雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

二度目の世界一、松坂

2007-10-31 04:54:45 | スポーツ
松坂はこんな星の下に生まれてきたのだろう。

ワールドチャンピオンへの道は、レッドソックスの4連勝で当然のようにあっけなく決まった。

この舞台に上がった最後の試合には3勝3敗の決勝戦を、好投してチームに貴重な1勝をもたらした。
あの試合前でも、何となく松坂なら勝てると素人なりに思ったりした。
そんな運を背負っているのである。

松井も、イチローもこの感激を知らない。
特に、ヤンキースという一番近い位置にいると思われるチームに所属しながら、松井はこの美酒を味わってはいない。

松井、イチローというこの世界の先輩たちに比べて、「優勝」を経験した回数は松坂が圧倒的に多いのである。
確か、松井もイチローも甲子園では優勝はない。
プロの世界でも優勝は少ない。


昨日の松坂のインタビューで、本当にうれしかったのだろう。
松坂はよく喋った。その中で印象に残った言葉は、

「世界一になった」

昨年、松坂はイチローとともに「世界一」を日本チームで経験している。
どちらが、本当の「世界一」なのだろうか。
松坂本人はどう思っているのだろう?
もし、質問したらアタマのいい松坂のことだから、上手に答えるに違いない。

然し、無意識に言った「世界一」という言葉の中に、
「真の世界一に成れた嬉しさの実感」 が感じられた。

「道のりが長かった分、達成感がありますね。」とも言っている。

とにかく、松坂、岡島本当におめでとう。



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本当の目的は何ですか?

2007-10-30 05:32:16 | 発想$感想
物事なんでも、目的があって始められるはずである。

ところが、最初に目指した目標通りに、ことが進むことは意外に少ないのである。
やっているうちに、だんだんと様子が変わって行ったり、本来の目的以外が主になったり、
惰性になって、「やること自体が目的」に摩り替わったりするのである。

少し前に、「雫石の軽トラック市」に触れて、「何故上手く行くのだろう」というブログをアップした。
「軽トラック市」が上手く行っていると思ったからである。



ところが、このブログに対して地元の「くらふと一期舎」さんからコメントが寄せられた。その一部をご紹介する。

「さて全国的に有名になった雫石軽トラック市ですが、実際に開始当初よりだいぶ来場者も増えてイベントとしてはだいぶ盛り上がっています。それはそれで商店街で営業するものとしてはとてもありがたく嬉しいことなのではありますが・・・・。
商店街を盛り上げるために開始されたはずの軽トラック市ではありますが、開始以来3年を経てみるにいまだ肝心の商店街は盛り上がる気配がありません。空き店舗は毎年のように増え、軽トラ市がおこなわれない日の歩行者はまばら・・・・。町や商工会の取り組みも以前ほど「中心商店街を何とかしよう」という熱意は感じられないような気がしています。
軽トラック市が終了した直後の午後2時ころ(軽トラ市は毎月第一日曜の午前9時から午後1時まで)の先ほどまでとうって変わってガラーンとした商店街を見るにつけ「一体何のための軽トラック市だったのかな」と疑問に思います。」


なかなか、上手く行っているようでも、本来の目的とは少し離れてしまっている、というのである。

三木にも、同じように「金物まつり」という盛大なお祭りがあり、来週10万人以上の人を集めて行われる。

これなど、成功しているイベントのはずだが、
多分当初の目標であった「三木金物産業の振興」にどれでけ貢献しているのか?

或いは、これを利用したほかの目的のほうが大きくなっているのか?
毎年、やることになっている既定の事実なのか?
これは、予算も大きいとは思うが、
三木としてトータル的に間違いなくプラスと言い切れるのか?
モット他の方法が考えられないのか?
などなど、基本的なコンセプトの部分の検討はなされているのであろうか?

