雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木市民プールと 三木

2015-02-27 19:46:59 | みっきぃふるさとふれあい公園

★今日はホントに何年振りかで、三木市民プ―ルに泳ぎに行った。

Facebook にそのことをアップしたら、沢山の『いいね』と コメントを頂いた。

 

 

 

   

 

  こんなコメントがいっぱいである。

 

  

 

 このプールは本当に気持ちがいい。

少なくとも私が知っている日本のプールで、ここに優るところを知らない。

私は当時のことをよく知らないのだが、 

加古市長の時には、三木市のイメージが一変するような、素晴らしい建物などがいっぱい出来たようである

そんな時代だったかも知れないが、このプールもその一つだろう。

 

  

 

こんな廣い綺麗な庭園付きで、夏になれば水着のまま散策も出来る。

 

 

 

★プールに限らず、私がネットにアップした数々の、三木の写真、ちょっとだけご紹介してみよう。

 

 

 

これも加古市長の時に創られた三木市役所である。 

その前の市役所を知っているので、よくまあこうも思いきったものだと思う。

毎年の三木金物祭りはここで行われる。

 

  

 

 三木の特徴はその広さだろう。 豊かな広大な自然の中に街がある。 

かすかに見えるのは淡路島、てっとらしきものは、明石海峡大橋の支柱である。

そして当然のことながら広大な土地を走る道は綺麗である。

 

  

 

   

 

 この道の右側に、私の住む街、緑が丘がある。

 

  

 

 いま、この街の活性化を 燦々SunSun で  http://www.thegoodtimes.jp/sunsun/

みんなでやろうと、スタートした。

 

 

 

これはホースランドパーク

 

 

 

こちらは三木総合防災公園  どの公園もゴルフ場が幾つも入るほど広い。

 

      

 

こちらは、三木森林公園と 細川の自然公園

これらの写真、その殆どが私がネットに発信したものである

そう言う意味では、間違いなく『三木のイメージの高質化』 には幾らか貢献していると言えるだろう。

 

 

★そんな三木市で、一番残念なことは、 歴史的な遺産でもあった 三木鉄道 を失くしてしまったことである。

現在の市長 薮本吉秀 さんの間違った判断であったことは明らかである

 

   

 

 100年前に創られた、その姿のまま、残っていたこんな遺産 のような鉄道が

 

       

 

 今はこんな無残な 姿をさらしている

 もう二度と昔の姿には戻らないのである。

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ホリエモンの発想と私

2015-02-26 16:14:09 | 私の生き方、考え方&意見

 ★ ホリエモン、大好きである

以下は、Facebook にアップしたものそのままである。

 

ホリエモンは、最初の出始めのころから大好きです。

『言われてること』 全く共感です私はその通りに生きています

私の周りには異種、異質の天才みたいな人がいっぱいです。

NPO The Good Times は、それを『仕組み』で完成しているのです。
http://www.thegoodtimes.jp/


自分に足りないところは、いろんな人の協力を得たら大丈夫です。...

81歳でも、部下などいなくても、お金などなくても、権限も職位などなくても、『自分のやりたいこと』結構今でも出来ています。
『共感ネットワーキング』の賜物なのです。

 
 
 
 
 
★ホリエモンが、世間からボロかすに云われてた時期も、ずっと彼を好きだった。
 
好きを通りこして』 株など一度も買ったことがナイのに、『ライブドアの株』だけは買ったら、どんどん上がるものだから喜んでいたら、
一気に暴落して、私にすれば、大金を損したが、それも記念にと1株も売らずに持ったままにしている。
 
彼のファンになった理由は、発想がユニークで、マーケッテングが解って、いろんな意味で『潔い』からである。
 
その発想は、似通ってる部分が 『大あり』 なのである。
 
 
『自分にない能力は努力して身につけるな』
 
これは、まさに私が一途に貫いてきた生き方である。 
 
 
不得意の分野など、一生懸命勉強してみても無駄だと思っていた。 
 
でも、不得意の分野がまたいっぱいあって、 技術関係は解らないし、文系でも法律などの専門分野がまたイヤなのである。
 
そんな専門家の分野は、専門家に任せばいい。 幾ら頑張ってみても、なかなか専門家にはなれないのである。
 
 
 
然し、自分がちょっとやりたいことは、 そこそこのレベルまでは、努力しないと、『気がすまないのである
 
具体的に言うと、ゴルフは、ハンデー10 になるまでは無茶苦茶練習した。42歳でゴルフを始めたが、1年半ぐらいで10になった。
 
ハンデー10  になるとそれ以上、公式の資格などは決して追っかけたりはしないのである。 
シングルになってみても、2や3にはならないだろうし、そんなこと目標にしたら、しんどいだけだと思ってしまうのである。
 
だから、私の人生の生き方はすべて、ハンデー10 の生き方 だと言っていい
 
世の中一般に資格を欲しがるのだが、 どうも資格がイヤなのである。
 
碁は初段を取れと、ダンスも教師の免許をと言われて、そこで止めてしまった。
 
そこそこの実力さえあれば、資格など、或いは職位など拘らない方が、オモシロく 生きれるはずである。
 
 
 
