雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

KAWASAKI Z1 FAN CLUB 設立1周年

2013-08-31 06:01:56 | World Good Riders Association

 今朝のFacebook の記事です。

 

 

 

 ★KAWASAKI Z1 FAN CLUB が主催した

7月7日、あの KAWASAKI  THE LEGENDS & FUTURE からふた月 になろうとしている。

あの感激と興奮の1日は、こんなお別れの記念撮影で幕を閉じたが・・・

 

 

 

 また、いろんな形で、あの1日を思いださせてくれるのである。

 

別冊 Old -timer  に特集された記事である。

1ページを使って大きく報道された。

 

 

 ここに紹介されているモリワキさんの記事など、

森脇さん独特の語り口で、そのまま再現されている動画がある。

 8分50秒とちょっと長いが、プロの画像と編集は流石である。

 

KAWASAKI Z1 FAN CLUB 

今日がその誕生1周年なのである

まだまだ、ひよ子のクラブだが、既にヨーロッパにも、アメリカにもそのブランチを持った世界展開なのである。

 

その活動内容も、非常に高いレベルで保たれて、従来の世の中の数あるクラブとの差別化を図って動いている。

 

KAWASKI Zという単なる枠を超えて、Zを中心に据えながらも、

より広く 『二輪文化の新しい創造を目指して』 の活動を続ける限り、

NPO THE GOOD TIMES も その情報システムを駆使して応援するし、仲間たちも応援してくれるであろう。

 

この動画も、少し長いがぜひご覧ください。  非常に高いレベルでプロの仲間が纏めてくれている

 

森脇さんが話している言葉、カワサキの現役諸君もぜひ聞いてみて欲しい。

こんな多くの人たちに支えられてカワサキがあるのだと言うことを再認識すべきだと思う。

 

 

 

 

 

 これがその動画、8分50秒です。

 http://youtu.be/ZKdEuytpOns

 

 ★★English Version です。

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明石大空襲  68年前の話を見つけた

2013-08-30 05:40:24 | 発想$感想

 

 ★私の本籍は明石上の丸である。

 

戦時中は今のソウル朝鮮京城にいたので、戦時中の経験はあるのだが、空襲の経験というか爆弾や焼夷弾を落とされた経験は皆無である。

ただ、明石の空襲で伯父の家の敷地内に3発の爆弾が落ちて叔母が亡くなったし焼夷弾で家は全焼してしまった

明石公園の外堀の直ぐヨコだったから、神戸などに比べて安全だと、知人の疎開の荷物なども沢山預かったりしていたようだが、みんな焼失してしまったようである。

これは戦後、引き揚げて来て伯父などから聞かされた話で、自分の経験談ではない。

 

 

★先日、ひょんことで『明石空襲』というサイトを見つけたのである

 

              空襲の記録

昭和20年1月19日

明石への最初の空襲は兵庫県下への最初の本格的空襲でもあり、川崎航空機明石工場が標的とされた。

B29爆撃機63機が川崎航空機明石工場に610発・154トンの爆弾を投下、当時の川崎航空機には全国から

学徒勤労報国隊や女子挺身隊が動員されており、この空襲で263人(内、学徒16名、女子挺身隊8名)の犠牲

者を出した。川崎航空機明石工場の被害は甚大で、発動機・組立工場の38%が損害を受けた。

 

    多分この時の空襲で叔父は、工場内で亡くなったのだと思う。

  それが、終戦の年の1月だったということは、このサイトで初めて知ったのである。

 

 

                   昭和20年6月9日

 午前9時54分、B29爆撃機25機が来襲、500~100キロ爆弾60個を川崎航空機工場及び明石東部付近に投下。

川崎航空機では殆ど損害がなかったが明石公園に避難した市民269名を含む死者644名、行方不明者12名、重傷者248名、軽傷者345名、家屋全滅1221戸、半壊634戸、罹災者9,426名に及んだ。

 

 

この時の爆撃で、上の丸の家には、3発の爆弾が落ち、叔母が亡くなったのだと思う。

明石市民は明石公園は安全だと思ってみんな公園に避難したところに爆弾が投下されたようである。

伯父の家は明石公園の外堀に面していて、公園側から見るとこんな位置にあった。

当時は敷地は2000坪以上もあって、全て伯父に家だったから、下の写真の全景が屋敷だったと思ったらいい

今でもここが本籍だし私はここで生まれたのである。

戦後もしばらくはそのままで残っていた。

母屋があったのは写真の一番左側あたりで、あとは全て庭で家は建っていなかった。

 

 

 

 

空襲の状況を非難した人に知らせるべくラジオの拡声器を庭に設置しておいたのだと言う。

それを聞くためにちょうど公園の対面はこんな形になっていて、そこに避難していた人が集まっていたのだと言う。

 

 

 家の方から見るとこんな形の池なのだが、この石垣の上にいた人など、爆撃の後この池は屍で埋まったというのが、伯父から聞いた話なのである。

伯母はこちら側にいたのだが、この爆撃で亡くなった。

防空壕にしていた築山の下のガレージの中に祖母と、伯母と叔母の3人がいたのだがその周囲に落ちた3発の爆弾で叔母だけが亡くなったのである。

これは6月の話だが、その年の暮れ 朝鮮から引き揚げてきたときは、爆弾のあとの一つは逆円錐形の池になっていて水が溜まっていたりしたのを覚えている。

 

 

 

 昭和20年7月7日

午前0時15分から約1時間にわたり、1,045トンの500ポンド油脂焼夷弾が投下された。市街地は火の海と

なり焦土と化し、367人の犠牲者を出した。

 

合計

死者・不明  1,560人、負傷者 1,159人

家屋の全焼 11,108棟、半壊  2,614棟

<colgroup> <col span="8" width="85" /></colgroup>
  1月19日 6月 9日 6月22日 6月26日 7月 7日 7月28日
攻撃機数 62 24 26 21 124 3 260
投下爆弾 154 144 155 184   2 639
〃焼夷弾         975   975
154 144 155 184 975 2 1,614
<colgroup> <col span="8" width="85" /></colgroup>
死  者 327 656 61 149 367   1,560
重軽傷者 141 600 21 207 190   1,159
全壊戸数 274 1,227 175 357 9,075   11,108
半壊戸数 410 634 373 1,093 104   2,614
684 1,861 548 1,450 9,179 0 13,722
罹災者数 3,355 9,458 1,364 6,384 36,410   56,971

