雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ニュースいろいろ、その感想

2010-08-31 05:25:53 | 発想$感想
★夕方のニュースをやっている。
『明石のさんま』などと言うニュース。 
私は出身が明石だが、明石でさんまなど獲れるはずもないのにと思ったら、さんまを開く技術を生かして北海道のサンマを大量に仕入れて一夜干しにして売るらしい。
何事も本物のプロの技術は、ウリに繋がるものである。

★そのサンマが一匹1000円もすると言うニュース、真偽のほどはよく解らぬが、

『行きつけの縄のれんで「サンマが高値だってね」と嘆いてみせた。海水温が高く不漁で、1匹1000円以上の値がついた、といった記事の受け売りだ。
 するとオヤジが言った。「ナニ、そのうち下がりますよ。大体ね、8月の暑い盛りからサンマ、サンマと一大事みたいに騒ぐのがおかしいんです。漢字で秋刀魚と書くように、サンマは本来秋のものなんだ。秋になれば脂がのってずっと旨くなるし、値段もだんだん下がるに決まってらあ。どうもね、この、物知らずのマスコミがいけないんだね。初物、初物と煽るばっかりで、季節感も何もメチャクチャにしちまいやがる」。攻撃がマスコミに向くと、口調が伝法になった。』

という書き出しで始まる『新聞案内人』のコラムの内容はなかなか面白かった

世論調査にも触れているが、『毎週のようにどこかの新聞・テレビが「当社の世論調査によると」と内閣支持率を報じる。』 これを世論というらしいが、この世論と言うのが曲者である。
数か月でその数字は変わってしまう、そんな頼りないもので日本の将来を決められたのでは大変だと思っている。
リーダーと言うのは、庶民の発想を超えて新しい機軸を打ち出してこそ値打ちだろう。

★大阪の橋下さんが大阪市をもっと小さな幾つかの市に分けてという大阪都構想を打ち出したとニュース、つい先日『たかじんとの対談番組』で話していたヤツである。
こんな話は、話が出るまでは世論調査をやろうにもやれないのである。
日本のリーダーである総理も、庶民の発想を超えた次元の高い構想を持った人になって欲しいと思うのである。

私の知っている範囲で言えば、小沢一郎、鈴木宗雄、橋下徹、樋渡啓祐(武雄市長)、倉田哲郎(箕面市長)のような感性や理念を持った人たちが国をリードして欲しいと思っている。
私が知らぬだけで、ちゃんとした人はいっぱいいるはずである。
管理能力などそれこそ官僚に任せばいいと思う。

今の政局に対してこんなに沢山のニュースや評論である

多すぎてとても全部は読めない。2,3日中に方向は決まるのだろう。
それをまた市場調査して、世論と言うものが作られていくのだろう。

★昼の番組で『田舎暮らしの本』がこの3年伸び続けているとか。

私が、今住んでいる『三木は田舎』かどうか知らぬが、『都会でないこと』は確かである。
神戸に隣接しているが、神戸の繁華街でなくても神戸に出て、三木に戻ってくると『ほっとする』のである。
自然がある。空気や水がいい。緑が多い。公園の規模や質は、日本一かも知れない。
全くの田舎でもなくて、ゴルフ場は25のあったりする。

明石、仙台、高槻、札幌と住んだ経験があるが、済むとすれば断然三木である。

田舎暮らしの本とはこんな本らしい

どこが出しているのか、こんなサイトもある


ようやく日本でも、人間らしい生き方が見直されてきたのかも知れない。

『利便性』などはそんなに立派な価値ではないはずだ。
会社に行くのに便利などの発想は、もうひとつだと思う。

定年になって、特にそう思うのが『会社の仕事』などそんなに大したものでもない。
人並み以上に仕事はしたつもりだが、それでもそう思ってしまうのである。
定年後の今、自由で本当にやりたいことだけやればいい今の三木の生活は最高である。 
私が変わっているのだろうか?



















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関学と関学サッカークラブの天皇杯予選の決勝戦

2010-08-30 05:17:02 | スポーツ
★8月最後の日曜日、こうべユニバに天皇杯の兵庫県予選決勝戦を見に行った。



関学現役と関学OBの関学サッカークラブの対戦となった。
現役とOBチームの対戦とあって観覧席はほとんどと言っていいほど関学サッカー部の関係者と思われる人たちで、い
『関学サッカー祭り』のような和やかな雰囲気であった。



ユニフォームも二つとも関学である。何となく入場から和やかな雰囲気であった。



試合は現役が一方的に押すのかと思ったら、そうでもなくて、前半は1-0で現役、後半さらに1点を加えて2-0.
これで勝負あったと思ったら、OBがクリーンシュートで1点を返して勢いを盛り返し、後半ロスタイムぎりぎりのOBチームのフリーキックでこれが外れてゲームセット、好試合であった。






関学サッカー部は輝かしい伝統を持っている。スタンドには元全日本監督の加茂周さんの顔も見えた。
息子が在学中サッカー部でお世話になっていて当時のコーチをされていたヤンマー時代の釜本の同僚阿部さんはお見えになっていなかったが、
当時の監督の岩崎さんは現在関学のOBチームの代表をされていて、お会いできたので、ご挨拶だけさせていただいた。
お聞きしたら、私よりは2年年次は下だったが、当時の関学は私の中学時代の1年上の生駒さん(元全日本代表)などもいて、
関学はサッカーも野球も強豪であった。

当時の関学野球部はショート藤後、セカンド岸本さんは神戸一中の2年先輩、ファースト国賀さんは明石の1年上だったので、よく試合を見に行ったものである。
その当時よく聞いた関学の校歌を久しぶりにン懐かしく聞いた。





試合後もスタンドとグランドの間で和やかな独特の雰囲気であった。
ホントはこの人、阿部浩之 U21日本代表のプレーが見たかったのだが、残念ながらどこか悪いのか、ベンチにも入らずスタンドからの応援であった。



次はいよいよ天皇杯、9月3日は加古川で、びわこ草津とこれに勝つとビッセル神戸との対戦だとか。
サッカーはやはり現場で見るのが一番である。

この後、舞子のカワサキマイスターの新店舗1周年記念のバーベキューパーテイに招待されていて出かけたのだが、
それはこちらの方で
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政治と金の問題

2010-08-29 11:06:46 | 政治
今テレビでまた討論会である。

菅さんと小沢さんの問題、視聴率が上がるからテレビ局は取り上げるのか?

くるくる直ぐ変わってしまう市場調査の『民意』とやらをなぜそんなに尊重するのか?

その民意を操っているのはテレビ局やマスコミではないのか?

『政治と金』 今までの政治の金のかかる構造、利権体質からは、政治に金が絡んで当然である。
その体質、構造は直さねばならぬがーー。

それ以上に、日本を引っ張る『リーダー』は、『リーダーらしい人』であって欲しい。

官僚政治からの脱皮、政治主導の政治は、少々強引さがないと言うだけでは実現しない。

今コメンテーターやいろんな政治家が、それぞれ個別の意見を言っても、何の役にも立たない。

今は、この日本を菅さんに任すのか、小沢さんに任すのか?と言う単純判断でいい。

それくらい日本の現状は、政治的にも経済的にも、厳しい。

大阪の橋下さんのようなやり方こそ、求められている。橋下さんが就任した直後、マスコミや評論家は何と言ったのか、思い出してほしい。

政界再選に繋がれば一番いいのではないか?

