雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

 Kawasaki の耐久レース   雑感

2019-08-05 06:36:35 | M/Cレース

★ 二輪車新聞は今回は鈴鹿8時間耐久特集号だった。
 一面のトップをKawasaki が飾っている。

  


 1993年の優勝から実に26年ぶりの鈴鹿8耐・優勝で何かやっとカワサキも耐久レースで『一人前』になったというような感じもあるのだが、

 今年も世界耐久レースでは『カワサキフランス』が2018-2019の年間王者に輝いていて、ずっと以前から耐久レースの世界では、カワサキは確固たる地位を築いていたのだが、何故か鈴鹿だけが勝てなかったのである。



 1990年代から、『ル・マン24時間耐久常勝チーム』であった『カワサキ・フランス』だったのだが、何故か『高速耐久の鈴鹿』だけは制覇できなかったのである。
 
 カワサキ・フランス・チームを立ち上げた当時カワサキフランス社長だった遠藤治さんは、今回のカワサキの8耐優勝の私のFBの記事にこんなコメントを寄せて下さっているのである。

kawasaki Franceが、耐久世界チャンプになっても、スズカで勝てないばかりに、日本では、オールカワサキとして、盛り上がらなかつたこと、欲求不満の世界チャンプだつたこと、些か苦い思い出でした

 確かに、ホントに無敵を誇ったカワサキ・フランスをしても、鈴鹿を制することは出来なかったし、周囲が期待するので、当事者としては余計に『苦い想い出』になるのかも知れない。

 同じ耐久レースでも、8時間と24時間では全然その性格は異なるのだろう。


★振り返ってみると、カワサキは元来『耐久レース』にはいろいろご縁があり、
 カワサキが正規にロードレースに進出し、カワサキとして大槻幸雄さんが監督、田崎雅元助監督という初めての監督を指定してレースに臨んだのは、1965年6月の鈴鹿アマチュア6時間耐久レースだし、このレースで初めて金谷秀夫が歳森康師とのコンビでレースデビューしているのである。

 1990年代の鈴鹿も、4時間・6時間耐久はカワサキが常勝と言ってもいいほど優勝しているのだが、8耐は93年にラッセル/スライト組での優勝はあったが、それ以降は26年間も優勝できなかったのである。

 そういう意味で、今年の優勝はホントによかったと思っている。

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鈴鹿8時間耐久レース  26年振りの 『Kawasaki優勝』

2019-07-30 06:40:09 | M/Cレース

★  『鈴鹿8耐』が20万人の大観衆で溢れた1990年代の7月末の8耐ウイークは、私は毎年1週間鈴鹿で過ごしていた。

当時のKawasakiは、

国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。

などと論評されて、ルマン・24時間の常勝チーム Kawasaki Franceが参戦しても『高速耐久』の鈴鹿8耐には優勝のご縁がなかったのである。


それが1993年にS.ラッセル/A.スライト組での初優勝があったのだが、それ以来は健闘はするものの優勝には出会えなかった。

   



★今年は体制を強化し、#10「カワサキ・レーシングチーム鈴鹿8時間」ファクトリーチームとして28日の決勝に臨み、1993年以来、2度目の優勝を狙ったのである。

ライダーも、スーパーバイク世界選手権4度の王者、ジョナサン・レイなどトップクラスのライダーを揃えての挑戦だった。

FIM世界耐久選手権の最終戦でもあり、そのリーダーの#11カワサキ・フランスも参戦となった力の入れようだった。

   

 
レースの現場から長く離れてしまうと、『鈴鹿8耐』にもそんなに熱ぽい関心はなかったのだが、朝からテレビの実況放送だけはちょこちょこ観ていたのである。

 1周目からトップを走ったし、今年は間違いなく強力であることは解ったのだが、2時間を残した5時過ぎの時点でもトップを走っていて、『これはひょっとするとひょっとするな』とテレビはつけっ放しで観ざるを得ない状態になった。
 
   


 残り30分の時点でもトップを走っていたのだが、運悪く雨が降り出して、予断を許さない状況になったが、残り10分になっても2位ヤマハに差をつけていて、『これは勝った』と思っていてあと1周走れば優勝というまさに最終回に『まさかの転倒』なのである。

 Facebook に貼り付けた最終段階の動画と、それに付した説明文である。

昨日の8耐 最後の最後の場面である。最終回にKwasaki 10 が転倒、赤旗が振られ、どうなったのかよく解らなかった時点である。
一時Kawasakiの優勝が伝えられ喜ぶ様子が・・その後ヤマハの優勝が伝えられたりして、混乱していた時間帯である。
Kawasakiの優勝とはなったが、何となくすっきりしない優勝である。
ただ今年のKawasakiは、実力的にもホンダ・ヤマハにちょっと差をつけていたなと、正直そう思ったのだが・・・
 ホントにこのままで、優勝が確定するのだろうか?



今朝のニュースには、このような写真も


 
 

 こんな報道もあるのだが、 赤旗が振られたことは確かだが、チェッカーフラッグを受けないレースの優勝など、ホントにあるのかな?

 と思ったりもした。

 Facebook の私の記事のコメントに 兵頭さんがこんなコメントを寄せて下さった。
 
 兵頭真哉   賛否両論ありますよね。
薄暗くなった雨降る中のスズキのオイル撒き散らし、しかし引退する監督の為に完走したいライダーの気持ちもわかってあげたい。
残り数分、最高のレースでチェッカーフラッグを振りたい運営の気持ち。
ホンダの続投ライダーの意地。
ヤマハの5連覇をかけた最後の追い上げ。
しかし、不運な転倒はしましたがカワサキの速さは皆さん納得でしょう‼️
昨夜はモヤモヤしましたが冷静に振り返り、レイの喜ぶ姿を見て僕は素直によろこんでます😁
カワサキに感謝ッ🎵🎵

  
 その時間帯のテレビからの動画の画面です。
 8時間の残り2分が大変なことになりました。

 

 

 

 

 
 暫定優勝だったがその後ルールに基づて、26年ぶりのカワサキの優勝が確定との発表があった。

     


 やきもきしてた、カワサキファンたちも、やっと胸を張って『優勝おめでとう』が言える正式結果が出てよかった。

 それにしても、7時間58分まで『優勝間違いなし』の走行だったのだが、最終回がホントに大変だったのである。

 改めて『カワサキ優勝おめでとう!!』

 
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安良岡健さん逝く

2019-06-01 19:28:10 | M/Cレース

 ★私が未だ30歳前の頃、カワサキのファクトリレース担当をしていて、ライダー契約なども担当していた。未だロードレースをやっていないころで、安良岡健さんもカワサキコンバットの一員としてモトクロスライダーとして契約していた。

その頃のカワサキの契約ライダーたちである。

 

