雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

4人の孫たち と ripple room & MSL

2018-12-31 05:07:19 | 発想$感想

 ★ 突然正月2日にやってきてすぐ戻っていった古谷仁 と アメリカから遊びに来ていた門野真也、こんな二人の孫たちと、鳴門の渦潮を見に行った ことから今年はスタートしたのだが、つい昨日のことのようである。

 

    

  

  門野3兄弟は、このほか兄貴の門野力也と門野哲也がいるのだが、

        

 

今年の夏は娘と哲也が遊びに来て、この年末は長男・門野力也がやって来て、『何故か繋がらなくなっていたツイッターを復活』してくれたので、古谷仁の近況を1ヶ月ぶりで見ることができたのである。

 

★4人の孫たちの内、この年末年始は、古谷仁 と 門野真也のことが特に気になるのである。

年初、古谷仁が没頭していたのは『ripple room 』というダンスの本の出版だったのだが、そんな大仕事を見事に仕上げて『ripple room 』の本の評価は非常に好評のようで一安心なのである。 

ネットにある、こんな書評の概略をご紹介する。 目次の欄をクリックすると、『全てが読める』のでどうぞ、ご覧ください。

     https://mydance365.com/ripple-room#ripple_room

 先日、クラウドファンディングで事前購入したアートブック「ripple room」が届きました!この本はストリートダンサーやダンサーに興味ある人は絶対に読むべきマストな一冊。      

 目次

ripple roomとは

ripple roomは、現在活躍してる90名以上のストリートダンサーにインタビューを行い、その生き様を綴っている本です。

 オシャレな本

 

そんな古谷仁は、1年経って今は、またこんな新しいことに挑戦しようとしているようなのである。

 今日のツイッターにこんなことを書いていた。  また、どんなことをはじめるのだろうか?

 テーマは #yutori_groove とあるが、ゆとりは兎も角、

 groove とは『大いに楽しむ、愉快{ゆかい}にやる、うまが合う、最高潮{さいこうちょう}である、ジャズの名演奏{めい えんそう}を楽しむ』などと書かれている。

  若い人の言葉はムツカシクてついて行くのが大変だが、『プレボノ』は『プロボノhttps://jinjibu.jp/keyword/detl/428/ ではないのかなと思ったりしている。

 

 

   

   写真を見る限り、沢山の仲間がいるから、『何とかなるのかな?』と思っている。

 

    

 

 

★ むしろ気になるのは門野真也のほうである。

 この12月に、めでたくBerkeley 大学は卒業して、最終学年のサッカー部ではキャプテンを務め、最終のシーズンを得点王で飾り、アメリカの学生『ベスト60人』にも入って、1月1日からはアメリカMLSのプロの世界に挑戦するという。

     

 

BERKELEY – Former Cal star Shinya Kadono is one of 60 collegiate athletes across the US and Canada that has been invited to the 2019 Major League Soccer Combine, taking place Jan. 3-9 in Orlando. BERKELEY  

で始まるこの照会文の翻訳は次のように訳されている。

 門野 真也は、1月3日から9日までオーランドで開催される2019年メジャーリーグサッカー合同大会に招待された、アメリカとカナダの60人の大学生のうちの1人です。 Kadonoは2018年に12ゴールと26ポイントで、2008年のAndrew Wiedeman以来、ゴールとポイントの両方で初のCalプレーヤーとなり、彼の12のゴールはプログラムのオールシーズン・スコアリストの6番目にランクされました。 Kadonoの ゲームあたりのゴール(0.67)、ポイント(1.44)、ショット数(3.22)となっていて、4つのカテゴリーで全国トップ30に入り、9月のSac Stateでの勝利での彼の4ゴール、9ポイントのパフォーマンスは今シーズン国内の両方のカテゴリーで1試合で最も多いものだった。
 
となかなかの評価で、子どもの頃からの『プロサッカー選手になるという夢』が、ホントに実現するかも知れないのである。
 
つい先日、Facebook で、こんなメッセージを送ったら、

真也、元気にしてますか?  いよいよですね。 自信を持って正面から当たたら、自ずと運は開くものです今までの精進の結果で今があるのですから、今まで通りでいいと思います。 カブトムシやエビ採ってた真也がこんなになるとは、ホントにびっくりです。 今まで通り、頑張って下さい

こんな返事が戻ってきた。
おじいちゃん、ありがとう。  悔いのないように頑張って来ます!
 
 
私と違って『何事にも、ホントに真面目に取組む真也だが』結果はどうあれ『いい経験』になることは間違いない。
 
アメリカのMLSは歴史は浅いが、Jリーグ以上にヨーロッパや南米のスタープレイヤーが揃っているリーグなのである。
 
そのセレクションは1月3日から、始まるのである。
 
 
      
 

          

 

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公園も正月休み?

2018-12-30 05:43:12 | 日常生活、園芸、バラ

★世の中は年末年始の休みに入ったようである。

 三木綜合防災公園に走りに行ったが、年末年始のお休みで、ゲートは締まっていて車は駐車場には入れない。

 

    

 

    でも、道の横に車は駐車していて、中にはいつもと同じように、ジョッギングなどする人たちはいっぱいである。

    

 

    グループで来ている人たちもいる。

 

    

 

 

  新年早々からは、全日本高等学校女子サッカー選手権大会が1月3日からは始まるようだから、3日からはオープンされるのだろう。

    

 

 外に車を止めて、いつもとは違う外周路を40分ほど走った後、ダッシュも5本ほどして戻ってきた。

 めちゃめちゃゆっくりした『スロージョッギング』だが40分走り切れるようになったので満足なのである。

  どれくらいゆっくりなのかは、この動画をご覧になれば解る。

    https://www.nicovideo.jp/watch/sm34393067

 歩くぐらいだが、消費カロリーは全然違って、『汗いっぱい』になるのがいい。

 

 いつもとはちょっと違った風景を撮ってきた。

 

  

 

   ここからはいつものコースである。

  

 

   こんな風景も眺められる。 こちらは北側。

  

 

   こちらは東側、見えてる山は、『丹生山』そこは神戸市、その向こうは六甲山脈である。

   

 

    こちらは南側、明石海峡や淡路島方面。

   

 

   そして、こちらは球技場と陸上競技場、サッカーグランドはこの公園の中に10面ほどある。

    

 

 

   そして入口というか、出口というのか、それが休みで封鎖されていた。

         

 

    こんなところに車を止めて、スロージョッギングで外回りを一周というか正確には3分の1周ほど約40分掛かった。

 

    

 

 この三木綜合防災公園、ゴルフ場が3つぐらい入る広さなのである。

 

       

       

 

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日本という国  雑感

2018-12-29 06:59:56 | 私の生き方、考え方&意見

 

★ネットを観ていたら、こんな広告に出会った。

 

    

 

 『今すぐ書籍をもらう』と書かれている。送料だけを負担すればいいということで申し込んだら、すぐ送られてきた。

 『半日メデイアの正体』と物々しいので朝日新聞などのメデイアを痛烈に書いているのかと思ったがそうでもなく、戦後のGHQというかアメリカの日本という国に対しての方針やその対応、日本国民の考え方がどのように変遷していったのか?

 などが客観的に書かれていて、戦前の社会も知り、生々しかった昭和20年の8月15日も、その翌年以降のGHQによる日本の教育制度が変遷していったことも、自ら体験して生きてきた私としては、非常に冷静にこの本を読むことができたのである。

産経新聞関係の編集長など歴任されたという著者上島嘉郎さんも昭和33年(1958)のお生まれだから、所謂55年体制も実際にはご存じない世代なのである。

因みに私は昭和32年に大学を卒業して川崎航空機に入社しているし、終戦の年昭和20年(1945)は中学1年生で、当時の朝鮮京城(今のソウル)で玉音放送を聞いた、戦前も戦後の昭和の時代も、平成も経験している85歳なのである。

 戦前の日本はホントにダメだったのか? 

 戦前の日本人はダメだったのか? 