 

 

 そして、さらに7月7日に焼夷弾攻撃があって、残っていた家も家財なども消滅してしまったのだと思う。

戦後、庭に突き刺さっていた焼夷弾の数など 2,3メートルの間隔で一面を覆っており、これではどう仕様もなかったのではないかと思った。

戦後、伯父から口頭で何度も説明は受けたのだが、こんな記録を見たのは初めてのことである

 

公園に逃げ込んだ人が沢山亡くなってしまったのは、この記録を見ても真実である。

もし、川崎航空機が明石に無かったら、明石など空襲をうけることはなかったのかも知れないし、明石公園と川崎航空機は同じ明石でも大分離れているのである。

川崎航空機は危ないが、明石公園は安全と思うのは常識である。

 

伯父の家など全焼してしまって、それは川航があったからだとも言えるのだが、そのカワサキに私はお世話になって生きてきた

これも、仕方のないことで、川崎航空機を恨みに思ったりしたことは、これっぽちもないのは、自分でも不思議に思う。

何となく不思議なご縁なのである

 

そんなご縁で、二輪の世界と出会えて、最高の人生が送れたと思っている。

 

 

 

 明石公園にはこんな碑が

 

 

 

 

 

 

 川崎重工業の明石工場の中には、こんなお地蔵さんがあると記録されているが、

実は私は、二つとも知らないのである。

 

明石公園の直ぐヨコの上の丸で生まれて、今でもそこが本籍で、空襲のあった昭和20年の12月に朝鮮から引き揚げてきて、中学1年生であった私

その生々しい現場を知っている私にも、初めて聞く知らない話がいっぱいなのである。

戦後もホントに遠くなってしまったものである

 

もう 68年も前の話 なのである。

 

 

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今の日本の難しさ???

2013-08-29 06:13:02 | 発想$感想

★日本もちょっと世の中が変わってしまったような気がします。

昨日は、そんなことをいろいろと体験しました。

 

今アメリカの孫と娘が日本に戻ってきています。

孫は、受験が通れば、今後日本で生活することになるのでしょう。

アメリカの孫は3人います。

その孫たちが郵政民営化になる前の郵便局の貯金を孫たちの名義で、それぞれ持っています。勿論みんなまだ、未成年です。

長男は今度が大学受験ですが、長男だけは ある証券会社にも預金も持っています

これらはみんな、家内の母、孫からみたら『ひいばあちゃん』が孫たちのために貯めてくれたものなのです。

一家はアメリカで暮らしてもう10年になります。

 

非常に単純なことなのですが、

これらの貯金を下ろしたい  のですが、

郵便局も証券会社も、娘がアメリカから電話で聞いた時の答えは、 NO に近いモノでした

 

 

★1000円や2000円なら、そうですか? とも言えるのですが、百万円の桁になると、『はい そうですか?』 という訳にも行きません。

昨日の朝からの行動は、これらの事実の解決のために、今年の春から準備して動いた行動なのです。

結論から言えば、見ごとに全て解決しました

然し、多分一般の他の方たちが、普通におやりになれば、間違いなく『解決しなかった』 と言えるでしょう。

 

その理由は、郵便局や、証券会社サイドの問題もあるのでしょうが、

振り込め詐欺』などの世の中の変化で、二重三重にムツカシイ規制が出来てしまっていて、話を受ける方もそんなに簡単ではないのです。

 

 

郵便局の話は、

アメリカから娘が今年の初め『お客様相談室』に 、3人の子どもたちの貯金を下ろしたいのですが、どうすればいいですか?

という電話での質問からスタートしています。

その答えは『それは出来ません』ということだったようです。

相談を受けた私が三木郵便局の窓口で同じことを聞くと、ほぼ同様の『それは出来ません』という答えが返ってきました。

 

私は、これはこちらの事情も入り組んでいて、普通の窓口対応ではダメだと思いましたので、

課長さんか責任者の方に』と言って応対に出られた課長さんに聞いてみると、難しいけど何とかなりそうな雰囲気で、周辺の条件さえ整えれば、それは可能のように理解しました。

ただ、依頼を受けてやるのでは難しそうなので、夏以降娘本人が日本に戻った時に、具体的な処置をすることにしたのです。

それが昨日の朝でした

 

まず難しいのが、本人確認とか、私と娘、娘と孫の関係を証明するものがいるのですが、

パスポートなど個人を証明するものはあっても、関係を証明するのは難しいのです。アメリカの役所にはそんな証明書など無いのです。

 

昨日は、まず三木市役所に行きました。

 

 

娘も孫も、今日から三木市民になったのです

孫はこれから1ヶ月は日本滞在ですが、娘は10日間ほどの日本滞在ですが、それでも可能か?

それが可能なのです。

三木市民になったので、住民票も出ますし、住所は私のところで、娘は私の子孫はその子と記載されます。

ついでに言えば、その期間の保険証なども発行してくれます。

 

昔は、市役所は難しいところという常識がありましたが、

今は、非常に親切で、可能なことは何の問題もなくやってくれます。

 

 

 

そんな書類も揃えて、三木郵便局に行きました。 電話でアポを取っていたので課長さん自らが対応して頂いて、さらに市役所で書類を揃えていましたので、いろいろな証明のための書類は一切不要で、全てスムースに、孫の新しい郵便局の通帳まで創ってきました。

三木市民なのですから、何の問題もありませんでした

 

 

★次に行ったのは証券会社です。

こちらは初めての対応でしたので、最初は『これはダメかな』と思われるような対応です。

民間会社なのに、郵便局よりも、市役所よりもムツカシイ対応でした。

 

