雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

なぜ樹が枯れるのだろう?

2023-10-04 05:00:41 | 発想$感想

★ 朝よく行く三木総合防災公園は、かっての山を開拓して出来たのだが、
 一番高台にあるこんな林間広場はどのようにして造ったのだろう?
 広大な芝生が広がっている。

  



 そこから少し下って、

 


ここを左折すると


 


 突然、こんな山道になる。
 これは住宅街に直結している道なのだが、


 

 
 左右はこんなかっての山がそのまま残っている。


  
 

 結構深い森だが、何故か大きな樹が枯れている。


 


 それも1本や2本ではなくて、何本も同じように枯れている。
 背が高いから、100年近くは伸びていたのだと思うが、

 
 


 なぜ、枯れてしまうのだろう?
 樹にも寿命があるのだろうか?

 先日、どこかで枯れ木が倒れてケガをしたが 
 この樹もいつかは倒れるのだろうか?
 そんなことを考えながら、歩いている。
 夏場は陰になっていい。

 
 道の最後、突然広大な住宅街が現れるのである。

 


 こんな山を切り開いての、住宅街や公園である。
 現代の人間の力はすごいなと思っている。
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彼岸花 咲いた

2023-09-29 03:16:56 | 発想$感想

★ 少し涼しくならないと彼岸花は咲かないとか。
 そんなことで今年の暑さではお彼岸の日にはまだもう一つだったので、
 5日経っ今朝はどうかなと思って、
 防災公園の『どっこいさん』の方向に行ってみた。

 




 満開とは言えないかも知れぬが、
 こんな状況で綺麗に咲いていた。


  


 
 毎年咲く面積が広がっているようにも思う。





  ここは自生なのか、公園が植えたのかは不明だが、
  見事に咲いていた。


 
 


 我が家の庭にも2本ほどあるのだが、
 まだ蕾で開花していない。

 今年も彼岸花見れてよかった。
 広い公園だが、ここと昨年はもう一箇所、これは間違いなく自生していたのだが、
 今年はまだ見ることが出来ていない。
 芝生を刈ってしまうので、刈られてしまったのかも知れない。
 
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私と車

2023-09-26 05:12:26 | 発想$感想

★ 車の免許を取ったのは30歳の頃だが、
 当時はまだ自家用車を持つ人は少なくて、
 専ら社用車の運転をしていたのだが、
 仙台から大阪に転勤をした昭和45年(1970)に初めて自分の車として
 カローラの中古車を買ったのが最初の1台である。

 それは社宅のあった高槻から大阪への通勤が殆どだった。
 車の運転そのものが好きで、仙台時代も東北6県の仙台-盛岡、仙台-秋田など200kmの距離の運転を楽しんでいた。

 今でも毎日、距離は短いが乗っているので、
 もう60年間殆ど毎日車の運転をしていることになる。
 交通違反は若いころは2度スピード違反で捕まったが、
 それ以外は無事故・無違反ゴールド免許になってからもう何年になるのだろう。
 
 ★ 自分の車は最初がカローラ、
  そのあと、これも中古だが、ホンダアコードに乘った時期がある。
  会社では『ホンダに乗っている』と言う人もいたが、
  私は同じ二輪業界の車をむしろ乗るべきだと思っていた。
  娘にかってやったバイクスズキだし、
  私のゴルフクラブヤマハだった。
  小さな二輪業界だからみんが良くなる方向がいいと思っていて、
  ホンダに乗ってることなど、気にもしていなかったが、
  鈴鹿サーキットに行くと特別待遇で、
  サーキットの中の駐車場に止めることが出来たりして重宝したのである。

  そのあと買ったのがBMWの5シリーズの新車で、
  これは結構高かったが、
  なぜBMを買ったのかと言うと、
  カワサキにいた浜脇洋二さんが日本BMWの社長になられて、
  『買ってくれ』と言われたからである。
  それ以降今まで、BMWを乗り継いでいるのだが、
  3台目以降は新車ではなく中古車である。
  もうずっとBMWに乗っているのでBM独特の乗り味に慣れてしまった。
  BMだけで今の車は5台目である。最初の車は2台目を買う時に、娘にやった。2台目も5シリーズの新車だったが、3台目からは中古にして車が大きくなったので3シリーズにして、現在も3シリーズである。でも最初の5シリーズと同じか大きいかも知れない。 

  現在の車は昨年、突然前の車の調子がおかしくなって、
  修理をすると結構かかるというので、
  思い切ってその日のうちに今のBMWを買ったのだが、
  勿論、中古車である。
  BMWは高級車ということになっているが、
  中古車の値段は国産車と変わらず、そんなに高くはない。

  然し、だんだんと年式が新しくなると車もどんどん良くなるものである。
  いまの車はデイーゼルなので燃料は軽油である。
  デイーゼルだと言ってもめちゃ静かだし、
  いまの乗り方は1100回転位までしか回さない、
  まさに安全運転の静かな乗り方だが、
  いい道では時速80Kmぐらいまでにはなる。
  そのお陰で燃料代1ヶ月5000円ほどで収まってしまう。
  そんなことで今まで乗った車で一番気に入っていて、
  殆ど三木市内だけなので、渋滞もないし毎日気分よく乗っている。



 
  

  ハンドル周りの感じもなかなかいいし、
 
  


 
  気分よく運転している。


 


  まだ4万キロぐらいなので、
  この車が私の最後の車になるかも知れない。
  ところで、運転免許は何歳になっても大丈夫なのだろうか?

