雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

和田将宏君のことと

2007-11-30 04:53:50 | M/Cレース
mixiのメッセージで、大阪の森田さんからこんなメールを頂いた。

「昨日、MFJ近畿ブロックの会議があり 休憩時間に和田将宏氏と最近のブログ等について話をしていたところ 和田氏が「古谷さんの雑感日記やろ アレ毎日見てるで」と言われ 何かとても嬉しく、カワサキの昔話も交え いつもより更に会話が弾みました。
知っている人同士もブログを通じて更に深く繋がったり 世代を越えて理解しあえるきっかけになる ブログの力を改めて感じた次第です。」


和田将宏君、ご存知の方も多い有名ライダーである。
引退後もMFJの役員として大いにレース活動に貢献をした。

こんなレース成績が残っている。

カワサキの契約ライダーの頃も、引退してミスターヒロというバイクの店を出してからも懇意にして頂いた。
彼のBMWに乗せてもらって、大阪の町を走り廻ったりもした。
ところが、不思議なことに彼のレースで走る姿は一度も見たことがないのである。

私がレースを担当していたのは66年までで、67年からは仙台で営業をやっていた。
彼がカワサキと契約をしたのは67年からである。
カワサキのマッハ、H1,H2時代、世界を舞台に活躍していたのはよく知っていたのだが。

そんなことで和田君と初めて会ったのは仙台から大阪に戻った71年である。

大阪営業所にめちゃくちゃレースの好きな篠ちゃん(篠原)というのがいて、篠ちゃんのところにしょっちゅう出入りしていた和田君と出会ったのである。
今、チームグリーンの監督をしている野村君も当時はまだ学生だったのだが、同じレースグループで大阪営業所にはよく出入りしていたようである。


私もまだ、若かったしもともとレースは好きだったので、レース関係で営業所に出入りをする連中には、よく面倒を見ていたのだと思う。

当時、モトクロスが好きでレースに熱心だった野崎さん(故人)というお店があり、その店のレースもよく手伝っていたのだが、実は冒頭の森田さんは、この野崎さんとのご縁でブログで繋がったのである。

森田さんは、今いろいろとレース関連の面倒を見ておられて活躍中で、和田さんとも繋がっており、私ともそんな関係である。

来年2月3日(日)にはMFJのふれあいミーテングが大阪であるので是非お会いしましょうと誘って頂いている。
この会合には今年も出席させて頂いたが、想い出を共有する仲間たちがいっぱいいて楽しい会合である。

是非、来年もと今から楽しみである。
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大和川に鮎戻る

2007-11-29 05:27:45 | 日常生活、園芸、バラ
昨日の夕刊、「川で鮎産卵、清流戻る?」の見出し、
どこの川かと思ったら、大阪の大和川だという。

記事を読んでみると
「日本一汚い川と評される大和川で、清流に生息するとされるアユの産卵や、赤ちゃんアユの海に下る姿が、藤井寺市内の2箇所で確認されました。国土交通省の大和川河川事務所が発表しました。」

国土交通省が発表するようなことかと、
「大和川」で検索してみると、こんな立派なホームページに出会ったのである。
「Cプロジェクト」というプロジェクトも立ち上げられている。

これは、読み応えがあるし、大和川を日本一の汚い川から綺麗な川に戻そうという熱意が感じられる。
いろんな立派な取り組みもなされているし、大和川の歴史や知識など自然に対する愛情も感じられていい。



事のついでに、淀川や紀ノ川などの河川事務所のホームページを見てみたが、大和川のような内容のものはなかった。

加古川や美嚢川はどうなっているのか、検索してみるとこんな感じである。


なぜか、意気込みが違うように思った。
大和川よりは、加古川や美嚢川のほうが清流に戻り易いと思う。
大和川は、日本一汚いとのレッテルを貼られたので、逆に力が入っているのだろうか。

よく解らぬが、先日の三木のタウンミーテイングで、
「昔のようにアユの泳ぐ美嚢川を」と訴えていた方の声を思い出した。

大和川でもアユが戻るのなら、みんな諦めずに環境改善に頑張ってはどうかと思う。
強力に旗を振る、自治体のリーダーが現れないものか。
それとも、もっと底辺が声を上げないといけないのだろうか。