「金物まつり」がダメだと言っているのではありません。
本当の目的は何ですか?
というコンセプトの部分は、よく考える必要があると思うのである。


「金物まつり」も、その他いろんなイベントや行事なども、

もう一度コンセプトを見つめ直して、本来の目的は何だったのか。
その成果や今後の方向を見つめ直すことが必要かもしれません。


「くらふと一期舎」さんのご意見は、本質をついていると思うのである。

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倉敷への旅

2007-10-29 04:59:42 | 日常生活、園芸、バラ
秋の一日、町内旅行で倉敷に行ってきた。

普通のバスツアーよりは幾分旅程もゆっくりしていて、
顔なじみの人との会話も楽しく、いい小旅行であった。

午前中には、児島にある国の重要文化財に指定されている旧野崎邸を訪ねた。建物と庭園との調和、日本の昔の美しさがそこには残っていた。


その直ぐヨコに、ジーンズの手織りの工場があった。
旅程に組み込まれていた訳ではないのだが、たまたまテレビ局のロケがあって、
中を見せて貰ったが、なかなかのものである。
児島地区は日本でも有数のジーンの生産地だとか
手織りのジーパンは178000円と聞いてビックリした。


昼は、鷲羽山の温泉で。


そして、最後は倉敷の美観地区の散策を楽しんだ。
大原美術館をその核として、
水辺や白壁の建物や個性豊かなみやげ物店などが全部上手に繋がった、
見事なヨコ展開で、大勢の客を呼び寄せている。
そのコンセプトは、旧い日本の美しい風景とは対照的に、非常に新しいIT時代に相応しいものだと思った。

若い人にも、お年寄りにも、日本人だけでなく外国の人にも、
ジーパン姿にも、着物にも、
全てに似合う、美しさを持っていた。

そして、そこにその全部が、見られた。

沢山写真を撮ってきましたので、是非ご覧下さい。
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三木市長、武雄訪問で思うこと

2007-10-27 04:42:06 | 素浪人&樋渡啓祐氏
三木市長の藪本さんが武雄市を訪問されたようである。
樋渡さんの武雄市長物語には、
大きく4人の写真が載って、本音トークが出来ましたとある。




私が、地方行政に関心を持つようになったきっかけは薮本さんである。
昨年4月のことだった。
そして、一番初めに気になったのは、三木市のホームページであった。
いろいろ、意見を申し上げた。

そのホームページの担当をしていたのがこの写真の右端に写っているN君であった。
そんなことで、N君とはいろいろ具体的に話などもしたし、お付き合いもあったので、一番気心は解っている。

その頃、全国の各市のホームページを調べていて出会ったのが、
全国自治体のホームページ広報コンクールで日本一となった高槻市の市長公室長であった樋渡さんである。
ただその時は、高槻市のホームページの「こちら部長室」の記事の上で出会っただけである。
そして、私がブログをはじめたきっかけは、当時の樋渡さんの「BLOG,BLOG,BLOG」という記事だった。

ブログを始めてすぐ、「市長公室長樋渡啓祐氏のこと」というテーマのブログをアップしたのだが、
突然「樋渡啓祐です」と直接ご本人からコメントが入って、樋渡さんがその時武雄市長になっておられたことも初めて知ったのである。

そんな経緯もあって、武雄と三木は繋がった。
そして、人事交流が行われて一番左のO君が10月から武雄の営業部戦略課に出向しているのである。



1年半前に、三木市に関心を持たなかったら、こんなことにはならなかったのだと思う。
私もブログなど始めなかったと思うし、今ブログを通じてお知り合いになった沢山の方たちとの出会いもなかったと思う。

ふとしたことから、いろんなことに発展する。面白いものである。
この写真は、この1年半、私に大きな影響を与えた人たちが、揃って写っている。


昨日、ひょっとすると、今後大きな影響を私に与えるかも知れない方とお会いした。
兵庫県を中心とする地域振興を目指すSNS「ひょこむ」を主宰する和崎宏氏である。

こんなSNSについて、藪本さんや樋渡さんはどんな感想なり、ご意見をお持ちなのだろうか?

今私の一番の関心事である。本音トークがしてみたいと思っている。






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新華僑

2007-10-26 05:40:31 | 発想$感想
NHKのクローズアップ現代で「新華僑」のテーマでいろいろと特集をしていた。

ぼんやりと見ていたので、そんなにちゃんと覚えている訳ではないが、中国人というか「華僑」はずっと、凄いなと思っていた。

Wikipediaで華僑を検索してみると、台湾は入らないなどと書かれているが、現役の頃、商売とか事業を世界で展開しようとすると、よく華僑に出会ったものである。

最初に出会ったのは台湾だが、台湾は除外となると少し後の1977年ごろカワサキが東南アジアや中近東でCKD事業の市場開拓に乗り出した頃、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアではみんな相手は華僑であった。