  右から梅津・岡部・山本・歳森・三橋・一番左が安良岡健である。

 契約ライダーはこの6人だった。

 その後昭和40年(1965)にロードレースにも進出し、この6人に加えて金谷秀夫・星野一義を加えて8人の契約ライダーとなったのである。

  このライダーたち、勿論私より若いのだが、8人のうち梅津・岡部・歳森・金谷に加えて安良岡までがこの世を去ってしまった。

 この写真の安良岡健が健さんが一番若い頃だと思うが、最後に彼に会ったのは私が80歳の誕生日6年前の3月2日なのである。

 この日はマウンテンライダースの50周年記念のパーテイーで日本の錚々たるライダーたちが集まっていたのである。

 

   

  

 このライダーたち私の親交のあった人たちで、この会に一緒に出席していた金谷秀夫ともこの日が最後になってしまったのである。

 

 安良岡健さんのことはこのブログでも何回か書いている。

 そんな中からの抜粋だが

 ・・・・・安良岡健さんは、当時どちらかと言うと「やんちゃな」ライダーが多かった中で、紳士然としていたのが印象的でした。 彼の世田谷の家にも何回か泊めて貰った事もあり、その後商売上でもお付き合いもありました。
若いライダーたちからの人望も厚く、星野一義が健さんに手紙を書いて当時のカワサキコンバットに入ってきたのはよく知られています。 カワサキの全然走らなかった125ccのGPレーサー(鈴鹿で2分50秒が切れなかった)の開発当初から、黙々と開発に携わっていたのを金谷秀夫君などはホントに尊敬の念で見ていました。
 
 もうこの話も時効でしょうが、名神がオープンして間もない頃、 「70キロのスピードオーバー」で名神始まって以来の記録的なスピード違反だと検挙され留置されてしまったことがあります。 鈴鹿からの帰り道、60おじさん(山本隆君)のs600を健さんのフェアレデイZが150キロで追い越したところを捉まったのです。 今でもそうですが、高槻の上り下りのある長い直線です。 なぜかあそこは80キロ制限、当時150キロ出るクルマは珍しい頃でしたが、あの直線は下っているのでスピードが出るのです。
歳森や星野もスピードに興味がある頃で、あの直線にくると窓を閉めてアクセル全開で走るのが常でした。


 これは別のブログからだが・・・

 ・・・・カワサキではロードレース、特にGPレーサーの開発に尽力して貰った。 まだ、125ccのGPマシンがスズカで2分50秒が切れない頃からだったので、大変だったと思う。
タイムが上がらないのは、マシンなのかライダーなのか、上手くいかない時によくある議論である。

そんな時期、健さんの契約問題が出たことがある。
その時、猛烈に私に意見を言ってくれたのは金谷秀夫だった

スズカから二人で帰る車の中で、 「いつ、壊れるか解らない危ない車の時代からテストさしといて、それはない。」というのである。 金谷の話は非常に説得力があった。
無理やり契約だけは、継続したのである。
66年FISCOの日本GPではじめてGPに出場したのだが、シモンズや谷口よりも安良岡がカワサキのライダーの中で一番の成績(7位)であったことは、私自身本当によかったと思っている。

 

 この時、技術部の意見どうり安良岡との契約解消していたら、安良岡健のその後のカワサキでの活躍はなかったのである。

安良岡健さんを支えたのはあの時の金谷のことばなのである。

 

現役時代の大きな節目に開催した『カワサキファクトリー25周年OB会』に集まったライダーたちである。

 

  

 

 

    

 

 もう30年近くも前の話なのだが、この時も安良岡健さんが最長老だったのである。

レースの想い出も、ライダーたちも、私の人生にとっては『貴重な財産』なのだが、一人、二人と抜けていくのは寂しい限りである。

 健さん安らかにお眠りください。

 金谷や梅津・岡部・歳森などにお会いになれたら、よろしくお伝えください。

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ルマン24時間 Kawasaki 優勝

2019-04-23 05:53:14 | M/Cレース

★ ふとテレビをつけたら、BS日テレで『ルマン24時間の実況生中継』をやっていた。

Kawasaki はどうかな?と思ったら、車番11番のKawasakiがTop で、車番111番のホンダが2位なので、俄然「見る気」になったのである。同じみるならテレビの画面を写真に撮って、Facebookに流したら、実況放送になるなと思って、最初に流した場面がこれである。

 2時間を残す時間帯なので、まともに走れば優勝か2位という状況だったのである。

 

   

 

 Top を走っていたのだが、1時間半前にピットインしたら、ホンダに追いつかれて、抜かれてしまったのである。

 ただ、ホンダもピットインするだろうから、そんなに気にすることはないと思っていた。

 

 

   

 

 約1時間を残して、今度はホンダがピットイン。

 その間に、Kawasaki が再び Top に立ったのである。

 

    

 

  

  Top を走っていたKawasaki だが、もう一度ピットインして、最終ライダーにチェンジ、コースに戻った時は2位だがホンダとは17秒差、最終ライダーはKawasaki の3人のライダーの中では、一番タイムがいいようで、ホンダとの差はどんどん縮まって同じ画面に入るようになったのである。

 この時点あたりから現地に行ってる北川圭一くんの解説が始まり、ホンダはこのまま走るのか?もう一度ピットインするかが『非常に微妙』だというのである。

 北川君は、山科カワサキの吉川健一さんのチームにいて、ヨシケンに頼まれて私が当時のチームグリーンに紹介したこともあって、いろんなライダーの中でも、私は特に近かったのである。

 スズキに移籍してからさらに飛躍して世界チャンピオンになったりしているが、MFJの会合で久しぶりに会った時も『昔のままの北川圭一くん』で、先方から私を見つけて挨拶に来てくれたりした。その時私は北川が世界チャンピオンになったとは知らなかったのである。横にいた金谷秀夫が『今は北川が一番や』などと言ってたが、ホントにナイスガイである。

 

     

 

  17秒差から追いついたちょうどその時点で、コースにオイルがこぼれて、セーフティーカーが入り、スロー運転が続くのだが、10分ほど前に再開、すぐKawasaki がトップに立ちその差は逆に開いていくのだが、レース終了直前に、ホンダはピットインして、Kawasakiの優勝が確定したのである。

 

 

    

 

 

   耐久レースとしては、稀に見る息詰まる思いの迫力ある『レース展開』だった。

 

    

 

  あっという間の2時間だったのである。

 

    

 

 名前は知らないが、こんな3人のライダーたち。

 

     

 

   表彰台の真ん中にいるのは気持ちがいい。

   2位はホンダ、3位がスズキ だった。

 

     

 

 ★Kawasaki と耐久レースと言えば、Kawasaki France に遠藤治一さんがおられたころ、ヨーロッパの耐久レースでは『常勝カワサキ』の時代が長く続いたのである。

 90年代の初めころで、日本でも鈴鹿8耐が最高の時代だったのだが、そんな『フランス・チーム』でも、高速耐久の『鈴鹿8時間』には、通用しなかったのである。

 8時間と24時間では、同じ耐久レースでも、ちょっと違うのかも知れない。

 日本でも、1964年に『鈴鹿24時間耐久』は一度だけ開催されたことがあるのだが、いろんな問題があって、その1回だけで終わってしまったのである。

 ちょうど、その頃、私はMFJの運営委員をしていたので、カワサキは出場していなかったが『鈴鹿の現場』にいたのである。

 24時間走ると『鈴鹿から香港までの距離を走る』ことになるなどと開会式の挨拶で言われたりして、確か午後5時スタートで、翌日5時のゴールだから、やはり8時間耐久とは、別物なのだろう。

 

  こんな記録が残っている。

 

   

  テレビのお蔭で、久しぶりの『二輪レース』を堪能した2時間だったのである。

 いま、Facebook でお付き合いのある、多田喜代一・塚本昭一・宗和孝宏の日本人トリオが、1989年のフランス、ル・マン24時間耐久に参戦し3位表彰台にも上がっているのである。

 レースの世界に幾らかでも関係したお蔭で『レース界のいろいろ』が懐かしい想い出として残っている。

 沢山の方から『いいね』を頂いた 2019年4月21日の『ルマン24時間Kawasaki 優勝』も直接には関係はないのだが、忘れることは出来ない想い出として残るのだろう。

 

 

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カワサキのブランドは今もOBが創っている ??