未成年であること、アメリカから来ていること、というアタマの方が先にあって、三木市民だという認識になかなかならないのです。

これも最後には三木市の住民票がKEY になりました。これがなかったら、不可能だったかも知れません。

でも、普通アメリカにいる人が、10日間ほど日本に来て、三木市民になることなど、これは思い浮かばない発想だと思います。

 

証券会社も、最近の『詐欺事件』などの対応が効きすぎて、職員ではどうにもならない内部規定になっているようです。

そんな、内部規定の発想の中に、昔日本にいて今海外で暮らしている人、などの発想は入ってないのだと思います。

 

 

お金がナイと思案に暮れていた娘が、半日で何とか『何百万円』かの金持ちになりました

午後は、新しい銀行にも孫の口座と、娘の口座を作ったりしましたが、このような前向きの処理は何の問題もありません

口座からの全額引き落としや、取引の消去に関わる話でその額が百万の単位になると途端に難しくなってしまうのです。

 

これは金融機関の対応のまずさもあるのでしょうが、

そんな難しい規定を創らせてしまう、今の世の中にもあるのだと思います。

 

 

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アメリカから孫と娘がやって来た

2013-08-28 05:36:12 | 日常生活、園芸、バラ

 

★アメリカにいる孫、男ばかりの3兄弟である。

 

 

左から次男、長男、そして末っ子である。

体格は、小学校を卒業したばかりの末っ子が一番大きい。ちょうど逆になっている。

これは半年ほど前の写真だが現在は夏休み中、次男はこの秋から高校2年生、長男と末っ子は高校と小学校を卒業した夏休み中である。

 

その長男だけが、なぜか日本に関心があって、日本の大学の受験に帰ってくるのである。

あとの二人は、どうなるかよく解らぬが、サッカーに夢中で、それぞれスペインドイツに行くと勝手なことを言っている。

小学校の低学年からアメリカで教育を受けると、ホントにアメリカ的になってしまうものである。

 

 

★娘がアップしている Danthree in California というブログがあるのだが、

Danthree とは最初は 『団子三兄弟』などと言っていたのを『山本隆くん』だったか、

もう少しカッコいいネーミングをと言って『Danthree』となったのである。

 

そのブログには次男と末っ子はしょっちゅうサッカーで登場するのだが、写真嫌いの長男は滅多に出てこない。

そんな長男だが6月の高校卒業式の時にはこんな姿で現れた。

 

 

 

そして娘との2ショットである。

 

 

 

 

 長男は、高校のサッカー部ではサッカーをやってて、これは珍しいゴールシーンである。

 そんな長男もこの9月には大学受験である。

 

 

★今朝の 娘の Facebook   によるとSeattle 経由の関空直行便で来るらしい。

今3時だが、2時25分関空着だから、もう着陸しているかも知れない。

到着ロビーに出てきたら、電話が掛るはずである。

そしたら、三ノ宮まで迎えに行くことにしていいる。

 

 

飛行機の中から、Facebookでこんな近況発信である。

なぜか運よく二人とも『ビジネス』に乗れたらしい。

 

 

 

 真横にベッドのようになるシートで、ぐっすり眠れたようだし、

 

 美味しい日本料理にもあり付けて、ホントにラッキーだった。

 

 

★三ノ宮のそごう前で5時半に出迎えて、その足でHAT 神戸のユニクロに行った。 

 

 

 カリフォルニアには、未だユニクロは進出していない。

 女の買い物だがいそがせたので約30分で終わった。

 

 

沢山買えて満足の様子だが。支払額はそんなでもない。

そのまま三木まで戻ってきて、ちょっと高級な回転ずし。

みんな支払いは家内だが、ユニクロと回転寿司だから、そんなに大した額にはならない。

 

 

でも、寿司はなかなかのもので

 

 

満足のご様子でした。 

 

明日から孫は10月過ぎまでいるようだが、娘は9月10日に日本を立つ予定、

以下のようなスケジュールが組まれている。

孫の受験にかこつけて、結構、気楽なスケジュールが組まれているようだ。

 

娘は私に似たのか、何ごとにもあまり拘らない。 

どんな環境下にあっても、太平楽なところがる。

まあ、久しぶりの日本を楽しんで帰って欲しい。

          

    

 

今日は一番忙しい。 郵便局、市役所、銀行と付き合うことになっている。

これから約10日間、どんなことになるのだろうか?

 

 

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NPO The Good Times の仲間たち

2013-08-27 05:52:08 | NPO The Good Times

 

★先週の日曜日は、NPOの理事会でした。

特に大きな議題は無かったのですが、理事さんたち、いつものメンバーが集まりました。

日曜日の様子は、Facebook にアップしましたが、小川さんや福井さんは午後から帰ってしまっていなかったので、

朝のうちに登山さんが写してくれたこんな写真を借りてきました。

 

 

 

 日曜日にGood Times Plaza に集まった仲間たち  です。

Facebook にアップして、こんな説明を付けたら沢山の『いいね』と頂きました。

 

それにしてもいいメンバーです。

カワサキの二輪とジェットスキーはこのメンバーで支えた と言ったらオコラレルかも知れませんが、ジェットスキーはそう言い切れるかも知れません

ー この写真に写っている友達: 福井 昇平井 稔男吉田 俊一山本 隆渡部 達也小川 優

 などと嘯いています

 

●カワサキの二輪事業をエンジン単体のメイハツ時代から支えて、『カワサキの真打ち』と自ら言って憚らない平井稔男さん。

●カワサキのレースをモトクロスもロードレースもその当初から支えた、星野一義のお師匠さんの山本隆くん。

●カワサキオートバイ販売の定期採用第1期生の渡部達也ことタッちゃん。

●カワサキの単車事業のの危機と言われた再建時代に企画室管理部長として事業部も、KMCも、川重本社も動かした小川優君。今はNPOの監事さんです。

●カワサキのジェットスキーを一番最初にちゃんと乗れた人、当時の国内チャンピオンの福井昇君、ジェットスキーの世界展開に貢献しましたし、国内のジェットスキー専門店の第1号店、明石ジェットスキープラザのオーナー福井昇君

