんで加古川にお住みの60おじさんが興味を持たれてコメントなどされています。
このブログにも、カウンターが設置されています。
今朝私が見たときは『175』だったのですが、昨日excite の方でリンクを貼って仕掛けたら、結構増えています。
調子に乗ってこちらにも仕掛けて見ます。果たして『幾つ』まで伸びるでしょうか?
西2丁目の方が『お気に入り』に入れて毎日覗いていただけることを期待します。
いつの日に『10,000』の大台を向かえるのでしょうか?
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ずっと600を超えていて、それでも異常だと思っていたらこの2日間は700を超えた。
ブログのアクセスは、ブログをやっているものにとっては関心事であり、多くの方が訪れるということはそれなりに嬉しいものである。
だが、この1週間の動きは明らかに三木の市長選挙に絡んだ動きであることは間違いない。
特にこのブログは選挙のことにはほとんど触れていないのに、その筋からのアクセスが増えているのだと思う。
こんな異常な状況から、普段の普通の日の状況に早く戻って欲しいと思っている。
確かに、私自身もこの3ヶ月間、初めて選挙なるものに直面し、もう一つのブログではずっと選挙の話を取上げてきた。
その結果が、こんなことになっているわけで、自らまいた種であることに違いない。
何度か触れたが、人を100点か0点でしか評価しない二者択一の市長選挙の1票はどう考えても、あまり好きになれない。しかしそうする以外には『棄権』しか選択肢はないのである。
今までもあちこちの市に住んで、市長選挙は何度か経験したが、多分投票しなかったのは、こんなことが原因であろう。
衆議院選挙などとはちょっと違った感覚なのである。
その選挙も済んだ。応援しなかった現職の市長が通った。
どうも面白くないが、自分の努力などではどうしようもないレベルの事柄である。
それを現実と受け入れた上での対応が必要なのである。
三木が済んだら今度は武雄が市長選挙スタートである。
これは選挙権がないし、ただただ応援していればいいので気が楽である。
こちらのことは少々触れてもアクセスに影響など多分しないだろう。
まあ言えば普通のことなのである。
三木の選挙は、異常なアクセスになったりする、普通のことではなかったような気がする。
そんな感じのブログのアクセス、異常な1週間も選挙も終わって多分終わるのだろう。
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カワサキの国内市場を担当していた。
6時前、何か爆発でもあったのかと思うような揺れに目が覚めた。
大きな地震だとは解った。
家に特に被害はないが、停電になってしまった。
いつものように朝の犬の散歩をする。
このあたりは特に大きな変化はない普通の朝である。
7時過ぎ明石の会社に向かう。
ニュースも新聞配達の人が倒れた壁で亡くなったぐらいのことしか伝えていない。
道の信号機がダメだった。
会社に着く。何人かは既に出勤、特に会社の中被害もない。
倉庫の車が倒れているのでそれを整理中との報告を受ける。
8時過ぎ、川崎重工の明石工場はどうなっているかを見に行く。
工場は誰も来ていないがらんとしている。
誰もいないのが異様である。
鉄道が走っていないので出勤できないのである。
9時前、高橋鉄郎さん(当時の販社社長)に報告すべく電話をする。
『お前今どこから電話してるんだ。この辺は火事やら高速が潰れたりして大変だぞ』
高橋さんのお宅は西宮である。
『テレビを見てみろ、大変なことになっている。』
私の震災は、その時点からが始まりである。
それまでは、別に驚きもせずに、普通に自分の責任分野をこなしていただけであった。
高橋さんの電話で、会社でテレビを見て(その頃停電は解消していた)神戸の状況を見て
まさに、『ビックリ仰天』した。
それはホントかと目を疑うような光景が次から次に映し出されたのである。
会社に出社してきたのも半分ほどであった。
川重も休みにしていたし、午前中で全員帰宅させた。
人間、不思議なもので自分が大したことがなかったら、人の心配まで気が回らないのである。
当時、広島にいた息子夫婦はニュースを見て心配したようだがそんなことにも気づかなかったし、
明石のほうにいた娘夫婦も大丈夫だと思っていたから、その安否も確かめたりしなかったのである。
先方からは電話が通じなくて、後で東京の親戚から連絡もくれずにと文句を言われたりした。
何しろ、朝家を出るとき停電だったので、一番気になったのは熱帯魚の水槽の水温維持のことだったのである。
家内に『時々湯を足して』と頼んで出て行ったのである。
外は、そんなこととても言える状況ではなかったのだが、
人間、自分の心配事が一番なのである。
今でも状況が解らなければ、そんなことかなとその時のことを不思議に思っている。
後で聞いたが娘婿の実家は神戸で、全壊で神戸に辿り着くまでが大変だったようである。
そんな、15年前の1月17日であった。
幸いにして三木はほとんど被害がなかったと言っていいだろう。
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昨年10月現職の薮本市長に対して、
いなだ三郎候補が対抗馬として出馬声明を発して以来3ヶ月間、生まれて初めて市長選挙などに関心を持つだけでなく、単にネット上だけではありますが、応援の姿勢を貫いてきました。
いなだ三郎候補から頼まれたわけでもなく叉よく知っているわけでもありません。
三木に住んで35年になりますが、三木に関心もほとんど持たず、市長選挙なども一度も投票したりすることもなく過ごしてきました。
然しながらこの4年近くは、三木の市政にもというより地方行政なるものに関心を持ち、役所の人たちとの関係も出来、まちのいろいろいろな人たちとも関係が出来ました。
更に昨年からは、カワサキと三木の人たちとのコラボでNPOなども立ち上げたりしたものですから、今回は従来とは置かれた立場が全く違う形での選挙となったのです。
私の周囲の市政の内容をよく知っている人たちは、そのほとんどが『いなだ三郎候補』を推しています。
表面に立って個人演説会で応援演説をする人もいます。
私の個人の判断も『いなださん』でしたが、これだけみんなが現職に反対の立場をとるのは珍しいケースだと思います。
今現職に反対している立場の人が、4年前にはほとんどが現職の応援者であったはずです。私自身もそうでしたが、市会議員に至っては数人を除き全てがいなださんの応援です。
そんな状態なのにまだ形勢はよく解らぬと言っています。
その辺が選挙の難しいところです。
市政などに関心のない人には現職の問題点などわかるはずもありません。
結果はどうなりでしょうか?