私なら、小沢さんに1票であるが、残念ながら投票はできないのである
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東京オリンピックの想い出

2010-08-29 05:55:34 | 発想$感想
★東京オリンピックの柔道無差別級を制したへ―シングが亡くなったというニュースである。
76才と言うから私より1年若いのである。
人間不思議なものでまだまだ死なないと自分では思っているのだが、別にいつ死んでもおかしくない年齢に達しているのである。

ヘーシンクの東京オリンピックでの優勝は、柔道は当然日本と思っていた時代だから衝撃的だった。
2メートルに近い巨体で、日本選手もどうにもならなかったのである。
その強さは、圧倒的であんなに体格が違ったら仕方がないかと思ったものである。

開会式があったのが、1964年10月10日だから、もう46年も前のことなのである。
日本国民の半分以上が東京オリンピックを知らないのであるから、昔々の出来事になってしまった。

日本の戦後もようやく終わって、日本の発展は東京オリンピックを契機に一気に近代化が図られていったのだと思う。
そして、1970年の大阪万博までの6年間に、カラーテレビもマイカーも一般家庭に普通のものとして備えられ、さらにマイホームへと進んで行った、
そんな幕開けの役目を果たしたのが、東京オリンピックだったのである。

★まず、東京オリンピックのことで、覚えていることと言えば、



●競技関係では、へ―シングの柔道優勝や、マラソンのアベべの2連勝もあるのだが(確かこのときはアベべは裸足ではなくて靴を履いていた)
何といっても日紡貝塚の大松博文監督が率いる東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールの金メダルだろう。 それは明確に覚えている。

●東京オリンピックに合わせて東京―大阪間に新幹線がスタートしたのである。東京都内に高速道路がお目見えしたのもこの時期である。

●東京オリンピックのコンパニオンだったお嬢さんと、ジャイアンツの長嶋茂雄が結婚したのも大きなニュースであった。

●個人的なことで言えば、この年に私は車の免許を取得している。

●日本にコンピューターがお目見えしたのは東京オリンピック以降のことだそうである。
これはIBMの研修会の時に、コンピューターに関連して自己紹介をと言うので、IBMに出会ったのは昭和32年だったと言ったら講師の先生に、
『10年間違っていませんか、日本にコンピューターが普及しだしたのは、オリンピック以降のことです。』と言われたのである。
川崎航空機には米軍がいてIBMがあったので、私が新入社員の分際で償却計算のIBM化を図ったのは昭和32年だったのである。


★それはともかく、
1964年10月10に、オリンピックの開会式当日を鮮明に覚えているのは、
当日、MCFAJの全日本モトクロスが伊豆丸の山高原で行われ、カワサキは4種目中3種目に優勝し、モトクロスでのカワサキの地位を確固たるものとした大会だったのである。
それまでにも、春の全日本で優勝したりはしていたが、まだまだ久保和夫,荒井市次や三吉一行の時代で、カワサキはこの3種目優勝で初めて認められる存在になったのである。

当時は広告宣伝課長をしていたが、何よりもレースに力を入れていた。
予算は当時の金で1億2千万円と信じられぬほどの額を持っており、ヘリコプターも持っていて、この大会にもヘリ持参で出かけている。
サラリーマンの年収40万円、年収ですよ、の時代なのである。
免許を取ったのも、レースに車を運転して行くためだった。
免許取り立てで、明石から伊豆まで夜車を運転して出かけたのである。
帰りは、車は人に任せて、開通したばかりの新幹線に乗って帰ってきた。

このときのことは、伊豆丸の山、富士朝霧高原、松崎 というブログや、
1965年ごろのレース界 などのブログに詳しく書いている。

カワサキコンバットの全盛期ともいえる時期で、星野一義がデビューするのは、この丸の山の1カ月後のことなのである。
詳しくはリンクのブログをどうぞ。



46年経って、今年1月当時のメンバーを中心にしたレースOB会
会社のメンバーで元仲間の高橋さんや田崎、大槻さんなど錚々たる顔ぶれだったが、
メインゲストはやはり、星野や歳森、でもみんな歳をとったがいつまで経っても昔のまま。



星野は安良岡健さんや岡部の先輩たちと一緒の部屋割で、布団の上げ下ろしをさせられたそうである。

そんなこととの関連で、1964年の東京オリンピックは、特にそのころが懐かしいのである。
こんなこと書いたら、すぐ60おじさん(山本隆)が、いろいろコメントくれそうである。
春の朝霧も、秋の丸の山も彼は優勝しているのである。彼にとっても一流ライダーの仲間入りをした年であった。
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私と野球

2010-08-28 05:02:33 | 自分史
★野球と言うスポーツは、戦時中は流石に敵国のスポーツだったからか、小学校のころにはグローブもバットもみたことも触ったこともなかったように思う。
それが戦後、アメリカのスポーツでもあったからか、われわれの年代で野球をやったことのない人などいないくらいの盛り上がりであった。
子供たちはみな三角ベースの野球など考案したりして少人数でも野球を楽しんでいたのである。

神戸一中はサッカーも強かったが、野球もそこそこ強かった。
甲子園の春の選抜には明石高校とともに出場したりもした。
そんな野球部に私も入部したのだが、
私たちのクラスは旧制中学校最後の年次で中学校の時は2年になっても、3年になっても最下級生で後輩など誰もいなかった補欠生活だったのである。
それは高校1年生まで続いて、4年間運動部の最下級生を経験したのである。

この4年間は、いい経験になっている。辛抱することを覚えたし、一番下積みの人たちへの思いやりが自然に芽生えるようになった。

★学区制で明石高校に移ったのだが、ここはまだ『名門明石』が文字通り通用する伝統校で、
私が1年のころは後慶応に進み朝日スポーツ賞に輝いた山本治さんと、後関大―日生―阪神タイガースに進んだ大津淳さんのバッテリーで、本当に強かった。
二人とも超高校級と言われていたが、まさにその通りだった。

『名門明石』は、戦前の甲子園の中京―明石の25回戦から言われるのだが、戦後昭和25年ころまでは、当時の先輩たちが復員されてきて、学校の練習にもずっと顔を出されていた。
楠本、中田さんは戦死されていたが、横内、峰本、深瀬、嘉藤さんなど、よくお世話になったし、
25回戦当時の野球部長をされていた竹山九一先生には、精神的な薫陶をずっと受けて育ったのである。

明石高校は当時兵庫県下では確かに強豪であった。
在学3年間、夏の大会の予選ではいずれもベスト4には残り、2年のときには優勝して夏の甲子園を経験もしたのだが、
正直3年間であまり技術的な指導を受けたことはない。ほとんどが『精神的なこと』だったような気がする。
今と違って地方校などとのレベルの格差は確かにあって、あまり負けた経験がなかったようにも思う。

野球はピッチャーが良かったら、何とかなるスポーツである。
2年先輩の山本治さんは、本当に素晴らしかったし、
私たちと同期の溝端圭一郎もそんなに大きくもないのに、野球をやらせたら抜群なのである。
夏の予選で灘校相手にパーフェクトゲームもやったりしたし、社会人では神戸製鋼だったが兵庫県のどこが出ても補強選手で選ばれて毎年後楽園の都市対抗に出場していた。

1試合に2点も取られなかったら、大体野球は勝つことになっているのである。
そんなピッチャに恵まれて、チームとして強かったのである。

★私は、人生運が良かったと思っているが、私の野球人生もそんな幸運に恵まれて、今となってはエラそうに甲子園に出たなどとうそぶいているのである。

大学は神戸商大でかっては強かった時期もあったようだが、私が入部したころはそうでもなかったので、1年からレギュラーで出ることができた。
ポジションはショートだった。そんなに上手くもなかったが、そんなに下手でもなかった、そんなレベルである。

大学時代は輪をかけて野球に打ち込んでいて、、勉強は一切していない。
当時は近大が強くて、頑張っても2位が精一杯であった。
リーグ戦が甲子園球場であったので、ずっと甲子園で試合ができたのは幸運であった。
阪神の小山投手がタイガースに入団したころで、2軍で練習していた。小山さんは高砂高校で学年は1年下である。同じ地区だし何度か高校時代に試合したようだ。同期でなんでも良く覚えているのがいろいろ言うのだが、私は記憶にない。
今では、名球界の大選手だがそのころは別に有名でもなかったので、『小山がタイガースにいる』と不思議に思ったほどである。