先日、「美嚢川、トライ!トライ!トライ!」で清掃をしたのだが、より具体的な目標があるほうが励みになると思うのだが。


「ひょこむ」のブログにこんな風にアップした。
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がばい、がばい「がばいすごか武雄」

2007-11-28 05:04:05 | 素浪人&樋渡啓祐氏
「がばい」とは「とても」という意味だそうである。
今、「がばいばあちゃん」などから「すごい」と言うような意味で使われているのでは、と思っているのだが。

2007年の流行語大賞の60語の候補の中にその「がばい」が選ばれたそうである。
武雄のかいぼー先生のブログで知った。

「がばいことだ」と言うのはホントは間違いで「がばいすごか」というような使い方が正しいそうである。

昨年の今頃の「がばいばあちゃん」のロケからスタートした「がばいブーム」はテレビ番組の成功と武雄市での一連のフォローから段々と全国区になり、夏の甲子園での「がばい旋風」に繋がって、今回の流行語大賞候補になったのだと思う。

私なら、間違いなく大賞に推すのだが、果たしてどうだろうか。
若し大賞など獲ったとしたら「がばいがばいこと」である。


この1年間、ずっと武雄を見てきたが、最近の動きを見ても止まるところを知らない。
普通、物事はドカーンと打ち上げても尻切れトンボになることが多いのである。
むしろそれが普通である。

武雄にはそれがない。どんどんと発展し輪は間違いなく大きく広がっていく。
佐賀北の優勝などは確かに予想外の出来事であろうが、それが若しなくても「がばい」は候補に挙がっていたかも知れない。

若し、武雄市の活動がなかったら、佐賀北が優勝した時に「がばい旋風」などと言ったかどうか。


武雄の前進はまだまだ続いている。
TAIZO+TAKEO展も大成功だったし、樋渡さんご自身は関西大の客員教授とか本を出版されるとか、話題が絶えない。

最近は、樋渡さんだけではなしに、周辺も元気だし、周囲が動かぬと独りでは出来ないいろんな市の施策も動き出した。

武雄市のHPの充実にそれが見られる。見映えだけではなしに中味が充実することは、仕事をしてきた成果である。
私個人としては総合計画は興味がある。
ユニバーサルデザインは今後どんなに進むのか楽しみである。


樋渡さんに出会って1年経った。
1年経って武雄は変わった。私でも自慢したくなるのだから、武雄の人たちはさぞ胸を張りたくなるだろう。

「がばいすごか」ことである。
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カワサキ単車の昔話-80

2007-11-27 04:41:35 | M/Cレース
カワサキ単車の昔話も80話になった。

旧い昔を、思い出させてくれる出来事が先日あった。
ブログにもアップした「マッハの思い出の座談会である。」

座談会の後、懐かしいクルマにいっぱい出会った。
そして、懐かしい人にも。特に加藤君は久しぶりである。

1965年5月3日、カワサキ(山本隆)が、会社には内緒で、始めて鈴鹿を走った。
その結果の3位のお陰で、
1ヵ月後の6月13日の6時間耐久に、カワサキは初めて正規にロードで鈴鹿にデビューしたのである。

3台のマシンを用意した。そのライダーたちは、
1台は歳森とカワサキに初めて乗った金谷秀夫。
もう1台はモトクロスライダー同士の梅津と岡部。
そしてもう1台がテストライダーチームで加藤と飯原であった。
この二人はカワサキのはじめてのモトクロス青野ヶ原でもライダーとして出場している。

そしてこの6時間耐久の監督が大槻さん、助監督が田崎さん(現川重会長)だった。
ライダーなどのチームマネージメントを私と大西君で担当していた。

大槻さんたちとは、昔のライダー諸君も含めてZ1会のゴルフでよく会っているが、
加藤君とは本当に久しぶりである。今回出会った懐かしいクルマの数々は今加藤君が整備を担当してくれているとか。