  それが一番心配なのである。
  目も大丈夫だし、あと10年は大丈夫自分では思っているのだが、
  果たして最後はどんなことになるのだろう。


★50万人フォロワーのいるツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

★NPO  The Good Times のホ―ムページです。



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防災公園の様々な道

2023-09-24 05:51:38 | 発想$感想

★毎朝大体6000歩にはなるようにスロー・ジョッギングしているのだが、
 三木総合防災公園は広大だから
 いろんなコースが取れて飽きがこない。

 今朝は公園の「いろんな道」を通ってみることにした。
 先ずはこんな大きな道からスタートである。
 7時前で開門していないから車は通らないので、
 こんな大きな道の真ん中を歩いている。

 


 そのすぐ横にはこんな地道が走っている。

 
 


 この道が終ると、こんな広い道になる。
 競技場の横の道で一応は歩道で車は通れない。
 

 


 そこを左に折れるとこんな周回路に出る。
 この周回路は広場とサッカー場などの周りにあって
 1周4kmほどである。




 
 そこからまたこんな道に出て





 少し周回路を歩くと「窟屋の金水」と言うこんな標識があって





 そこからは山道の急な下りになる。

 
 


  これは階段なのだが、草で覆われてしまっている。
 こんな状態になったのは初めてで、また草刈りをするのだろう。
 それにしても夏草は凄まじい。




 日影になるとこんな感じで




  階段が続いている。






  下りきったところが窟屋の金水だが、
  そこから登り路になる。

  



 こんな急な登り道が続いて
 





  登りきると陸橋でその先は公園の西側になる。




  橋の上からの眺め、
  ずっと向こうにも陸橋があって公園を東と西に分けている。
  




 橋を渡るとどっこいさんの広場に出て、
 



 先日は殆どなかった彼岸花がちょっと咲きだしていた。

 


  この花を見るために、こんなルートを選んだのだ。





 そこからは山道を登って





 これがもう一つの陸橋である。




 そしてこんな広い道を通って、






 車を止めてある陸上競技場の前の広場に出た。

 


  これでちょうど6000歩
  1時間ちょっとの行程である。





 こんなルートを通ってきた。
 公園の一部だということがお解り頂けると思う。
 毎朝、違ったルートを6000歩になるまで歩いている。
  
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季節の花・彼岸花

2023-09-22 05:25:46 | 発想$感想

★ 9月20日が『彼岸の入り』だと言う。
  お彼岸に咲くので「彼岸花
  かって旧い話しだが『赤い花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が降る』と唄われた、
  別名『曼殊沙華』とも言う。

  毎朝行っている三木総合防災公園の『六地蔵・どっこいさん』 の辺りに毎年綺麗な花を咲かせるので、
  先日見に行ったのだが、まだ早いのかな何も姿を見せていなかった。

 『彼岸の入り』になったので、どうなったのかなと思って見に行った。
 気になりだすと気になるのである。


★そこはこの公園でも北の方にあって、
 こんな細い道を下って行ったところにあるのだが、


  
  


  こんな風になっていた。
  黄色い小さな芽が地面にいっぱい出ていたが、

 
 
 
  1本だけ赤い花を咲かせていた。
  今年もその名の通り『お彼岸』には花が咲くのだろう。
  
   
 

 

  気になりだすと『気になる』のである。 
  そんなことであと何日か後、
  もう一度、見に来ることにした。
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訪日旅行者が月200万人      雑感

2023-09-21 05:17:04 | 発想$感想

★先月、日本を訪れた外国人旅行者は215万人余りと、
 3か月連続で200万人を超えたという。

韓国57万人と最も多く、
台湾40万人
中国36万人
▽香港が21万人
 とやはり近隣諸国が多いのだが、アジア圏だけでなく、
 アメリカカナダなどでも幅広く旅行者が増加しており、
 このことが回復につながっているという。

 最近は調べたら何でも解るので、
 いろいろと調べるのもヒマ人にはいい時間つぶしになる。

  



 いろんなことが詳しく出ていてオモシロイ。

 最も訪問者が多い都道府県はやはり東京で、次いで大阪だが、

 
 
  

 消費額が一番多いのは北海道だという。
 次いで東京だが3位には沖縄が入っている。
  

  



★ ところで世界ではどうなっているのかと言うと
 フランスが一番で次いでスペイン・アメリカの順位で
 日本12位なので、まだまだなのである。


  
  

  私自身は結構世界のあちこちに行っていて、
  この上位15カ国で行ったことがないのは、
  中国・トルコ・ギリシャ・ロシアの4カ国であとは行ったことがあるし、
  カナダ・ナイジェリア・イラン・スイス・オランダ・オーストリア・インドネシア・韓国・台湾・フィリッピンは行ったことがあるので、
  結構世界を知っているということになる。

 日本国内は全県行ったことがあるし、
 沖縄を除いては自分で車を運転してあちこちに行っている。
 これはカワサキの二輪事業をやったお陰て、
 各国・各地の販売店訪問は『仕事』だったので、
 観光旅行をしたわけではないのだが、
 いま思うと結構な仕事だったと思う。


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大和ハウス    雑感

2023-09-19 04:49:12 | 発想$感想

★ 大和ハウスから定期的にこんな刊行物が送られてくる。
 これがその表紙なのだが、なかなかカッコいい。

 大和ハウスに皆さんはどんなイメージをお持ちだろうか?
 