若し、新人候補のいなださんが当選したら、
三木もオモシロイまちになる可能性が見えてきます。
そうなることを願って、今日は1票を投じます。
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石川議員、突如の逮捕、今日中にも大久保秘書も逮捕という。
政治規正法違反容疑の捜査となっているが、その裏に何かがあると思っているのだろう。
小沢さんのところにどんな影響があるかである。
特捜のやり方にはもう一つ納得できないものがある。
幹事長であろうが一般議員であろうがみんな公平な捜査であって然るべきである。
何が何でも小沢さんをという目標みたいなモノが見えている。
ホリエモンのときもそうであった。
鈴木宗男さんもそうだった。
いい悪いは別にして、やり方が好きになれない。
権力が暴走気味である。
この問題で受ける国民全般の被害の方が膨大である。
最近ムネオ日記を読むようになって、一時ムネオバッシングでひどい経験をした人の意見である。常に東京地検のやり方を真っ向から批判した記事になっている。
確かに、いつもテレビに映る何十人もの人達が列を成してビルに入ってゆく姿はどう見ても異様である。
本件でも、経験者である鈴木宗男さんのムネオ日記はなかなかオモシロイ。
ツイッターのRTではないが、RTのように一部ご紹介する。
★まず一昨日のムネオ日記から抜粋すると
○昨夜,上京する際、石川知裕代議士と一緒になった。羽田に着くとテレビがわんさと来ていたが、8年前のムネオバッシングを想い出し、寒気がしてきた。
○それにしても、間違った情報、意図的、恣意的なリークによって、石川代議士の人権が侵害されている今の状況は、憂慮に耐えない。石川代議士と検察しか知り得ないやり取りが、新聞、テレビに出てくる。石川代議士はじめ関係者は、何も言っていないと言う。
検察が世論誘導するかのごとき今のやり方は問題である。
○8年前、私の時も権力側のリークで迷惑した。国民に間違った判断をさせるやり方は、公平、公正ではない。
今回の石川代議士に関する報道を見るにつけ、検察の姿勢は相変わらずであると感じる。
○夕方17時過ぎに、石川代議士の議員会館に強制捜査が入ったという知らせが届く。小沢一郎先生の秘書時代のことで、小沢事務所関係の書類が石川代議士の事務所にあるはずがない。誰が考えてもわかる話だ。なぜ強制捜査する必要があるのだろうか。
○石川代議士は逃げ隠れする立場にないし、何も隠すものはないのである。単純な記載ミスでここまでやるのかと考える時、改めて権力の暴走を危惧(きぐ)するものである。
★昨日も続いてこの問題である。
○テレビ、新聞は小沢さんへの強制捜査を扱っている。
なぜか事前にマスコミが知り、現場にテレビカメラが待ち受けていることだ。事前リークなくしてどうしてわかるのだろうか。検察側が誘導していることは明らかである。
○そして「段ボール箱を何箱押収した」と言うが、書類等をあの段ボール箱にぎっしり入れると、とても一人では持てない。段ボールの中身はせいぜいノート一冊、書類少々で、極めて軽いものなのである。
なぜわかるか。それは、平成14年、私の事務所、自宅が捜索された時、捜査官がただただ数多く運び出した様にしている姿を見ているからである。
○読者の皆さんも、興味本意で今回の強制捜査を見るのではなく、検察、権力の暴走にかかったら大変なことになるということを考えながら、冷静に見て戴きたい。
○検事は「『政治資金規正法違反を意図的にやりました』と言えと
単純な記載ミスを意図的にやったと言わせるやり方は、誤導、誘導である。
それを経験した者として、私はそれなりに検察のやり方が想像できる。
○読者の皆さんも是非考えてほしい。密室での検事とのやり取りは、一般の人にとって大変な精神的負担になる。だから取調の全面的な可視化が必要なのだ。被疑者は勿論、将来証人、参考人になりうる人に対する聴取も全面可視化すべきだ。そうすれば、冤罪はなくせる。改めて、取調の全面可視化を訴えて行きたい。
○特捜検事出身の弁護士さんからは、「今回の石川さんの件は政治資金規正法上の単純な記載ミスです。小沢さんがきちんと説明すればわかってもらえることです」といった話も入ってくる。いずれにせよ、ここは小沢幹事長、石川代議士にはしっかり事実を述べ、権力と相対してほしい。リークで世論誘導するやり方は公平、公正ではない。
これを読む限り、この通りである。
この裏にある何かを目指しているのだろうが、ちょっとやりすぎの感がある。
自民党の政治家の中にもこれ以上のことをやっている人はいっぱいいるような気がしてならない。
検察という権力の座にずっといたら、こんなになってしまうのかも知れない。
人間、権力の座にいるとおかしくなってしまうことが多い。
昔からの変わらぬ人間社会の生き様だが、こればかりは変わらないのかも知れない。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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