6時間耐久は結果はだめだったが、ここからカワサキのロードレースはスタートしていった。
まだ、タンクもグリーンになっていない、まだ「赤タンクのカワサキ」時代の話である。

そういえば、写真にある安良岡が乗った125のGPレーサーも、金谷の乗ったA1のロードレーサーもタンクはグリーンではなく赤である。

そんな昔のカワサキの歴史を背負ったマシンの数々と歴史を作ってきた人たちの写真をどうぞ。
マシンは説明抜きですが、充分お解かりの方が多いと思います。

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金物鷲と肥後の守

2007-11-26 05:10:01 | みっきぃふるさとふれあい公園
この三連休,三木総合防災公園のビーンズドームで日本文化デザイン会議が行われた。2日続けて出かけていろんなことを聞いてきた。

解っているようで、知識とはうろ覚えであるということがよく解った。



三木の金物鷲も今までに何度か見たり聞いたりしたが、じっくりと話を聞いたのは初めてであった。
大きな鷲の形をした鳥で金物で出来ていることぐらいは解っていたが、ホンモノの鋸や肥後の守が使われていることなど、初歩的なことなのに初めて解った。

ドームの入り口に飾られている。
5メートルもあるので迫力もある。
デザイン会議の飾り物としては最高である。

先日は、ドイツでお目見えしたようだが、出来上がったものを運ぶことは出来ないので、どこでデビューする時も現地組み立てである。
この鷲に使われる金物製品は3329点、鋸、包丁、肥後の守など三木金物がそのまま使われている。

アメリカに飛んだこともあり、昭和天皇、皇后両陛下にもお目に掛かったことがあるという。
翼長5メートル、重さ1.5トンという。

詳しい写真と内訳などこちらをどうぞ。


この金物鷲には500本の肥後の守が使われているという。
会場の中には、協賛した県下の市の特産物のブースもあって三木はいろんな金物が並んでいた。
鋸もコテもあったが、昔のままの道具は一つ5万円も、カンナは確か18万円もすると聞いてビックリした。
肥後の守も幾つも展示してあって、500円の手ごろなものから2000円、最高級は10000円もする肥後の守も飾られていた。


見聞を広めるとはよく言ったものである。
見て、聞いて初めていろんなことが解る。

今日はこのほかのにも、幾つかの新しいことを見聞した。

そして、覚えたことを人に自分の言葉で伝えることによって、初めて知識として身についてゆくのである。
今日、覚えたことをブログにアップして、幾らか自分のモノになった。

そういう意味で、ブログもまた有用である。

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土曜日の半日

2007-11-25 05:15:25 | みっきぃふるさとふれあい公園
昨日は、9時から第1回の「みっきぃず、ふれあいウオーキング」であった。

どんなことになるのか予想もつかなかった。
「何とかなるだろう」と9時前に集合場所と書いた駐車場に行ったのだが、私を入れて4人しか来ていない。

「のぼり旗を作って、行きます」と言ってくれていた「さるとる」さんたちの姿が見えないのである。
「じゃあ4人でもやろうか」と、ジョギングとウオーキングに分れてスタートした。
しんちゃんとミキスケさんはジョギング、ヨネさんと私はウオーキングでスタートした。

天気も環境も抜群で気持ちよかった。
ヨネさんと会話を楽しみながらのウオーキングであった。


少し歩いた後で、中央の芝生のところで、のぼり旗を見つけた。
防災公園は広くて駐車場も沢山ある。
さるとるさんたちは、ビーンズドームに近い駐車場に止めてたようである。
会えてよかった。記念撮影をした。次回からここで会うことにした。

その後、また少し歩いて日本文化デザイン会議のあるビーンズドームのビーンズカフェで落ち合って会話を楽しんだふれあいウオーキング第1回であった。
さるとるさんも書いてくれている。

半日など何もしないうちに過ぎてしまうことも多い。
同じ半日でも、いろんな意味を持つ半日もある。

みっきぃずでトモダチには、なってはいたが初めてお会いして話が出来た方もいる。
今後どんな風にということも、何となく話が出来た。
みんな、ヨコ一線で組織のように上下の関係がないのがいい。