●カワサキがKAZEを創ったころの遊びのソフト会社、ケイ・スポーツ・システムの懐刀吉田俊一さん、今はNPOの管理を一切仕切ってくれています。

私は、及ばずながら、このどれにも少しづつ噛んでいます

 

 

★この人たちが、NPO The Good Times の理事さんで、このほかに三木や東京の人たちが協働してNPOを動かしているのですが、

カワサキに限って言えば、NPOの会員さんは錚々たる方が名を連ねていて、

その人たちを入れると、これは間違いなく Kawasaki を動かしてきた人たち と言えると思います。

 

NPO The Good Times は設立以来5年目に入っていますが、その会員さんは世界に約1万人の規模になりました。

そんな中で、カワサキに大きな影響を与えた人たちは、メーカー、販社、販売店、ライ―ダ―、ユーザーなどいっぱいですが、

 

こんなNPO 本体のカードをお持ちの人たちとしては、

当然上記の理事さんたちは居るのですが、

 

NO.0030  昔のプロ野球では30番は、監督の背番号でしたが、このNo.0030 番が高橋鐵郎さん、(元川崎重工副社長、単車事業本部長)

それに続いて田崎雅元、大槻幸雄、稲村暁一、百合草三佐雄、鶴谷将俊、大津信さんなど、肩書の説明も要らない有名人ですが、

もっと若いところでは松岡京平さん(現川崎重工副社長)などなどいっぱいです。

レース関係では、山本隆、金谷秀夫、歳森康師、金子豊、和田将弘、清原明彦などなどカワサキファクトリ―OB会に来られた人は全員メンバーです。

 

 

これは昨年9月に、Z140周年を記念してスタートした団体会員プロジェクトで、KAWASAKI Z1 FAN CLUB です。

このクラブオ―ナ―は、三木のGood Times Plaza のオーナーでもある登山道夫さんですが、

その代表は渡部達也さんが務めています。

この会員の監督NO.0030番は田崎雅元さん(元川崎重工社長)で、

Z1がアメリカのKMCを主体に開発されたこともあって、当時のアメリカ市場責任者浜脇洋二さん、マセックさんを始め当時のR&Dやリンカーン工場の責任者であった斎藤定一さんほか、種子島経野田浩志さらさんなど歴代のKMC社長も、現KMC社長の寺西さんも、その他いろいろ参加頂いています。

Z1の開発責任者大槻幸雄さんは、勿論こちらも会員さんです。

 

みなさん、結構肩書はエライのですが、私たちの間ではみんな40年前の仲間の時代に戻ってのお付き合いなのです。

たまたま、みなさん社会的な職位がエラクなっただけのことなのです。

そんなに偉ぶらない昔の仲間のままで居られるところが、エライのだと思っています。

 

 

 

1年を経過しようとしていますが、

今回、ヨーロッパとアメリカにそれぞれブランチを設立しました。

それを取り仕切ってくれるのは、ヨーロッパがMicky Hesse ,

アメリカはUi Amerika のオーナー、Tad Kadono です。

 

このKAWASAKI  Z1 FAN CLUB が一番誇れる会員さんは、上記の有名人たちもそうですが、

何よりも熱烈な世界のZのファン達なのです。 

 日本人は勿論いっぱいですが、アメリカのGreg Walkerや、ニュージーランドのGraeme Crosby

 

 

ぜひ、世界のカワサキのファン、Zのファン、銘柄に関係なく二輪の愛好者のみなさんも、

もし、この基本コンセプトに賛同頂けるなら、

この価値ある『NPO The Good TImes 』のカードのオーナーにおなりになりませんか?

それを持っていること自体が、『二輪の、カワサキの、Zの真打ち』と言えるのでしょう。

 

入会金1000円1回限りの終身会員です。

入会方法はこちらです

KAWASAKI Z1 FAN CLUB の入会方法はこちらです

二つ入ることも可能です。

ぜひあなたも、仲間になってください。

 

団体会員(入会金10000円)も参加できます。

団体会員になると、そのグループ独自の会員カードを創ることも可能になります。

 

NPO The Good Times はネットをベースの展開ですから、アメリカもドイツも、神戸と同じ隣村です。

そんな世界を動かすへそは、三木市緑が丘のGood Times Plaza なのです。

 

 

 

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雑感日記英語版

2013-08-26 20:21:19 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

 

この雑感日記の英語版があるのは、解ってはいたのですが、

自分で読んでみたことはありませんでした。

 

Facebook にアップした写真を見たアメリカ人が、英語版はないのか?

とコメント頂いたので思いだしたのです。

 

雑感日記 英語版は これです

 

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8月25日の日曜日

2013-08-26 05:48:30 | 日常生活、園芸、バラ

 

★昨日の日曜日、第3回笑って遊ぼうミキランドの当日でした。

昨晩からずっと雨で、開催が危ぶまれていました。

 

 

朝5時半の兵庫県の雨雲の様子です。

ちょっとヤバいかなと思いましたが、7時半から会場の準備をするというので覗いてみました。

 

   

昨日の内にランニングバイクの会場の準備は出来てはいたのですが、昨夜以来の雨でぬかるんでいてこれ以上降るともうダメかなという状態でした。

ただ天気予報は9時ごろからは雨もやみ、午後は晴れると言う予想でしたから何とかなるのかなと思っていたのですが・・・・

9時過ぎに、突然猛烈な、前も見えないような雨になり、町の中も水が川のように流れました。

これでは、とても無理だと思いましたが、やはりランニングバイクだけで、他の出店などは全て中止になったようです。

 

 

 

 

 

昨日はNPO The Good Times理事会でこんなメンバーが集まっていました。

特に議題もなかったので、楽しい雑談会のような理事会でした。

 

理事会の後、午後ちょっと会場を覗いてみたら、天皇杯の兵庫県決勝ヴィッセル神戸ジュニア関学大とをやっていました。

後半が始まったばかりで関学は1-0で負けていたのですが、後半2点を入れて優勝でした。

 

  

 

そのころには、薄日も指すようなところまで回復していました。

『笑って遊ぼうミキランド』 9時過ぎのあの豪雨さえなければ大丈夫だったと思いますが、残念でした。

 