 私自身がずっと持っていた『イメージ』は、
 奈良出身の固くて旧い感じの会社だったのだが、
 昨今はちょっと昔と変わってなかなかスマートなのである。


   



 私が住んでいるまち三木市緑が丘町
 こんな感じで自然やゴルフ場に囲まれているのだが、
 結構、広大であることはお解り頂けるであろう。
 この区域だけで2万人以上いると思うので、
 この一帯で三木の人口8万人の半分はいるのだろう。

 そして、この赤い線で囲んだところのおうちはその殆どが大和ハウなのである。


 


 大和ハウスがこの一帯の土地を開拓・造成して売り出したのは
 昭和43年(1968)あたりで、その当時は全国でマイハウスブームが起こっていたが、まだ土地も安かった。
 
 我が家の土地も70坪で、その価格は300万円をちょっと切るレベルだったが、
 私の給料も15万円ぐらいだったのである。
 でも毎年、物価も給料も20%も上がった時代で、
 4年もすれば物価も給料も倍増したそんな時代だった。

 土地だけ先に買って、家はあとから建てたのだが、
 家を立てる4年後には土地も給料も倍増していたのである。

★なぜ、三木辺りにこんな家を建てたのかと言うと、
 まだ仙台にいた時だったが、
 明石に出張してきたら、ちょうど大和ハウスに異動したばかりの
 かっての印刷屋のセールスがいて、
 『三木にいい土地があるから買ってくれ』と言うのである。
 値段は三木が田舎だったからだと思うが、めちゃ安いし、
 すぐには家は建てないという条件で、
 出張時に誰にも相談せずに買ってしまったのである。

 土地などをこんな買い方をする人は少ないだろうが、
 当時は、土地や建設ブームで周囲の人達も買っていた時代で、
 会社が300万円貸してくれるというので、即決したのである。

 結果論だが、めちゃいい買物だった。




★この一帯の建物はすべてダイワハウスで建てられていて
 所謂「プレハブ住宅」だが、「春日や飛鳥」と言う種類があって、
 こんな感じの建物だったのである。

  
 




 ただ私の生き方は『差別化』なので、 
 この家を建てる時にも、ダイワハウスの規定からは外れた特別仕様で、
 特に玄関・トイレ・台所・風呂場はすべて大きく造ってあるので、
 50年経った今どきの仕様に比べても、まだ大きいぐらいなので、
 建て替える必要などは全く感じない。

 特に当時の飛鳥は『堅牢』がウリで、
 50年経った今も全く問題はないのである。

  
 


★時代も変わったが、
大和ハウスのイメージも全然変わったように思う。

 いつ頃だったかこんなイメージロゴなどを創って、
 広報活動に積極的になってから、
 そのイメージは一変して、スマートな会社になったと思う。



 
 


 
 現在のダイワハウスの建物は、こんな感じでスマートなのだが、
 私の住んでいる緑ヶ丘は、我が家の建物がそうであるように、
 堅牢で持ちがいいので、
 50年前の旧い建物も相当残っているのだが、
 道は相当に広いので、旧い街のイメージは全くない。


 


  果たして、いつ頃になったら
  この一帯が様変わりするのだろう。
  私の存命時代はなかなか変わりそうにないのである。
  


 



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100歳まで生きる時代だが・・・

2023-09-18 04:39:52 | 発想$感想

★ 厚生労働省は、全国の100歳以上の高齢者がおよそ9万2000人となり、53年連続で過去最多を更新したと発表した。
今月1日時点で全国の100歳以上の高齢者は前の年から1613人増え、9万2139人になったという。
このうち女性は8万1589人で、全体のおよそ89%を占めているとか。

100歳以上の高齢者は1970年には310人だが、その後、右肩上がりで増えていき、53年連続で過去最多を更新したという。


 

 
 我が家は男性は祖父も伯父も父も50歳代で亡くなったが、
 祖母は102才、母は103才まで存命だったので、
 若しそのDNAを受け継いでいたら、私も100歳までは大丈夫かも知れない。

 別にどうしても長生きしたいと思っている訳ではないのだが、
 健康で今のような生活が出来るのなら
 生きていても生き甲斐があるような気がする。

 そんな生活の中で『ネットの世界』に結構な時間を費やしている。
 ブログもそうだが、Facebook では若い方と繋がっているし、
 ネット碁も何局も打つのでアタマの体操になる。

 運動も毎日結構動いていて、
 この1か月間の平均が8000歩を越えているし、
 毎日2時間ぐらいは動いているので、健康的な毎日だと言っていい。

 





 元気な高齢者は『睡眠満足度』が高いというが、
 よく動くからなのか、よく眠る。
 12時間以上などにはなっていないが、
 9時間ぐらいは眠っていると思う。
 
 
  



★今まだ90歳だが、
 80歳の頃と殆ど変わりはない。
 最近は体力年令を図る機会がないのだが、
 前回77歳の時には54歳と出たので、
 若しいま測ったら何歳と出るのだろう?