★大学を卒業する昭和31年は不景気で、大会社への入社は難しかった。
私はいずれにしてもコネでしか入社できなかったのだが、川崎航空機の社長の砂野仁さんが、『今年はきついから来年に』と仰るので、
1年卒業を延ばして、野球部の監督をしていた。
このとき入部してきたのが、小山修身くんでいいピッチャーだった。秋のリーグ戦で50数イニング連続無失点記録を作り、つい先ごろまで学生野球記録だったのである。
点を取られないのだから、負けないのである。ひょっとしたら近大に勝って優勝などと思ったがダメだった。

★中学校以降の11年間、私の学生生活=野球部生活のような、そんな学生時代だったのだが、
社会人になってからも、野球の関係でいろいろお世話にもなったのである。

然し明石の25回戦当時の先輩たちは、みんなお亡くなりになったし、われわれの高校同期ですら、半分はいなくなってしまった。
沖縄が夏を制して夢のようである。
昭和33年首里高校が甲子園に沖縄からやってきたときのことよく覚えている。
最近の高校野球のレベルをみていると、別のスポーツを見ているようである。
もし今高校生だったら、あんなプレーができるかな?と思ってしまうのである。

私たちのころは、バットは勿論木だったし、ヘルメットも被ったことはない、そんな時代である。
阪神の吉田義男さんと同期、長嶋茂雄さんは2年下、野村監督も下、そんな年寄りなのである。
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菅さん、小沢さん、どちらなんだろう

2010-08-27 04:43:31 | 政治
★今回はあくまでも民主党内の代表を選ぶ選挙である。
われわれは、1票を投じることもできないしタダ黙って見ているだけの選挙である。

自民党時代にも、何度もそれはあったし、われわれは見つめるだけだったが、誰になっても自民党自体は何も分裂したりはしない。
形の上では挙党一致の体制でまた自民党時代が安泰に続いてきたのである。

今回は果たしてどうなるのだろうか?

今回は、小沢さんが勝った場合はともかく、もし菅さんが勝ったら無事に挙党態勢で収まりそうにない雰囲気に見てとれる。
どうも民主党1党の中の、単なる代表選ではないような雰囲気を感じてしまうのである。

鳩山内閣が辞職して、菅さんの内閣になってからの対応が、どうも民主党と言う1党の中で行われるにしては、ちょっと小沢外しが露骨であり過ぎたような気がする。
それなのに、そんな菅体制で戦った参院選は負けてしまった。
これはすべて、菅さんの責任でもないだろうが、何の責任も取らなかったので、そのしこりみたいなものが今回の代表選に持ち込まれてしまっている。
これは形の上だけでもケジメをつけるべきであった。
枝野さんが100%悪かったわけではないが、残した枝野さんは完全に死に体になってしまった。


★国会議員もともかく、地方の民主党党員の票の行方も微妙である。

小沢さんの金の問題なども引きずってはいるが、
今は、それよりも円高や、株安の具体的な対策に、どうも菅内閣はうまく対応できていない。
『適切に対応します』と口では言うが、間違いなく適切な対応とはみんな思っていないのである。

何か素人で頼りないなと思いだけが残ってしまうのである。
代表選の対応もあるだろうが、むしろこの対応を政府として早くやらないと、
菅さんの地方票は、雪崩を打って小沢さんに流れるのではないかなとも思ったりする。


★今回は、自民党時代の代表選と違って、その結果に非常に興味がある。
マーケッテングのようなオモシロさがあるのである。
私がもし民主党党員で1票を持っていたら、果たしてどうするだろう?
どちらかと言えば、小沢さんに投じるのかも知れない。
勝てばそれはそれでいいし、
負ければ、民主党を割って政界再編の道を選ぶ新しい政局があるかも解らない。
本当は、日本にとってそれが一番いいのかもっ知れない。

どうも今の菅政権が続いても、あの弱腰ではねじれ国会など乗り切れないのではないか?

★それはともかく、
世界各国の首脳に比べて、日本の首相はいかにも存在感がない。
任期が短いと言うこともあるが、リーダーとして小粒すぎるのである
少々アクがあろうが、リーダーらしいリーダーであって欲しいと思うのである。

もう少しの間でそれは決まる。
何をすることもできないのだが、注意深く行方を見つめたいと思っている。
なかなか、面白い代表選ではある。


今朝のムネオ日記 ご参考までに
こんなに明確ではないが、これに近い感想を持っている。
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二つの嬉しいコメント

2010-08-26 05:44:57 | 発想$感想
昨日は『地方院』、一昨日は『超長寿社会』について、私見を述べたら、、お二人からコメントを頂きました。
私にとっては、ことのほか嬉しいコメントでした。

★まず一つは、『超長寿社会への介護の対策』についてのものです。。
少々粗っぽい意見ですが、全国に200人しかいなかった100歳以上の長寿者の時代は、これは例外的なことであり、その対応も例外的な対応でよかったのだと思います。
然し、1年に何万人もの100歳を迎える長寿者が新たに増える現代では、それに対応できる『新しい発想とそれに基づく新しい仕組み』での対応が必要だと思ったのです。

それは、40代や50代の方が頭の中の綺麗事で考える発想からは、なかなかいい考えが浮かばないのではと思いました。
高齢者を大事にするとか敬うと言う日本の美しい観念の時代の高齢者は、70代や80代が普通で、90代以上など例外だったのです。
今はそんな年代が親の面倒を見たり、独り住まいをしているという、今まで未経験の時代に入っているのです。

私のブログに84歳の『寅どしより』というおばあちゃんから、コメントを頂きました。

『まったく同感です。主人が86歳ですが、自宅での介護が限界になって今はホームに入って2年になります。2人暮らしの後半はほんとに大変でした。子供たちは離れているので、夜など倒れると私の力では動かせません。こちらがぎっくり腰になったり、認知症もあり、やっとホームに入れられてほっと、しました。少しは資産があったからですが、今度は私です。84歳になりました。駅ぐらいは歩けますが、買い物が大変です。でもいろいろ聞くと私はまだ幸せな方だと、一人暮らしをなんとか楽しみたいと思いながらPCを開けたりしています。、お母さま101歳でおられるそうで、私はあとどれだけ元気でいられるか。また読ませていただきます。』
老老介護など精神論では通用しないと思います。全く同感と84歳の先輩に言って頂いて、本当に嬉しかったのです。

★84歳の先輩の方からコメントを頂いたのは初めてです。
『寅どしより』にリンクがあったのでクリックすると、こんなブログが現れました

早くから、ブログをやっておられたのだと直感的にそう思ったのだが、それは間違いでした。
先月、今年の7月13日に、84歳でブログを始められたのです。
その最初のブログには

はじめてブログに挑戦です。今年は寅年、何回目かの年女です。
昭和を丸ごと生きてきて、なんと
平成も22年、やれやれ目とか足とか弱くなるのも当然のこと、
せめて
頭が弱くなるのは遅らせたいと、気を奮い立たせて始めてみました。

最初は写真は入れられません。これから勉強していきますので。

まずはご挨拶。
心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ

と文字も大きく、こんな風に書かれています。1カ月経って現在は写真もちゃんと貼れています。
コメントも嬉しかったのですが、びっくりしてしまいました。
昭和を丸ごと生きられた気迫を感じました。


★もう一つは、『地方院』構想のご本人、武雄市長からのコメントです。

『●進め方もちゃんと考えておられるのは当然でしょうが、だれと組むかも焦点だと思います。
大阪の橋下さんは??  ひょっとしたらもう雑談で話が出ているのかも知れません。』
と書いたことに対して、