日本文化デザイン会議もみきボランテイアフェスタもやっていて
、ここに参加されていた、ひょこむのみっきぃずたちとも会えた。
三木自然愛好研究会の皆さんも出店していて、来年のポスターを買って帰った。

12時前には帰宅したが、なかなか中味詰まったいい半日であった。

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ASICS,アシックス

2007-11-24 04:57:14 | 発想$感想
アシックスの創業者、鬼塚喜八郎会長のお別れ会が開かれる。
神戸の一企業として1949年にスタートして以来、靴一筋にアシックスを育ててきた。

今は、世界的にも有名になり、世界の一流選手たちがその製品を競って使っている。
順調に社業が伸びだしたのは最近のことであるように思う。

神戸の企業であったし、幾らか仕事の上でもお世話になった。
ジェットスキーの専用の靴を開発してもらったことがある。
個人的には、娘がお世話になった。

そんなことで、会社のいろんな方たちとも接触があった。
一言で言うと、「靴に関しては本当にプロだ」と思った。
当時は、アシックスの会社の業績はそんなによくはなかった。



そんな時代に、私が一番印象に残っているのは、
アシックスの企業理念であり、その社名の由来であった。

ASICS(アシックス)は、このようにして名付けられたのである。

紀元2世紀の初め、ローマの風刺作家ユベナリスが
「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ」 との名句を残しました。
原典では「精神」は「Mens」で表現されていますが、「躍動する精神」という、 より動的な意味をもつ 「Anima」に置きかえ、“Anima Sana in Corpore Sano”とし、 この言葉の頭文字をとって当社の社名としました。

そしてその企業理念は、

すべてのお客様に価値ある製品・サービスを提供する
私たちを取り巻く環境をまもり、世界の人々とその社会に貢献する
健全なサービスによる利益を、アシックスを支えてくださる株主、 地域社会、従業員に還元する
個人の尊厳を尊重した自由で公正な規律あるアシックスを実現する



どこの社にも、企業理念や社是などは存在する。
然し、本当にその通りのことを実行する経営者は少ない中で、
鬼塚さんは、一生自分の信念を頑なに貫き通した経営者だと思う。

靴に対する,こだわりや愛情が伝わってくる経営であった。
会社の外にいる我々にもそれが伝わったし、感じ取れた。
2000年に入ってから、世界的に認められて本当に一流会社の仲間入りを果たしたように思う。

鬼塚さんが亡くなられる前に、
会社がそのようになって、本当によかったと思っている。

心からご冥福を祈りたい。
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反町監督おめでとう

2007-11-23 04:43:50 | スポーツ
22歳以下のサッカー男子、サウジアラビヤと0-0の引き分けで見事北京五輪の出場権を獲得した。

テレビでずっと見ていたが、目の離せない緊張の一戦であった。
最後のレフリーの笛を聞いて、本当にほっとした。
よかったと思った。


もう30年以上もサッカーを見続けてきた。
きっかけは、息子が小学校の3年生の頃、
野球かサッカーかを迷った挙句、サッカーのほうに進んでからである。

その頃はまだ、一般のサッカーのレベルは全然と言うほどダメだった。
そんな中で、市を挙げてサッカーの普及強化に取り組んでいた全清水のサッカーチームが群を抜いて強かった。
サッカーどころ静岡を自他共に許していた時代である。

神戸も昔から、御影師範や神戸一中などサッカーが強く、その流れを汲んで神戸FCなど有名チームもあったのだが、清水には歯が立たなかった。

毎年、清水が神戸に来て、小中学生のサッカー大会が開かれていた。
その全清水のチームの一員に、反町監督がいたのである。
息子と同学年であったのでゲームの最中に、「そりまち、そりまち」とコーチが声を掛けるその「反町」と言う名前が印象的で直ぐ覚えた。