2018-10-06 17:03:11 | M/Cレース

★来週の10月13日の土曜日に、『カワサキモトクロスOB有志の会』という会合があるのだが、私はアメリカに来てしまっているので出席することはできないのである。

この会合は、今年の7月7日に開かれることになっていてその時は私も出席予定だったのだが、当日は台風7号の大雨で中止になってしまったので、10月に改めて開催が決まったのである。

 

 カワサキが二輪事業をスタートさせたのは、昭和35年(1960)でもう60年も前のことなのだが、当初はヨタヨタ歩きでいつ事業をやめるのか?と思われていたりしたのだが、それを支えて何とかなった一因が『青野ヶ原のモトクロス』の1位から6位までを独占した勝利だったのである。その後もカワサキの二輪事業はモトクロスなどレースとは密接に関係があって、極端に言うと当時レースに関わった人たちが、その後の二輪事業も、もっと大きく言えば川崎重工業も支えたといってもいいのである。

当時のレースは、技術、生産、営業の3部門からなる『レース運営委員会』によって運営されていて、当時のメンバーは 山田、苧野、中村、高橋、大槻、安藤さんなどでその事務局が私、生産部門をまとめていたのが田崎雅元さんである。

このメンバーの中から川崎重工業の社長も、副社長は2人、常務も出ているし、世界の販社や製造会社の責任者を務めるなど、文字通りカワサキの二輪事業を支えたと言っていいのだが、今現在は大槻幸雄さんと田崎雅元さん私以外はすでにこの世を去られてしまって、当時のことを語れる方は本当に少なくなってしまったのである。

 そんな中だが、私たちのちょっと後の世代のレースを担当された百合草三佐雄さんを中心に、特にモトクロス部門を担当された大津信さんなどが中心になって今回『カワサキモトクロスOB有志の会』が開催され、大槻幸雄さんや種子島経さん、カワサキのレースカラーを『赤タンクのカワサキ』から『ライムグリーン』に思い切ってチェンジされた当時KMCの斎藤定一さんなどが出席されるようだし、カワサキの歴代ライダーたちも多数出席なのである。

 

★この会を熱心にここまでまとめあげられたのは、大津信さんで現役時代から私は存じ上げてはいたが、そんなに密接に繋がっていたわけでもないのだが、大津さんが書かれている『野々池周辺散策』というブログの中には、何度か私も登場していて、非常に関心を持って頂いているようである。

 そんな中の一つに、「ある時代カワサキを支えた人たち」というテーマで Facebook の中にこんな投稿をしたことがあるのだが、それを野々池周辺散策の中で取り上げて頂いているのである。

その書き出しはカワサキのブランドは今もOBが創っている』こんなことを言った人がいます。で始まっているのである。

 本来広報とは、PR  Public Relations 社会に於けるいい人間関係創り という双方向の情報発信というか、末端の方たちとの関係が日常的にあって初めて広報活動になるのだが、現代ではその最先端を行くFacebook などには、カワサキのOBたちの方が積極的に動かれているのである。

今回のこの会合を見ても出席者の顔触れは非常に重厚で、かつ広範囲であり現実に、二輪車新聞や業界紙のほかに産経新聞の記者さんも出席されるようだし、ホンダのファクトリーにおられた渡辺さんも顔を見せられるようなのである。

カワサキのかってのOB からは、大槻幸雄さんをはじめ、百合草三佐雄、種子島経、斎藤定一他技術部OBが多数顔を連ねているし、歴代ライダーたちもいっぱいなのだが、私がちょっと寂しく思うのは、『カワサキの現役諸君の動き』がもう一つなことである。ちょっと前になるが、『カワサキの想い出、そして未来』平井稔男さんなどと一緒に開催した時は、かっての高橋鐵郎本部長、田崎雅元川重元社長もかってのレース仲間として出席いただいたのである。さらに現役からは高田プレジデント山田技術総括部長もご出席頂いたのである。

もう1週間の後に迫っているのでむつかしいとは思うが、せめてTOPの祝辞ぐらいが頂けたら、産経新聞など業界紙も来ているので、いいのかなと思ったりするのである。

実は大津信さんから、アメリカに来ている私のところに『出席いただけないのは残念だが、祝辞でも』と連絡があったので今日、祝辞をお送りしたのだが、私などより『現役トップの方の祝辞』があればなと率直にそう思ったので、このように書いているのである。

 

『ある時代カワサキを支えた人たち』はこのようにFacebook にアップしているのである。

 https://www.facebook.com/rfuruya1/media_set?set=a.917533234923978.1073742839.100000019311141&type=1&pnref=story

       

ある時代カワサキを支えた人たち

カワサキのブランドは今もOBが創っている』こんなことを言った人がいます。

確かに、ネットの世界でのOBたちの発信量は多い。
FBに参加しているOBたちをチェックしてみました。結構いるものです。
ご存じの方も、ご存じでない方もおられるでしょうが、Facebook やってる人集めてみたら21人、ライダー諸君やのれん分けの人たち入れると数え切れなくなるのですが・・・・・御大の大槻幸雄さんが顔写真を新しく出されたのでそんな気になりました。
順不同に、平井稔男、藤川哲三、渡部達也、福井昇、藤原良弘、大津信、吉田純一、山田浩平、百合草三佐雄、石川薫、杉沼浩、山本隆、多田憲正、小川優、松澤暢夫、大槻幸雄、山田淳一、遠藤治一、野田浩志、稲村暁一、種子島経
みなさんどれくらいご存じですか?
この方たちそれぞれの分野で非常に大きな役割を果たされています。
そんな上に現在のカワサキがあり、カワサキのブランドイメージがあるのでしょう。


            


 今回の会合にも、ここにお名前を挙げた方は多数ご参加のようである。
 スタート以来カワサキのモトクロス関係を支えてきた大津さんや安井さんたちさらにはその周辺におられた関係者や、ライダーたちのほかに、今回は国内のTEEM GREEN の創始者、平井稔男さんが広く声をかけられたので『カワサキファン』も結構多く集まって総勢100名に近くなるので、中身の濃い素晴らしい会合になることは間違いないのである。
 
 
 