★そんな風に、人生を生きたので、結構楽しくオモシロく生きることが出来た。
 
あと3日ほどで82歳だが、 満足出来る人生だったと思っている。
 
一番欲しかった 『職名 相談役』  を頂いて今大満足なのである。
 
社長、会長、理事長、顧問 など世の中に捨てるほどいるし、一応は呼ばれたりもしたが、 なかなか 相談役 とは呼んで貰えないのである。
 
 
ホリエモンが言うように、自分の能力のないところは、人に援けて貰って、自分の得意な分野を確りやった結果だと思っている。
 
自分の得意な分野 = 単純なことを毎日続けて積み上げていくことなら、絶対に負けない自信がある。
 
小さなことがちゃんと出来ない人に、大きなことなどホントは出来ないのでは、と思ったりしている。
 
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神話の世界

2015-02-26 07:30:59 | 発想$感想

 ★ Facebook にこんな記事が載っていた。

こんなに詳しくは習わなかったが、小学校の頃、習った日本の神話の歴史である。

当時確か昭和15年は紀元2600年の記念すべき節目の年で盛大なお祝い行事もあったように思う。

 

史実として正しいかどうかは別にして、

このような神話の世界が語り継がれてきたことは事実なのである。

それを日本の独特の神話の世界として、伝えたりすることがなぜイケナイのか?

日本人の心 日本人の美しい生き方、日本人の発想  みたいなモノがそこにはあるように思う。

 

敢えて、取り消された原文が載っていたので、

そのままご紹介してみたい。

 

 

   http://www.sankei.com/smp/life/news/150222/lif1502220014-s.html

 

 ≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

 古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)

 

  

 

 こんな話は、仮に創作であったとしても、いい話だと思うのである。

 

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藤本喜子さんとお会いして1ヶ月

2015-02-25 07:29:46 |  燦々 Sun Sun

★1月24日、関西国際大学で松本茂樹先生が主宰された『公開講座』で藤本喜子さんとははじめてお会いした

それから、ちょうど1ヶ月だが、1月末の神戸ベンチャー研究会でもお会いしたし、昨日二度目の三木訪問で、4回お会いしたことになる

1月に立ちあげた燦々SunSun のプロジェクトリーダーも引き受けて下さったので、今後も、いろいろと密接な繋がりになるのだろうと思っている。

 

   

 

この写真の、緑の女性である。

81歳になるまで、正直女性と一緒に仕事らしきものをしたことは、一度もないのだが、

昨秋以来注力している 燦々SunSun の原動力になっているのは 殿界寿子さんという女性である。

 

さらに、藤本喜子さんが加わってこの活動の中枢になるであろうことは間違いないなのである。

正直、仕事という分野で、女性がこんなに迫力があるということの発見でビックリしている。

熱っぽいし、反応もスピードも速いし、

躊躇なくプロジェクトリーダーに藤本喜子さんを推薦したのは私なのである。

 

 

★こんなバイク雑誌があったことは、私は知らなかったのだが、

そのバイクのモデルをしている、旧姓 古市喜子さん、 未だ早稲田の学生さんの頃だという。

KWASAKI Z1 FAN CLUB の仲間の間では、藤本さんをトモダチ紹介すると直ぐ何処からか 

ジパングツーリングのモデルをしていた藤本喜子さん』 という情報が流れてきたのである。

ご本人に聞いてみるとその乗り方は半端なものではなく、転倒骨折など何度も経験されている、本格的な?バイクライダーなのである。

 

  

 

 

 

★1月末の、鄭剣豪さんがスピーカーを務められた神戸ベンチャー研究会にも、出席されて、

その時の剣豪さんとのツーショットを、今はFacebook の表紙に使っておられる。

 

 

 

この会合の時の写真を、主宰者の松本茂樹先生がこんな風に紹介されているが、その写真の中にも、藤本喜子さんの姿がある。

真ん中の男性は高嶋正治さん、剣豪グループで今後社長で引っ張られるとか・・・

みなさん、仲間になる可能性大なのである。

 

   

 

この時が藤本さんとお会いした2度目、

そして、3度目は三木のGood Times Plaza まで、子どもさんを連れてわざわざお見えになったのである。

その時の写真、登山さんに写して頂いた。

これが2月9日のことである。

 

  

 

 

そして昨日、 燦々Sun Sun のプロジェクトリーダーとしてどのように対応すべきかということで、三木までお見えになったのである。

午前中は、殿界さんのところの事務局で、こなやの垂井さんご夫婦も入れて、午後はさらに4時過ぎまで延々と熱っぽい雑談が続いたのである。

この活動力と熱っぽさには、ビックリである。 

 

 

 

 こんな錚々たる男性陣のプロジェクトリーダーたちに伍して、そのやる気度は相当なものである。

垂井健さんとの神戸ベンチャー研究会コンビでの今後の活動が期待されるのである。

推薦人は私 になっているので、私も頑張って応援したいと思っている。

 

    

 

もうひとりの殿界寿子さん、 どのように動いたのか?