そんな反町君と息子とはご縁があって、
当時はまだ日本リーグの時代であったが、全日空のサッカーチームでチームメイトになったりした。
Jリーグになった時、みんな会社に戻ったのに反町君だけは横浜フリュウゲルスに残り、平塚に移籍してプロの道を選んだ。
29歳の時である。それだけの自信はあったのだと思うが、正直ビックリした。

代表にも選ばれたりはしたが、選手生活はそんなに永くはなくて、
その後気がついたときはスペインリーグに詳しく、その解説などをしていた。
新潟の監督になってからは、ご存知の通りの活躍である。



大体、ファンになったりするきっかけは、
その人と会ったり、何かの関係があったりすることで、ファン化するのだと思うが、
私は、新潟時代からずっと反町監督のファンである。

子供の頃からの反町君を見て、知っていることもあるが、
一浪して慶応に入り、全日空からプロの道を選んだ生き方、
その後の歩み方に非常に強い意志と信念を感じたからだと思う。

そんなことで、22歳以下の全日本監督になってからも、いろいろ言われたりしたがずっと一ファンとしてチームと言うよりは、反町監督を応援してきた。


トレードマークの眼鏡に細身のスーツ姿。冷静そうな見た目とは違って現場では熱い。
練習で使うホワイトボードにはいつも、「情熱と誇り」と赤いペンで記し続けた。
と新聞のコラムの記事。

反町康治監督43歳。 もう43歳なのだ、まだ43歳なのだ。

心からおめでとうと言いたい。
北京も頑張ってもらいたい。
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あるZ1物語のZ1

2007-11-22 04:58:39 | カワサキ単車の昔話
先日、川重の明石工場に久しぶりで行って,記念車の展示場を見せてもらった。
実は私は始めて見たのである。懐かしいクルマがいっぱいあった。

その中で、1台のZ1に目が行った。
黄色いタンクのZ1である。
イタリアのアルプスの麓から遠く海を渡って、生まれ故郷の明石工場にはるばる里帰りをした、
「あるZ1物語」のZ1は、これに違いないと思って見ていたのである。


話は少し長くなるが、
私のレース担当を引き継いでくれたのが、岩崎茂樹君である。
もう40年以上も前の話だが、その後私の長い二輪関係の仕事の中で、援けたり援けられたりしながら続いた仲である。

いい奴だったのに、突然亡くなってしまった。
こんな岩崎君のことをブログに綴ったのは、2月7日のことである。

このブログには、本当に沢山のコメントを頂いた。
その中の一つにtoyamaさんからのこんなコメントがあったのである。


はじめまして (toyama)

2007-02-08 17:15:07

はじめまして。

岩崎さんのお話を拝見して、感激しました。
岩崎さんには、とてもお世話になりました。
今でも感謝の気持で一杯です。
ご自宅にお邪魔して色々とお話をお伺いしたり、遊びに来ていただいたりと、楽しい思い出がたくさんございます。
本当に心の広い、素晴らしい方だったと思います。
岩崎さんのお話を書いて下さって、本当にありがとうございます。


これがご縁でtoyamaさんとのお付き合いが始まった。
たまたま、私と同じ町にお住まいであった。

seazcompanyというお店をやっておられる。
そのホームページに、この「あるZ1物語」は載っているのである。


そして、toyamaさんのブログには「岩崎茂樹君について)こんな風に書かれてある。

そんな想いがいっぱい詰まったZ1なのである。
ブログで繋がる、ブログの良さだと思う。

バイクが好きな方、是非、じっくりリンクをお読み下さい。



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ビーンズドーム周辺を歩いてみませんか

2007-11-21 08:45:51 | みっきぃふるさとふれあい公園
今週土曜日、9時からです。
ビーンズドーム周辺を歩いてみませんか?