 我が家の秤では75歳と出るのだが、自分では体力年令はもっと若と思っている。
 毎朝、公園で散歩している高齢者の方と出会うのだが、
 多分、皆さん私より若いと思うのだが、
 歩く姿など見ていると、私の方が確りしてると
 勝手に思って、勝手に満足している。

 少なくとも母の90歳の頃よりは、
 間違いなく元気なので、この分だと100歳までは大丈夫かなと思っている。
 
 朝起きると
 ● 公園のスロージョッギング
 ● パソコンの前でのネットの世界
 ● パンダ碁を打つ、アタマの体操 
 ● 庭仕事
 ● 鯉や金魚やメダカの世話
 ● ブログや日記など文章を書く
 ● テレビはスポーツ番組とニュースだけ
 ● 殆ど読書はしない
 
 などの繰り返しの日常生活だが、結構満足して生きている。
 ホントにいつまで続くだろうか?


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阪神優勝にみる熱狂度   雑感

2023-09-17 04:57:15 | 発想$感想


★ 阪神が18年ぶりに優勝である。
 甲子園球場でのファンは勿論、

 



  巷でもこんな熱狂ぶりである。


 


  
 一体、世の中の人のどれくらいの方たちが
 こんなに熱狂するのだろうか?
 こんなに熱狂する人たちのほうの比率のほうが多いのだろうか?

 生まれてこの方、人生で一度も『熱狂』などした経験のない私などからみたら、
 不思議な光景なのである。
 私自身もスポーツは好きだし、どちらかと言うと阪神ファンだが、
 どうしても、こんなに熱狂する輪の中には入れない。

 そんな自分が変わっているのか?
 こんなに熱狂する人達のほうが変わっているのか?

 そんなことを想いながら、こんな光景を眺めている。
 
★ 何事にも冷静な人の特徴はこんなことだと記事にあった。

・目に見えて慌てることがなく、ポーカーフェイスを保っている
・急にコロコロと態度を変えることがなく、感情表現が一定である
・いつでも落ち着いた雰囲気をしており、物静かである
・物事に対して公平である
 つまりは、感情の浮き沈みが少ないだけでなく、周りの状況や環境の変化に影響されることなく、落ち着いて物静かであるということです。このような特徴がある人は、冷静な人だといえるでしょう。
常に冷静でいることには、以下のような4つのメリットがあるとか。
 1.客観的に物事を見られる
 2.落ち着いてトラブルに対応できる
 3.気分で反応を変えないため安心してもらえる
 4.周囲との比較で落ち込むことがないため、心に余裕ができる

 そんなにメリットとも思えないが、
 どう考えても、阪神優勝にあんなに興奮したりは出来ないのである、
 どうもおもしろくない人間のようにも見えるが、
 日本人全体で言えば、『阪神優勝に熱狂した人』は少数派であることは間違いない。
 だが仮に巨人が「優勝した時」は巨人ファンは同じように熱狂するのだろう。

 熱狂する人と、客観的に見る人
 どちらの方が比率が多いのだろう? と思ったりしている。
 どちらが『いい・悪い』の問題ではなくて、単に比率がどうなのかな?
 と思っているのである。


 
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六地蔵  どっこいさん

2023-09-15 04:57:46 | 発想$感想

★ 毎朝行ってる三木総合防災公園は、かっては山だったので、
 直ぐ近くには『志染の石室』もあるし


   

 
 園内には『六地蔵・どっこいさん』もある。
 北側のちょっと離れた場所なのだが、
 毎年綺麗に咲く『彼岸花』が今はどうなってるのかと観に行ったのである。


 確かこの辺り一面に咲くのだが、
 まだ何も現れてはいなかった。
 お彼岸も、もうすぐなのだが・・・・


  
  

 
 そのすぐ近くに『六地蔵・どっこいさん』はある。







  こんな説明版があるのだが、


  



 六地蔵とは、こんな石に刻まれた6体の地蔵さんを言うのである。


 
  


 この辺りだけだが、
 ベンチの代わりに、こんな石が綺麗に磨かれて、
 あちこちに置かれている。
 
 
 



  『彼岸花』もう一度、見に来ることにしよう。




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藤浪晋太郎

2023-09-07 05:19:34 | 発想$感想
★藤浪晋太郎、私の好きなピッチャーである。
 スタイルや投げ方が如何にもピッチャーらしい。
 体型もあの左の金田正一とよく似ている。
 そんな藤浪晋太郎が