『慧眼です。橋下さんとは話を進めています!目に見える流れと伏流と、そして、大きな潮流と。どのタイミングで流し、予期せぬ竿が出てくるか、そして、その竿すらも味方にできるか、考えながら動くことほど面白いものはありません。
今日、橋下さんと会いますが、また、いろんな動きについて虚心坦懐話をして来ようと思っています。』
とコメントを下さいました。
昨日、大阪維新の会に自民党の大阪幹事長が参加などのニュースが流れましたが、
橋下さんも、樋渡さんも、『仕組みが創れる』数少ないリーダーです。

世の中の改革などは、一人のリーダー一人の参謀で十分実現します。
橋下さん、樋渡さん、このコンビは強力です。
そんなコンビが現実に動き出したことに注目です。

私は個人的には、小沢一郎さん総理にならないかなと思っています。
難しい時代は数などではありません。リーダーの見識と迫力だと思っています。


追 記)  小沢さん、立候補表明です。頑張って欲しいと思います。
金の問題、大なり小なりあるのでしょうが、それが今までの日本の政治でした。
日本は法治国ですから、まだ罪にもなっていない人を、あたかも罪人のように言うのは間違っていると思います。
そんな問題を乗り越えて、日本をどうするか?大きな問題に取り組んで欲しいと思っています。

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武雄の樋渡さんが書かれた、西日本新聞の『潮流』の話

2010-08-25 05:18:12 | 素浪人&樋渡啓祐氏

★今日の『潮流』は、  いつも取り上げていル『潮流発電の潮流』ではありません。

武雄の樋渡さんが書かれた、西日本新聞のコラム『潮流』の話です

いろんなブログがあって、斜めに読んでもいいブログもありますが、確りと読まねばならないブログもあります。
これは間違いなく、後者です。
なんでも、論じられているテーマが『参議院の改革』についての提言です。

ツイッターでも、いろんな意見が飛び交っています。
どうしても議論が細部に入リ過ぎて、のっけから賛成、反対の議論になってしまうのは、問題が問題だけにそんなに早急に結論を急ぐ必要はないと思います。


★お前の意見は?と聞かれると
こんな難しい問題の法律的なことやいろいろあってその辺は皆目解らないのですが。

●第一感、直感で面白い と思いました。

今言われている、議員定数の削減などは、お金の節減にはなるかも知れませんが、本質的な改革に本当に繋がるのかどうか?
今からは地方の時代と言われているのですから、『地方院』と言うのはあっていい発想でしょう。
衆議院と参議院が同じような機能になってしまって、参議院不要論などもあるようですが、これは衆議院の役割も明確化するかも知れません。

●単なる改善ではなく、世の中の新しい流れを分析した上での『新しい仕組みの構築』という提案であることが素晴らしいと思っています。

世の中、個別の改善提案は多いのですが、またそれは日本人の得意の分野であることは認めますが、『仕組みを創れる』人は少ないし日本人の不得意の分野です。
樋渡さんは、それができる数少ない日本人だと思っています。
数少ないから、ご自身でも言っておられるように『奇人、変人の類』なのかも知れません。

●問題点も、いろいろあるのだと思いますが、旗を上げられた時期もなかなかいい時期だと思います。

いろんな問題が常にあるのですが、『いつそれを言いいだすのか?』という時期は、物事の成否を分けるほど重要だと思います。
樋渡さんを4年間ほど追っかけていますが、そのカンの鋭さみたいなものを感じます。

●進め方もちゃんと考えておられるのは当然でしょうが、だれと組むかも焦点だと思います。

大阪の橋下さんは??  ひょっとしたらもう雑談で話が出ているのかも知れません。
私は樋渡ファンでもありますし、同時に橋下ファンでもあります。
このブログにも『武雄市&樋渡啓祐氏』と言うカテゴリーも『大阪府&橋下徹氏』と言うカテゴリーも既に作っています。
そんな風になれば最高ですし、さらにどこかの県とヨコに繋がってさらに大きな輪になればいいなと思っています。
そんな流れの中で、具体的な個々の問題は専門の方がいろいろ知恵を働かせて、いい着地点を探してくれたらいいのです。


★もし、面白い展開になれば、私もツイッターやブログで応援したいと思っています。
ブログは大したことはありませんが、
そんな時期には、NPOの公式ツイッターのフォロワーはひょっとすると10万人以上になって、全国100位の中にいるかも知れません。
(現在は63000人、120位です。毎日500人ほど、1カ月15000人ほど増え続けています)

自分では、そんなに立派な発想はできませんが、仲間や素晴らしい人たちの発想の連携や情報発信のお手伝いをしたいと願っています
異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』が基本コンセプトです。

こんな高次元な問題の情報発信のお手伝いができたらいいなと思っています。

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超長寿高齢化社会を考える

2010-08-24 04:53:43 | 発想$感想
★昨日の夕刊の見出しは、『高齢者万引き再犯防げ』である。
万引きをした高齢者が20年前の10倍だと言う。
『孤立した高齢者にとって人と関わる手段が万引きしかない場合がある。』と大学の先生のコメントである。
地域社会のボランティアに参加して生きがいをなどと言っているが、実効を上げるのは難しいだろう。

世の中超高齢者社会になりつつある。
これは誰も今までに経験のなかった社会なのである。

いろんな対策を考える人たち、政治家が、若すぎる?のである。
100歳近い親の面倒を見ている政治家など少ないだろう。
現実に直面してみないと解らないものである。


★人間その局面に出会わないと真剣にいろいろ考えないものである。
厚かましく自分の意見を述べようとしている私でさえ、1カ月半前の6月末までは、そんなに真剣に高齢者社会など考えたことがなかったのである。

我が家は、3人家族である。
私77歳、家内74歳、これだけでも数字の上では高齢者家族である。
それに明治42年生まれの6月28日生まれの101歳の母がいる。

母の誕生日には4人の妹たちが集まって、明石で誕生日祝いをした。母は三木から明石まで車で私が送って行った。
その頃までは至って元気だったのである。
そのころから、急に眼が見えにくくなったと言うので、検査をしてもらったら、眼底出血という診断、もう年だから治療はするがそんなに改善は見込めないと言う。
1週間に1回病院に治療に連れて行ったが駐車場から診察室まで300メートルほどだが、自分で歩いていたのである。
少し距離がありすぎるので3回目からは、初めて車椅子を借りて運んだ。これは楽だと喜んでいた。

1カ月に24日はショートステイで養老施設でお世話になっているのだが、
今までは、母の『面倒は見ていた』が 『介護をしていた』という実感は一切なかったのである。
『面倒』 と 『介護』は全然次元が違うと言うのをごく最近になって思い知ったのである。

★折しも、100歳以上の長寿者の問題が社会問題になっている。
100歳の人を介護しなければならぬ子どもたちは、みんな間違いなく65歳以上ほとんどが70歳代だろう。

その100歳は30年前は全国で200人、20年前でも2000人であったのに、今は5万人もいて毎年何万人の単位で今後増えると言う。
家で介護などと言う政治家の人がいるが、それは50代の政治家たちの親なら出来ても、
75歳以上の子供に親を家で介護するなど、これは理屈では可能でも現実には難しいのである。

8月14日、お盆の最中に突然母が歩けなくなって、医者も休みだし困り果てて、緊急性はなかったかも知れぬが、救急車で病院を探してもらったのである。
検査の結果体に炎症があるからと1週間の入院、昨日退院の予定だったのである。
家に戻ってきてもどうしようもないので、病院から直接養老施設に退院することになっていたら、一昨日の晩発熱したので退院は止めて2,3日様子を見ると言う。
病院に行ってみたら、10日ほど前とは別人のようである。
これではとても家に戻って来てもらったら、お手上げなのである。