★私自身は、カワサキの二輪事業のスタートから、それも広告宣伝課担当からスタートしているので、一言でいえば私のカワサキ時代の活動は即広報活動であったと思っているし、今もなお情報発信についてはあるレベルを維持した上で続けているのである。
 
Kawasaki, Let the good times roll !  Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような、いい時を過ごせるような活動こそが、事業経営の中で最も優先されるべき事項だと、今も信じているのである。
 
 
 

 

 

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カワサキのレースの昔話

2018-05-18 06:36:32 | M/Cレース

 ★来る7月7日に『カワサキ・モトクロスOB有志の会』という会合が予定されていて、出席するようにご案内を受けている。

 主宰をされるのはFacebook でもお付き合いのある大津信さんで、百合草三佐雄さんをはじめ山本隆さんや平井稔男さんなど約70名のレースOBたちが出席の予定のようである。

 大津さんが『旧い写真でもあれば、会場に張り出すので送ってください』と言われるので、何枚かの写真をお送りしたのだがその中にこんなレースとは全く関係のないような写真も入っているのである。

 

    

これは若き日のあのフィリッピンの小野田寛郎さんと小野田滋郎さん(左)ご兄弟だが、カワサキで一番最初にレースをスタートさせたのは間違いなく当時カワサキ自販におられた小野田滋郎さんで、カワサキのレースのスタートと言われている『1963年の125B8での青野ヶ原モトクロス』より早い125B7の時代にMCFAJの全日本にライダー三吉一行などで出場しているのである。

何年か前にヤマハの本橋さんから『カワサキのB7に乗ったことがありますよ。井手さんと言う方がおられました』と言う話を聞いて、ちょっとビックリしたのだが、井手哲也さんは確かに当時川崎航空機におられて、個人的にレースなどに非常に関心が高かった方なのである。

 カワサキ自販でレースに関係していたのは、当時の企画、宣伝課長の小野田滋郎さんで、私は広告宣伝関連を小野田さんから引き継いだのでレースも担当することになったのだが、小野田滋郎さんは青野ヶ原で大勝したとき、今までレースに大反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様をみて『今までの苦労も知らずにーー』と言われたのを私はよく覚えている。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのも小野田さんで、厚木に『カワサキコンバット』というチームを作ったのが、カワサキのレースのスタートなのである。

 『青野ヶ原で大勝』した後は、社内でもモトクロスが正規に認められて、カワサキコンバットを中心に、関西では片山義美さんが主宰されていた『神戸木の実クラブ』から歳森康師・山本隆とも契約してのレース活動が始まったのである。

カワサキが1963年に『青野ヶ原モトクロス』に出場するるきっかけになったのは、鈴鹿が開場した年の1962年11月の日本初の本格的ロードレースを製造部の人たちがバスを仕立てての観戦だったのだが、そのレースの250クラスの優勝者が三橋実350クラスの優勝者が片山義美(ともにヤマハ)とカワサキに密接に関係のあったお二人だったのである。

 

 ★これは1965年当時の契約ライダーたちである。

  左から安良岡健・三橋実・歳森康師・山本隆・岡部能夫・梅津次郎で、山本・歳森以外はカワサキコンバットのライダーたちである。

 

    

 

    同じ時の写真だが左から4人目が星野一義 未だ契約をしていないノービス時代の星野である。

    

 

 その頃、二輪のこともましてやレースのことなど全く解らなかったカワサキや私にいろいろと教えて頂いたのがMCFAJ初代事務局長西山秀一さんなのである。

 

    

 

 

 

    星野のお師匠さんが山本隆くんだったのである。

    二人とも若いな。

      

 

 

    1966年、青森弘前でのMCFAJ 全日本 カワサキF21M のデビュー戦でもあった。

    これ以降、カワサキのモトクロス黄金時代が続くのである。

    私がレースマネージメントを担当したのはこの年が最後である。

     

 

    そして、これは札幌でのMFJ全日本モトクロス、吉村太一・山本隆・星野一義・木村夏也

    みんな懐かしい。

 

      

 

 

 

    カワサキファクトリチーム結成25周年記念のパーテー

 

      

 

      その時参加してくれたライダーたちである。

 

        

 

      これはもうずっとあと、神戸木の実クラブの解散会である。

      なぜかライダーたちの中に私がいる。

 

      

 

 

    これは何年か前、『二輪文化を伝える会の第1回トークショー 山本・古谷』にこんなメンバーたちが集まった。

    

         

 

     そして、星野一義がかってのお師匠さんを高級焼き肉に誘ってくれたのである。

      

 

 

         これは私がFacebook に使っている写真だが、ホンダ・スズキ・ヤマハ・カワサキのご縁があったレース関係者ばかりである。

   私の人生の大きな部分を『レース』が占めているともいえるのである。

 

          

 

    一言で言うなら、かっての『やんちゃ坊主』たちは、みんな偉く立派になったものである。

 

  

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下仁田ねぎと・・・

2013-12-25 05:31:02 | M/Cレース

 

 

 

 毎年年末になると、我が家にこんな下仁田ねぎ が届きます。

 

関東の加薗芳道さんからなのですが、私は全くの お相伴なのです

 

それにしても、素晴らしいねぎだと思いませんか?

 

 

 

三木のANNEXPARK で春秋に、 ヴィンテージのモトクロスレースが行われるのですが、

そのイベントに、遠く関東からわざわざ来られるのが、加薗さんで、

 

三木まで来られるようになったのは、『山本隆』くんのファンだから、だろうと思います。

 

 

カワサキコンバット などという旧い話が通じて、そんな昔話から、 下仁田ねぎの お相伴にあずかっているのです。

 

 

 

ビンテージモトクロスは、他にも山本隆ファンはいっぱいいて、

40年も前の名声が、今でも通用するのですが、

それは、名前だけでもなくて、

 

 

その走りでも、昔を彷彿させる

 綺麗なライディングフォームだし、若い人を寄せ付けずに、トップを走ったりするのです

 

 

それは兎も角、今日は加薗さんへのお礼の積りで書いています。

 

 

★まずは、下仁田ねぎ そのものについて

 

 

下仁田でしか、取れないので下仁田ねぎと言う。

『殿様ねぎ』とも言うらしい。

 

 

 

ここに、書かれているように、

『下仁田』でないと、ダメなようです。

 

加薗さんご自身は、下仁田ではなく、関東の確か、コンバットの本拠地厚木に近かったと思ったのですが、

奥さまかどなたかが、  下仁田に関係がおありのようです。

 

加薗さん、毎年有難うございます。

今年もまた、ご馳走になります。

 

 

★もう一つは、

加薗芳道 さんのモトクロスに関するファンぶりは、

普通のファンの域とは、ちょっと飛び抜けたレベルなのです。

 

今年の春の、マウンテンライダース50周年記念イベントにもお見えになっていましたし、

 

今年の7月、品川で開催された、それこそ モトクロスのレジェンド達のこんな集まりにも

 

 

そのお顔が見えましたし

 

 

 

 

ちゃんと 

カワサキコンバットの連中との写真にも収まっておられました。

 