緑が丘サンロード理事長の田原さん田原文具さんが、正式に、燦々SunSun 団体会員に参加なのである。

 

 地域活動のまちおこしをテーマに、スタートして1ヶ月、順調に推移している。

6年前のNPO The Good Times のスタートでは、半年かかってやっと形が見えたのだが、

今回の燦々SunSun では、僅か1ヶ月で、ホームページ http://www.thegoodtimes.jp/sunsun/ も出来たし、こんな女性陣の活動もあって恰好がついたなと思っている昨今なのである。

関西国際大学の松本茂樹先生が主宰される『神戸ベンチャー研究会』も、非常によく機能している。

この週末は、またその神戸ベンチャー研究会で、また何か進展があるかも知れないのである。

          

 

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2月のバラ

2015-02-24 05:58:21 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は暖かかった。 春ももう近いのかなと、そんな期待をする2月20日過ぎである。

2月のはじめに冬剪定をした庭の薔薇たちもその新芽が動きだした。

バラを育てていて一番ワクワクするそんな時期である。

今の段階は、毎年のことだが、『今年こそ立派な花が咲くに違いない』と期待に胸ふくらますそんな時期なのである。

 

 

 未だ、こんな感じだから、育て方のうまい下手が現れていない。

この芽に花が咲くのだという ただそれだけのレベルである。

 

 

  

 

木薔薇も剪定した枝から、いっぱいの芽を覗かせている。

 

 

    

 

  つる薔薇、昨年は枝が伸びたので、玄関の屋根下に、蔓を引き込んだ。

構想通りなら、ここ一面がバラで埋まるはずなのである。

果たして、6月にどんなバラ園をお見せできるのだろうか?

3月、4月の手入れを、ちゃんとやること、今現在は『今年は、ちゃんとやろうと』 思っているのだが、つい怠けてしまうのである。

 

初心者の頃は、それこそ一生懸命だったから、むしろ上手く行ったのである。

最近は、ちょっとナメタところがあって、、バラの手入れに掛ける時間が少ないのだと思う。

頑張ってみたい。

今は、そう思っている。

 

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日本モーターサイクル史

2015-02-23 06:36:20 | 発想$感想

★つい先日出会った松浦健児さん https://www.facebook.com/profile.php?id=100004717816348&fref=ts

から、日本モーターサイクル史という1945年から2007年までの戦後の二輪車の歴史を詳細に纏めた冊子をお借りしました。

八重洲出版創立50周年記念企画で発刊されたものです。

 

昭和20年、終戦直後からスタートしています。

自転車にエンジンをつけた、エンジン付き自転車からスタートした国内の二輪メーカーは何社あったのか解らないほどの数でした

私自身は、技術的にもそんなに二輪に詳しくはないのですが、昭和20年がちょうど中学1年生ですから、この時代の変遷と、たまたま川崎航空機で二輪事業スタートの時代から関わったので、非常に懐かしくこの冊子を見ることが出来ました。

     

  

 

 昭和20年代や昭和30年代は、二輪メーカーの数は100社を超していたのですが

モ―タサイクルを扱う専門誌は、この八重洲出版のモ―タ―サイクリストと、モーターマガジン社のオートバイ2誌しかありませんでした。

 

  

  

 この冊子の冒頭の記事を大久保力さんが書かれていますが、

カワサキが二輪事業をスタートさせた当時、 その新機種のテスト記事モ―タ―サイクリストが大久保力さん、

オートバイ誌が横内一馬さんという大モノお二人が担当で、私は当時広告宣伝課にいましたのでよくお付き合いしたものです。

 

その当時のレースは、MCFAJがむしろ先行していて、こちらはモ―タ―サイクリストが、あとから追っかけたMFJは、オートバイ誌が色濃く関係していたのです。

 

 

 このB7がカワサキが一貫生産で発売した最初の機種です。

私は、この機種から担当しましたが、この機種のフレームが今で言う大クレームで、毎日何十台もの返品があり、物品税の戻入のために毎日税務署の方とのお付き合いだ続きました。

昭和36年1月には生産台数より返品台数の方が多くて、生産台数がマイナスになったりしたのです。

若し次のB8が出なければ、青野ヶ原でのモトクロスの優勝がなければカワサキも多くのメーカーがこの事業から撤退したように、撤退していたことは、間違いありません。

私の人生も、全く違ったものになったのだと思います。

 

当時はカワサキもこんなモペットがあり、デザイン賞を貰ったりもしました。

モペットと言えば井関農機の空水冷のエンジンのモペットも生産していました。

 

 

 

 この冊子には、いろんなオモシロイ二輪車の写真がありますが、

これはホンダの自転車にエンジンをつけたCub 号です。

この写真を見るのは私も初めてです。

 

  

 

川崎航空機は、二輪生産に入る前には、歯車生産は非常に高い技術を持っていて、ホンダさんにもミッション用の歯車を提供していたようです。

ホンダさんも一時厳しい時期があったようで、私が入社した昭和32年には、ホンダのバイクが何台もありました。

資金繰りが苦しくて、現物で頂いた、などと言ってましたが、真偽のほどは解りませんが、ホンダのバイクは私の所属した財産課にもありました。

ミッションは当時から東洋工業にも、いすゞ自動車にも販売していた、主力事業でもありました。

 

1250ページもある分厚い冊子ですから、ちょっと時間をかけて見せて頂こうと思います。

 