どの国も、少数の華僑がその国の経済を実質的に牛耳っていたのではないかと思うような動きであった。
福建省などからの人たちが多かったが、日本のように直ぐ団体を作りたがったりはしないのだが、個々にはいろいろと繋がったり、親分、子分ではないがファミリー的な結束はあったように思う。

一番日本人との違いだと思ったのは、出て行ったところに骨を埋めるという考え方が徹底していたと思った。
日本人のように成功して故郷に錦を飾るというようなことがないのだと思った。

世界のどこに行っても、中国人、華僑に出会い、中国街チャイナタウンに出会った。
チャイナタウンがまた、不思議なことにどこに行ってもその土地の1等地に存在するのである。
日本の横浜、神戸もそうだしロスもロンドンもそうである。
町の名前が出てこないがナイジェリアのチャイナタウンもそうだった。

いつの日にか世界は中国によって実質支配されるのではないかと、その頃そう思った。
もう30年も前の感想である。


その頃、華僑の2世時代に入り、従来動かせない不動産よりも金融や極端に言えば身につけて移動できる貴金属などの分野で活躍していた華僑の子供たちが先進国の大学などを卒業して、日本などと組んでの工場や生産分野に進出してきた頃であった。
日本に生産技術を習いに来た青年が半年経って帰るときには日本語を喋るだけではなく、日本語で手書きでレポートを書いたのにはビックリした。
明治の日本人もこのようであったのだろうと思った。


昨日の特集で言われていた新華僑はそういう意味では3代目で、国の戦略目標に組み込まれて計画的に生まれていると思った。

国が何の関与もしない30年も前でも、ひょっとしたら中国に世界はと思ったが、この状況では、本当にそうなる可能性がある。

基本的にヨコに自由に繋ぐネットワークで、日本のように枠にはめたりしていないからである。一つ一つが自由に自分のよさを100%出せるし、それを必要とするところと自由に組める、インターネットの世界のようなものを感じるからである。


日本も、早く今のタテ割りの時代遅れに気付かぬと、本当に中国の一つの省になってしまうかも解らない。
ぼんやりとクローズアップ現代を見ながら、そんなことを思っていた。

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服部謙治君のこと

2007-10-25 09:50:58 | カワサキ単車の昔話
もう40年以上も前の話だが、仙台で営業を担当していた。
レース担当の直ぐ後で、レース界にもファクトリーにもまだまだ顔が利いた頃である。

当時はまだ地方デーラー制が残っていて宮城カワサキが宮城県を担当していた。
その宮城カワサキの整備工場を担当していたのが、服部謙治君である。
まだ、メグロの白バイが主力の頃で、4サイクルエンジンの技術も相当なものを持っていた筈である。

私と彼との接点は、そんな技術的な話ではなくて、当時服部、柄沢、大沢といったモトクロスが好きな連中がいてチームを作っていたが、その面倒を見たり、相談に乗ったり、ファクトリーとの間を繋いで上げたりすることで親しくなった。

ライデイング、テクニックについても当時のトップライダーであった山本隆君を仙台に招いて、講習会的なことをやったりした。

服部君は、結構早くて、さらにファクトリーのチーフメカニックの松尾勇さんがマシンの面倒を見たりいて、「東北の山本隆」のような存在であった。


後年、独立開業して仙台一のカワサキ販売店の地位を確立するのだが、その頃には殆ど力には成れていない。店が大きくなったのは彼の実力である。

そんな服部君だが毎年春にはさくらんぼ、秋にはお米など送ってくれる。
何のお役にも立っていないのに律儀で恐縮してしまう。

何のお礼も出来ないのでせめてブログで昔話をと思って書いているのだが、残念ながら近年目を悪くして読むのもままならない。


でも、先日服部君もよく知っている山本隆と歳森康師君とにヴィンテージのモトクロスで久しぶりに会って昔を懐かしんだので、そんなことも含めて書いている。

その時の話で、もう少し平らなところでヴィンテージモトクロスをやりたいなどと話が出たが、昔小岩井農場の牧草地でレースをやったことがあった。
あの小岩井のレースは服部君も出たと思うし、「岩手でのモトクロスでは、帰りに大変なことがあったな」と言えば「ああ、あの話か」と二人だけには解る、そんな仲である。