極めつけは

 

 

壇上に登って、 山本隆自らが、  何か加薗さんの紹介をするなど

これは、ちょっと普通の方では、真似が出来ない芸当だと思っています。

 

そんな加薗芳道さんを

ご紹介して、お礼状に代えたいと思ってます。

加薗さん、 下仁田ねぎ 有難うございました。

 

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秋分の日に猪名川サーキットで

2013-09-24 06:21:09 | M/Cレース

 

猪名川サーキットまで行ったわけではないのですが、ネットの関係でいろいろニュースが入ってきます

最初にこのレースの存在を知ったのは。『ねこのまったり日記』のこの記事です

 

 

川西警察署長杯が産経新聞に取り上げられています

と紹介されていて、こんな吉塚所長さんの写真も載っていました。

 

 

産経新聞にもホントに大きく取り上げられていました

 ■バイクレース中に交通クイズ、間違うと10秒停止のペナルティー

バイクレースを通して交通安全意識を高めてもらおうと、県二輪自動車協同組合は23日、猪名川町清水の猪名川サーキットで「川西警察署長杯ミニバイクレースフェスタ」を開催する。秋の全国交通安全運動の一環で、趣味でレース活動を行う川西署の吉塚潤一郎署長(57)が発案。レース中に交通クイズを出し、間違えると罰則を科すなどの特別ルールで行われる。警察署長杯を冠したバイクレースは全国でも珍しいという

などと記事には紹介されていました。

 

★そこまでは、よく解っていたのですが、

すっかり忘れていたら、昨日Facebookにこんな写真がアップされました。

 

 

 

浜田須磨子さんです。

てっきりレースを観に行ってるのだとばかり思ってました。

行ってるんだ。ミネコさんや平井さんにお会いになったらよろしく仰ってください』 とコメントなどしました。

 

 

 

 

その後、

これはツイッターに貼られた写真です。

三木の市会議員板東聖悟さんのこんなツイッターでした。

 

 

 

板東さんとペアを組むのは、間違いなく浜田須磨子さんです。

このペアは2年ほど前に、千葉の袖ケ浦の3時間耐久レースで初めてのデビューでした。

私は、それ以来のお付き合いです。

 

板東さんナイスガイです。

所属は共産党で、私は共産党とは関係ないのですが、板東さんとはNPO The Good Times 関連で、

『粟生線の未来を考える市民の会』でも同じ世話人仲間ですし

先日の『KAWASAKI THE LEGENDS & FUTURE』にも、浜田さんとのペアで出席してくれています。

 

 

★ ここからは今朝、Facebook など見て、書いています。

 

こちらは腰山峰子さんのFacebookから

 

 

 

腰山峰子さん、優勝候補だと思ってましたが、惜しくも5位だったそうです。

 

 

これは板東さんのFacebook から

 

そして浜田須磨子さんのFacebook には、

こんな記事が紹介されていました

 

 

昨日はいい天気でした。

楽しいいいレースだったのだと思います。

 

 

★★English Version です

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名門マウンテンライダースの50周年記念パーティ―

2013-03-03 05:31:59 | M/Cレース

★『名門マウンテンライダースの50周年記念パーティ―』と『モータースポーツ関係者の集い』にご招待を頂いて、昨日は午後京都に行ってきた。

往年のトップライダーたち錚々たるメンバーの殆どが集って、まさに豪華な会合となった。

スズキの関西のファクトリーライダーたちを集めたクラブだが、小嶋松久、吉村太一、お二人とも現役時代からお付き合いのあったライダーで、

小嶋さんにはカワサキのキットパーツやジェットスキーでもお世話になり、吉村太一ちゃんは星野一義と同世代で彼が10代の時からよく知ってる仲なのである。

 

300人以上が集まった盛大なパーティ―でした。

Facebook には昨日の内に速報で流しています

 

 

      

 清原明彦、金谷秀夫、山本隆の3人と一緒に京都に。

京都駅で突然『古谷さんですね』とFacebook のトモダチに声をかけられてびっくり。

ホテルに着くなり、忠さんや杉本五十洋MFJロードレース委員長がいて記念撮影。

 

  

 カワサキ現役チームの安井君、河崎裕之シャケさん、松島裕現NPO The Good Times アドバイザーという珍しい顔合わせ、

久保和夫さんとは、ホントに旧交を温めた。

 

    

 京都の芸子さんとカワサキOBたち。

主宰者吉村太一ちゃんと安良岡健、それに元カワサキ、スズキで耐久世界チャンピオンになった北川圭一と。

 

   

 

突然だったが、壇上に呼び出されて、小嶋松久さんから、80歳の誕生日祝いに、花束を贈呈された。

 

  

 

太一ちゃんが、気を遣ってくれたのだと思う。山本隆くんか誰かが誕生日だということ囁いたのかも知れない。

これは予想もしなかった人に会った。大南勝也君である。ジェットスキーを日本に持ってきた頃の中心人物である。

小嶋さんは二輪だけでなく、4輪レースも、ボートにも関係があったのだ。

 

   

 

 催しもだんだん進んで、現役のマウンテンライダースたちのご披露である。

 

 

   

 

 そして最後は、吉村太一君が一人で何か喋っていたら、どんどんライダーたちが壇上に集まって、

こんな形になって、最後は清原が一本締めで。

 

 

会も終わって、名残惜しい。喋ってるのはモトクロス世界チャンピオン渡辺明くん、

彼の金谷秀夫評は、『彼こそが真の世界チャンピオンに一番近かった人 』 だと。

この人とは、三木のアネックスパークで、一度出会ったのである。

その時も、山本隆くんと一緒であった。

 

★いい会合であった。

今年は、東京お台場で、『カワサキの想いでそして未来』の第2弾を開催する予定で進めている。

今度は、それこそ世界からあつめようと、

Kawasaki  The Legends & Future とネーミングも英文にして、

KAWASAKI Z1 FAN CLUB の主催で開催する方向で進めている。

 

 

 

 

 

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マウンテンライダ―ス設立50周年記念

2013-01-18 05:38:12 | M/Cレース

 

★『マウンテンライダ―ス設立50周年記念とモ―タ―スポーツ関係者の集い』というご案内を頂いた。

私自身、二輪事業に関係してちょうど50周年なのである。

50年ほど前の日本の二輪スポーツは鈴鹿サーキットが昨年50周年だったし、このころから一挙に開花していったと言っていい。

当時のモトクロス界でスズキはアタマ一つリードしていたような感じを私は当時持っていた。

東には久保和夫さんらの城北ライダース、関西には小嶋松久さん 率いるマウンテンライダ―スが圧倒的な存在感で君臨していた。

野口種晴さんのヤマハのスポーツライダースやカワサキもカワサキコンバットや神戸木の実などがこれに続いていたと言っていい。

 

そんなマウンテンライダ―スが50周年とは、私にとってはちょっと意外な感じもした。

もっともっと前から存在していたのだと、当時はそう思っていた。

 