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孫 古谷 仁 へ

2015-02-22 06:24:30 | 発想$感想

古谷 という家を継いでいくという昔流の発想で言うなら、鎌倉の孫、 『古谷仁』 がただ一人そんな権利を持っている。

私の兄妹も女性ばかりで、男は私1人だし、息子も古谷仁も、男ひとりなのである

あまり、そんなことも考えずに、生きてきたのだが・・・・・

 

そんな古谷仁は先月22歳の誕生日を迎えて、今は慶應義塾大学の3回生だが、この春には就職活動だし、あと1年経つと社会人なのである。

何年か前からだが日記も書いているらしいし、ブログも始めたのだが、殆ど更新もなかったのに、

何を思ったのか22歳になってから、毎日の更新が続いている

 

そんなことで、私も彼のブログを殆どすべて読み返してみた。

 

   

と言っても2012年から2014年までは、殆ど更新はされていないので、そのほとんどはこの2月のものである。

そんな読後の感想を纏めてみたい。

 

 

  

 

 

 ★ 古谷仁、 これは成人式を迎えた2年前の写真だが、写真は山ほどあるのに、まともに写っているのはこれだけだと言ってもいい。

   

    

 

 

  そのもう少し前、高校卒業の頃、

 

     

 

ちょうどそのころ、ブログを始めている。

『10代の1年を無駄にする』 と 『1年間を勉強だけに費やす』のは 1年間を無駄にする、とその感想を書いている。

そのころ『若いころの1年など・・・』と言ったことなど、覚えてはいないが、それは多分誰もがそういう風に言う世の中の慣用句みたいなものだと思う。

 

 

 

その1年、猛烈に勉強したらしい

最初の年は、どこもすべて通らなかったのに、2年目は受験した殆どの大学に通って、今志望通りの慶應大学湘南キャンパスに通っている。

私自身が、学生時代勉強せずに幸運だけで人生を切り抜けてきたのだが、古谷仁にとって、この浪人生活の1年は、本当によかったと私は今思っている。

若い時代に猛烈に勉強することはいいことだ。私はそれが中学の1、2年生の時だったが、今の私の学力はその時得たものだと思っている。

仁も、今塾の先生などアルバイトなどしていて、一流大学志望の受験生たちに英語を教えているという

1年浪人したのに、イヤ1年浪人したからそんなことが出来るのかもしれない

 

これが出来る のは大したことだと思う。

少なくとも私には出来ない。

 

  

 

その当時の、仁のブログに藤田修司さんが、激励のコメントを寄せられている

古谷仁 の4年も経っているブログに、http://jinjinjinjinjinjin.blog.fc2.com/  に唯一寄せられている『コメント』 なのである。

藤田さんの、激励の言葉に感謝である。

 

  

 

 

★最近は、古谷仁 とも滅多に会えないのだが、

唯一ネットの世界で、Facebook や、ツイッターや、このブログなどで会えるので、大体なにをしているのかは解っている。

ホントにたまにだが、私のFacebookに、孫たちからも『いいね』が入ったりするのである。

 https://www.facebook.com/jin.furuya.9?fref=ts

 

  

 

 これが一番新しい、ブログの一節である。

ダンスに熱中している古谷仁、 青春とはそんなものかもしれない。

 

   

 

 こんな髪型してるけど、春からの就活では、変身するのだろうか?

まあ、大丈夫、ひいき目ではなく、普通以上に立派に生きていると思っている。

       

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 人気一番の健康食品  オオムギのこな

2015-02-21 06:57:35 |  燦々 Sun Sun

★ 今年になって、NPO The Good Times の地域活性化の特別プロジェクトとして、 燦々SunSun を立ちあげて活動を展開を始めて、ちょうど1ヶ月になる。

この活動の核となって活動するプロジェクトリーダーたちも、こんな充実したメンバーでスタートする。

 

 

 

 そんな中で、健康食品  オオムギの粉 を扱っておられる 『こなや』の垂井健さんがオモシロイ

従来から、神戸ベンチャー研究会の旧くからのメンバーで活動されていて、 『オオムギのこな』 を町おこしにつなげようとされていて

既に、具体的に三木の緑が丘に、コレも今年になってスタートした 『にしむら・ローフード教室&カフェ』でも取り上げられるようになったようである。

 

       

 

 

昨日Facebook にこんな記事がアップされました。

2015年の健康食品の第1位は オオムギ だそうです。

   http://nikkancareism.jp/archives/52333

 

 

 

こんな記事が出ていた。

 

■第1位:大麦やえん麦など、穀物を原材料にするシリアル

半数以上の51.4%が回答し、1位になったのが「大麦やえん麦など、穀物を原材料にするシリアル」。

シリアルのなかでも、グラノーラやオートミールで効率的にとることができる『大麦』や『えん麦』。

 3大栄養素でもある炭水化物、そして豊富な食物繊維といった栄養素の高さから、テレビや健康雑誌などで取り上げられる機会も増えているようです。

 

 

 これがそのこなやのホームページである。

http://www3.hp-ez.com/hp/konaya3/page1

 