★この数日、ずっといろいろ考えている。何事も楽観的で今でも何とかなると思っているのだが、これは、日本の構造問題である。
それゆえにその構造から、じっくりとトータルの仕組みを考えるべきである。
高齢化社会を高齢者たちからではなくて、その面倒を見る側の年齢から2段階に分けて対策すべきだと思う。
高齢者と超高齢者である。

少子高齢化 核家族 晩婚 独身願望 長寿社会  これらは世の中の流れである。
医学の進歩もあって、超高齢者の社会構造は、今まで経験しなかったレベルにどんどん進むのだろう。
それをを考える政治家たちは、逆に若返りの傾向である。
そんな若い人たちに、こんな傾向の社会の高齢者問題を考えさせても、実態が解らなくて無理なのでは、と思うのだが、
ホントに考えると言うのなら、それに直面している人たちの現状を見て、よく意見を聞いて対策を立てて欲しい。

ずっと、老老家族で暮らしてきた私ですら、『介護』の次元に直面して初めて悶絶してしまっているのである。
私などはまだまだ恵まれた方である。
もっと、もっとひどい条件の人たちは、親の介護など投げ出してしまう気持ちは解らぬでもない。やる気持があってもできないのだと思う

★この1週間突拍子もないようなことを考えている。

●今の介護の級制度を見直して、例えば95歳以上は全員公の養老施設で面倒をみる。それを辞退することは自由とするが原則施設でに入所とする。
(行方不明対策にもなるし、その子供たちは70歳ぐらいだろうから、多分それを希望する家族が殆どだと思う。)

●100歳以上は、即刻やればいい。100歳おめでとうと思うのは多分直接面倒を見ていない人たちの想いで、一緒にいる人は不安が先に立って、そんなにおめでたいとも思っていないのでは。

●もう少し若い年代の親を見るには、『実質の養子制度?』がいいなと思っている。
大体旦那の母親と同居して起こる嫁姑の問題は、基本的にうまくいかないシステムである。
実は息子は養子ではないが嫁の母親を同居させている。100%いいかどうかは、本人に聞いたことはないので解らぬが、私は非常にいいと思っている。
家内と息子の嫁はとても仲が良くて、一緒に旅行に行ったりもするのだが、これはずっと同居していないからだと思う。

●逆に、今家内はアメリカの娘のところに2カ月近い滞在である。結構なことだが、これが息子の所ならとても2カ月の滞在はムリだろう。 
これは人間の、男女の『さがの問題』だと思うので、その方が幾らかでもうまくいくはずである。男は嫁の親とでもそんなに難しくないのではと思う
嫁の方の親を見る人に優遇処置などの制度をとればいい。 

●私の祖母も102歳まで生きた。30年も前だから日本で100歳が珍しいころである。
その祖母も100近くからは70歳代の伯母が面倒を見ていて、もう1代若い家族も同居していたが、家での介護は本当に大変であった。
ある年齢以上は、介護のプロたちがいろんな道具を駆使して、プロのレベルの介護でないと素人の精神論では決して続いたりはしないと思う。

★今の級の制度では、歩けたら介護1級以上には認定されない。
101歳であってもショートステイはいいのだが、ずっと入れて貰うことはできないのである。
この1カ月の間に、目は見え難くなる、歩けなくなる、認知症も、何よりも気力が失せて別人のようになってしまった。
今日、級の変更申請を出すことにしたが、結果がどうなるやら、
『もう少し待って頂けますか?』と言われても101歳のおばあちゃんにはそんなに残された時間はないのである。

本人は、それでも『家がいい』と言うのは、よく解っている。 難しい問題であるが、
中高齢者は『養子?優遇制度』で、超高齢者の介護はプロに任せるべきである。
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潮流発電、新しい段階へ

2010-08-23 06:04:38 | 潮流、海流発電

★兵庫県三木市のベンチャー企業ノヴァエネルギーの鈴木社長と初めてお会いしたのは、昨年の6月、1年ちょっと前のことである。
最初にお会いしたその日から、直感的にこのプロジェクトの可能性を感じて、ずっと応援し続けてきた。
そのきっかけは、ノヴァエネルギーが、昨年6月に正式認可を受けた、NPO法人The Good Timesの団体賛助会員に参加されたからである。
広報活動がこのNPOの主要課題なのである。

鈴木さんを紹介してくれたのはNPO理事のkwakkyさんである。
『異種、異質の人たちを繋いで楽しくいい時を過ごそう』、というNPOの基本コンセプトに沿って、この1年特に広報的な面でいろいろとお手伝いをしてきた。

★広報とは。
英語で言うとPR.
PRとは、パブリック リレーション。
社会の中でのいい人間関係づくりの活動のことを広報活動とい言うのである。

なぜか『広く報ずる』訳したために、その機能のほんの一部にすぎないチラシを作って広く報ずるなど、と言う広告活動とごっちゃにされてしまっているのである。
ホントの広報活動はそんなレベルの話ではなくて、より高度な高次元の話なのである。

約1年を経過して、ようやく『潮流、海流発電』あちこちの新聞、テレビにも取り上げられ、環境省の認定プロジェクトにもなって、、億の単位の補助金を頂けるまでになった。
5月には、淡路岩屋に『まぐろタービン』も到着して、日本での開発実験がスタートしたばかりなのである。

この1年間の経緯は、『潮流、海流発電』というカテゴリーで24回にわたり纏めてあるので
関心のある方はご覧ください。
如何に可能性のある壮大なプロジェクトであるかと言うことがお解りいただけると思います。


japannovaenergyとして『公式ツイッター』として2月に立ちあげた。
2月以降ほぼ毎日情報発信されて、日本全国から注目されている。
これは『公式ツイッター』としてGoogleの客観的評価でも『評価5』の信じられないほど高い評価を頂いている。

そんな経緯を経て、開発段階のいろんな問題に遭遇しながらも、ほぼ順調に推移を続けている。
ただ、これは研究開発プロジェクトはなくて、新事業開発のプロジェクトなのである。
当然具体的な資金調達も、会社としての運営体制の整備も必要なのである。

ここにきて、新会社の運営体制の整備が一番の課題になったのである。
広報活動段階では、いろんなシステムや人間関係を繋いで支援を続けてきたのだが、
こと事業経営となると、より具体的な体制の構築、資金手当てなど具体的な展開が必要である。




★昨日は、そんなご相談を受けて、こんなメンバーが集まって、いろんな話をしたのである。

最終的な判断は、鈴木さんにお任せだが、NPO The Good Times のメンバーから二人、これは最強のメンバーである。
今までも昨年の秋から、ボランティアで手伝ってきたタッチャン(左)は、私の現役時代からジェットスキーやソフト会社、自動車学校、九州のサーキットオートポリスの経営など。
とにかく新しいプロジェクトの時はずっと手伝ってくれた、少々うるさいが実力派であることは間違いない。
今のNPOでは副理事長をしてくれている。

そのタッチャンから是非にとお願いされたのが真ん中のjhojinさん、今はお坊さんの資格も取っているが、
かって、カワサキの二輪事業存亡の時期に約200億円の金とともに本社の財務から当時単車の企画をやっていた私のお目付け役として、川重の財務担当副社長の指名で派遣されたエリートなのである。

そんな小川君の援けなどもあって、今のカワサキの単車があることを、ほんとのところを知っている人は少ない。
会社経営は、金、資金が命なのである。
今はそんな関係でNPOの監事をやって貰っている。
その小川君にノヴァエネルギーの経営に携わって頂けないかと言う鈴木さんのお願いなのである。

このプロジェクトの成否は、これからが難しい。
必ず成功するとは言えない。
ただ、うまく回りだすと、間違いなく国家プロジェクトにも繋がるし、既にいろんな国からのオファーもある。

そんな大きなプロジェクトになった時にも、十分対応できる人材でないと、このプロジェクトは務まらないと思う。
9月の初めまでに、果たしてどんな展開になるのか?
『潮流発電』も新しい段階に入ったことだけは間違いない。