 むしろ父や祖父の時代の日本人は今以上に立派だったのでは、とホントにそう思って生きてきているし、今でもそれを疑ったりはしないのである。

 右翼か? と言われたら「右翼ではない」と思うが、「インテリ左翼」などでないことは間違いない。

 今でも、取っている新聞は朝日で、産経新聞ではない。 小学校時代からずっと朝日新聞を読んでいるのでそのまま続いているだけの話である。

今の朝日新聞の傾向が、反日というか『反安倍』であることは間違いないのだが、反対意見を知っておくこともそんなに悪くはないことだと思っているので、朝日をやめようなどとは思っていないのである。因みに、安倍さんは立派だと思っている。

 

★世の中には『反対意見』というのはあって当然で、反対意見そのものには何の問題もないのだが、この本の中に何度も指摘されていた『日本・日本という国』『日本の伝統・文化』などへの愛情のない国民に戦後変わってしまって、今も尚それが続いていることが問題だという指摘には納得である。

 朝日新聞はじめ、多くのメデイアが『反日』であるというよりも、『無日』になってしまっているのが問題で、『愛する日本』という国の存在すらないような世の中はやはり寂しいというか、間違っていると思うのである。

 戦後、アメリカのGHQ が日本の教育も、教科書も、教育制度も、新聞社に対する検閲なども、アメリカにとって都合のいいように変えてしまったのだが、その渦中の真ん中に私はいたので、ホントにそのあたりのことはよく解っているのである。

 私自身は旧制中学に入学し、終戦の翌年から戦前と同じ教育を受けたと思っている。歴史の教科書がなかっただけである。昭和22年からは新制中学が出来て、下級生は入学してこなかったし、中学3年生の時に男女共学になり、高校に入学する時には学区制が敷かれて、神戸一中から明石高校に転校したのである。

 私自身のことを言うと、中学3年生から大学卒業までは野球に熱中していて、勉強など一切しなかったので、学歴は中学2年卒だとは思っているのだが、戦前の教育レベルでも、そこそこの文章も書けるし、物事の理解力も、そんなに悪くないと思っているので、戦前の教育がダメだったなどとはけっして思っていないのである。

 何か新しい教育は、ありもしないウソを教えているのではないか? 例えば「太平洋戦争」などというが『大東亜戦争」はあったが戦後勝手に『太平洋戦争』に置き換えてしまったのは、アメリカはじめ当時の欧米の白人たちの思想に都合が悪かったのではなかろうか?

朝鮮は日本の植民地だったというが、当時は日本そのもので、ソウルには市電も走っていたし京城大学も三越もその他いろいろ当時の内地よりも立派な街になっていたし、当時の東南アジア諸国は全てと言ってもいい欧米列強の植民地であったものが、あの戦争を契機に独立国になっていくのである。

小学校で習ったのがそんな『大東亜共栄圏』を作ろうという思想だったし、その精神が『八紘一宇』だったのである。

八紘一宇』という言葉はずっと古くから日本にある言葉で、最近三原じゅん子が国会で言って話題になったりしたのだが、この言葉も、『大東亜戦争』も当時のGHQが使用禁止にした言葉なのである。

 

★戦後の日本とアメリカの関係は、友好国として非常に密接で、日米安保条約などで守られてはいるのだが、基本的には『愛する自分の国』は自分で守り育てるという国に対する気持ちが、戦後の教育で個人の人権などばかりが強調されて、忘れてしまっている国は、ひょっとしたら世界で日本だけかも知れないのである。

自分が日本人だ、日本という国の国民なのだ』ということは異国アメリカで育ったから、余計にそう思うのかも知れない。

 今年アメリカの大学を卒業する孫のBerkeley にある下宿の部屋にも、Irvine の自分の部屋にも何故か日の丸が飾られているのである。

      

 

      

 

 孫に『なぜ?』と聞いてみたが、『貰ったから・・』とさらっと答えて、それ以上は言わなかったが、私自身は『アメリカで育ってよかったな』と思ったのである。

 もし日本で育っていたら、『部屋に日の丸など』考えられないのである。

日本という国は間違いなく『歴史のあるいい国』だから、たまには皆さんも『日本という国』のことも考えてみて欲しいなと思っている。

仕事納めの日に読んだ本と『日本という国 雑感』である。

 

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カワサキジェットスキー物語 11

2018-12-28 07:07:58 | ジェットスキー&KAZE
 ★「カワサキジェットスキー物語 11」は今年最後として、世界のこんな方と新しく繋がったりしたのでそのご紹介をすることにする。 
 
ジェットスキーが取り持つご縁と言っていい。
このようなジェットスキーのプロジェクトが、さらに大きく飛躍することを切に願いたいのである。
 
 
 
 
★一つは、アメリカから 、ジェットスキーで人命救助の活動をおやりになっているShawn Alladio さんから
 
 英文と自動翻訳付きで送って下さった。
 
 
 
Dear Mr. Furutani. Thank you for accepting my friend request on Facebook. I am a big fan of yours from America and those who created the business for the Kawasaki Jet Ski product for all of us in the world to enjoy. You do not know me, so I would like to introduce myself. Your efforts and hard work with your colleagues at Kawasaki Motors Corporation (I am from California in the USA), opened up opportunities for many people. From racing to professional lifesaving I have enjoyed being a part of this wonderful boat community since 1979. Because of the hard work and efforts of the Kawasaki administration I have been blessed to have a business that works with the Kawasaki Jet Ski. If the Jet Ski did not exist, lives in the water would have been lost. I have been honored to work in lifesaving with Jet Skis since 1989. It is a privilege to be an instructor and a lifesaver, because it would not have happened if not for Kawasaki. My company is operating lifesaving training for boating in 11 countries now. My business goal is to revolutionize lifesaving. I have not done this alone but with a silent team. KMC and its employees, those who build the Jet Skis, market, sell and distribute are all part of this lifesaving team, even though we do not know one another. I want to thank you so much for helping us save lives. We owe you and your colleagues a significant debt. Thank you so kindly for caring. Shawn - K38
Shawn Alladio
Shawn Alladio
Here is part of your legacy: https://www.youtube.com/user/K38rescue
 
この Youtube は素晴らしい。非常に沢山のジェットスキーによる救助活動が収められているので、是非ご覧ください。
 
 
 
 
K38rescue
 
K38® LLC - RWC Subject Matter Expert; Shawn Alladio Lead Instructor continues to train the next generation of international water rescue specialists: K38 Wat...
 
youtube.com
Shawn Alladio
Shawn Alladio
古谷さん、こんにちは。 Facebookで友達のリクエストを受け付けてくれてありがとう。私はアメリカから、あなたと、世界中の私たち全員が楽しむことができるKawasaki Jet Ski製品のためのビジネスを創造した人々からの大ファンです。あなたは私を知らないので、自己紹介をしたいと思います。 Kawasaki Motors Corporation(米国カリフォルニア州出身)の同僚は、多くの人々に努力の機会をもたらしました。レースからプロのライフセービングまで私は1979年以来この素晴らしいボートコミュニティーの一員であることを楽しんできました。ジェットスキーがなければ、水中での命が失われていたでしょう。私は1989年以来、Jet Skisで命を救うことができて光栄に思っています。私の会社は現在11カ国でボートのための救命訓練を行っています。私のビジネス目標は、人命救助に革命を起こすことです。私は一人ではなく、静かなチームと一緒にこれをしました。 KMCとその従業員、Jet Skisの構築担当者、マーケティング、販売、配布は、お互いを知らないにもかかわらず、すべてこの救命チームの一部です。私たちが命を救うのを手助けしてくれて本当にありがとう。私たちはあなたとあなたの同僚に、多大なお世話になりありがとうございます。ショーン - K38
Shawn Alladio
Shawn Alladio
my apologies I used google translator
You can know today that many people around the world are alive today because of the Jet Ski and the efforts of KMC and its esteemed employees
I thank you.
 
         
 
 これは1977年の記事で41年後の今はこんな形になっているとか・・・
 
 
    
 
 
    
 
   
I am thankful for Kawasaki's support for lifesaving. They created lifesaving using Jet Skis. Many people would have lost thier lives if this did not happen. It's not just the recreational side, its an incredible legacy!
 
Thank you for doing great work for Kawasaki with your colleagues for all of us in the new generations
 
 
    
     
 
 
 こんな社会の活動にジェットスキーがお役に立っていることは、ホントに嬉しいことである。
 
 
★当時、アメリカKMCの社長としてJSに情熱を傾けた田崎雅元さんに原文のままメールをしたら、こんなメールが戻ってきたので、その概略をご紹介することにしたい。
 
古谷さん

素晴らしい、嬉しい、便りですね! FB の自動翻訳もすごいですね。彼女は、カワサキの Jet Ski と出会って、監視、レスキューのボランタリーを始め、人生が変わり、使命感、達成感で GOOD TIMES を、とてもエンジョイしている、 カワサキさん有難う、と云いたいのでしょう。

 アメリカでは、Jet Ski が 社会的に貢献していると評価された事由が、三つ程ありました。

一つが、この便りにある、水泳場の監視、レスキューです。

二つ目が、下肢の不自由な身障者にレジャーを楽しんで貰う、ボランティア活動です。 高速水上レジャーで効果抜群だそうです。

三つ目は、水中からのテロ対策としての監視、警護です。

 日本でも、海水浴場の婦警の間で、監視、レスキュー用 Jet Ski が取り合いだそうです。以前行われた、沖縄サミットでは20隻以上のJetSki群 がアクアラングによる、水中からのテロの監視に使われました。水害時に、Jet Ski を使いながら、屋根に取り残された人々を、一人で助けまわったヒーローも報道されました。現在、最速の JetSki は魚雷よりもスピードが速く、敵前上陸、海岸防衛用の用途もあるかも知れませんね。

 1995年、阪神淡路大震災で、オフロードバイクが大活躍した話もあり、高校生になったら、バイクくらいには乗れなくては!と、反三無い運動も生まれたと聞いています。製品が社会と健全に共生する、若者の自由とロマン、自己管理、自己責任、達成感、誇り、etc. 