そんなに素晴らしいオオムギだが、 粉にする技術はなかなかムツカシクて、 

三木のこなや さん以外、何処にも売られていないとも聞く

この粉を、買おうと思うと、三木の緑が丘まで来なければならない、ようなそんな仕掛けをして、緑が丘商店街の活性化に繋がらないかなと思っている。

 

燦々SunSun スタート したばかりだが、その団体会員には、こなやさんは勿論、

プロジェクトリーダーになって頂いた、『粟生線の未来を考える市民の会』の世話人代表山本篤先生も、

緑が丘サンロード商店街の理事長、文具タハラの 田原さんも既に名前を連ねている。

 

秋には『三木さんさんまつり』 で活気づく 緑が丘だが、そのころまでには、もっともっと元気なまちに仕上げたい。

既に、二輪の世界では、すでに世界からいろんな人がやってくる Good Times Plaza があるのも緑が丘なのである。

 

 

 

『情報発信力』の差で、 Good Times Plaza と検索したら、カワサキ直営のGood Times Plaza を圧倒してこんな写真が並ぶのである。

緑が丘の街自体、たぶん今年の秋ごろまでには、様変わりしているような、そんな方向を目指したい。

 

NPO The Good Times も7年目にして、『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』という 基本コンセプト通りの活動展開になり始めている。

健康食品 第1位 『オオムギ のこな』 がその 嚆矢(こうし)となるだろうか

 

  

 

  早速、Facebook には、こんな記事がアップされた。

 この連携とスピードが、気持ちいい。

 情報は、新聞よりも、テレビよりも、圧倒的に早いスピードで、飛び交っている。

 

★燦々Sun Sun スタートしました。

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89才、杉下茂 現役コーチ

2015-02-20 07:10:21 | 発想$感想

★プロ野球のキャンプの話題で賑やかだが、

阪神など掛布、江夏と往年のスター選手が、コーチに訪れているようだが、本当に機能するのかな? と思ったりする。

 

確かにお二人とも名選手であったことは認めるが、名選手が必ずしも教えることが上手いとも限らないし、現在の野球とかっての特別な選手だけが、目立って活躍した時代とは、野球の質が完全に変わっているような気がする。

今も大谷のような素質抜群の選手もいるが、一般には全員がみんな高いレベルで、毎年新しいスターが生まれている。

これらは、野球全体の教えるレベルや、基礎体力を上げる科学的なトレーニングの賜物で、名選手がキャンプの時だけコーチをするのはどうかなと思っている。

本職のコーチたちがかえってやり難いのでは・・

 

今日のニュースでも筑波大学がカメラを持ち込んで、ピッチャーのクイックモーションを分析するなど、科学的な分析が行われる時代になっている。

 

★そんな中で89歳の杉下茂が、中日のキャンプでコーチ役を果たしているらしい。

右手で重いものを持つな』と言われた時代と、『筋力トレーニングをする現代』とは違うがとご本人も言ってるらしいが、

 

 

 

 

 

 

この2枚の写真を見て、 どう見ても89歳とは思えない、現役コーチと言ってもいい姿勢が素晴らしい

これは、いろいろ技術的なことなど云わなくても、そこにいるだけで、伝えるものがいっぱいあるように思う。

 

フォークの神様とは言うが、杉下茂ひとりがフォークを投げてた時代と、ピッチャーなら誰でもフォークを投げる現代では、フォークボールの投げ方などの技術的なことは、杉下時代より数段進んだモノが解っているのだろうが、

『背中を見て育つ』などというが、89歳にしてこんな姿を見せられると、選手たちも、技術以外に教えられることがいっぱいあるように思う。

 

キャンプを訪れる往年のOBたちや解説者がいろいろ仰るが、みんな体形は、OBの体形になってしまっている。

まあ、そんなものだと思うのだが、

杉下茂さんは、スゴイなと 正直そう思った

 

★燦々Sun Sun スタートしました。

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春を告げる いかなご 雑感

2015-02-19 07:21:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年は、『いかなご』が不漁だと、それがニュースになっている。

明石の魚の棚の魚屋さんには、毎年 いかなごのくぎ煮にするために、沢山の人が訪れるという。 

 

私の本籍は明石で、それも戦前の小学校低学年の頃は、明石市細工町20番地 だった。

それはそれこそ魚の棚の通りまで100メートルのところだったし、魚の棚(ウオンタナ)と呼ばれているが、それは通称で町名は細工町のはずである。

戦前から『くぎ煮』などあったのだろうか?

 

『いかなご』に初めて出会ったのは、戦後昭和21年(1946)の春だったが、食料難のまっ盛りで、『いかなご』も立派な親魚ばかりで、今のような小さな『いかなご』などはお目に掛らなかったし、その料理も腹にこたえる『てんぷら』が多かったように思う。

 

   

 

このような記事もあるように、間違いなく大きないかなごの方が旨いように、私には思える。

 

 

    

 

こんな小さい時に、獲ってしまって、『くぎ煮』など幾ら上手に作ってみても、

所詮は、『つくだ煮』みたいなもので、魚の自然の味などは、殆どないように思うのだが・・・・・

お母さん方が、『くぎ煮』を創ること自体に、それをあちこちに送ることに、自己満足しているのではないかと 思っている。

 

 

   

 

 

『いかなご』のくぎ煮の発祥の地は、明石ではなくて、垂水だという説もあるようだが、

全国で獲れるのに、なぜ関西のこの地区だけにこのような文化が育ったのだろうか?