オリオールズの藤浪晋太郎投手が5日、敵地で行われたエンゼルス戦で、5-4の延長10回に登板。
無死二塁から始まるタイブレークを、わずか9球で3者凡退に封じ、2セーブ目を挙げた。
ブランドン・ハイド監督は「俺たちのフジ。私たちが求めているものを体現してくれた」と、最大限の賛辞を送った。





間違いなく素晴らしいいい球だった。
162.5キ)の速球に、最後三振を奪って試合を締めたスプリットは、普通の球ではない。次元が違う投球だ」と能力を高く評価。
「そういう能力を持っているから、あの場面で彼を起用した」。
ここ最近は重要な場面での起用が続いており、藤浪も指揮官の期待に結果で応えている。










大阪桐蔭高校時代は1年夏からベンチ入り、2年春からエース。
1年後輩にあたる森友哉とバッテリーを組み、3年春のセンバツでは史上初の全5試合で150km/h以上を計測し優勝。
史上7校目の春夏連覇を達成。
10月のぎふ清流国体でも仙台育英高校と同時優勝し、松坂大輔を擁した横浜高校以来となる史上3校目の「高校三冠」を達成し、
高校時代は「浪速のダルビッシュ」と呼ばれていた。




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高齢者の病気 いろいろ 帯状疱疹

2023-09-06 08:01:22 | 発想$感想

★歳をとるといろんな病気が出てくるのは仕方がないのかも知れない。
 私などは若い時肺結核に罹ってあまり長くは生きられないかなと思っていたら、
 それも克服して68歳の頃に「くも膜下」になったりしたが、
 これも上手く克服できて、それ以降は至って健康だから不思議である。

 家内などは見た目はそんなに丈夫そうでもないのに、
 病気らしきものは何もせずに生きてきたのだが、
 80歳代になって膠原病と言うリュウマチのようなよく解らない病気になって、
 昨今はそんなに元気でもない。


★今日はその膠原病の3か月に1度のチェックがあって
 北播磨総合医療センターに行ってきた。

 
   
 

 先生の診断では特に変わりはないので
 次回は11月末ということなのだが、
 病院に来ている方を観ていると家内などはまだ元気な方である。

 高齢者でちゃんと歩けない方がホントに多いのである。
 

★ところで世の中にはあまり聞いたことのない病気もあるものだ。
 「帯状疱疹」って、ご存じですか?

 


 水ぼうそうと同じウイルスで起こる皮膚の病気なのだが、
 痛みを伴う赤い発疹と水ぶくれが多数集まって帯状に生じるのである。
 50歳代から発症率が高くなり、80歳までに約3人に1人が発症するといわれているという。
 日本人成人の90%以上は帯状疱疹の原因となるウイルスが体内に潜伏して
 過労やストレスなどで免疫機能が低下すると、帯状疱疹を発症するのだという。

  
 
 
  家内がごく最近この帯状疱疹に罹って、
  最初の4,5日は痛かったようだが、今は何とかなっている。
  こんな想いもよらぬ病気に突然罹ったりするから気を付けなくてはならない。

  
★ 家内なども70歳代までは至って元気で
 毎週水泳に行ったり、アメリカの娘のところにも10年続けて遊びに行ったりしているのだが、
 最近はこんな調子でもう一つ元気がないのが、私の今の一番の心配事である。

 もう86歳だから仕方がないのかも知れないが、
 それでも家の中のことは家事・炊事・洗濯はすべて家内がやってくれてる。
 もう少し私が手伝えばいいのだが、
 どちらかと言うと昔気質で家の中の領域には、私には手を出させてくれないのである。
 こんな病気を機会に、私もより積極的に家事を手伝ってやりたいと思っているのだが、
 果たして今後どんなことになるのだろうか?
 
 それでも近所でも高齢者夫婦で揃っているのは我が家だけのようで
 そう言う意味では二人とも幸せな人生だったなと思っている。
 まあ、こんなこともその人が持っている運みたいなもので、
 86歳以上の夫婦なら、
 いつお迎えが来ても不思議ではないのである。

 私自身がこんなに生きられるとは思っていなかったので、
 二人とも最高に幸福だった人生だと思うべきである。
 家内の帯状疱疹で、そんなことを想っている昨今である。
  

コメント (2)
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神戸ベンチャー研究会での松島裕さんの講演

2023-09-04 04:42:36 | 発想$感想

★ 神戸ベンチャー研究会会長の窪田 勲さんのFacebooKに、
 先日の松島裕さんの講演の内容 が載っていたので、
 そのままちょっとお借りしてご紹介してみる。
 なかなか内容のあるいい講演だったので、
 特に二輪の関係者の多い私のブログの読者の方にも是非、聞いて欲しい内容なのである。
 
 以下は窪田 勲さんのFacebooKからの転載なのである。


★暑い夏を、熱い心の人たちと語りつくした! 
 陽ざしがとても厳しい、8月26日、
 第269回神戸ベンチャー研究会が開かれました。
 テーマは「魅力ある伝統を生かすことにチャレンジ」
 講師は、8月に設立したばかりのNPO法人二輪文化を伝える会 理事長 島裕さん、
鈴鹿8耐ライダーが「二輪文化」を伝えるNPO法人を設立するまでがテーマ。