カワサキは、そんな製品を誇りを持って開発し、生産し、販売する、まさに Good Times Roll です。 カワサキワールドの存在意義も大きくなり、みんなハッピーですね!

 
 
 
 
 
★もう一つは、かってのカワサキのジェットスキーに乗っておられたプロライダー『伴きみこ』さんから。
こんなクラウドファンデイングのご連絡が・・ スタートしたばかりで今から35日の間が、募集期間なのである。
 
こちらも、社会と共に楽しくというコンセプトである。
今年も、もう僅かだが、新しい年がこのような『新しい活動』で幕開くことを期待したいものである。
 
 是非、目標の金額が集まるように、ご協力をお願いしたいと思ってのご紹介である。
 
 
 
 
      
 
 
 
 
 
畿ジェットスポーツ連盟に協賛する形で今回は、進めています。 
 今後は、いろんな地域で、地元住民を巻き込んだマリンイベントができればと考えています。
老若男女問わず、地元住民にも楽しんでもらえるイベントで理解を深めるとともに、浜辺の清掃活動や海でのマナーなどの講習会も海上保安庁と連携して進められればと考えています。
 
 
 というご挨拶も頂いたので、ここにその概要をご紹介しようと思う。
 すべてをご覧になりたい方は、下記をクリックしてください。
 
 
 
 
 
 

プロジェクト本文

広め隊の隊長、エルモことです!

今回、近畿ジェットスポーツ連盟 (KJFS)開催のジェットスポーツマリンカーニバルに協賛して、マリンレジャーの楽しさをお伝えする場を設けました

 

ジェットスキーのレースあり、出展ブースあり、水上オートバイの展示販売あり、少年サッカーチーム大会あり、スケートボード大会あり、ビンゴ大会ありのジェットカーニバルにコラボして、フラダンスショーや、スタンプラリー、

SUPやカヌー体験(別の浜)を盛り込んだ楽しいイベントに

ぜひ参加して、マリンレジャーが身近に楽しめることを知り、

人生をもっと楽しくワクワクさせましょう!

 

子供の頃の無邪気な感覚を覚えていますか?

 

 

海に囲まれた島国日本で、海の恩恵を受けてきた日本人でも遊ぶという事に罪悪感を持たされてきた…そんな人達にマリンレジャーを通して、海に癒され、海の楽しさを知り、老若男女が、もっと笑顔で無邪気に楽しみ、元気な日本を作っていく

 

海が大好きで、海のそばに住みたい。海の魅力を伝えたい。海の楽しさを伝えたい。海のそばにいると元気になり、

いつもワクワクしていられる…

 

 

でも大人になっていくうちにいつの間にか失くしてる

ウキウキワクワクな気持ち…。


 

このプロジェクトの隊長である私は、元ジェットスキープロライダーとしてバブル期の日本が沸いていた時期に活躍して、

世界第3位という快挙も得た。

 

 

 目をつむって、避けて通るのではなく、マリンレジャーの楽しさを伝えて、海のマナーを伝えていき、老若男女、高齢者や障害者も共に楽しめる場を提供して、マリンレジャーへの偏見を無くし、

海に囲まれた日本で、ワクワクを感じてもらいたい!

 

更に最先端のマリンレジャーを発信する場を持ち、世界のトップレベルのマリンレジャー業界の人達を呼んで、

エキシビジョンをしてもらうイベントも開催!

 

 

 

そして、地元住民や訪れた人達や仲間達が、誰でも参加できるマリンレジャーイベントと合わせて開催すれば、参加型の見る・行う・楽しむ      そんなイベントで町興しの役目も担えるはず!

 

 海での経験を生かして、より多くの老若男女が、海で癒され、海の楽しさを知り、

 

元気にワクワクする感情を持って、イキイキとした人生を送ってほしいとの思いで、

 

マリンレジャーを広め隊』のクラファンを立ち上げることにしました。

 

遊びを忘れた大人たちに

心震える感覚を呼び戻してもらいたい!

 

ということで、マリンレジャーをもっと一般の人々に広めることで、日本を元気にしていくプロジェクト始動中です。

 

そこで、先ずは、この思いに賛同して、共にマリンレジャーを広め、日本を元気にしていくプロジェクトの

賛同者を集めることから…

 

 

第1弾の企画では、ジェットスポーツが一同に会したKJSF主催のジェットカーニバル (2019/4/13・14開催予定)
http://urx2.nu/OtQg 

(ジェットスキーレース・ジェットスキーフリースタイルショー・フライボーダーショー・フリーマーケット・スケートボード大会・少年サッカーチーム大会etc.)

今後は、地元住民を巻き込んで、いろんなイベントを折り込み、地元の理解を得られるマリンレジャーの拠点を増やし、

マリンレジャーが、日本の文化となるよう活動をしていきます!

 

 

あなたの人生にウェーブを起こしましょう!!

【プロジェクト発起人】

 

 

 
 
  
 
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カワサキジェットスキー物語 10

2018-12-27 06:55:31 | ジェットスキー&KAZE

 ★ひょんなことでスタートした『カワサキジェットスキー物語』だが、10話になろうとしている。

このきっかけを創ってくれた、田崎雅元さんから頂いた長いメールの中で、このように言って頂いているのだが、非常に意を強くしているのである。

古谷さん、

ジェットスキー物語、これは複雑な背景で生まれた「お神輿製品」で、その歴史は貴方以外誰も書けないと思います。流石です。

発動機 + リンカーン + KMC で生まれたジェットスキー は放っておけば、再建中の単車事業の中で、継子の商品となり、スノーモビルと同じような運命をたどったかも知れません。スノーモビル事業からの撤退を陣頭指揮した私が、同じような継子のジェットスキーに全力投球する、不思議な運命ですが・・・・ 大きなリスクを背負い、山田熙明さんから直接ブレーキをかけられた拡大戦略、結果オーライで語れることをとても幸せだと思っています。・・・・KMCの販売拡大が背景にあったとはいえ、J/Sの今日があるのには、当時の単発関係を偏見なく、フェアーに対応した単車企画部門の力が大きかったと思っています。

 

そんなことから当時の単車企画室が非公式に旗を振って始まったジェットスキープロジェクトであったが、88年9月の『ソウルオリンピックのデモンストレーション』により、ジェットスキーという世界で初めての製品の事業展開は、世の中が認めてくれた存在になり、ヤマハさんも参入されて、業界としての活動がスタートしてゆくのである。

 

           

 

★この年88年の10月からは、私自身が国内販売の責任者としてカワ販に異動することになり、二輪もジェットスキーもその直接の担当となるのだが、当時の事業本部長(カワ販社長兼務)髙橋鐵郎さんからは、国内市場で7万台販売という途方もない目標を与えられることになるのである。

7万台というのは、大変な目標なのである。

従来の販売活動の延長で頑張るだけでは、とても達成など出来ないような倍増台数だったし、二輪6万台、ジェットスキー1万台という目標は年間200台の規模からスタートするJSにとっても、とてつもない台数であったことは容易にご理解頂けると思うのである。

そんな目標を与えられて、私が具体的に採った戦略は、従来のやり方の徹底的な放棄で、ベースにしようと思ったのは、二輪もJSも元来が遊びの道具だし、そのベースにあるのは「レース」なので、この遊びとレース活動だけは『プロのレベルでの展開』を図ることだったのである。

 まず、10月1日に赴任して真っ先にやったことが、『カワサキファクトリー結成25周年のOB総会』で10月15日に開催したのである。

これは、かってのレースOB達や、山田副社長・髙橋本部長・苧野・中村・大槻さんなどカワサキのレースの先輩たちに対しての私の『決意表明』だったのである。

   

 

2番目にやったことは、従来のユーザークラブKGRC(Kawasaki Good Riders Club)を解散して、KAZE(Kawasaki Amuzing for Everybody )の創設だったのである。

従来の延長上の販売台数ならカワサキファンだけを集めたら達成できるだろうが、7万台の目標は二輪を愛するEverybodyを対象にその枠を広げる『イメージ戦略』でないとダメだと思ったのである。

 

    

 

 そして、『遊び半分ではいい遊びはできない』と遊びやレースの専門のケイ・スポーツ・システム(KSS)」という『ソフト会社』を立ち上げて、この会社を中心にグループ全体の活性化を図かり『新しいカワサキのイメージ創造』に挑戦したのである。