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もっと楽しく夢を語ろう

2010-08-22 06:49:14 | カワサキ単車の昔話

★ツイッターで小林ゆきさんが日経の記事のことつぶやかれたら、13人もの人がリツイートした。


小林ゆき

yukky_rt 原付はピークの1割、大きいバイクは30年間で半減だけどここ10年は横ばい、がもっとよくわかる日経bpの記事 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090515/1026204/
kawasaki, let the gootimes roll !のコンセプトはそのころ1975年に生まれたのである。
今私たちは、小さなNPOだが夢は大きく、そのコンセプトを二輪だけではなく、もっと大きく引き継いで、楽しい社会の実現を夢見ている。

★幾らかでも、バイクの世界を明るくしようと努力している人たちは、今でも間違いなくいるのである。
冒頭に紹介した小林ゆきさんのつぶやきを最初に『リツイートした人』は、大阪生駒の『happyend』さんである

ペイント屋さんだが、タダのペイント屋さんではない。バイク業界を明るく活性化しようと頑張っている。
残念ながら、今のメーカーの完成車販売一辺倒の政策では、happyendさんとの接点は、見つからないのである。
なぜ私と繋がっているのか? それこそずっと昔々のことだが『遊び心満点』であった枚方の故野崎輪業さんのこと書いた私のブログで繋がったのである。

ごく最近、NPO The Good Times にも参加されたし、ッツイッターも始められたばかりである。

★昨日は、我が家に珍客が訪れた。
大阪、貝塚の月木レーシングの月木さんである

残念ながら、カワサキの新車を売らないので、今は正規販売店にはなっていないが、『カワサキ親派』であること間違いない。
最近は三木のカバン屋さん(NPO事務局長)宅にしょっちゅう二輪談義に現れる。
勿論、NPOの当初からの会員だが今までは眠っていた。

月木レーシングは、今もアメリカに事務所を持ち、タイのバイクを輸入し単にマフラーを製造販売しているだけではない。
かっては、岩城滉一らと一緒にカワサキのレースやジェットスキーで、楽しい遊びの世界を演出したキーマンである。
もう一度、機会があれば何か大きな夢をみたいなとは思っていた。
今はネットの世界だから、アメリカでもタイでも、横に繋ぐのは簡単なのである。

特にタイのバイクメーカーの社長ピテイさんは、私の旧い仲間である。
何事にも積極的で、ノヴァエネルギーの潮流発電に今関心を持っている。
タイカワサキの社長もしていた小川君は、今NPOの監事で手伝ってくれている。
もっと大きく、楽しく繋がらないかなと昨日はネットに詳しい月木の息子さんも入れて、半日夢を語ったのである。

今日はその小川君とNPOの副理事長のタッチャんと、ノヴァエネルギーの鈴木社長と潮流、海流発電の経営談義をすることになっている。
『夢が動かないかな』、じっとしていては動かない。独りでも動かない。
みんな繋げば、意外に動くものだと信じて動いている。
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お金について思うことー2

2010-08-21 05:46:06 | 自分史

★自分個人のお金については、不思議なほど淡白に生きてきた。
お金を貯めようとか、利殖をしようと言う感覚が全然と言っていいほどないのである。
宝くじも買ったことがないし、株の売買も証券会社を通じてはしたことがない。

大体株券は紙切れになってしまうと思っていたのである。
事実、終戦で株券は紙切れになってしまった。
今川崎重工業の株式は持っているがこれは社内貯金みたいな積み立てで幾らかになったものである。
売る気は全然ないので、株価のチェックなどは全くしないのである。

★自分の財布にそんなに大金を入れた経験もないし、ゴルフ代以上の金を自分で払った経験も少ない。
何か少し大きいものを買う時の支払いはいつも家内である。
現役時代もあまり金は持っていなかったし、自分で遣ったりもしなかった。
三木から明石まで車での通勤だったし、安全本部長をしていたこともあって、明石では一切酒は飲めなかったのである。
酒席でもいつもウーロン茶だし、そんな酒席は面白くないので極力夜の席は避けていた。
もっぱら酒席は出張先であった。

★個人の場合は、お金など普通にあればそれ以上は不要だと本当にそう思っていた。

もし戦争がなかったら、どんなことになっているか解らぬが
それよりも現実の二輪事業を担当したカワサキでの生活は、何よりも面白かった。
世の中にこんな面白い事業があるのだと今でもそう思っている。
それもスタート時代に担当出来たので面白かったのだろう。
少なくとも自分より詳しい営業や企画の人がいなかったのである。



★そんなことで、個人の金にはほとんど関心を示さなかったのだが、会社では誰よりも金には関心があったと思っている。
大体、大きな会社は事業部制などの経営をやっているのだが、あれは管理損益の計算をやっているだけで、実際の資金はみんな資金部がやってくれているのである。
二輪事業の販社や海外の生産会社だけが、ほんとの事業経営をやっているのである。

私の初めての営業が、東北の自前の代理店営業で、これは半分以上が資金繰りに神経を使わねばならなかった。
まだ手形の時代で、銀行金利は日歩2銭5厘くらいだった。
素人がバイクを売ったら儲かると思っていたらそうでもないのである。
1年目の新米営業所長が売りに売って、金賞、銀賞など表彰状を総なめにしたのに、翌年は金が不足して代理店に行くよりは、ずっと銀行さんにアタマを下げ歩いていたのである。
営業内はクロなのに、営業外で大赤字でどうにもならなかったのが、営業のスタートなのである。

この経験は貴重であった。金の有難さは身にしみて解ったのである。

『ものを金に換える』 それが出来て初めてものが売れたことになるのだが、
売って売掛金に残っていても、それを回収して手形になっても、現金にならぬ限り、資金繰りには役に立たない。
銀行さんは丁重ではあるが、金を貸してなんぼの商売だから、頼りになるようで本当は頼りにならないのである。

赤字でも金さえ続けば倒産などしないし、いくら黒字でも金が止まれば危ないのである。
『親方日の丸』と言われる大企業や行政で育った人は、アタマではそれが解っても、実戦ではそれを解決できないのである。
川崎の中で極端に言えば、実際の金を回した営業の人などいなくて、金が解れば現場の売りが解らぬし、若い時期に小さくてもそのトータルシステムを体験できたことがよかったと思っている

ものを金に換える‐1、    初めての営業経験、東北時代、この経験があとで生きた。

ものを金に換える‐2、    東南アジア、アラブの商人、華僑の商売、商売の仕方は変わるが、基本は金。

ものを金に換える‐3、    これはメーカー単車事業部の話である。事業撤退かと言われる時期の企画を担当した。

ものを金に換える‐4、    これは販売会社の話、当時の販社みんな無借金経営であった。

私の二輪事業での経歴は東北の前が、ファクトリーのレース関係である。
そして最後はユーザークラブKAZEなどを中心にした、二輪の遊びの世界中心の販社経営だった。
ベースはみんな『金』である。


★現在、NPO法人 The Good Times を主宰している。
インターネットの世界を利用しているので、金は全然かからない。月の経費はゼロに近い。
電話もないのである。
経費ゼロなら、入ってきた金は余る。余った金をどう使うかだけを考えればいい結構なNPO法人である。


個人の金は、極めていい加減なのだが、
仕事の金については、非常に厳しいスタンスなのである。
個人と違って、企業や法人の場合は金はあればあるほどいいのだと思っている。

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金運 お金について思うこと-1

2010-08-20 04:29:40 | 自分史
★私は今77歳である。77年生きたということである。

今回自分史を書きだしてから、余計に思うのは、『運が良かった』と心底そう思うのである。
戦前、戦後の昭和の時代、そしてネット社会の新しい平成も、もう20年も過ぎた。