毎日、必ずこのブログを読んでくれている服部カワサキの方にもお礼をこめてこのブログをアップしています。

服部君、「宮城のひとめ惚れ」有難うございました。

お礼の印に、余り更新されませんが、師匠、山本隆君のブログをリンクします。

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「ひょこむ」を活かしたネットワーク

2007-10-25 09:50:08 | みっきぃふるさとふれあい公園
「ひょこむ」に参加したのは、9月21日のことである。
ほぼ、1ヶ月が過ぎた。

ひょこむに誘って頂いたのは、市役所の大西さんである。
mixiなどと同じく、参加するには既に「ひょこむ」に入っている方の紹介が必要である。そんなことで私の紹介者、即ち後見人は大西さんである。

ひょコムは、兵庫県を中心としたSNSである。
管理人をされている、「こたつねこ」さんはインターネットやSNSについては凄く詳しい。そんなことで「ひょこむ」のレベルは3000人のこじんまりしたSNSとは思えぬほど高いレベルにあると思っている。

今、三木でいろんな動きや、個々の「想い」があるが、「ひょこむ」を核にして三木に関心のある人が集まれば、間違いなく大きな力になるはずだと、
「ひょこむ」の中に、「みっきぃふるさとふれあい公園」というコミユニテイを立ち上げた。

これについて、今私が、何となく思っていることを、メモに纏めている。
もうずっと昔、カワサキでKAZEを纏めたときと、ほぼ同じ心境であり、環境であると思っている。
まだ、メモの段階で今後固めたいのだが、取敢えず、ご紹介したい。



   「ひょコム」を活かしたネットワーク(メモ)

「ひょこむ」   
兵庫県を中心にしたまじめなSNSである。現在参加者は3000人だが、発展途上にある。
三木に関心のある「みっきぃず」をメンバーとして集めることで、いろんな具体的な活動が見込める。
ひょこむの機能として、いろんな活動の連絡、活動の報告、広報、イベント予告、メンバーの意見、コメントなどいろんな機能が利用できる。
いろんな活動が幾つあっても、それぞれの分野で独立した活動も可能である。
メンバーも幾つの活動に参加するしないは自由に選択できる。

「三木地域での活動」
活動の舞台としては三木市内とする。
どんな活動でも、その中に取り入れる。
そして、「みっきぃず」というメンバーでヨコに結べる可能性がある。
インターネットと同じように「ひょこむ」を核とはするが、中心のないネットワークである。
タテ型の完結型ではないので、幾らでも拡げられるし、どんどん広がる可能性がある。
三木での活動であるが、三木市民以外大歓迎である。

「基本コンセプト」
三木市が提案している「みっきぃふるさとふれあい公園」を基本コンセプトとする。

「協力、後援、参加施設など」
グリーンピア三木、防災公園、森林公園、ホースランド、道の駅みき、よかたん、
ゴルフ場、スポーツ施設、スポーツクラブ、パソコン教室、
FMみっきぃ、図書館、自然保護クラブ、ボランテイア団体、
コープ、サテイなど個人商店まで
その他なんでも主旨に賛同される方、いずれも「みっきぃず」という個人の資格で参加する。
10月にスタートしてまだ10人ほどであるが、どんどん広がり具体的な活動ができるように企図している。


大体、そんなところだが,
ひょこむの「みっきぃふるさとふれあい公園」は今こんな状況である。



「みっきぃず」

これは、エフエムみっきぃ からそのネーミングを頂きました。
本家本元は、エフエムみっきぃ です。エフエムみっきぃをボランテイアで手伝っている人たちを「みっきぃず」と呼び、放送でもそのように呼んでいます。
非常にいいと思いましたので、使わせて頂きました。


あと1ヶ月経ったのち、どのようになっているか、楽しみです。
若し、参加ご希望の方が居られたら、メールアドレスを現会員の方にお知らせ下さい。


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松井、松坂、岡島おめでとう

2007-10-23 05:34:08 | スポーツ
松坂には、こんな運がついているのだろう。
それは、甲子園春夏連覇から始まっている。

レッドソックスが3連勝してワールドカップ出場を果たした。
イチローも、松井(秀)も野茂も果たせなかった夢を1年目で、それも自らのの勝利でモノにした。

松坂が負けて1勝3敗になった時はダメかと思ったが、
3勝3敗に並んで、明日は松坂となった時は、これはイケルと正直そう思った。

今日も危ない場面もあったが、何とか切り抜けた。
解説者などいろいろと言うが、あんなバッターが次から次に出てくる大リーグのピッチャーは大変だと思う。
それでも何とか勝ってしまう。
実力も当然あるのだろうが、とにかく、そんな運を背負っているのだと思う。