 従来の孫会社KATから、ジェットスキー専門販売のKJSと名称も変えて子会社に格上げし、その二つの会社KSSとKJSは私自らが社長として旗を振ることとしたのである。

 KAZEは3か月後の89年1月に、KSSは6か月後の89年4月に共に正規にスタートして、文字通りその後の展開の中心となっていくのだが、これはひとえにこの二つの新しい会社を担当してくれた、当時の精鋭たちが素晴らしかったと言えるだろう。

 ジェットスキーのKJSには藤田孝明・潤井利明・渡部達也さんなどの実力者に加えて、鶴谷将俊さんがKHIの籍のままではあったがJJSBA会長なども引き受けてくれての事業展開だったのである。

 全く新しいソフト会社KSSは、南昌吾さん以下がレース・KAZE活動など今までにない全く新しい『遊びの世界』に本格的に対応したこともあって、KAZEなどは55000人の会員を集め、当時のホンダHARTなどを圧倒した実績を実現したのである

 二つのグループは、カワサキの人たちだけでなく、レース関係者や業界のプロと言える人たちが沢山手伝ってくれての展開となり、ジェットスキーで言うと、JJSBAが果たした役割は非常に大きかったと言えるのだろうと思っている。

 

★これらの活動は、確かにこの時代私が旗を振ったのは事実なのだが、私は『本田宗一郎さんの真似』をしただけの話なのである。

ずっと昔、未だ日本の二輪需要が50㏄のカブ全盛期の時代に、本田宗一郎さんがやられたのは、世界GPへのレースへの挑戦であったし、あの鈴鹿サーキットをあの規模で造られたのは昭和36年(1961)秋なのである。 カワサキはその初めてのレースを観て、カワサキの二輪事業が立ち上がったと言ってもいいのである。カワサキの二輪事業がホントにスタートしたのは「青野ヶ原のモトクロス」だと言われるが、それは昭和37年5月のことなのである。

 本田宗一郎さんのレース展開の壮大な仕組みの構築が、当時の日本の二輪事業を世界的水準に押し上げたと言っていい。

遊んでいても『自然にモノが売れる、仕組みの構築』こそが大量販売のMUST条件だということは『本田宗一郎』さんに教えて貰ったのである。

 二輪もジェットスキーも、遊び道具なのだから、一番大事なのは『遊び心』ではないだろうか? 

確かに、マシン開発だけは、今も各メーカーは間違いなくプロのレベルだと思うのだが、マーケッテングに関しては『遊び心』が抜け落ちて『売ることばかり』に熱心で、真面目過ぎるのではと思ったりしているのである。

 

ジェットスキーこそ二輪以上の遊び道具なのである。

86年にやっとスタ―トしたカワサキのジェットスキーだが、ホントに数年の間に、業界にもカワサキの中にもプロたちが育っていったのである。

松口久美子さんが送ってくれた当時の写真だが、福井昇くんのチューンしたジェットスキー松口姉弟は乗っていたのである。

 

    

  こんなコメントも頂いたのである。

 91年の千里浜のレースプロクラス優勝者全員、偶然にも古谷さんのFacebookで繋がっています。
プロメン 松口博文選手   プロ X-2 内橋誠二選手   プロウィメン松口久美子です!
 
当時いろいろと出会った人たち、間違いなくその筋でプロと言える大南勝也さん、村島政彦・村島邦彦ご兄弟に出会ったのもこのころなのである。この当時出会った人たちと、30年も経った今でもみんなFacebook では、繋がっているのはホントに不思議なご縁なのである。
 
カワサキ社内の人たちは勿論だが、こんな外部の方たちの協力があって初めてカワサキのジェットスキーの飛躍があったことを忘れてはならないと思う。

 

★この88年当時、ジェットスキーの販売はどんな規模だったのか?

当初は、孫会社KAT で年間2~300台でスタートした国内のジェットスキーだが、86年にはジェットスキー専門店を立ち上げ、JJSBAのレース展開に専念したこともあって、86年に立てた目標3000台は、88年には達成するという躍進ぶりだったのである。

年間300台でも、何とかペイしていた販売会社がその規模が10倍になれば、どのような経営状況になるのか?

当時のKJSも、ジェットスキー販売店も、すばらしい活気で、89年の10月にはジェットスキのDealer MeetingをアメリカのJS生産拠点リンカーン工場を訪ねて、オマハのホテルで盛大に開催し、レイクハバスの本場のレース観戦をするまでになっていたのである。

 そして、それは7万台販売目標に向かって、最盛期の90年代に入っていくのである

 

 

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人生100年時代 フレイル とは

2018-12-26 13:01:52 | 日常生活、園芸、バラ

 ★家に送られてきた冊子にこんなのがあった。

      

 

 『超高齢化時代を迎えた日本』超高齢化社会とは65歳以上の人口が総人口に占める割合が21%を超えた社会のことで、日本は2007年に21.5%となり超高齢化社会となったようである。

 そして『85歳以上の余命は「フレイル」によって決まるということです。フレイルとは意図しない体重減少、歩く速度の低下、身体活動量の低下など従来は「虚弱」と呼ばれていた状態で、このフレイルが見られる人は余命が短くなる傾向があります。』と85歳の私には気になることが書かれていて、『フレイル』という初めて聞く言葉を調べてみたのである。

 大体、85歳まで生きるとは思っていなかった。 来年は3月に86歳になるので、四捨五入すると90歳、あと15年生きたら100歳である。70歳からの15年間を振り返ってみると、ひょっとしたら人生の中で『一番充実した15年間』だったような気もするし、これは勝手にそう思っているのだが、70歳の頃よりも今の85歳のほうが、体力的にも『すっきり』しているような気もするのである。

 ストレッチを始めたのが70歳の頃だし、ダッシュを始めたのが80歳で、ジムに通いだしたのが84歳からである。

 今日も朝から、今年最後のジムとランニングと水泳に行ってきた。 最近は月・水・金とジム、火・木・土と防災公園でのランニングがずっと続いているし、やっとスロージョッギングで、1・5キロが走り切れるようになったところなのである。

 パソコン・ブログ・ツイッター・Facebookなどネットを始めたのも、社会的な活動として、NPO The Good Times をスタートさせたり、人生で初めての事柄が多かったのである。

フレイル』が虚弱の始まりだとすると、少なくともこの15年間は、私にとっては無縁だったのである。

 

★いろいろ、ネットで調べてみると、

 『フレイルとは、健常から要介護へ移行する中間の段階と言われていて、具体的には、加齢に伴い筋力が衰え、疲れやすくなり家に閉じこもりがちになるなど、年齢を重ねたことで生じやすい衰え全般を指していて、高齢者の多くの場合、フレイルの時期を経て、徐々に要介護状態に陥る考えられているのだという。』 と書かれている。

 

       

 

フレイルの基準には5項目あり、3項目以上該当するとフレイル、

1または2項目だけの場合にはフレイルの前段階であるプレフレイルと判断します。

  1. 体重減少:意図しない年間4.5kgまたは5%以上の体重減少
  2. 疲れやすい:何をするのも面倒だと週に3-4日以上感じる
  3. 歩行速度の低下
  4. 握力の低下
  5. 身体活動量の低下

  私の場合は、これらのチェック項目は、全て大丈夫なので、『フレイル』ではないと思うのである。

 

★この冊子、慶応大学の『塾』といって、孫の保証人をしてるので送られてくるのだが、このテーマの中にも、こんな面白いことも書かれていた。

 『長らくマーケッテングの分野では「高齢者」は無視されてきたが、超高齢者社会になって『高齢者マーケッテング』は無視できないし、日本がその先端を走っているというのである。日本の次に高齢者か率の高いのはイタリアだが、その差は10年もあるらしい。

高齢者マーケッテングの中で、『情報感度』という尺度でセグメンテ―ションすることで、魅力的なマーケットの存在が明らかになったとか。これを書かれてい商学部の清水教授は、情報感度が高い高齢者を「イケてるお爺さん、カワイイお婆さん」と呼んでいて、こうした情報感度の高い高齢者は自分自身の健康状態にも敏感で、健康を考えた食生活や、新しい環境や習慣作りへのチャレンジもあって、新しい消費にも結び付くなどと書かれている。

 そんな大げさなことに役立っているとは思わぬが、「イケてるお爺さん」と言って頂いて気分がいいのである。

 ただ100歳まで生きれるかどうかは『運だ』思っている。

 今年も7月5日に、『風呂の中で意識を失って』救急車で運ばれたのだが、熱があって風呂に入っている内に意識を失っていたのである。あの時、娘と孫がアメリカから来ていなかったら、風呂から引き揚げることもできなかったかも知れないのである。

 別にあの時も、意識を失ってたのは、ほんの何十分だけだったのだが、若し家内だけだったら、大変だったと思うのである。そういう意味では、私は人生で意識不明になったのは2回目なのだが、1回目は警察の本署で、10分後には病院にいたから助かったみたいなものである。