   
 

★こどもの頃、マンガ「750(ナナハン)ライダー」(石井いさみ氏原作)が好きで、大きくなったらバイクに乗ろうと憧れていた。
しかし、地元の埼玉県では、バイクの「3ない運動」が高校で盛んに行われていた時代だった。
そこで、自転車からスタート、近くをツーリングして楽しんでいた。
角川映画が流行っていて、大藪春彦氏の小説「汚れた英雄」が映画化され、大ヒット。日本全国でバイクがブームになり、私もバイクを買って、ロードレースをするようになった。

★1995年から2000年まで、鈴鹿サーキットで開催される公式レースである「鈴鹿8時間耐久ロードレース」に参戦できるくらいにまでになった。
当時の観戦者は約20万人。人気あるレーサーには、会場では歓声が上がるのだが、私は無名で誰も気に留めてくれないような感じであった。
1997年の鈴鹿レースに出たときに、知人からホームページの作り方を教えてもらって、見よう見まねで作り始めた。
レースの雰囲気やバイクの魅力を伝えたいと思い、レース現場でのピットの緊張感のある様子など写真等を交えて、ホームページで公開。当時はまだインターネットが始まったばかりの頃。
ホンダやヤマハでさえ、こういったレースのホームページがなかった。

今では普通になってしまっているが、ピットロードからネット配信する先駆けであった。「今から走ります」と綴っていた。
ビックリしたのだが、やはり鈴鹿レースに関心を持って、検索して、私のホームページを見つけてくれる人たちが増えていったのである。
無名である私にレース会場で、「ホームページ見ているよ、がんばってくださ」と声をかけてくれる人がでてきたのである。
鈴鹿レースにでるライダーは、間違いなくバイク好きなのだが、声を掛けてくれているのは女性たちが多い。
自分はバイクには乗らないけれども、モータースポーツを見て楽しむのが大好きな人が多くいることを実感した。

ホームページというのは、情報発信力があり、すごく影響力があるんだなと感じた。
引退して、どんな仕事をしようかと考えたとき、選んだのは、ホームページ制作・運営の仕事だった。
2009年に川崎重工業のバイク部門を世界的なメーカーに育てられた古谷錬太郎さんから、「NPO法人The GoodtimesのHPを作って欲しい」というお誘いをいただいたのが、古谷さんとのお付き合いの始まりである。
今回、二輪文化を伝える会をNPO法人化したのだが、もともとは、「外国人に日本の二輪文化の魅力は何ですか」と聞かれたときに、「バイクに乗ればわかるよ」ではダメだと思い、うまく説明したいと思ったのが切っ掛けである。
古谷さんから、カワサキのバイクの歴史を教えてもらいつつ、メーカーの枠に留まらない、まさに日本の二輪文化の歴史を整理し、その挑戦の数々やエピソードなどを調べていくとすごくおもしろい。
それらの良さを伝えていきたいと感じた。調べていくと誰も知られていないような多くの出来事と、エピソードがたくさんあることが分かってきた。

★その1つが、日本人で最初に世界のバイクレースにチャレンジしたライダー、多田健蔵氏がいたことである。
日本にまだバイクメーカーがない時代の昭和5年(1930年)。
たった1人でシベリア鉄道に乗り、何十日もかけて英国に渡り、死亡者続出のマン島TTバイクレースに日本人で最初にチャレンジしたのが多田健蔵さんだった。





多田さんは、日本では自転車競技のレーサーで、バイクという新しい乗り物ができたことで、バイクにも挑戦したのである。
世界で勝負したいと、英国のマン島のTTレースに参加し、見事15位に入賞を果たされた。
当時、無名の日本人が、たった一人ではるばる英国にやってきて、レースに挑み、結果を残したことで、初めて、バイクの分野で世界が注目する日本人になった。今風の表現をすれば、「侍ライダー」という言葉がピッタリ。
小説「汚れた英雄」にも描かれていない、まぼろしの侍ライダーだ。

多田さんは、その後次々に誕生した日本のバイクメーカーには所属しなかったので、各メーカーの公式ページには多田健蔵の逸話がないのである。
なお、晩年に多田さんは、スズキの契約顧問として少しの時期活動されたようである。
マン島TTレースに、日本のバイクメーカーで初めて、参戦したのは、ホンダである。多田氏の参戦から十数年後のことである。
しかし、当時のホンダは自社で作ったバイクでの参戦を申請したのだが、ダメだと門前払いになった。
ちなみに、多田さんが参戦したときは、英国メーカーのベロス(Veloce)製のオートバイ「べロセットKTT」であったので、認められたようだ。
当時の主催者から、ホンダは「日本という国には、多田健蔵がいる。健蔵を知らないのか?もぐりの会社か?TTレースに出たいなら、多田健蔵から推薦書にサインをもらってこい」といわれたそうである。
そのくらい多田健蔵氏は世界の中で認められたライダーで、日本のバイクの歴史には欠かせない人物なのである。
 