 

 

 今回の笑って遊ぼうミキランド  企画委員長の井上章二さんのFacebook からです。

 

子どもたちは雨にも負けず頑張りました。

 

そんな日曜日家に戻ってこのブログを書いています。

 

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笑った遊ぼうミキランド 雨天決行だそうです

2013-08-25 05:47:27 | みっきぃふるさとふれあい公園

 

★今日は三木総合防災公園で、第3回笑って遊ぼう三木ランドです。

生憎の空模様ですが。

 

 

5時半現在こんな状況です。

昼ごろからは雨も上がり曇りになるという予想ですが、

 

昨日はその準備が雨の中行われたようです。

 

 

こんな写真がブログや、Facebook にアップされています。

 

 

 

私も7時半から、ゲートの開門の手伝いに行くことになっています。

 

 

 

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Z1を通じて二輪文化・歴史を語り合う会

2013-08-25 05:33:40 | World Good Riders Association

 

 ★ 『Z1を通じて二輪文化・歴史を語り合う会』 などという尤もらしい名前を付けて、Facebook に10名ちょっとのグループが出来ていて、

どうも私もその中のメンバーの一人に加えられているようである。

そんな名前はツイテはいるが、要はZ1 FAN CLUB のこのあたりの親しいメンバーを集めての飲み会のようである。

 

最初はカバン屋さんが、

 Facebook 内にこんな企画を立ち上げたのがスタートのようである。

8月10日のことだったが、『焼き肉』が『焼き鳥』に変わりはしたが、この土曜日の晩、8月24日に、

 

明石大久保駅前の扇屋で開催されるらしい。

 

 

 

 

こんなお店だそうである。

私は兎に角、登山さんに任せきりで、6時にお酒をたしなまないKAWASAKI Z1 FAN CLUB 代表の渡部タッちゃんが迎えに来てくれて、

また家まで送り届けて頂けるそうである。

 

会費は2700円と言ってたが、ホントにそんな値で上がるのだろうか?

 

兎に角、今夜の主役は福田康秀くん 『フクちゃんである』

 

 

サービス一筋とある。それは間違いない。

正真正銘、川崎航空機のサービス員がたった3人しかいなかった時代の一人なのである。

昭和35年(1960年)私が営業に異動になった時は、福ちゃんは既にそこにいた。

 

そんなことで、私は特に彼とは親しい。

日活の『花咲く乙女たちに』にJIを貸し出してそのサービスに、岐阜のロケ地で一緒にいい待遇で過ごさせていただいたりした。

映画のロケに貸しだしたJ1がエンジンが止まったりしたらその時だけが仕事で、何もなければいい旅館でいい飯をご馳走になって遊んでいればいい非常に楽な出張だったりした。

そんな関係だから、

 

 

 

富士登山の時も、私に面倒見てくれと言ってきたのである。

成功したので、このメンバー達の費用一切、広告宣伝費で処理させて頂いた。

当時のオートバイ誌に大きく広報されたのである。

 

今夜は、そんな話も含めて、

『二輪文化・歴史を語り合う会』だから、

登山さんはちょっと真面目に、こんな動画をどこからか探し出して紹介してくれている。

http://youtu.be/MNWYOytEBME

Z1のサービス講習の動画だが、出演しているのは福ちゃんのようである。

 

★いま24日の4時半である。

あと1時間半ほどしたら、登山さんとタッちゃんのお迎えのクルマが来る。

どんな会合になったのかは、また明日朝でもこの続きをご紹介してみたい。

 

 

 

 

久々に訪れた、大久保駅前、昔の面影は全くなく、新しい都会の感じに一転していた。

そこの交差点の直ぐヨコの扇屋で、11人の仲間たち、ごくごく最近に知り合った仲間たちなのだが、カワサキやZやマッハで繋がっていて、

会話も途切れることなくスムースだった。

 

 

 Z1を通じて二輪文化・歴史を語り合う会

昨日夕方には

名前は尤もらしいのですが、単なる飲み会かも知れません

などとFBにこんな風にアップしたのだが、 名前に恥じないいい会合だった。

 

主賓で招いた、福田泰秀くん、彼が演じるZのサービス技術の動画

http://www.youtube.com/watch?v=MNWYOytEBME&feature=youtu.be

私は理解できなかったが、Zのファン達には、なかなかの感動を与えたようである。

 

 

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カワサキ単車物語50年  その20 高橋鐵郎さん 

2013-08-24 08:10:57 | カワサキ単車物語50年

★ずっと書き続けてきた『カワサキ単車物語50年』

前回の単車再建最終年までの30年間で、

カワサキの波乱万丈のオモシロイ時代、カワサキらしい時代は一区切りを告げたのかも知れない。

 

 

これは神戸のカワサキワールドに飾られている 青野ケ原のモトクロス優勝の写真と展示である。

左から二人目が若き日の 高橋鐵郎さんである。

 

このレースで1位から6位までを独占した成果で、カワサキの単車事業は再スタートを切ったと言ってもいい。

1963年(昭和38年)5月、今からちょうど50年前の出来事なのである。

この時期から1988年まで、

マシンで言うなら、B8、A1、F21M、W1 マッハⅢ、カワサキZ、 カワサキKR 、 Ninja などなど、

カワサキの時代を背負った、カワサキらしいマシン が世に出て、『カワサキイメージ』もこの時代にその基盤が創られたのである

 

 

★こんなカワサキの創成期の歴史の中で、 高橋鐵郎さんは事業の中枢をずっと歩き続けられている。

 

●青野ケ原のレースではその現場監督を務められた当時は製造部の係長時代だったと思う。

●そのあと事業部の技術部山田、営業苧野という当時の部長クラス以下で構成された『レース委員会』では、製造部門の中村課長とともにその中心メンバーだった。

●その後カワサキオートバイ販売に出向され、この第1線経験が高橋さんの『マーケッテングオリエンテッド』への180度転換をもたらしたのである。

●川崎重工の技術本部長に復帰され、Zの開発や、現在のSPA直入の開発試験コースの土地購入などを推進された。

●さらに、東南アジアを中心とする市場調査団長を務められ、そのまま『市場開発プロジェクト室長』を兼務、その後はさらに営業本部長、そして単車事業部長を務められている。