 そんな運は、結構『好運』だと思っているので、日常生活は来年も『フレイル』に気を付けて、体力増進には精進したいと思っている。

 年末のこんな時期に『フレイル』という新しい言葉に巡り合えたのも幸運だったと思っている。

 何事も、『いい加減に』『ネアカに』考えるのが、いいのかも知れない。

 

 

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Google Map で いろいろと

2018-12-26 07:46:50 | 発想$感想

 ★私は元来地理は大好きで、大いに関心があるのだが、閑に任せて時間があればGoogle Map で楽しんでいる。

昨日は、娘一家のアパートやその中などを見てたのだが、娘婿が務めている JAE という会社がすぐ近くで、歩いて行ける距離なのである。

アパアートと孫が毎日練習しているサッカーグランドを結んだ真ん中あたりなのである。(赤い印のところ)

この辺りの立地は、しょっちゅうGoogle Mapをみているので、ひょっとしたら娘婿より私の方が詳しいかも知れないのである。

この辺り一帯が元空軍の飛行場で、今はそれが広大なスポーツ公園(Orange Great Park)に様変わり中なのである。

           

 

 JAEとは『日本航空電子』という会社で、アメリカでも車輌関連川崎重工業とも取引があるようなのである。

ホントに不思議なご縁なのだが、田崎雅元さんがごく最近先方の偉いさんと会食されたようで、その方がたまたま、私がIrvine に行ってるる時にアメリカ出張されて、このIrvine の事務所にも寄られたので、娘婿が休日出勤してその時の資料などを作ったりしたので、何となく解っているのである。

大体アメリカで『休日出勤』など普通ではないのと、ごく最近JAEとアメリカの川重の車両との取引がスタートするとかで、そんな話を田崎さんとやり取りしていたものだから、当日そんなことが話題に上がったようなのである。

 田崎さんからこんなメールが来たりした。

11月28日夜の懇親会、とても良い雰囲気で楽しい対話で、有意義な会合でした。○○さんとは、12年振りの再会でした。私が「最近 アーバインに行かれたでしょう?」「どうしてご存じなのですか?」「私のアンテナはまだまだ良く働いてくれますので」と云った会話で、・・・・

 

            

 

 そんなことで、JAEを思い出してGoogle Map で検索するとすぐ見つかって、その社屋がこんな形で見ることができたのである。

 

             

 

 

★この秋、私が遊びに行ってたのはIrvine だが、ロスから南に車で1時間ぐらいのところで、大谷翔平のエンゼルスの球場はアナハイムだし、ホントにたまたまだが、JAEがエンゼルスのスポンサーをしてたので、大谷翔平を生で見たりも出来たのである。

      アメリカの球場は、どこもそうだが大きな駐車場の真ん中にポツンと建っている。

  それこそ、『球場の何倍もの大きさの駐車場』なのである。

  

               

 

  Google での展望は、公式の道路からだから、こんな風景になるのだが、

          

 

  写真で撮ると、こんな感じなのである。

         

            

 

★カワサキのアメリカの販社KMCは、最初の事務所がサンタナ、2番目がアーバイン、そして今のKMCはレイクフォレストに移ったのだが、私は三つとも行ったことはある。

 どこも、そんなに離れている訳ではなくて、Irvine の娘一家宅からも、すぐ近くなのである。

 この辺りの地理は現役時代から馴染みがあってよく解っているのだが、まだまだ発展途上で、毎年様相が変わっていくのである。

 サンタナに事務所があった時代は、まさにIrvine が Irvine という名の開拓企業によりこの一帯を開発中で、2番目の事務所の周りは何もない広大な土地だけだったのだが、いまは立派な街になってしまっている。

 

     

 

  今のKMCはこんなところで、アーバインからそんなに遠くはないのである。

 

         

 

 

  こんな社屋なのである。

  こんな画面もGoogle Map で見ることができる。

           

 

  とにかく、アメリカはどこに行っても広くて気持ちがいい。

 何年か後には、また変わった町に変貌しているかも知れない。

 

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ネットはアメリカも隣町

2018-12-25 06:29:12 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

 ★最近のネットの世界はホントにスゴイなと思う。

 息子の方は、日本の鎌倉にいるのだが、もう一つネットはやらないので、どうしているのかよく解らないのだが、娘一家は遠くアメリカだが、夫婦とも、私ほどでもないがネットをやってるので、今どんな状態なのか、手に取るように解るのがいい。

 今は、クリスマス・シーズンを楽しんでいるようである。

 今年の秋、私がちょうど遊びに行ってるときに、いままでの住宅から、アパートに引っ越すことに決めたのである。

 アパートというが、アメリアのアパートは間違いなく『豪華マンション』のようなところもある。

 

 この3枚はGoogle Mapからだが、同じIrvine市だが、ちょっと南のこんな地域に引っ越した。

 左下の赤く見えてるのがアパート群である。 

 左上の緑の区画はみんなサッカー場で、孫の末弟の練習場でもあったので、滞在期間中私もよく行った懐かしい場所である。

 

     

 

   少し伸ばすと、こんな感じになり、広大な正面の芝生プールも見えている。

   娘一家の、アパートは確か右手のプールのさらに右あたりだったと思う。

 

    

   

   芝生を正面から見ると、こんな感じで、これもGoogle Map からの映像である。

  ホントに、こんな感じで、世界をネットで見ることができるのである。

 

    

 

 ★ここから以下は、娘婿と娘のFacebook に載っていた写真からである。

 

 ジムもプールも『使い放題』のようである。 このジムは私も見てきたが、隣の部屋にも器械がいっぱいで本格的だった。

 

          

 

 

   こんなところにある『焼き肉用の備え付けの設備』での焼き肉パーテイをやったようである。

 水が見えてるのは小さいほうのプールで、そのすぐ横に確かこの設備はあったのだが、夜になるとめちゃ豪華に見えるものである。

 

    

 

 

 

    

 

  次男と3男で、焼いてるようだが、次男は今体を絞ってる最中だから、鶏肉からかな?

  いずれにしても、この家族は、こんな量で済むはずはないのである。

 

    

 

 

  昼は、どうやら会社のパーテイーで、これはどこかな?

  デズニーランドなのかも知れぬ。

    

 

       こんな写真もあった。

            

 

  お元気そうで何よりである。

     

 

 娘婿のTad Kadono がFacebook にこんなご挨拶を乗せていたので、転載させて頂くことにする。

日本はイブですね。
アメリカもクリスマスホリデーに入り、これが終わると日本と比べて素っ気ないカレンダー通りの年末年始でしばらく連休らしい休みは    ありません。この休みの直前は、会社のクリスマスパーティーとか、次男の大学卒業して帰ってきたとか仲間との忘年会とかありました。

クリスマスパーティー...
 素晴らしい機会をてくれる会社に感謝。今年も怖い乗り物乗せられました。
 
真也卒業。 帰ってきたけど、相変わらずよく喋り、健康志向の食材きはうるさい。
 忘年会  今後とも末永くお付き合いよろしくお願いします。 
あと2日 のんびりとさせていただきます。

 みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしください。   Merry Christmas!

 

★ こちらは静かなクリスマスだったが、30日からは日本の大学にいる孫の長男力也が、年末年始を三木で過ごすべくやってくる。

 今年も、愈々残り少ない。

 皆さま、いいお年をお迎えください。

 

 

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初めてのトライアル観戦

2018-12-24 03:46:17 | 発想$感想

★ 昨日は山本隆さんに誘われて、加古川トライアルパークまで『トライアル』を観に行ってきた。トライアルを観るのは初めてである。
山本隆さんは、75歳の今も未だにトライアル現役だが、かってはMFJのトライアル委員長を長く務めたし、カワサキがトライアル車を開発した当時はその開発にも携わったりしたのである。

 

 加古川トライアルパークとは、こんなところにある。最近は、情報はよく管理されているので、初めての場所でも何とか行くことができる。

    

 

  一般道からはずっと奥まった山中だが、何とかたどり着くことができたのである。

    

 

 トライアルを観るのは、実は初めてなのである。

 こんな動画に収めてきたが、なかなか上手く乗るものである。 

  https://www.nicovideo.jp/watch/sm34361368

 

    

 

 たまたまだが、かっての『トライアル・チャンピオン』の近藤博志さんにもお会いすることができた。

 

    

 『近藤博志さん』どこかで会ったと思ったのだが、今年最後のZ1会に初参加されて、そこでお会いしたのだが、神戸木の実の金谷秀夫と関係が深かったようで、私は初めてだと思ったのだが、昔話は共通点が沢山あって、山本隆さんと3人で、昔話を大いに楽しんで戻ってきた。

 今は、こんなスペインのトライアル・マシンを扱っておられるようである。

    

 

  ★ 加古川トライアル・パークは、こんな加古川の山手にあるのだが、

    

    

 

    

 

    

 

  既存の施設としては、『闘犬場』が主なのである。

 そんな既設の建物の前には、こんな『闘犬大会』の記念碑が建っていた。

  

    

 なかなか楽しい半日であった。

 今回は、山本隆さん、手首を痛めて出場しなかったが、今度出る時にもう一度観に行きたいと思っている。

 

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来年国家予算・防衛費・日米安保・沖縄基地&憲法改正

2018-12-23 07:23:34 | 私の生き方、考え方&意見

★最近話題になっていること『来年国家予算・防衛費・日米安保・沖縄基地&憲法改正などなど・・・』いろいろ言われているが、自分で確り解っている訳でもないし、自分の意見を確りと持っている訳でもないのだが、それなりの関心だけは持っている

 日本の国民一般の方たちは、ホントにどれくらいちゃんと解っているのだろうか?