三木防災公園とはこんなところです。
何度も行って撮ってきた写真を集めてみました。


めっちゃ気分のいいところです。

こんな催しです。「呼び掛けはしますが、主催はしません。」
みんな自由に、好きなことを好きなようにお楽しみ下さい。


ツーリングに絶好のロケーションです。
大阪、京都、徳島、岡山、日本海側みんな1時間ほどの絶好の立地です。
当日の天気予報は晴れ。

バイクでも、クルマでも是非ご家族で、グループでご参加下さい。
毎週、土曜日、9時からです。


呼び掛けグループ

「ひょこむ」のコミユニテイ
「好きやねん!みっきぃふるさとふれあい公園」の「みっきぃず」たち。
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有難うございました、そしてまた。

2007-11-21 05:04:07 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
毎日アクセス下さる方も、ある検索ワードで1日だけ訪れて頂ける方も当然あるのだが、
このgooだけの、先週末で累計のアクセス数が10万人を超えた。
100,024人である。
見て頂いたページ数が281,647ページになった。

ブログを始めたのが、昨年9月だから、1年ちょっとである。
自分でも不思議に思えるような数字である。
確かに、世の中には1日に1万人のアクセスのあるブログもあったりはするが、そんなスーパーブログではないのである。
ただ、何となく想い出や、経験や感想、発想などを書いているだけである。

ずっと飽きずに、毎日訪ねてくださる方がいる。
どなたかということが、はっきりとアクセス解析で解る場合もあるし、解らなくても推測は出来る。

アクセス数のためにブログをアップしている訳ではないが、gooのアクセス数は大きな関心事である。
5つもある全部のブログでは、13万を越えているのだが、重複されている方も多いと思うので、特にgooほどの関心はない。



2年目に入って「ひょこむ」を始めた。
この1年、ブログで繋がった人も沢山いた。
面識が出来た人たちもいる。お互いブログというもので繋がっていて、何となく仲間意識のようなものがある。

「ひょこむ」はそんな仲間意識をもう少し明確に意識して、「何かが出来る」そんな可能性を秘めている。そんなSNSである。

2年目は、単に何かを書いて読んで貰っているだけではなしに、
「より具体的な何か」をみんなでやりたいなと思っている。

アクセス頂いている方の何人かとは、一緒に行動することになるのだろうが、見て頂いている方も間違いなく応援者と思えるのである。

10月6日に「ひょこむ」に「好きやねん!みっきぃふるさとふれあい公園」というコミユニテイを立ち上げて、今メンバーは21人になりました。

三木に関心のある方、幾らかでも関係のある方、大歓迎です。
ON ANY SANDAで一緒に遊んだ元MX全日本チャンピオンの山本隆君もRM250さんも仲間に入ってくれました。
一緒にやってみようという方、メールアドレスをご連絡頂ければ、ご推薦します。

この週末は、ビーンズドーム周辺を歩きませんか。
みっきぃず ふれあいウオキング」を24日9時、防災公園スポーツエリアで行います。
どなたでも、ご自由にご参加下さい。

明日でも、もう少し詳しく広報します。
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三木のブログ

2007-11-20 05:17:20 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
この1年でブログを書く人口は飛躍的に増加したと言われている。

三木の市政や動きについて書かれているブログも多い。
お気に入りに入れて、毎朝拝見をしている。

沢山の方が自由に意見や想いを述べられるのだから参考になるし、
ブログに寄せられるコメントもいろいろあって興味深い。
いつの間にか、9人の方とは面識が出来た。

アイウエオ順に私のお気に入りをご紹介する。

えみこな奮闘記  三木のいろんな活動に参加されている
大西ひできの方丈記 市議大西さんのブログ
オンブズマン三木  ブログを通じて三木市政をみつめる  メンバーは多い
さるとるファイト  8月からスタートされた 役所の職員の方
市民ふれあい部長のブログ   幾つかある部長さんのブログの中から
どうぶつのつぶやき  最近始められたブログです
はばカフェin三木  三木ブログの先駆者、三木市のカテゴリー180以上
僕は一生三木にいます   「やまかず」さんのブログ
ブログdeみっきぃ   市の広報グループ、JJのブログ
まちづくり部(長)のあれこれ日記    最近、中味一新されました
もて木みち子 オレンジニュースブログ版   市議、もて木さんのブログ
米田和彦議員徒然日記   市議、米田さんのブログ

