★新しい来年からの日記帳が届いた。
2012年から2016年までの、5年の当用日記である。
★5年間毎日使っても、大丈夫なように装丁は非常に確りとしている。
今、書いている日記がちょうど5年目なのだが、もう残すところあと2カ月になった。
この日記帳を書き始める時、ちゃんと5年間書けるかな?と思った。
この頃は、ブログもツイッターもFacebookもやっているので、昔のように日記だけが人生の記録ということでもなくなってしまった。
別に大したことも書いていないのだが、もう永年の惰性みたいなものである。
★こんな調子で、特にどうということもないのだが、去年の今日。4年前の今日どうであったかと解るのはいろいろと重宝しているのである。
ブログのように、『何を書こうか』などと、考えることは全然ない。
寝床に入る前に、さっと机に向かって書くだけである。モノの5分も掛らない。
もうずっと前になるが、1年1冊の当用日記の時代とは、書く分量が全然異なるのである。
こんな日記を書き続けてきたお陰で、文章を書くのは全然苦にならない。
思ったことは直ぐ文章にして残しておく習慣が完全に身についているのである。
★何時から日記を書いているのか?
昭和28年11月8日(1953)、大学2回生20才の時からだから。この新しい日記帳の途中で60周年を迎えることになる。
昭和28年11月8日、最初の書きだしは
『早いもので昭和28年も今日は霜月8日、この1年もこの月と師走を残すのみである。今日の新聞に蒋介石主席が30年間日記を付けているとか、の記事を読んだので自分も真似ごとながら日々のよしなしごとを記してみようかという気になったのである。・・・・・・・』
と書きだしている。
新聞には30年続くのは大したものだというような論調だったのである。
『そんなのそんなに難しいことか???』と思ったのを今でもよく覚えている。
大学ノートにその日のうちにスタートしたのである。 60年に近くなったので蒋介石の2倍に近づいたから、まず初心は貫徹出来たと言っていい。
★そんな格好いいことを言ってはいるが、その頃ちょっと落ち込んでいたのである。
その年の夏、彦根の合宿の初日辺りに風邪を引いて、そのまま練習して、秋のリーグ戦に入ったのだが、7回ごろで無茶苦茶しんどいのである。
10月の28日に生まれて初めて、自分から医者に行って診て貰ったら肺結核の診断なのである。
静かに療養をと言われてちょうど10日目ぐらいであった。
当時は結核は大層な病気だったから、『ひょっとしたら死ぬかも知れない』と思ったのも日記を書こうと思ったきっかけの一つであったことも確かである。
この肺結核の療養などしていたのは、ほんの数ヶ月である。春からは野球も再開したし普通にしていたら『空洞』が出来てしまったのである。
昭和32年川崎航空機に入社する頃は空洞があったのを何とかごまかして入社した。そしてさらに2年後会社の診療所の先生に菌が出ているから会社に置くわけにはいかぬと三田の療養所に放りこまれたのだが、その時もずっと日記は書いていた。
ところが1年でウソのように空洞は消えて、78歳まで何とか生きているのである。
何事も『くよくよしない』のが一番、神様はその人にちゃんと背負えるだけの運命を与えて下さっているのだと思うことにしている。
★日記を書きだした翌朝、こんな感想を書いている。
『いつまでも続くことを祈るや切である』と結んでいるが、
死ぬまで書き続けるので、どうかそれが長くなりますように、ぐらいの気持ちであった。
★そんな私の日記だが、この次の日記帳が終わるのは、あと5年後83歳である。
不思議なもので、83歳は大丈夫だと思っている。
なぜ? と言われたら、よく解らぬが、そんな気がするのである。
でも5年後、そのころ元気なら、83ならゴルフの『エイジシュート』、ヨセとパターをちゃんともう一度やったらイケルかも知れない。
ドライバーの距離は20年前とあまり変わっていないのである。 クラブやボールがよくなってもっと伸びるかも知れない。
ゴルフは気分の持ち方なのである。
ちゃんとした目標を持って、身体の柔軟性を今のまま保ったら大丈夫だと思っている
どんなことになっているのだろうか?
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