 マスコミはよく『アンケート調査』で国民の声を聞いたりもするのだが、チャンと解った上で答えているとも思えないのである。

 

 ● 来年の国家予算の額はとうとう100兆を超えたという、いろいろと出費がかさむのも解るが、ホントに将来大丈夫なのだろうか?

 ● 防衛費も5年連続で増え続けているが、これも周囲の状況を見ると仕方がないのかな?

 ● 日米安保条約の役割の変化があるのか?

 ● 沖縄基地問題、辺野古問題も埋め立てずに済むのならそれがいいに決まっているのだが、そうもいかないのでは?

 ● 憲法改正は安倍内閣、ホントにやるのかな?

 

★昨日、テレビを観ていたら、途中からだったがABCで、『安全保障の㊙真実』というのをやっていた。

 コメンテーターはなかなか多士済々でオモシロかった。

 

    

 

 

日米安保は非常に強力だとは言うが、かっての米ソ対立の冷戦時代からみると、アメリカの意識が変わってきているというのは理解できる。 

すべてをアメリカに任すのではなくて、『自分の国は自分で守る』のは、世界の常識なのだろう。

 

   

 

その『防衛計画の大綱』の中に、新たな概念として『多次元統合防衛力』があり、その対象範囲の中に『宇宙、サイバー、電子戦の能力を向上』とあったのは時代だなと思った。 そんな総合力向上のために、空母がいるのかも知れない。

 

   

 

 これは、どのように『呼び方を変えてみても、間違いなく空母』である。

 政府も『なぜ空母が要るのか』を真正面から説明したほうが、解りやすい。

    

 

 野党がこのように言うのは、当然かも知れぬが、今日本が置かれている立場をちゃんと認識した上での発言とは思えないし、

 『憲法改正にも反対』だろうから、『なんでも反対党』のような存在でしかない。

 

     

 

 テレビ番組だから、それなりにオモシロく纏めてはいたが、問題は『オモシロい』だけで済まされぬ大きな問題だと思う。

 

     

 

 ★私自身は、一言で言うと『今の憲法』では矛盾がいっぱいだから、『憲法改正はMUST』だなと思っている。

 安倍内閣の間に、是非『憲法改正』をやって欲しいなと思っているのだが、果たしてどうなるのだろう?

 国民は、ホントに『今の憲法のまま』でいいと思っているのだろうか?

 

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カワサキジェットスキー物語 9

2018-12-22 08:28:20 | ジェットスキー&KAZE

★ 今回『カワサキジェットスキー物語』をスタートして、当時の福井昇くんや松口久美子さんなどの協力で、やっと創成期のジェットスキー事業を時系列に纏めることができたと言っていいし、この当時のジェットスキーについて、

やっとこの程度に纏めることができたのである。

          

 

 ● 1971年米国人ヤコブセンの特許に、発動機の400ccのエンジンを搭載したJS400を開発し、72年からKMCのリンカーン工場での生産を開始した。

● 1973年からKMCが発売元でアメリカ市場へ出荷・販売されたが、日本では西武自動車がその年から逆輸入し、カワ販の孫会社KATが僅かながらボート屋さん経由で販売を開始している。

● その後アメリカでは、その使われ方としてレース需要が起こり、76年頃にはIJSBAというレース協会も設立された。

● 当時の販売台数は年3000~4000台で推移、そのエンジンは日本の発動機事業部からKMCリンカーン工場に出荷されていたが、KMCの親である単車事業本部には関係ない子会社KMCの製品としての販売であった。

● 1977年にはJS440も発売されるが、レース関係からは馬力不足からの馬力アップ要求があり、明石発動機事業部内に550ccへのボアアップ開発チームが結成され、1982年に550ccの発売が開始されることになる。

● その当時1980年頃から、オイルショック・ハーレーダンピング・HY戦争などの影響もありKMCの単車販売が減少した結果の在庫過多などからKMCの経営は大赤字になり、81年から髙橋・田崎コンビでのKMC再建が図られ、82年から明石の企画体制を含め抜本的な単車再建計画が講じられて83年度からは大庭本部長体制となるのである。

● そんな中、リンカーン工場で生産していたスノーモービルが雪不足による販売不振に陥りリンカーン工場の生産維持がムツカシイ状況になったのだが、その時発売されたJS550の生産規模を一挙に2万台ベースにまで上げるというKMC田﨑社長の判断が当たって、ジェットスキーの販売台数は一挙に24000台にまで増大し、KMCの経営にもリンカ―ン工場の操業度にも大いに好影響を与えるのである。

●この1983年のジェットスキーの販売台数増加を見て、84年度には明石の単車企画室内で武本一郎部長が、『ジェットスキーの単車事業本部の正規製品化構想』を打ち上げ、私もフォローしたので、単車技術部内では単車事業部としてのジェットスキー開発がスタートし、国内販売関係でもレース関連のJJSBA設立のため11月に苧野KAT社長と私が渡米し、IJSBAの了承を得るのだが、その仲介をしてくれたのが田崎雅元さんなのである。

 

★いろんな経緯はあったが、当時の単車事業本部の中で、ジェットスキー・プロジェクトが立ち上がったのは、1985年度からそのスタートが切られたと言っていい。

1985年度

●1985年度2月には、単車技術部の開発計画にJS300とX2の開発が計上されることになり、その開発が具体的にスタートを切るのである。そのために発動機から西田さんなど数人が単車技術部に異動したようである。

●7月には企画室内で武本一郎部長がジェットスキーに関する報告書を纏めている。

 欧州・豪州での販売網方針・品揃えとしてのJS300A,B 並びにその明石生産体制など詳細に亘っている。

●8月にはオーストラリアから帰任した鶴谷将俊さんが企画室内で独りジェットスキー・プロジェクトをスタ―トさせるのだが、その時期が単車事業本部の中に正規にジェットスキープロジェクトが立ち上がった時期だと言っていい。

●それ以降の動きはまさにスピードがあって、9月・10月には鶴谷・古谷でドイツ・スイス・スペイン・フランス・イギリスの市場調査を行ったし、スペインには駐在事務所を創り、藤元さんが駐在したのである。

    

1986年度

● この年の1月には、ヤマハの小宮常務が訪問されて、ヤマハもこの分野に進出するというご挨拶があったのである。多分、ヤマハさんは、カワサキがこんな形での事業進展になっているとはご存じなかったと思うのだが、カワサキとしてはプロジェクトチームが立ち上ったばかりだったのである。ヤマハさんもアメリカの市場が一挙に24000台になったことが、この業界への進出を決心されたのだと思うのである。

●3月には発動機事業部から、ジェットスキーの開発にも従事し、且つJJSBAのレースなどにも出場していた福井昇くんが企画室に異動し、プロジェクトチームに加わることになり、4月以降ヨーロッパ市場開拓に西田・福井コンビで2回にわたり延べ3ヶ月の市場調査などに当たっているのである。

●この年の6月末には山中湖でJJSBAのレースが開催され、私も初めて現地で『ジェットスキー・レース』なるものを実際に観ることになるのだが、その前夜祭に出てみて、二輪レースとの違いにビックリしてしまうのである。その前夜祭には100人以上が集まって開催されたのだが、男性はタキシード姿、女性はロングドレスの正装で、まさにヨーロッパのパーテイーさながらだったのである。

当時は関東は西武自動車、大阪は大南商会系の裕福な層が多かったのだとは思うが、ごく最近、村島邦彦さんにお会いしたらその場におられたようで、カワサキからはJJSBAの苧野会長は勿論だが、種子島経・岩崎茂樹・宇田川勇さんたちが参列されていたようである。

●この年の9月には、単車事業本部の初めての開発機種になるJS300の試作艇が開発中で、その艇に福井昇くんが乗り『試乗レポート』を書くのだが、それが酷評に近いものだったことなど、前回にちょっと触れたが、たまたま福井くんが家に訪ねてきたのでいろいろ聞いてみると、この艇では安定性がないということで、国内などには最初に発売されたのはこのJS300Aではなくて、JS400の舟艇にKX250のエンジンを乗せたJS300B だったようである。