岡島もよかった。岡島は日本の成績からいえば考えられないような,活躍ぶりである。それがシーズンを通して見られたことは本当に立派である。

モットモット、活躍するのではないかと思っていた松井稼頭央は、大リーグデビュー第1戦の先頭打者ホームランで華々しいデビューを飾ったが、その後故障などでトレードされたりもう一つであった。
それが今年は、特に後半からシリーズでの活躍は素晴らしかった。


3人3様に最高のシーズンであったと思う。

個人的には、松坂のファンなので、松井も岡島も活躍して、
松坂が勝利投手にもなって、レッドソックスがワールドチャンピオンになることを望んでいる。

今朝の新聞、朝日
「力で大舞台」「絶対勝つ飛ばした」 「岡島 期待通りの好救援」
「RソックスWシリーズへ」

松井稼  「大輔、チームで攻略」闘志

と大きな活字が並んでいる。
活字の大きさが喜びと期待の大きさを現している。

みんな、頑張って欲しい。

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モーターショーとデーラーミーテング

2007-10-22 05:47:49 | カワサキ単車の昔話
KAZEの機関紙と二輪車新聞が相次いで送られてきた。

KAZEには今年のモーターショーの紹介記事である。
そして二輪車新聞はラスベガスで4日間行われたカワサキの全米デイーラーミーテイングの記事である。

どちらも二輪事業にとっては大きな行事である。

全米デイーラーミーテングには川重から大橋社長も出席されたようだが、
若し初めてならさぞビックリされたであろう。
その規模と派手さ加減は、想像以上のもので、日本で口で幾ら説明しても解らないと思うのである。

どちらも、今でも億の単位の予算だと思う。

大体二輪車の事業は、かって日本一般の企業が使うような飲み食いの交際費は極端に少なかった。
他の事業部の交際費の使い方に、何度も驚かされた。

ただ、モーターショーだとか、新車発表会だとか、デイーラーミーテングなどは逆にとてつもない規模でダイナミックに行われる。



商品とデイーラーは事業の大きな2本柱である。
特にアメリカのデイーラー会議はまた特別である。
あの広大な国の1500店の店を一堂に集めるだけでも大変である。日本と違って夫婦同伴である。
年に1回だから4日間、場所は今年はラスベガスである。

これだけで想像されても、費用が億単位になることは容易に想像できると思う。

こんなに、経費を使っても大丈夫なのか?
ところが、アメリカの流通システムは日本に比べて、極端に合理的である。
あの広い国で販売拠点は一箇所だけである。
セールスもそんなに多くない。

日本の流通組織は、最近でこそ効率化されつつあるが、まだまだである。
カルフォルニアより狭い日本に、昔は県毎に販売拠点を持ち人が居た。
こんな経費は、直ぐ億も大きい億の単位になるのである。


二輪事業は世界展開であった。
アメリカではアメリカの、アジアはアジアの、回教国は回教国の、ヨーロッパはヨーロッパのしきたりや、常識や、流通機構で事業が展開されてきた。

いろいろといいところを取り入れて修正などはされては来たが、
極端に言うと、「日本の常識が一番おかしい」のである。
日本でよく言われる構造改革などは、もっともっとドラスチックに、世界の常識で考えないといけないと思っている。


どうも日本人は、
今、自分たちがやっているやり方が 「一番正しいと信じたがる」 民族であると、
私は思っている。

モーターショーとデイーラーミーテングの記事を見て、
そんなことをまた思い出した。
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kjさんのコメント

2007-10-21 12:40:56 | 発想$感想
今朝、「あなたならどうする?」というテーマで赤福餅の問題をアップしたら、
いつも、コメントを下さる「kjさん」から、詳細なコメントを頂いた。

私のブログなどより、中味が濃いいし面白いので是非ご一読を。
コメントだけリンクすることが私には出来ないので、
全部をリンクしますが、是非コメントを、お読み下さい。
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あなたならどうする?