このほかにもあるのだろうが、ブログとしてお気に入りに入っているのは、これだけである。
藪本市長のブログも入っていたのだが、残念ながら止めてしまわれた。

「ひょこむ」の中でブログをやっておられる方もいる。
私もひょこむの中で簡単なブログを持っている。私のブログもご紹介しておくと、

ひょこむのブログ  三木のことを中心に
雑感日記 村ぶろ  500人の村、北山村が立ち上げたブログエンジン、日常のことを中心に。
雑感日記 FC2   日本で一番参加者が多いというブログの仕組みは?との興味で。ここは、私のマーケッテングマインドのはけ口みたいな使い方である。
雑感日記excite  三木のこと、発想、感想などを写真と一緒に
雑感日記 Yahoo 殆ど三木の写真が中心です。三木の紹介。

何故こんなに沢山と仰る方が多いが、
各ブログサービスのマーケッティング、ブログサービス毎の特徴と進歩状況などに興味があること。
自分では勝手にコンセプトを各ブログ毎に、その時点では決めている。
中心は、あくまでも「goo」である。ヨコに拡げておくとリンクなどでその巾が広がることと自己満足、そして他の方との差別化。

ご紹介したブログのうち、6人が今「ひょこむ」の「みっきいず」のメンバーである。
「好きやねん!みっきぃふるさとふれあい公園」というコミユニテイで具体的な活動を開始した。

このほかに「ひょこむ」だけでブログを発信されている方もいます。
情報発信力を持った方の活動は、さらに輪を拡げる力を持っています。
ヨコに繋ぐ力は、具体的な結果を生み出します。
さらに発展することを大いに期待したいと思っています。


 
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美嚢川 トライ!トライ!トライ!

2007-11-19 05:12:46 | みっきぃふるさとふれあい公園
昨日、日曜日、いいお天気にも恵まれて、
リバーサイドの清掃イベント「美嚢川トライ!トライ!トライ!」は、大成功でした。

イオングループの方たちが、ずっと続けてきた地道な活動を、土木の日に合わせて応援をしようと呼び掛けて、今月の清掃場所、美嚢川のリバーサイドに合わせて
「美嚢川トライ!トライ!トライ!」と名付けたのものです。

民間の善意の美しい活動を、行政の人たちが広く呼びかけて、さらに大きな輪に繋ごうと意図したもので、「行政参画」とも言える素晴らしい試みだと思います。

「日本一美しいまちをめざす」三木が、市民の行動に行政が賛同しさらに市民につなごうと言う「美しい企画」であり「美しい行動」だと思います。


日曜日の休みにもかかわらず、午後にはその朝の様子が二つのブログにアップされました。

まちづくり部(長)のあれこれ日記

ブログdeみっきぃ

これくらい迅速に、てきぱきと対応されると本当に気持がいいものです。
神戸新聞が取材をしていたとか聞きましたが、新聞より一足先の広報です。

三木も捨てたものではないと思います。
何か、動く気配を感じます。

このテンポで、こんなスタンスで市民を後押しし、またリードして欲しいと思います。

及ばずながら、私も応援していました。
こんなに大成功でした。

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野球部OB総会

2007-11-18 05:31:40 | スポーツ
学生時代、余り勉強もせずに野球に熱中した11年であった。

旧制中学3年間、高校3年間、大学4年間、さらに1年余計に行って監督をした1年間の11年である。

中学の時は春、高校の時は夏、チームは二度甲子園には出場した。

昭和23年と25年、まだ何もない戦後のことで、甲子園と言っても今のような派手な騒ぎにはならなかった。

ただ、その頃は兵庫県の予選も、正月にあったOB戦も甲子園で行われていたし、
大学のリーグ戦が甲子園で行われたこともあって、学生時代一番沢山プレーをした球場は、断トツで甲子園という、ウソのような野球部生活であった。

大学はそんなに強くはなかったが、練習だけは一生懸命やった。
そんな学生時代の思い出もあって、毎年今頃にある大学の野球部OB総会は出席するのが楽しみなのである。

母校のグランドでの朝10時からの野球やソフトボールの試合に始まって、OB総会、懇親会さらには夜三宮での二次会まで、トライアスロンのようなOB総会だが、
結構楽しいのである。