●福井くんによると、この時期には単車事業本部の中にもジェットスキーのテストライダーとして金森稔さんなどが、二輪ライダーから転向して担当していたようである。金森さんも後、世界チャンピオンになり、今はアメリカKMCにいるのだがJSとの出会いが彼の人生を変えたとも言えるのである。

 

1987年度

● 87年度には、5月に単発合併があり、ジェットスキーを正規に扱う組織が営業総括本部に出来て、鶴谷将俊さんが担当し、同時に国内に関してはカワ販の孫会社KAT の社長は苧野豊秋さんが従来通り兼務され、JJSBA初代会長も兼務されたし、このKATについても鶴谷さんが関係すると同時に、カワ販の内部から藤田孝明・宇田川勇さんなど販売網や技術関連の実力者が担当することになったのである。

● 国内の販売網についても、従来の西武自動車関連のボート屋さんからジェットスキー専門販売店網『ジェットスキープラザ構想』を立ち上げ、86年3月には、神戸と東京に『プラザ神戸』と『プラザ都』を、6月には川崎重工業を退社して福井昇くんが、実質的な第1号店『プラザ明石』がスタートすることになるのである。

● ヨーロッパについても6月にJS販売会社構想をまとめ9月には藤元社長でスタートを切ることになった。

 

1988年度

● 88年度にはアシックスとのJS関連での提携、国内ゲレンデ第1号として直入町芹川ダムなどがスターとするのだが、この年の最大イベントは何といっても9月に開催された『ソウルオリンピック』での開会式当日のデモンストレーションである。

 日本・アメリカ・ヨーロッパ・オーストラリアからの男女トップライダーを集めてのもので、こんな走行写真を松口久美子さんが送ってくれたのである。

 

 『オリンピックの写真で奇跡的に一枚だけありました。間瀬晴之さんという方が撮った写真です。』とのコメント付きである。

 

        

 

苧野会長と天満選手・ワールドチャンピオン ラリーリッペンクローガー選手と松口です

          

 

★この世界的なイベントに参加することによって、『ジェットスキー』なるものが世の中に知られる端緒にもなり、川崎重工業の内部にも認識されることになるのである。

このカワサキジェットスキー事業展開の創生期は、この時期から1996年ごろまでの10年間と言えるのだが、この時期中心になってこの事業展開に当たってくれたのが鶴谷将俊さんである。

この事業展開は単なるJSの販売だけではなくて、そのベースにあるJJSBAのレース活動など、その遊びの展開こそがキーだと思って、『遊びの専門会社・ケイスポーツ・システム』などを中心の展開になるのだが、この時期二輪もジェットスキーも、カワサキ国内市場で最高の時期を迎えることになるのである。

 88年の9月ソウルオリンピックのあと、私は88年10月からはカワサキオートバイ販売専務として3度目の国内市場担当となるのだが、このジェットスキープロジェクトも、兼務のKJS社長としてお手伝いすることになるのである。

 

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Jeff Krause さんからのメッセージ

2018-12-21 16:52:47 | 発想$感想

 こんな写真と一緒にこんなメッセージが Facebook に届いた。

 ずっと昔のKMCの創生期のことである。

 

 

Hello Furuya-San,
I am the son of an AKMC founder. My father was hired in late 1965 or early 1966.
It was perhaps Alan Masek who hired him. The name was Darrel Krause.
Darrel told me some stories which I compiled into a LinkedIn article.
I have some other photos from AKMC in the states.

Darrel worked under Yoji Hamawaki, Alan Masek, Ryozo Iwaki and others.
I would like someone to translate and share this article with KHI fans in Japan.
 
 創設当時のKMCのことが書かれている。
 
Jeff Krause さんから、Facebook でトモダチ申請が来て、OKしたら折り返しこんなメッセージが届いた。 
このブログにアップして、Facebook に流したら、多分 Jeff Krause さんが仰ってることは、日本のみなさんにも通じると思うので、このブログをアップした。
 
このブログは、英文に自動翻訳されたりするので、Jeff Krause へのご返事になるとも思っているのである。
 
リンクをクリックしてみてください。
 
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札幌の大爆発で、なぜ死者が出なかったのか?

2018-12-21 16:27:38 | 発想$感想

★あんな大爆発の事故だったのに『なぜ死者が出なかったのか?』は、みんなが感じた疑問だと思う。

 ちょっと長いがこんな記事が出ていたので読んでみた。

     

       http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55021

 

 『消臭スプレー缶の爆発』はそんなに大したことではなくて、こんな大事故になったのは記事の表題のような大爆発ではなく、『プロパンガスの小爆発による火事だったから』だと書かれているように思うのだが、それで合っているのだろうか?

 

★冒頭の書き出しはこんな記事で始まっている。

 

札幌市豊平区で12月16日夜に発生した雑居ビル爆発火災事故、当初は「プロパンガス」が爆発か、などと見られていました。ところが、不動産仲介業者が「消臭スプレー缶」のガス抜きをしたのち、瞬間湯沸かし器で手を洗おうとして引火したのが実際に起きた爆発で、プロパンガスによる火災は2次災害だった詳細が報道されるに及び、にわかに「スプレー缶は怖い」といった論調の解説があふれ返っているようです。・・・・

こんな文章が続いている。

実際には瞬間的な温度上昇などもあり、インパクトはより大きかったはずです。ただ、窓ガラスなどは割れるかもしれませんが、建物全体に与えるダメージには限界があると思われます。実際、2階の飲食店にいた来客も、ボン!という音は聞いたけれど、それだけでは誰も逃げ出さず、食事を続けていたとの報道がありました。しかし、お客は直後から「ガス臭いぞ・・・」と思い始めます。

そう、この小爆発でプロパンガスの配管が壊れる、あるいは抜けるといった異常が発生したことが考えられます。やがてこのプロパンガスに火がついて、2次災害として火事になった

 こうなって初めて、飲食店のお客は逃げ出そうとし始めますが、火の手が階下から上がっていたので、窓からのはしご車による救出を待ったそうです。その途中でさらに3次災害として、2階の床つまり1階の天井が崩れ、2階に残っていた人が転落したとのことですが、この崩落のおかげで火の手にまかれず、脱出できたケースもあったとのことでした。・・・・・

スプレー缶爆発も、ただ「怖い怖い」と煽るような報道ではなく、その威力の程度を定量的に評価し、また軽微な初期爆発結果生じたプロパンガス漏出による2次被害の拡大を食い止めるなど、現場での冷静な対処があれば結果も違っていた可能性があります。

 

★ このような経緯の爆発だったので、結果はあんな大事故なのに幸いにして死者が一人も出なかったのだと理解したのだが、ホントに合っているのだろうか?  近くのビルの窓ガラスなどが割れているのは、やはり爆発の被害なのだと思うが、それは『スプレー缶』ではなく『プロパンガス』の爆発だったのだろうか?

 全く自信がないので、理科系に強い方はよく読んでみてください。

     

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結婚記念日

2018-12-21 07:42:04 | 発想$感想

★今日は12月21日、56回目の結婚記念日である。

昭和37年(1962)12月21日に結婚したので、50年以上にもなると、1年のうちの単なる1日になってしまっていて、特別な感慨もないのだが、二人とも何とか元気に過ごせているのは何よりだと思っている。

 最近は、二人で写した写真なども殆どなくて、この秋もアメリカに1ヶ月半も一緒に行ってはいたのだが、その時の写真はこんなに沢山あるのに、二人で写した写真など、私のカメラの中には殆どないと言っていい。

 

     

     

 

  これは、ロスの空港に着いた時、娘が撮った写真で、今回のアメリカ旅行第1号の写真で、これは二人で写っている。

     

 

  この2枚も、エンゼルスの球場に、大谷翔平を観に行った時に誰かが写してくれたものである。

      

 

 

娘婿の勤めている会社 JAEがエンゼルスのスポンサーをしている関係で、こんなネット裏の特等席で、ビールを飲みながらの贅沢な観戦経験は、はじめての経験だった。

    

 

★まあ、二人とも何とか今のところ健康なので、何とかなっているのである。

4人いる孫たちも、一番下が18歳になって、3人は来年からは社会人になるということになってしまったが、それでも何となくそんな孫たちと付き合えているのは、私がFacebook などやってるからで、ホントにたまにだが、私のFacebook に『いいね』が届いたりして、それを喜んでいる私なのである。

孫たちが頼りにしてるのは圧倒的に『おばあちゃん』で、何かを頼もうとするときには、私は全く『頼りにならない』と思っているようである。何か欲しいものがあったり、いろんなことで相談する相手は『おばちゃん』なのである。

 

★ それにしても、結婚記念日がなぜ年末のこんな時期に?