2007-10-21 05:50:17 | 発想$感想
こないだうちから、ずっと思っていることがある。

昨日、朝日の社説に二つ並んで取り上げられた。一つは前防衛次官の規則破り。
もう一つは、赤福問題である。

二つとも、基本的に規則破り、「ごまかし」の問題だが、一つは個人、もう一つは企業である。


不二家が問題になったのは、今年の1月である。
このとき、「困った、うちもだ」と思った企業は幾つもあったのではないかと思う。
白い恋人もそうであったろうし、赤福餅もその一つであったはずである。

では、その時企業としてどのように対応するのが最善なのだろうか?

あなたならどうする? 私なら、どうしたであろう、とずっと考えていた。

私なら、間違いなくあんなに大きく広げることは避けたであろう。
そこまでは出来るが、若し既に拡げていた企業を引き継いでいたら?
この対処の方法は、現実に物凄く難しいのではないかと思う。

どうしようもないから、「バレるまで今のままで行くか」「バレないこと祈る」このスタイルを続けている企業は他にもあるのではないか?

消費者の立場から言えば、「早く、企業が態度を変えて」ちゃんとして貰えばいいのだが、企業の側はそれで無罪放免にはならないのだろう。


リコールという制度がある。
商品の欠陥をメーカー自らが宣言して、改修するという制度で、アメリカでは古くから一般的であった。
アメリカの市場に早くから進出していた二輪業界は日本でも早くからリコールに対応した業界だと思っている。

食品業界にリコールに類する何か制度はないのだろうか。

日本でも、今ではリコールは当然のように行われているが、
一方、日本には許認可という役所の制度がある。
まだ、リコールが珍しかった昔、役所の担当官が「認可を与えた製品に欠陥があったというのか」とご機嫌が悪かったことが、あったとか無かったとか。 ありそうな話ではある。

食品業界の許認可とか、検査制度が企業がこの種の実態を明らかにしようとするとき、ブレーキになることはないのだろうか?


基本的には、日本の社会の「ごまかし体質」の問題である。
決めたことも、建前と本音を使い分けて守らない。正直者は馬鹿をみる。
マスコミも偉そうに論評するが、マスコミ自体にもそんな体質は残っている。

もうこんな体質にそろそろ「おさらば」して、
アメリカのようにフェアを基本に生きる、そんな社会になって欲しいものだと思っている。

今朝はまた、比内地鶏である。


こないだうちから、モヤモヤしながら二つのブログをアップしたが、改めて書きたくなったので書いてみた。

赤福、お前もか  FC2

赤福餅    村ぶろ
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さよなら北海道ー4

2007-10-20 06:27:16 | 北海道&建機
さよなら北海道と札幌に別れを告げたのは、99年6月5日である。

5月末日までが任期であった。
株主総会や挨拶ビジネスなどを全て終えて、6月に入ってからは、送別ゴルフや引継ぎや、家内が来ていたので札幌市内の散策や、夜の個人的な会食などで最後の札幌を楽しんだ。

帰りの便は、申し込みが始まった途端に直ぐ売り切れるという、
人気の「トワイライトエキスプレス」の切符を大滝さんが取ってくれて、22時間の汽車の旅で戻ってきた・


6月5日、午後2時5分札幌発だったが、
余程、嬉しかったんだろうと思う。その日の日記には、
大滝、花房、松田、佐藤、紺井、鈴木、近江谷、広田、重森、野村君などと見送りに来てくれた人たちの名前が書かれている。
もう少し居られたと思うがーー。女性の人たちもいたのに名前はここにない。
その名前も今では忘れてしまった。

流石に、名前を書いてみるといろんなことを思い出す。
みんな、大会社にはなかなか居ない、個性のあるいい人たちであった。
今でも、北海道川重建機はそんな人たちで支えられているのだろう。



永くサラリーマン生活をした。  お付き合いのあった人たち。

旧川崎航空機、川崎重工業に合併になってからの人たち。
カワサキオートバイ、旧メグロ、旧メイハツの人たち。
カワサキモータースジャパンになってからの若い人たち。
レース関係のライダーやメカニックや、関係者。
二輪業界のH、S、Yの方たち。
CKDのタイやインドネシヤの現地の人。
世界各地の販売店、特に日本の販売店の人たち。
末端の二輪やジェットスキーのユーザーたち。
お世話になった旅館の人たち。