今年はそれを写真に撮ってきた。こんな様子である。


こんなOB会のスタイルになったのは、私の2年先輩の太田会長になってからで、もう10年にもなる。今は私より6年も下の原田会長の時代になった。

原田君は野球部の後輩でもあり、会社も一緒で密接に関係のあった仲なので、原田が会長の間は、老骨に鞭打って出席しようと思っている。
そして、これに出席しソフトボールでもプレーするために、
また1年チャンと体調を維持しようという「私の目標」にもなっているのである。
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カワサキ単車の昔話-79(マッハ)

2007-11-17 05:02:12 | M/Cレース
60年代、カワサキ創生期のレースには色濃く関係をした。
長く、カワサキの二輪に関係して、晩年までレースとの縁は切れなかった。

最後のほうは、ジェットスキーのJJSBAのレースやサーキットの建設などもやったし、ファクトリーを支えたチームグリーンの活動に関心を持ち支援した。
そのチ-ムグリーンの中心で活躍し、今はその監督をしている野村純一君に先日会った。

マッハⅢの取材があって、その頃の営業やレースの話を期待されていたのだが、私が一番レースに遠ざかっていた時代が70年代である。
その頃は、国内の特約店制度を新たに立ち上げていたのと、
その後東南アジアのCKD進出と言う二つとも全く新しい未経験の分野を担当していて、レースを振り向く間もなかったのだと思う。

マッハのレースがスタートしたのは、そんな時期であった。
当時もレースに関係していた野村君を引っ張り出して取材の助けを求めたのである。

(当日の取材の写真、クリックすると大きくなります。
左から飯原武君、青野ヶ原のカワサキ初のモトクロスに出場、金谷がデビューした鈴鹿6時間耐久にも出場。私をゴルフのZ1会に誘ってくれました。
次が、現チームグリーン監督、野村純一君。
その向こうが、Z1もマッハも当時の開発責任者であった大槻幸雄さん。6時間耐久の監督でもあり、若い頃ずっとレースで関係があった。今はゴルフZ1会の会長でもある。
こんな人から声が掛かれば余り関係がないと思っても断わる訳にはいかない。それで、野村君に応援を求めたのである。)




取材中に私もはじめての話をいろいろ聞けて楽しかった。

アップハンドルのマッハで当時の鈴鹿を席捲し、清原明彦君が一躍ロードレースライダーとして有名になったのは私も知ってはいる。

野村君の話の中に、「モトクロスのライダーだと思っていたのに、ロードを走らせても早かったのでマッハで鈴鹿を走らせた」というのである。
清原はロードのライダーで有名である。取材の方も「清原がモトクロスを?」と不思議なような顔をされた。

清原はもともとテストライダーであった。
せがまれて、モトクロスのノービスのレースに出場さしていた頃は、私も関係していた。モトクロスも結構早くて、仙台の全日本でずっとトップを走りながら、何かで失格したようなことがあったと、おぼろげながら記憶にある。

マッハに乗り出したのは、その頃だと思う。
アップスタイルのロードレーサーは清原のマッハだけであろうし、あの縞々のシャツスタイルは、どこかで買ってきたものだ、などという話を野村君はした。


昨日は野村君にお世話になったので、若い頃の野村君の話を。

71年頃、大阪の所長をしていた。
所員の中「篠ちゃん」というめちゃくちゃレースを好きなのがいて、和田将宏君らがしょっちゅう出入りしていた。
和田君は当時カワサキのファクトリー契約のライダーだったのだが、
実は彼のレースは見たことがない。営業所で出会って親しくなったのである。
そのグループの中に、まだ学生であった野村君がいたのである。

これも、野村君本人から聞いた話だが、彼は根っからレースが好きなのである。
私のように、仕事で関係があって好きになったと言うレベルではない。
ホンモノである。

チームグリーンが常に確りとしているのも、彼のようなホンモノがそれを支えているからだと思っている。
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