画像検索でこんな写真が見つかった。

お会いしたことはないが、左は伊藤光男さんだと思う。真ん中が小嶋松久、右は片山義美さんこの二人はよく存じ上げている。

小嶋松久さんに今のところ最後にお会いしたのは片山義美さんの引退パ―テ―の時だった。もう長くお会いしていない。

何となく繋がっていたのである。小島エンジニアりングの事務所にもお邪魔したし、ジェットスキーでもお世話になった。

 

 

 

マウンテンライダ―スは今は吉村太一ちゃんが引き継いでいるらしい。

50年前は吉村太一も10代の少年だったのである。 星野一義と確か同じ年にデビューしてお互い好敵手だったから、その当時の17歳の少年時代のまま、今もなお繋がっているのである。

     

 

吉村太一、星野一義、山本隆、木村夏也 当時のトップライダーたちである。

 

スズキとは直接関係のないカワサキの私がご招待を受けたこと自体が光栄である。

山本隆くんにもご招待があるようだし、星野一義も出席のようだから喜んで出席させて頂こうと思っている。

 

 

これはもう2年も前になろうとしているが、『カワサキの思い出、そして未来』に来てくれた時の太一ちゃんである。

この写真は気に入っていて、私のFacebook 表紙に使わせて貰っている。

左から金谷秀夫、星野一義、木村夏也、私、吉村太一、田中隆造それにホンダファクトリーの渡辺さん。

カワサキもスズキもヤマハもホンダの渡辺さんも、4メーカーに関係のあった人たち、それにBSに関係のあった田中隆造さんも、みんな入っているからである。

 

今回の会合も、そんなメーカーの枠など超えた形で開催されるのがいいと思っている。

来る3月2日。

京都での開催である。

3月2日は、実は私の80歳の誕生日なのである。錚々たるライダ―たちが集まるようだし、多分顔見知りもいっぱいだから、

ぜひこんな有名人たちに『80歳の誕生日おめでとう』を言ってもらおうと思っている。

 

こんな方たちがご出席のようである。

伊藤光男、片山義美、久保和夫、黒沢元治、菅家安智、鈴木忠男、鈴木秀明、高橋国光、長谷見昌弘、星野一義、山本隆、渡辺明

名前の順番が難しい有名ライダーたちだから<あいうえお順>に並んでいるらしい。

 

 

 

 

★そのちょうど1か月前の2月2日、

東京で『二輪文化を伝える会』の第2回トークショ―

  2回のゲストは、昭和30年代に城北ライダースの設立メンバーとして日本モトクロス界に君臨、のちにSRS KUBOの監督としてロードレースライダーの育成にも情熱を傾けられた「久保和夫」さん、そして久保さんの愛弟子であり2007年の鈴鹿8耐ウイナー、今も日本・世界を舞台に活躍する「加賀山就臣」選手です。

当時のことを知っている方、当時のことを知りたい方、加賀山選手を応援している方、ご参加お待ちしております!

今回は城北の昔の仲間たちもいっぱい集まるのかも知れない。

 

ひょっとしたら、これにも行ってみたいなと思ったりしている。

どちらも、楽しみなことである。

 

 

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今年の8耐 と 平井稔男さん

2012-08-01 06:16:49 | M/Cレース

★今年は久しぶりに8耐の熱気を思い出しながら過ごした。

Kawasaki はなぜか、ファクトリーを出場させていないのだが、

鶴田竜二くんのチームがもう少しで表彰台だったのに惜しかった。

 

どうしたことか、このブログのアクセスは、昨日、一昨日と連続して、1576,1696と1500を超えたのである。

その検索キーワードは、『パウダーレーシング』と 『鈴鹿8耐』が上位を占めた。

鶴田君からはFBにこんなメッセージを頂いて、コメントもこんな具合に、

 古谷さん、この度8耐FBをご紹介して頂き、ありがとうございました。

残り2時間過ぎになって、ピットウォールに張り付いて直接作戦を支持してましたので、投稿できなくてすみませんでした。
残り1時間過ぎてからは異様な熱気と歓声に包まれ応援席は大いに盛り上がっていました。
そして20分過ぎに3位に追いつくとサーキット中、歓声と悲鳴どよめきが、うねりをなし,私も鳥肌を通り越して髪の毛が、逆立つ位の興奮状態でした(笑)
結果は残念でしたが、攻め切った結果ですし、それに昨日、皆で沢山泣いたので既に吹っ切れています。
そもそも我々の最終目標は3位ではなく優勝ですから、これからまた精進します。
これからもよろしくお願い致します。

<form id="uk2b6x_137" class="live_480400025303970_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-live="{&quot;seq&quot;:28784105}">   
  • 古谷錬太郎 いや、久しぶりに8耐を満喫しました。2時間を切ってからは、Ustreamの実況で見てましたから、最後15分ぐらいからは、表彰台を勝手に確信したりしてましたが、そこがレースの難しさですね。また精進してください。NPO The Good Times のプロジェクトシステムは応援できると思ってます。またご研究下さい。
     
  • 鶴田 竜二 ありがとうございます。そうですか、NPO The Good Times を研究させて頂きます!
     
  • 西郷 善治 鶴田さん 8耐お疲れ様でした1000人イベントといいすばらしい活躍でしたね、少し身体を休めて又レース楽しませて下さい
</form>

 

 このように繋がると何となく、気分がいい。

NPO The Good Times  研究します。と言われているので、

その解説ブログみたいなのを昨日はアップした

Facebook にもリンクを貼って出したので、鶴田くんホントにお読みになったかも知れない。

『1000人作戦』などやっておられるので、それをさらに応援するファン1万人ぐらいを集める積りでやればいい。

 

★平井稔男さんは、私と同い年だが元気である。

今年は鈴鹿の現場まで出かけたようである。

彼もFacebookをやっているのだが、もう一つ使い方が解らないとご本人は仰って、私のところに質問の電話がいつもはいるのだが、

私自身も甚だ頼りなくて、平井さんの言ってることが解らなかったりする。

 

今朝も、350枚も写真を撮ってきたがFacebook に貼付出来ないと仰る。

それをディスクに保管してあって、そこからFBのアルバムにしたいと言われるのだが、私はディスクなど触ったこともないのでサッパリ解らないのである。

 

 

 

 

こんな感じで表示されてはいるが、なぜ1枚、1枚にならないのかそれがまた解らない。

然しこんな写真を350枚も撮ってきたのだろう。

 

 

 

これはKMJからの写真だが、懐かしい93年の8耐優勝車である。

こんなコメントが付されていた。

第35回鈴鹿8時間耐久レースにおいて、Kawasakiワークスは残念ながら不参加でありましたが、サテライトチームが最後までレースを盛り上げて頂きました。

サテライトチームの皆様ありがとうございました。

記念イベントで展示していましたZXR-7伊藤ハム車とそのベース車の写真をUPいたします。我々も再度復活をめざしてがんばります!!

 

ホントに復活するのだろうか?

来年はチームグリーン創設30周年なので、『是非8耐に出場させたい』と

平井稔男さんは言っている。

でもなかなか実現は難しいのだが・・・

来年の鈴鹿の夏は、どんな4耐、8耐になるのだろうか?