などなど、考えてみると意外に籍を置いた川重よりもっと遠いところでの親しいお付き合いが多かった。
そんな人たちとの想い出を今となっては鮮明に覚えている。


短かったが、北海道の人たちともちゃんとお付き合いが出来た。
担当期間中は、間違いなく川重よりも川重建機を中心に考えた。

川重建機では、意外に株主の発言力や比重が高い会社であったが、
株主よりは従業員を、会社自体のことを考えていたと思うし、その通り出来たと思っているのだが。

とにかく、面白かったサラリーマン生活の最後が、
北海道で、「仕事をして終えられた」ことは幸せであったと感謝している。

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北海道、ゴルフ、紅葉、雪、温泉ー3

2007-10-19 06:25:58 | 北海道&建機
北海道でのゴルフ、思い出いっぱいである。

冬の間、11月から3月まで5ヶ月間もゴルフが出来ないためか、
北海道の人たちのゴルフに掛ける情熱はハンパではない。
シーズン中は回数も多いし、みんな一生懸命だし、みんな上手である。
沢山あるコンペでもグロスで3桁になる人が少ないのに驚いた。

今年日本女子オープンのあった樽前CCは川崎重工の子会社でありメンバーにもして頂いたので、よくプレーさせて頂いた。
特に、夏のゴルフは快適である。
北海道独特の芝でアイアンは難しいが、広々としているし、ゴルフは北海道と言うのもよく解る。


秋の紅葉がまたいい。
山は勿論だが、ゴルフ場の紅葉も綺麗だし、街路樹のナナカマドの赤も、その赤い実も美しい。
夏から短い秋を経て、この時期にはもう氷点下の気温を記録したりする厳しさが、紅葉の見事さを演出しているのである。

ホントに一度だけでいい。
本物の紅葉をご覧になっておくべきである。
関西などの紅葉も確かに綺麗ではあるが、北海道のそれとはレベルが違う。

プロとアマの差があると言っていいだろう。


雪、これが商売の大きな要素であった。
雪は大変だが、除雪が商売の原点みたいなこともあって、大雪はある意味有り難かった。

40年ほど前に5年ほど東北で雪を経験したのだが、40年も経つと世の中の要求レベルが全然変わってしまっている。
雪は当然北海道のほうが多いのだが、徹底的な除雪で、その後の車の走り易さは、40年前の東北のほうが数段難しかったのである。
除雪のレベルもそうだし、クルマの性能も4輪駆動が当たり前になりタイヤの性能が飛躍的に向上して、今回の2年の冬の間、道路で怖い思いをしたことがなかった。


温泉。
北海道と温泉も切っても切れない関係にある。
今更、改めて言う必要もないと思う。
どこか一つと言われたら、
大雪山の山懐深く意外に走り易い整備された道を1時間以上も走ったところにある

十勝の秘湯 「トムラウシ温泉」 を上げておこう。

流石にここは出張ではなく、休みにプライベートで行ったのだが、これは想い出に残っている。
レンタカーなら行けるだろう。お勧めである。


2年間遊んでばかりでいたのではなく、
仕事もそれなりにやったことは、川重建機の皆さんも、多分認めてくれるとは思うが、
なかなか経験することの出来ないいい2年間であった。
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北海道川重建機-2

2007-10-18 06:21:43 | 北海道&建機
北海道は広い。
その広い北海道に物を売りサービスを展開するためには出先の拠点がいる。

全道に15ほどの支店や営業所があった。

その出先を訪問するだけでも、数も多いし大変ではあったが、ある意味楽しみでもあった。
北海道は広いが道路は車で走れば快適である。
信号など殆どないし、周囲の景観が素晴らしい。

元々クルマの運転は好きであったし、長距離を走るのも苦にならなかったので、出先への出張は殆どがクルマで飛行機はたまに乗ったぐらいである。
社員の人たちもみんなクルマで、会社の経費の中でクルマに関するものの比重は高かった。

ただ、かっての社長さんはご自分では運転をされなかったようで、必ず運転手が必要であったようである。
これはこれで大変だなと思った。
例えば、北見支店と釧路支店を訪問する際には丁度真ん中の美幌峠あたりで両支店で社長の受け渡しをしていたとか。


私の場合は、単車時代の習慣で飛行機とレンタカーで全部自分で運転していた。
これは慣れると便利である。

北見と釧路の道東地区を廻ったことがあるが、女満別空港でレンタカーを借りて北見へ行き、北見から釧路もいい景色の中いいドライブを楽しんだ。
美幌峠辺りでヒッチハイクの関西から来た学生を乗せて、彼が釧路湿原に行くというので、ついでに送ってあげた。お陰で釧路湿原も見ることが出来た。
釧路に着くのが30分ほど遅れたので道に迷ったのではないかと、心配してくれたようである。