ハ―レ―のダンピング訴訟で事業部が揺れ、その対策としての国内販社対策案は最終営業部立案となたtが、その実務対策としてカワ販副社長も兼務されている。

●さらにアメリカのKMCの経営悪化で単車事業の危機となった時点で、田崎さんと一緒に、KMCの会長としてアメリカ現地で指揮を取られたのである。

●このKMC対策問題は、川重本体も揺るがす大きな問題にまで発展し、本社首脳を始め財務部隊が総力を挙げての対策となるのだが、その対策に明石の企画室再編があり、高橋さんはその企画室長でアメリカから戻られることになる。

●そして約1年後本社は大庭浩本部長を、単車事業再建に送り込まれ、高橋さんはその副本部長として大庭さんを援ける立場を3年間務められて、大庭さんの副社長としての本社復帰、 高橋鐵郎単車事業本部長の実現となるのである。

 

 ここまでが1988年までの大まかな単車事業の動きと 高橋鐵郎さんのその間の経歴なのだが、

列記した上述の事項に、私自身も後川重社長を務められた田崎さんも密接に関係しているのである。

 

●『レース委員会』の事務局は私が担当だったし、マシン開発の現場レース職場の責任者が田崎さんだった。

●カワ販出向時に真っ先に現地視察されたのは私が担当していた東北地域だった。当時は未だ実用車のカワサキ時代で、東北や九州が主力市場であった。高橋さんは直営部長としてスポーツ車の市場としての大都市圏を担当され、大阪の営業所の土地購入などに尽力されるのだが、その大阪営業所の責任者として私は仙台から大阪に異動した。

●高橋さんが川重に復帰されてから数年後私も川重企画部に復帰、この部門には田崎さんもいてアメリカとリンカーン工場を担当していた。そこで私が起案したのが小型車の市場開拓としての東南アジア対策で、この調査団団長に高橋さんがなられて、初めて 高橋鐵郎さんとの直接のコンビが実現することになった。

ハ―レ―のダンピング訴訟を担当したのが田崎さんである。そしてその具体的な国内販社構造対策は私が立案し、そんな関係でカワ販常務となり、 高橋鐵郎さんはその副社長として援けて頂いた。

●逆に高橋、田崎さんがKMCに出向された時に、第1線の経営の解るカワ販メンバー富永、日野君をKMCに送りこんでその経営再建を手伝った。

●川重本社が立案した、単車事業再建の目玉の企画室担当を私は命じられたのだが、引き受けるに当たって出した条件が 高橋鐵郎さんの企画室長復帰である。アメリカに行ったばかりでなかなか本社もYesと言って頂けなかったのだが、結果は高橋さんの復帰となり、アメリカは田崎雅元さんの社長となったのである。

●その1年後に大庭さんが単車に来られて、私はその番頭役みたいなことをやっていた。特に本社財務副社長の大西さんや財務担当の松本新さんなどへの単車窓口は、私だけが事務屋であったこともあって、大庭ー高橋ー田崎さんの担当分野の本社通訳みたいな役割を果たしていて、当時の主力銀行第1勧銀本店などにも状況説明などに伺ったりした。

 

そんないろいろなことがあって、単車事業は再建され、新しい時代に入って行くのである

 

 

 

★そんな1988年時代までが、単車事業の創業期と言えるのだろうと思っている。

それ以降のマシンは、これらの時代の車をより洗練した形のものだし、単車事業の経営もある意味落ち着いた安定的な時代に入ったような気がする。

そんな中で、その後の大ヒット商品と言えば、何と言っても ZEPHRE を挙げねばならない

 

 

そのZEPHRE と一緒に写真に収まっているのが、当時の単車事業本部長、カワサキオートバイ販売社長の 高橋鐵郎さん である。

大庭浩本部長時代の単車再建の時代を経て、川崎重工業の事業の中で単車事業は確固とした基盤を造ったのである。

大庭さんは副社長として川重中枢に戻られ、単車事業は高橋鐵郎本部長の時代へと移った。

そしてさらに大庭川崎重工業社長、高橋鐵郎副社長の時代へと移って行くのである。

 

 

★私自身も、この1988年までの『単車再建の時代』までは、ほぼ事業の問題点のど真ん中にいることが多くて

カワサキの単車事業をそんな中枢から眺めたり、ある意味影響力を持ったりしながらの30年であったと言っていいのだが、

1988年以降は、また現場に戻ったこともあって、

その後のカワサキの単車事業そのものについては、ヨコから眺めていたそんな時代だったのである。

 

単車再建時代に、大きな問題として事業存続の関心事となった事項の一つに『為替対策』があったのである。

為替対策の対応の方向としては、事業の構造的な体質を変える仕組みの再構築の方向が企画室長としての私個人の想いとしてはあったのだが、

その後の企画中枢の取られた方向は、

一つは、『コストのドル化』 など生産拠点の海外移転特に小型エンジンのアメリカへの移転と

もう一つは『為替に影響を受けない国内市場の充実強化』で、私はこの二つ目の課題を直接担当することになるのである

 

 

高橋鉄郎さんにそのことを命じられて、

● 国内市場での7万台の販売目標

● 国内市場が文字通り事業部の経営を支えるために事業本部の国内から得られる限界利益額100億円

 という 二つの非常に高い目標を高橋さんとお約束して、カワサキオートバイ販売専務として、以後約10年間を担当することになるのである。

 

★これ自体は、私自身の単車事業経験の集大成のようなオモシロイ目標であり、且つそれは実現することになるのだが

それはあくまでもカワサキの単車事業の一部であって、単車事業そのものではない のも確かなのである。

そんなことで、『カワサキ単車物語50年』も、私の『自分史』に近いもにになってしまう ことをお断りしておきたいと思うのである。

 