 

今年の8耐はオモシロかった。

そう思った人たちの一人、大津信さんの感想をご紹介する。

 
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2012 鈴鹿8耐 FBで観戦

2012-07-30 06:18:44 | M/Cレース

★昨日は鈴鹿4時間耐久だった。

パウダーパフレーシングを応援していたのだが、10周目に転倒リタイアしてしまった。

 

 

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カワサキのレース創成期の主役 山本隆

2012-07-23 06:14:19 | M/Cレース

★昨日は、NPO The Good Times の理事会だった。

山本隆君がこんなレースの旧い写真をいっぱい持ってやってきた。

そんな写真の中から、私にとっても懐かしい写真の何枚かをご紹介して、その想い出を語ってみたい。

 

●カワサキのレースのスタートは、

1963(昭和38年)5月19日の青野ケ原だと一般にはいわれている。

確かに、明石の工場の人たちがレースに関わって参戦したのは、その通りなのだが、

カワサキ自販ベースのレースはもっと古くB-7時代から自販の小野田滋郎さんや川航の井手哲也さんたちが三吉一行などとやっていたし、三橋実を契約したのは小野田滋郎さんのはずである。

先日東京でヤマハの本橋さんから、B-7のエンジン貰って、三室などとカワサキに乗っていたなどと聞いたし、その時本橋さんから井手さんの名前が出たりした。

当時、私は直接レースには関係していなかったが、小野田さんからはそんな話を何となく聞かされていたのである。

 

●明けて1964(昭和39年)春 第1回MFJ 日本グランプリが相馬が原で開催されたが、その成績は散々なものだったのである

 

★カワサキがモトクロス界にホントにデビューしたのは

1964(昭和39年)10月10日 東京オリンピックの開会式の当日伊豆丸の山高原のMCFAJ全日本で山本隆が久保和夫(スズキ)荒井市次(ヤマハ)の両雄を下して優勝を果たしたその日からだと思う。

その1カ月後のスポニチ主催の西日本モトクロスの紀の川モトクロスで、星野一義が初めてレース場を走ったリしたのである。

 

 

これは、その翌年

1965(昭和40年)4月、 MCFAJ 全日本の朝霧大会の時のメンバーである。

20番台のゼッケンが契約ライダーたちである。

右から梅津、岡部、山本、歳森、三橋、安良岡、

 54番が星野一義だが多分未だこの時は契約はしていないがカワサキコンバットのチーム員だったのである。カワサキコンバットは三橋実が主宰し、毎月運営費契約で、全国の有望ライダーを育成していたのである。星野以下は、野島、堀、三橋弟。

山本隆、歳森康師の二人は神戸木の実クラブ所属であった。

この大会で、星野は90ccノ―ビス で優勝を果たしている。

 

 

この年の5月3日

第1回ジュニアロードレースが鈴鹿サーキットで開催された。

トップが3位入賞の山本隆、ゴール直前の写真である。 その後ろがBSの滋野靖穂。優勝は神谷忠(ホンダ)2位もホンダ。

このレースがカワサキが初めて鈴鹿を走ったレースである。

会社からはロードレース参戦は許されていなかった。 青野ケ原のモトクロス同様、かってにマシンを作って、鈴鹿モトクロスに出場することにして、会社には内緒で出場したのである。

予想にもしなかったホンダに次ぐ成績で3位入賞を果たしたので、その結果を会社にも公表したら、

直ち『ロードレース参戦』の号令が下って、1ヶ月後の6月『鈴鹿アマチュア6時間耐久レース』に3台のマシンをエントリーさせることになったのである。

 

山本隆が既にジュニア資格を取っていたので、神戸木の実の歳森康師のパートナーとして無契約で登場したのが、金谷秀夫なのである。

そして、このレースではじめてカワサキに監督が登場した。

大槻幸雄監督、田崎雅元助監督なのである。

こんな経緯があるので、山本隆は、ロードレースのライダーたちに、カワサキのロードレースの道を開いたのは自分だと胸を張るのだがその通りなのである。

 

 

この時点、第4回MFJ 日本グランプリの大会後の福島オートでの記念撮影である。

1967(昭和42年)この年1月から私は東北6県担当に異動、この郡山のレース場はMFJに頼まれて中西社長と一緒に自衛隊にお願いに行き、その演習地を借りて行ったものである。

カワサキはF21M全盛期、確かヤマハがDT1を登場させた大会である。

この写真には私は写っていないが、殆ど全部顔見知りのメンバー達で懐かしい。

 

 

 

これはその翌年北海道ティネオリンピアで開催された第5回MFJ 日本GPである。

MFJの日本GP については第1回の相馬が原は知らないが、2回以降この第5回までは全て現地にいた。

星野も吉村ももうトップライダーになっていた。お二人はアマのデビュー時代のころからよく知っている。

一緒に走っている木村夏也は、第2回の日本GPでアマ優勝でデビューした時はカワサキにいたのだが、このころはスズキに移籍していたかも知れない。

カワサキ全盛時で、山本隆君はエ―スライダーであった。

 

★ご縁があってカワサキのレースにいろいろと関係した第一期は1963年から68年ごろまでの年間である。

後年もう一度レースに深く関係した時期もあるのだが、一番想い出の多いのはこの時期である。

そして一貫してカワサキのレースを支えてくれたのは山本隆君である。

 

 

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山本隆君がこのブログに寄せてくれたコメントです。 

 何故あんなに積極的になれたのか!

・コメント
私は元来石橋を叩いて渡る性分である。
二十歳前後に何故か積極的な行動をしている!
木の実クラブの片山学級生の歳森、金谷、村上、谷岡など六甲トレーニング組は、モトクロス専門だった私より遥かにロードの経験は多かった!あのプレイボーイの歳森でさえ、手を出さなかった85J-1を私はロード仕立てにしたのである。
木の実に加入して、師匠に六甲トレーニングを、日曜毎に特訓を受けたが、決してロードは得意では無かった。
なのに、カワサキを初めて鈴鹿サーキットのポーディアムに上げた男になった!
今あらためて思い起こすと感慨ひとしおである

 

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別冊モーターサイクリスト

2012-02-16 05:22:38 | M/Cレース

★私が二輪の世界に関係し出したのは、昭和35年(1960)のことだから、もう50年以上も前のことである。

それ以来、殆ど二輪の世界に関係しながら生きてきた。

モトクロスやロードレースの初期から、未だ自前の代理店が日本各地にあって、カワサキではアメリカ市場には進出していなかった時期である。

広告関連も専門的に担当したので、当時のオートバイ誌、とモータサイクリストの2誌しか専門誌はなかった時代にお付き合いがあった。

その後営業や、販売網や部品、東南アジアのCKD事業、アメリカ、欧州の直販会社なども担当したし、二輪の業界なども担当したりして、何かと広く解ってはいるのだが、バイクは自分では所有したこともなく、技術的な面は皆目解っていないし、各部品のの名前なども詳しく言われると付いていけないレベルなのである。

 