位置関係はこんな具合である。近いようだが距離は結構ある。
先日行った標津も載っているのでご参考までに。


こんな調子であったので、北海道のほとんどと言っていい位、いろんな道を走れたし、あちこちに支店があったのでいろんなところを見ることが出来た。

北は宗谷岬、南は襟裳岬、東は知床5湖や羅臼、西は積丹半島の岩内町と行くことが出来たし、稚内から知床まで東海岸線も、稚内から留萌までの西海岸線も走ることが出来た。
極端に言えば、観光旅行をさせて貰ったような2年間で有難かった。


唯一つ、訪問できなかったのが、中標津営業所だったのである。
それが今度の鮭つりでたまたま、場所を見つけてメモを置いてきたのである。



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北海道川重建機-1

2007-10-17 05:31:24 | 北海道&建機
サラリーマン生活の最後の2年間を北海道川重建機でお世話になった。
川重建機と称しているが、川重の子会社ではない自前の優良会社である。

ずっと遡って、東北の仙台にいた40年も前の話だが、
その頃には、地方の二輪デーラーもメーカーの直販会社ではない自前の資本の販社が存在していた。
今はそんな性格の会社は殆どなくなって、メーカーの部下のような直販販社ばかりになってしまった。

歴史を振り返ってみると、直販会社になっていく過程は、
「経営不振ー資金援助ーメーカー出資」となって最後全額メーカー資本というのが、大体の流れである。

北海道川重建機はそんなことにならなかった優良会社であったのだが、
オーナー社長さんが亡くなったりして、適当な経営者が居られなかったのか。
2年のお約束で経営を担当することになった。


これは私にとって非常に面白い経験だった。
興味もあったし川重とは関係のない現地籍の人たちと一緒に仕事をするのは、
生まれつきの太平楽な性格で、特に興味があった。
個性の強いうるさい人もいたが、そんな方とのお付き合いは遣り甲斐があった。
心配しなくとも必ず上手く行くであろうという自信みたいなものもあったし、結果もまあまあ上手くいった。

今まで経験した二輪とかジェットスキーとは性格が全然異なる商品だから、
今更商品など覚えてみても仕方がないと、一切商品の名前なども覚えないように務めた。

その代わり、
そこに勤めている人と仲良くなること、
経営数値の内容は、社内で一番詳しくなるようにと新しい管理方式を導入して、
この二つだけの課題にしぼった経営に心掛けた。

これは直ぐ、出来た。
この二つだけで、2年間まあ上手く行ったと思っている。
私自身も、結構楽しかったし、少なくとも現地の人に煙たがられたりはしなかった。
はじめて経験する事業であったが、二輪の経験は意外に役に立った。

それは、二輪事業はある意味昔から 「世界の常識で進められていた」 からだと思う。
この時期あたりから、日本の社会がどちらかと言うと世界の流れへの追随であったために、
二輪事業の考え方は、日本の社会の新しい考え方に合致する部分が非常に多かったのである。

具体的な営業活動など、みんな任せて一切しなかった。
それでも、取引先の重要な方たちとは商売の話はしなかったが、
間違いなく仲良くはなれたし、ちゃんと話は出来た。
官公庁も銀行も業界も、私のスタイルで大丈夫であった。
あんまりぺこぺこアタマを下げることだけはしたくなかったし、しなかった。



なぜ、急に思い出したようにこんなことを書いているのかと言うと、

先日、息子と標津の忠類川に鮭つりに行ったとき、
中標津で北海道川重建機の営業所を見つけて、休みであったがメモだけ置いてきたのである。

直ぐ、「北海道川重、佐藤です」 と佐藤敏行君からメールが届いた。
「北海道に来ておられたのですね。雑感日記、ブログ読んでます。これからも読みますが、もう少し北海道のことを書いて欲しい」と注文がついたのである。

営業所に置いてきたメモで、或いはブログで、北海道に遊びにいったことを知ったのか解らないが、
このブログにも、北海道のことを書くべく「北海道&建機」というカテゴリーまで設けているのだが、なかなか手が廻らずにいる。


そんなことで、少し纏めて書いてみるかと思ったのである。

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