ただ、私が国内販社グループを担当した10年間は、そのトップのカワサキオートバイ販売の社長は、高橋鉄郎さんなのである

 

これからの約10年間は、文字通り高橋さんとのコンビで国内市場を担当出来た非常にオモシロイ画期的な10年間であったことも事実なのである。

 

 

その当時の二人で写っている写真である。

あらゆるひとにグッドタイムスをお届けします』 と言っている。

 

それまで長い間眠っていた

Kawasaki . Let the good times roll  !!   の基本コンセプトは、この時期国内で復活し、高橋さんによって世界展開となったのである。

 

 

 

そしてこれは NPO The Good Times のメンバー達で主催した

3年前の3月4日、 『カワサキの想い出、そして未来』 でご挨拶をされた高橋鉄郎さんである

 

高橋鉄郎さん、 NPO The Good Times の創立以来、その相談役をお願いしているのである。

そういう意味で高橋鉄郎さんとのご縁はまだまだ続いていると言ってもいい。

 

私個人にとっては、この当時の基本コンセプトをカワサキだけではなくさらに拡げて、

ささやかでもいい『グッドタイムス』の演出が出来ればいいと思っているのである。

 そんなことなので、敢えて『カワサキ単車物語50年』 とネーミングしているのである。

 

 

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イチロー4000本達成おめでとう

2013-08-23 09:47:04 | スポーツ

★昨日は3999本とあと1本に迫ったイチローだったが、

今朝の試合開始早々第1打席でいとも簡単に記録達成である。

テレビを見ていてその瞬間、テレビの場面から写した8枚の写真である。

 

   

 

 

達成の瞬間、ベンチからみんなが飛び出して祝福した。

スタンドも沸いたし、

相手チームの川崎の拍手が印象的だった。

 

あと1本の期待をホントに期待通りに1本目で実現するところが、如何にもイチローらしい。

 

 

 

 

40才というのに、その体形もスタイルも全然変わらない。

ストレッチをはじめ体の管理が群を抜いて素晴らしい。

ずっと試合に同じスタイルで出続けている。

 

あと何年やれるのだろう?

大リーグでもあと5年ぐらいは大丈夫だろうと思う。

4200本は勿論、5000本を目指して頑張って欲しい。

 

長嶋も、王も、金田も凄かったが、イチローが一番プロらしい、修道者のような道を究めるそんな日本人らしい雰囲気を持っている。

打率と違って、絶対に減らない増える一方の安打数というのもいい。

 

私自身も、イチローの最後まで、見つめられるように精進したいと思っている。

5000本を達成するまで、イチローも頑張って欲しいし、

それを見届けることが出来るように私も頑張ってみたい。

 

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ichiro 3999本!!

2013-08-22 05:47:58 | スポーツ

★スポーツにはいろんな記録が付きものだが、

イチローのヒッと数3999本は如何にもものすごい。

 

 

 

産経フォトからお借りした写真と記事だが、ホントに凄いと思う。

 

 

あと2年も大リーグでプレイしたら、

タイカップ(4191本)も、ピートローズ(4256本)も抜いて、大リーグ記録を達成するかもしれない。

打率は下がるが、ヒッと数は増えるだけである。

積み重ねなのがいい。

 

既に40才に達しているが、そんな気配をその動きからは感じさせない。

日々のストレッチなど体の管理の賜物だと思う。

 

 

あと1本に迫ったので次の試合あたりに達成できるのだろうか?

2000本でも難しくて、2000本打てば名球会入りの条件なのに、その倍も打とうかというのである。

昨日の試合は夜中で見ることが出来なかったが、

4000本目はぜひテレビ実況で見たいものである。

 

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何となくホッとしている今週

2013-08-20 16:32:19 | 日常生活、園芸、バラ

★今年は何となく4月から落ち着かなかったような気がする。

4月には、7月7日の KAWASAKI THE LEGENDS &FUTURE の対外発表を行いスタートした。主催者のメインメンバー達は大きなイベントは初めての経験なので、いろいろやきもきしたと思う。そんな様子をヨコから眺めてはいたのだが、そんなに落ち着いた気持ちにはならなかった。

NPO The Good Times の理事長は任期を1年残してはいるが、今年1年で山本隆くんに譲りたいと公言して、まだ4月の間はみんなホントかなと思っていたようだが、3ヶ月経ってようやく落ち着いてきたように思う。

5月には、特養にお世話になっていた103歳の母がインフルエンザに掛って容態が急変して、5月末には亡くなってしまった。歳も年なので仕方がなかったのだが、喪主など初めての経験で、あとに続くいろんな仏事など、いろいろ世間の常識みたいなのがあるようだが、万事自分の判断で処置したのだが、不思議なぐらいその通りに進みはした。

然し、49日の法要が終わるまでは何かと気ぜわしく落ち着かなかったのも事実である。

その間にKAWASAKI THE LEGENDS &FUTURE の前夜祭と本番があったりしたが、これも予想以上の大成功でよかったと思っている。さらに7月21日には東京品川でモトクロスのLegend Rider たちの会合があり、二輪文化を伝える会がお手伝いをしたのだが、これも非常にスムースに終わったのである。

そんな忙しかった7月が過ぎて、8月は前半はのんびり出来るのかと思ったら、お盆に鎌倉の孫がトモダチを連れてやってくると言うので、急遽母の部屋の改装を思いたち1週間ほどで仕上げて貰ったのである。

そして、15日から孫と3人がやってきて、今朝東京に帰ったところなのである

 

 

そんなことで、今日は朝からホッとしている

午後には、母の部屋の改装費用も送金したし、殆ど全て終わった感じである。

 

これから週末までは、不思議なほど何もない

ただ土曜日の夜からは、KAWASAKI Z1 FAN CLUB のメンバー達との会食

25日の日曜日は三木総合防災公園での笑って遊ぼうミキランドの当日だし、午前中はNPO The Good Times の理事会もある。

そして、27日からはアメリカから孫が大学受験のために娘と一緒にやってくる。娘は約10日間の滞在だが、孫の方は1ヶ月近く日本にいるらしい

どんなことなるのか? いずれにしても忙しくなることは間違いない

 

 

★今週は、そんな合い間の4日間なのである。

朝からなにするとなく碁など打って時間を潰している。

 

8月末は、薔薇の夏剪定の時期なのである。

じっくりと薔薇の選定などしている時間があるのだろうか?