 

   

 

 

こんな感じで、魚の棚では売られている。

大きくして食べるようにしたら、量も10数倍になるだろうし、

生きた魚が好きな私などは、こんな稚魚の内に獲ってしまって、『可哀そうだ』という感じの方が先に来てしまうのである。

 

 今年の不漁の理由は、『よく解らない』のだとか・・・

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ピカピカのZ1

2015-02-18 07:34:25 | 発想$感想

★先日のKawasaki Ninja H2 フェアの最終日。

We Like Mortorcycles とKAWASAKI Z1 FAN CLUB の合同イベントがあって、カワサキワールドに集まったのだが、

その時、鹿児島からやってきた『ピカピカのZ1』が来てるから、観に行こうということでついて行った。

 

そこで写してきたのがこの動画である。

https://www.facebook.com/video.php?v=950180944992540&set=vb.100000019311141&type=2&theater¬if_t=like

 

なにがスゴイと言っても、Facebook で4400回も再生されているのは我ながら驚きである

こんな数になると、ホントにそんなに見てるのかと思ってしまう。

何処で見つけてくるのか、その辺の仕掛け、仕組みがよく解らないのだが・・・

 

You Tube に編集し直してみた。

こちらでもそんな回数になったりするのだろうか?

今のところまだ10回にもなっていない。

 

 

このZ1の持ち主は、平八重 幸志さん。  

読み方が解らなくてお聞きしたら、『ひらはえ こうし』ですと戻ってきた

 

 

 

1日3時間、磨き続けると、こんな風に仕上がるらしい。

継続はスゴイね!

 

★燦々Sun Sun スタートしました。

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

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私の 『kawasaki Ninja H2/H2R 』 開発物語

2015-02-17 06:29:52 | カワサキワールド

Kawasaki Ninja H2/R  と UL TRAの開発に携わったハブメンバーたちに配られたカードであるらしい。

それを私にくれた山田浩平くんがこのようにFacebookで伝えてきた。

 

 

 

10年後、20年後に開発の苦労を懐かしく思いだしてくれると良い』と書かれているし、

その『最後の1枚』 を私に頂いたということは、このマシンについて『懐かしい想い出』を山田くんと共有しているということかも知れない。

そんな 『300PS CLUB 』のLife Memberの仲間にも入れて頂いたので、私なりにこのマシンについての想い出を纏めてみたい。

 

 

2010-4-12にこんなブログをアップしている。

Kawasakiは ”Extreme, Un-compromising, Lime Green” 

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/620cd4bdf69dad79ad879348b0c50854

その抜粋である。

 川崎重工業の二輪部門の名称が4月1日から『モーターサイクル&エンジンカンパニー』に改称されたようである。
二輪車新聞の記事の人事面に 『技術本部長、理事山田浩平』 の名前を見つけて、これは、『ひょっとしたら、希望が持てるかも』と思って今ホンネで書いている。

・・・・・・『胡蝶』さん。    これが山田浩平君のひょこむでのハンドルネームである。
その『ひょこむ』のプロフィールに自ら書いた一言メッセージが、Kawasakiは、”Extreme,Un-compromising, Lime Green”』 なのである。 ・・・・・・そのご自身の信念どおりに、一筋にやって欲しい。
・・・・・・・・
OBとしては、バイク雑誌などで、カワサキの旧い話で賑わうのも嬉しいのですが、やはり、今の時代にあう『新しいカワサキのヒット商品をと願っています。

 などと記している。

彼が技術本部長になると決まった時、彼から1通の手紙を頂いた。

在任中に、もう一度 『Kawasaki らしい商品の開発をやる』との決意表明だったのである。

 

★それから約2年経って、 大槻さんと明石工場を訪ね、高田廣さんと山田浩平さんと延々6時間話をしている。

その時書いたブログである。

Kawasaki ブランド』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/12578b18d81081350a15e3e8f354ddfe などとなっているが、

その時 山田浩平くんからは、開発中の Ninja H2 について、 300馬力、300キロを目指していると熱く語られたのである

 

山田浩平くん、前述の『ひょこむ』のトモダチだし、 NPO The Good Times の早い時期からの会員さん、仲間なのである。

今年、1月18日の新年会に出席してくれて、冒頭のカードを私に渡してくれたのである。

 

何台の生産台数になるのか?  これは確かにムツカシイ。

然し、『カワサキのイメージ』 という意味では、久しく強烈なパンチのあるマシンからは遠ざかっていたので、このNinja H2 はまさに”Extreme, Un-compromising, Lime Green” だったのは間違いない。

今回のファンの熱狂的な対応を見ても、今の発売前の時点ですでに、『大成功』と言っていい。

 

 

 

 

Kawasaki Ninja H2 フェアの会場には、『開発者たち』としてこんなに沢山の開発に関わった人たちが紹介されている。

この動画をFacebook にこのように紹介している。


「Kawasaki Ninja H2/R の開発者たち」ということで会場には沢山の名前が並んでいた。でも、このマシンの開発は、この人山田浩平くんがいなかったら世に出ていない。このマシンは彼が、彼の一念が創ったのである。
このマシンの開発に携わったメンバーたちにLife Memberとしてこんなカードが創られている。