こんな時代の大変化は、多分もうなかなか経験することは出来ないだろう。
そんな時代を生きれたことは、『大幸運』であったと思う。


★そんな私の人生の中で『お金』についてもちょっと普通ではない経験から、ちょっと違ったお金への考えもある。
いろんな意味で『金運』も非常によかったと、これも心底そう思っている。

今後も『金運』は、そんなに悪くならないと勝手にそう思っている。
なぜなら、死ぬまでは何をしなくても年金が貰えるからである。
そんなに大した額ではないが、お金などその程度あれば十分だと思っているのである。
金など幾らあっても決して幸せになったりはしないと思っているのである。


★戦争が終わるまで小学校のころは、お金はいっぱいあったに違いない。
年に2回、ソウルから日本に帰ってくるときは1等車だったし、明石では伯父がその当時から運転手つきのアメリカ製の自家用車で、あちこちに連れて行ってくれた。
そのころの神戸の花隈や有馬の料亭で大勢の芸妓さんのいる宴席に、小学生のころ何度も連れて行ってもらったりした。
大人の芸者遊びがどんなに他愛のないバカげたものかと、子供のころにそう思っていた。
夏は、明石の海で泳いでいたのだが、頼みもしないのに伯父は庭に結構立派なプールを作ってくれたりした。
当時、伯父夫婦には子供がいなかったので、跡取りとして私にたいしては想像以上の溺愛だったのであtる。

父や母は、それをあまりいいことだとも、思っていなかったようだが、休みのときだけだからとあまり表には出さなかったのだと思う。
京城の家では、とにかく『お金』と言うものを意識したことがない生活であった。
父は特に働きに出るでもなく、家で絵を書いたりしていたのが印象に残っている。
子供のころから、『お年玉』も『小遣い』も貰った経験がない。子供はお金とは無縁で育てられた。

多分株の配当だけで食えたのだと思うが、
父は外で遊んだりはしなかったが、同じ兄弟で仲もいいのに性格は全く別で、伯父は酒と遊びが趣味みたいな生活だった。
金があるための伯母の気苦労などを見ていると、『金はあんまりない方がいい』と子供心にそう思ったものである。


★ところが戦後、現実に金のない生活に遭遇した。
家族1人1000円だけの所持金で引き揚げてきたのである。
当初は、伯父の家族と一緒の生活であったが、まだ上の丸には3000坪に近い土地だけは残っていた。
農地改革とかで小作の人に無償で渡した土地はどれだけあったのか解らないほどの面積だったが、上の丸も大蔵谷もどうしたわけか直ぐ宅地になって、家が建ってしまっている。
そんな不思議な戦後の改革であった。
多分生活費は、伯父が面倒を見てくれたのだと思う。
祖父の遺産の財産分けはしていなかったので、父はそのことにはなんの遠慮もしていなかったようである。

ずっと伯父の家との同居もと言うことで、敷地の南側の600坪くらいの土地の真ん中に、バラックのような一軒家を立てたのである。。
母がこっそり引き上げの時に隠して持ち帰った指輪を売ったら家が建ったそうである。
その後父は明石の友人たちと神戸で証券会社などを起こしたのだが、通勤の電車で転んだのが原因で、脊髄カリエスで3年ほど寝込んでしまったのである。

家に収入は全くなくなり、そこから土地の売り食いが始まったのである。
一時バブルのころは1坪100万円とも言われたこともある上の丸の土地だが、当時は1坪2000円ほどであった。
私が高校生の頃の話だが、家の生活費は多分その土地の売り食いで賄われたのだと思うが、そのころも金の話は家の中で聞かされたこともない。

高校3年夏の大会が終ってからは、流石に私もアルバイトで助けようと思った。
同じやるなら、普通のアルバイトの日給の2倍にはなる神戸港の沖仲士の仕事(当時はアンコといわれていたが)、に朝4時から出かけて徹夜をやったりした。
野球部の連中が一緒に行ってくれたりした。仕事はきつかったが、2,3日行くと1坪の土地が買えるほどの収入にはなったのである。

★父は高校3年の1月に亡くなった。52歳であった。
当時、母はまだ42歳で長男の私の下には4人の妹がいた。この一家の家計はその後母が一人で背負ったのである。
もう父の療養の費用は要らなくなったので、伯父が大学に行けと薦めてくれて、私は2カ月間の受験勉強で大学に行ったのである。
父は私を大学にやるために、1月2日などと正月に亡くなってくれたのかも知れない。

大学は、引揚者の母子家庭で学費免除、特別奨学金をもらっていたので、毎月給料をもらって大学に行ったようなものである。
勉強など一つもせずに野球一筋に専念していた学生生活であった。
母には迷惑を掛けなかったが、かといって援けにも決してならなかった長男なのである。
多分、家計は苦しかったとは思うが、母はこの時代も金の話など一切家では話題にしたりはしなかった。
私は勝手に好き放題やっていたが、多分妹たちが家事の半分くらいはやっていたのかも知れない。

★就職して自分で、金を稼ぐようになったが、
初任給は12000円、、さすがに家に幾らかは入れたので、学生時代より苦しかった。
その後、結婚した時の給料は3万円ほどで、家賃がその半分ほどだったので、とても小遣いなどは貰う気にもならなかった。
(そのアパートは戦前までは農地で自分の土地だったのに、お金を払って住まわせて貰っているのも、そんな時代だったのである。)

そんなことで、私は小学校から今まで決まった小遣いなど貰った経験は一度もないのである。
出張旅費などもあったりしたので、何とかなったのである。
ただし、たばこ代から、車のガソリン代まで一切家からの支出であった。
『煙草止めたら小遣い上げる』 などと言っていたが、50代で煙草は止めたが、その後もそのままである。

★貯金など一切なかったのだが、土地を買って家を建てるころから時代が日本経済の成長期に入った。
いまの土地と家とを買って20年ぐらいの返済だったが、初めの2年は返す金などないので、その2年分の返済額を余分に借り増してその金で払うことにした。
何とかなるだろうと思っていたら、今の時代の人は想像もできないと思うが給料が25%、30%、などと毎年上がったのである。
計算をされたら解るがこんなペースだと給料は直ぐ倍になるのである。それで2年後からの返済が可能にはなったのである。

私は一切家計には関与しないし、給料は100%家内に直行であったが、専業主婦で他に収入もなくそんなに楽であったはずはない。
仮に楽になったり幾らかでも貯金などが出来たのは、いわゆるサラリーマンの定年を終わってからのことである。

そういう意味では、60歳以降が幾らかでも余裕ができて、70代の年金生活も気分的には、自由な時間があり十分豊かなのである。
そんな、非常に運に恵まれた人生であったが、そんな人生で金についてどう思って生きてきたのか。
明日でもその続きを書いてみたい。
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四国高知の株キッズさん

2010-08-19 05:50:18 | NPO The Good Times
★私は現役時代カワサキの二輪部門がほとんどで、
そんな関係でこのブログのカテゴリーも『カワサキ単車の昔話』や『MCレース』など二輪に関することが多いのだが、
最後の2年間だけ札幌の『北海道川重建機』の経営を担当したことがある。
非常にいい会社で、名前は川重建機になっているが、川重の子会社ではなくて、いまどき珍しい地元資本の会社なのである。
北海道の自然もよかったし、何よりもお付き合い頂いた方が、大会社の社員とは一味違った、厳しさと温かさの二つがあって、有意義な2年間であった。


建機など全く畑違いで、商品のことも商売のことも全くの門外漢で、いい会社だけになかなかの個性の方が揃っていて、そこでの経営は非常に面白かったし、
私にとって最高にいい締めくくりの2年間であったと思っている。
私の営業経験は東北の自前の代理店を相手の営業に始まり、最後は札幌で自前の北海道川重建機の社長で終わったのだが、そのいずれもが初めての経験であったことも面白い。