 

    

 

今庭にはザクロの実が成っている。

未だ割れてはいないが、秋になるとざっくりと割れて赤い実が見られる。

ザクロは放っておいても大丈夫だが、秋薔薇を咲かそうとすると、夏剪定はMUSTなのである。

それも剪定の時期があって8月25日過ぎから、9月までの1週間の内にやらねばならないのである。

 

          

 

今は、こんな状況だが、この枝を整理して、いい枝だけにして背丈も詰めなければならないのである。

そこから新しい枝がのびてその先に秋薔薇が咲く。

そんな姿を思い浮かべながら、枝を切るのは なかなか楽しいいい時間なのだが、

時間に追われてやるのはもう一つなのである。

 

この4日間の間にやれたら一番いいのだが、ちょっと時期が早いかなと思案しているのである。

それでも何となくホッとしている今週なのである

 

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健康づくりのつどいの体力測定

2013-08-20 06:39:29 | みっきぃふるさとふれあい公園

★自分の体力や健康について、そんなに気にせずにずっと生きてきましたが、

だんだん年をとると何となく気になるものです。

現役のころは全然気にもかけなかった自分の健康や体の管理について、最初にやり出したのが『ストレッチ』で多分70歳ぐらいのころだったと思います。

膝が痛くて整形外科にずっと通ったりしてたのですが、そこの先生に

『筋肉は幾つになっても鍛えられるし、柔らかくもなるから、時間が出来たのだからストレッチでも』

と薦められて始めたストレッチです。

 

もう10年になろうとしています。

お蔭さまで、体力測定での『柔軟性は20歳』というコンピユ―タ―の判断が出ます。

 

 

 

昨年は、

柔軟性20歳

全身持久力(肺活量)20歳

敏捷性46歳、

筋力63歳、

瞬発力65歳

という判定で体力年齢は42.8歳と判定されました

 

今、80.4歳ですから、40才近く若いことになります。

 

 

 

そんな測定をやってくれる、三木市の 『健康づくりの集い』の日が今年ももうすぐやってきます。

9月1日の日曜日で楽しみです。

 

 

★この話にも関係あるのですが、

この健康増進課には、私たちの仲間のさるとるさんも勤めてますし、

このチラシのデザインは菊澤こゆりさん なのです。

 

 

さるとるさんはNPO The Good Times のアドバイザーで、

今度の日曜日の、笑って遊ぼうミキランドを主宰する実行委員長さんでもあります。

 

  

昨夜はその実行委員会でした。神戸新聞の中川支局長が取材に来られてました。

井上章ニさんが企画委員長、みんなNPO The Good Times の会員さんです。

 

こゆりさんは、Piece & Peace という団体会員さんでもあります。

今海の向こうのアメリカのUi Americaのキャラクターなども手掛けて頂けることになっています。

 

 

 

 ★そんなことで、私の周りの三木の人たち、いろんなところで繋がっています。

 『みっきいふるさとふれあい公園』 なかなか楽しい公園です。

 

今年の体力測定、果たして何歳という判定が出るのでしょうか?

 

 

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孫のダンス修行

2013-08-19 05:42:02 | 発想$感想

 

★ダンスのレッスンか、イベントかは知らぬが、わざわざ関東から大阪までやってきて 『ダンスを極める』 などと孫は言っている。

今年の春のダンス部の公演を見せて貰ったが確かになかなかのもので、ダンスというよりは運動部のスポーツに近いのかも知れない。

 

その時に撮った写真の数々である。

 

今回は関西でのレッスンや深夜イベントに出演するためにやって来たようだ。

 

8月15日の第1日目は夜中にやってきて、書いてくれたスケジュールは、

 

8月16日(金)  三木ー大阪  深夜イベント   (夜は帰って来ない)

8月17日(土)  朝帰宅―寝るー昼―梅田  深夜イベント   (昼過ぎまで寝ていて、4時近くに出発、夜は帰って来ない)

8月18日(日)  朝帰宅ー寝る―昼ー弁天橋ー夜遅く帰宅

ここまでスケジュール通りの進行で明日からは特にスケジュールは書いていない。

8月19日(月)  特に予定なし   夜泊

8月20日(火)  11時の伊丹発の飛行機で帰る

 

とこんな事になっている。  トモダチ二人の3人グループで男2人女1人である。

おかしな組み合わせだと、最初は思ったが、出逢ってみるとごく自然で違和感もない。

不思議である。

 

 

★どんなダンスかというと

 

http://youtu.be/X2pZxLo7O60  

 

こんなダンスなのである。 3分ほどの動画だが確かに上手く踊っている。ちょっとだけでもご覧になればどんなものかお解りになると思う。

このレベルは相当なものだと思う。

 

 『ストリートダンス』 でWikipediaで 検索すると詳しく現れた。 その極一部である。

 

主なストリートダンスのジャンル はいろいろあるようだが、孫はその中の ロッキングというのをやっているらしい。

ロッキング

ロッキングとは、見ている人に指差ししたり、折々にカチッとポーズを入れアピールするダンスを言う。

考案者はドン・キャンベルロックというアメリカのロスに住む黒人で1969年に始められた。 当時はソウルダンスの1つのフリであるファンキーチキンが流行っていたが、このドン・キャンベルロックという人は、即興で踊るのが苦手で、少し踊っては止まって考えて、また少し踊っては考えていた。 この様子を面白おかしく思った周囲の人々は、彼のマネをしてこのスタイルの踊りを流行らせた。

とある。 孫がやっているのがロッキングだそうである。

 

★それはともかく、今日からは特に予定が書いていない。トモダチ二人は、帰りは飛行機ではないのでどんな予定になるのか?

今から、聞いてみて、今日の予定を考えてみたい。

折角三木まで来たので、何かいい案はないものかと考えているところである。

 

 

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