56年前の頃は、会社が忙しくて年末の区切りのいい時でないと、結婚式や新婚旅行など、とても言いだせないくらい忙しかったのである。

カワサキの単車事業が始まったばかりで、未だ単車営業課が発動機事業部の一営業部門として初めて出来たころで、大袈裟に言うと今の企画室・関連事業部・品証部・営業部・広告宣伝などの各機能をすべて数人で担当していた時代なのである。カワサキ125B8の時代である。

 因みに、明石工場に単車の一貫工場が出来たのが、昭和35年(1960)、初めて発動機部門の営業部門の中に『単車課』が出来たのが、昭和36年12月、その時私はその単車課に異動して、ちょうど1年目が結婚記念日なのである。

 確かに、会社の仕事も忙しかったのかも知れぬが、家内とのデートも忙しかったのかも知れない。

 それに比べたら、56年後は誠に静かな何もない1日なのである。

 

 

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カワサキMX・OB会 二輪車新聞の記事

2018-12-20 13:36:31 | 発想$感想

 

★ 二輪車新聞の『編集部便り』というネット記事があることはあまりご存じないと思う。

 そんな『編集部便り』という記事をカワサキを担当されてもう60年もにもなろうとしている衛藤誠記者も発信されている。衛藤さん、ネットはどうも不得手のようでこの記事を書かれるのも大変なご苦労のようなのである。

先日と言ってももうだいぶ前の10月13日に開催された『カワサキモトクロスOB会の記事』がやっとアップされたようなので、『出席者の方々に知らせてあげて下さい』とわざわざ私に電話があったのだが、皆さんに電話をするのも大変なので、そのままここに転載しますので、是非お読みください。

 

   

 

 

 

2018-12-17

カワサキMX・OB会開く “KD”誕生から45周年に集う

「2018年・カワサキ・モトクロスOB有志の会」(大津信代表世話人)が10月13日(土)、兵庫県明石市内のホテルで開催され、関東、九州など全国各地から100人を超える同OBたちが出席した。

この会は、カワサキ・モトクロスの車両開発、レースライダーおよび同関係者などを中心としたOBたちの集まりで今度が2回目の開催。初回はカワサキモトクロスマシン「KD」が誕生して40周年の2013年に、今回はその45周年の節目での開催になったもの。特に今回は、”米寿”(88歳)を迎えなおかくしゃくとした大槻幸雄氏(工学博士/元川崎重工業常務取締役)をはじめカワサキ・モトクロス黎明期の車輌開発に携わった人たちや、往年の活躍したライダーなども多数顔を見せた。

当日は、冒頭、百合草三佐雄氏(川崎重工業/以下KHI・OB)が「本日の集まりを御世話頂いた人たちのご苦労に感謝申し上げる。ここにご出席の皆様は、共にカワサキ・モトクロスに情熱を燃やした仲間たちで、お会いする人たちのお顔に接するごと、その時の場面や出来事が次々と想いだされ、気持ちも若返る思いである」旨のあいさつを行った。

このあと、KHI・MC&Eの太田和男カンパニープレジデントから寄せられた「カワサキ・モトクロスOB有志の会が盛大に開催されたことを心よりお祝い申し上げます。おかげさまで当社のモーターサイクル事業は堅調に推移していますが、これも皆様が築き上げてくださった礎あってのことであり、感謝を申し上げます。今後とも事業のさらなる発展のために、皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げますーー」(概要)としたメッセージを大津代表世話人が代読した。

会場ではこのあと、出席者の紹介に続いて▼大槻氏による「マシン開発の想い出」(氏はモトクロスマシンのほか、オンロードの”Z1”開発の父として知られる)▼種子島経氏(KHI・OB)による「モトクロス世界GP挑戦記」(氏はKHI退職後BMWジャパンのMC事業部長・社長を歴任)▼井上一美(KHI・OB)による「レース参戦の思い出」▼平井稔男氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)による「裾野を広げるチームグリーン」などの講演があった。

このほか古谷錬太郎氏(KHI・OB/米国旅行中のため欠席)から託された特別寄稿「カワサキ・モトクロスの始まりとその意義」を大津代表世話役が代読した。さらに出席者の中には、元ホンダのモトクロスチーム責任者の渡辺信義氏や日本二輪車文化協会会長・前AJ会長の吉田純一氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)などの顔もあった。

また、カワサキ・モトクロスファクトリーライダー(以下KRT)として活躍した往年の名選手▽立脇美樹夫氏▽福本敏夫氏▽鈴木都良夫氏▽塚本昭一氏(後にロードレースに転向して活躍)のほか、元KRT監督の安井隆志氏、元カワサキ・ロードレースファクトリーライダーの多田喜代一氏(KRT・OB)も特別参加した。さらに現在、モトクロス日本GPや全国各地区のブロック選手権レースで活躍する若いライダーたちもゲストとして招かれ紹介された。

なお、記念パーティーではKMJ・OBの渡部達也氏が乾杯の発声を行い、また最後の閉会にあたっての締めのあいさつでは、KRT・OBの岡部篤史氏が行った。このあと会場内で出席者全員の記念写真の撮影をして閉会となった。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


代表世話人の大津信氏


大槻幸雄氏


百合草三佐雄氏


種子島経氏


出席した往年のライダーたち(KRTファクトリー)。右から、立脇美樹夫氏、岡部篤氏、藤秀信氏、福本敏夫氏、安井隆志氏(元KRT監督)、鈴木都良夫氏、多田喜代一氏、塚本昭一氏


出席者全員で乾杯。発声は渡部達也氏


出席者で記念撮影


ゲスト参加した元ホンダモトクロスチームの責任者だった渡辺信義氏


立脇美樹夫氏㊨と福本敏夫氏


多田喜代一氏㊨と塚本昭一氏

 

 こんな吉田純一さんの記事もあったので・・・

 

2018-11-30

二輪車業界団体で初 吉田純一氏が旭日小綬章を受章

経済産業省推薦 平成30年秋の勲章

平成30年秋の勲章において、経済産業省推薦で、全国オートバイ協同組合連合会(AJ)元会長の吉田純一氏が、二輪車業界団体では初となる旭日小綬章を受章した。1112日午後1時から東京プリンスホテル(東京都港区)で開催された伝達式で勲章の伝達を受けたのち、皇居に参内して拝謁した。

吉田氏の今回の受章は、それまで存在していなかった全国的な二輪車販売店の集まりを、「全国オートバイ協同組合連合会」として、全国組織団体としてまとめあげてきたことなど、長年にわたるその功績をたたえたもの。経済産業省製造産業局推薦により、二輪車業界団体として初の受章となる。

伝達式では、211人の受章者(参加は197人)全員、経済産業省からは磯﨑仁彦経済産業副大臣および幹部らの出席のもと、受章者に勲章が手渡された。

今回の受章について、吉田氏は「自分たちで自分たちの地位向上と二輪車を取り巻く環境改善をしよう、そのために二輪車販売店の全国組織を作ろうとやってきたが、今回その働きで旭日小綬章を受章ということで、公に認めてもらえたことは嬉しい」と喜びの言葉を述べるともに、「今回の受章はひとえに福井君(福井二朗氏・元AJ専務理事、現大阪オートバイ事業協同組合専務理事)が私の片腕となって働いてくれたおかげであり、彼がいなかったらここまで来られなかったと思う。今やAJは大きな組織になることができたが、これからは次の大村直幸会長にリーダーとして頑張ってもらい、自分は側面から、特に政治面で力になっていきたい。AJは最初から政治に関わってきた。二輪車業界の人は政治的なことにあまり関心がなかったが、もしAJがなかったら、今の二輪車業界はどうなっていたかと思うことばかりだ。AJという全国組織を作って、政治的なことをやってきたことが結果、二輪車業界にとってプラスになっている」と、受章はあくまで通過点であり、まだやるべきことが数多く残っているとした。

他、今後について「日本二輪車文化協会会長として、今年初となる『日本バイクオブザイヤー』を開催するが、二輪車の安全な発展推進を目指し、二輪車を文化面でも盛り上げていきたい」と語った。


吉田純一氏(70歳)

1977年カワサキ堺販売を設立後、84年に大阪オートバイ事業協同組合を設立し理事長に就任。92年には初の二輪車販売店の全国組織・全国オートバイ組合連合会(現全国オートイ協同組合連合会)を設立し、2016年まで24年間にわたり会長として尽力。現在、大阪オートバイ事業協同組合理事長、大阪府中小企業団体中央会常任理事、オートバイ政治連盟会長、日本二輪車文化協会会長など多くの役職を兼務。


吉田氏(勲章伝達式で)


受賞者代表に勲章を伝達する磯﨑経済産業副大臣()


経済産業省推薦において、今回211人が受章(前列右から6番目が吉田氏)


伝達式のようす

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