そのどちらでも、引き継ぎなしの私流のやり方で通した。
それが通用したと言うより最近のメーカ資本100%の直販子会社の経営のようなわけには、とてもいかないのである。
基本的にメーカーが上流ではなくて対等と意識が強いのである。本当は末端の方が強くて当然なのに、その逆の場合がほとんどである。

私がタテ型ピラミッド型をどうしても好きになれないのは、こんな私の経験に起因しているのかも知れない。
ネット社会は、ヨコ一線である。 どちらが上位などの関係などはない世界なのである。


四国高知の株)キッズさんが
最近NPO The Good Times の団体会員さんに突然参加されたのである。

私は全然記憶にないのだが、ここの社長さんは元川重の建機事業部のご出身で、今高知で株)キッズを経営されているようだ。
そのホームページを見ると、
機械事業部で、川重の建機代理店として建機を扱っているのは解るのだが、
介護事業部では、デイサービス、介護タクシー、家事代行など
IT事業部では、パソコン修理、windowsのソフト制作、インタネット販売 などとある。

まさに異種、異質な事業内容だが、それぞれの部門にブログもあって『twitter』は事業部並みに並んで、表示されているのである。
毎日のツイッターも、こんなに数多くのつぶやきが聞かれるのである
 



★なぜ私が、このブログで株)キッズさんをご紹介しようと思い立ったのはこの写真である。





この写真が貼りつけられた元のブログはこちらである

関東から、鹿児島から、kawasakiのバイクが集まったようである。
それは解らぬではないが、
それになぜ株)キッズさんが絡むのか??

先日、電話でちょっとだけお話したのだが先方は、建機時代に私とお会いしたことがあると仰るのである。
私は???があると放っておけない性質で、今建機の国内販社の社長をしている花房君を追っかけたのである。
花房君と社長を君呼ばわりしているが、彼は川重建機時代には営業担当常務として支えてくれたし,それよりも大学の野球部の後輩なのである。

会議中だったのに出てきていろいろ教えてくれた。
その中の一つに、
川重を退職して、この商売を始められるときに『カワサキのバイクの販売店』もやりたくて、当時のKMJに花房君が打診したこともあったとか。
そんなことで、いまでも関心がお有りなのだと思う。

トライアスロンもおやりになるスポーツマンだとも聞いた。

★ そんなことで、少々本音でズケズケ言わせて頂くと、

そのバイタリテイも、事業展開の方向性も、ブログやツイッターを経営に取り入れようと言う姿勢も。
何よりも、四国から突然、NPO The Good Times にホームページからダイレクトに入会される先見性もみんな大したものである。

ただ、今後トータルの事業の関連性などキッズのトータルイメージの創造など、『高質化』の面をより表に出されてはと思っている。
この写真を紹介した、『元のブログ』はなかなかの高質感が出ていて、ちょっとびっくりした次第である。

今後、より親しくなって、よりズケズケ言えるようになればいいと思っている。

ツイッター、是非NPO The Good Times の公式ツイッターとして『リツイートしやすい』つぶやきを是非お願いしたいと思っている。

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ツイッター雑感

2010-08-18 05:47:10 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
★私自身は、技術的なことは皆目ダメである。
細かいことを覚えるのも不得手である。
新しいことはなんでも好きだが、新しい機能にはよほどのことがないとついていけない。
ただ、ハマルと人の何倍もハマってしまう。そこそこのところまでいかないと気がすまないのである。

今ツイッターがそんな状況である。
昨年の12月に登録をしてみたが、何かもう一つよくわからなかった。
1月に鳩山さんがツイッターをやりだして話題になった。
政治家たちも人気のある有名人はフォローも多いが、普通一般の人は素tれほどでもない。

★。何となく、ちゃんとやって見るかと思いだしたのは、潮流発電のノヴァエネルギーが公式ツイッターを2月1日に立ち上げることになってからである。
ノヴァエネルギーは、私たちNPO The Good Times の団体会員であったので最初からちゃんとしたコンセプトで情報発信ツールとして1カ月1000人のフォロワーを集めることからスタートした。
3カ月で3000人を超すフォロワーを獲得出来て、その情報発信も非常に質が高くGoogle PageRankingでも『評価5』の高評価を頂いているのである。
japannovaenergy はこんなツイッターである
どんな評価基準になっているのかよく解らぬが、早い段階から『5』の評価がついていたのである。
別に有名でもない三木のベンチャー企業が5は異例の評価だと思っている。

ただ、フォロワーを増やす方法は解ったが、これ以上企業でやるのは、時間的に負担がかかりすぎるからと、
幾らでも時間のある私が、5月からNPO The Good Times の公式ツイッターとして、その作業を引き受けたのある。

★5月にスタートして7月末までの3カ月間で5万人、多分今日明日には6万人になる。
これは全国的に見ても結構な水準ハイペースである。
いろいろ高い授業料をとってフォロワーを集める術など専門にやっている方もいるが、それよりはだいぶ早いペースである。
荒っぽく言うと、1日に新しく1000人フォローして600~700人が新しくフォローしてくれているのである。
これは全く単純で決して難しいことではなく、単なる作業の繰り返しだが『単純作業を継続する根気』だけの問題である。
意外に思われるかも知れぬが、こんな単純作業は『得意中の得意で自信あり』である。
野球部のグランドの石拾いなどで鍛えられているのである。

まあそんなことで、ぼつぼつとペースを落としても、今年中にはフォロワー10万人は達成できるだろう。
そうなった時点で、その後のことは考えたい。
これは、NPOの会員の方の個々の情報発信をリツイートすることで10万人に向けて発信できるはずと言う仮説で進めている。
とても、こんなツイッターと言ういい仕組みがないと、個人にとって10万人は夢のまた夢のはずだが、それが現実に可能でなのである。それも無料で。

そんなことがNPOの会員になって、いい情報さえ発信されたら、個人でも商店でも、グループでもそれが実現するのである。
そんな、NPO The Good Times のトータルシステム向上のために頑張っているのである。


★先日、『ツイッター学会』なるものを立ち上げられていろんな話題を振りまいた佐賀県武雄市の樋渡啓祐さんだが、

あちこちで話題になって、こんな風にも取り上げられている
こちらの方は、似美の作業の積み重ねなどではなしに、どーんと一発狼煙を上げただけだが、
狼煙の上げ方が戦略的である。

続いて昨日は、武雄市の職員全員にツイッターアカウントを持たすとか

武雄市は、短い文章をインターネットを通じて投稿する簡易型ブログ「ツイッター」を全職員が利用できるよう、一般事務を行う職員全員にアカウントを持たせる。
 同市では今後、ツイッターを活用して、市が主催するイベントなどについて担当職員らが告知したり、市民からの質問に答えたりする。災害時には、土砂崩れや冠水の現場から職員らが状況を知らせる。災害被害について、市民らが情報提供をすることも見込まれている。


これは推測だが、
ツイッター学会を発表した時点で、職員のツイッター案も既にあったのだと思うが、2回に分けての発表はマスコミ対策として上手だなと思う。

ツイッターはやってみるとよく解るのだが140字は日本語はよく出来ていてほとんどの情報は140字で、十分伝えることができる。
無意識に書いた200字ぐらいは、簡単に140字の中に収まってしまう。
英語の国で開発されたツイッターだが、umbrella=傘 日本語が断然有利である。


★こんないいものを使わない手はない。
今三木市長さんに、ツイッターについての見解を聞いているのだが、2週間もかけて考慮中なのか返事を頂いていない。
それが普通の行政のスピードなのかも知れぬが、それにしても武雄の展開の早さは見事である。

私も『ツイッター学会』にはNPOの公式ツイッターとして申し込みはしたのだが、19日に立ち上がるとか、まさか試験などないように祈っている。
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