そんなメンバーカードの最後の1枚を、今年1月18日に山田浩平くんが私に渡してくれた。「なんだこんなカード」と一瞬思ったのだが、その由来を聞いて今は大事に持っている。
私は勿論、このマシンの開発など一切関係はしていない。
300PS CLUB のLife Member の一員にして頂いて、光栄である。

 

Ninja 30Years Nijja フェアに行かれた方で、さりげなく置かれていたこの本に気づかれた方は少ないのでは。
高田副社長の挨拶文で始まってはいるが、この本の執筆者は、山田浩平くんと石川薫くんのはずである。

30年前のNinja900は、実質のエンジン担当者として、今回のH2は技術本部長として現役最後の置き土産として、自らの発想を部下たちと分かち合って創り上げた、山田浩平くん。30年Ninjaと関わった。未だ若い血気盛んなころ『Father of Ninja』の名刺を何枚か創って配ったという。
その名刺の1枚を貰ったのが、Z1の本を書きあげたあのMicky Hesse だというのもオモシロイ。...

石川くんはこの本の執筆のために、今回アメリカまで渡っている。そんな話を聞いてはいたので、いつ書きあげるのかな、と思っていたらもう出来ていたのである。こんな話を知っているのも、カワサキファン達のビックリするような情報網があるからである。

 

 
 
 
 
今回のわれわれの仲間での、このNinja H2フェアの最終日、
昨年は、こんな感じで、山田浩平くんも、現役の諸君も、カワサキファン達と一緒だったのだが、1年経ってホントに花開いたのである。

 

 

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Kawasaki Ninja H2 フェア

2015-02-16 08:19:22 | カワサキワールド

★昨日は、カワサキワールドで開催されていた Kawasaki Ninja H2 フェアの最終日だった。

非常に楽しいイイ1日が過ごせたのだが、 

なにがよかったのかと言われると、いろいろあってなかなかきっちりと纏められないのである。

 

まず、纏めた動画をご覧いただきたい

短い私の動画の中に、私のいいたいメッセージはいっぱい詰まっている。

 

 

 

朝、開館前にもうこんなに集まっている。

特になにを準備した訳ではナイ。 Facebook に最終日に会いましょうか? とWe Like Mortorcycles の湊さんが呼びかけただけである

振り返ってみると、今年で3年目である。 何となく自然に集まった感じである。

東京からも鹿児島、四国、和歌山、奈良と毎年全国から集まってくる。

 

こんな人たちに会えるのがいい。  小林ゆきさんにも会えたし、吉健にもKMJ のメンバーにも会えた。

桐野さんはホントに久しぶりだった。喋ってたら稲村さんが現れた。

今回の会合にも、カワサキワールドの吉田くんがいろいろ気を遣ってくれた。

 

この動画、Facebook では 1000 回以上再生されているし、沢山の『いいね』を頂いたし、毎年来られてたミネコさんからも、東京の川崎由美子さんからも、こんなコメントを頂いた。

 Facebook ネットの世界は素晴らしいと思う。

 

腰山 峰子古谷さんの動画を見て行った気になりました!ありがとうございます。大盛況でしたね。 
 
川崎 由美子どうしても都合が付けず行くことができなかったので残念でたまりませんでしたが、古谷さんの動画を楽しく拝見でき会場に行けた気分になり嬉しくなりました!ありがとうございました。
そして…お疲れ様でした。
 
 
 
 
 
 
 
こんなGood Times Concept も、仲間たちのトレードマークになっていて、今は自然に見ることが出来るようになった。
 
仲間たちも、当然のようにこんなシンボルマークで繋がっている
 
 
 
 
 
 
 
久しぶりに桐野さんと喋ってたら、突然稲村さんが現れて、直ぐファンに捕まった。
 
 
 
久々に、Kawasaki Ninja H2 は、カワサキらしいマシンだと思う。
 
また別途この感想は書いてみたい
 
 
 
いい1日であった。
 
 
 
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錦江ホテル

2015-02-15 07:09:37 | 自分史

★明石のお城は確か錦江城だった。

子どもの頃、夏冬の休みに、朝鮮ソウルから毎年戻ってきていたが、その時毎日のように行っていたのが錦江ホテルである。

そのオーナーは伯父で、支配人は叔父がしていた。 別に伯父の本業ではなくて半ば趣味のようなホテルで、その庭園も調度品などもなかなか立派だった。

この頃の検索は何でも出てくるものである。

『錦江ホテル 明石』 と検索したら、ずらーっと懐かしい写真が並んだ。

  

    

 前に止まってる車は、伯父の乗用車で、オールズモビル か パッカードのはずである。

子どもの頃から、車には至極興味があって、よく乗せて貰った。

今なら、当たり前の話だが、ラジオがついいているのが珍しかったのである。

勿論、運転手さん付きで、伯父が運転していたわけではナイ。

 

 

 

英語の表記があるのは、外人客も珍しくなかったからである。

明石川で取ってきたウナギの稚魚をいっぱいこの池に離したのを覚えている。

夏は、この前が明石海岸だし、私の遊びの基地だったのである。

 