それなのに、昔からのご縁で、二輪車新聞も、ベタータイムスなどの専門誌に加えて、

ご紹介する別冊モーターサイクリストなど、KAZEの機関誌なども現役会員なので、自宅に送られてくるものだから何となく業界の動向だけは解っている。

昨日から、神戸のカワサキワールドで開催されている『モーターサイクルレーシングフェア』なども招待券をお送り頂いているので、期間中には寄せて頂こうとは思っている。

 

★ そんな現在の状況なのだが、

昨今の専門誌は、どんどんマニア向けになっていて、私のアマチュアレベルには、読んでも意味不明の部分も沢山あって、どちらかと言うと絵本のように、バイクのカッコ良さなどを楽しんでいるレベルなのである。

 

送られてきた『別冊モーターサイクリスト』の表紙は、トライアンフの写真である。

こんなヨーロッパの伝統のメーカーがあることは、勿論よく知ってはいたのだが、

私たちが現役のころは、日本の4メーカーの世界シェアが90%もあって、アメリカのハ―レ―が潰れるかどうかで、ダンピング訴訟が行われていた時代だったから、

日本の4メーカー以外は、特に関心もなかったし、事実殆ど影響力を持たなかった時代だったと言ってもいい。

専門誌の表紙に日本車以外が来るなど、想像も出来なかった時代であった。

 

 

送られてきた雑誌の中味は、いろいろあるのだが、

『伝統の旧車イベント』として1978年から31回続いたという、このレースのことも、実は初めて知ったのである。

その写真をみると、

昔々のレーサーの姿があってなつかしい。

 

 

このページに出てくる伊藤光夫や生沢徹、更には滋野靖穂などは懐かしいし、特に滋野はBSにいてカワサキの小型車のレースでは目の上のタンコブ的存在で、幾度苦汁を飲まされたかしれない。

このレースのレギュレーションが、1961年以前のマシンと言うことらしいので、カワサキのマシンは1台もない。

1961年は未だカワサキはモトクロスだけでロードレースには参入していなかったのである。

ホンダはこんな赤タンクのマシンで走っていた。

黒一色のつなぎ、おわん形のヘルメットも懐かしい。

 

カワサキのマシンも紹介されていた。

今年発表のニューモデルNinja-14XR  ,ZZR1400

10000回転、200馬力以上、となると、どんな世界なのかよく解らないのである。

こちらの機種のロードインプレッション記事は、松田大樹さんの記事である。

ちょうど1年前、カワサキの想い出、そして未来以降のお付き合いである。

ツイッターなどもちょいちょいリツイートさして頂いている。

 

 

そして、裏表紙は、たまたまなのか、カワサキの定位置なのか知らぬが、

今回は、カワサキのW800だった。

メグロがカワサキになって、カワサキとして初めてつけた記号が

W1で、その当時は大阪の営業にいた。

日本では名車と言われたが、アメリカのハイウエイでは、もう一つだったようである。

アレから40年、W800として生まれ変わって、よく売れているとか聞いている。

40年前、確か35万円ぐらいだったのだが、今は85万円だとか。

 

昔のW1の中古車は、一体どのくらいの値が付いているのだろう?

新車で42万円ほどだったZ2の中古車は多分それ以上するのだと思う。

 

 

性能や、技術的なことはサッパリだが、

こんな昔話なら、幾らか語れるのである。

 

 

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2012年度目標  サーキットを愛する人を1000人増やす!

2012-01-19 07:52:06 | M/Cレース

★ With Meの丸山浩さんが、ツイッターの中でこんなブログを発信されました。

 

 2012年度目標  サーキットを愛する人を1000人増やす!

 

WITH MEは「モータースポーツを文化へ」を提唱する会社だけに、なにか目標を持ってやって行かんとと思い、具体的な数字を出してみました。

「2012年度 サーキットを好きな人、愛する人を1000人増やす!」

 

 With Me とは昨年からのNPO The Good Times でのお付き合いです。

そして昨秋、袖ケ浦のマル耐では、The Good Time レーシングチームもエントリーして楽しい1日を過ごしました。

その時感じた『マル耐への感想』をこんなブログに残しています

 非常に感動しました。

久しぶりにバイクのよさも、レースの楽しさも堪能しました。

 その時の写真です。

右から、雷神マッハの蘇原さん、丸山浩さん、アメリカの総合格闘技チャンピオン久保田武蔵さん、そしてまっしまさん松島裕さんとお嬢さん。

いい笑顔です。

バイクは楽しい乗り物です。

100分の1秒を争うレースの厳しい世界はファクトリーに任せて、楽しさがベースのレースは最高です。

マル耐のコンセプトも最高でしたし、それに合わせた規則、規定になっていて、こんなレースがバイクの底辺を広げるのだと、共感したのです。

 

★ そのマル耐の今年のスケジュールが発表されました

素晴らしいの一語に尽きると思います。

『2012年目標 サーキットを愛する人を1000人増やす!』

大丈夫実現できると思います。

広報活動を始め、あらゆるシステムを通じて、NPO The Good Times も応援したいと思っています。

 

『新しい二輪文化の創造』は私個人の現役以来のテーマです。

昨年の『カワサキの想い出、そして未来』もその一環でしたし、

今年は、東京でこの秋に、ホンダさんをベースにみんなが協働して、その第2弾を企画検討中です。

 

明日、1月20日には、昨年袖ケ浦に集まった5人の仲間が、NPO The Good Times の有馬泉卿荘での新年会に参加されます。

勿論、丸山浩さんも来られます。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』が基本コンセプトです。

是非、『マル耐』との連携もアタマに入れた展開にしたいものです。

 

 ★これは昨秋のマル耐に、兵庫県三木から出場した三木市の市会議員の板東聖悟さんとフィアンセです。

お二人ともサーキットを走ったのは初めてです。 全くの初心者なので、内外出版の河村編集長(右)が3人目のラ―ダ―で補佐して頂き、無事3時間を完走しました。

 

明日のNPO The Good Times の新年会にはこのお二人のペアも参加されます。

東京からの5人の方とも、同じ想い出を共有されている仲間です。

 

こんな素人ライダーも出席ですが、

BERTの理事長、二輪世界GPチャンピオンの片山敬済さんも副理事長の廣岡さんも、

そして全国オートバイ協同組合連合会の吉田純一会長も、顔を揃えます。

 

迎えるNPOの理事さんたちは、タッチャんも、thiraiさんも、60おじさん山本隆君も、遜色ない顔ぶれですから、いい会合になること請け合いです。

みんなで、『サーキットを愛する人を1000人増やそう』活動を応援したいと思っています。

 

★ NPO The Good Times も今年は3年目を迎えます。

『新しい公共』を目標にその展開を図ってきましたが、

今年は『新しい公共の具体的な実践』を目指したいと思っています。

 

既にスタートした『孫文を語る会』

1月17日にスタートした『BERT

その一環の『笑って遊ぼうミキランド

粟生線の未来を考える市民の会

『e-まちネット@みき』

などに加えて、『サーキットを愛する人を1000人増やそう』活動などをベースにした、秋のプロジェクト展開、などが出来ればいいなと思っています。

 

 

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