別のエピソードでは、日本で初めて常設のサーキット場が作られたのは、東京の多摩川にあった1936年の「多摩川スピードウェイ」
つい最近まで、当時の観客席の石段がそのまま残っていたのだが、近年の川の増水により、今では撤去されてしまった。


  



この「多摩川スピードウェイ」のこけら落としには、数年後にホンダの創業者となる本田宗一郎氏が自分で作った自動車で参戦。大きな事故をして命を落としかけたというエピソードがあることが分かった。
創業前の話なので、ホンダの社員でも知らない逸話である。
もし、亡くなっていたら、世界のホンダは、この世に誕生しなかったかもしれない。
 
★日本で最初にバイクレースが行われたのは、1912年で、実は兵庫県西宮市の鳴尾浜である。当時は、鳴尾浜競馬場という競馬場があった。
そう、日本最初のバイクレースは、競馬と同じ感覚であったのである。この鳴尾浜競馬場は今なく、一部がプロ野球阪神タイガースの鳴尾浜球場となり、一部は、武庫川女子大学の来賓館となっている。
 日本では、四輪よりも二輪の方が、肩身の狭い感じがしている。
バイクメーカーには所属していなかった多田健蔵氏のエピソードは、世界で最初に認められ日本人ライダーのストーリーであっても、時間がたつと風化してしまう。
バイクメーカーが残そうとする二輪文化のエピソードは、自社に関連しているものだけというイメージだ。
商売につながらないなら、相手にしない的なムードを感じてしまう。
だから、バイクを買わない人への広報への必要性は、話すと素晴らしいと言ってはくれるけれども、自ら動いて何か行動しようということにはつながらない。
 

★鈴鹿8耐レースに参戦し、ホームページでPRし、反応してくれた人たちとの経験からすると、現場に見に来ている人たち約20万人のうち、実際にバイクを買って乗っている人って、どのくらいいるのだろう。
多くは、バイクには乗らないけれども、バイクが大好き、レースを見たいと思って、わざわざ足を運んでくれているのに。
例えば、サッカーや野球が大好きな人はたくさんいる。しかし、1年以内にサッカーや、野球の試合に参加した人は、どのくらいの割合でいるのだろう。
ほとんどいないのではないか、多くは見て楽しんでくれるだけの人である。
 
だから、日本の二輪文化の良さを伝えようと思ったときに、「バイクに乗ったら良さがわかる」というのではダメで、バイクに乗らない人たちにも、その楽しさ、良さがしっかり伝わるような活動にしていきたいと考えている。
バイクに乗らない人を味方にできないのか?
NPO法人二輪文化を伝える会の活動は、バイクに乗らないけれども、バイクを好きになってくれる人を味方にしていくことへの挑戦になる。


  
 
私もライダーなので感じることだが、バイク乗りの意識のなかで、「バイクを降りたら、もう仲間じゃない」という意識はどこからきているんだろう?
バイクに乗っていると何か特別なことを、特別な体験をしているという錯覚におちいってしまうからかもしれない。ある種の特別感がある。
これはコンプレックスの裏返しなのかも。
そんなことも自問自答しながら、NPO法人二輪文化を伝える会のスローガンを考えました。
バイクに乗らなくても、「バイク好き」という人を増やしたい

★この活動は30年計画で進めています。
第1期の10年は「繋がり」づくりの10年。
これからの第2期は、参加者、共感者を募って、伝えてきたい二輪文化の数々を「持ち寄り」の10年です。
さらに、次の第3期は後継者を育てる活動を目標にしています。
バイクの楽しさのエピソード、お勧め情報、仲間づくり、寄付など募っていきます。賛助会員、寄付などよろしくお願いいたします。
 
といった主旨のご講演でした。
まさに、二輪文化を大切にしたいと感じたストーリー、世界の舞台に最初に挑戦した多田健蔵氏のストーリー、そして、バイクに乗らないけれども、バイク好きを増やすことへの挑戦を目指すストーリーのいずれもが、感動するご講演でした。
モノやサービスを売る際に、ストーリーの大切さが注目されていますが、人の輪づくりも、実際に売り買いには参加しないけれども、共感してくれる人を増やす活動の大切さを実感できるご講演でした。
参加されたほとんどの皆さんが、ご講演後に松島さんに握手を求めて、列ができていたのが印象的でした。

P.S: 私も大学生の頃、ヤマハのRZ250R、社会人になってからは、FZ250フェーザーに乗っていたバイク好きです。


★以上が、松島裕さんの1時間半にわたる講演の抜粋だが、
 文字通り『二輪文化を伝える会』で二輪文化を伝えようとされているのである。
 日本のメーカーがもう少し『二輪文化の向上』に積極的であって欲しいのだが、
 本田宗一郎以降にはそんな活動をされた経営者が少ないと思う。 
 そういう意味では『松島裕』さんは
 バイクに乗らなくても、「バイク好き」という人を増やしたい
 をNPO法人のスローガンにしているのだが、
 メーカー各社もバイクを買うユーザーだけではなくて、
 より底辺のバイクに乗らなくてもバイクが好きだという人達へのアプローチに熱心であって欲しいと思うのである。