 

戦前の明石の写真がいっぱい出てきた。

 

 

 

このホテルのお陰で、私の人生の進路が決まったと言ってもいい

戦争が激しくなった頃、当時の西明石の川崎航空機に来る軍人の宿舎としてこのホテルが接収されたのである。

その当時の総務部長が砂野仁(後、川崎重工業社長)さんで、伯父と川崎航空機との間で、100万円ちょっとで売買契約書が交わされているのである。

私は川崎航空機の財産課に配属されたので、その契約書を目にしたので、その売買金額など知っているのである。

 

戦後になっても、伯父と砂野さんは親交があったので、

私は砂野さんの薦めで神戸1中にも行ったし、卒業後砂野さんのコネで川崎航空機に就職することにもなったのである。

 

 

★伯父は戦時中は、朝鮮の南鮮合同電気のオーナー経営者だったのだが、その基盤は祖父が創った大田電機という会社からだろう。

 

   

 

これがネットに載っている祖父の記述だが、私は祖父古谷虎雄を知らない。

伯父も父も、若いころ祖父を亡くし(大正13年)  新社長にはなったが、川島、青柳、竹内さんなどが実際には支えていたのだと思う。

私は明石で生まれたのだが、人生の最初の記憶は大田で、隣のお家が竹内さんで、そのお兄さんには遊んで頂いた記憶が、人生の始まりなのである。

 

 

 

朝鮮総督府の政策で6社合同の電力会社になり、本社も京城に新しく創られて、多分それで大田から父も京城に居を移したのだと思う。

ちょうど私が小学校に入学する1年前ぐらいだったと思う。

幼稚園には行かなかったが、京城桜が丘国民学校に入学したのである。

この南鮮合同電力株式会社は朝鮮でも最大と書かれているが、当時は日本でも最大の電力会社だったように思う。

京城の半島ホテルの立派なビルにその事務所があって、伯父は年に何回か京城を訪れていただけで、勤務などしていたわけではナイ。

そんな片手間に、明石で錦江ホテルを持っていたのだと思う。

 

 

★こんな戦前の境遇だったが、 明石の錦江ホテルも、朝鮮の電力会社も、戦争のために消え失せてしまって戦後になるのだが、伯父や父のその後を見ていると、結局何もすることなく一生を終わってしまった感がある

大学卒業後、直ぐ社長、副社長などの地位にも付き、その後合併してからは、多分株の配当などで暮らしていたのだと思うが、

終戦という環境の大転換の中では、元々が立派な会社であったために余計に何も出来なかったのかも知れない。

そんな伯父を見ていて、伯母が 『おじいさんは偉かった』というのを何度も聞かされたが、なかなか人の生き方はそう簡単に変えられないのかも知れない。

 

そんな『巡り合わせ』みたいなものを、私に与えてくれたのは間違いなく、『古谷脩一』 伯父なので、伯父には感謝している

ちなみに、祖父がつけた名は、 伯父が『古谷脩一』 父が『古谷錬ニ』 だったのに、

なぜか、二人とも通称を 『古谷脩輔』 『古谷錬介』 と改名して使っていた。

祖父の付けた名前のままにしていたら、もう少しいい運が巡ってきたのでは、などと思ったりしている。

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燦々Sun Sun 順調に船出

2015-02-14 07:23:32 |  燦々 Sun Sun

 

燦々Sun Sun 順調に船出 です。

 

 

 

燦々SunSun のホームページです。

http://www.thegoodtimes.jp/sunsun/

 

 

地域の活性化を目指し活動する『核』となるメンバー達は、

燦々SunSun の発起人とも言うべき、7人の世話人と、その世話人たちが推薦するプロジェクトリーダーたちなのです。

 

 

  

 

 

 

 既に、こんな強力なメンバーが参加されています。

 

 

 

 

そして、燦々SunSunへの、団体会員の参加も始まりました。

従来のNPO The Good Times の団体会員さんとともに、燦々SunSunの活動を支えてくれます。

 

 

 

その第1号は加古川のYRS 自転車のプロのお店です。 

 http://www.teamyrs.com/

 

 

 

 

 YRSを主宰する山本明さんは、あの山本隆さんの息子さんです。

二輪車と自転車、 同じ二輪の世界の頂点を、あゆんでいます。

 

 

そして、第2号は、 三木の『オオムギ こなや』 さんです。

http://www3.hp-ez.com/hp/konaya3/page1

  

 

 

 

  三木でスタートした『ベンチャー企業』

 

オオムギ こなや は世界でただ一つのユニークな 今はまだ小さいのですが、

間違いなく、生産工場を持つ 『メーカー』さんの卵です。

三木のまちの活性化と ともに歩こうとしています。

 

 

燦々Sun Sun は、今年の1月18日に生まれたばかりです

この6年間で築き上げた、NPO The Good Times の仕組みの上に

また新しいシステムを載せて太陽のように光り輝くグループやショップなどを繋ぎます。

 

たった10人の小さなグループから、5000人のグループまで

みんな繋いで『いい時を過ごそう』 というコンセプトです。

 

 

★燦々Sun Sun スタートしました。

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

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★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★47万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 English Version です

 

 

  

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