 私は1台も二輪車を買ったことはないのだが、
 『二輪への愛情』は人並み以上にあると思っている。
 そう言う意味で松島裕さんの『二輪文化を伝える会』の活動も応援したいと思っている。
 現在では『二輪文化』については日本では松島裕さんが第1人者かも知れない。




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カワサキ単車の昔話  16    モトクロス創生期と星野一義

2023-09-03 05:10:22 | 発想$感想

 カワサキのモトクロスの写真で、一番旧いのはコレかも知れない。
 カワサキコンバット時代の写真だが、
 右から梅津次郎・岡部能夫・山本隆・歳森康師・三橋実・安良岡健、
 その次に写っているのが「星野一義」である。
 多分まだ18歳の頃だと思う。
 
 ノービスだったが、滅茶苦茶早くて走れば優勝だった時代である。
 この写真は私が手元にあったので送ったのだが、
 このように使って頂いた。

 



 そんな若い時代カワサキにいたのだが、
 今では『日本一速い男』と言われて
 こんなレース雑誌に特集が載ったりする。
  

  




 こんな雑誌の最新の9月1日発売号だが我が家にこんなにいっぱい送っていただいた。

 鈴木忠さん、小島松久、吉村太一、
 みんな星野一義とおんなじ時代だが、
 当時はまだMCFAJのいクラブマンレースも盛んにおこなわれていて、
 各クラブ間の交流もあり仲が良かったし、
 私などでもみんなよく知ってて今でも繋がっている。

  


  今回のは四輪よりも若い時代の星野一義が紹介されていて、
 『日本一やばい男』と称されて特集されている。
 私も初めて聞くような子供のころからの話もいっぱい載っている。





★ 星野がカワサキにいたのは1965年以降なのだが、

  静岡から関西にやってきて、山本隆・歳森康師とともに
  神戸木の実クラブに所属していた。
  山本隆さんが、星野のモトクロスのお師匠さんだし、
  先に日産の四輪に移った歳森康師の誘いで四輪の世界に移ったのである。
 
  
  

 これはもう二輪時代の最後のほうだが、
 札幌の手稲オリンピアの第5回日本GP の写真だが、
 先頭から、吉村太一・山本隆・星野一義・木村夏也と
 私もよく知っているライダーたちが並んで懐かしい。


  
  

 私がレースの担当時代は1966年までで、
 このころはすでに仙台の営業第1線に異動していたのだが、
 この時は仙台から札幌まで車を飛ばして
 レースを観に行ったのである。
 確かこのレースも山本隆か星野一義の優勝で吉村太一ちゃんと3人で
 上位3位までを占めたレースだったと思う。


★昨年11月にあった「カワサキZ50周年」には、
 星野もわざわざ明石まで来てくれて、
 昔の仲間たちとの再会を喜んだのである。

 私にとっても「昔の仲間」との再会でもあった。

  
 

  
  一番最初の星野一義との契約は私が担当したのだが、
 まだ18歳の星野だったが、毎月2万円、年額24万円だったのである。
  今では超有名人になっているのだが
  全然気取らずに『昔のままの星野』がそこにいて本当によかった。
 
  
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囲碁

2023-09-01 05:35:10 | 発想$感想

★ 最近は特にすることもないので、
 ネットの『パンダ碁』を打っている時間が結構ある。

 
 


 世界で囲碁を打つ人は、推定約3600万人もいると言うのだが、
 日本では碁を打つ人はどんどん減って
 2012年には400万人ぐらいもいたのに、今では150万人ぐらいになってしまったようである。
 それも高年層の比率が高く若い人が碁を打たなくなってしまったのはなぜだろう?

 
 囲碁は碁席で相手の人と向かい合って
 こんな碁盤で相対することになっていたのだが、
 碁席にわざわざ出かけて、お金を払って打つとなるとちょっと大変かなと思ったりもする。

  
  
  
★ 私の場合は『パンダ碁』でネットでパソコンの画面で打ってるので、
 非常に簡単で、相手はここに登録している人と打つのだが、
 世界で何万人も登録してるので、
 日本人に限らず世界中の人達と打っているのである。


 これは昨日の実績だが、
 めちゃ調子が良くて15局も打って11勝4敗だった。
 こんなことは滅多にないので、ブログにアップして残しておこうと思ったのである。

 
  
  

 若いころは初段格で打ってうぃたのだが、
 最近は考えるのが面倒になって、手拍子でどんどん打つので、
 3級あたりでいい加減に打っていたのだが、
 昨日のように勝つと級も上がって2級になって、
 2級では少しは考えて打つようにしたら、
 2級でも7勝3敗と勝ち越せている。



 


★こんな成績が続くと、若いころのように確り打とうかとも思ったりするのだが、
 やはり今はのんびりと時間つぶしの囲碁を打つ方が気楽かなと思っている。
 
因みに、パンダ碁は1か月2500円ほど掛るのだが、何局打っても同じ額なので、こんなに何局も打っている。
1局に30分ほどは掛るので、1日のうち碁を打ってる時間は結構長い。

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